|
|
|
|
|
|
◆氷雪の門(樺太島民慰霊碑) |
|
|
昭和38年8月20日、今は異国となった樺太の島影を水平線上に望む稚内公園の丘で、樺太で死んで行った人たちの霊を弔う慰霊碑の除幕式が挙行された。市長浜森辰雄の碑文に曰く「人々はこの地から樺太に渡り、樺太からここに帰った。戦後はその門もかたく鎖された。それから18年、望郷の念止みがたく樺太で亡くなったおおくの同胞の霊を慰めるべく肉眼で樺太の見えるゆかりの地の丘に木原豊治郎氏、笠井安一氏の熱意と、全国樺太引揚連盟の賛同並びに全国からの心あたたまる協力によって、ここに記念碑を造る。氷と雪の中できびしく生き抜いた人々の象徴する女人像、望郷の門、霊石を3位一体とする彫刻家本郷新先生の力作がここに出来上がった。この記念碑を氷雪の門と命名した。」氷雪の門建立は、同37年11月、建設費用の大半を、木原、笠井らが負担することとなり、市長浜森辰雄が率先その準備にあたり、翌38年2月稚内樺太引揚者連盟会長米倉八郎太を会長とする慰霊碑建立期成会を結成し、全国樺太連盟会長柳川久雄、同副会長下出繁雄、同北海道支部連合会長渡辺彦太郎らの協賛を得て、全国の樺太引揚者に呼びかけ建設運動を展開した。設計は国際造形芸術連盟日本委員、日本美術家連盟理事の彫刻家本郷新が担当した。碑の構造は、黒大理石の霊石を配した高さ8mの望郷の門を背に、きびしい風土に耐えて築いてきた郷土を、肉身を、財産を失い、絶望の中にひらすら祈りを捧げる女の姿をあらわす2.4メートルのブロンズ女人像が立つ。樺太引揚者たちの心情を無言のうちに訴えているといってよい。
|
|
|