ゼネコンの今後は前途多難!
苦しいとか大変だという次元はとっくに通り越して袋小路に完全に追い込まれて、にっちもさっちも行かなくなっている。
原因は何と言っても建設業界の大きさと仕事量のアンバランスである。
建設業者はそんなにあくどく儲けているのか。「談合がなくなれば、少なくとも3割は安くできる」などという評論家が多い。それに対して、建設業界は何の反論もしないのは何故なのだ。
吸収合併はできそうでできない。大手といわれる人たちのエゴイズムここまできても直らない。「自分たちは生き延びるから他の業者の事までは知らない」
情けない話だ。これだから建設業界に前進はない。
人材の不足をもたらしたのは
建設業は、とりわけ日本においては公共事業を主とした稼業として成り立ってきた。他産業のようなサービス重視の傾向は全く薄いのは、建設業サークル内の公共事業の配分がもっとも大切な仕事であったからである。この配分に関する業者間の調整の仕事を「業務」という。変な話だ。普通の何の変哲もない単語なのに、この特別な意味は、他産業では通じない言葉だ。
社員がはじめて知る談合の実態は建設業の実態である。何と建設業においては企業の本質であるべき「品質」より最優先なのは「談合によるシェア獲得」なのである。
企業において「品質」は企業の生きるための真髄がこめられており、すべてはここから始まる。品物そのものはもちろん言うまでもなく、営業展開や顧客サービスやゴーイング・コンサーンとしての位置付けの基本となる。
建設業では「品質」意識はおろそかにされ続けてきた。「品質」は利益を生む源であり、企業の最も大切なよりどころのひとつである。「品質」を高めるためには社員の質の向上が最初に重要であることは言うまでもない。しかし今の建設業では人は育たない。育てる人がいない現実がある。人材育成という計画はあってもその実態のお粗末さは話にならない。先端では薄汚い策略、地道な営業努力を無にする談合行為、ちょろまかしと裏切りの世界の戦争だが、世間では通用しないそれを会社のあり方だと容認している矛盾を内部では気がつかない。永くそこにいると普通の人間でも次第にその現実に合うように感化され、そのうち人格など無視の畑に、経営がわからない経営者や幹部に育つ。
不景気やデフレや政策転換などで、一旦危機になったとき人材のなさは、企業としても業界としても、何の対応もできず世間から見放される結果となる。
このままでは建設業に明日はない。
しかし、あきらめてはいけない。明日のある社員がたくさんいる業界だ。不景気、構造改革の機に合併、淘汰、再編成でもまれて、グローバルな企業の常識が通じる業界になるよう、従来の談合体質から一皮むける必要がある。
これから苦しい道のりがあるがしっかり見据えて耐え抜かねばならないだろう。
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