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文化・歴史 ◆九人の乙女の碑 |
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樺太に命をすてしたをやめの
心を思へばむねせまりくる 御製
樺太につゆと消えたるをとめらの
みやまやすかれとただいのりぬる 御歌
稚内公園に建立されている記念碑の中に殉職電話交換手"九人の乙女の像"がある。
樺太島民慰霊碑"氷雪の門"とともに毎年8月20日、樺太ゆかりの人々を迎え、悲惨な戦争を二度と繰り返すまいと慰霊祭を行っている。高さ1.8m幅2.4m登別石の屏風状の碑で、交換手姿の乙女の像銅板レリーフをはめ込み、当時の道知事、町村金五氏の筆による"皆さんこれが最後です さようなら さようなら"の、乙女たちの最後の言葉が刻まれている。
昭和20年8月15日、ついに戦いは終わった。それから5日後ソ連軍が樺太真丘に上陸を開始しようとした。そのとき突如日本軍との間に戦いが始まり、真丘は戦火と化した。その中で交換台に向かった九人の乙女らは、死をもって自分たちの職場を守ったという。
窓越に見る砲弾の炸裂、刻々と迫る身の危険、もうこれまでと死の交換台に向かい「皆さんこれが最後です さようなら さようなら」の言葉を残して、静かに青酸カリを飲み、自ら命を絶ち職に殉じた。潔いというよりもはかない、夢多き若き尊き花の命。
昭和43年(1968年)に御来市の天皇皇后両陛下は、氷雪の門・九人の乙女の碑の前で説明を受けられ、深く頭を垂れまだ年若い彼女らの冥福を祈り、後日そのときのご感銘を歌に託して寄せられた。昭和45年に行幸啓記念碑として氷雪の門の隣に建立されている。
「九人の乙女」に関する資料は開基百年記念塔内の北方記念館に展示されています。 |
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