|
|
|
|
開拓歴史 ◆言問の松 |
|
|
このいちい(おんこ)は、樹齢1200年といわれ、高さ14メートルもある大樹である。
言問の松の名称の起源は、本村開拓の先駆者梅村庄次郎が、岐阜団体12戸と共に当村に初めて入植したが、当時鬱蒼たる密林を切り開き、泥炭湿地にいどみその一鍬一鍬によって耕地が拡大され、血と汗の結晶今日の基礎を築き上げた。そして幾多の辛酸苦労を重ね、あらゆる悪条件を克服して今日の発展をみるに至った事は、入植以来の歴史により、その実態を掴むことは可能であるが、その入植以前の事に付いては、誰も知るよしもない。ただこのおんこはおよそ平安時代のころから、兜沼公園、沼向きに毅然と立ち、全村をみつめてきた。明治42年の春、秋田県人の三沢幸助なるものがこの地の貸付を受け入手したのであるが、開拓者は畠の真中に残された大樹が邪魔なので切り倒そうとしたが、病に倒れるとか、その後、何人も切りかけて怪我をするとか病に臥したため、神のお告げがあるとしてこの土地の守り神とした。今もなお多くの切り口を昔のままに残している。冬の道のない吹雪の日夜、道案内ともなり、沼を背景にした兜沼公園に一つの美を添え、遠くより訪れる人も多く、地元民の親愛の的となっている。「言問いの松」の名称は、1000年以上を経過したこの老樹のおんこが、悠久の歴史的過程を見つめてきており、そのためこの老樹に昔の歴史を時の流れを聞きただすと、なんごとでも知っており語ってくれると信じ「こととい」の名がつけられたという。開拓当時の入植者がこの樹に何を尋ね何を語ったかは知る由もないが、心の拠りどころとして、人々に平安を与えたといえる。このおんこの周囲、土地905平方メートルを町で買収、北海道記念樹木に指定された。
|
|
|
|