Movie Review 2004
◇Movie Index

スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー('04アメリカ=イギリス)-Nov 27.2004
[STORY]
1939年ニューヨーク。突如、巨大なロボットたちが街を襲撃する。新聞記者のポリー(グウィネス・パルトロウ)は、写真を撮ろうとしてロボットに踏み潰されそうになる。そこへポリーの元恋人で空軍パイロットのスカイキャプテンことジョー(ジュード・ロウ)が彼女を救う。ポリーはこの事件と自分が調べていた科学者失踪事件が関係していると睨み、ジョーとともに調査を始める。
監督&脚本ケリー・コンラン(初監督作)
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本作で初監督となったケリー・コンランは、10年前に1台のPCを使って4年掛かりで本作の元になる映像を作った。時間はわずか6分間。しかしこの映像を見た『アンカーウーマン』などの監督で知られるジョン・アブネットがプロデュースに名乗りを上げたという。また、出演のジュード・ロウと彼の元妻サディ・フロストも製作に名を連ねている。

面白い、面白くないは別にして(いきなり別かよ)作るのが楽しくて仕方がなかったんだろうなーというのが伝わってくる作品だった。「自慢のプラモコレクションを見せたくて映画を作りました」みたいな(笑)出演者ファンと一部のマニアから愛される映画ですな。演出もストーリーも限りなくヌルいので、ごく普通に映画を楽しみたい人には向かないでしょう。

私は古典SFをほとんど見てないんだけど、レトロな色使いや動きの鈍いロボットたちにどこか懐かしさを感じた。でもジョーの瞳やポリーの唇だけに色がついていたり、飛行機が水中仕様になるシーンなどは昔ではありえない映像なんだよね(当時の人が見たらやっぱり驚くかな)今の技術を駆使してわざと古めかしいものを作るというのは今後も増えていきそう。

映像だけでなく、演出でも逃げるシーンの緊迫感のなさ、いかにもブルーバックの前で驚いたりしてます、みたいなわざとらしさを狙ってやってるように見えた。私は詳しくないのであまりよく分からなかったが、過去の作品で使われたネタもたくさんあったようだ。知ってたらもっと面白かっただろうなぁ。
そんな私でも技師のデックス(ジョヴァンニ・リビージ)が作った銃や、ポリーのカメラネタ、各国の新聞の中でなぜか日本だけ○○○が!なネタには笑った。正直本筋よりもこういうところに目がいっちゃう映画だな。

あとはとにかく出演者に萌えろと(笑)コスプレ合戦みたいなもんですからね。ジュード・ロウはやたら綺麗だし、パルトロウもクラシックな作品にはやはりぴったり。ポリーという役はこの手の映画にありがちな“やらかし系”なので、グーでパンチしたくなる時もあるんだけど、ガッカリするシーンが可愛くて憎めない。最初は2人のやりとりがいまいちだったけど、ネパールに向かうあたりから息が合っていった。もし続編が作られたら(ジュード・ロウはやる気らしいが)最初からこのテンションで1作目より面白くなりそうだけど、肝心の特殊撮影は本作でネタをすべて出し切っちゃったような気がしないでもない(それじゃダメじゃん)

コスプレ大賞はもちろん海軍の艦長フランキーを演じたアンジェリーナ・ジョリー様です。残念ながら出番は少ないんだけど、ものすごくカッコイイ見せ場があるので、ファンは見て損はないだろう(一瞬『トゥームレイダー』かと思ったが)ただ、ジュード・ロウもパルトロウもデッカイので、座ってるシーンでは威圧感たっぷりだった彼女も、2人と一緒に並んでしまうと頭半分くらいちっちゃくなってしまい「あれれ?」という感じ。ここは思い切って“雪舟”しちゃって良かったんじゃないかな。「おいおいデカイじゃん!」っていうネタで突っ込めて楽しめるし(笑)

コンランが作った6分の映像がDVDに入るならもう1回見てもいいかな。小ネタとフランキーのシーンもまた見たい。途中は早送りで(おい)
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ハウルの動く城('04日本)-Nov 25.2004
[STORY]
19世紀末。18歳のソフィ(声:倍賞千恵子)は亡くなった父の帽子屋で働いている。ある時、兵隊に絡まれているところを魔法使いのハウル(声:木村拓哉)に助けられ、心を奪われる。しかしその夜、ハウルを狙う荒地の魔女(声・美輪明宏)によってソフィは90歳の老女にされてしまう。帽子屋にいられなくなったソフィはハウルが住む動く城に転がり込み、掃除婦として働きはじめる。
監督・宮崎駿(『千と千尋の神隠し』
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原作はイギリス人作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔法使いハウルと火の悪魔』

どうしよう!と思わずうろたえたほど面白くなかった。宮崎作品が大好きな(高畑作品は別)私にとってはものすごいショックで、自分がおかしいんじゃないかって不安になるほどだった。でも実はこう思ったのは2回目。『紅の豚』の時もやっぱりどうしよう!って思ったんだよね。今は『豚』の良さも分かってきたので、本作もひょっとしたら後で変わるかもしれません。

敵・味方を作らないやり方はここ何作か続いているが、私は逆に勧善懲悪なストーリーが好きじゃないのでそこに不満はない。ストーリーが分からないところもあったが、そこも不満ではない(『千尋』は分からなくてもじゅうぶん面白かった)
一見、絵は綺麗でスケールが大きいようにみえるんだけど、キャラクター設定や描写が浅くて、過去に見たような表現を多く感じた。今までも『カリオストロ』と『ラピュタ』など、同じような表現がなかったわけじゃない。けれどそれがどうした!と跳ね除けるほどのパワーがあって物語の中に引っ張られたのに、本作ではそれが目に付き、使い方が安易に感じられてしまった。

タイトルバックの城だって、それまでの作品ならもっとマニアックに細かいところまで見せて、世界観を存分に見せつけただろう。ファーストシーンの霧の中から現れるところは素晴らしい。しかしカルシファーによってその城がどうやって動いているのか?城の中がどうなっているのか?など構造を見せてくれず、城の存在感はあのドアだけだった。あの城はハウルそのもので、見かけの仰々しさに比べて居住空間はお粗末で、武器らしいものは飾りだったわけでしょ。ソフィは一緒に暮らしていくうちにそれらを知って、そんな城を作りあげたハウルが愛しいと思うようになってほしかった。
しかし(ネタバレ)あの城が解体されたのは予想通りだったけど、新しい城が空を飛んでたのにはショックだった。「人は土から離れては生きられない」ってシータが言ってたのに(魔法使いだからいいって?)(ここまで)

戦争シーンは、破壊された戦艦の帰港に人々が群がるシーンがよかった。今現在、遠い国で起きている戦争への感情と同じように、実感があるのかないのか分からない感覚を思い起こさせるものでハッとした。また、老婆になったソフィが鏡を見た時のリアクションや、魔法なしに自分の足で階段を上るシーン、ソフィの感情によって変化する容姿――これらのこだわりに比べて、どうしてセリフで人殺しだの愛してるだの言わせたり、すべてうまく纏めるようなラストにしてしまったんだろう?このあたりのチグハグさが一番不可解だった。
宮崎作品は見ている間は楽しい時間を与えてくれるが、終わったときの何とも言えない喪失感、これが凄いところだと私は思っている(『豚』もポルコが去って寂しいと感じた)だからまたあの世界に戻りたくなり繰り返し見てしまうのだ。けれどハウルには喪失感がない。エンドクレジットに絵が全く使われなかったのも余韻を断ち切ってしまっていたんじゃないかな。

セリフが安易と書いたが、ヨーロッパの設定だからストレートな会話になると解釈すれば、英語やフランス語吹替に字幕で見たら違和感なくなるだろうか?(やっぱりファンだから何とか楽しみたいのよ)マルクル(神木隆之介)の声を聞けないのが残念だけど、主役2人がダメだったしなぁ。18歳ソフィはやっぱり違和感あり。同じ人がやるなら機械に通したりして声を変えたほうが良かったのでは。生身の人間だって年齢によって声は変わるでしょ。ハウルも最初は良かったが、髪の色が変わったと同時に声に掛かってた魔法も解けたみたい。口が回ってなかったり雑な喋りが見受けられ(特に半ケツシーンはひどい)いくら顔が綺麗でも魅力的じゃなかった。
昔は声の好き嫌いはあれど、上手いとか下手なんて感想は語るまでもなかったのにな。いつからこうなっちゃったんだろう。声優とは、キャラクターに命を吹き込むとても重要な役割であることを忘れないでもらいたい。
――というわけでDVDで英語・フランス語を選択し見てみたけど、英語はクリスチャン・ベールの声が低すぎて合ってなかったが仏語がいい。3人の中で一番ハウルらしい声だし作品そのものも仏語が一番しっくりきた。そして何より良かったのは、英語も仏語もソフィが老婆と少女で声をあてている人が違うというというところ。やっぱり日本語版もそうすべきだった。
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コニー&カーラ('04アメリカ)-Nov 13.2004
[STORY]
幼なじみのコニー(ニア・ヴァルダロス)とカーラ(トニ・コレット)は空港のラウンジにある小さなステージで毎日歌を歌っているが、いつも客から拍手をもらえない。ある夜、彼女たちのボスがギャングに殺されるところを目撃してしまい、2人は慌ててロサンゼルスに逃亡する。そしてゲイたちが集まるクラブで募集していたショーのオーディションに、2人もドラッグ・クイーンを装って出場したところ、一躍大人気となってしまう。
監督マイケル・レンベック(『サンタクロース・リターンズ!クリスマス危機一髪』)
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『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』につづき、本作でもヴァルダロスが脚本を担当し、トム・ハンクスとリタ・ウィルソン夫妻も製作総指揮を取っている。

普通のドラッグ・クイーンはもちろん声が低いので、女性の歌を表情豊かに口パクし、派手な衣装やダンスで魅せる。これはこれで面白いんだけど、やっぱりリアルで歌うのには敵わない。ヴァルダロスもコレットも本当に歌っていて、これがまた素晴らしく上手い。歌うシーンはたくさんあるんだけど、どれも見てて本当に楽しくて、自分も客席でステージを見ているような気分になる。あのお店が本当にあったらぜひ行ってみたい。

ドラマの部分のベースは『お熱いのがお好き』の逆バージョンなんだけど(劇中では『愛のイエントル』が引き合いに出される)同じアパートに住むロバート(スティーヴン・スピネラ)が疎遠だった弟ジェフ(デヴィッド・ドゥカブニー)に、自分がドラッグ・クイーンであることを告白し、ジェフは兄を受け入れたいが躊躇してしまうという話が盛り込まれている。

女性がドラッグ・クイーンのフリをする・・・つまり、女が女のフリをする男のフリをするわけだ(混乱)こんな難しい役をどうやって演じるのかすごく楽しみだったんだけど、演技してたのは最初だけで、普通の女性と変わらないじゃない。もっと低い声を出したり、オーバーな仕草や独特な喋り方をして笑わせてくれるのかと思ったのにガッカリ。コレットは元々の顔のつくりのせいもあるが表情の作り方が上手いので、メイクすると本物のドラッグ・クイーンに見える時があってさすがだなぁと思ったが、ヴァルダロスにはダメ出ししたい。どっから見ても普通の女だよ。もっと演技してよ。自分のラブシーンばっかり真剣にやってんじゃないよ(イヤミ)
ついでに気になったんだが、ドゥカブニーと『〜ウェディング』の相手役だったジョン・コーベットって少し似てませんかね?この手の顔がヴァルダロスの好みなのかねえ(またイヤミ)

せっかくドラッグ・クイーンをテーマにしたのだから、ロバートとジェフ兄弟のような問題だけじゃなく、ドラッグ・クイーンを選んだ男性の気持ちや、その魅力も伝えてほしかった。彼らの美を追求する貪欲さは普通の女よりもずっと大きいし相当努力してるわけでしょ。コニーとカーラが彼らの気持ちや努力に共感し、性別を超えたドラッグ・クイーンという性(?)の彼らと友情を築き、楽しさや喜びを知るという描写を盛り込んでくれていたら。そうすれば化け物扱いされてコニーがショックを受ける場面ももっと活きただろう。・・・単にジェフの婚約者に悪口言われてショック受けてるようにしか見えなかったんだよねー(さらにイヤミ)
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みんな誰かの愛しい人('04フランス)-Nov 3.2004
[STORY]
有名な作家であるエチエンヌ(ジャン=ピエール・バクリ)を父に持つロリータ(マルリー・ベル)は、太っていて美しくないことがコンプレックスで、自分に近づいてくる人物はみな父のファンだからと決め付けている。しかし歌の教師であるシルヴィア(アニエス・ジャウィ)のことだけは信用していた。シルヴィアはすがるような目をするロリータがうっとおしくて教えるのが嫌だったが、彼女もまたエチエンヌの娘であることを知って態度を変える。
監督&脚本もアニエス・ジャウィ(『ムッシュ・カステラの恋』
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第57回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品で脚本賞を受賞。授賞式をちょうどTVで見てたんだけど、バクリがレットカーペットを歩きながらタバコを吸ってたのに笑いました。日本じゃ「日本人がレッドカーペットを歩いた!」ってだけで大騒ぎなのに、フランス人はそのカーペットに灰を落としまくり(笑)あれは自国の俳優だから許されるわけで、日本人がやったら大顰蹙だろうが。

字幕でも確かに会話が面白かったんだけど、フランス語が分かればもっと面白かっただろうなーと残念でならない。前に座っていたフランス人が、こちらがたいして面白いと思わないセリフでもクスクス笑っていたのが羨ましかった(だからといって勉強はしないんだなーこれが)
同じように、ロリータの恋人となるセバスチャンの本名ラシートというのがアラブ系の名前なんだということを、映画鑑賞後に知った。彼はそれで悩んでいたわけね。名前のシーンは確かに見たけれど、ぜんぜん理解できずそのままスルーしてしまったので、どうして彼があんなに暗いのか最後まで分からなかったんだよね。フランス人ならすぐに理解しただろうし、日本人でも知識があったり勘のいい人ならすぐ分かったんだろうな。ひょっとして、ただぼんやりと見てた私は半分くらいしか楽しめなかったのかも?

そんな私でも、ロリータのキャラクターはしっかり作ってるなと感じた。確かに義母より老けててオバちゃんにみえる時があるし、シルヴィアと車に乗っているシーンでは顔が倍ぐらい大きくて、このシーンでなぜ遠近法を使っているんだろう?などと失礼な冗談が頭に浮かんだほど。でもコンプレックスの塊みたいに見える彼女でも、プライドが高くてワガママなところがある。父親に好かれてないと言いつつ、父に自分を見てもらいたくて歌のテープを送ったりお金を借りたりするし、自分に好意を持っているセバスチャンを傷つけたりする。一見、支離滅裂に思えるロリータの行動や言葉は、彼女の境遇とこの年代らしさがよく出ていて、いつも「フランス人わかんねー!」って言ってる私が(笑)共感できるものだった。

ロリータに失礼なことを書いたが、教会で歌っているシーンの彼女はすごい美人に見えた。歌声は吹替らしいけど、本当に歌っているように見えたし。それなのにあれを見なかった奴は本当にけしからんです!ロリータが歌で認められるという話をやっぱり期待してたわけよ、なのに・・・。そこをあえて外したのは面白いところでもあるが。
ジャウィとバクリは、バクリが演じる中年男を鈍感で無神経に仕立てることに喜びを感じているような気がする。カステラ氏も相当な人だったけど、本作のエチエンヌのほうがもっとひどいし、彼は最後まで変わることはなかった。そこが不満なのだが、でもこんな男にも家族がいて、仲間が集まってくるんだから・・・やっぱり愛されてるんだなぁ。
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約三十の嘘('04日本)-Oct 30.2004
[STORY]
昔の詐欺師仲間が再び仕事をするため大阪駅に集まった。今回の目的はトワイライトエクスプレスに乗って北海道へ行き、布団を売ること。声を掛けた久津内(田辺誠一)はこの日のために心理学まで勉強したほどだ。しかし昔のリーダー志方(椎名桔平)はまったくやる気がない。久しぶりに仲間に会うのが嬉しい宝田(中谷美紀)は、現在の仕事のパートナーである横山(八嶋智人)を連れてきていた。宝田に想いを寄せていた佐々木(妻夫木聡)は横山が気に入らない。そんな5人が列車に乗り込み、いよいよ・・・というところで、かつて志方たちを裏切った今井(伴杏里)が乗り込んでくる。久津内が呼び寄せたのだ。一体なぜ?!
監督&脚本・大谷健太郎(『とらばいゆ』
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劇団MONOの代表・土田英生の同名戯曲を映画化。脚本には土田、大谷、そして『ジョゼと虎と魚たち』の渡辺あやが共同で脚色した。

悪いけどあんまり面白くなかったです(いきなりかよ)たった一言でガラリとそれまでの印象が変わってしまう大谷演出だが、詐欺師という周到な準備が必要な職業(?)のせいか、辻褄が合わないとか、どうしてそうなったのか?などが今までの作品よりもずっと気になってしまった。そして、その説明がされないと分かってからは真剣に見るのを諦め、あとは退屈な時間を過ごしたという、『アベック・モン・マリ』を絶賛したとは思えない自分に驚きました(笑)

例えば、詐欺師たちがバラバラになるきっかけとなった過去の詐欺事件の話が出るのだが、これには実はこんな真相があった――というのを期待してたら何もなし。思わせぶりに何度となく話題にしておきながらそれはないよ。
またいくつかの伏線(って言っていいのか?)が適当なのはズルイ。(ネタバレ)佐々木は久津内が用意したトランクと同じものを用意しておいたわけだが、事前に同じものを用意できたのはなぜか?またどうやって車内に持ち込んだか?の説明はしておくべきだったんじゃないかな。(ここまで)
せっかく映画なんだからフラッシュバック使うなりしてできたはず。伏線のネタばらししなくていいなら、もう何でもアリじゃない。実はお金はまぼろしでした!本当は宇宙人でした!とかね(笑)

退屈だったのは会話のテンポにもあり。映画のほとんどが狭い列車の中で、登場人物たちも座って喋っていることが多く動きが少ない。そうなると会話のテンポをもっと上げたほうがいいと思うんだけど、普通のドラマや映画と同じくらいの喋りなわけ。それがやけにゆっくりに聞こえて、見てるこっちの気が散ったり考える隙を与えてしまったと思う。こういうのって勢いも大事なんだよね。同じく舞台を映画化して、場面がほとんど変わらない『12人の優しい日本人』も、よく考えればおかしな話なんだけど、飛び交う会話が面白く夢中で聞いていたので見てる間は気にならなかったから。普通のドラマではウザイと思ってしまう八嶋だが、この映画の中ではやっぱり一番上手いと思った(役柄はいつもと同じだけど)

作品を重ねるごとに面白くなくなっているのがとても悲しい。次回作はまたオリジナルでお願いしたい。って今度は『NANA』かよ!(ダメだぁ)
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