8/26 オープンチャーチ礼拝説教

マタイによる福音書25章21節
聖書は、私たちの人生は主人である神さまからお預かりしているものだと教えています。イエス様はそのことを教えるために、神さまを主人に、私たちを使用人にたとえて、お話をされました。私たちには大変な豊かな人生の元手が預けられています。しかし、私たちは自分にそれほど豊かなものが預けられていることに納得しません。「ある」ことより「ない」ことに心が奪われるからです。自分にはなくて、他の人が持っているものを気にします。けれどもそれは本来すべて主人である神さまのものですから、誇ったり妬んだりするものではありません。最も大事なことは、預けてくださった主人の信頼に応えることです。主人である神さまの喜ばれるように預かったものを用いることです。使用人は主人に再び会う日に備えて預けられたものを用いました。必ず主人と会う日が来ます。タイムリミットがあるのです。その日、主人にとって成果の大小に関係なく、「よくやった」と手放しに誉めてくださいます。主人のことを思い、主人の言葉を大切にして預けたものを使ったからです。主人である神さまは必ず良く用いてくれると信じて人生を預けてくださっています。「石工の答え」という話があります。ある人が石工に「何をしているのか」と尋ねると、一人目は「壁を組み立てている。来る日も来る日もね」、と答えます。もう一人は「美しい大聖堂を建てている。人々が神を礼拝できるように」、と答えます。同じことをしていても、自分の成果をはかることに汲々とする人にとって人生は苦痛です。しかし、神と人とに向かって生きる人にとっては神さまと一緒に喜びの日を迎えるための、喜びの元手です。

2018年09月22日