Movie Review 2005
◇Movie Index

ゴールと口紅('05マレーシア)-Oct 22.2005
[STORY]
お洒落することと、フットサルチームに入っている彼氏のエディに尽くすことしか興味のないプトゥリ(ヌー・ファズラ)は、ある日エディに振られてしまう。 彼は何と女子フットサルチームのシャシャという女の子と付き合っていたのだ。プトゥリはエディを見返そうと自分もフットサルを始めるが、次第にフットサルの面白さに目覚めていく。
監督ベルナール・チャウリー(インディーズ出身)
−◇−◇−◇−
第18回東京国際映画祭「アジアの風」部門出品作品。マレーシアで大ヒットした。

ストーリー展開はありがちだけど私はこの手の作品が好きだし、マレーシアの映画は見たことがなかったので選んでみた。ほぼ想像通りで楽しめた。が、おおまかな流れが『キューティー・ブロンド』と見事なまでに同じ。ファッションにしか興味のなかった女の子が彼に振り向いてもらうためにフットサルを始めるが、彼に同じ趣味の彼女ができてショックを受けたり、フットサルを始めたプトゥリに別の男性が協力してあげたことから2人が仲良くなったりと、そんなところまでソックリ。ひょっとしてパク・・・いやリスペクトしてる?
でもその中で1つヘビーなエピソードがあって、これには驚いてしまった。マレーシアで問題になっているのかな・・・。だけど最後にその問題に立ち向かうと決めるシーンがあって、そこが良かった。だいたいクライマックスは主人公がキメるものだけど、その問題を抱えた人がキメたことで重さを吹き飛ばしてくれた。

正直フットサルの面白さは伝えきれなかったと思う。試合シーンの見せ方は上手くないし、ジョギングや練習シーンにしてもユルくて懸命やってるように見えない。スポ根とまでいかないまでも、きちんと見せてほしかったし『ベッカムに恋して』のようなプレイを多少期待してたんで(本作中、この映画のことを言うシーンがあるのだ)そこはあまり楽しめなかった。CGを使って誤魔化すよりはいいけどね。

それと練習するシーンや、みんなでおしゃれするシーン、それぞれが悩むシーンなどでバックに歌を流しながら見せるのが多く、最初は良かったけど、そればっかり見せられるうちにPVを見てるようで見飽きてしまった。悩むシーンで使うのは効果的だけど、あとは普通に見せるべきだったんでは。

余談だけど、シャシャ役の子が牧瀬里穂を恐ろしくしたような子で、普通にしていれば美人なのに、プトゥリにライバル心を燃やして睨みつけるとやたら怖かったっす。『キューティー・ブロンド』ではエルとヴィヴィアンが仲良くなったけど、本作でもプトゥリとシャシャが仲良くなって欲しかったな。
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この胸いっぱいの愛を('05日本)-Oct 8.2005
[STORY]
2006年1月。鈴谷比呂志(伊藤英明)は、20年前祖母に預けられていた九州の門司へ出張でやってくる。懐かしさのあまり当時住んでいた旅館を訪ねた比呂志は、そこで9歳の自分と出くわす。何と知らないうちにタイムスリップしていたのだ!呆然とする比呂志だったが、ちょうどこの日、自分が旅館の台所でボヤを出してしまったことを思い出し、急いで火を消す。それがきっかけになり、比呂志は旅館に住み込みで働きはじめる。そして音大を卒業し実家に戻ってきていた比呂志の初恋の人、和美(ミムラ)と再会する。
監督・塩田明彦(『カナリア』
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原作は梶尾真治の『クロノス・ジョウンターの伝説』さらに主題歌も柴咲コウなので『黄泉がえり』の二番煎じといえばそうなんだけど、思ったよりも良かった。泣いた回数はこっちのほうが多かったほど。
どちらの映画も“自分のところに死んだ人がよみがえって現れたら”とか“後悔していたことをやり直せるとしたら”という、ありえないけど実際に直面したら自分ならどうするだろう?という想像をかき立てられる設定なので、私は無意識のうちに自分を重ね合わせて見ては涙を流してしまうようだ。冷静に距離を置いて見てみると粗は目立つし、すごく面白いわけじゃないんだけどね。

『黄泉』は現象の規模が大きすぎて政府が動くほどの出来事だったのにそれがおざなりになってしまったし、主人公2人にもっと焦点を当てて欲しいと思ったし、コンサートシーンが取ってつけたような設定だった。そういう批判があった点を本作ではかなり注意したな、と思った。ストーリーは比呂志と和美中心だし、同じように(クラシックの)コンサートシーンがあるけど、こちらは2人にとってちゃんと意味のあるものだった。

ただ、最後の数分のシーンはいらなかったな。その前のミカンを拾うところで終わりにしてほしかった。あのシーンの、特にモノローグを聞いてズキリとした。生きていくってことは結局はそういうことなんだろうと気付かされた。確かにあまり後味は良くないけれど、そこで終わったほうが後になってもずっと心に残る映画になったと思う。それなのに次のシーンで台無し。ひどすぎる。監督はミカンのところで終えたかったらしいが、プロデューサーの平野隆氏(←名前挙げてやる)が最後のシーンを入れるよう説得したようで・・・余計なことして。ただ彼は『害虫』のプロデューサーでもあったので、ああいうラストが嫌いなわけではなさそう。メジャー作品らしいエンディングということを考えたのかもしれない。こうなったらディレクターズカット版を出しましょうよ。

ミムラの演技をちゃんと見るのは初めてなんだけど、なかなか良かった。病気の演技はいまいちだったけど、スネた演技はかなり・・・だからミムラなんですかね(笑)プライベートネタでちょくちょく騒がれる伊藤英明が一途な役というのは最初は違和感あったけど、9歳の自分と仲良くなっていくところが微笑ましくてイイ奴だなと思うようになった。勝地涼は子役の時のほうが上手かったような気がする。今回の役は特に彼に合ってないように感じた。倍賞千恵子はさすが。一番泣きました。あと宮藤官九郎と中村勘九郎(今は勘三郎)の共演は絶対狙ったでしょうね(笑)
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シン・シティ('05アメリカ)-Oct 1.2005
[STORY]
罪の街“シン・シティ”で3人の男たちが愛する女を守り抜く――。
醜い容姿のマーヴ(ミッキー・ローク)に初めて愛をくれた高級娼婦ゴールディが殺された。マーヴはゴールディの双子の妹とともに復讐を誓う。
殺人犯のドワイト(クライヴ・オーウェン)は恋人シェリーにつきまとう男を尾行するうち、ドワイトの昔の恋人ゲイルが仕切っている娼婦街でトラブルに巻き込まれる。
刑事のハーティガン(ブルース・ウィリス)は幼女暴行魔から少女ナンシーを救った。しかし男の父親が議員だったため罪を着せられ投獄される。8年後、出所したハーティガンは19歳になったナンシー(ジェシカ・アルバ)を再び守るため最後の戦いに挑む。
監督ロバート・ロドリゲス&フランク・ミラー(ロドリゲス:『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』
−◇−◇−◇−
原作はフランク・ミラーの同名コミックで、本作はそのうちの「ハード・グッドバイ」「ザ・ビッグ・ファット・キル」「ザ・イエロー・バスタード」の3作と「ザ・カスタマー・イズ・オルウェイズ・ライト」が挿入されている。
本作を製作するにあたってロドリゲスはミラーを共同監督に迎い入れようとするが、ミラーがアメリカ監督組合に入っていなかったことと、監督は1作品に1人という取り決めがあったため組合は規約違反だとクレームをつけた。するとロドリゲスは組合を脱退してしまったという(今後メジャー作品は撮れない)
当初映画化を拒否していたミラーもロドリゲスの熱意に打たれ監督を快諾。「ハード・グッドバイ」では聖職者役で出演もしている。すでにパート2の製作は決定し、パート3の構想まであるそうだ。
さらにロドリゲスの盟友クエンティン・タランティーノが『キル・ビル Vol.2』の音楽をロドリゲスがたった1ドルで引き受けてくれたお礼に、本作の「ザ・ビッグ・ファット・キル」の一部をギャラ1ドルで監督している(タランティーノは組合に元々入ってないらしい)

原作は読んでないけど、まさに動くアメコミという感じだった。ほぼ全編モノクロで、ところどころに赤や黄色が使われている。これがカラーだったらキツかっただろうな。首を切り落としたり血が吹き出るシーンがあっても目をそむけずに見れるし、あまりにもバンバン人が死ぬので何も感じなくなってくる。完全にマンガとして見れた。殺すシーンよりもかえって便器に顔を突っ込まれるシーンや、手を食べられたと訴えるシーンのほうが見ててキツかった。

3作はそれぞれ独立したストーリーで主人公3人が会話をするシーンはないけれど、映画を見ていくとある時間に3人が同じ店にいたというのが分かるようになる。また、前のエピソードで死んだ人物が次のエピソードでは生きていたりとタランティーノの『パルプ・フィクション』のような構成になっていて、この手の時系列をバラバラにする映画が私は大好きなので楽しめた。ちなみにウェイトレスのシェリー(ブリタニー・マーフィー)だけが3つのエピソード全てに出演している。

ただ、表面的なカッコ良さを楽しんだだけで、残念ながら3人の“愛”というやつはあまり感じることができなかった。それと一番の悪者(?)であるロアーク上院議員を殺して終わりだと思っていたので、そこまで行かずに終わってしまったのがスッキリしなかった。パート2や3でカタがつくんだろうか。ま、いくら悪者を殺そうが次にまた別の誰かがその頂点に立つわけで、この街の者は誰も平和なんか望んじゃいないし、いいことをしようなんて思ってもない。暮らすにはものすごくリスクの高い街だけど、代わりに快楽を満たすことができる(いつ殺されてもおかしくない、というスリルを愉しんでいる者もいるかも)だからこの街のにぎわいは絶えないんだろう。・・・実際にあったらイヤな街だけど(笑)
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旅するジーンズと16歳の夏('05アメリカ)-Oct 1.2005
[STORY]
生まれた時から仲良しの4人の女の子が、16歳になって初めて別々に過ごすことになった。夏休みの前日、4人は古着屋で1本のジーンズを見つける。そのジーンズはなぜか体型がバラバラの4人全員にぴったり合う不思議なジーンズだった。そこで4人は夏の間、このジーンズを1週間ずつ順番に履くことに決める。
監督ケン・クワピス(『バイブス秘宝の謎』)
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原作はアン・ブラッシェアーズの『トラベリング・パンツ』で、小説のほうは続きがあって『セカンドサマー』『ラストサマー』とシリーズは全3作出版している(今のところ未読。読んでみようかな)

祖父母のいるギリシャで祖父と敵対する一族の青年と恋に落ちるリーナ(アレクシス・ブレデル)、母親を亡くした悲しみを忘れるためにサッカー合宿中にコーチにアプローチするブリジット(ブレイク・ライブリー)、離婚した父に会うのを楽しみにしていたカルメン(アメリカ・フェレーラ)は父の再婚を受け入れられず、1人地元に残ってスーパーでバイトをしながら映画を撮っているティビー(アンバー・タンブリン)は病気の少女と出会う。性格もルックスもバラバラな4人の間を、1本の不思議なジーンズが旅をする。

ジーンズは4人の間をひとまわりするだけだと思っていたら、もう1周するんだよね。最初にジーンズを手にした時は彼女たちの新しい出会いのきっかけを作り、2回目に手にした時は出来事の決着をつけてくれる。もっとちゃんと穿いてるところが見たかったし、ジーンズがきっかけを作る時のエピソードにヒネリが欲しいところもあったけど、2周目のところがどれも良かったので満足だ。それにしても1週間ずつを2まわりして、なおかつ輸送期間も入れるとずいぶん日数が掛かるのにまだ夏休み中だなんて・・・なんて羨ましい。

特に良かったエピソードはカルメンとティビーの話。カルメンのパートは演出しやすい話でもあるけど、1番しっかりと描かれていたし最後は泣いてしまった。ティビーのパートも病気の少女のキャラクターが素晴らしいし(入院生活が長いみたいで本から仕入れたらしい情報をたくさん知っていて聞き上手)彼女との別れでもやっぱり泣いてしまった。
逆にブリジットのエピソードは物足りない。母親の死に折り合いをつけるのに友人たちの助けだけじゃなく、父親の出番も必要だったのでは?リーナのエピソードも、祖父が嫌う青年の一族のほうが全く登場しないのがおかしいと思った。原作のパート2や3で描かれる話なのかもしれないけど・・・。
そうそう、見どころは彼女たちだけじゃなく風景もとても綺麗に撮られている。リーナが滞在するギリシャは本当に素晴らしくて、これだけでも見る価値あり。ブリジットの合宿地メキシコも美しいし、カルメンがいた新興住宅地もティビーのいる地元も居心地よさそうで住んでみたくなった。

できたら3部作すべて映画化してほしい。邦題は『〜17歳の夏』『〜18歳の夏』でいいよ(笑)キャストもぜひこのままでよろしく。
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NOTHING[ナッシング]('03カナダ=日本)-Sep 23.2005
[STORY]
自己中心的なデイブ(デビッド・ヒューレット)とひきこもりのアンドリュー(アンドリュー・ミラー)は9歳の時から親友同士で、小さな家に一緒に暮らしていた。しかしある時、デイブは横領容疑で、アンドリューは幼女暴行容疑をかけられ、さらに家の立ち退きを宣告される。パニックになった2人はそれらが消えてなくなればいいと念じた。すると本当に家の周りのものすべてが消えてしまった!
監督ヴィンチェンゾ・ナタリ(『カンパニー・マン』
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なくなって欲しいと願うものを消せるようになってしまった2人の男。最初は煩わしいものが全てなくなり自由を謳歌するものの、次第に2人の間に亀裂が入り、今度は相手の大事なものを消していってしまう。さらに自分の中の消したいもの(例えば空腹感だとか嫌な思い出など)も消していく。そんな2人に訪れる結末とは・・・?
というストーリーで、焦点を絞って突き詰めていけば興味深いテーマなんだけど、実際の映画はかなりふざけた遊びの部分が多く、せっかくのいい発想を無駄にしてしまったように感じた。

確かにヴィジュアルも見たことがない。真っ白い、いや、下からだと靴の裏が見えるシーンもあるから透明?な世界で、地面はトランポリンのように跳ねる。白いから歩いても歩いても移動してないように見えるけど、周りに置かれたものが少しずつずれていくのが分かる。CGを使ってるんだろうけど、それでも一体どうやって撮影したのか撮影風景を見てみたくなる。不思議で珍しい映像に驚かされた。

それより面白いのは2人の関係が変わっていくところ。自分の弱みを消したアンドリューはデイブと対等に話すようになり、顔つきまで変わってしまう(彼が『CUBE』で障害者を演じていた人と同一人物とは気がつきませんでした)特に印象深いのは、アンドリューがデイブに対する怒りについては「消したくない」と言うところだ。デイブがその記憶を消してしまえと詰め寄るのだが、嫌なことだけど覚えていたいと拒否するのだ。確かに覚えていたい嫌なことってあるんだよね。監督は本作を自伝的な話だと言ってるが、それはこういうシーンのことなのかもしれない。『CUBE』もだんだん人間の本性が見えてくる映画だったけど、こちらもそう。いつも設定は突拍子もないけれど、人間の見えなかった部分を見せるのは上手い監督だと思う。だからこそ長いおふざけ部分が惜しい。

2人のおバカぶりを楽しめれば気にならないだろうけど、クドイと感じるとたった89分の作品でもえらく長く感じてしまうだろう。ネタ的には『世にも奇妙な物語』みたいなもんだし、60分くらいでいい。エンドクレジット後に続編に繋がるシーンがあり(あれで終わりだと単にネタ投げっぱなしだもんね)そのタイトルは『SOMETHING』らしいが、そっちとあわせて1本の映画にしたほうが良かったのではないかな。
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