Movie Review 2001
◇Movie Index

ロンドン・ドックス('99イギリス)-Sep 5.2001
[STORY]
郵便配達人のジョニー(ジョニー・リー・ミラー)は親友ジュード(ジュード・ロウ)に頼んで、 北地区を統括するギャングの仲間入りをする。ジュードの叔父でボスのレイ(レイ・ウィンストン)は 大のカラオケ好きでもうすぐ女優セイディ(セイディ・フロスト)と結婚するため仕事に身が 入っていない。ジョニーはそれを尻目に南地区のギャングからコカインを盗んでしまう。
監督&脚本ドミニク・アンシアーノ&レイ・ハーディス(『ファイナル・カット』)
−◇−◇−◇−
前作(私は未見)ではジュード・ロウが死んだという設定のもと、妻セイディ・フロストらが生前の彼に付いて語ったりするドキュメンタリータッチの映画を撮った2人が、今度はちょっと変わったギャング映画を撮った。登場人物名がほぼ役者の名前と同じなのが覚えやすいが、何かの効果を狙ったんだろうか?それとも単なるお遊びなのかな。

ギャングとはいっても、一番ギャングらしい仕事をするのが新入りのジョニーであり、ボスや今までいた仲間たちははっきり言って仕事しません(笑)その仕事しない奴等が仕事と関係ないことで悩みまくってるところが笑いドコロになっている。というか、ワタシ的にはジョニーの暴走っぷりがかえって邪魔だと思うほど、ほかの人のエピソードに夢中になってしまった。ジュードにも何かエピソードを作ってほしいと思うくらい(そういう意味では彼はホントに脇役だったな。でもチンピラな格好もカッコ良かった(笑))

ただ、大筋では面白いのに狙ってる(だろうと思う)ところがハズしてたと思う。例えばジョニーのモノローグ。わざわざこういうかたちを取らなくても、実際の映像に被せていくだけでいいのに(ま、ありがちではあるけど)これが入るせいで、ストーリーの流れが非常に悪く、さらにカッコ悪く見えた。百歩譲って(←何様?)こういうかたちにするのであれば、カメラ目線だけはやめてくれ。なぜ彼はここでそんな格好で語ってるの?と疑問を持たせるようなシチュエーションなら良かった。あれじゃ訳が分からなくて疑問に思うことすら忘れたから。

また、シーンとシーンの間に1秒くらい真っ暗になるところがあって、普通ならここで場面がガラリと変わるハズなのに、わざとさっきと同じ場面(しかも時間もさほど経ってない)を出す箇所が多い。ネタバレになるから詳しく書けないけど、これで笑いが取れてるところもあれば、テンポの悪さを露呈しているところもあって、このやり方は一長一短だったかな。全体的に見るとバランスの悪い作品だけど、キャストと笑える部分が救いだ。
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彼女を見ればわかること('99アメリカ)-Aug 18.2001オススメ★
[STORY]
サン・フェルナンド・ヴァレーに住む女性たちの物語。
キーナー(グレン・クローズ)は痴呆症の母の介護をしながら、好意を持つ同僚の医師に何度も電話を掛けていた。しかし相手からの電話は来ない。<キーナー医師の場合>
銀行の支店長をしているレベッカ(ホリー・ハンター)は不倫相手の子供を妊娠してしまった。産む最後のチャンスだと医師から言われるが、彼女は中絶を決心する。<レベッカへの贈り物>
童話作家のローズ(キャシー・ベイカー)は15歳の息子と二人暮らしをしている。ある日、向かいの家に男性が越してくるが、彼女は彼のことが気になって仕方がない。<ローズのための誰か>
レズビアンの占い師クリスティーン(キャリスタ・フロックハート)の恋人リリーが病に冒され、死がせまっていた。<おやすみリリー、クリスティーン>
自殺した女性の原因を調べている刑事のキャシーは、盲目の妹キャロル(キャメロン・ディアス)の世話をしながら暮らしている。キャシーには恋人はいなかったが、キャロルにはいつも恋人がいた。<キャシーを待つ恋>
監督&脚本ロドリゴ・ガルシア(『フォー・ルームス』などの撮影監督を経て本作で初監督)
−◇−◇−◇−
5/19からロングランを続けている作品で、最初は見るか見ないかどうしようかな、まぁどっちでもいいや・・・なんて思ってたんだけど、ここにきてまだ満席になってたり、9月半ばで終わってしまうことを知って、こりゃあ見といたほうがいいかな〜と思って行ったんだけれども、やっぱり見といてよかったよ(前置き長いっスね)

物語はカルメンという女性が自殺したところから始まる。そしてカルメンは5つの物語のすべてに少しずつ登場する。5つの物語はそれぞれ独立しているが、1話で登場した人物が2話に脇役として出ることもある。カルメンがどこで登場するのか、そしてどの人物がどのパートで登場するのか、それを目で追う楽しみがまずある。

ストーリーはシンプルで、端から見ると激しいものではないが(本人たちにしたら重大な事件だけど)どのエピソードも孤独と喪失感を窺い知ることができる。でもあえてそれを否定している。“彼女たちを見て分かること”は、あくまでも目に見えるものだけで、他人が内面を窺い知ることはできない――それがテーマ。そして見終わったあと、幸せな気分にはなれないけど嫌な気持ちにもならず、なぜか満たされた気持ちになった。その不思議さがこの映画を好きになった理由かな。

また、一番のいいところは“女性による女性のための映画”ではないところ。これを女性監督が撮っていたら、監督自身が映画に入り込みすぎてうざったく思ったかもしれない。「女優を使ってるけどこれは私自身なのよ!」みたいなアピールが鼻についてさ。それでなくても主演が濃い女優さんばっかりだからね(笑)彼女たちの演技をカメラは冷静に捉えていました。

なんか画面の上のほうをわざと暗くしたりするのは好きじゃなかったけど、映像も色使いも好み。特に女優がみんな美しく撮られてて「グレン・クローズってこんなに綺麗だっけ?!」と驚いてしまった。撮影監督をしてたとはいえ、脚本も含めて初監督でこれだけのものを撮れるとは、次回作がすごく楽しみだ。
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RED SHADOW 赤影('01日本)-Aug 18.2001
[STORY]
戦国時代。頭領・白影(竹中直人)と赤影(安藤政信)青影(村上淳)飛鳥(麻生久美子)ら影一族は大名の東郷に仕え、隣国の六角や京極の動向を探る役目を担っていた。しかし、京極に仕える根来忍軍の妨害により赤影たちは窮地に立たされる。
監督・中野裕之(『Stereo Future』
−◇−◇−◇−
『仮面の忍者 赤影』とは全然別モノの、リメイクではなく『猿の惑星 PLANET OF THE APES』と同じく“リ・イマジネーション”作品といっていい。いやむしろ『ゴジラ』と『GODZILLA』くらい違うでしょうな。 でもまぁ、そんなことはどうでもいいか。

というくらい、ホントにこの映画どうでもいいです(あらら)
『Stereo〜』が自分的にダメだったのであまり期待してなかったけど、単館だったからまだましだったんだ、と改めて思った。東映で全国展開するような映画じゃないって。中野氏の趣味出しすぎ!受けるほうも受けるほうだけど、頼むほうも頼むほうだけどね。どこで間違っちゃったんでしょうか。設定とキャストはそれなりに魅力的だけど(フミヤ以外)脚本と演出がダメダメ。

ウケると思ってるシーンがこどごとく無駄な上に笑えないし、『Stereo〜』でもう飽きるほど撮っただろ?っていう美しい自然の風景とかもいらんっての。登場人物のキャラも、本人たちが元々持ってるものに任せきりだったように思う。そうするならもっとしっかりした設定と印象に残る見せ場を作ってメリハリつけなきゃ。これだけキャストを揃えておきながらこんなにも薄っぺらだなんて。薄いといえば安藤君が一番薄いけど(笑)彼を無色透明なヒーローに仕立て上げるなら、脇はもっと濃くなきゃ。でも、本当はもっと長かったという竹中直人のシーンを削ったのだけは褒めてつかわす(何様?)薄いのもダメだけど、クドいのはもっと嫌だからね。とにかく長く感じて疲れてしまった。
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テルミン('93アメリカ)-Aug 14.2001
[EXPLANATION]
1920年、ロシアの科学者レオン・テルミンは、空間に手をかざした動きによって音が変化する楽器“テルミン”を発明した。この楽器はロシアからヨーロッパ、そしてアメリカへ渡り、カーネギーホールを超満員にするほどの人気を得た。しかし博士自身は数奇な運命を辿っていった・・・。
そのテルミン博士と“テルミン”の思い出を、弟子のクララ・ロックモア、シンセサイザーのパイオニアであるロバート・モーグらが語る。
監督&脚本スティーブン・M・マーティン(俳優で初監督作)
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はっきり言って予告を見て初めてテルミン博士のことを知ったし“テルミン”という楽器のことも知った。でもその予告でやられて(笑)すぐに前売りを買い、劇場限定のミニCDをゲットした。とにかくその“テルミン”の構造と演奏方法――何もない空間に手をかざして音が出るという摩訶不思議さびっくりしちゃって、もっと詳しく見てみたいと思ったのだ。

映画は楽器のことはもちろん、時代に翻弄されたテルミン博士についても語られるが、事前に全く知識を入れてなかった自分には、ちょっと分かり難いところがあった。特に2度目?の結婚のあたり。弟子であり最愛の恋人でもあったというクララとはどうなったのか(2人は結婚しなかったそうだけど)そこらへんをつっつくのは無粋なのかしら。関連書籍でも探してみるかな。にしてもテルミン先生はお若い頃なかなかハンサムでしたねぇ。

クララの演奏シーンを見て“テルミン”の音色をきちんと聞くのは初めてでも、その上手さはちゃんと分かった。まるで見えない糸を使ったハープを奏でてるようで、見てて全然飽きないし面白い。貰ったミニCDに、劇中でも演奏された『白鳥』が入ってたので何度かきいてるけど、これは演奏しているところを見てこそのものだろう。この現代においてでも、やっぱり魔法のような楽器だと思ったね。
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シャドウ・オブ・ヴァンパイア('00アメリカ)-Aug 14.2001
[STORY]
1921年。ドイツの映画監督ムルナウ(ジョン・マルコヴィッチ)は、映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』の製作に取りかかった。吸血鬼オルロック伯爵を演じるマックス・シュレック(ウィレム・デフォー)はムルナウがスカウトしてきた俳優で、役になりきるために撮影してない時でもメイクをしたままだという。やがてロケが始まり、スタッフたちはシュレックの迫力ある演技に圧倒される。
監督E・エリアス・マーハイジ(『BEGOTTEN』日本未公開)
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製作は俳優のニコラス・ケイジ。彼はサターン・フィルムズという会社を設立しており、本作はその第1作目となった。

吸血鬼映画の傑作といわれる『吸血鬼ノスフェラトゥ』('22)に主演したシュレックは、実は本当に吸血鬼だった!というお話(笑)
私は『ノスフェラトゥ』をきちんと見たことはないけど、子供の頃よくやってたTVのオカルト系特集に必ず出てくるのがこの映画で、吸血鬼なのにスキンヘッド!(自分のイメージだとオールバックにタキシードとマントだったからね)というのと、箱?の中から顔を出すシーンが怖かった、と昔からけっこう印象に残ってる作品ではあった。でもその映画のノスフェラトゥはもっとのっぺりした顔だったような気がして、本作のデフォーを見た時に「なんか違う」と思ってしまった。思い違いなのか本当に似てないのか。『ノスフェラトゥ』もちゃんと見てみたいな。

映画の撮影風景がまず面白い。特に撮影スタッフがみな白衣を着て、ゴーグルをして撮影しているところに驚くし、主演俳優のメイクがまたすんげー濃くて笑ってしまうんだけど、ファインダーを通して見ると、まさしく昔の映画らしく見えてびっくりする。そして、一番はデフォーの演技。吸血鬼を不気味かつ滑稽に演じててニヤニヤしっぱなしだった。でも、そんな彼の良さを脚本も演出も引き立ててないように思った。すごくもったいない。

特に中盤から終盤にかけての展開は、盛り上がらない上に整理されていない。しかも結末もあっさりしすぎというか、まだ何かオチでもあるのかと思ってたのに、あまりにも予想通りでがっかりしてしまった。せっかくアイデアは良かったのにね。せめて演出で何か印象付けて欲しかったが、結局何も残らず。う〜ん。
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