Movie Review 2010
◇Movie Index
抱擁のかけら('09スペイン)-Feb 11.2010
[STORY]
2008年マドリード。映画監督だったマテオ(ルイス・オマール)は14年前に視力を失い、現在はハリー・ケインという名で脚本家になっていた。そんなある日、ライ・Xと名乗る男がハリーの前に現われ、自分が監督する映画の脚本を一緒に書いて欲しいと持ちかける。目が見えなくてもその男が誰なのかすぐ分かった。大富豪エルネスト・マルテル(ホセ・ルイス・ゴメス)の息子だと――。
1994年。エルネストの会社で働いていたレナ(ペネロペ・クルス)は父の手術のための金を貸してほしいとエルネストに頼み込む。そしてレナは彼の愛人となった。レナは愛人でいるだけでは物足りなくなり、長年の夢だった女優になるため、マテオの新作映画のオーディションを受けにやってくる。マテオは一目見てレナに恋をした。
監督&脚本ペドロ・アルモドバル(『ボルベール <帰郷>』
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第62回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門上映作品。アルモドバルがクルスを主演に迎えての作品は2作目で、全体では4作目となる。

冒頭ではどういう話なのか全く見当がつかない映画だったが、盲目の脚本家の元に映画監督を名乗る男から脚本を書いてほしいという依頼が舞い込むところから物語は動き出し、次第に全体が明らかになっていく。彼の映画にしては上映時間が128分と長く(だいたいいつも100〜120分以内)話が見えてこないうちは、ちょっと退屈に感じたところもあった。過去が明らかになるにつれて引き込まれていったが、それでも同じ映像を繰り返し使ったり、「そこはもう分かったからいいよ」って思うところも多くて、もう少しカットしてもよかったんじゃないかなと思った。そこに時間を割くよりも、父親を憎むライ・Xが今後どういう行動を取るのかというシーンを私は見たかった。いつのまにか消えちゃったからなぁ。

この映画で一番強く感じたのは、アルモドバルが今現在のクルスのことが好きでたまらない!ってこと(笑)昔から好きだから起用してたと思うんだけど、現在のスターオーラたっぷりの彼女が好きなんじゃないだろうか。また、これから美貌が衰える前に美しい彼女を記録しておきたいっていう気持ちもあるかもしれない(だから彼女を主演にした映画はこれからまだまだ制作されそうだ)14年前のライ・Xがレナを執拗に撮っていたけれど、あれは父親の命令だけじゃなくて、レナの美貌に対する羨望も見てとれた。ライ・Xというキャラクターはアルモドバル自身が投影されているのだろう。だからライ・Xのその後を描かなかった(描けなかった?)のかもしれない。前作はすごく良かったけど、今回はちょっと不満の残る作品となった。
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食堂かたつむり('10日本)-Feb 10.2010
[STORY]
インド人の恋人に何もかも持ち去られた倫子(柴咲コウ)はショックで声を出せなくなり、母ルリコ(余貴美子)が暮らす田舎へ戻ってくる。私生児だといじめられ、母ともそりが合わず中学卒業後に家を出て以来だった。ここで食堂を開きたいからお金を貸してほしいとルリコに頼むが断られ、小さい時からやさしかった熊さん(ブラザートム)の助けを借りて「食堂かたつむり」を始める。客は1日1組。決まったメニューはなく、客のイメージや要望から料理を作っていく。やがて倫子の作る料理は願いが叶うという噂が広まり、食堂は評判となるが・・・。
監督・富永まい(『ウール100%』)
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原作は小川糸の同名小説。私はこの小説家を知らなかったので調べてみたら、浜田省吾のサウンドプロデューサーをやっている水谷公生という人の奥さんで、この3人でFairlifeというユニットを組んでおり、小川糸は春嵐という名前で作詞をしているらしい。それでこの映画の主題歌を担当していたわけね。

レストランや食堂が舞台の映画はもれなく見ているので、本作も当然見た。メルヘンチックな描写が多くCGを多用しており、倫子やルリコの過去を語るシーンでは歌で説明したりと、中島哲也の映画を意識したような感じ。面白さは段違いだけど(どっちが面白いかって?それは)
料理はおいしそうなのとそうじゃないものの落差がかなりあって、ジュテームスープの色の悪さはヤバかった。悪いけど泥みたいだった。お妾さん(江波杏子)にコース料理を作る場面はなかなか良かったな。料理に統一感がないしボリュームもありすぎたけど、料理を食べてどんどん幸せそうになるところは『バベットの晩餐会』みたいでちょっと好きだ。

原作は未読だったんだけど、1箇所気になるところがあって後から読んでみた。あー、不快感があるところは映画ではカットしたんだな。 あとこの映画は全体的に余貴美子に助けられて成り立っているんだな、とも思った。「エルメス食べちゃおうかと思うの」ってセリフも、 この人の口から発せられると納得できてしまうし、倫子に宛てた手紙では思わず泣いてしまった。ルリコがこの人じゃなかったと 思うとゾッとするよ。

で、その気になったところというのはフルーツサンドのくだり。ここからは見た人にしか分からないように書きます。
何でああいうことがあったのに最後ちゃっかり彼女は一緒になって笑顔でお祝いしているのか。仲直りしたシーンってあったっけ?映画ではカットしちゃったのかなぁと思って原作を読んでみたら、相手が同級生じゃなくてオッサンだった・・・(苦笑)どうしてそこを原作と変えちゃったんだろう。他に若い女の子のキャストも入れなきゃっていうのなら、ちゃんとフォローを入れるように書き換えてほしかったな。
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ラブリーボーン('09アメリカ=イギリス=ニュージーランド)-Feb 7.2010
[STORY]
14歳の少女、スージー・サーモン(シアーシャ・ローナン)は、ある日近所の男ハーヴィ(スタンリー・トゥッチ)に殺されてしまう。自分が死んだことを理解していなかったスージーは、探し回る父ジャック(マーク・ウォールバーグ)に声を掛けても答えてもらえずにようやく自分が死んだことを知る。天国の入口にたどり着いたスージーだったが、まだ遣り残したことがたくさんあるとその場にとどまる。
一方、娘が行方不明ではなく殺された証拠が出たことからジャックは犯人探しを始め、刑事を困らせる。母のアビゲイル(レイチェル・ワイズ)はそんな夫を見ていられず、家を出てしまう。
監督&脚本ピーター・ジャクソン(『キング・コング』
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原作はアリス・シーボルドの同名小説。製作総指揮はスティーヴン・スピルバーグで、脚本はジャクソンとともに『ロード・オブ・ザ・リング』や『キング・コング』の脚本と同じくフラン・ウォルシュとジャクソンの妻フィリッパ・ボウエンが担当。第82回アカデミー賞の助演男優賞にトゥッチがノミネートされた。

原作未読なんだけど、見る前までは『シックス・センス』みたいに、スージーは死んだ後も家族の前に現れて自分に何が起きたのかを訴えたりするのかと思っていた。直接現れることはなくても、家族にヒントやメッセージを与えて犯人を捕まえてもらおうとするのかと。でも実際はスージーは天国の手前にいて、家族のことを見ることはできるが話しかけたりすることはできない。そして家族もスージーには気付かないという設定だった。
それからタイトルの『ラブリーボーン』というのは、原作ではスージーの肘の骨も帽子と一緒に見つかり、このタイトルに繋がっていくらしいが、映画では骨は発見されず、映画だけを見た人は何のことだか分からないことになっている。私も分からなくて調べました。何でそうしたのかねえ。

最初はスージーのいる天国と、家族の様子を描くパートとを交互にバランス良く描いていたが、スージーを殺した犯人の顔がはっきり見えたあたりから彼が物語の中心に来てしまい、スージーも家族も脇に追いやられてしまったように私は感じた。確かにトゥッチの演技は周りを食ってたよ。いやらしくて憎たらしいが目が離せなかった。そしてジャクソンもまた彼を撮っている時が一番楽しかったんだろうな。見てるこっちも正直面白かったです(笑)1970年代のアメリカといえばジェフリー・ダーマーやテッド・バンディ、ジョン・ゲイシー(スティーヴン・キングの『IT』のモデル)など、多くのシリアルキラーが登場した時代。物語の時代設定を1970年代にしたのもそのためだろう。私は某仰天ニュースなどで彼らが取り上げられる時は夢中で見てたから、本作でのハーヴィのパートも、スージーや家族の悲しみを忘れて楽しんで見てしまったところもある。それにしても、今はどうか知らないけどこの時代は危うくなったら州を越えてしまえば逃げ切れたんだねぇ。だから大量殺人が多かったのかもしれない。

シアーシャ・ローナンはとても透明感のある可憐な子で、死んだ後の幻想的な世界の美しさとぴったり合っていたし、死ぬ前の生き生きとした姿もとても良かった。今後も私の好きそうな作品に出演するようで楽しみ。お願いだからその透明感は失わないでね(念)
上に書いたようにハーヴィのパートにウェイトを起きすぎたせいか、父親はともかく母親の存在感が希薄だった。気がついたら家出していたって感じ。せっかくレイチェル・ワイズをキャスティングしたのにもったいない。まだ祖母のリンを演じたスーザン・サランドンのほうが目立ってた。後で知ったけどリンはアビゲイルの母なのね。嫁姑問題もあって家を出たのかと思ってた(苦笑)アル中気味の母親と真面目な娘の関係も複雑そうでいろいろあったと推測されるが、映画では全く語られなかったな。
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インビクタス/負けざる者たち('09アメリカ)-Feb 7.2010
[STORY]
1990年の南アフリカ。27年間投獄されていたネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)が釈放され、1994年に大統領に就任する。しかしアパルトヘイト撤廃後も白人と黒人の人種対立は解消されず、白人中心に組まれたラグビーの代表チームは黒人に全く人気がなかった。翌年に自国開催されるワールドカップも、このままでは失敗してしまう。そう危惧したマンデラは代表チームのキャプテン、フランソワ・ピナール(マット・デイモン)を官邸に招いて激励し、チームで黒人の少年たちにラグビー教室を開くよう指示する。チームは次第に人気が上がり、大会でも予選を勝ち抜いていく。
監督クリント・イーストウッド(『グラン・トリノ』
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原作はジャーナリストのジョン・カーリンの同名ノンフィクション。
第82回アカデミー賞の主演男優賞にフリーマン、助演男優賞にデイモンがノミネートされた。

ネルソン・マンデラのことはもちろん知っていたけど、ラグビーのワールドカップについての話は恥ずかしながら全く知らなかった。1995年って、私もう社会人だったのに・・・。まぁラグビーはルールもよく分からないし、実は試合もちゃんと見たことなくて。この大会に日本は出場していたらしいが全敗で(アジアで唯一出場しているのがすごいと思うが)ニュージーランドのオールブラックスに17-145と、1試合最多失点の大会記録を作っちゃったそうだ(この話は映画の中でもセリフで出てきて、このとき劇場は苦笑で包まれた)勝ったりイイ線まで行っていれば大きく取り上げられただろうが、そうじゃなければラグビーを好きな人以外は注目しないものね。

そんなわけで詳しいストーリーは分からないまま見たけれど、予告や宣伝の時点でこの大会で南アフリカが優勝したということは知ってしまっていたので、感動しないわけないだろうな、と。だから新鮮な驚きはなかったけど、途中でドキッとさせられるシーンを挿入していたり、思わずニンマリしてしまう面白いところもあって、さすが飽きさせることはない。それにマンデラの言葉にはいちいち納得させられ、最後はやっぱり感動して思わず涙が出た。でもエンドクレジットの歌が「ワールド・イン・ユニオン」なのはちょっとクドイかな。南アフリカの国歌をフルで聞きたかった。

マンデラの言葉以外で印象に残ったのは、ニュージーランドのオールブラックスが試合の前に先住民族マオリ族の踊り、ハカを選手全員がやるシーン。これをわざわざ観客に見せたのは、ニュージーランドはマオリ族でない白人選手も一緒になってハカをやっている、南アフリカの選手も白人と黒人がわだかまりなく、このような一体感がを見せてほしい・・・という願いを込めているように感じた。
スプリングボクスはこのあと2007年でも優勝し、現在の監督は黒人なのだそうだ。選手が並んでいる写真を見ると、まだまだ白人のほうが多いが、黒人選手もこの当時より増えているようだ。そして2019年は日本でワールドカップが開催されるそうなので、これからはラグビーも注目してみよう。
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Dr.パルナサスの鏡('09イギリス=カナダ)-Jan .2010オモシロイ★
[STORY]
2007年ロンドン。パルナサス博士(クリストファー・プラマー)率いる旅芸人の一座が、自分の願望を反映した世界を見ることができるという不思議な鏡を紹介していた。だが、そんな怪しげなものに興味を持つ客などはおらず、警察沙汰になることもあった。そんな時、一座は橋の上から吊るされていた男(ヒース・レジャー)を助け出す。彼は記憶を失っていたが、巧みな話術で女性客たちを虜にし、次々と鏡の中へ誘っていく。博士の娘ヴァレンティナ(リリー・コール)もまた、彼に恋するようになる。
監督&脚本テリー・ギリアム(『ローズ・イン・タイドランド』
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本作は2007年12月にクランクインしたが、撮影途中でヒース・レジャーが急逝。一時は完成が危ぶまれたが、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が鏡の中の世界に入った時のトニーを演じることとなり、撮影が再開され完成した。

ギリアムの前作『ローズ〜』が個人的にモヤモヤする話だったので、本作もレジャー最後の出演作品ということで話題にはなったけど、内容はあまり期待せずに見た。いや、これは面白かった!
ストーリーもギリアム作品にしては分かりやすく、かといってギリアムの良さを損ねることなく(『ブラザーズ・グリム』は分かりやすかったけど良さが損なわれていた)抽象的で童話のような展開の中にも、しっかりメッセージが伝わってきたし、結末も納得で見終わってスッキリ。映画の始まりはちょっととっつきにくく、パルナサス博士の過去が明らかになってようやく全体像を見えるといった感じだが、理解してしまえばあとは映画の中にハマってしまえる。
生きていく中で発生するさまざまな岐路で正しい選択ができるかどうか、そこで一度誤った選択をしたとしても、そこから正しい道へ歩めれば幸せはつかめる、というもの。パルナサス博士は悪魔のMr.ニック(トム・ウェイツ)に何度も人生の選択を迫られ、どんどん身を持ち崩していくが、幸せな時もあったし、人を幸せにしたこともある。そして弟子のパーシー(ヴァーン・J・トロイヤー)はいつも博士とともにいる。最後はちょっと涙が出ちゃった。

そのパーシーは辛辣だけど博士を尊敬しててキュンときたし、衣装がまたすっごい可愛いかった。おさるさんの着ぐるみ姿とかもう・・・(ミニ・ミーの時よりカワイイ)博士が日本の半天を羽織って登場するところもそのシーンだけは衣装に釘付けでした(笑)第82回(2010)アカデミー賞の衣装デザイン賞にノミネートされているので、受賞すると嬉しいなぁ。

ヒース・レジャーの代わりに3人の役者が演じたのは、映画としては実に効果的だった。トニーという記憶をなくした謎の男には女性を惹き付ける魅力があるが、お金にルーズだったりあくどいことをしていたという裏の顔があって、そういう別の面を違う役者が演じたことでトニーという人物により厚みが出たと思う。ヒースがすべて演じたのも見たかったけどね・・・。
それにしてもジュード・ロウもコリン・ファレルも演技がジョニー・デップのモノマネみたいになってて(笑)いい意味でも悪い意味でもすっごい濃い役者なんだなージョニデさんは。
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