Movie Review 2003
◇Movie Index

アカルイミライ('02日本)-Jan 25.2003
[STORY]
おしぼり工場で働く仁村雄二(オダギリジョー)は、いつも満たされずにイライラする毎日を送っていたが、同僚の有田守(浅野忠信)のことだけは慕っていた。ところが守は工場をクビになり、社長夫婦を殺害してしまった。逮捕された守の元に雄二や疎遠になっていた父親の真一郎(藤竜也)も面会に来るが、守は拘置所内で自殺してしまう。
監督&脚本・黒沢清(『回路』
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黒沢さんの映画で、ここまで分かりやすかった話は初めてかもしれない(笑)正直言ってそれがガッカリというか拍子抜けというか、分からないところが好きなのかなぁ私は(←歪み過ぎ)今までは、視聴覚的には分からないけれど肌でこうゾワゾワッと感じてた部分が多かったので(それが快感だったのかも←マゾ?)本作での映像やセリフで分かってしまうというのは、珍しく話の展開も読めるだけにちょっとダレてしまった。特に浅野忠信が出なくなってからは締まりがなくなったと思う。

それくらい、今回の浅野は良かった。申し訳ないが今までに彼をいいと思ったことはなかったのね(この人と永瀬正敏、竹中直人が出演してる映画はなるべく避けてた)でも今回の存在感はすごかった。一見、エキセントリックな雄二のほうが恐いように見えるんだけど、本当に恐いのは守のほう。社長(笹野高史)の話に薄笑いを浮かべて聞いているフリするところなんて最高だったな。またこの社長の空気読めないオヤジっぷりも最高だった。雄二や守でなくても殺意が芽生えたね。特に自分のテリトリーに土足で踏み込んで、自分を“把握”したつもり満足してるとこ。若い人が軽蔑するすべての要素を持ってるのね。

対照的なのが真一郎だ。彼は雄二を“把握”しようとはしない(ただし息子たちは別なので拒絶された)彼らとは世代が違うから完全に理解し合うことはないけれど、全く合い入れないわけじゃないということを、彼にも北村道子のあの衣装を着せることで表現してるのかなって。あ、あと藤竜也と今のヒゲの黒沢さんの雰囲気が微妙にカブるんですけど、黒沢さんがもう少し年を取ったら、こういう人になりたい思ってるのかな、なんてそんなことを考えながら見てました。

全体的に東京のドブ川みたいな色をしている映像はいいと思うけど、のっぺりして見えたのはデジカメのせいなんですかね(DLPの劇場で見るとまた違って見えたりするのかな)私好みの奥行きある映像がなかったのもちょっとね。たくさんのクラゲのシーン(昼間のほう)ももう少し工夫が欲しかった。
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小さな中国のお針子('02フランス)-Jan 25.2003
[STORY]
1971年中国。文化大革命によって、医者の息子マー(リィウ・イエ)と歯医者の息子ルオ(チャン・コン)は、反革命分子の子供として再教育を受けるため、チベット国境付近の小さな村にやってきた。ある日2人は仕立て屋の孫娘“お針子”(ジョウ・シュン)と出会う。2人は文盲の彼女に小説を読んであげるため、同じ再教育の青年から禁書を盗み出す。
原作&監督&脚本ダイ・シージェ(『中国、わがいたみ』)
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『バルザックと小さな中国のお針子』を著者自らが映画化。文化大革命を否定するような内容ではないのだが、中国での撮影を敢行するため、検閲機関の要請に譲歩して脚本を書き換えたりしたそうだ。しかし中国との共同制作にしなかったため、中国で公開される予定はないらしい。
(そういえば『T.R.Y.』も撮影許可を貰うために、脚本を書き換えたり共同制作になったりしたようだね)

舞台が山奥だったり、リィウ・イエが出演していたり、映画上映したり、女の子の服が可愛かったり三角関係だったり××しちゃったりと、以前見た『恋人』との共通点が多い作品だったので、ついつい無意識のうちに比べながら見てしまったんだけど、『恋人』がアレな映画だったせいか(笑)この作品がとても出来がよく見える(単独で見てもそう思ったかもしれないけど)ただ、本作は中国が舞台で中国のお話なのだけれどフランス映画だからね。ベトナムが舞台のベトナムのお話だった『青いパパイヤの香り』と同じ匂いがする。泥臭い展開にならない、綺麗にまとめられた映画だった。

でも男性視点で描かれたストーリーなので、女の自分から見てムッとくる話なのよね。
(ここからネタバレ)お針子はバルザックを知ったから村を出る決意をしたと言うが、それは嘘だろ?お針子は妊娠と中絶によって2人から逃げるしかなかったんだと思う。何も知らないルオからまた求められて、再度妊娠したら今度こそ終わりだ。そしてマーから好意を持たれていることを知りながら秘密を打ち明け、助けてもらったこと。そしてマーを傷つけてしまったこと。それに耐えられないから村を出るしかなかった。罪作りな野郎め!文学がどーの言ったって結局は欲望が勝ってんじゃないか。バルザックに謝れ!(←ルオへ)
27年後に再会した2人がそれなりの地位を築いているのも普通にムカつく。おまけにルオは妻子持ちだぜ。私はその後のお針子がどんどん身を持ち崩していったのではないかと思っているので(しかも亡くなってるかも)余計に腹が立ってしまった。ノスタルジックに浸ってんじゃねえよ野郎どもめ!
(ここまで)

そんなわけで最後はちょっと腹を立ててたわけですが、映画の途中まではとても間抜けなことを思っていました。

私はマーがずっとルオのことを好きだと思っていたのです(最悪)

最初のほうで「中国最初の同性愛の記述が・・・云々」というマーのナレーションが入った時に、私はこれが複線だと思ってたのですよ。お針子とルオが仲良くなっていくのをジッと見つめるマーを見て「そうだよね。あんたは耐え忍ぶしかないのよ」なんて思ってたのだ。途中でようやくマーもお針子が好きだったんだと気が付いたけど。こんな私をこの大馬鹿野郎め!と罵って下さい(笑)
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黄泉がえり('02日本)-Jan 19.2003
[STORY]
熊本県の阿蘇地方で、死者が当時の年齢のまま復活するという現象が発生していた。厚生労働省勤務の川田平太(草なぎ剛)は、それを調査するため故郷の阿蘇を訪れる。そして幼馴染の橘葵(竹内結子)とも再会する。葵もまた、死んだ婚約者が蘇ってくることを望んでいたが、彼女を密かに想い続けていた平太は複雑だった。
監督&脚本・塩田明彦(『害虫』)
−◇−◇−◇−
梶尾真治の同名小説を『金髪の草原』の監督・犬童一心、『RED SHADOW 赤影』の脚本家・斎藤ひろし、 塩田明彦が脚本化。映画の前に原作を読んだんだけど、原作との違いを比べることを忘れてしまうくらいかなりアレンジしてある。原作者とファンの方には失礼だけど、ベストセラー小説じゃないのでここまで崩すことができたのかも。

劇場で塩田さんの作品を見るのは初めてだけど『月光の囁き』と『害虫』はビデオで見た。どっちも劇場で見ておけば良かったなぁと思ったよ。セリフなどで説明させる描写が極端に少ないのに、出演者の視線だけを追ったようなほんの短いシーンですべて理解させてしまう(解釈はいろいろあるだろうが)ところに驚いた。さらに観客が自然とシーンとシーンの間を想像させる(行間を読む)作りをしているところが気に入った。黒沢(清)さんの映画に似てるけど、たぶん黒沢さんの場合は計算の上で、塩田さんの場合は感覚でやってるんじゃないかな。だから私は塩田さんのほうがすんなり入っていけるみたい。

本作でも、まぁメジャー作品なので分かりやすいようにセリフは多かったけど、時々ハッとさせられるシーンがたくさんあった。特に気になったシーンと私の解釈を書き出してみる。

ここから下はネタバレではないけど、鑑賞前の人は読まないほうがいいでしょう。
◆周平(哀川翔)の娘の視線・・・おそらく何度も娘に触れようとして泣かれただろう。ようやく拒絶されないまで距離が縮まったが、まだ好かれてはいない。
◆平太が自分の頬を叩く・・・黄泉がえりの法則を発見し、葵の婚約者がそれに当てはまらないことに一瞬喜び、そんな自分がたまらなく嫌になった。死んだ人間は人の心の中でいつまでも美しく、生きている人間は醜い。
◆克典(市原隼人)の黄泉がえり・・・彼を黄泉がえらせたのは直美(長澤まさみ)で両親は学校への恨みのほうが強かった。大人と子供の違い?
 あ、余談だけどあんなに騒いでいた母親が息子に駆け寄らなかったのは、きっと見た瞬間に失神したからだろうね。
◆妻が蘇っても驚かない斉藤(田中邦衛)・・・彼はすでに黄泉がえり現象を知っていた(彼の元へ黄泉がえった人と家族が相談に現れたかもしれない)だから自分も強く妻を想った。あれは願いを叶えた喜びの顔だ。
◆山中の大きな穴・・・原作では黄泉がえりの原因が書かれているが本作では語られない。でもこの穴を見て、死んだ人々の魂が地中から一気に噴出したんだと思った。想いも数千集まれば山となる(ちょっと嘘臭い?)
◆役場に登場する男(木下ほうか)・・・(これは完全ネタバレ)黄泉がえった死者が元気で、生きている彼がまるで死人のように生気がない。『コンセント』の引き篭もり兄ちゃんみたいでその時は笑えた。
 鑑賞後、ふと思い返すと彼の隣に立っていたのは黄泉がえった葵だった。彼女のはつらつとした姿との対比か!
(ここまで)

いいシーンだ、と思うのはもっとあるけど、あとはセリフ含めてだからなぁ。
一番すごいと思ったのは、何組かの黄泉がえりエピソードを描いてきたにもかかわらず、きちんと別れを見せたのはたった1つ!なのだ。メジャー系作品でこれはありえないでしょ(笑)私なら絶対に全部見せて涙ポイントを稼ぐのに、ここを外すか!って。でもこの1つを参考(?)に、あとは自分で想像しなさいってことなのよね。なので思い出してホロリとしてみました(笑)
ちなみに一番泣いたのは手話のクニエ。これは反則だ。ハンセン病の小林桂樹くらいズルイ。パブロフの犬じゃないがクニエの手話シーンが登場するたびに泣いたね。

エライ誉めてきたけど、コンサートシーンがお粗末。これがうまく撮れてたらとても好きな映画になってた。歌が長いとかRUI映しすぎ、とかそういうことは思わなかったけど、RUIの歌によって死者の魂が天に昇っていくようなシーンにできなかったのかな。観客もRUIのためというよりは彼らを見送るような目線をしていれば映画が締まったのに。だからRUIのプロモーションビデオだと言われるんだ。
あ、でも塩田さんには次も是非メジャー系作品でお願いしたい。私は合うと思う(そしてたま〜に一般受けしなさそうな映画をちょこちょこ撮る、と)
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カンパニー・マン('02アメリカ)-Jan 19.2003
[STORY]
平凡な会社員だったモーガン・サリバン(ジェレミー・ノーザム)は、デジコープ社の産業スパイテストに合格。ジャック・サースビーという名前で様々な企業のコンベンションに潜入し、盗聴に成功していた。しかし出張するたびに頭痛と悩まされていた。そんなある時、モーガンの前にリタ(ルーシー・リュー)という女が現れ、彼にスパイ任務の裏に隠された真実を告げた・・・。
監督ヴィンチェンゾ・ナタリ(『CUBE』
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前作が日本で大ヒットしたせいなのか、日本公開が遅れる洋画にしては早い公開となった本作。原題は『Cypher(サイファ)』だけど、もともとは『カンパニー・マン』というタイトルだったそうな。それが同名の映画が先に公開されてしまったので(日本では未公開のライアン・フィリップ出演映画のことだろう)『Cypher』にしたそうだが、監督はこのタイトルがいろんな意味(暗号、ゼロ、実体のない人)を持っているからとても気に入ってるそうだ。だったら日本でもそのタイトルで良かったと思うんだけど、パッと見てどういう映画か分かりにくいから『カンパニー・マン』にしたのかなぁ。

『CUBE』はものすごく好きな映画だけど、それほど期待せずに本作は見た。予告を見た時、なぜか悲しくて切ないスパイの話だと思いこんでて(しかも『ニルヴァーナ』みたいな切ない男の話だと思ってた)まぁ見てみたら全然違ったんだけれども、でも映像とはちょっとそぐわないラブストーリーだったね(笑)

映像は前作みたいに箱ばっかしじゃなくて(笑)ちゃんと予算があるせいか現代アートみたいで好みの映像がたくさんあった。モーガンがデジコープ社を出て家に帰るまでのシーンがこの映画の中で一番好き。ヘリコプターのデザインとか、地下施設から人が出てくる時の階段はもう声に出して笑いたいくらい。ああいうところに凝っちゃうところがおとなコドモな感じで可愛いのよ。でも施設のデザインは本当にコドモの描くUFOみたいで、あれはなんでああしたんだろうなぁ。

仕掛けられた罠と、どんでん返しには見事に引っかかった。でも途中でちょっと置いてけぼりにされたので、すっかり嵌められた!参った!という快感は味わえなかった。もう少し考える余裕を与えて欲しかったな。私がトロイだけか。
思い返してみると、映像や編集だけで騙してないのね。(少しネタバレ)冒頭からモーガンがずーっと半笑いなのよ。で、最後にルークスに戻った時に口がちゃんと閉じられてたから、洗脳された状態が半笑いなんだなって気がついた。途中でもきっと洗脳が解けかけて口が閉じてるシーンがあるかもしれない。そこだけチェックしたいなぁ、なんて(半笑い)←洗脳されたか?(ここまで)

今回のジェレミー・ノーザムは好き。ちょっと顔がむくんでるけど、久々に好きな顔に戻ってきていた。
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T.R.Y.('02日本=中国=韓国)-Jan 15.2003
[STORY]
20世紀初頭の上海。日本人詐欺師の伊沢修(織田裕二)は刑務所内で赤い眉の男に殺されそうになる。以前騙した男からの刺客だった。危機一髪を救ったのは中国人革命家の関飛虎(邵兵)。彼は伊沢を助けると同時にある相談を持ちかける。それは日本軍から大量の武器を奪い取るというものだった。
監督・大森一樹(『走れ!イチロー』)
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原作は読んだけれど『模倣犯』ほど思い入れがないので(というか、映画を見るために原作を読んだだけだから)キャストが合わないとか、ストーリー改変されたらイヤだとか、そういう気持ちは初めから全くなかった。だから本編のように、伊沢と東中将の対決に焦点を絞ったような脚本は逆に面白いかもな、と思った。でも映像自体に全然緊張感が見られないのがヤバイ。

登場人部の何人かを削ったのはいいけれど、それならメインに登場する人物たちをもっと掘り下げないといけないでしょう。それなのに、ここまで薄っぺらだとは思わなかった。自分は原作を読んでいたから足りない部分は無意識のうちに原作から補完してたんだろう、理解できないところはなかったけれど、原作を読んでなかったら果たして理解できただろうか?

伊沢本人はこのままでもいい。周りの人物から見て、つかみどころのない詐欺師として存在すればいい。でも周りの人物たちは単なる数合わせのためかと思うほど目立っていない。特に陳とパクは可哀相。性格や境遇はおろか、どこの国の人なのか分かったかどうかも疑わしい(笑)・・・で、この映画では赤眉は中国人だったのかな?

それでもシーン1つ1つに細心の注意が払われていたり、気持ちが篭ってれば引き込まれるけどさ、チャッチャと撮ってますって感じだった。やっぱり大森一樹だからだろうか(偏見ですかね)ていうか関飛虎のあの日本語にOKを出すな。いや、もっと伊沢が中国語喋るべき。発音が悪くてもこっちにしたら字幕が出るから無問題。関が日本語を喋るたびにいたたまれない気持ちになった。

上映時間がたった104分というのもなぁ。撮影はしたけれどバサバサ切ったという感じがアリアリ。そのあたりも作品に対して気持ちが篭ってないというか愛情がないというか(←これは現場スタッフというより切らせた制作側ね)他のエピソードを削るならば、伊沢が窮地に立たされて悩むシーンをもう少し短くするべき。他がテンポ良かったせいか、苦悩するシーンがえらく長く感じたし、そこだけ伊沢らしくなくて違和感があった。ああ、文句ばっかりで申し訳ない。でもホント惜しいというか可哀相というか・・・北京語を頑張ったという織田裕二をはじめ出演者たちに対してね。

でもやっぱり歌は歌わないほうが(以下略)
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