10/28 オープンチャーチ説教要旨

マルコによる福音書2章17節

 キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。

あしあと(Footprints) 原作者 マーガレット・F・パワーズ
ある夜、彼は夢を見た。それは主イエスとともに海岸を歩いている夢だった。空に彼の人生が次々と映し出された。彼は、人生のどの場面にも、二人分の足跡が残っていることに気づいた。ひとつは自分のもの、そしてもうひとつは主イエスのものであった。
そして人生最後の光景が映された時、彼は砂浜の足跡を見た。そこには一人の足跡しかなかった。それは、彼の人生で最もつらく悲しみに打ちひしがれていた時も同じであった。彼はそのことでひどく悩み、主イエスに尋ねた。
「主よ、かつて私があなたに従うと決心した時、あなたはどんな時も私とともに歩んでくださると約束されたではありませんか。けれども私の人生で最も苦しかった時には、一人の足跡しかありません。私が最もあなたを必要としていた時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?私にはわかりません。」
主イエスは答えられた。
「私の大切な子よ、私はあなたを愛している。決して見捨てたりはしない。あなたが試練や苦しみの只中にいた時、ただ一人の足跡しかない時には、私があなたを背負って歩いていたのだ。」

 この「あしあと」という詩は、人生に疲れ、重荷に押しつぶされそうになっている多くのクリスチャンたちを励まし続けてきた有名な詩です。この詩はカナダのクリスチャン、マーガレット・パワーズという女性が、夫のポールさんにプロポーズされた日に、この詩は生まれました。ポールさんはキリスト教の伝道者、マーガレットさんは学校の先生でした。

 二人は共にクリスチャンで、将来の不安など何もないかのように周りからは見えました。ところが、二人の心の奥底には、ある不安があったのです。それは、二人の育ってきた環境があまりにも違う、ということでした。

 マーガレットさんは、本当に幸せな家庭で育った人でした。一方、ポールさんは、父親の激しい虐待を受けて育ちました。彼は少年院を転々としていました。しかし出所後、老齢のクリスチャン夫婦宅でお世話になったことがきっかけになり、心から悔い改めてクリスチャンになる決心をしました。イエス・キリストが自分の罪のために十字架にかかって死んでくださった。そのことを知った時に、彼は母親が死んだ7歳の朝以来、初めて涙を流したと言います。

 そういう二人が、プロポーズのあと、湖のほとりを歩きながら、将来のことを真剣に語り合っていたのです。そろそろ戻ろうと思い、砂浜を折り返そうとした時に、彼らは二人の足跡が波に掻き消され、一人分しか残っていないことに気づきました。それを見てマーガレットさんは、「これは神様が二人を祝福してくれない暗示ではないか」と不安に思った、と言うのです。けれども、ポールさんは言いました。「いや、そうじゃない。二人は一つになって人生を歩んでいけるんだ」と。けれども、マーガレットさんはまだ不安でした。そして「二人で処理できないような困難がやってきたら、どうなるの」と聞きました。その時にポールさんは、すかさずこう答えたそうです。「その時こそ、主が私たち二人を背負い、抱いて下さる時だ。主に対する信仰と信頼を持ち続ける限りはね」。詩を書くのが好きだったマーガレットさんはこの出来事を詩に書きとめました。

 この話には続きがあります。25年後に彼らは大きな試練に出会いました。今度は、娘さんを含めた家族三人が大きな事故に巻き込まれて重傷を負ってしまったのです。ある時にポールさんの病室を訪ねてくれた看護師が祈ってくれました。その看護師は「作者は分からないけれど、とてもいい詩なので、この詩を読んで元気を出して!」と言って、ある詩を贈ってくれたそうです。その詩こそ、なんと25年前にマーガレットさんが作った「あしあと」という詩でした。ポールさんは、その詩を聞き、驚きと共に慰めを与えられたそうです。そして、このことをポールさんから伝えられたマーガレットさんも、25年前の信仰の原点に立ち返り、本当に慰められたと言います。

 苦しみの時だけではありません。罪という重荷はいつでも私たちの人生の歩みを捉え、動けなくします。その時に、私たちを背負って支えてくださる救い主イエス・キリストがおられます。イエス様はそのためにこそ自分は来たのだとおっしゃってくださったのです。

2018年11月03日