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文化・歴史 ◆カネクロ沢の不動の水 |
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江戸時代、宗谷のコタンに大変親孝行のオキミルクという娘がいました。早くに母を亡くし、目の不自由な父親と弟たちと暮らしていました。働き手の父の目が不自由なため、オキミルクは朝から晩まで一生懸命働き一家を支えていました。その頃、和人が建てた宗谷厳島神社がたいそうご利益があると言うことを耳にしたオキミルクは「和人もアイヌの人間も、神様は差別なさるまい」との信念を持ち、父親の病気の回復にお百度参りの願をかけました。コタンの中には和人の神社に願をかけるオキミルクを白い目で見る人もいたそうですが、熱心に詣でる姿に打たれ次第に応援するようになりました。満願の日、最後の祈願を追えて眠りについたオキミルクの夢枕に天女が現れ「カネクロ沢の清水で目を清めよ」と告げました。夜が明けカネクロ沢を探しあてたオキミルクが清水を持ち帰り父の目を洗うと、一夜のうちに視力が回復したのです。このカネクロ沢は、宗谷と富磯の中間にあり、今も清らかに流れています。
天明2年(1782年)以前に建立されたといわれる宗谷厳島神社には、当時の貴重な奉納品が多く残されており、昭和45年6月に神社と奉納品の数々は稚内市の有形文化財に指定されています |
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