Movie Review 2005
◇Movie Index

オペラ座の怪人('04アメリカ)-Feb 16.2005ダイスキ★
[STORY]
こちらへ。
監督&脚本ジョエル・シューマッカー(『フォーン・ブース』
−◇−◇−◇−
やっぱり見てしまいました(笑)実は3回目も行く予定。ハマってます。感想もネタバレ丸出しでいきますので未見の方は注意。

2回目は落ち着いていろんなものを見ることができた。前回見た時はクリスティーヌがよく分からないと書いたが、今回は演技も歌の歌詞もしっかり見れたので、彼女の心の揺らぎがよく分かった。クリスティーヌにとってファントムは父親代わりの存在であり、音楽を教えてくれる師であった。しかし彼が音楽の天使などではなく殺人者だと分かると拒絶する。そして彼と対決するのだが、ここでクリスティーヌは少女から1人の女へ成長していくのだ。同時に、父でも師でもない1人の男(ファントム)の自分への激しい愛を受け、その危うさに惹かれてしまう。そして彼と常に精神的に繋がっていたことを実感するのだ。クリスティーヌがまだ少女だったら彼を理解することもなく、惑わされることもなかっただろう。皮肉ですな。だけどラウルを愛する気持ちに変わりはないわけで。ファントムへの気持ちは別のものだと伝える姿はすっかり大人の女でした。

そのクリスティーヌから愛され、勝者のはずのラウルなんだけど、今回見て気の毒だと思ってしまった。前回はファントムにばかり感情移入してしまったが。だってせっかく彼女に送った婚約指輪、いつのまにかクリスティーヌとファントムの想いのやりとりに使われてしまって、ラウルが送ったこと忘れてないか?お2人さん・・・。

この指輪のやりとりについてもう少し詳しく書きますが、クリスティーヌはファントムにキスする時に指輪をはめるんですね。最初見た時は、それでも私はラウルのものよ、という意味があるのかと思っていた。でもそうなると最後にファントムに指輪を渡す行為がおかしくなってしまう。だからやっぱり指輪はファントムが鎖を千切ったところからラウルから離れ、キスのシーンではファントムのためにしたと考えたい。そういえば、クリスティーヌが指輪をするのはこのシーンだけ(ラウルから貰った時は分からんが)彼女がきちんと意思を示す重要な行為だと思う。

また、ドン・ファンのシーンで2人のデュエットを見てショックで涙目になるところも気の毒でならなかった。監督がそこでウィルソンに焚きつけるようなことを言ったというエピソードがパンフにあったけど・・・監督ナイスだ!(笑)

同じくパンフに、監督がロッサムとパトリックに語ったというエピソードが面白かった。結婚したクリスティーヌとラウルは幸せだったが、彼女がかつて情熱的な愛に燃えたことは絶対に口にしないのだ、と。でもそうなると彼女がサルのオルゴールのことをラウルに話したというのはおかしいような気がする。ここからは私の想像なんだけど、幸せを実感するほど、もう1つの消えない愛がクリスティーヌの心に重くのしかかり、ファントムのことは全く口にしなくなっていったのではないかな。でも夫には話さなかったが、子供には話してしまった。寝る前にお話を聞かせてとせがまれ、ファントムやサルのオルゴールのことを御伽噺のように語ったんじゃないだろうか。それを聞いた子供たちはサルのオルゴールを欲しがり、無邪気に父親にせがんでしまった・・・またしてもショックで涙目だったかも(笑)妻に聞くこともできずに悶々としたんだろうなぁ。でも彼女の思い出のものを墓前に捧げるラウルは心の大きい人だよね。ファントムのことも含めて彼女を愛していたんだから。
だけど追い討ちをかけるように彼女の墓前に薔薇と指輪。改めてファントムがクリスティーヌをずっと愛しつづけていたという証を見せられるのだ。もし彼女が少しでも不幸だったなら、彼は必ず奪いに来ただろう。そう思うとバランスの取れた三角関係ですなぁ。
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マシニスト('03スペイン=アメリカ)-Feb 13.2005
[STORY]
機械工のトレバー(クリスチャン・ベール)は不眠症ですでに365日眠っていない。体重も以前の半分までに減り、痩せ細っていた。ある時、家の冷蔵庫に見たこともない張り紙を見つける。またある時、トレバーは新入りの溶接工アイバンに気を取られて、同僚の腕を機械に巻き込み切断させてしまう。それを上司に訴えるが、アイバンという男は存在しないと言われてしまう。誰かが自分を陥れようとしていると感じたトレバーは、アイバンを探し始めるが・・・。
監督ブラッド・アンダーソン(『セッション9』
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2004年サンダンス映画祭、ベルリン国際映画祭に出品された。マシニストとは機械工のこと。

やはり1番の見どころはベールの30キロ減量したガリガリの身体だろう。365日眠っていないという説得力があるし、明らかに身体の病気ではなく心が病んでいるのだというのがよく分かる。少し前に『ソン・フレール』という映画でやはり減量した役者の身体を見たけど、あちらは病人の痩せ方だった。本作のトレバーの場合は本人が激痩せしていることを全く気にしていないし、眠れないことを苦にしていないところが怖い。彼が全力疾走するシーンでは、見てるこっちが倒れそうになるほどだった。

『セッション9』では廃墟となった病院で起こる奇怪な事件を、いくつかのミスディレクション(観客が誤った推測をするような仕掛け)を挿入しながら描いていて、私はかなり騙された。本作でも、彼が不眠症になった原因は彼自身にあることは最初から分かってるんだけど、その原因が一体何なのかをトレバーと一緒になって探っていく話の中で、やはりミスディレクションがあった。(ここからネタバレ)冒頭で死体を捨てるシーンがあったが、アイバンを(彼と一緒に釣りに行って)殺したことが原因で、主人公が病んでしまったんじゃないか?もしくはアイバンがトレバーの秘密を握っていて口封じのために殺されたと私は思っていた。でも実はトレバーに安らぎを与えてくれたウェイトレスのマリアとその息子のほうに原因があったのだ。(ここまで)やっぱり騙された(笑)いや、しかし切ないなぁこれは。こういうトレバーの心理って実際にもありえるんでしょうか。心理学に詳しい人の意見を聞いてみたいなぁ。

トレバーは普通の人なら1番いたくない場所でようやく呪縛が解放される。ひねりはないけど着地点がいい。ただトレバーが最初に異変を感じるハングマン・ゲーム(首吊り人形が描き終わるまでに単語のスペルを書くゲーム)は、もっとひねってくれれば良かったのになぁ。いくらトレバーが不眠で思考能力が低下してたとしても、ちょっと単純すぎたのでは。でも前作よりも構成も展開も面白かったので、次回作も期待してしまう。このままスリラーを突き詰めてもらってもいいけど、久々にやわらかいラブ・ストーリーもいいな。
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タッチ・オブ・スパイス('03ギリシャ)-Feb 12.2005
[STORY]
アテネの大学で宇宙物理学を教えるファニス(ジョージ・コラフェイス)の元に、イスタンブールに住む祖父ヴァシリスがやってくるという知らせを受ける。しかし当日になって、ヴァシリスが倒れてしまった。ファニスは子供の頃、ヴァシリスが営むスパイスの店に入り浸り、そこで料理と恋と天文学を学んだことを思い出していく。
監督&脚本タソス・ブルメティス(『DREAM FACTORY』日本未公開)
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ギリシャ史上2番目の興行成績を記録したという作品。てゆーか1位が『タイタニック』というのが逆に驚きなんですが(笑)ギリシャでも『タイタニック』ってヒットしたんだー。
驚きついでにもう1つ、もっと素朴な作りの映画だと思ってたんだけどCGをかなり使っていて、宇宙を真っ赤な傘が飛ぶシーンで、この映画大丈夫かな?とちょっと心配になったけど(笑)昔のコンスタンティノープルの風景が素敵だった。

ギリシャとトルコの関係を理解していないと分かりづらい部分が多いんだけど、おじいちゃんのスパイスうんちく(笑)が面白くて感心させられた。太陽系の星をスパイスになぞらえ、胡椒は太陽、シナモンは金星、そして地球は塩だと教える(地球の70%が海だしね)そして、料理の中に入ってしまうと見えなくなってしまう塩だが、その塩加減で料理が決まる。人生も同じだと教えてくれる。分かりやすいけど重い言葉です。

また、料理するシーンやテーブルに並ぶ料理が綺麗で美味しそうで、これだけでも見てて楽しくなってしまう。特にファニスが作ったナスの肉詰イマムが美味しそうで、映画の後にトルコ料理を食べに行ったほど(ギリシャ料理とトルコ料理は似てるのだけど、それをギリシャ人・トルコ人に言ってはいけないそうです)

ギリシャとトルコの関係が分かっていないので的外れなことを書いてるかもしれないけど、疑問に思ったこと。
ファニスたち家族がギリシャへ行かなければならなくなった時、あまりに悲壮な雰囲気だったので、ギリシャへ行くと迫害されたり生活が苦しくなるのかと思っていた。でも財産を持ち出せなかった割には(借家かもしれないが)すぐに綺麗な家に住んでいたし、親戚もよく集まるし、正直こんなもんなの?と思ってしまった。たまにトルコ人と見なされて傷ついてはいたが。
また、ファニスがおじちゃんに全然会えないというのもヘンだと思った。おじいちゃんがギリシャへ来れないなら、ファニスたちが(一緒に住めなくても)顔を見せに行けばいいのにって。ひょっとしてトルコからギリシャへ渡航はできるが、ギリシャからトルコへはダメだったんだろうか?

それから、やっぱり宗教について自分は鈍感だなーと思った。イスラム教に改宗すればギリシャに行かなくていいと言われるシーンがあるんだけど、今の宗教が何なのか分かってなかった。そういえばファニスとおじいちゃんが教会に行くシーンがあったのよね(ギリシャ正教なんですね)それをすっかり忘れていたのだ。あれは単に祖父と孫の微笑ましいシーンの1つだと流して見てたんだけど、伏線でもあったわけか。監督の意図するところを汲み取れないなんて・・・バカバカ!
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ソン・フレール―兄との約束―('03フランス)-Feb 12.2005
[STORY]
リュック(エリック・カラヴァカ)の元に、ある日突然兄のトマ(ブリュノ・トデスキーニ)がやってくる。トマは血液の中の血小板が少なくなる病気にかかっており、リュックに助けを求めてきたのだ。疎遠だった兄がなぜいま自分を頼りにするのか分からないまま、リュックはトマに付き添うと約束する。
監督&脚色パトリス・シェロー(『愛する者よ列車に乗れ』
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2003年ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞。第11回フランス映画祭横浜2003で上映された。

シェローの『愛する者よ列車に乗れ』がよく分かんなかったので、前作『インティマシー/親密』はパスした。でも本作は難病の兄とその弟というシンプルそうな話だったので見てみることにしたんだけど、弟がゲイという設定は見るまで知りませんでした(最近そういうの多いな・・・『永遠のマリア・カラス』とかさ)これも後から知ったんだけどシェローもカミングアウトしてる人だったんですね。

だから本作を選んだのかどうかは知らないが、リュックがゲイである設定が本作ではとても重要だった。トマは弟がゲイであることが許せずに距離を置いていたし、リュックは不治の病にかかった兄を見て、自分がAIDSになることを考えないわけがない。リュックが病院の横たわる自分の姿を想像するシーンが、よりリアルに感じられる。また、トマの恋人と思わずキスするのも、彼女に恋したり欲情したというより、兄への思いを共有している人との慰め合いのようだった。

トマを演じたトデスキーニは、体重を12キロ落としてこの役に挑んだらしいが、緩慢でだるそうな動きが本当に病人のようだった。役のための肉体改造ばかりを宣伝として使うのは好きじゃないが、リアルに見せるため、役に近づくためにやった役者さんは本当に素晴らしいと思う。手術前に体毛を剃られるところもあるしさ。あそこを延々と撮影されてる時、どんな気持だったかはちょっと聞いてみたい(笑)手術前に剃るのは当然だけど、そこを丁寧に見せる映画は珍しいのでは。あのシーンは、手術前の儀式のようでもあったし、既に検査などで何度も裸にされているのに、さらに丸裸にされているようで痛々しくもあった。

ストーリーを曖昧に見せることはフランス映画(や一部の邦画)でよくあることだけど、ラストについての私の考え。(ここからネタバレ)リュックはトマが海に入ることは分かっていたような気がする。今までにない穏やかな表情でお茶を飲むリュックの顔が、トマを送り出しているようだった。両親やトマの恋人への電話でも、彼が海へ入ったことを分からせないために喋っているように見えたし。でも警察に捜索願いを出した時の顔は必死だったんだよね。うーん、やっぱ分からん(ダメじゃん)(ここまで)
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トニー滝谷('04日本)-Feb 5.2004
[STORY]
両親ともに日本人ながら“トニー”と名付けられたトニー滝谷(イッセー尾形)。生まれてすぐに母を亡くし、ジャズプレイヤーの父(イッセー尾形:二役)も家を空けることが多かったので、幼い頃から1人でいることに慣れていて、大人になっても家で黙々とイラストレーターとして仕事をこなしていた。そんなある時、出版社に勤める英子(宮沢りえ)と出会い、トニーは彼女に恋をする。
監督・市川準(『竜馬の妻とその夫と愛人』)
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原作は村上春樹の同名短編。音楽は坂本竜一。第57回ロカルノ国際映画祭で審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞を 受賞した。

見た後から知ったんだけど、環境事業局の空き地にステージを組んで、ほとんどのシーンをそのステージで撮影したんだそうだ。どおりで窓の位置がヘンだなぁとか、ガラスが嵌ってないけどどういう家なんだろって思ったんだ。そういうわけでカメラは一方向からしか映さず、左から右へゆっくり流れるようにパンするだけだったのね。これは慣れるとなかなかいいと思うようになった。トニーの人生が流れてるんだなぁというのが感じられて。

もう1つ変わっているのは西島秀俊のナレーションと被さるようにキャストが一言ポツリと言うところ。最初は何だこれ?と面食らったけど、これも慣れると次にどこでセリフが入るのか俄然注目して見てしまう。西島の喋りはボソボソしてて上手いわけではないけど、書生さんが朗読してるみたいな(ちょっと夏目漱石の『こころ』を思い出した。彼に一度この小説を朗読してもらいたい)トニーの学生時代の友人(でもそれほど仲良くもない)が彼を思い出して語っているような、そんな雰囲気を漂わせている。

ちょっとネタバレになりますが、英子が亡くなるまでのところは良かった。トニーが衣装部屋で横たわるところと、トニーの父が上海の刑務所で横たわっていたシーンが重なるところ、ここは本作のベストシーンだ。でも気になるところもいくつかあって、まず英子の元恋人が登場するところ、ここの元恋人の喋り方に違和感あり。特に最後のセリフはヒドイ。急に映画が生臭くなってしまった。

それから、ひさこ(宮沢りえの二役)が英子の服を試着するところね。英子が服を買うシーンはあの映画で唯一激しいと感じたシーンだったのに、それが衣装部屋に並んでいる映像は殺風景で、ちっとも英子が遺したものという感じがしない。あそこは英子の欲望をダイレクトに身体に感じたひさこが思わず泣いてしまう、というところでしょ。でもあんな風に整然と並んだ洋服をチマチマ着て泣いても説得力がない。ここもきちんとやればベストシーンになったはずなのに、惜しかったな。
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