Movie Review 2003
◇Movie Index

13階段('03日本)-Feb 8.2003
[STORY]
喧嘩相手を誤って死に至らしめてしまった罪で服役していた三上純一(反町隆史)が仮釈放された。刑務所の刑務主任・南郷(山崎努)は、ある死刑囚の冤罪を晴らす調査を手伝ってほしいと純一に頼んできた。その死刑囚は事件当日に事故に遭い記憶を失っていたが、断片的に思い出したことがあるという。それは事件のあった日にどこかの階段を昇っていたというものだった。2人は階段を探すために現場へ向かうが、そこは純一が殺した相手が住んでいた町でもあった。
監督・長澤雅彦(『ソウル』)
−◇−◇−◇−
多分まっさらの状態で見たら混乱するだろうと思ったので、原作を先に読んでおいた。読んでみて、これを映画化したいっていう気持ちはよく分かった。詳しい感想はこちら

映画もまた、原作の雰囲気を壊さないように注意を払いながら丁寧に描いてあって、ところどころ気になる演出があったものの(これはあとで書きます)クライマックスまではかなりいいなぁと思って見ていた。

注意を払いすぎたのか全体的に突拍子もない演出がなく、逆に言えばここぞというところでも惹きつけるシーンがないので、出演者の演技とストーリーの展開に頼りきりだったと思う。ただし不動明王を見て佐村光男(井川比佐志)を思い出すシーンはかなりインパクトあって良かった。井川さんて不動明王に似てるよね。

やはり一番良かったのはやはり死刑囚寺田(宮迫博之)の死刑執行までのシーン。ちょっとでも緊張の糸を緩めると台無しになってしまう重要なシーンゆえに、ここは役者もスタッフもみんな緊張してたと思う。それがこっちにも伝わってきて、息を詰めて見入った。
でもこれは私が悪いんだろうけど、寺田の最後のセリフでは思わず吹き出しそうになってしまった。なんか、コントみたいでさ・・・。そこからワンナイの“くず”を連想し、そういえばHIRO(宮迫)も刑務所に入ってたなぁなどと思ったらもうおかしくって。執行の合図で我にかえったけどね。あのセリフの言い回しはもっと普通で良かったのに。宮迫、気合入りすぎたのかなぁ。

ダメだった演出はネタバレになるけど(ここから)佐村家でお茶をすすめられてグラスを掴むシーンね。それから真犯人との格闘シーン。(ここまで)下手なサスペンスドラマみたいでガックリ。映画なんだからあそこまであからさまにしなくてもいいのに。

クライマックス以降は、演出よりも脚本かな。原作と比べたくはないけど、ちょっと後味が良すぎないか。ハリウッドのアクションムービーじゃないんだからさ(極端な例えだけど『コラテラル・ダメージ』みたいな、テロへの復讐はいいのか?悪いのか?という疑問が、映画が終わったと同時に忘れてしまうような作品ね)暗くしろとか悲惨にしろとは言わないけど、見終わった後に考えるたくなるような余韻が欲しかった。それから(ネタバレ)エンドクレジット後のタンポポアニメはいやらしかった。曲がとても良かったのに最後で思いっきり引いた。なにもなくて良かったのに。せめて刑務所に咲いたタンポポの実写だったら許せたかも。(ここまで)

結局ダメなところばっかり書いちゃったよ。もっといい映画になっただろうに勿体ない、って思っているからいろいろ文句が出てしまった、ってことで。
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黄泉がえり('02日本)-Feb 5.20032回目見てオススメ★
[STORY]
こちらへ。
脚本&監督・塩田明彦(『害虫』)
−◇−◇−◇−
なに、安住紳一郎が出てたって?どこに?セリフあった?・・・気になる。気になるので見に行ってしまえ!というわけで2回目に行って参りました。まるでPJとシンクレアを探しに通った『ロード・オブ・ザ・リング』状態だ。いや、でもこの映画、2回目のほうが泣いてしまったというか、すべての情報を持った上で見てみると、1回目でダメだったシーンがすごく良くなってしまったのだ。驚いた!

その前に安住ですが・・・いました。セリフないじゃん(笑)所在なさげに立ってるだけじゃん。これで特別出演かよ。PJよりヒドイ。でもセリフがあったらそれはそれで浮いてただろうから、まぁいいか。

さて、今回見て分かったことを前回と同じく箇条書き。
例によって下はネタバレではないけど、鑑賞前の人は読まないほうがいいでしょう。

◆俊介もある意味黄泉がえっていた
今回見てみて、いろんなケースを取り挙げてたんだなぁと改めて思った。戻っていく時のシチュエーションも全部違う。この映画でピックアップされているのはほんの何組かだけだけど、数千人が数千の再会とお別れをしたんだ、と思うと胸が詰まるな。中にはやっぱり俊介のように願っても黄泉がえらない人もいただろう。でも俊介はいつも平太と葵の心の中で黄泉がえっていた。おでん屋で平太と葵が俊介のことを話し合ってるその瞬間も。これが実際に黄泉がえった人との対比になっていた。映画は特殊なケースであって、現実はこうして亡くなった人を黄泉がえらせているんだなぁ、と気付かされる設定なのである。

◆周平と娘は少しずつ距離が縮まっていた
前回見た時は周平がビデオ見てるシーンが印象的すぎて他のシーンをあまり覚えてなかったんだけど、この家族のケースもかなり丁寧に描いてるのね。最初に英也(山本圭壱)が玲子(石田ゆり子)の娘を寝かしつけるシーンがあるけど、ここでの玲子の視線だけで、英也が周平だったらと思い描いてるのがよく分かる。すると後ろに周平が現れる。
次に平太たちがラーメン屋を訪ねるシーン。娘は玲子のことは気にしているが、周平には全く関心を示していない。
ビデオシーン。距離はあるが、娘は周平に興味を示し始めている。修平を見て笑ったりする。
誕生会。みんなで乾杯したあとに、周平と娘の2人だけでグラスを合わせるシーンがある(ここが好き〜)でもやっぱり英也のほうに懐いてるねぇ。
病院。英也の膝で寝ていた娘が、周平の膝でも寝ている!良かった。玲子にさんざん苦労をかけた上に、別れの挨拶もできないもどかしさと怒りが伝わる。

◆ライブシーンは無駄ではない
プロモみたい、って思ったのは撤回(笑)ここも1つの黄泉がえりドラマになっていました。ライブ後半に“あること”が分かるんだけど、これを知ってて見るとライブシーンで感じた不満が全部吹き飛んだ。(ネタバレ)原作を読んでいたから黄泉がえりは当然RUIのほうだと思っていたわけ。歌いたくて、客に歌を聞いてもらいたくてライブを開催したんだろうに、客との一体感が全然ないなぁと初見の時は思っていた。でも黄泉がえりがRUIではなくSAKUのほうだと分かって見ると、RUIはSAKUと自分のためだけに歌っていることが分かる。顔は客のほうに向いているのに背中でSAKUを意識しまくり。だから一番前のアホみたいに踊る観客に最初は殺意すら感じていたのに、2度目の時は彼らが滑稽で可哀相に思えるほど。そして地震直後にSAKUを振り返った時のRUIの顔。ここで泣いてしまった。消える瞬間を、直接触れ合うことをせずに、歌と演奏で触れ合うことを選択した2人。決心が揺らぐがまた歌い始める。それを見て、心から通じあえた人、通じ合った瞬間に消えてしまった人、何も告げられずに消えた人・・・が次々と浮かび上がった。それでまた泣いちゃった。
そういえば平太と葵が直接触れ合っているのって喧嘩してるシーンだけなのよね。これも面白い(面白いって言い方はヘンだけど)
(ここまで)

なんというか、見せられている映像に自分で想像したものを補完しまくってるな。映画を見てこういう風に思うことってあんまりないんだけど。見せられたものだけで判断するならこの映画はいまいちだけど、余白に自分で書き込みできるところがいいのかな。

ところで草野康太ってどこに出てた?(いや、もう見に行かないけど)
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ロベルト・スッコ('00フランス)-Jan 29.2002
[STORY]
南フランスのトゥーロンで、レア(イジルド・ル・ベスコ)はカート(ステファノ・カセッティ)という男と知り合い恋に落ちる。しかし彼の行動は不可解で、突然に現れなくなったかと思えば怪我をして戻ったり、会うたびに違う車に乗っていたりする。レアは次第に彼を信じられなくなり、彼に別れを告げる。
監督&脚本セドリック・カーン(『倦怠』)
−◇−◇−◇−
第9回フランス映画祭横浜2001で上映された作品。見たかったけど都合がつかなくて、時間が掛かったけど公開になって良かった。ちなみに『倦怠』はビデオで見たんだけど面白かったなぁいろんな意味で(笑)というわけで本作も期待して見ました。

実在の殺人犯ロベルト・スッコの、1981年の両親の殺害から5年後に捕まり自殺するまでを証言や証拠を元に再現。そこにはスッコの心理描写を一切入れず、映画を盛り上げるような脚色もせず、彼が取った行動のみを追いかけている。

・・・という解説を読まずに見に行ったので、ちょっと失敗した。私は「レアから見たロベルト・スッコ像が描かれている」というような解説をどこかで読んでいたらしく(それも間違いではないけど)レアとカートが別れて彼女がほとんど登場しなくなったあたりから「あれ?おかしいな」と思いはじめ、クライマックスあたりでようやく意図を理解した。最初から分かっていたらもう少し混乱せずに済んだだろう(ちなみにスッコとカートは同じ人物です。レアの前ではカートと名乗っていました)

でも終始スッコの目に惹きつけられた。ヴィンセント・ギャロの目にすごくよく似てて、瞳の色のせいかガラスみたいで、ただ物を反射してるだけにみえた。瞳孔開きっぱなしに見えたのも怖かった。
あ、ひょっとしたら本当に何も見てなかったかもしれないね。両親を殺してからロベルト・スッコいう人物はこの世からいなくなった。スッコであることを否定するために現実を見なくなった。そして罪を重ね続けた。しかし捕まってスッコと呼び続けられることに耐え切れなくなり、自らの命を絶った──。
私は映画を見ながらついこんな風に解釈してしまったのだけど、解説の通り、映画は彼の心理状態を全く描いてなかったね。せっかく映画を作るのだから、何らかの形で自分の解釈を入れて彼を理解したつもりになり満足したいだろうに、それをやらなかったことがすごい。

そしてスッコを演じたカセッティがズブの素人だったことに驚いたけど、だからこの役ができたんだ、と思った。たぶん役者経験がある人だったら、この役に対して自分なりの色なり味なり付けてしまったと思うのね。でもきっと彼は監督の言われるままにやっただけだと思う。そしてそれが見事に成功した。たまたまスッコのイメージに合う人が俳優の中で見つからなかっただけかもしれないけど、見つかってたら果たしてどうなってたかな。
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ボウリング・フォー・コロンバイン('02カナダ)-Jan 29.2003
[STORY]
1999年4月20日。アメリカ・コロラド州にあるコロンバイン高校で銃の乱射事件が起きた。高校の生徒だった2人が12人の生徒と1人の教師を殺害し、その直後自殺した。メディアはこぞって映画やTVゲーム、家庭崩壊、失業率のせいだとあげつらい、犯人たちが聴いていたという理由でマリリン・マンソンのライブも禁止に追い込まれた。「ライブを禁止にして、なぜ犯人たちが事件直前にやっていたボウリングは禁止にしないのか?」マイケル・ムーアは、原因はアメリカの銃社会にあると指摘する。
監督&脚本マイケル・ムーア(『ロジャー&ミー』)
−◇−◇−◇−
カンヌ国際映画祭55周年記念特別賞受賞。

ムーア自身がNRA会員ということもあり、銃そのものを全て規制しろとは主張してない。彼が銃を構えてる時の映像を見ても、好きそうだもんね。どうして事件が起きたのか?なぜ銃は規制されないのか?そしてアメリカが銃社会となってしまったのはなぜか?これらの原因をテンポよく見せていく。ドキュメンタリーかと言われるとちょっと違うんじゃないかなと思うけど、日本のニュースバラエティ(Nステやブロキャスみたいな)で流れるVTRの構造と似てるかな。あれよりももっと出来はいいですけどね。笑わせたり茶化したりしながら、アメリカの真っ黒い部分も一緒に見せてしまうという。しかもサウスパークばりのアニメを使って、アメリカ人がいかに臆病者かを説明してしまうのだ。

これ見て思い出したのは、1992年の日本人留学生射殺事件だ(映画の中でハロウィンでの事件が語られるので、この事件も取り上げられるのかと期待してたけど出なかったね。既にこの事件に関しては『世界に轟いた銃声』というドキュメンタリー映画になってるせいかも。これも見てみたいな)当時この事件報道を見て、相手が丸腰なのになぜ撃ったのかすごく疑問だったし、留学生の彼が近づいてきた時に自分がやられると思ったから撃ったという証言は信じられず、嘘だと決め付けて憤った。でも本作を見て、ほんの少しだけど、彼の言ってることが分かったような気がする(でもやっぱりムカムカするけどね!)

閑話休題。銃による事件のいくつかを取り上げながら、インタビューやTV番組映像を交えた構成が飽きさせない。生真面目に描きすぎると退屈してしまうだろう。笑えるシーンで惹きつける。ルックスに似合わずマトモなことを発言するマリリン・マンソンに感心し(喋ったことが本心かどうか分かりませんが「オレはオレ!」しか言えないような人だと思ってたのだ。ごめん)
クリス・ロックの漫談には爆笑した(漫談て・・・)映画が始まってすぐのシーンだったので「確かに弾が1個5000ドルだったら、むやみやたらに撃って人が死ぬこともないだろうな」って思わず感心してしまった。でもそれでは根本的な解決にはならないのよね。高かろうが撃つ人は撃つんだろう。
そして極めつけがチャールトン・ヘストンのインタビュー。見てはいけないものを見てしまった感じ。イタすぎる。言ってる内容だけじゃなく、彼そのものが・・・あまり言いたくないけれど。

ただ、テンポが良すぎて字幕を読むのに必死になり、肝心の映像を見落としがちになってしまった。特にアメリカがコソボやアルカイダに対して何をしてきたかの説明は早すぎたよ。DVDが出たら監督のコメンタリーを聞きながら何度も見直したい。これだけを鵜呑みにして分かった気にはなりたくないけど、まずはとっつきやすいところから、と思うのにちょうどいい作品だと思う。
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歓楽通り('02フランス)-Jan 28.2003
[STORY]
1945年パリの歓楽通りにある娼館オリエンタル・パレスに、マリオン(レティシア・カスタ)という娼婦がやってきた。娼婦の子として生まれ、娼館で働くプチ=ルイ(パトリック・ティムシット)は、彼女を一目見るなり自分の一生をかけて彼女を幸せにしようと決意する。
監督パトリス・ルコント(『フェリックスとローラ』
−◇−◇−◇−
きたきたきたー!これぞルコントマゾ映画の真髄って感じっす。『仕立て屋の恋』に近いかなぁ。相手の想いを理解しながらも利用してしまうズルイ女・・・いや、マリオンは純粋というか天然なんだろう。プチ=ルイが、本気で自分の幸せのために世話してくれてるんだーって思ってそうだ。いや、そうなんだけどさ、そうなんだけども、それだけじゃないんだよぉ(泣)

次々に現れるマリオンの“運命の人”。けれど本当の運命の人は、最後に残るのは(彼女が年老いて男に見向きもされなくなったら)自分だけだ。そう思って彼女に尽くしているように見える。プチ=ルイの言葉や行動の端々に、それが見てとれるわけ。
(ここからネタバレ)小川でのピクニックの最中にルーマニア人たちがやってくる。そこに少年時代のプチ=ルイも登場するのだが、これはディミトリさえいなくなればと思うプチ=ルイの願望だったんじゃないかな。このままだとマリオンは一生ディミトリのものだって。でも、そんな邪まな考えを見透かすように、神様はマリオンの命まで奪ってしまった。彼の混乱と絶望が最初のシーンへと繋がるのである。あの冒頭のシーン、最初は何なのか全く分からなかったけど、思い返すと切ないね。(ここまで)

泣いたりはしなかったけれど、誘拐されてしまったマリオンたちを助けるためプチ=ルイと仲間の娼婦たちが身代金を集めるシーン。ここはちょっと泣きそうになった。娼婦たちはマリオンのためにお金を出したんじゃない。マリオンを愛するプチ=ルイのためにお金を差し出すのだ。娼婦たちから愛されているプチ=ルイ。でも一番愛している人からは愛してもらえない。・・・うぅ。

でもね、私はルコント映画に登場する、男を翻弄する女たちがすごく嫌いなんだけど、マリオンに対しては不思議と許せてしまった。やっぱり天然だから?(笑)彼女もまた健気で必死だからかな。そのかわりロクデナシのディミトリが許せなくって。何でこんなヤツに惚れたんだよ!とか、顔なげーんだよ!などと心の中で悪態をつきながら見ていました(笑)
マリオンはどういう基準で“運命の人”を選んでたのかなぁ。やっぱり背の高さかな。彼は顔の長さの分、かなり身長稼いでたかも(おい)
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