Movie Review 1998
◇Movie Index

ウェルカム・トゥ・サラエボ('97イギリス)-Jul 26.1998
[STORY]
イギリスのテレビ局ジャーナリスト、マイケル(スティーブン・ディレーン)は内戦の続くサラエボを取材していた。ある時マイケルは孤児院の取材でエミラという少女に出会う。エミラを助けたいマイケルは彼女を国外へ脱出させ、養女として向かい入れようとする。
監督マイケル・ウィンターボトム(『バタフライ・キス』
−◇−◇−◇−
ボスニアを扱った映画といえば『パーフェクトサークル』があり、そして『ボスニア』という映画も公開された。最近、立て続けに上映になっているのは、どうやら2年前くらいからボスニアやクロアチアでの撮影が許可されたかららしい。『〜サークル』もそうだったけれど、壁という壁に撃ち込まれた銃弾や瓦礫の山は本当に生々しい。そしてこの作品ではおびただしい数の死体を映している。西欧諸国の首脳の映像(クリントンや宮沢さんもいた)は本物を使っているんだけど、この死体の映像はどこまでが作り物でどこまでが本物か分からない。それくらいリアル。が、どちらにしても惨たらしいことに変わりはない。死んでしまった人たちを埋葬する人もいない、という事実が実際にあったのだから。

ただこの作品、今までのウィンターボトム作品と同じくやっぱりどこか乾いている(そこが好きでもある)こういうドラマはもっともっと入り込めるんだけど、あくまでも冷静に事実を伝えている。実話を元に作られた作品で、イギリス人ジャーナリストの目から見たサラエボ、というスタンスを取っているからかもしれないけど、彼と孤児たちとの関係もわりとサラリとしている。コピーには「この子たちの命を救いたい」などと仰々しく書いてあるけど、そんなんじゃないぞと思った。

また、エミラに実は母親がいたことが分かり、英国にいる彼女にサラエボに戻ってきて欲しいと母は訴えるのだが、当のエミラは電話で母に「私は幸せよ。じゃあね」とあっさり切ってしまったり。だがこれもまた事実なのだ。母子の悲しい別れで盛り上げることもできたのにね。そしてサラエボでは1度も笑うことのなかったエミラが英国で笑い、はしゃいでいる。これも事実。だから泣くことはなかったんだけど、そのぶん観客に委ねられているようで重たい。

主役のマイケルもアメリカ人ジャーナリストを演じたウディ・ハレルソンもエミラも、それほどインパクトはなかった。廃虚と化した街と死体と捕虜になってやせ細った人々の映像を見てしまうと、どんな俳優も霞んでしまうのだ。
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GODZILLA('98アメリカ)-Jul 20.1998
[STORY]
南太平洋で日本の漁船が沈没した。生き残った1人の日本人は「ゴジラ」と言った・・・。
生物学者ニック(マシュー・ブロデリック)は、ゴジラ解明のチームに加わる。そこには保険調査員と名乗るフランス人フィリップ(ジャン・レノ)も調査に来ており、ニックらに接触する。
そして突如ニューヨークに上陸したゴジラ。その目的とは?!
監督ローランド・エメリッヒ(『インデペンデンス・デイ』)
−◇−◇−◇−
日本版と見た目がぜんぜん違うということはすでに周知の事実だけど、これはもうしょうがないので置いとくとして(笑)それを差し引いたとしてもやっぱりあまり出来が良くないなぁと思った。

確かにゴジラはデカイし物を壊す場面は迫力がある。それに時速480キロで走る(ようにはあんまり見えないんだけど)という設定も面白い。だけど、雨の降る夜にばかり登場しているのでその全体像が最後までよく掴めなかった。昼間のシーンでもそれぞれ手、足、尻尾、口、とパーツで見せられるので、あまりピンとこなかったし。誤魔化されてるんだろうか?帰りにフィギュアをまじまじと見て(笑)やっとその全貌が分かったんだから。

ストーリーも御都合主義なんだけど、日本人に「ゴジラ、ゴジラ」と言わせてるところがけっこう笑った。日本人じゃなきゃあの生物が何なのか知らないもんね(一部外国人ファン除く)あの加藤雅也がちょっとだけ出てるのを凝視したり(こんな役までオーディションで決めたらしい。崔洋一監督談)ただゴジラが魚食うってのが・・・しょうがない、これも置いとこう(笑)一時預かり所がギュウギュウな映画だまったく。人物関係もかなり類型的で逆に驚いた。今時こんな設定?というくらい。ニューヨーク市長がただわめき散らすだけとか、昔の恋人がレポーターデビューしちゃったりとかヨリ戻しちゃったりとか(見てて恥ずかし過ぎ)ブロデリックはかなり存在感のない男だってことがこの映画を見れば分かるし、ジャン・レノも米作品に出るとただの人になっちゃうのも哀しい。(『フレンチ・キス』然り『ミッションインポッシブル』然り)

(ここからちょっとネタバレ)ゴジラが200個以上の卵を産み、子供のゴジラが次々と生まれる。その子供ゴジラが人々を追いかけるシーンはジュラシックパークそのものだったし最後に1つだけ卵が残りゴジラが生まれてフェードアウトというラストは、いかにも「続編いつでもオッケイ」的だったので「絶対見ないっ!」とココロに誓った。その後、続編の話は聞いてないけどね。(ここまで)
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真夜中のサバナ('97アメリカ)-Jul 16.1998
[STORY]
サバナで1番金持ちの骨董商ウィリアムズ(ケビン・スペイシー)のクリスマスパーティーを取材するためやってきたジャーナリストのジョン(ジョン・キューザック)だが、パーティーの夜にウィリアムズが殺人罪で逮捕されてしまった。ジョンは事件を調べはじめるが、事件以外にも個性的なサバナの住人たちに興味を持ちはじめる。
監督クリント・イーストウッド(『マディソン群の橋』)
−◇−◇−◇−
想像していたのとちょっと違っていた。表面上はのどかな町のダークサイトを描くような、たとえば『ツイン・ピークス』のようなものを想像していたんだけど(想像するほうが悪いが)そういう感じではなく、緑と古い建物の多い明るく美しい町で、夜の墓場も恐ろしいというより綺麗だった。原作はノンフィクションだし、実際にサバナの町で撮影されたというから誇張せずにありのままを映したのだろう。これは想像と違っても全然構わないと思った。

が、奇妙なサバナの住人たちがもっと登場すると思ったのに案外少なかったのが残念だ。チラシなどでは他にも書いてあったのに、もっとたくさん登場させて楽しませてほしかった。そしてその奇妙な人物たちがウィリアムズの事件にどれほど関与しているのだろう?なんてやっぱり『ツイン〜』みたいな想像をしていたらこれも違ったし。う〜ん、先入観て恐ろしい。でも実際にサバナに暮らし、原作にも登場しているレディ・シャブリというドラッグ・クイーンは、何と本人自らが演じているのだ。しかも映画初出演とは思えないくらい芸達者。ほかの役者を食ってたなぁ。

お目当ての1人スペイシーの飄々としていてどこか胡散臭いあの目は今回も健在。どんな役にもあの目つきは有効だ。ちょっと瞳を潤ませたりしてね。ただこれは脚本のせいだろうけど、彼が起こした事件について、スペイシーの演技力を持ってしてもあそこまでしか表現できなかったのかと思うと、それがとても残念だし最後まで納得のいかないところではあった。そしてジュード・ロウは出番が少なくてがっかりしたけど、あの時のあの顔がくらくらするほど美しくてそれだけで満足。今まで見た中で1番綺麗でした。あの表情をするために彼は起用されたのかもしれない。あとどうでもいいけどイーストウッドの娘、アリソンはメラニー・グリフィスにそっくりだ(笑)
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プルガサリ('85北朝鮮)-Jul 16.1998
[STORY]
高麗朝末期。食糧難に苦しむ農民たちが朝廷を倒そうとしていた。鍛冶屋のタクセは朝廷が没収した農具を農民に返したために投獄され拷問される。死ぬ間際、タクセは娘アミ(チャン・ソニ)から差し入れられた米粒で人形を作っていた。その人形にアミの血が零れた時、それに生命が宿り、鉄を食べて巨大化する伝説の怪獣プルガサリとなった。
監督チョン・ゴンジョ(『光州は呼んでいる』)
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ハリウッド版『GODZILLA』よりこっちのほうが早く見たかった(笑)隣の劇場でゴジラやってたけど迷わずこっち。予告で『大巨獣ガッパ』をやったりして、ますます期待が高まる。

高々12年前の作品にしてはとても古すぎるんだけど(失笑するほど不自然なシーンは多いし、登場人物みんな濃いアイライン入ってるし、子供も騙されないような合成画面だし)でもそこに暖かさを感じ、やってる人たちの真剣さがひしひしと伝わってくる。そしてただの怪獣映画とは思えない強い信念を感じる。この映画を通じて何かを訴えたかったような(北朝鮮で公開禁止されてしまった理由がここにあるのかもしれない)食糧難という設定が今の北朝鮮とダブついて、一種のリアリティもあったし。また『ムトゥ』みたいなシーンがあって驚いたが、こちらもエキストラ1万人だったかも(笑)

プルガサリのおかげで朝廷が倒され、人々に平和がやってくる。しかし今度はそのプルガサリを持て余してしまう人間たち。人間て本当に勝手な生き物だ。怪獣を決して悪者にせず、怪獣を倒す目的の映画じゃないところがすごく好きだし、ラストはちょっと泣きたくなる。そのプルガサリに入ってるのが日本のゴジラ俳優(?)薩摩剣八郎。動物らしさと人間らしさ両方を兼ね備えたその動きが愛らしい。特に人形から生命が宿った瞬間の可愛らしさったら!!角もキバも生えてなくて、アミの縫針をポキポキ食べるシーンは最高。このまま持ってかえりたいくらい。CGじゃこんな動きは無理ですねぇ。
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悪魔を憐れむ歌('97アメリカ)-Jul 11.1998
[STORY]
ある連続殺人犯が処刑された。その時彼が歌った歌は「Time is on my side」その直後から、彼と同じ手口の殺人事件が連続して起こった。彼を逮捕した刑事ホブス(デンゼル・ワシントン)は、捜査にあたるが、ホブス自身が容疑に掛けられて・・・。
監督グレゴリー・ホブリット(『真実の行方』)
−◇−◇−◇−
タイトルクレジットは、あのカイル・クーパーなんだけど、何だか今回は安っぽいなぁという印象を受けた。それほど凝ってない。シンプルとはまたちょっと違う。今まで見た中では1番良くないかも。

悪が手から手へと乗り移る。殺人犯から監守へ。そして一般の人々へ。そして逮捕された恨みを晴らそうとホブスを狙う。このアイデアは素晴らしいと思うし、次々と乗り移る場面はすごくいい。歌がまたピッタリ!乗り移られた人がこの歌を口ずさむのがけっこう恐い。だけどそれ以外のシーンは、飽きちゃったり他のこととか考えたりしてしまった。どうしてこういう事態になってしまったのかホブスが調査するのだが、そのシーンが冗長だったり、杜撰だなぁと思われるシーンがあったりして、緩急のつけ具合があまり上手でない印象を受けた。常にあってほしい緊張感という線が1本通ってないような。また、次第に明らかになる秘密にもそれほど心を動かされなかった。

色々書いたけど面白いところもある(ここからはネタバレ)実はこの映画、最後にどんでん返しがある。冒頭にラストシーンの1部が入り、のた打ち回るホブスと男の声のナレーションが入る。このナレーションは作中でたびたび挿入された。そしてラスト。そのナレーションがホブスでなく、悪魔アザゼルの声だと分かるのだ。つまり主人公はホブスでなくアザゼルだったのだね。そう思うとこの作品は、アザゼルが世界征服を狙うために、邪魔な刑事をやっつける話、と捉えるべきかもね(笑)(ここまで)このアイデアはすごくいいと思ったんだけど、演出1つでもっと恐ろしくなっただろうに、それほど怖さを感じずに終わってしまったのが残念だ。

後記:『悪魔を憐れむ歌』ってストーンズの歌にあるんですね〜。知りませんでした。だから邦題として使ったのかな。
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