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■これまでの活動の記録

署名提出から重監房資料館設置までの経緯等について(※部分)は、鮎京眞知子さん(ハンセン病違憲国賠訴訟全国弁護団連絡会・真相究明担当)および黒尾和久さん(国立ハンセン病資料館・学芸課長) のご厚意で情報掲載させていただきました。


2002年

  • 5月
    • 谺雄二さん(ハンセン病国家賠償訴訟・群馬原告団代表)が新潟大学で講演(全学講義)を行う。これが本運動開始の一つの契機となる。
    • 「重監房復元アピール」を発表。
    • 「重監房復元運動が始まった」ことが、NHK(関東甲信越)、各紙(毎日新聞=全国版、新潟日報、朝日新聞=新潟地方欄)で報じられ、反響を呼ぶ。
    • これ以降、重監房復元運動について、講演活動等で訴えを始める。
  • 8月
    • 『新潟日報』にこの運動についてまとめた論説記事を3回にわたって掲載。
  • 11月
    • ブラジルでの第6回国際生命倫理学会で、ハンセン病問題とこの活動について紹介。

2003年

  • 4月
    • 宮坂と、富山国際大学・藤野豊助教授(当時)の共同研究で、「ハンセン病問題についての『物語的正義』に関する生命倫理学的研究」というテーマで、科学研究費補助金(研究課題番号:15652001)を3年間交付される。これにより、重監房問題を含むハンセン病問題についての学術研究を開始する。

  • 1月
    • 「栗生楽泉園・重監房の復元を求める会」を発足。
    • 『お帰りなさい! ハンセン病・北陸からの訴え』(ハンセン病訴訟勝訴一周年記念シンポジウム実行委員会編、桂書房)出版。「新潟−凍れる記憶・『重監房』復元運動のこと」として、復元運動を紹介。
  • 2月
    • つくばでの、第8回つくば国際生命倫理円卓会議で、ハンセン病問題と重監房復元運動について紹介。
    • 『東京保険医新聞』にて、復元運動を紹介。
  • 5月
    • 本格的に署名活動を開始。
    • 新潟で街頭署名を行う。(11日)
  • 6月
    • 谺雄二さん、鈴木幸次さん(ハンセン病国家賠償訴訟副代表)らが県庁を訪問し、不在の小寺知事に代わり、高山副知事に経緯や趣旨を説明、協力を求める。(10日)
    • 厚生労働省・ハンセン病問題検討会委員長・井上英夫氏の講演会を関連団体と共同で開催(15日、新潟市・総合福祉会館)
  • 9月
    • 署名が1万筆を超える。

2004年

  • 6月
    • 復元を求める署名を厚生労働省に提出。(6月29日午後1時)
    • 提出時点の署名数107,101筆
    • 内訳は以下の通り。
      • 自筆署名:107047筆
      • 電子メール署名:42筆
      • 外国人研究者の署名:22筆

2005年

  • 5月
    • 谺雄二さんと宮坂が、ハンセン病市民学会の運営委員になる。
  • 3月
    • ※ ハンセン病問題に関する検証会議が最終報告書提出。
       (その中で、歴史的建造物の保存が提言される)

2006年

  • 4月
    • 重監房復元運動の記録を集英社新書『ハンセン病 重監房の記録』として刊行。

2007年

  • 4月
    • ※ ハンセン病資料館が国立ハンセン病資料館としてリニューアルオープン。
      (重監房の中の一室が再現される)
  • 8月
    • ※ 「ハンセン病問題対策協議会」(以下、協議会。【注】)で「歴史的建造物の保存復元等については、重監房を優先 課題として取り上げ、平成20年度を目途に調査検討する場を設ける」と確認。
       (保存復元が現実の課題になる)

      【注】2001年の熊本判決の控訴断念により、同年7月に原告団と国との間で基本合意が締結され、統一交渉団と厚労省との間で開催されることになったのが、ハンセン病問題対策協議会である。協議会では、ハンセン病問題の全面解決のための4つの柱(謝罪名誉回復、在園保障、社 会生活支援、真相究明・再発防止)を協議していくことになった。これにより、負の遺産の保存復元は、真相究明・再発防止の課題 となった。

2008年

  • 8月
    • ※ 協議会で「重監房復元や歴史的建物等の保存は、国の責任で行う」 と確認。
       (国の事業とすることが明確になる)

2009年

  • 4月
    • ※ ハンセン病問題基本法施行。その18条で「国は歴史的建造物保 存等により正しい知識の啓発を行う」と定める。
       (重監房復元事業の法律上の根拠)
  • 10月
    • ※ 第1回目の重監房WGを栗生楽泉園で開催

2010年

  • 6月
    • ※ 協議会で「重監房再現は維持管理啓発も含めWGの意見を反映する。平成24年の工事着工をめざし、23年度に基本計画・設計費用の予算確保をする」と確認
  • 10月
    • 証言ビデオ収録日を前にして、鈴木幸次さん(重監房収監者に食事を運ぶ経験を持つ)が急逝。

2011年

  • 6月
    • ※ 協議会で「24年度の工事着工」を再確認

2012年

  • 6月
    • ※ 協議会で「24年度中に工事着工。跡地の用地取得、発掘調査を24年度中に終えられるよう努める」と確認

2013年

  • 6月
    • ※ 協議会で「重監房資料館は26年3月に開館できるよう実務的詰めを行う」と確認
  • 8月
    • ※ 重監房跡地(第1次)発掘調査が行われる(9月まで) 。重監房の建築部材、収監者の遺物等が発見される。
  • 12月
    • 第1回重監房資料館運営委員会開催
      • 谺雄二さん、藤田三四郎さん(栗生楽泉園入所者自治会長)、鮎京眞知子さん、黒尾和久さん、および宮坂も、同館の運営委員になる。

2014年

  • 3月
    • 厚労省主催でシンポジウム「重監房とは何だったのか - ハンセン病隔離政策の“負の遺産”を考える-」が前橋市で開かれる。
      • 宮坂が基調講演を行い、谺雄二さん、鮎京眞知子さん、黒尾和久さんがパネリストとなる。佐川修さん(多磨全生園入所者自治会長で、重監房で食事運搬等の作業をされた方)が指定発言を行う。
  • 4
    • 重監房資料館が開館し、その中に重監房の一部が原寸大で復元さる(4月30日に開館記念式典が行われる)。
      • 病床の谺さんも開館記念式典に参加される。佐川修さんは、全療協会長・神美知宏さんの代理で挨拶を行い、重監房が運用されていた当時のことを語る。
  • 5月
    • ハンセン病市民学会が草津町で開かれ、第1部で「重監房資料館の新設の意味を考える」というシンポジウムが行われる。
      • 宮坂がコーディネーターとなり、佐川修さん、藤田三四郎さん、 鮎京眞知子さん、黒尾和久さんがパネリストとなる。
      • 谺さんは参加できず。開始前に宮坂が病床を訪れ、挨拶を述べる。終了後にも報告に訪れる。
      • 翌朝未明、谺さんが逝去される(5月11日)。

 


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