2004.12.13 再開 「じっかいHP」について (年末特集号)
2005.01.23 (新春号) |
3年ぶりに、「じっかいホームページ」を更新します。HP編集幹事は、 長いことその ままにしていましたことをお詫びします。
この号の内容
■ 2004年10月06日 秋保総会の報告 (事務局報告)(下記)
■ 「サロン・ド・じっかい」お別れ会報告
■ 「正月123じっかい新年会」
■ 「ミネソタ便り」
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この「じっかい季報」は、工藤事務局長が「仙台一高同窓会々報」に寄稿予定の、総括文の転載を 中心にして、お送りします。
『2004年総会』に65名 2004.11.30 工藤忠久 記す
ご案内のように10月6日(水)秋保温泉「佐勘」で『じっかい総会2004』を開いた。卒業して46年になる。「10年ごとに全国規模の総会を開いてきたけれど、間が開きすぎると思いませんか?物故者も年々続いています。逢いたいときに逢う。こういう考えで、ことしの秋、秋保温泉で総会を開くことを提案します。1月2日の「新年じっかい」での、鹿野君のアピールだった。その日の出席者の中に、異論のあるはずはなかった。
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準備のための幹事会を3度重ねて、仕度は万全。当日の受付では3名の出入りがあったが、予定どおり65名。恩師のご出席は、山田誠爾先生・田中良先生・富樫健一先生。山田先生のご出席は久し振りだ。内訳は関東圏から21名。宮城県在住者が40名。盛岡市から1名。 いつもどおり、恩師の挨拶や遠来の友、久しぶりに逢えた人中心に話を進める。東京地区幹事の菊地清高・進藤舜一郎君にも登場して貰う。こういう会合は、何と言っても話と酒が主役だ。大勢の前で喋ったところで、聞いてくれる人はそこそこ。よほど力量のある話術がないとサマにならない。両隣の席同士や久々に逢えた同士の会話が、何よりなのだ。
ホテルの担当者の話では、酒は“乾杯”の時ぐらいで、あとは話に夢中になるので、酒量がはかどらないものだという。ところが、である。一次会終了時点で、すでにビール180本(ほか、酒、焼酎が加わる)が出たそうだ。「今日のお客さんは、よく呑むお客さんたちです。」と仲居さん。
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別室に移って二次会。ここでありがたかったのは、ウィスキーなどすべてが中村利弘君からの提供だったことだ。酔いもほどほど、気持ちも寛いだのか、カラオケも出てくる。東北電力勤務だった5人が、声を合わせて『広瀬川旅情』を唄う。こうなると、途中で挨拶に立ったところで、もう話は聞いて貰えない。かくして、話は尽きず。一方、ウィスキーは限りを尽くす。
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さらに、予め確保していた655室で三次会。ここでも話しの輪が、三つ、四つ出来ている。小生、ここまで持ってきたカメラで数枚撮ったところまでは記憶があるのだが、それからのことが頭の中にない。正気に返ったのは、翌朝自室の床の中だった。出版部仲間の岩渕上君が、運んでくれたとの話し。酔いと睡魔に抵抗できなかった。残念! 翌朝の朝食会場で、前夜撮った集合写真を配る。それぞれの部屋ではまだ話しが続き、やがて、昼食の蕎麦となる。ここまでが、今回の総会の企画だった。だが、中には朝食・昼食にも出て来なかった人がいたと聞く。自分にも覚えがあるのだが、きっと同期の会が嬉しくて、よほど呑んでしまったのだろう。「間違いない!」
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次回は、仙台と東京の中間点を会場にしようという話しも出たが、東京地区幹事とも相談して、愉快な企画を提案したい。<出席者は、集合写真の通りです。>
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2001/01/02
2000.11.30 (秋 季
号) |
今 号 の 内 容
■ 宇野先生, 91歳でご他界
■ 宇野先生の奥様よりのご挨拶状
■ ご次男・宏志様よりのご挨拶状
■ 河北新報掲載の記事
■ 「宇野量介先生を偲ぶ会」 案内
■ 恒例 「じっかい」 新年会
■ 同窓会名簿の改訂→異同をお知らせ下さい。
■ 『Salon de じっかい』 を開設 ■ 会員異動 ■ 弔 意 ■ じっかい通信費納入者 |
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秋季号をお届けします
◎…還暦も過ぎ, 浮世の口過ぎをほゞ終えたとなれば, その後はどんな日々をお過ごしですか? 人それ ぞれの生き方でしょうが,
せめて心身健やかな日々でありたいと願っています。
◎…母校は2年後に創立110周年を迎えますが, これまでに第一女子高, 仙台二高 (今年) 古川高, 築館 高 (今年), 東北高, 東北学院, 宮城学院, 尚絅女学院, 三島学園 (今年) なども創立百周年を刻みま した。 一方, 宮城県政のひとつに, 男女参画社会の推進というのがあって, 県立高のすべてを男女共 学校にしようという計画が策定されています。 併行して, 少子化社会の反映で高校の統合・合併も進み始 めています。 県教委の説明会・公聴会が地区ごとに開かれましたが, 賛否さまざま。 しかし, 県では確 実に実現させようとします。
◎…私事で恐縮ですが……。 たびたび尋問されるので, この際申し述べることにします。
問 「退職後, 何かしているか?」 「何を, しているか?」 「仕事は何か?」
お答えします。 「当面の狙いは, 『宮城の囲い碁ご人びと』 の一冊を仕上げることです。
仙台開府以降今 日に至る四百年間の, 語るべき宮城の囲碁人の人物像・群像を描き上げることです。
加えて宮城県をか すめた人々・県内の活動状況・公式戦の記録を入れて,
宮城県の囲碁界の大方が判かるものを書きたい という希望です。 目下, 取材・資料収集中です。
参考になることをぜひ提供して下さい。 あとは, 息抜きにクラシック・コンサートに出かけたり,
囲碁・油絵などの戯れ事を。 琴棋書画の世界に遊 ぶ, というのが望みの暮らしです。」
と。
□◆ 宇野先生, 91歳でご他界
我等が校長・宇野量介先生が8月23日他界されました。 8月9日に91歳のお誕生日を迎えられてのことで した。
事務局 (工藤) は, 同26日朝, ご次男宏志様 (高11回・サッカー部) からの電話で知ったのです が,
同 日の河北新報に掲載された死亡広告 (別掲・10頁) であらましを了解しました。
奥様の心労著しきを慮り, 1カ月後の9月22日, 樋口龍雄君と工藤が弔問に伺いました。
法名=慈徳院円覺量介居士。
新寺小路・浄土宗 「愚鈍院」 住職・中村真道先輩 (中50回) により引導。
納骨は, 来春,
東京・多摩霊園で執り行うそうです。 (日時未定)
今号では,■四十九日法要後のご挨拶状 (奥様より),■ご次男・宏志様よりのご挨拶状
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2000年8月28日
仙台第一高等学校・第十回生の皆様へ 宇 野 宏 志
8月23日午前4時12分, 実父・宇野量介は膵臓癌のため, 満91歳の人生を全うし他界致しました。
茲に 謹んで通知申し上げると共に, 生前に頂戴致しましたご厚誼に改めて御礼申し上げます。
仙台第一高等学校関係者の中でも, 常日頃あれだけお世話にもなり, ご面倒も掛けた第十回生の皆様に は,
早くご連絡を……と思ってはいたのですが, 「全てを静かに身内だけで……」 との固い遺志を伝えら れていましたので,
ご無礼する結果となりました。 事情悪しからずご理解の上,, 何卒宜しくご容赦の程 お願い申し上げます。
年若くして親兄弟を失い, 天涯孤独と言って良い環境に生きた親父でしたが, 教え子でもある主治医と, 永年連れ添った女房と, 5人の子供, 11人の孫,
5人の曾孫に見取られて, 大往生を遂げました。 通夜
(8月23日)・葬儀 (同24日) も, 親父の遺志をしっかり汲み取った形でを執り行うことが出来ました。 おそらくは満足してくれたのではないかと思っております。
肝臓癌との診断でしたが, 元気に8月9日の誕生日迎えた時点では, 腹の張りを訴えていた程度で, 周囲も事態を深刻には受け取っていませんでした。15日に持病にもなっていた胃潰瘍のせいか,
吐血してから急速に事態が悪化したようです。 お袋と5人兄弟が全員揃ったところで, 腹水を抜いて貰ったのですが, 急速に衰弱の度を深めました。
意 識を失ったあとも, 強い心臓に支えられて頑張りましたが, 最後はやはり91歳という高齢から来る体力の 限界を乗り越えることは出来なかったようです。
安らかに眠ってくれると思います。
本来であれば皆様にお目にかかって御礼申し上げるべきところ, 喪主であるお袋も弱っておりますし,
長男も神戸在住でありますので, 次男であり皆様の一期後輩 (第十一回生) である私から, 拙文を省みず ご挨拶申し上げることとした次第です。 失礼の段, 重ねてお詫び申し上げます。
(三井物産・インドネシア 総代表, 在ジャカルタ)
奥様からのお便り
朝夕に秋冷を覚える頃となりました。 六十五年を超え共に過して参りました 夫 宇野量介が、 九十一歳の 誕生日を迎えて二週間後の八月二十 三日に永眠致しましたことは、 過日ご報告させて頂きましたが、 その節には数多くの方々から心こもるお悔 やみと励ましのお言葉を頂戴致しまして、 あらためて深く御礼申し上げます。 ありがとうございました。 あれから早くも七週間が過ぎ、 四十九日の法要も本日無事相済ませました。 ここに重ねてご報告させて頂 きます。 やがて寒さも厳しい冬を迎えますと、 あとに残された者としての寂しさが一層つのるものと思われますが、 静かに時を過して参りたいと存じます。
なお、 新年のご挨拶もご遠慮させて頂きますので、 それも合わせご通知申し上げます。
平成十二年十月十日
宇 野 あつ子
〈追記〉 長年に亘りまして本当にお世話様になりました。 「じっかい」 には思い入れも深く殊の他楽しそうで ございま した。
ありがとうございました。
□◆ 「宇野量介先生を偲ぶ会」
下記のように行うことを, 10月13日の幹事会で決めました。
日 時 2001年5月18日 (金) 午後6時30分〜 会 場 『五橋会館』
(地下鉄・五橋駅西北口)
会 費 8,000円
主 宰 「じっかい」 協 力 高1回
対 象 宇野先生を慕う人なら誰でも。
申 込 先 「じっかい」 事務局へ。 5月1日まで。 ※改めての案内状を出しませんのでご了承下さい。
□◆ 恒例 「じっかい」 新年会
1月2日, 午後3時〜。 「建華園」 (東七番丁)。 改めて案内を出していません。
と にかく、 「1・2・3」 を
忘れずにいて下さい。 新世紀初頭の会を賑やかに行いましょう。 ぜひ、 おいで下さい。
□◆ 同窓会名簿の改訂
母校創立110周年 (2年後) にあたり, 同窓会名簿の改訂を行うことが同窓会常任幹事会で決まりました。 発行は2002年5月。 新名簿編纂委員長=山崎勝弘君
(高10回)。 「じっかい」 分については, 事務局から 原稿を出すことにしています。 昨年暮に, 「じっかい」 名簿を改訂したばかりですが
(「卒業40年記念号」 巻末), 職場の定年・異動等で かなり異同が生じています。 そこで, 改めて各位の正確な消息を把握し たいので, 折り返し次の事項を事務局まで返信願います。
付記1 事務局 (工藤) にFAXはありません。
付記2 ホームページがあります。
□◆ 「Salon de じっかい」 を開設
じっかい諸兄の溜まり場が, 中村利弘君のお骨折りで開設されることになりました。 30年前, 青葉通り・国分町角の 『ゾロ』 に集まり, 一定料金で雑談を楽しむ期間がありました。
幹事会でも, しばしば話題になっていたのを, この程実現の運びになったのです。 気が向いたとき, 出張で来仙されたときなど, ふらっとおいで下さい。
◇場 所 『ラウンジ本庄』 青葉区国分町2丁目, OH3番館ビル5F TEL 221−8303
◇時 間 午後8時〜11時 ◇木 戸 銭 5,000円
1998/09/20
「じっかいホームページ」開設にあたって |
「じっかい」会長: 樋口 龍雄 |
このたび有志の方々のご好意により「じっかいホームページ」を開設できることになりました。志学の歳、茶畑の土を踏んだわれわれじっかい生も、そろそろはや還暦を迎える頃となりました。茶畑では学級日誌があり、あの頃じっかい生は遊び心が旺盛で、大いに活用しておりました。あの日誌はどこに行ってしまったのでしょうか。もう一度会いたいものです。さて、この「じっかいホームページ」をあの学級日誌のように活用すれば、「仮想茶畑空間」を再現できることになります。じっかい生の衰えを知らない遊び心を期待しています。 |
1999/09/09
「皆さん、お元気ですか、この「じっかい」のホームページを誕生させてから実になんと、もう1年が過ぎました。作っては見たものの、なかなか管理が大変で、ということになるだろうとは思っていましたが、まさか、初めての更新が、1年後になろうとは、思っていませんでした。その間に、昨年10月3日の40周年記念の秋保の会などいろいろチャンスがあって、やろうと思えば、できたはずなのに、今日まで日にちが過ぎてしまったことを、お詫びします。(入院など弁解すれば切がないことで、ただただ、お詫びあるのみ)(M君からの、お叱りも届いています)「飲み会報告」には、東京じっかいの案内。「落書き」には、現在、私の手元にあるじっかいメンバーの、Eメールアドレス、ホームページのURLをのせました。」
1998/09/20
☆「じっかい事務局」より☆このホームページは、茶畑10回生の好きものが、自由に参加して運営する、同期生ネットワークの窓口として開設しました。「じっかい」の皆さんはもとより、茶畑の先輩・後輩あるいはほかの方々のダベリングの場として使って頂ければと思います。
このホームページは、[じっかいホームページ]と呼びます。略しては、[JikkaiHP]or[JHP]とします。ネットワークの公開部分の運営は、当面、窓口となる事務局へのメールの掲載の形でやっていきます。
(言い出しっぺ
) 樋口・玉造・守屋・鹿野(窓口事務局 )
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