Movie Review 2007
◇Movie Index

叫(さけび)('06日本)-Feb 25.2007
[STORY]
埋立地で若い女の溺死体が見つかった。刑事の吉岡(役所広司)は事件の捜査を始めるが、被害者から自分の指紋が見つかったり現場に自分のものと思われる服のボタンも見つかり、いつしか「自分が犯人ではないか」と思い始める。そんなある時、吉岡は事件現場で女の叫び声を聞き、赤い服を着た女(葉月里緒奈)を目にする――。
監督&脚本・黒沢清(『LOFT ロフト』
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プロデューサーは『リング』などを製作した一瀬隆重。第63回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門出品作品。

『LOFT』が何だこれー?!な作品で、本作も最初に幽霊の登場したとき『LOFT』とそっくりだったので、また同じような映画なのかと不安になったが、『カリスマ』『回路』を思い起こさせる映画だった。ただ似てはいるけれど、21世紀に入ってからの作品は『アカルイミライ』もそうだけど、『カリスマ』や『回路』と明らかに違うと感じる部分がある。『大いなる幻影』『カリスマ』『回路』は世紀末がやってくることへの不安が描かれていて、映画で描かれたような出来事が世界中で起きているように見えた。だが『アカルイミライ』と本作の出来事は日本だけで起きていて、他の国では起きてないような事――。日本人が今まで見て見ぬふりをしてきた歴史で生じた歪みを表しているようで、世紀末の不安よりももっと恐ろしく見えた。これからの作品でそれらはもっと顕著に描かれるのではないだろうか・・・そう期待してしまう。なーんて、単に『リング』のプロデューサーだから似たような作品になっただけかも(笑)

見てて確信したのは、やっぱり黒沢作品には役所広司がぴったりだということ。不条理な世界へ嵌り込んでしまった男の不安と苛立ち、怒りをリアルにストレートに表現できて、観客をイラつかせるのが上手い。日本を造ってきた男の代表として責任を取るべき人間にも見える。彼が主人公だからこそ常にああいうクライマックスなのかもしれない。

改めて思ったことだけど“叫”という漢字の形って怖いのね。ムンクの『叫び』のように、口を空けて手で耳を塞いでいるようだ。
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ドリームガールズ('06アメリカ)-Feb 17.2007
[STORY]
1962年アメリカ、デトロイト。新人オーディションに出場したディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)、ローレル(アニカ・ノニ・ローズ)、エフィー(ジェニファー・ハドソン)の3人は、中古車販売会社を経営するカーティス(ジェイミー・フォックス)から、人気スターのジェームズ・アーリー(エディ・マーフィ)のバック・コーラスをやらないかと誘われる。ツアーに参加するうち人気が出てきた3人をカーティスはデビューさせようとする。そしてリードボーカルを歌唱力のあるエフィーから、美人のディーナに交代させてしまう。“ザ・ドリーム”としてデビューした3人は爆発的に人気が出る。
監督&脚本ビル・コンドン(『愛についてのキンゼイ・レポート』)
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マイケル・ベネット演出・振付の大ヒットミュージカルの映画化。フィクションだが、1960年代に大活躍したザ・シュープリームスがモデル。ディーナ・ジョーンズはダイアナ・ロス、カーティス・テイラーJr.はベリー・ゴーディJr.と名前も似ている。ジャクソン5そっくりのグループも登場する。
第79回アカデミー賞の助演女優賞(ハドソン)と音響賞を受賞した。

ステージで歌うシーンが多かったのでミュージカル映画ということをついつい忘れてしまう作品だった。ステージでのシーンは抜群に上手い歌と綺麗な衣装とパフォーマンスで、見てて本当に楽しめた。けれど逆にステージで歌う時以外の歌シーンがショボく感じてしまった。みんながエフィーを説得するところやエフィーがみんなから見捨てられるところなどでのカメラワークが単調で、せっかく歌い上げてるのに見てて飽きてしまう。映像としての面白みがまるでないせいだ。

飽きてしまうといえば、ハドソンの歌も・・・。絶賛されている彼女の歌だけど、私はあんまりいいと思わなかったなぁ。声量があって上手いが声質が好みじゃないので、3人で歌っている時の彼女はとても良かったけどソロで聞くとキツイ。ビヨンセのほうがいつまでも見ていたい、聞いていたくなる。声が柔らかくて表現力があるし、彼女のルックスの良さもやっぱり関係あるかも(笑)最初にディーナが出てきた時はただの田舎娘だったのが、どんどん洗練され綺麗になっていくところがワタシ的に一番の見どころでした(笑)特に写真を撮られるシーンでは溜息が出るほど美しくて、カーティスがまぶしそうに彼女を見つめるところも印象的だった。

ステージ以外での歌がいまいちと書いたけど、ストーリーもやや説明不足で唐突に感じるところがかなりあった。いつのまにかエフィーとカーティスが恋愛関係になっていたかと思うと、またいつのまにかカーティスとディーナがそういうことになっていたり。人の動きがみんな「いつのまにか」変わっているので、ドラマを楽しみたい人には物足りないかもしれない。
でも当時の音楽業界について描いているところは面白いと思った。メジャーになる前、カーティスは白人たちに曲をパクられたり曲をラジオで流してもらえなかったりして苦渋を舐めたのに、売れてからはそれをすっかり忘れたかのように歌を出したエフィーに同じことをしてしまう。白人に対して憤っていた彼が、白人と同じ手を使ってしまうという皮肉・・・。また、どう考えてもヒットしなさそうな企画(ディーナがクレオパトラを演じる映画で、ダイアナ・ロスの『ウィズ』を髣髴とさせる)にカーティスが熱心になるところも何だか可笑しくてね。映画では損な役回りだったけど、カーティスが築いた新しい音楽の流れについては賞賛されて然るべきだっただろう。
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善き人のためのソナタ('06ドイツ)-Feb 11.2007ヨイ★
[STORY]
1984年東ドイツ。国家保安省《シュタージ》局員のヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)は、劇作家のドライマン(セバスチャン・コッホ)と恋人で舞台女優のクリスタ(マルティナ・ゲデック)が反体制的である証拠を掴むよう任命を受ける。ヴィースラーは2人の住む部屋に盗聴器を仕掛け、24時間体制で監視していくが、次第に彼らの影響を受けていく。一方ドライマンは友人の自殺を機に、東ドイツの実情を西ドイツ側に訴えようと計画する。
監督&脚本フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク(短編を経て長編初)
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1989年のベルリンの壁崩壊より5年前の旧東ドイツの国家保安省“シュタージ”の内幕を描いた作品。監督は取材に4年を費やし、旧シュタージ本部でも撮影されたという。また、主演のウルリッヒ・ミューエもシュタージュによる監視を受けていたという。しかも所属していた劇団の4人の俳優が監視者だったり、結婚していた妻がシュタージに情報を流していたという。事実のほうが凄いかも。ちなみに『青い棘』のアンナ・マリア・ミューエはその元妻とミューエの娘。
第79回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート。

映画の宣伝では「善き人のためのソナタ」という曲(これは映画オリジナルの曲)を聴いたヴィースラーが心を掻き乱され変わっていくということだったが、本編を見るとそれは一部に過ぎないと分かる。ヴィースラーはドライマンの芝居、厳密に言うとクリスタを見た瞬間からすでに揺らぎ始めていた。さらに芸術に触れたからだけではなく、大臣に媚を売る上司や特権を使ってクリスタに手を出す大臣を目の当たりにし、忠誠を誓った社会主義に疑問を持つようになったことも大きい。最初は興味本位でドライマンたちを監視しはじめたヴィースラーだったが、身体にチクリと開いた針穴くらいの穴が次第に大きくなっていくのを感じ、今まででは考えられないような行動を取るようになる。
そのヴィースラーの心の動きを、じっくりと丹念にミューエが見せていく。彼が演じたヴィースラーだったからこそ、この映画が成り立ったと言っても言い過ぎじゃないと思う。ストーリーや演出には多少疑問が残るものがあったが、彼の存在感が細かいところを忘れさせてくれた。

とはいえ、ヴィースラーがソナタを聴いて泣くシーンが意外にアッサリしていたのが物足りないと思ったし(原題は『DAS LEBEN DER ANDEREN(他人の生活)』だからソナタを前面に押し出した日本の配給会社がいけないんだが)大事件を引き起こしたドライマンやヴィースラーに対してそんな中途半端な対処でいいのか?と疑問に思ったり、ラストがあざといといえばあざといのだが、それでもやっぱり泣いてしまった。ここでのヴィースラーの表情がまたいいのね。泣かせるだけじゃなくて、ヴィースラーの後ろで働く男性に気付いた時や、壁崩壊後にドライマンが自分の資料の膨大さに驚くところでは思わず笑ってしまった。笑ってしまったけど、当人たちにとってはちっとも笑えない出来事だったんだよね・・・。
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華麗なる恋の舞台で('04アメリカ=ハンガリー=イギリス)-Feb 11.2007オモシロイ★
[STORY]
1938年ロンドン。人気実力ともにトップの舞台女優ジュリア(アネット・ベニング)は、休みなく舞台に立ち続ける毎日に苛立ち、演出家の夫マイケル(ジェレミー・アイアンズ)に不満をぶつけていた。そんなある時、ジュリアはマイケルの知人のアメリカ人青年トム(ショーン・エヴァンス)と恋に落ちる。しかしトムが若い女優とも付き合いはじめ、彼女をジュリア主演の芝居に出して欲しいと頼んできた。ジュリアはそれを承諾するが・・・。
監督イシュトヴァン・サポー(『太陽の雫』)
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原作はサマセット・モームの『劇場』
第62回ゴールデン・グローブ賞コメディ/ミュージカル部門で主演女優賞を受賞、第77回アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされた。

『ガラスの仮面』好きにはたまらん映画でした(笑)まるで「カーミラの肖像」で姫川亜弓が乙部のりえをギャフンと言わせた時みたいな感じ(←そんな一部の人にしか分からない喩えは)『ガラスの仮面』を知らずとも、舞台好きな人は楽しめるだろう。

変わった演出などない映画だと思って見始めたら最初からびっくり。ジュリアの演劇の師ジミー(マイケル・ガンボン)があらゆる場所に現れ、彼女を激賞したり叱咤する。ところかまわず現れる彼は一体?!と戸惑っていると、彼は15年前に既に亡くなっているのだが、ジュリアの中ではいつも彼からうけた指導が甦ってくるようだ。はっ!『ガラスの仮面』でマヤが月影先生の言葉を思い出すのと一緒ね(←だからそんな一部の人にしか分からない喩えは)

ジュリアは名実ともに一流の舞台女優で、家族にもスタッフにも恵まれ何不自由ない生活を送っているのだが、今が人生の頂点と分かっているからこそ、現状維持することの難しさを分かっているし、落ちることを恐れている。だがプライドが高いので弱さを見せられず、私生活でも演じることで乗り切り、周りの人々も、家族でさえ彼女を女優として扱っている。だから若い男からの熱烈なアプローチに心を動かされてしまったのだろう。時に身勝手だったりワガママを言ったりしても、そんな彼女の気持ちが分かるのでむしろ応援してしまった。ちょうどジュリアの付き人エヴィーになったつもりで見てたかも(笑)振り回されて大変だけど憎めない人だなぁって。演じたジュリエット・スティーヴンソンがまた上手い人で、地味な役だが彼女は本作になくてはならない存在だった。

1つ気になったのは、トムはアメリカ人という設定なんだけど演じているエヴァンスはイギリス人。彼がイギリス人と知ったのは見終わってからだけど、見てる最中から彼ってホントにアメリカ人?って疑問だった。顔や雰囲気がイギリス人らしかったし他のイギリス人俳優たちに混じってても違和感なかったし。『ゴスフォード・パーク』のライアン・フィリップみたいに、毛色の変わったのが混じっちゃいました、という雰囲気を持っている人を出すべきだったのでは?もしくはエヴァンスを起用するなら原作通りイギリス人でよかったんじゃないかな。なぜアメリカ人という設定にしたのだろう。ストーリーだってアメリカ人じゃなくても全く問題なかった。イヤな役だからアメリカ人にしちゃった?!
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墨攻('06中国=日本=香港=韓国)-Feb 4.2007
[STORY]
紀元前370年頃。趙と燕の国境にある粱が、趙から攻撃されようとしていた。巷淹中(アン・ソンギ)率いる趙の兵士が10万に対し粱はわずか4千。そこで墨家の救援を求め、革離(アンディ・ラウ)がたった1人でやってくる。そして早速趙の先遣隊を退却させた。粱王(ワン・チーウェン)は革離に兵の全権を与え、革離は城を守る準備を始める。
監督&脚本ジェイコブ・チャン(『流星』)
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原作は酒見賢一の同名小説で、それを森秀樹が漫画化。映画ではこの2人に加え漫画脚本協力で久保田千太郎の3人の名がクレジットされている。香港、中国、韓国の俳優が出演し、北京語を話せない役者は吹き替え。日本からは撮影監督に阪本善尚、音楽に川井憲次が担当している。

予告を見た時にかなり面白そうに見えたし(某モンゴル合作映画の予告のショボさと比べ素晴らしく見えたのかもしれないが)『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』の影響かどうか知らないが最近やたらと多い城攻めシーンにも興味を持ったので見てみた・・・予告の作り方が上手い!(笑)本編はテーマや粗筋は悪くないけど大雑把な映画だった。

大雑把に思った理由は後に書くけど、作品そのものは無常観たっぷりという印象。実は私が予想していたストーリーは、大勢の敵に対し、少ない人数ながら知略を駆使して相手をボッコボコにし(←シャレか)勝利した人々が喜ぶ中、革離がひとり国を後にする――というのを想像してたわけ。実際はそんな単純なものじゃなく、やりきれない思いを抱えたまま劇場を後にしすることになったが、落ち着いて振り返ってみると、歴史とはこういうことの繰り返しなのだね。奢れる者は久しからず、だ。兵の数が少ない粱を応援しつつも粱王のふてぶてしさを憎らしく思い、趙の巷淹中の高潔さに痺れたり。何より革離が良かった。アンディ・ラウはどちらかというと苦手なタイプなんだけど、本作ではストイックで素敵でした。相変わらずこういうタイプに弱いぞ自分(笑)

原作既読が前提なのかもしれないけど、未読な自分にとってはストーリーがブツ切で疑問符が付くところがいっぱいだった。例えば
革離が粱適を人質に取った後のシーンで?(牛将軍おかしいよ!)
革離と農民たちが趙の料理で敵をおびき出すシーンで??(その後どうしたのよ)
偵察に行った彼(名前失念)が逸悦に靴を落とすがその後で???(伏線潰しまくりでは)
てな感じ。深く考えると映画に集中できなくなってしまうのでどんどんスルーしたけど、作った人たちはちゃんと完成作品を見直したんですかね。映像も急にスローモーションを使ったり劇画のように加工したりして、カッコ良さげなことをいろいろやってみました、にしか見えない。ま、監督が香港の人だからしょうがないかー(ってかなり失礼)

今後の革離の物語は見てみたいので、続編があればまた見ます。今度はあまり過度な期待はせずに・・・。
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