11/11 説教要旨

マタイによる福音書8章5~13節

イエス様のもとに、僕の癒しを求める百人隊長が近づいてきました。彼もまた、普通ならば近づくことのない人です。彼は外国人でした。当時の敬虔なユダヤ教徒は外国人との交流を避けることが多かったですし、ましてユダヤを支配していたローマ帝国の百人隊長に対してはなおさらでした。しかし、「イエス様こそ救いの神であられる」という信仰が彼をイエス様へと近づかせました。ここにマタイ福音書は第一の信仰の姿を見ています。この方こそ救い主と信じたならば、まっすぐに近づくのです。私たちは救いをいただくよりも、世の事情や気遣いに心を奪われて、救い主を見送ってしまうのです。しかしどんな事情も気遣いもイエス様は担ってくださり救いの道を開いいてくださいます。多くの人がそこまで信じぬいていないのです。第二に、彼は徹底的にイエス様を「神の子」、「救い主」として向かい合っています。自分の屋根の下にお迎えできないというのも、神さまの御心を本気で尊重しているからです。神さまがお命じになれば、万物はその御言葉に服さなければならないということを信じていました。だから、余計な儀式で慰められることを求めませんでした。自分勝手に救いの実現を決めることをしませんでした。御言葉を求めました。本当に御言葉によって救われるのは百人隊長自身であることを承知していたのです。この徹底して神を神とする信仰に、神の独り子である救い主、イエス様は喜んで応えてくださいました。

2018年11月12日