2008.03.03 仙台一高(じかい)の演劇部OBは、心臓が弱い。舞台などに関わったせいか、娑婆では叩かれ強そうで、殺しても死なない心臓の持ち主のように見えるようである。しかし実際の心臓は、そうでもなく、鹿野が12年前に心筋梗塞で倒れ、小川君が5年前にステントを入れ、大立目君が4年前にバイパス手術を受けることになり、バタバタと心臓病もちになってしまった。ところが平野君だけは、何故か丈夫で皆んなで不思議がっていたところ、この正月に至って見事に心臓病の洗礼を受けることになった。その闘病記を掲載します。 平野 茂樹君 からのメール(私信ではありますが) 今年の正月から2月3日までを、 臨場感をもって転載します。 じっかいのみなさまへ あけまして おめでとうございます。平野茂樹です。ご無沙汰しております。2008年という新しい年を迎えました。今日は6日。今年はじめての日曜日。新しい年の松の内が過 ぎて日常生活が始まろうとしています。ことしは、われわれ「じっかい生」にとって茶畑を 卒業し半世紀経た年です。わたしは、いつもとちょっと違った気分になっています。 滑り出した2008年という年の景色は、ちょっと例年と違って見えます。連日、テレビ新で「温暖化で危惧される地球環境問題」や「古代エジプト時代から文明を見直してみよう」などと連呼しています。言い替えれば、いま地球という星は、お手本を過去の歴史に見出せない羽詰った時代を迎えてしまった。と言えるのかも知れません。こんな 新年を迎えると、黙っていられない悪い癖が出てしまいました。「わたしの2008年への メッセージ」を聴いていただきたいのです。ご迷惑でなければ、添付文書に目を通してい ただければと思っています。 また、平野からの勝手なメッセージが来たか! とお思いの方は、ここですべてを削除してくださっても一向に構いません。聴いていただいて、感想や批評をくだされば、賛否は問わず、嬉しく、感謝でいっぱいです。よろしく。 (2008.01.15) |
2007.10.27 柏木 信君からのお便りを、私信ではありますが、皆様への音信として掲載します。 てろかみまをす。 ひさしくおとづれたてまつらずとしつきすぐし侍りぬ。 ちかごろ草しぬるもの二首たてまつる。 此より先へ読み給へ。 批評たばらむとなむまかりおもひぬる。 なにがし痔を病みひとかたにあしくのみし侍りければひとにあふことものろく侍りて、思想停頓のうれひにそへて、こもりがちにこそもてなし侍りけれ。それも前の前の同窓會のみは押して出侍れど、こぞの同窓會にはかほさらしつるのみにてのがれりて侍りき。君、山崎君など東京まで出でおはしけるものを、すこしもものがたらでかへしつる事いまさらにくやしくなむ侍る。またこぞのすゑもしはことしのはじめ、寓(やど)になにかしをとひ来しく有りとおほやの告げしは、もし君にやは侍らぬ。そのをり寓賃とどこほらせ、おほやのなにがしにくみうらみることふかく、いらへもさもなめかりけむとこそ思ひやられはべれ。 高橋柏君は一年下の人なれど年賀状に食道癌と侍りしかど、なほつとめにかよふとも侍りしかばさばかりにも侍らじと見過ごしつるを、近頃人の言うをうちききてにわかに思い直り、さきの日曜日堕病もはばからずおしまゐり、二時間こえて頭に輪はめぬる人にものかたりしひたてまつり侍りぬ。めをと二人していかにか御覧じたまひけむ、心もとなくこそ侍りぬ。 かくていままたはてからず成り侍りぬれば、東京におはし給はむをりさしつかへ侍らずはおとなひ給はなむかし。このこと山崎君などにもよしなにほのめかせ給へ。 大昔になりにて侍れど、わが送りてける漢詩に一字足らずげに見え侍りけむ。それは「今體(きむたい)」ならぬ「古詩」に侍れば、一句を七字をおもとすれど「君不聞十七字」や「三十三」などにわざとすることも侍る。そのこと蕪文作りはてし後は思ひかへすもなくてわすれて侍りにしを、君にふたみたび問はれて意味だに聞き分け侍らずうち過ぎ侍りつるなり。今思ひいづるままにねむごろなりけるおおもてなし、かたじけなくと申す。かろきかたばかり書きつらね侍れど、今はかくてとぢめ侍るらむ。あらあらかしこ。 平成十九年九月二十六日 まことまろ としひでさま まゐる (柏木君の二首 「週間現代」と「朝日新聞」よりの「安部晋三脱税問題」および「会計検査院」考については、後ほど改めて添付文章として掲載します) |
2007.09.19 藤村の詩碑里帰り 詩碑が名掛丁藤村広場に里帰りしました。その詩碑の、説明文を 高橋武雄君が起筆しました。 その案内板の内容および編集 委員長として「経過のドラマ」を 記した文章をご紹介します。 (諸般の事情によりリンク先を 作れませんので次回の更新で お許し下さい) |
2006.12.29 「技術士倫理要綱に学ぶ」(社)日本技術士会東北支部倫理研究会 研究会報告が掲載されておりましたので、転載してご紹介します。 |
2006.04.26 詩歌の里心の宿 宮城野 文集が発刊されたのでご紹介します。 |
2005.09 ミネソタ便りG、H、臨時増刊をお送りします。 (なお、この便りは三原氏が楽しいレイアウトをしたので、再掲しました)
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UpDate 1998/09/20 |
鹿野 敏秀 |
また新しいワープロを買い込んでしまった。ほとんど病気に近い、これで5台目になる。最初は500枚ほどの年賀状つくりが目的ではがきの印刷機能のスムーズさを狙いに一台。次は通信機能が欲しくなって一台。職場が変わり、フロッピーの互換性が必要になっての日常作業用にもう一台。その間に持ち運びをしたくなってノート型を一台。そして今回は電子手帳が思うように機能を発揮しないので、ポケットタイプに切り替えてみたという始末である。計画性のない、しかも全く衝動買いの安物狙いがなさしめたことで、われながらあきれ返ってしまう。 それにしても最近のビジネス文書は、ワープロのおかげで大分読みやすくて助かるが、一方ではそれを書いている個人の顔が見えない、味気ないものになってしまったという一抹の侘しさも感じる。手書きの時代には、字の上手下手とは別に筆圧のようなものがあって、文書に込められた筆者の愛着とか思い入れのようなものが読み取れる場面があった。転勤で離れた場所にいながら、ふと目にとまった社内文書に懐かしい字を見かけて、それを発信した旧知の健在をひそかに悦ぶなどという楽しみも、味わうことができなくなってしまった。 それはそれとして一方では、この数年のオフィスへのOA機器の普及の速さには、ひそかに心弾ませているところである。ほんの20年前には、考えられない速さでの流れになった。そのころたまたま、電算機処理を職場内に取り入れることや、オフィスの中の諸々のシステムを経営情報として結びつけることについて、皆さんから受け入れてもらえるようにと腐心していたことが懐かしく思い出される。 コンピューターのような技術の進歩が、いわゆる専門家の世界から広く一般の普通の人々に受け入れられる過程は、世代の交代無しには本物にはならないのではないかと思うことがあった。技術の発展は、ほとんど幾何級数的な速さで進むが、習慣や経験によって事を処理する能力を蓄積していく人間のサイクルは、そのスピードに乗り切れない。人は生まれて物心つき何年かの学校生活で学び、何年かの職場生活の中で対応する力を蓄える。平均寿命が10年延びるとか、小学校で九九を教える学年が一年早くなったと言った程度の進歩では追いつかない。 オフィスにあって、キーボードを何の抵抗もなくいじれるのは、テレビゲームで育った若者世代であり、今の40代から50代はどうしても構えて取り組むことになってしまう。しかし最近の人工頭脳をはじめとする技術進歩の流れは、そのような世代間のギャップさえも超える可能性を、期待させてくれている。 世代を超える話といえば、読んで字のごとしそのものズバリで昔話がある。土曜の夕方に晩酌をしながら、テレビの「日本むかし話」を見ていると、つい十数年前には夢中になっていたはずの子供やかみさん達から大いにからかわれる。それでも好きで、チャンネルをそこに合わせてしまう。 そんなひと時に出合った、信州の昔話が心に残った。深い谷を挟んだ二つの村の若者と娘が、その谷に橋を架けることを誓い合う。20年の苦労に苦労を重ねる歳月を経てその橋は完成し、すっかり歳を取ってしまってはいたが、二人は美しくも結ばれるという物語であった。 地域の問題を考えるとき、20年や30年のスパンでものを見ながら取り組む必要があることは、理性では分かっている。しかし自分も含めて、いまこの時代に暮らし生活している現実との折り合いをつけて行くことは、そんなにたやすいことではない。 百年の計は100年後にその真価を表すが、それはひとっ飛びに行くのではなく、支え続ける世代を超えた人々の英知の積み上げを必要としている。チャレンジすべき目標が、チャレンジするにふさわしい目標であるにとどまらず、過程に於いて関係主体はもとより社会的な広がりの中に、参画する悦びを育てることが求められている。世代の関係で見れば、いまの世代が未来に向かって語りかけている姿が、次の世代をして未来に目を向ける勇気を育むことになるのだと思う。 20年前に、事務の機械化の経営的総合化として目指された課題が、急速な技術の進歩を背景にして、戦略的経営情報システムとして改めてチャレンジされている。世代間の壁を超えて、技術はそして科学はまた新たな対話の手段を膨らませ続けている。 地球社会や地域社会にとって、科学する営みが、世代と世代を結ぶ掛け橋であることに思いを込めながら、日々の活動を組み立てていきたい。 |
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メールはこちらへ、JHP事務局・鹿野宛 |