Movie Review 2007
◇Movie Index

恋愛睡眠のすすめ('06フランス=イタリア)-Mar 17.2007
[STORY]
メキシコ人の父とフランス人の母クリスチーヌ(ミウ=・ミウ)の間に生まれたステファン(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、父と一緒にメキシコで暮らしていたが、父がガンで亡くなったため母のいるパリにやってきた。そしてひょんなことからアパートの向かいの部屋に引っ越してきたステファニー(シャルロット・ゲンズブール)と知り合いになる。
監督&脚本ミシェル・ゴンドリー(『エターナル・サンシャイン』
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ベルリン国際映画祭やサンダンス映画祭、フランス映画祭2007でも上映された作品。

メキシコ人のガエル君が主演で舞台がフランスで、という異色な取り合わせが面白そうと思ってたんだけど、ダメだったなー。私には合わなかった。ゴンドリーが初めて脚本を書いたというのが裏目に出たように思います。自分がやりたいことだけをやって自分だけ楽しんで、見てるこっちは置いてかれた気分。もちろん面白く楽しんだ人もいるだろうが、私は楽しめなかった。最後のほうは冷めた目でしか見れなくなっていたし、見終わってからも疲れしか残らなかった。

というのも、登場人物たちに全く魅力を感じなかったせいでもあるのだ。今回のガエル君は役柄が合ってないように見えたし、ゲンズブールと並んでも全然お似合いに見えず。だから2人がくっつこうがダメになろうがどーでもいいよーって思ってしまった(ヒドすぎ)ゾエ役のエマ・ドゥ・コーヌのほうが断然可愛らしかったので、彼女が相手だったら応援する気になっただろう。

まぁ嫌いな監督ではないので、今後は脚本はやっぱり別の人に任せるとか、暴走のブレーキをかける人がいればいいんじゃないでしょうか。スキーのシーンなんて、やたら時間掛けて、でもすんごく楽しみながら作ったんだろうなぁ〜。そう思うと笑っちゃうんだけどね。
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サン・ジャックへの道('05フランス)-Mar 17.2007オモシロイ★
[STORY]
会社経営と妻のアル中に悩む長男ピエール(アルチュス・ド・パンゲルン)と、夫が失業したためお金が必要な長女クララ(ミュリエル・ロバン)、そしてアル中一文無しの次男クロード(ジャン=ピエール・ダルッサン)昔から仲の悪い3人きょうだいは、1ヶ月前に亡くなった母親の遺言に驚愕する。何と、フランスのル・ピュイからスペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路を3人一緒に歩くこと、そうすれば遺産を手にすることができるというものだった。3人は仕方なくツアーに参加するが、ことあるごとに衝突する。
監督&脚本コリーヌ・セロー(『女はみんな生きている』
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サンディアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、フランスからスペイン西北部のサンディアゴ・デ・コンポステーラまでの 1500キロにも及ぶ巡礼路で、エルサレム、バチカンと並ぶカトリック教会の三大巡礼地に数えられている。ユネスコの世界遺産にも登録され、同じく世界遺産の 日本の熊野古道とは姉妹路を結んでいるそうだ。
タイトルの『サン・ジャック』とは「サンディアゴ」のフランス読みで、実は私はそれを知らずに見てしまったので、何で字幕は「サンディアゴ」なのに登場人物たちは「サン・ジャック」と言ってるんだろう?と混乱してしまった。原題だって『SAINT-JACQUES... LA MECQUE』だしセリフもそうなのだから、字幕も「サン・ジャック」に統一したほうが良かったと思う。但し2006年のフランス映画祭では『サンティアゴ…メッカ』のタイトルで上映されている。

でも映画は素晴らしかった!仲の悪い3人もだが他のツアー参加者もみな一癖ある人物たちで、問題を起こしつつも9人が徐々にまとまっていくというロードムービーの醍醐味を存分に堪能できる。歩くのに1ヵ月ほど掛かるらしいが、見てると自分も行ってみたくなってしまう。思わず世界遺産DVDを買ってしまいました(笑)でも映画の景色には敵わなかったなー。

映画も最初はおそらくわざとだろう、景色よりも登場人物たちのいざこざばかり見せて、景色はほとんど見せてくれない。たまに映るかと思えば岩だらけの険しい道ばかり。しかしその道を歩くためには体力が必要なわけで、争って体力を消耗させている場合じゃない、と彼らは余分な物も余計な考えもどんどん捨てて、ただサン・ジャックをめざして歩くようになる。すると景色も徐々に開けていき、メンバーたちが風景の中に溶け込む様子が映されるようになる。上手い演出だ。

また、この巡礼道は人生を表現しているように感じた。青々とした木々や滾々と流れる河で“生”を、石が積み上げられた場所は墓標のようで“死”を表現しているように見える。そして旅の終わりは海。海は命が生まれ、命が還る場所だ。そこで1つの命に関する事実が明かされる。このシーンは海でなければならなかった。象徴的な場面だ。

その自然な映像の中に、メンバーたちが見る奇妙な夢を挿入させているのがいいアクセントになっている。例えば失読症の男の子が見る夢は巨大なアルファベットに迫られるというもの。CGが使われていて最初は「何だこれ?!」と面食らったけど、その夢が次第に変化していくところが面白かった。夢が変わっていくということは彼らの心境の変化でもあるわけで、セリフでいちいち説明されるよりもずっと効果的だ。この手法も面白い。

旅の後、人生が劇的に変わった者もいれば、あまり変わってなさそうな者もいる。しかし大きなことを成し遂げたという自信のようなものが彼らの顔に表れていて頼もしく思える。特に旅の途中で不幸に見舞われた者が良い人生を歩みそうで、映画とはいえ嬉しくなった。
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ストーン・カウンシル('05フランス)-Mar 16.2007
[STORY]
ローラ(モニカ・ベルッチ)は幼い頃に両親を亡くし施設で育てられた。そして自分もロシアの施設からモンゴル人の少年リウ=サンを養子にする。リウ=サンが7歳になった時、彼の胸に突然アザが現れる。その頃から母子の周りで不穏な出来事が起き始め、ついにリウ=サンが誘拐される。
監督&脚本ギョーム・ニクルー(『Cette femme-la』)
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フランス映画祭2007上映作品。原作は『クリムゾン・リバー』のジャン=クリストフ・グランジェの同名小説。モンゴルでは100年に1人“神の子”が生まれるという伝説がある。その子供を殺した者は永遠の生命を得るという。この時の儀式の名前がタイトルになっているストーン・カウンシルで、神の子の誕生を待つ秘密結社の名前でもある。

ショートカットのベルッチと、悪役のカトリーヌ・ドヌーヴが見られるという珍しい作品。あらすじを読んだだけでB級度プンプンの作品で全く期待してなかったけど意外と悪くなかった。最初からハードル下げ過ぎてたせい?(笑)ご都合主義満載だし、クライマックスでポカーンとしてしまうけど、それなりに緊迫感があってドキドキさせられた。ラストの嫌な感じが特に良かった。あとこんな作品でも無駄に脱いでくれるベルッチは素晴らしいと思いました(笑)

ただ、ここ突っ込んだらいけないんだろうけど、そもそも生まれた時から組織が目を付けていた子がどうしてローラに渡るのかね。最初から組織の人間が育てればいいだけの話じゃん。ローラのせいで案の定、計画が失敗するわけだし。ローラが7歳まで育てなきゃならない理由があれば分かるんだけど(例えば殺された彼女の両親が、ローラにだけ神の子に関することを伝えてたとかなら分かる)
敵と味方の区別がほとんどつかないまま見ていたせいかもしれないが、子供を利用したい組織と、組織の計画を阻止したい組織(ええいややこしい)があったんだろうか。ローラに子供を預けたのは反組織の人間?ローラを助けるセルゲイ(モーリッツ・ブライブトロイ)の動きも途中まで謎だった。

ベルッチとドヌーヴの共演でなければ一般公開はまずなかっただろう。配給会社がアルバトロス、上映劇場が銀座シネパトス、日本の公式サイトがない(おそらくパンフも作られなかった)という、そういう作品でございます(笑)
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今宵、フィッツジェラルド劇場で('06アメリカ)-Mar 10.2007
[STORY]
ミネソタ州セントポール。今夜、フィッツジェラルド劇場で最後のラジオ公開番組「プレイリー・ホーム・コンパニオン」が始まろうとしていた。ラジオ局が買収されたからだ。楽屋では保安係のノワール(ケヴィン・クライン)が舞台裏によく現れる美女の話をしている。司会のギャリソン・キーラー(本人)らは元オーナーの思い出話で盛り上がり、姉妹歌手のロンダ(リリー・トムリン)とヨランダ(メリル・ストリープ)は、ヨランダの娘ローラ(リンジー・ローハン)に昔話を始める。カウボーイソングを歌うダスティ(ウディ・ハレルソン)とレフティ(ジョン・C・ライリー)はステージマネージャーから下品だと注意を受け立腹する。そんな中、噂の美女(ヴァージニア・マドセン)が舞台裏に現れる。
監督ロバート・アルトマン(『バレエ・カンパニー』
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2006年11月に亡くなったロバート・アルトマンの遺作。劇中に登場する「プレイリー・ホーム・コンパニオン」という番組は実際に30年以上も放送されている番組で、ギャリソン・キーラーが司会を務めている。彼は本作の原案と脚本も担当。撮影も「プレイリー・ホーム・コンパニオン」を実際に放送しているフィッツジェラルド劇場で行われた。

アルトマンの遺作ということで楽しみにしてたんだけど「プレイリー・ホーム・コンパニオン」を知ってたらもっと楽しめただろうなぁと思った。知らなくてもつまらないわけじゃないけど、知ってたらさらに楽しめるネタがいっぱいあったんじゃないかと見てる間じゅう感じていた。ちょっと損したような気分。でもまぁそれはしょうがない。日本人だから笑える話の映画もあるわけだしね。
でも、ギャリソンが読まなきゃいけない原稿を探しながらスポンサーの名前を連呼しながら適当に話を作ってアドリブでその場を切り抜けるところや、ダスティとレフティの下品ネタにまたもや激怒のマネージャー、というシーンは素直に楽しめた。劇場で見てなければ声に出して笑っただろう。

でも、全体的には寂しさや虚しさの残る作品だった。予告では番組が盛り上がって大団円な映画になりそうな雰囲気だったし、希望が持てるラストという解説もあったので楽しく見られそうと期待していたんだけど、本編は違った。番組が最終回だからといって特別なことはせず、あえていつもと同じように出演者が番組を進行するところは、わざと盛り上げるよりもずっと良くて心に沁みた。が、番組打ち切り後の出演者やスタッフたちの現状を見ると切ない。せっかく自分の歌に自信を持ち、歌の世界に入っていくのかと思われた者が会社員になっていたりするのを見ると、あの時の輝きは一体何だったのかと・・・でもそれが現実なわけで。さらに、残ったメンバーでツアーをしようと希望が持てるラストかと思いきや、そこに死者を迎えにくる天使が現れる。つまりメンバーの誰かをまた迎えに来たということ、せっかくみんなでまた頑張ろうって時に・・・と私は解釈したんだけど、どうでしょう?ちょっと悪く解釈しすぎなのかな(苦笑)

これがアルトマンの遺作、と思って見てしまったせいかもしれない。彼自身もそう思って撮ってたのかな・・・。本作のような素敵な天使が迎えに来たのでしょうか。ご冥福をお祈りします。
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パフューム ―ある人殺しの物語―('06ドイツ=フランス=スペイン)-Mar 4.2007
[STORY]
1738年7月17日、パリのセーヌ河沿岸の悪臭漂う魚市場でジャン=バティスト・グルヌイユ(ベン・ウィショー)は生まれた。彼は臭いに敏感で、どんな遠くの臭いも嗅ぎ分けることができた。ある時、町で出会った少女の香りに興味を持ったグルヌイユは彼女の臭いを嗅ごうとして誤って殺してしまう。少女から徐々に香りが失われていき、グルヌイユはこの香りを残すことはできないかと考えるようになる。やがて彼は香水調合士バルディーニ(ダスティン・ホフマン)の元で働きはじめ、生き物の香りは残すことができないと知る。
監督&脚本トム・ティクヴァ(『ヘヴン』
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原作はパトリック・ジュースキントの『香水―ある人殺しの物語』世界45か国で発売され、1500万部以上を売り上げたというベストセラーの映画化で、スピルバーグやスコセッシが映画化を希望したらしいがジュースキントはそれらを断り、ようやく同じドイツ人プロデューサーのベルント・アイヒンガーが承諾を得て、同じくドイツ人監督のティクヴァがメガホンを取ることになった。

原作未読なのでどれくらい小説と映画が同じかは分からないんだけど、この映画も『ヘヴン』に似てると思った。ひょっとして『ヘヴン』を見て、彼しかいない!って思ったのかな。・・・なんつーかファンタジーでした(←やっぱりそれかい)ジョン・ハートの語り口や話の転がり方が童話のようなので、ある程度は分かってるつもりで見ていた。しかしやっぱり唖然、いやむしろ脱力。これ見て怒っちゃう人もいるかもねー。でも見た直後は「なんだこれ〜」と思ったけど、後になって「あれはああいうことだったのかな」と分かってきた・・・ような気がする(笑)

グルヌイユと関わった人々が皆死んで彼を知るものがいなくなったり、彼の作り出した香りに夢中になるあまり彼の存在を忘れてしまう。それは彼が体臭のない人間であることを表現しているようでもあり、どんな強烈な臭いでもひとたび撒かれれば空気中に拡散し、いつしか臭わなくなってしまうことを表現しているようにも感じた。自分がそういう人間であることを悟ったからこそ、最後はああいう行動を取ったのだろう。

グルヌイユが匂いの元を辿っていくところのカメラワークの速さを見て、そういえばこの人は『ラン・ローラ・ラン』を撮った人でもあるんだ、と思い出させてくれた。なかなか面白かった。そしてグルヌイユを演じたベン・ウィショーが良かったな。一歩間違えるとただの変態殺人鬼だが、彼が女性の臭いを嗅ぐシーンにちっともいやらしさがなく、彼の臭いに対する探究心が本当に純粋なものだと分かった。だからといって彼のやったことを肯定する気はないけど。その探究心のベクトルがもう少し違う角度に向いてたら良かったのに!と本気で惜しいと思ってしまった。
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