Movie Review 2011
◇Movie Index

戦火のナージャ('10ロシア)-Apr 29.2011
[STORY]
1941年。妻の元恋人だったドミートリ(オレグ・メンシコフ)によってスターリンへの反逆罪で逮捕されたコトフ(ニキータ・ミハルコフ)は、ソ連に侵攻してきたドイツ軍と戦いながら何とか生き延びていた。一方、彼の一人娘ナージャ(ナージャ・ミハルコフ)はドミートリの計らいによって名前を変え、党の少年少女団に所属していた。その後、従軍看護師となったナージャはドイツ軍の攻撃から何度も逃げ延びる。父と娘が再会する日は来るのか・・・。
監督ニキータ・ミハルコフ(『12人の怒れる男』
−◇−◇−◇−
1994年に製作された『太陽に灼かれて』の続編。前作はスターリンの大粛清によって英雄だったコトフ大佐が逮捕されたところで終わったが、本作はその16年後から始まる。
第63回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された。

『太陽に灼かれて』はカンヌのグランプリとアカデミー賞外国語映画賞のダブル受賞ということで、16年前のミーハーな私は(今も変わってないけど)ロクに内容を確かめもせず軽い気持ちで見に行って、ラストに仰天したのはいい思い出だ。だって最後にスターリンの肖像が描かれた巨大な凧みたいなのがドドーンと出てきて、あっけにとられているうちにTHE ENDだもん。その頃はまだハリウッド以外の外国映画をほとんど見たことがなかったこともあって、すごい衝撃を受けた。ロシア映画ってこういうものなんだ〜と何とか自分を納得させたけど、まさか今になって続編があるとは思わなかった。それにもビックリ(笑)最初から決まってたのかねえ。しかし本編上映前にミハルコフから日本に向けてのメッセージビデオが流れたんだが、一緒にパート3の撮影が終了って告知があって「ええっまだ続きがあるんだ?!」と本編を見る前からちょっと萎えてしまったのは内緒だ(笑)

16年経って天使みたいに可愛かったナージャちゃんがゴッツイ顔の女の子になっていてロシアタイマーの恐ろしさを改めて思い知らされたわけだが、内容は見ごたえがあってまさにミハルコフ渾身の作品というのが伝わった。いくつかすごく印象に残るカットもあり、特にラストカットは映画というより絵画みたいで、今も目に焼きついて離れない。
コトフとナージャそれぞれ行く先々でドイツ軍の激しい攻撃に遭遇するも、何とか助かり生き延びていく。周りの人間がバタバタと死んでいく中で2人が助かる様子はややご都合主義っぽく感じるところもあったが、『戦場のピアニスト』も同じように運が良かったり、他人から命をもらって生き延びたからね。見ていくうちにこちらも、絶対にこの父娘を再会させてやらなきゃならん!っていう気持ちになっていく。戦争はますます激化していくし、2人の消息を追うドミートリの存在も怖いし、早くパート3が見たい。今度は16年もかからず早いうちに続編を見られそうなので楽しみに待ちたい。
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キラー・インサイド・ミー('10アメリカ=スウェーデン=イギリス=カナダ)-Apr 17.2011
[STORY]
1950年代の西テキサス。田舎町で保安官助手をするルー(ケイシー・アフレック)は、温厚な性格で町の人々から信頼されていた。だがある日、住民からの苦情で売春婦ジョイス(ジェシカ・アルバ)の家を訪ねたルーは、彼女から殴られてカッとなり、思わずジョイスを押さえつけてベルトで何度も打ち付けてしまう。互いに快感を覚えた2人は激しく愛し合うようになる。やがてルーは封じ込めていた幼い頃の記憶を思い出し、凶暴化していく。
監督マイケル・ウィンターボトム(『CODE46』
−◇−◇−◇−
原作はジム・トンプソンの『おれの中の殺し屋』(旧邦題は『内なる殺人者』)
1976年にもバート・ケネディ監督、ステイシー・キーチ主演で映画化されている(日本では未公開)

久々のウィンターボトム映画。ここしばらくは実話を元にした社会派作品が続いていて、あんまり見たいと思う作品がなかったのだが、本作は大好きな『バタフライ・キス』みたいな破滅的な主人公を描いたドラマということで期待していた。

うーん、よくできてるし上手く纏めてあるけど全体的にはなんか物足りないという印象。細くて時々裏返るようなヘンな声質の主人公が、暴力に目覚めてからもさほど狂気を表に出さず、無表情で執拗に女を殴りまくる。男は目的のためにアッサリ殺すが、女は殴って殺すことで征服欲を満たしている。こんなに女を殴るシーンを長くしつこく見せる映画を私は初めて見た。顔はボッコボコに変形しまくりだし失禁シーンまで見せるし、演じたジェシカ・アルバもケイト・ハドソンもよく頑張ったよ。これはR-15どころかそれ以上にしてもいいのではと思ったくらい。

ただ、『バタフライ』でのウィンターボトムは主人公たちの痛々しさに同調するように撮っていて、それが見てるこちらにもダイレクトに伝わってきた。本作は逆にルーに寄り添うことなく三歩くらい引いて、できるだけ冷静に撮っている意図が見えて、それはこの映画には合ってるって分かってはいるんだけど、そこが物足りないと感じてしまったのも正直なところ。ラストの炎の描写がチープだったのにも何故かショックを受けてしまって・・・。かつて好きだった人の現在を知って淋しくなったみたいな(笑)まぁ今まで見た彼の映画すべて当たりってわけじゃないんで、そんなに悲しむことはないんだけど、このあとに公開される彼の作品はまた社会派や戦争モノらしく、次に見たいと思う作品はいつになるだろう・・・と考えると、やっぱり淋しいかな。
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ザ・ファイター('10アメリカ)-Apr 13.2011オモシロイ★
[STORY]
アメリカ、マサチューセッツ州のローウェル。ディッキー・エクランド(クリスチャン・ベイル)は、かつてシュガー・レイ・レナードからダウンを奪ったほどのボクサーだったが、今はドラッグ漬けの毎日を送っていた。彼の異父弟ミッキー・ウォード(マーク・ウォールバーグ)もボクサーとして日々練習していたが、トレーナーの仕事をしてくれない兄と、兄を贔屓する母アリス(メリッサ・レオ)に振り回され、大事な試合で負けてしまう。それを見かねたミッキーの恋人シャーリーン(エイミー・アダムス)は、兄と母から離れてボクシングに打ち込むべきだと説得する。
監督デヴィッド・O・ラッセル(『ハッカビーズ』)
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1985年から2003年までプロボクサーとして活躍したミッキー・ウォードとその家族を描いた物語。
第83回(2010年度)アカデミー賞では6部門でノミネートされ、助演男優賞(ベイル)と助演女優賞(レオ)を受賞した。

祝!ベイルさん助演男優賞受賞!ってことで記念で見てきました。『リベリオン』から確変起こしまくりのベイルさんですがついに来たかと。確かにファーストシーンでいきなり登場する彼を見たら誰もが驚愕すると思う。痩せ細った身体にまばらな頭髪、イッちゃってる目つきでハイテンションにまくし立てる。このインパクトにやられて人が多いのだろう。私は『マシニスト』でもっとガリガリの身体を見てるので「また頑張っちゃったんだ」と心配になったわけだが。

彼と、そして同じく助演女優賞を受賞したレオの子沢山母ちゃんも凄かった。普段は長男至上主義で次男を放置気味のくせに、ニートらしき娘たち(7人だったかな)とともに全力でミッキーのファイトマネーにぶら下がろうとしている。でもミッキーもマザコン気味で自分が上げた成果を母親に認められたがっている。そこに現れたのはやはり気の強いシャーリーン。家族から独立しろ!と叱咤してようやくミッキーもその気になり家族と決別しようとするが、そこの母ちゃんと娘たちが乗り込んでくる。もうね、このシーンで大笑い。ミッキーも、電話ではちゃんとママに言えたのにいざ目の前ににすると何もいえないヘタレ。身体は一番ムキムキなのに(笑)代わりにカーッとなったシャーリーンが姉たちとキャットファイト!それまではディッキーもアリスも姉たちもみんなミッキーの足を引っ張っている邪魔者で、早くミッキーが家族から独立できればいいのにとイライラしながら見ていた。でもこの大喧嘩があってからは、どっちかを選んでどっちかを捨てるんじゃなくて、どっちともうまくやっていけばいいんじゃん、と思えるようになった。事実、この騒動後のミッキーの試合では、家族もシャーリーンも一緒になって彼を応援してたからね。あのキャットファイトは無駄じゃなかったんだ(笑)

ひょっとして最後は不幸になっちゃう映画なのかな?と不安になったが(兄ちゃんがクスリでどうにかなっちゃうとかさ)ラストは爽快で、映画全体が面白いボクシングの試合を見た後みたいな気分。ベイルさんの姿を見るために見た映画で、実はあんまり内容には期待してなかったんだけど見てよかったな。
この映画で描いた後のミッキーの試合がまた面白いらしく続編を製作するなんて話もあるらしが、ベイルさんがまたディッキーの役作りをしなきゃいけなくなるんで、ベイルさんの身体を心配する私としてはあまり・・・なのだが、続編をやるならもちろん見に行きます(笑)
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わたしを離さないで('10イギリス=アメリカ)-Apr 3.2011
[STORY]
イギリスの田舎町。寄宿学校のヘールシャムでは生徒たちを厳しく管理し、外に出ることは許されなかった。幼い頃、キャシー(イゾベル・ミークル=スモール)はいつもいじめられているトミーが気になっていたが、いつのまにか親友のルースとトミーが付き合うようになっていた。
やがて18歳になったキャシー(キャリー・マリガン)は、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)とルース(キーラ・ナイトレイ)とともにヘールシャムを卒業し“提供者”になるまでの間、農場のコテージで共同生活を送ることになった。だが恋人同士のトミーとルースを見るのが耐えられなくなったキャシーは、“介護人”になることを希望し、2人の元から離れるが――。
監督マーク・ロマネク(『ストーカー』)
−◇−◇−◇−
原作はカズオ・イシグロの同名小説。イシグロ自身も製作総指揮として本作に携わっている。

映画を見た後にどうしても原作を読みたくなってしまい、原作を読んでから感想を書こうと思ったので感想のUPが前後しました。映画を見た時に曖昧でよく分からないところがあり、原作を読めばもっと詳しく書いてあるかも、と思ったのが読もうと思った大きな理由。そしたら原作はキャシーの一人称での回想形式になっていて、彼女が知っていること、知ったことしか書いてない。映画はそれを整理して映画として見やすい構成にしてあることが分かった。

原作のキャシーは歳を重ねたせいか自分や仲間のことを客観的に見られるようになっているようで、1つ1つ思い出すように訥々と語っていくが、映画はそこまで淡々とはしておらず、それなりに甘くドラマチックだ。具体的に1つ挙げるとすると、原作ではキャシーとトミーは途中でさよならしてしまうけれど、映画では最後まで一緒。2人が見つめ合って微笑むシーンが冒頭とラストに2回出てくるのだが、2回目のほうでは胸が詰まってちょっと泣いた。原作の別れはそれはそれで納得できるが、映像で見るならこれくらい起伏や変化があっていいと思う。

登場人物の設定や性格も若干変えてあって、映画のトミーは原作よりキャシーのことを気に掛けていて優しいのも甘く感じた理由の1つ。そして原作のキャシーは恋人が何人かいたことがあったが、映画のキャシーはおそらくずっと1人で静かに耐えていて、より孤独感が浮き彫りになっている。もうこれだけでじわじわ切なくなるでしょ(笑)それと少女時代のキャシーを演じたイゾベル・ミークル=スモールがキャリー・マリガンにとてもよく似ていて、そのせいか見てるこっちは幼い頃から彼女をずっと見守り続けてきたような気になっていて(笑)たとえ運命が決まっていたとしても、少しの間だけでもいいからキャシーが幸せになってほしい、って願ってしまっているわけ。このキャスティングが私はこの映画での一番の成功なのではないかと思っている。よく見つけてきたよなぁ。

先に見たのが映画だからか、珍しく今回は原作より映画のほうが好き。桟橋や座礁した船がある海の風景は、イギリスらしいどんよりとした空をバックにしても美しく見えた。
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イリュージョニスト('10イギリス=フランス)-Mar 31.2011
[STORY]
1950年代のパリ。マジシャンのタチシェフ(声:ジャン=クロード・ドンダ)は、寂れた劇場やバーなどで。そんなある日、スコットランドの離島にやってきたタチシェフは、バーで働く少女アリス(声:エイリー・ランキン)と出会う。彼のマジックに目を輝かせるアリスを見て嬉しくなったタチシェフは、彼女にプレゼントを贈る。だがアリスは彼を“魔法使い”だと信じてしまい、島を離れるタチシェフを追いかけてきてしまう。やがて2人は一緒に暮らし始めるが・・・。
監督&脚本シルヴァン・ショメ(『ベルヴィル・ランデブー』
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1982年に亡くなったフランスの映画監督・俳優のジャック・タチ(本名は本作の主人公と同じタチシェフ)が遺したオリジナル脚本をシルヴァン・ショメが脚色。本作品中、映画館のシーンでジャック・タチが主演した『ぼくの伯父さん』が挿入されている。
第83回(2010年)アカデミー賞のアニメ部門でノミネート。ニューヨーク映画批評家協会賞を受賞している。

前作『ベルヴィル・ランデブー』が大好きで、新作をものすごく楽しみに待っていてようやく公開となったわけだが、全体的に物悲しい雰囲気が漂っていて、見た後にモヤモヤっとなり、もう一度見たいと思う作品ではなかった。絵のクオリティの高さをはじめ、技術的なところは前作を遥かに超えている。都会や田舎町の風景の表現、個性的なキャラクターの造形と独特な動き、これはもう天才的だ。やっぱり彼が作るアニメが大好きだ〜!ってなる。けれど、この作品自体が好きかと聞かれると「う〜ん」と躊躇する、そんな感じ。

『ベルヴィル』のばーちゃんや三姉妹も、本作のタチシェフと同じように時代に取り残され、町の片隅でつつましく暮らしていた人たちだったけど、彼女たちは堂々としててマイペース、危機では力を発揮するカッコイイばーちゃんたちだった。でもタチシェフはもうね、出てきた時から見てるこっちが悲しくなっちゃうの。これはそういう話だからしょうがないんだけど、彼のマジックも哀れで見てられなくなる。結末もきっとこうなるんだろうなぁと思った通りになるし(エンドクレジット後のオマケ映像でちょっと救われるけど)タイトルが『マジシャン』じゃなくて『イリュージョニスト』っていう意味に気がついた時にはさらにまた悲しくなった。アリスも悪い子じゃないけど、やっぱり好きになれなかったしさ。同じく初老の男が若い女に翻弄されるフランス映画『仕立て屋の恋』を見た後と同じようなムカつきと虚しさが残った。私はどうも孤独な人が不幸になる話が好きじゃないようだ(強欲じじいには何とも思わないのだが)

次回作はぜひ、毒はあっても見終わった後は幸せになれる作品をお願いしたい。というかお願いします!
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