Movie Review 2012
◇Movie Index

裏切りのサーカス('11イギリス=フランス=ドイツ)-May 20.2012スゲーオモシロイ★
[STORY]
東西冷戦下のイギリス。イギリス情報局秘密情報部、通称サーカスのリーダーであるコントロール(ジョン・ハート)は幹部に二重スパイの“もぐら”がいることを確信する。そこで実働部隊のジム・プリドー(マーク・ストロング)を送り込むが作戦は失敗。コントロールと彼の右腕だったジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)は責任を取って引退する。しかし直後にコントロールが死亡し、政府の情報機関監視役からスマイリーは再び呼び戻され“もぐら”を探し出すよう命じられる。
監督トーマス・アルフレッドソン(『ぼくのエリ 200歳の少女』)
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原作本が読み終わったので2回目見てきました。1回目の感想はこちら

なにこれすごい分かりやすい!1回目の感想で「難しい」と書いたのが嘘みたい(笑)冗談でも宣伝でもなく本当に。原作はもっと登場人物が多くて複雑だったけど、映画は上手く削ぎ落として映画らしい見せ場を作ったということがよく分かった。原作にないパーティーのシーンには込み入った人間関係が詰まっていたし、今回は原作者の姿もバッチリ確認できた。一度見てもういいや〜と思った人は残念だけど、ちょっと引っかかるなぁ、もっとちゃんと知りたいなぁという人はもう1回見たほうが断然楽しめるのでぜひ。あ、原作も良かったら読んでね(笑)←回し者か

前回はストーリーを追うだけで精一杯だったけど、今回は余裕を持って見た感想を。
1回目に見た時は淡々としてると感じたけど、今回見てみて原作よりも甘くて切なさが前に出ていると思った。裏切りの真裏には相手への愛や信頼がある。だから裏切られた時に傷つき、怒りや悲しみがより深くなるのだろう。登場する男たちがこんなにも涙を流していたとは。もちろん前回もちゃんと見てはいたけど、何で泣いてるのかあまり理解できてなかった。今回その涙が流れるたびにグッと詰まってしまった。

それと前回は音楽がほとんど耳に入ってなかったことが分かった。どんだけ字幕に集中してたんだ自分(笑)スリリングなシーンで流れる歌、人が撃たれるシーンで流れる歌、どっちも場違いな歌なのに何故かピッタリ嵌っている。選曲したのは監督なのかな?凄いわ〜。

ソ連の大物スパイであるカーラ、そしてスマイリーの妻アン。スマイリーにとって一方は宿敵、もう一方は最愛の人だ。でも映画の中での扱いが同じようになっていることに気がついた。2人ともはっきりと顔を映さず、表立って彼の周りで行動はしない。だが2人ともスマイリーの内面にまで入り込んで惑わせ、苦しめる。カーラの場合はそれが仕事だからまだ理解できる。でもアンは何を考えているのか分からなくて、私には彼女のほうが不気味な存在だった。続編を製作するらしいけど(やったー!)2人とも顔を見せるのか?誰が演じるのか?などなど楽しみで仕方がない。もちろんオールドマン演じるスマイリーが再び見られるのが嬉しいし、あとピーター・ギラム役のベネディクト・カンバーバッチもおそらく再登場するだろう。彼も好きな役者なので嬉しいな。
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ロボット('10インド)-May 12.2012
[STORY]
工学博士のバシーガラン(ラジニカーント)は、苦労の末に自分とそっくりのチッティ(ラジニカーント:二役)というロボットを作り上げた。高性能で力も頭脳も人間以上だったが、人間の感情が理解できないためトラブルを起こしてしまう。そこでバシーガランは感情が理解できるように改良するが、何とチッティがバシーガランの恋人サナ(アイシュワリヤー・ラーイ)に恋をしてしまう。怒ったバシーガランはチッティを破棄するが、バシーガランを敵視しているボーラ博士(ダニー・デンゾンパ)によってチッティは殺人ロボットに作り変えられてしまう。
監督&脚本シャンカール(『ジーンズ 世界は2人のために』)
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インド映画史上最高37億円の制作費をかけ、世界興行収入100億円突破の作品。オリジナル版は2時間57分で、日本公開版は38分短い2時間19分にカットしている。

インド映画って面白いけどちょっと長いよなぁと思ってたんで、今回のカットさればバージョンでまぁいいかと思って見に行った。でも実際見てみると全然物足りない!やっぱりインド映画はあの長さだから面白いだということが分かった。前半からもう明らかにブチブチ切りまくり。おそらくストーリーと直接関係のあるセリフやシーンだけを抜き出した結果こうなったんだろうけど、映画を見ているというより、あらすじを聞かされているような気分になった。

ダンスもロボットダンスばかりで、インド映画らしい豪華絢爛なエキゾチックなダンスもカット(オリジナル版は冒頭からすごいダンスがあるらしい)バシーガランの助手2人もたぶんスゲー下らないやりとりしたりギャグをかましたりしてたんだろうなぁ〜見たかった。短いと見るのがラクだなぁなんて思ってた自分を叱ってやりたいわ(苦笑)オリジナル版も劇場で限定公開されるけど、見に行ってる時間はないので、しょうがないからDVDが出たら見ようと思う。

アイシュワリヤー・ラーイは劣化知らずの美しさと可愛らしい演技で、彼女の魅力はたっぷり伝わった。でもスーパースター☆ラジニについてはあんまり。もう還暦越えたお歳を考えるとしょうがないけど、ダンスやアクションはスタントやダブル、CGばかりだったし、彼のバシーガランという役柄が真面目で怒っているシーンが多かったのも残念だ。ドヤ顔でポーズ決めたりウインクしたりの茶目っ気ある姿をもっと見たかった。

悪い奴と戦うチッティはカッコ良かったが(特に電車のレールの上を走る姿が最高)ボーラ博士に改造され悪いヤツになったチッティは本気で怖かった。予告で見た時には「なにこの組体操みたいなのスゲ〜(爆笑)」ってお気楽に笑ってたけど、本編では軍隊相手に殺戮しまくっていて、攻撃されても形を変えてさらに凶悪になる。動きも気持ち悪くてゾッとした。田舎の野っぱらで悪人を懲らしめる(でも殺すわけじゃない)ラジニ映画はどこへ?とちょっと悲しくなった。でもラストのチッティには思わず泣いちゃって、涙が出ちゃうラジニ映画もこれまた初めてだった。インドの観客が、よりエキサイティングかつエモーショナルな作品を求めてるってことなのかもしれない。
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ル・アーヴルの靴みがき('11フィンランド=フランス=ドイツ)-May 3.2012
[STORY]
ノルマンディーの港町、ル・アーヴルで靴みがきで生計を立てているマルセル(アンドレ・ウィレム)は、妻アルレッティ(カティ・オウティネン)と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。だがある時、アルレッティが病に倒れて入院してしまう。同じ頃、港にアフリカからの不法移民がたどり着き、警察から逃れた少年イドリッサがマルセルの前に現れる。気の毒に思ったマルセルは近所に住む人々と彼を匿うことにするが・・・。
監督&脚本アキ・カウリスマキ(『街のあかり』
1992年のカウリスマキ監督の映画『ラヴィ・ド・ボエーム』の続編に当たる作品。

『ラヴィ・ド・ボエーム』は見てない。この頃は未成年だし働いてなかったんで映画館で映画を見ることがほとんどない時期だった。しかも映画は邦画とアメリカ映画しか知らなくて、フィンランドで映画を作ってるなんて思ってもなかった頃だったな(遠い目)
というわけで、『ラヴィ・ド・ボエーム』のストーリーをざっと読んだだけで本作を見たんだけど、読んでなくてもストーリーは十分理解できるし、マルセルの過去が分からなくても本編には何の支障もない。けど、どちらも女性が病気になって入院するエピソードが入っているので、見てる人にはまた違った感想があるかもしれない。

『浮き雲』『過去のない男』『街のあかり』の敗者三部作が完成して、今回は5年ぶりの新作だしどんな作品になっているのか楽しみだったけど、不幸を描きすぎた反動なのか(笑)すごい幸せが訪れる映画でビックリしたわ。今までは不幸が続くけど最後はほんのちょっとだけ暖かくなるといった映画だったのに、本作は単純にハッピーエンド。こんなこと言っては悪いが、幸せそうに笑うカティ・オウティネンが逆にちょっと怖いッス(ごめん)この人は突然の不幸に呆然とする姿が天下一品だからなぁ。

でも、よくよく考えてみると私がもし今までのカウリスマキ映画を見てなかったら「何この映画、嘘みたいなハッピーエンドじゃん。こんなの今どきアリなんか?」ってちょっと白けたかもしれない。過去の不幸の数々を見てるから驚いて「この人がこんな映画を撮るなんて(ホロリ)」と感慨深く思ったりするわけなんだけど、初めて彼の映画を見た人の感想がどんなかちょっと気になる。

あともう1つ自分で驚いちゃったのが、この映画を見て思わず泣いちゃったことだ(照)少年を助けようと必死になるマルセルと、彼に協力する町の人々。彼らの優しさにじんわりするものの、その時は泣くまでには至らなかった。でも最後にイドリッサを助ける人の優しさに涙腺決壊。この人がそういうことするとは思わなかったので、意外さにグッときちゃったのかも。後で冷静に考えると、よくある映画のパターンの1つなんだよね。邦画にだってよくある。これもカウリスマキがやるから意外だったんだな。
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捜査官X('11香港=中国)-May 2.2012
[STORY]
山間の村に2人組の強盗がやってきて店を荒らすが、居合わせた職人のジンシー(ドニー・イェン)が必死に抵抗したおかげで強盗2人とも事故死する。ジンシーは村や知事から表彰されるが、捜査官のシュウ(金城武)だけはジンシーが武道の達人で、すべて計算の上で動いたのではないかと疑問を持つ。そしてジンシーが元々村の人間ではなく、よそからやってきて村の女アユー(タン・ウェイ)と結婚して村の人間になったことが分かった。
監督ピーター・チャン(『ボクらはいつも恋してる!金枝玉葉2』
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ピーター・チャン監督で金城武が出演する映画は本作で3作目。ドニー・イェンはアクション監督も務めている。

久々の金城くん映画ってことで見てきました。あとミステリアスなタイトルにも惹かれて。でも原題が『武侠』だからミステリじゃなくて武道映画なんだろうなぁとは思ってた。ただ監督が『金枝玉葉』の人だからそこまで激しくはないだろうと予想してたんだけど(『ウォーロード』を撮ってたのは知らなかったんで)見てみたら「ギャッ!」ってところもあるバリバリの武道映画だった(笑)

捜査シーンはもちろんあった。シュウは強盗2人が事故やジンシーの正当防衛で死んだのではなく、ジンシーがすべて計算で動いた結果なのではないかと疑うのだ。その捜査シーンが変わってて面白い。実はその前に、ジンシーが強盗を押さえ込むところから2人が死ぬところまでのシーンを観客は見ている。それを見ると一見、彼自身は避けるばかりで攻撃はしていない。でもところどころで「あれ?これって誘導してる?」とか「今タイミングを計ってた?」と引っかかる箇所がある。シュウはその引っかかりを解いていくのだ。シュウはその場で見ていたわけではなく、残っていた証拠品や死体検分からシミュレーションしていく。このシーンを見ると『捜査官X』(Xはシュウ「Xu」の頭文字)というタイトルもピッタリだと思う。でもジンシーの過去が明らかになると『捜査官X』から『武侠』というタイトルがピッタリの映画になっていく。

アクションはもうスゲーの何のって、どんどん強い敵が登場していって、マスター(ジミー・ウォング)なんてラスボス感ハンパない!でも一番ハラハラしたのは肉体を使っての戦いではなく、シュウとジンシーの心理戦。私もジンシーは本当に過去を捨てて生きているのか疑ってしまって、いつか本性を現すのではないかとドキドキしていた。シュウとジンシーが2人きりになったら殺っちまうんじゃないかって(笑)森の中を2人が歩くシーンはどのアクションよりも手に汗握った。

ジンシーを演じたドニー・イェンを見るのは『HERO』以来なんだけど、その時は何も感じなかったのね。でも今回見ててずーっと誰かに似てるなぁって思ってて、家に帰ってgoogle画像検索を「ドニー・イェン」でやってみたら分かりましたよ(笑)サッカーの長谷部誠でした。長谷部の画像が一緒に出てきて思わず吹いちゃった。これは似てるわー。よかったら画像検索してみてね(笑)
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別離('11イラン)-May 1.2012
[STORY]
シミン(レイラ・ハタミ)は夫と離婚して11歳の娘テルメーと外国で暮らそうとしていた。夫のナデル(ペイマン・モアディ)にはアルツハイマーの父親がいたからだった。だが離婚は認められず、シミンだけが家を出て実家に帰った。ナデルはヘルパーとしてラジエー(サレー・バヤト)という女性を雇うが問題が起きてしまう。
監督&脚本アスガル・ファルハーディー(『彼女が消えた浜辺』
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第84回アカデミー賞ではイラン代表作品として外国語映画賞を初受賞。また脚本賞にもノミネートされた。
テルメーを演じたサリナ・ファルハーディーは監督の娘である。

そういえばイラン映画って会話が堂々巡りする場面が多かったなぁ、と本作の冒頭を見て思い出した。基本的に相手の話は聞かず自己主張のみ。譲歩しない。妥協点を見つけたりしない。話し合いにならない。

「離婚したい」→「離婚しない」→「あなたも一緒に海外に行くなら離婚しない」→「父親がいるから無理」→「じゃあ離婚する」→「離婚しない」

この繰り返しだ。そりゃあ進展なんてしないよね。なので問題棚上げのまま決裂。でもそうは言っても日常生活は続けていかなくてはいけないわけで、ナデルは父のためにヘルパーを頼むことになるんだけど、このことからまた新たな問題が起きてしまう。そしてお決まりの会話堂々巡り。言った言わない、やったやらないで大揉めするのだ。

そんな不毛なやりとりをぼんやり見ながら、ラジエーがヘルパーになってなければなぁ、いやラジエーの夫が無職じゃなければ、そもそもシミンが家を出なければ、と原因の元を考え始めてしまった。火の粉がテルメーにまで及んでしまった時には怒りさえ覚えた。またこの子がさ、空気はちゃんと読むし家族を守らなきゃと健気なんだわ。でも親たちはそんな彼女をちゃんと見てなくて自分のことばかり。
私がここで感じたこと――認知症の人を抱える家族、夫よりも自分を優先させてしまう女、逆に夫に逆らえない女、この現代で敬虔なイスラム教徒として生きるには――これらはイランではよくあることだったり問題になっていることなのかもしれない。うんざりしながらも、この短い物語でたくさんの問題を浮き彫りにさせるストーリーは見事だと思った。

ただズルイなと感じるところもある。本作も『彼女が消えた浜辺』もそうだったけど、事件が起こる直前までと、その後の映像は観客に見せる。でも一番肝心な映像は見せない。観客には見せてもらえなかった映像が謎となり続きが気になってしまう。ミステリ小説なら罵倒される代物だが、ミステリ映画ではないからアンフェアとまでは言わないけど・・・謎でストーリーを引っ張ってる部分も大きいから微妙かな。2本続けて同じような手法を見せられるとね。もう同じ手はやらないでほしいなと思う。
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