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2012年以降のタイの政治経済

コメ問題特集
[テロ関連]



T. 14-48 .2010年の黒シャツ一味5名が逮捕(2014-9-12)

T 14-47 軍政下の立法議会197名の指名議員で発足(2014-8-8)

⇒カンボジアでの不当囚人ウェーラ氏釈放(2014-7-1)

T 14-46 2015年10月には選挙実施予定(2014-6-28)

T 14-45 コメの盗難9万1千袋(2014-6-27)

T 14-44 タクシンの仲間の米業者アピチャート、2万㌧のコメ横領で6年の実刑(2014-6-25)

⇒元兵士がナコン・ラチャシマで大量の武器・弾薬の所持で逮捕(2014-6-24)

T 14-43 米作農民には作付補助金と低利融資を検討(2014-6-18-2)

T 14-42 カンボジア人不法就労者188,000人が緊急出国(2014-6-18-1)

T 14-41交通体系の全体的改善に3兆バーツが必要(2014-6-13)

T 14-40 ウドン・タニの赤シャツの親分クワンチャイが子分に払うカネカネが無い(2014-6-12)

T 14-39 洪水対策プロジェクトでNCPOが見直し検討(14-6-9

⇒国民貯蓄銀行が財務省債券を300億バーツ買い上げ、コメ輸出は好調(2014-6-4)

T 14-38 NCPO大型プロジェクトの洗い直し開始、経済は楽観ムード(2014-6-3)

T 14-37 赤シャツ20万人の民兵軍団を率いるスポーンが政治から手を引く(2014-5-30)

T 14-36 タクシン派警察官僚のパージ始まる(2014-5-29)

T 14-35 捕まえられるものなら捕まえてみよ。豪語する赤シャツ幹部(2014-5-28)

T 14-34 NPOMCはプリディヤトン元副首相ら6名の顧問団を任命(2014-5-27-2)

⇒2月のトラート県のテロ事件2人の容疑者捕まる(2014-5-27-1)

T 14-33 コメ代金の支払い始まる(2014-5-27)

T 14-32 赤シャツ村の標識の撤去を要請(2014-5-26)

T 14-31 プラユット陸軍司令官が全権掌握、上院も解散(2014-5-25)

T 14-30 タイで軍事クーデター(2014-5-22)

T 14-29 ロップリとサムット・サコンで多数の武器を押収(2014-5-21)


T 14-28, タイ陸軍全土に戒厳令布告、当面軍事クーデターはなし(2014-5-20-1)

T 14-27 PDRCデモに銃撃と手りゅう弾で3人死亡、22人が負傷(2014-5-15)

T 14-26 インラク首相に違憲判決、9閣僚辞任(2014-5-7)

T 14-25 インラク首相、国家公安委員会タウィル事務局長人事で憲法裁判所が訴追受理(2014-4-3)


T 14-24 上院選挙77議席中プア・タイ党など与党系が40議席を占める(14-4-1-1)


T 14-23 学生運動の活動家が赤シャツ・テロに高速道路上で撃たれ、死亡(14-4-1)


⇒赤シャツが僧侶に集団暴行(14-2-25)

T 14-22 2月2日の選挙は無効ー憲法裁判所判決(14-3-20-1)


T 14-21大量の迫撃砲弾がチョンブリで見つかる(14-3-21)


T 14-20 タイの農民は貧困から脱却できず(2014-3-17-1)


T 14-19 赤シャツのリーダーが武闘派のジャトポンに交替交替(2014-3-17)

T 14-18 2.2兆バーツの大型プロジェクトに違憲判決(2014-3-12)

⇒スーテェップ氏の自宅付近でも不発手りゅう弾(2014-3-11)


⇒銃撃・手りゅだん攻撃が相次ぎ、病院までも標的(2014-3-8)

⇒空軍司令官がコー・テの逮捕を要求(14-3-6-1)

T 14-17 BAACはこれから作付する米には農民に直接補助金を渡す制度に切り替え要請(2014-3-6)

T 14-16,赤シャツの分離主義の動きに軍が厳重警戒(14-3-3-1)

T 14-15 PDRCはバンコク封鎖体制を解除、ルンピニ公園に集約(20114-3-2)

T 14-14 赤シャツ60万人の民兵構想をぶち上げる(2014-2-27-1)

T 14-13 コメ買い上げ制度に伴う汚職金600億バーツが香港に送金された(14-2-27

T 14-12 60%が中立の首相を望む(14-2-26)

⇒バンコク・ラチャプラソン通りで23日夕方手りゅう弾テロ、2名死亡22名負傷(14-2-23-1)


赤シャツは「反政府デモ」に対抗する大衆動員宣言(14-2-23)

⇒トラート県でPDRC集会に手りゅう弾テロ5歳の少女1名死亡31名負傷(2014-2-22)

T 14-10 アピシット民主党党首、選挙復帰宣言、新首相には各党が合意できる人物を(2014-2-20)


⇒ウォラウィットGSB頭取辞任82014-2-19
⇒2月に入って最大の衝突、警官1名、市民4名死亡、負傷者70名(2014-2-18)
⇒コメ代金の支払いの目途がつく?40億バーツ/日(2014-2-17
⇒トヨタのプラモン会長宅に銃撃(2014-2-15)


⇒憲法裁判所は2月2日の選挙は有効と判断(2014-2-12-3)

4-9,反政府デモへの資金援助を行った企業19社の名前が漏れる(2014-2-12-1)


⇒米作農民へのアンケート、コメ買い上げ制度に否定的43%(2014-2-12)


⇒米作農民のバンコク集会にPDRCのデモ隊が募金活動(01-2-11-1)

T 14-8 タクシン、ビルマでスーテップ他の殲滅の祈祷(2014-2-11)

T 14-7 タイの2分割論がでる(14-2-9)

T 14-6 選挙は無事終了するも無効の公算大(2014-2-6)

中国へのコメ輸出はキャンセルに(2014-2-5-1)

⇒ビルマからのコメの密輸が大流行(2014-2-5)

⇒腐った収穫(A Rotten Harvest) Bangkok Post特集記事から (2014-2-3)


⇒コメの支払い資金は選挙前に集まらず(2014-1-31)


⇒1月28日にデモ隊に発射し負傷させた警察官の犯人が捕まる(2014-1-28)

⇒PDRCのリーダー、赤シャツに銃殺される(2014-1-26)

⇒パトゥム・タニで武器輸送犯を逮捕(2014-1-25-1)


T 14-5 憲法裁判所は「選挙延期」は可能という裁決(2014-1-25)

T 14-4 タイ戒厳令施行(2014-1-22-1)


⇒タイ海軍はカンボジアから来た「黒シャツ軍団」の関与を指摘(2014-1-22)

オバマ大統領にあてたタイ弁護士Vanina Sucharitkul氏の手紙(2014-1-20-1)

⇒財務省は326億バーツの農業債を売り出した(2014-1-20)

⇒17日にデモ隊標的のテロで36名負傷(2014-1-17


T 14-3 インラク首相も一連のコメ買い上げ問題で訴追の可能性(2014-1-16)

T 14-2, 民主党アピシット党首宅に爆発物投擲(2014-1-15)


⇒農民の不満とストレス高まる(2014-1-13-1)

⇒1月13日前のテロの増加(2014-1-11)


⇒コメ買い上げの支払いに苦慮(2014-1-10


T 14-1, 1月13日に大デモンストレーション予定(2014-1-5)

T 13-29 プラユット陸軍司令官「軍事ク^デター」の可能性排除せず(2013-12-28)


T 13-28 選挙管理委員会-投票の延期を勧告(2013-12-26)

⇒中国とのコメ取引の約束は存在せず(2013年12月25日)⇒T13-19関連

⇒中国へのコメ輸出契約ータイ政府発表(2013-11-21)


⇒朝日新聞の柴田直治氏のご高説(2013-12-24)


⇒12月22日(日)はバンコクでは有史以来のデモ(2013-12-23)

T 13-27 タイ民主党2月2日の選挙ボイコットを決める(2013-12-21)


T-13-26 タクシンの麻薬犯罪戦争と人権侵害(2013-12-19)

T 13-25 タイの下院解散(2013-12-9)

T 13-24 国王誕生日前に一時休戦(2013-12-4)


T 13-23 反政府デモ最高の盛り上がり、遂にラムカムヘン大学で死者5名(2013-12-1)

T 13-22 バンコク全市に治安維持法(2013-11-26)

T 13-21 憲法裁判所は上院の定数を巡る与党の改憲行動を違憲との判断を示す(2013-11-20)

T 13-20 プリディヤトン元財務相がコメの買い上げ制度を止めて農民に「助成金」支払いを提言(2013-10-19)

T13-19.中国はタイから毎年100万㌧のコメ輸入を李克強首相が約束(2013-10-14)

T 13-18. タイ検察庁、タクシンをテロ容疑で告発せず(2013-10-11)

T. 13-17 またもや洪水の被害、プラチンブリの工業団地に被害(2013-9-26)

T 13-16 ゴム栽培農家が南タイで道路封鎖(2013-9-4)

T 13-15 バンコク・ポスト系の編集者の家に銃弾打ち込まれ手りゅう弾が置かれる(2013-8-18)

T 13-14. 反タクシン派ビジネスマンのアクユット氏殺害の下手人は警察官?(2013-8-15)

T 13-13. 国内の治安を乱す噂をFacebookなどで流すと警察が取り締まる(2013-8-13)

⇒プアタイ党は議員提出の「和解法案」を議会に提出し、強引に審議を始めた。(13-8-9)

T.13-12.  「和解法案」を巡り、タイの政治情勢深刻化、株式も下落(2013-8-2)

⇒さっぱりサバケないコメの入札(2013-7-31)

T 13-11 タイでは25%のキック・バックは当たり前?(2013-7-27)

T 13-10 タクシンは64歳の誕生祝客のために北京向けチャーター便を手配(2013-7-25)

T13-9.タクシンとユタサク(副国防相)の密談テープ(?)事件(2013-7-10)


⇒財務省の副事務局長のスパ(Supa)女史、コメ買い上げのロスを公表したカドで査問に(2013-7-8)


T-13-8 インラク政権の内閣改造(2013-7-3)

⇒12000バーツへの切り下げ撤回―農民の圧力に屈する(2013-7-2)

T-13-7 米買い上げ制度の矛盾拡大(2013-6-19)

T-13-6. プア・タイ党の牙城のドン・ムアン地区で民主党候補勝利(13-6-18)

T-13-5. イタリー人カメラ・マンは軍の発砲により殺害された。黒シャツ着用が原因か?(2013-5-29)

T-13-4 タイの株式暴落、1478.87へ1週間で-7.5%、政治要因あり(2012-3-22)

T13-3 インラク政権はコメの高価買い上げ制度を維持する方針(2013-3-15)

T13-2. タクシンがスカイプでプアタイ党幹部に指示(2013-3-14)


T13-1, バンコク都知事選挙はスクムバン知事が再選(2013-3-7)


T12-20 民主党法律顧問ラメット氏へのテロ、一命は取り止める(2012-12-18)

T12-19. 民主党のアピシット党首とステップ前副首相を殺人罪容疑で特捜部が事情聴取(2012-12-12)

T12-18 反政府集会に2万人が集まる(2012-10-30)

T12-17 タイ政府は700万㌧のコメ輸出を政府間協定で決めたと発表するも根拠薄弱(2012-10-4)

T12-16 タイの経済はインフレ下で停滞色が強まる(2012-9-25)

T12-15 クルンタイ銀行不正融資事件でタクシンほか26人起訴(2012-7-26)


クルンタイ・バンク事件でタクシンに逮捕状(2012-10-12)


T12-14.プリューワン警察長官、タクシンに面会に香港に出かける(2012-7-26)


⇒タイの憲法裁判所の判決に京都大学のタイ人助教授が批判(2012-7-25)


タイの政治経済2011年以前に戻る

T12-13. タイの汚職急増、政府プロジェクトには30~35%のワイロ必要(2012-7-18)

T12-12. インラク首相がタクシンの失政を隠ぺいするために42億バーツの国家資金を使用(2012-6-21)


T12-11 タイ憲法裁判所が「憲法改正審議」の中断を指示、タクシンが攻勢激化、赤シャツをけしかける(2012-6-3)

T12-10 プア・タイ党が国民和解法案の強行突破を図るー国内政治の混乱の始まり(2012-6-1)

T12-9. タイ国際航空の経営権がタクシンの手中に(2012-5-24)

T12-8 ジーメンスが鉄道車両製造工場設立(2012-5-23)

T12-7 タイの洪水対策投資は中国と(2012-4-28)


T12-6,インラク政権は親中国政権、4月中旬の訪中で多くのプロジェクトにサイン(2012-3-31)

T12-5.タイの政局は「国民和解委員会」のモツレから再び混乱に(2012-3-26)


⇒ソンティは和解委員会の委員長を降りる(2012-4-2)


T12-4. タクシン派5万人の大集会で憲法改正をアピール(2012-2-26


T12-3 タイの不敬罪の改正をせまるタマサート大Nitiratグループに反発強まる(2012年2月4日)

T12-2,インラク政権内閣改造であやしの人物がさらに増える(2012-1-23)



T12-1、タイ洪水事件のまとめ (2012年1月23日


タイの洪水については2011年10月以降多くのページを割いて書いてきた。しかし、日本にはインラク政権には何の責任もないとか、アピシット民主政権に罪をなすりつけるような悪質記事(日経、高橋氏)まで公然と登場している。しかし、多くの現地の日系企業が実害を受け、自動車やエレクトロニクス部品供給がストップしたために世界経済にも大きな影響を与えた。

日本のメディアや学者はこの事件の「総括」は気恥ずかしくて到底できないであろう。あれだけデタラメ記事をたれながしてはそれも当然である。

重複部分もあるが、まとめの意味で問題点を整理しておきたい。

①2011年の雨量は1995年の時より少なかったが、あれほどの被害をもたらしたのは、インラク政権の責任である。インラク政権という事実上のタクシン政権は洪水の被害を予想しきれなかった。洪水が出た後も数々の政策的ミスにより被害を拡大させた。

②インラク政権は素人集団であるFROC(Flood Relief Operations Command)に洪水対策をまかせ、それにプア・タイ党(タイ貢献党)の政治家がくちばしをはさみ、混乱を助長させた。インラク首相はこれに対しどうしていいかわからず、成行き任せであった。政権外の専門家の意見に耳を貸さなかった。

③ダム管理を間違い早期の放水を怠ったがために、最悪期にダムの放水を行った。農業相は一部の農民の稲刈りのタイミングを計っていたといわれるが、政権自身が洪水被害に対する観測が甘く、危機感を持って行動していなかった。また、灌漑局が管理する水門についても政治家の干渉を受けた。これによって30億バーツ(75億円)相当の米の収穫が救われたが、下流の7か所の工業団地の水没によって1兆バーツ(2.5兆円)以上の損害がもたらされた。「農民優先政策」の被害である。(バンコク副知事テラチョーン氏の主張2012年1月17日)

日本の一部の論客(国立大学教授)はタイでは農民が多数を占めるのだから、工業資本やバンコクの市民が被害を受けても「民主主義の観点から」当然であると主張する者もいる。

④洪水がアユタヤに訪れる直前まで、日系企業などへの連絡を怠った。そのためロジャナ工業団地などは瞬く間に水没し、ホンダは1,000台以上の新車を廃棄処分にした。少なくとも2週間前には予告・警戒警報は可能であった。結果的にみて、政権内に日系企業に対する配慮はなかったといわざるをえない。

⑤タクシン政権時代に作られたスワンアブーム国際空港は東部地区の湿地帯(従来遊水地の機能を果たしていた)に作られ、バンコクの東側の洪水の逃げ道がなくなり、西側のトンブリ地域などに導水せざるを得ず、洪水被害が集中した。バンコク市の西側は2か月以上も冠水した。

⑥バンコク市内もかなりの地域で浸水したが、都庁と軍隊の必死の頑張りで中心部は被害を免れた。それによってタイの経済の機能のマヒは回避された。周
辺部とバンコク市街とを同様に水没させなかったのは「バンコク市のおごり」であるなどというトンチンカンな評論を加える国立大学教授が日本には存在する。


T 14-39 洪水対策プロジェクトでNCPOが見直し検討(14-6-9)

2011年の大洪水の後インラク政権は抜く手もみせず3,500億バーツの洪水対策大プロジェクトを決め、工事も韓国系1,630億バーツ、中国とイタルタイの合弁会社に1,100億バーツの工事配分を決めた。

しかし、内容や環境評価や地元の反対などが重なり、ほとんど進行していない。工事業者についてもタクシンが暗躍して一人で決めたという噂が絶えなかった。今回の軍事クーデターで政権を奪取したNCPOはこのプロジェクトの早期進行を含め、全体的見直しを行うことにしたと伝えられる。(バンコク・ポスト14年6月9日電子版)

211年の洪水では日系企業が経済絵t気だけ気を最も激しく受けたが、洪水対策はいち早くタクシンにアプローチした韓国、中国系企業が工事を独占した形になっている。

NCPOとしては透明性を他亜k目効率を考慮してみ直祖考えを明らかにしている。









T12-2,インラク政権内閣改造であやしの人物がさらに増える(2012-1-23)


インラック首相は1月18日に内閣改造を行った。タクシンの個人的に息のかかった人物がさらに登用されたという評価が専らである。

新たに入閣した人物は以下のとおりである。

①教育相 Suchart Tadathamrongvech⇒経済専門家。もと財務相(PPP時代)。タマサート大出身で元ラムカムヘン大学副学長。

②首相府国務相(PM's Office Minister):Nivatthamrong Boonsongpaisa⇒Shin Corp.の副会長、広報担当。l

③首相府国務相(PM's Office Minister):Nalinee Taveesin⇒米国政府がブラック・リストに載せている女性実業家。ジンバブエのムガベ大統領との取引関係が問題視されている。なぜこういう女性を閣僚に起用しなければならないのか多くの国民は疑問に思っていることであろう。

④副農業相:Natthawut Saikua⇒赤シャツリーダーで武闘派、放火をアジ演説で教唆。テロ被疑者で実刑の公算大。プア・タイ党指名議員。


⑤交通相:Charupong Ruangsuwan⇒法務相と労働省の元次官。PPP(People's Power Party)に参加。タマサート大出身でチュラ大で政治科学の修士号取得。プア・タイ党の事務局長格で活躍。

⑥副交通相:Chatchart Sithipan⇒チュラ大工学部卒後MITで修士号、イリノイ大で博士号取得。チュラ大で学部長経験。タイ愛国党(TRT)の副党首だったPngsak Raktapongpaisarnの顧問を経験。

⑦工業相:Pongsvas Savasti⇒タマサート大の講師、同大の社会改革学科長を歴任。ハーバード大学で公共政策のMBA取得。政治経験なし。

⑧副教育相;Sakda Kongpet
⇒東北のIsaab Pattanaグループのリーダーであり。ブム・ジャイ党のネーウィン・チョーチーブを裏切り者として激しく非難。ロイ・エ県選出の国会議員。香港でタクシンにあった際に内示を受けたという。

⑨エネルギー相:Arak Chonlatanon⇒Shin Corp.の元取締役でAIS(Advanced Info Service,タクシンの携帯電話会社、シェア43%)の社長。タクシンの経済顧問であったBoonklee Plangsiriのチュラ大の同級生。プア・タイ党指名議員。

⑩副財務相:Tansuk Lekthai
⇒ウタラディット県出身のベテラン国会議員。Prachakom党からTRT(タイ愛国党)に転身。タクシンの妹の1人Yaowapa Shinawatra派。


横滑りになった閣僚


①副首相国家安全担当;General Yuthasak Sasiprapha (前職;国防相)⇒棚上げ人事、国防省法改定に消極的であった。

②国防相;ACM Sukumpol Suwanathat(前職交通相、タクシンと士官学校同期10期生、元空軍司令官)。

③副保健相:Surawit Khonsomboon

④副首相兼財務相:Kittirat Na-Ranon(前職副首相兼商業相)⇒タクシンお気に入りの人物で昇格。相当あくの強い人物であり、何をしでかすかわからないといわれる。洪水のとき真っ先に中国に飛び援助を要請し、小型ポンプ数百台を入手した。

⑤商業相;Boonsong Teriyaphirom

⑥首相府国務相:Woravat Au-apinyaku
l (前職;教育相)⇒無能であると指弾されていたが閣僚ポストを維持。タクシンの妹の1人Yaowapa Shinawatra派。

解任された閣僚


前財務相;Thirachai Phuvanatnaranubala⇒1997年経済危機時のFIDFが行った不良資産買い上げに伴う実損1兆1400億バーツの中央銀行へのつか替えに反対したといわれる。ほかにも11年10月28日に自らのFacebookに「ダムの貯水量を半分に減らしておけば洪水の被害はもっと軽減された」と政府批判を行ったとされる。インラク政権はインテリの住みにくい政権である。タクシンの意向に合わなければ即クビである。独裁者は海外から限られた情報を基に指令をおくるという恐ろしい体制になりつつある。


T12-3 タイの不敬罪の改正をせまるタマサート大Nitiratグループに反発強まる(2012年2月4日)

タマサート大学法学部の7人の講師(教授も含む)グループはタクシン派(赤シャツ支持者)として2006年の軍事クーデター以降活動を続けてきたが、今回タイの王室に対する「不敬罪」(刑法112条)を改正すべしとしてキャンペーンを開始した。

ニティラート(Nitirat)グループの言い分は現在の不敬罪は罪が重すぎ、しかもその適用件数が増えてきたので、もっと罪を軽減しろというのが表向きの理由である。タイの不敬罪は従来タクシンが外国メディアを弾圧するときに使われたのがよく知られている(2002年Far Eastern Economic Review 事件)だが、最近はタクシン派、赤シャツ派が王室批判を行ったとして逮捕される件数が急増している。

不敬罪は最長15年の禁固刑が言い渡され、国王の特赦によて実質刑が軽減されるという例が多い。些細なことに不敬罪が適用されること自体国王自身も否定的な考えであるとも言われている。

タイの不敬罪については最近、米国政府も国連も好ましくないという批判をしている。これにはタクシンが雇った外国人弁護士がロビー活動を行ったという憶測生んでいる。

そのような背景があるが、今回のタクシン派のNitiratグループのメンバーの中には、国王のもとに国のリーダー(大統領?)を置くべきであるという考え方のものもいるといわれている。また、国王は誕生日に国民に対し演説を行っているが、それも「やめさせるべきだと」彼らは主張しているという。

タイにとって王制が必要かどうかなどということはタイ国民が考えるべきことであるが、最近になって外国人の学者が「タイは成熟した社会であり、国王の存在自体さほど重要な意味を持たない」などという発言をする者もあらわれていっる。この発言をタイで行えば当然「不敬罪」の対象になる。

Nitiratグループは自分たちの本拠のタマサート大学構内で「不敬罪改正の署名運動」をおこなうと言い出した。これに対しソムキット学長(Somkid Lertpaithoon)は学内で実力行使を伴う混乱が起こるとして「署名活動」を禁止した。

これに対して学問の自由を標榜するタマサート大学の伝統に反するという非難の声も上がっている。一方学生の間にはNitiratグループに対する反感を持つ学生が、学内でデモを行うなど早くも対立感情が巻き起こっている。

学問研究の自由をいいことに、赤シャツ派の学者が大学構内で政治活動を行うということが「学問の自由」と何か関係があるのだろうか?

Nitiratグループはタマサート大学でセミナーを開催して「不敬罪」問題を議論したようだが、Nitiratグループの「学者の特権」を武器にした「不敬罪改正運動」を契機に国内政治で赤シャツと一般市民との対立が起こると一挙に混乱が表面化することは避けられず、最悪の場合、軍事クーデターも起こりかねない。

危険を察知したプア・タイ党は不敬罪改定には反対であり、Nitiratグループとは一線を画するとしている。しかし、Nitiratはタクシン派、赤シャツ派であることを知らない者はいない。

プア・タイ党(タクシン党)の勝利によって、Nitirat党は勢いづいて、一気に「不敬罪」の改正から「憲法改正」に持ち込み、2006年のクーデター以前の状態に戻そうとする意図は見え見えであり、単に不敬罪の罪が重すぎるという問題にとどまらなくなる。

Nitiratの主張については日本の某国立大学教授が強力に支持しており、タクシンに不利な判決を「タイの司法制度」の欠陥として主張している。ただし、タクシンに有利な判決については特にコメントしていない。

ちなみに赤シャツ派、タクシン支持はの学者は自分の敵(反タクシン派)に対して、「王室支持の保守派(Conservative)」というレッテルを張っている。そうすると民主党のアピシット前首相なども「保守派」ということになる。これは「タクシン用語」である。

Nitiratグループはタクシンを弱者の味方で民主主義の具現者だと考えているフシがある。それはイサーン(東北)の農民をだませても、バンコク市民を納得させられない。彼らはタクシンが独裁政治かで金権政治家であるという側面を完全に無視している。

Nitiratグループは赤シャツの別働隊であることは赤シャツの代表者であるティダ(Thida Thawornseth)女史が認めている。Nithirat is its left handとしたうえで”Although they do not wear red shirts, they and we have the same mind."(2012-2-2 The Nation).

タクシンの罪状については本HPでも最初(2001年)からトレースしている。(トップ・ページ=目次の下のほうに項目が出ているのでそれをクリックしていただけばトレースできます。)

独裁政治というのは限りなく腐敗するものだし、重要な政治判断を間違うものであることは歴史が証明している。CEO型政治などというものは独裁政治にほかならない。

タイは後進国なのだから「権威主義政治が必要なのだ」と榊原某がバンコクで最近語って日本人駐在員の失笑を買ったようだが、タイには独裁者など必要ない。榊原には悪意はないであろうが、いかにも「生半可」である。テレビでおなじみの「知ったかぶり」であり、聞き苦しい。

日本のタクシン派は「タックシン」という言い方をするのですぐに見分けがつく。もちろん普通に「タクシン」という言い方をするものもいるが。彼らは官民の機関を占拠しタクシン支持のキャンペーンを行ってきた。

しかし、タイ国民にとっても、タイに進出している日系企業にとっても、それは正しいとはいえない。タクシンの正統性はイサーンの農民の票を掻き集めて選挙で勝利し「国民の多数の支持を得た」だけである。そのために、バンコク市民や中小企業者などのタイの経済の担い手の意向は無視されている。

今回の大洪水も農民の稲刈りが終わるまで、「ダムの放水」を行わず、洪水のピーク時にダムの放水を行ったために大きな被害につながったのである。これが民主党政権だったらまったく別な対応をとったことであろう。そして、日系企業の損害もはるかに少なくてすんだであろう。ホンダも1000台もの新車を水浸しにする前に、避難させることができたであろう。


「悪政は虎よりも猛し」である。


T12-4. タクシン派5万人の大集会で憲法改正をアピール(2012-2-26)


赤シャツは2月25日ナコン・ラチャシマで5万人の大集会を開き、「軍事クーデター反対」「2007年憲法の改正」をアピールした。今なぜ「軍事クーデター反対」かというとインラク政権の無能・無軌道ぶりに国民の間にフラストレーションがたまってきており、バンコク市民やPAD(黄色シャツ)の幹部の一部には「軍事クーデター待望論」が起こっている。

特に昨年10月~12月の大洪水は大被害をもたらし、死者も700名に達し、経済的な被害も甚大であった。その原因の多くは「自然災害」というのは表向きの話で、政府の水管理(ダム)の甘さ、洪水の予知能力のなさと、問題の処理のイイカゲンさに求められる。

議会運営についても、チャレム副首相が酒に酔って民主党とやりあうとか、インラク首相が国会審議中にホテルで不動産業者と密談するとか、およそ常識では考えられない振る舞いが多い。

「憲法改正」は「起草委員会」を設置するということ議会で決まったが、クーデター以降の法律は憲法も含め一切無効にしろというものである。2007年憲法といえども「国民投票」を経て施行されたものであり、これを変えるには新たに国民投票を実施するのかどうかは不透明である。

赤シャツ、プア・タイ党の狙いは何が何でもタクシンを復権させたいとの一点に絞られており、あわよくば接収されたタクシンの資産も返還さえたい考えである。これに反発する国民との対決は避けられない。再び政治対立が表面化するのは不可避である。

タクシンはこのナコン・ラチャシマ集会に外部参加し、2010年の騒乱時の死者(約200名)に対し750万バーツ(約2000万円)の補償金を支払うように最近会った幹部に指示したと述べた。それ以外にも、負傷者や逮捕拘留されている者全員に補償を行うように指示したと述べている。

赤シャツの騒乱は自然発生的な「民主化運動」などではなく、もとはといえばタクシンの政治的思惑から派生した事件であり、タクシンは自分のカネで補償すべきところであろう。

タクシンは最近はドバイではなくて北京に滞在しているようで、北京に党幹部や息子を呼んで、政治的な支持を出しているという。中国政府がタクシンの政治活動を国内で許容していること自体問題であるが、中国政府にとってはタクシンはASEAN-中国との自由貿易協定をプロモートするなどの功労者である。

タクシンが北京に行った目的はもう一つあって、プア・タイ党は選挙公約で学童全員にタブレット・パソコン(IPadタイプ)を支給することにしており、その数は80万台に及び、タクシンはその買付交渉を行っているとも取りざたされている。政府プロジェクトにはなんでも首を突っ込むという姿勢が見え見えである。先のインラク首相の不動産業者との密談もタクシンの指示で行われたとの見方が強い。

また、息子を呼んだということ自体、息子に政治家として自分の後を継がせたいという考え方の表れとして注目される。


T12-5.タイの政局は「国民和解委員会」のモツレから再び混乱に(2012-3-26)


タイは昨年の大洪水以降、民主党がインラク政権に復興政策の時間を与えるということで政府批判を手控えていた。しかし、タクシンは民主党がおとなしくなったということを見越して(勘違いして)、再び動き始めた。その目立った例はタクシンはタイ正月の4月12-13日はラオスのビエンチャンで、また4月の14-15日はカンボジアのプノンペンでプアタ党幹部は赤シャツの活動家らと新年を祝う会を計画である。2泊3日で6,500バーツの切符が売り出されている。

一方、議会では「国民和解委員会」に2006年9月に軍事クーデターを起こした元陸軍司令官のソンティが委員長(現下院議員)を務め、「和解案」の取りまとめ作業が進んでいる。ソンティ委員長はなぜか取りまとめを急いでいる。タクシンから期限を切られているのかもしれない。

ところが、これにKPI(King Prajadhipok's Institute)なるシンク・タンクが「報告書」を提出し、その中で2006年9月以降の一切の政治がらみの罪をすべて無罪とすべしという内容が含まれ、明らかにタクシンの無罪放免を織り込んだ提案が入っていた。KPIなるシンク・タンクは明らかにタクシンの意向を酌んだ「レポート」を提出したとして市民からもマスコミからも非難されている。

もちろんクーデター後に組織された「資産調査委員会」(タクシン政権の汚職調査が目的)が取り上げたものはすべて無罪にするという内容も含まれている。もしかすると没収されたタクシンの資金の返還も含まれているかもしれない。

これに対し、民主党は汚職は汚職であり、政治暴力(テロ)は政治暴力(テロ)であり、司法の裁きを受けるのが当然だとして、このKPIレポートを拒否した。ところがソンティ委員長は民主党の主張を一切退け、この提案で「和解委員会」をまとめるのだと主張し、民主党の要求を撥ねつけた。

また、之とは別にソンティ委員長は2006年のクーデターの「黒幕」を明らかにしろというサナン、タイ国民開発等党最高顧問(事実上の党首で政治ブローカー)の要求も拒否している。タクシンはもちろん「黒幕」はプレム枢密院議長であるとソンティに言わせて一気に自分い有利な政治情勢を作ろうという作戦である。

和解委員会がタクシンの言い分を100%織り込んだ内容の答申を出すことが明らかになり、3月26日(月)にアピシット民主党党首はこの委員会から民主党議員9名は脱退すると宣言した。これはいわば民主党の「宣戦布告」である。これからは民主党が昨年来の洪水事件の一連のインラク政権の失政を始めとして、インラク政権との対決姿勢を強めていくことは明らかである。

ソンクランのお祭り騒ぎの中でタクシンが国境を越えてタイに強制帰国することもありうる。「和解委員会」の今回の動きも、そのお膳立ての可能性無きにしもあらずである。

ソンティやサナンの動きに対してはバンコク市民の間からはどこからかカネが出ているのではないかという声が出ているが、当然両者ともそれは否定している。KPIはあまり知られていないシンク・タンクであるが、今回「タクシンクタンク」であったことが露見してしまった。

皮肉にも「和解のための委員会」は「和解戦争」を引き起こしてしまった。与党プア・タイ党は何が何でもタクシンの無罪放免と帰国を目標にしている。ソンティもKPIもその一翼を担わされている。タイではカネのためなら何でもするというエリート層も確かに存在する。タマサート大学にもチュラロンコーン大学にもそういう人物が実在する。ここでも「階級闘争」が行われている。

タイの場合はバンコクで政治権力を持つ民主派の「中間層」に対し、タクシンが巨額のカネを投じて作った赤シャツ集団(東北・北部の貧農を集めた)と金権政治家(タクシン派)が協力し攻撃をかけているのである。

1973年の学生革命以来、一貫してタイの民主化はバンコクの中間層によって主導されてきたのである。1980年代にはいって軍人首相であったプレムが「タイの王制下における民主化」というテーマを定着化させてきたのである。それを野心家のタクシンが大統領制を導入ぢて自らが独裁的な大統領になり、ぶち壊そうとしたことに対してバンコク市民が立ち上がったのである。

それが「黄色シャツ」といわれたPAD運動である。PADはバンコクの市民階級の運動でもあった。

それをタクシンは国内の腐敗したインテリ(エセ観念左翼)や外国のカネをもらうのが好きな学者やジャーナリストを動員して「旧守派=王党派」というレッテルを張り、攻撃してきたのである。民主主義運動を主導してきたタイの中間層が「タクシン派の民主主義(中身はタクシンの独裁政治)」に同調するわけがない。

彼らこそ軍部の独裁に抵抗して今日のタイの民主主義を築いてきたのである。それをハイジャックしようとしているのがタクシン一派である。

⇒ソンティは和解委員会の委員長を降りる(2012-4-2)


KPIのレポートが2006年のクーデター以降の一切のタクシンがらみの刑事・政治犯罪者を無罪放免しようという提案を行い、強引にそれを押し通そうとしたソンティ委員長(当時の陸軍司令官で現下院議員)は、肝心のKPIが自ら出したレポートを取り下げると言い出したため、進退窮まって、委員長の座を降りると言い出した。

最初は民主党の国会議員)9名)が委員会から脱退するといいだしたときにはソンティも強気で「民主党が抜けてもKPIレポートの線で和解案をまとめる」と主張していた。しかし、和解案というのはそもそも「全員一致」を前提としており、民主党抜きでプア・タイ党とその同調者だけで決めたのでは意味をなさない。

KPIもそのズサンなびナレポートが内外から批判を浴び「いやあれは中間報告であった」などという言い逃れが利かなくなった。バンコク市民からの猛反発を受けては彼ら自身の身の置き所もなくなる。

これで「和解委員会」は一から仕切り直しであるが、最初から「タクシンの無罪放免」を目的としたものであれば、政治家同士の「和解」はありえても、司法や市民感情が許さないことは自明である。和解などというものはそもそもありえないということを証明して見せたのはタクシン自身であった。

タクシンの作戦としては強引に議会(和解委員会)を突破し、憲法裁判所は判事を買収すればすべてうまくいくということであったかもしれないが、今やバンコク市民の目を誤魔化すことはできなくなってきた。インターネットの普及の影響も大きい。

タクシンが仕組んだ「和解工作」もこれでご破算に終わった。バンコク市民を怒らせてしまっては所詮は何事もうまくいかない。東北タイから国会議員をかき集めてきて「これがタイ国民の多数意見だ、文句あるか」などといってもタイでは通用しない。

日本では「タクシンを中心とする「新興勢力と、旧来の特権階級」の対立があるという俗説がまかり通っているが、実際は政府許認可(通信事業)で財をなしたタクシンが、持てあまる資金を活用して、政界に進出し、国家資金を使って東北部・北部の農民へのバラ撒き政策(ポピュリズム)を行い、政権をとるとクローニー(仲間)とともに職権乱用、汚職を行い一層財を成した。また政治手法としては独裁政治を行い、言論の自由を弾圧した。一方、王制化の民主主義を求める中間階級はタクシンの独裁政治に強い反発を示した。

あt得ていうならば、「金権・独裁政治」対「市民・民主派」との戦いなのである。



T12-6,インラク政権は親中国政権、4月中旬の訪中で多くのプロジェクトにサイン(2012-3-31)

インラク首相は4月17日から中国を訪問するが、今後5年間の両国の経済協力協定に調印する予定である。その中にはバンコクから①チェンマイ、②ノンカイ、③ラヨン、④パダン・ブサールを結ぶ総延長1000Kmの高速鉄道建設についての建設協定が含まれるという。(The Nation 3月31日インターネット版)

それ以前に小学生向けの80万個のタブレット・パソコンの購入契約も行われる。これはタクシンが自ら出向いて決めてきたものだという。タクシンは親中国政策の推進者としてASEAN内部でも知られているが、インラク政権もタクシンの政策を受け継ぐータクシンの政策そのものを代理で実行するーとみられており、我が国としては注意を要することは言うまでもない。

昨年の洪水事件の時もキリラート副首相はおそらくタクシンの指示を受けて真っ先に中国に援助を要請に飛んで行った。中国からはポンプ数十台の援助を受けたが、実際に威力を発揮したのは後から日本が持ち込んだ大型ポンプ車であったことは記憶に新しい。

日本側は洪水で大被害を受けたにも関わらず、タイ政府は日本をそっちのけにして中国との接近を図るというのは、タクシンの性格を如実に表しているとみてよい。タクシンは華人意識が強く、首相在任時にも公式訪中の際に、自らの祖先の墓参りをしている。日本のタイ学者の主力どころはあいかわらず、タクシンーインラク政権のちょうちん持ちをし続けている。

また、中国はカンボジアのフンセン政権に接近し、様々な「援助協定」を行っているが、同時に「南シナ海」の領有権問題をASEANでは議題にしないように働きかけを行わせている。フンセン政権とタクシンは言うまでもなく表裏一体である。彼らが中国のいわば「手先」となって動いていることは明らかである。

一方、ASEAN内部ではインドネシア、フィリピン、ベトナムが最近中国との距離を置き始めている。


T12-7 タイの洪水対策投資は中国と(2012-4-28)


インラク首相は最近中国を訪問し、中国政府とタイの洪水対策を中国に全面的に依存し、中国政府機関と共同でやるということを決め、タイの灌漑局と中国の水資源省とが覚書に調印したことを明らかにした。中国は近く専門家をタイに派遣し、タイ政府関係者と洪水防止策について各政府機関と様々な打ち合わせを行うという。

ネーション紙の報道(4月28日インターネット版)によると、ダムの管理などにとどまらず、ダム建設や、排水路の建設も中国が行うという。

最大の被害国である日本政府はどのようにかかわるのかは不明であるが、インラク政権が中国と洪水問題特に洪水関連施設についえて中国政府に依存し、中国が本格的に乗り出すことはほぼ確実になったといえよう。

この背景にはタクシン元首相の暗躍があったことは間違いないとみられる。タイは先に中国から学童用に80万台のタブレット・パソコンを輸入することを決定したが、これは中国メーカーの都合でまだ実現には至っていない。

タクシンは現職当時から対中国との親密な関係を維持しており、それがインラク政権になっても引き継がれていることは明らかである。


T12-8 ジーメンスが鉄道車両製造工場設立(2012-5-23)


ジーメンスはタイ国鉄(SRT=State Railway of Thailand)が発注する115両(約49億バーツ=約125億円)の鉄道車両の入札に応募するためにタイのコン・ケーン(東北地方)に工場を所有するチョー・タウェー・ドラシーン(Cho Tavee Dollasien) 社と50:50の合弁企業を設立することを明らかにした。

ジーメンスはCTV-Doll社とは5~6年前から提携関係にある。

ジーメンスのハンス-ヨルグ・グルンドマン(Hans-Jorg Grundman)社長はタイの副交通相チャチャート・シティピン(Chatchart Sithipin)と面談した際にバンコク-ラヨン間200キロの高速鉄道建設プロジェクトに応札しないかと誘われたという。

タイ政府はそれ以外にバンコクーチェン・マイ、フアヒン、ナコン・ラチャシマの合計4ラインの高速鉄道計画があると語った。おそらくバンコクーラヨン間はジーメンスが受注する公算が大であろう。タクシンはすでに来日前にドイツを訪問している。


T12-9. タイ国際航空の経営権がタクシンの手中に(2012-5-24)


タイ国際航空は社長のピヤサワット(Piyasvasti Amranand)が「航空機の購入に際し閣議に連絡をとらなかった」として取締役会満場一致で解任されることとなった。同社の会長にはアンポン(Ampong Kitti-ampong)内閣府官房長官が就任しており、社長が会社の運営について総理大臣に報告する必要はあるとはふつうは考えられない。また、タイ航空の経営についての決定権は取締役会にあり、そこで承認されれば、それが最終決定である。

ピヤサワット社長の後任は未定であるが、副社長のチョクチャイ・パンヤヨン(Chokchai Panyayong)氏が社長代行を務める。ここまではよくある話だが、その後がすごい。副会長を2名増やす。そのひとりが警察庁長官のプリューパン ダマポン(Priewpan Damapong)でもう一人は財務相次官のアリーポン・ボーチャオーム(Areepong Bhoocha-oom)である。

プリューパン長官は言わずと知れたタクシン夫人の弟でプアタイ党が政権をとったのちにインラク首相が強引に警察長官に任命した人物である。アリーポンはタクシンの脱税に協力した人物と目されている。

タクシンがタイ国際航空のトップの人事を抑えたのは、今後の航空機のっ購買についての利権を確保するためではないかと取りざたされている。その間にポジャマン夫人の弟にも副会長を兼務させ、高い給料を懐に入れさせようという目論見ではないかといわれている。タイの政治はすこぶる民主的(?)になったようである。

労働組合の幹部にいわせればピヤサワット社長は業務に熱心にとりくんでおり、業績も良好で、解任の理由がわからないとしてインラク首相に質問状を出したという。タクシンの懐に航空機購買のリベートが入らなかったというのが最大の落ち度(連絡不足)ではないかと組合員は怒っているという。真偽のほどはわからない。


T12-10 プア・タイ党が国民和解法案の強行突破を図るー国内政治の混乱の始まり(2012-6-1)


タイの下院でプア・タイ党が「国民和解法案」の強行突破を図り5月30日に審議議題のトップにすることで民主党の猛激しい抵抗をはねのけ強行採決を行い、6月1日から強行審議を行おうとしたがPADが国会前に集結して議員が国会内にはいれなかったため真偽はできなかった。

法案の骨子は2006年9月の軍事クーデター以降の一切の立法、裁判などを無効とし、赤シャツの騒乱も黄色シャツの空港占拠事件も一切チャラにしようという「超法規的」な立法を行おうとしている。

真の狙いは職権乱用罪で2年の実刑判決が最高裁で確定し、海外に逃亡中のタクシンの無罪放免と没収された資産(460億バーツ=1180億円)の返却など、タクシンのための法案である。タイでは「タクシン赦免法」とも呼ばれている。

これに対しては法学者からも多くの疑義が出され、民主党も「法の支配」を踏みにじるものであるとして猛烈に反対している。バンコク市民も反対者が多く、黄色シャツ(PAD)もすでに反対の国民運動を再開している。

インラク首相はタクシンの無罪帰国は当然であるという態度をとっているが、「国民和解」ではなく「国民分裂」を引き起こすこの法案の扱いかんによっては一気に政局が混乱し、再度軍事クーデターが起こる可能性も出てきたといえる。

タクシンがカネをバラまいて組織した北部と東北の農民を中心とした「赤シャツ」運動による選挙の「勝利」で国政を強引に牛耳るという手法は税金の75%を負担するバンコク市民のフラストレーションを激化させている。

チュラロンコーン大学のティティナン教授など「親タクシン」派の学者などが海外メディアを総動員して「和解法案」の正統性をアピールしており、日本のメディアも再び「親タクシン・キャンペーン」を繰り広げることになるであろう。タクシンを「民主主義の旗手」だなどという扱いをしてきた日本のメディアのおかげで、昨年は大洪水の被害を受けたのは日本企業であったことを忘れてはなるまい。


T12-11 タイ憲法裁判所が「憲法改正審議」の中断を指示、タクシンが攻勢激化、赤シャツをけしかける(2012-6-3)

インラク政権は「国民和解法」別名「タクシン赦免法」の強引な国会審議を進めようとしていたが、バンコク市民の猛反発を受け、審議をしばらく延期することにした。インラクはこの「和解法」はタクシンの没収された資産の返還をもとめてはいないという釈明をしているが「タクシンの無罪放免」そのものについてはコメントしていいない。

一方、憲法裁判所はプアタイ党が強行しようとしている憲法改正についても、それが「不敬罪」の大幅修正を求める内容になっており、その意図するところが単に「言論の自由」だけでなく、王室そのものに対する「価値観」の変更を含意していると判断したようで、5月29日(火)に審議を中断するようにとの命令を下した。これに対してタクシンは猛反発しており、「憲法裁判所は政府を転覆しようとしている」と赤シャツの集会にメッセージを送っている。

また、タクシンは没収された460億バーツについても、タクシンが合法的に得た資産であり、没収は不当であるとアピールしている。タクシンがこの没収資産の奪還を狙っていることは確かである。自分の無罪放免と資産の奪還を憲法改正や「国民和解法」などのの他の立法によって実現しようとしていることは明らかである。

こういう動きに対し、バンコク市民を中心とするPAD(People's Alliance of Democracy),通称黄色シャツは最近急速に動員数を増加させている。

PADは数千人を動員し、先週の末の国会阻止を行っており、バンコク首都圏警察署長が30日間の職務を停止させている。警察がPADのデモ隊を強制排除しなかった責任を取らされたという見方が出ている。警察がPADを強制排除すれば政治騒乱は一気に盛り上がる可能性がある。タクシンは「国民和解法」と「憲法改正」の強行突破のタイミングとみてプア・タイ党と赤シャツをけしかけている。

憲法裁判所は6月1日(金)に「憲法改正問題に対する再審請求に応じる」決定をしている。

憲法裁判所は憲法大68条によって「政治制度に大きな変革を加えかねない憲法改正を議会が行おうとする場合、真偽の差し止めを命じることができる」という。プア・タイ党は第291条の王室にかかわる「不敬罪」を改正しようとして審議を強行し、すでに第2読会を終了している。

もともと、タクシンは元共産党員と組んで国王の権力を弱め「大統領制」を制定し、みずから大統領に就任し、国家権力を一気に手中にいれようとしたいわゆる「ヘルシンキ宣言」の首謀者としての疑惑をもたれたことがあった。東北と北部の農民票を集めればいつでも議会の多数を「民主的」に獲得することができ、そのまま「大統領制」を制定することもあながち不可能ではないのである。

この辺の発想の違いがバンコクを中心とする近代市民階級とタクシンとにはある。東北や北部の貧しい農民が民主主義を求めて「赤シャツ」運動を行っているというのは真っ赤な偽りであり、彼らの多くははタクシンに買収された村長の命令で投票をしているだけである。その何よりの証拠は東北地方を中心に何千という「赤シャツ村」がすでにできている。

これは村のリーダーのもとに村ぐるみ「赤シャツ運動に参加する」というものであり、反対者は「村八分」を覚悟しなければならない。こういう戦術を考え出したのは元共産党員のタクシンのブレーンである。この「赤シャツ村」を基盤にタクシンは何回選挙をやっても必ず勝てると確信していることであろう。

村長にしても「赤シャツ村」を作れば、政府から多額のカネを引き出せると信じている。その政府のカネは75%がバンコク市民が税金として負担しているのである。こういう事実があるから、いざとなればバンコク市民は反タクシン運動にいつでも立ち上がるのである。軍がバンコク市民をバック・アップするのもある意味では当然である。

タクシンが東北の農民をだまして独裁権を握った時にタイの民主主義はどう保障されるのであろうか?そもそもタクシンが民主主義者なのだろうか?日本の学者は一流国立大学の教授がタクシンを熱烈に支持してきた。「日タイ協会」の機関誌の「巻頭論文」はそれらタクシン派の学者がここ数年独占している。まことに驚くべき事態である。日本人のタイの政治に対する認識が何よりも求められる。

⇒憲法裁判所は「憲法改正」審議の継続を是認(2012-7-13)

憲法裁判所は現在プアタイ党から提案されている「憲法改正」案件につき「王制憲法」を否定するとは言えないという判決を下した。しかしながら、冒頭「王制」に変更を加えて現行の政治システムを変更する動きに対しては憲法裁判所は審議の差し止めを行うことができるという憲法解釈を確認した。


⇒タイの憲法裁判所の判決に京都大学のタイ人助教授が批判(2012-7-25)


京都大学には玉田芳史というタックシン派の教授がいて「日タイ協会」の機関誌に毎号投稿してタイの民主派を攻撃しているが、京都大学の大学院アジア・アフリカ地域研究科にはタイ人の学者パヴィン(Pavin Chachavalpongpun)氏が助教授としてタクシン派に加わって活動している。

彼は最近までシンガポールの東南アジア研究所にいたがいつの間にか京都大学でご活躍しておられる。京都大学はタクシン派のタイ人学者を招請しているのである。京都大学の同研究所は中立的な研究機関というよりタクシン派の政治拠点であり、日本における「タクシン派センター」の観を呈している。こういう研究機関は国民の税金で運営されている以上いささか問題である。

それはWSJの7月25日付で”Thailand's Royalists Rely on the Courts"(タイの王党派は裁判所頼み)という小論文を寄稿しているのをみて初めて分かった。これは7月13日にタイの憲法裁判所が「憲法改正」について審議の継続を是認する判決を出したことをけしからんと言っているのである。タクシンに都合の悪い言動をする者はすべて「王党派(Royalist)」というレッテルで片付けるのが彼らのやり方である。その筆法をもってすれば彼らは「タクシン忠誠派」ということになる。

憲法裁判所は現行憲法の全面改定は現在の王室を頂点に置いたタイの議会制民主主義体制を根本から覆す(たとえば王制を廃止し大統領を頂点とする完全共和制にする)ことは認めないという現行憲法の規定を揺るがしてはならないという趣旨でもある。現行憲法は2007年に国民投票を経て決められた憲法であり、その第68条にそった判決である。

これは2006年の軍事クーデターののちに決められた憲法だから駄目だというのがタクシン派の一部の言い分だが「国民投票」を経て決めたという事実は重要である。

だから憲法裁判所は憲法全体を変えるのであればそのことについて国民投票を実施すべしといっているのである。私の目からみればそれはそれなりに筋の通った判決と思える。

憲法裁判所は現行憲法のもとで「部分改訂」をおこなうのは差支えないといっているのだから、議会はそうすれば良いのである。

ところがタクシン派の一部過激論者は大統領制にして彼らの大親分であるタクシンを大統領にしたいという思惑がありそうなのである。タイの政治体制をどうすべきかはタイ国民が決めればよいことであって玉田や私がとやかくいう資格はない。玉田はそういう活動をしたければ私立の研究機関に移ってからやればよいことである。国民の税金を使ってタイの政治活動をやる根拠が不明である。

ちなみにタイのプミポン国王は国民の圧倒的尊敬と支持を集めており、タクシン派の赤シャツのメンバーも国王支持者が多いのだという。だとすれば国民の大多数が「国王忠誠派=王党派」ということになってしまう。ただし赤シャツ派はタクシンが政治家として国民の税金を彼らの福祉向上のためにバラまいてくれた(ポピュリズム政策)ことを感謝しているのだという。

ところがパヴィンのいう「王党派」とは国王の権威を利用して私的利益をむさぼっている「既得権益」集団、特に国軍やその手先の「民主党」ということのようである。ところがアピシット政権をみるかぎりその政策は理想的までに民主的であったといえる。しかもバンコク市民特に「新中間層」といわれる知識人階層の圧倒的支持を得ている。昨年の選挙でも民主党はバンコク中心部では1議席を除き全議席を独占している。

一方タクシン派のタイ貢献党は主にタイ東北部や北部の農民層の支持を集め議席の過半数を獲得した。事実上「タイ農民党」的色彩が濃い。タイの農民層の言うとおりにバンコク市民がしたがらないのは「非民主的」だというのがタクシン派の言い分である。確かに国民の過半数の支持を得たかもしれないが、それを指導するタクシンと一部のインテリの言いなりになることが本当の民主主義といえるだろうか?事実タクシンンは首相在任中に権力を乱用した家族(夫人)の利益を図った罪で2年間の刑が確定し、現在海外逃亡中である。

今回もタクシン派が選挙に勝利するやいなやポジャマン夫人の弟のプリューバンを強引に警察長官に任命するなどすこぶる「民主的」な(?)ことをやってのけ、警察権力を独占した。これで軍の人事も独占できたらタダチにタクシン独裁政権が誕生する。

2006年の軍事クーデターの時もその一歩手前まで行ったのである。危機感を感じた軍がクーデターを起こしタクシンの野望をくじいたのである。しかし、タクシン派の学者はどうしてもタクシンの独資政権を樹立したいのだ、そうすればバンコク社会では旗色が悪い彼らも一気に「政治権力」を獲得できるからである。

タクシン派の学者はこうしたタクシンの独裁権力志向についても選挙で勝ったのだから当然だという見方をしている。選挙で勝ちさえすれば独裁政治を是認しようということである。これではワイマール民主憲法下でヒットラーが選挙に勝って独裁政治を行っていったのと同じプロセスではないか?バンコク市民(新中間層)にとっては軍事クーデターを是認して一度タクシン独裁政権をつぶしたのはやむを得ない選択であったのではないか?

税金の75%を払っているバンコク市民はいわば「無権利状態」を強いられる可能性がある。これがパヴィンらのタクシン派のいう民主主義である。こういう主張をしたければパヴィンはタイに帰って堂々とタイのメディアを通じてやれあびょい。なぜ京都大学のアジア・アフリカ地域研究所はタクシン派の牙城になってしまったのか一納税者としてもすっきり納得できる話ではない。

憲法裁判所について言えばタクシンが政権についた直後「資産隠し」が問題となり、タクシンは僅差(たしか8:7)でシロの判決を得て首相の座にとどまり続けた。この時タクシンはキャリア裁判官を別な人間に置き換えて、いわば買収工作によってシロ判決を獲得したといわれている。この時の裁判はタクシンに有利な判決を出したから「公正」な裁判であったとでもいうのであろうか。

パヴィンや玉田がなぜタイ民主党や裁判所批判を執拗にするのか私には理解できない。パヴィンはタマサート大学の一部のタクシン派の学者の憲法改正論議が全国民的な支持を受けているなどと主張している。しかし、タマサート大学内部でも彼らは少数派のようである。

私は学門の自由の支持者であるからパヴィンが何を言おうと構わないが、日本国民の税金を使っている立場の人間であることをもっと認識してほしいものである。京都大学がタクシン派の政治活動の拠点になるなどということは到底納得でjきない。政治活動をやりたければ民間のシンク・タンクでやればよい。

ちなみに毎号玉田の論文を巻頭に掲げている「日タイ協会」機関誌「タイ国情報」は「タクシン派」機関誌とみている人が少なくない。タイにいる駐在員もそう見ている人が結構いる。彼らは毎日の仕事で忙しいから黙っているだけである。同協会には私は個人会員として参加しているが、以前はタクシン派機関誌という印象はなかった。いつの間にかタクシン派にハイジャックされたようである。


T12-12. インラク首相がタクシンの失政を隠ぺいするために42億バーツの国家資金を使用(2012-6-21)


民主党の報道部長のチャヴァノン(Chanovand Intrakomalyasut)氏によれば、インラク政権は2004年のタクシン政権時代に北部の農民の栽培するロンガン(竜眼)312,373トンの価格引き上げのために34億バーツを割り当てた。

その際にタクシンは政府系金融機関であるクルンタイ・バンクにMarketing Organization for Farmers(MOF)=農民のための市場機構)に対しポ・フェン・インターナショナル(Po Heng International Co.,)社に9万㌧の乾燥竜眼を製造するための資金を貸し付けさせた。

ところがPon Heng社は4万トンしか加工できず、ローンが完済できなくなっていた。そのためクルンタイ・バンクは内容をチェックせずに必要資金をMOFに貸し付け、銀行融資の返済にに充てさせた。その時に、政府のロンガン価格維持政策にロンガンの数量チェックは行われなかった。


T12-13. タイの汚職急増、政府プロジェクトには30~35%のワイロ必要(2012-7-18)

タイの商工会議所大学(University of Thai Chamber of Commerce)と汚職防止ネット・ワーク(Anti-Corruption Network)が最近行った調査によれば今年1~6月には汚職が急増し、政府プロジェクトを受注するには30~35%のワイロの積み増しが必要という民間企業からの回答が寄せられたという。まさにタクシン政権時代の政府の汚職体質の再現である。

官僚は政治家の命令に従うように指示されているという。汚職指数は11年12月の3.5から12年6月には3.6に上昇している。

タイ政府は2.2兆バーツの大型プロジェクトと3000億バーツの洪水復興プロジェクトを12年上期には発注しており、85%の回答者が汚職の存在を認識しているという。

これは今後タイの輸出が停滞する中で内需依存が強まる民間企業にとっては大きな痛手である。(ネーション7月18日電子版)

タクシン派政権ができればこうなることは当然予想されたことである。こういうビジネス環境の中では外資系企業は「やりにくくなる」。


T12-14.プリューワン警察長官、タクシンに面会に香港に出かける(2012-7-26)


タクシンの妻ポジャマン夫人(形式的には離婚しているkとになっている)の兄でインラク政権誕生後強引に警察長官に任命されたプリュウワン氏は今年9月30日で定年退官するが、先週香港に滞在しているタクシンに会いに行った。

彼の公的な立場としては刑事罰を逃れているタクシンを逮捕するのが本来の職務であるが、プリューバンはタクシン流の民主主義を愛する人物なので手ぶらで帰国しきた。バンコクではプリュウバンは退官後プアタイ党に加盟し、副首相に就任すると取りざたされている。

民主党や裁判所攻撃に血道をあげているタクシン流民主主義の支持者の学者は当然のことながら黙して語らない。タイの「国民の税金を使っての貧民の救世主にして民主主義の守護者」タクシンの一族のやることなすことすべて国民の多数の支持を得ているので問題ないというところか?

なおスカムポン国防相も香港でタクシンに会い国軍関連の人事について相談してきたことを本人が認めてるという。内容は国防事務次官にタノンサク陸軍司令官補佐、空軍司令官にプラチン空軍司令官を選任するというということだと伝えられる。逃亡中の犯罪者に国軍幹部の人事を相談するとは異常としか言いようがない。


T12-15 クルンタイ銀行不正融資事件でタクシンほか26人起訴(2012-7-26)


タイ最高裁はタクシンが首相当時不動産会社クリサダマハナコン社に関連会社を経由して総額115億8千万バーツを迂回融資した件でタクシン首相(当時)とクルンタイ銀行の役員などが27人が関与したとして起訴され最高裁刑事法廷が受理した。

本件は軍事クーデター後の「不正蓄財委員会」が調査をおこない6年後にようやく起訴にまで持ち込んだものである。

タクシンは国営銀行クルンタイ・バンクをさまざまな「不明朗融資」を行ったことで知られる。クルンタイ・バンクは当然不良債権が累積し、一時機能不全に陥った。

クルンタイ・バンク事件でタクシンに逮捕状(2012-10-12)


タイ最高裁判所はクルンタイ・バンクの不正融資にかかわったとしてタクシンンに逮捕状を出した。(2012-10-11The Nation)

タクシンは2008年9月にもビルマはの不正融資事件(人口衛星プロジェクト)など4件の逮捕状が出ている。


T12-16 タイの経済はインフレ下で停滞色が強まる(2012-9-25)


9月5日から21日まで私はタイの仏足跡の見学に行ってきた。その間12日~15日(3泊)ラオスのビエンチャンに3泊した。前回の訪タイは6月だったが、この3か月間にタイの雰囲気が一変したことを感じた。それは米買い上げ制度の復活によるインフレ加速が最大の原因であろう。もう一つの問題は最低賃金1に日バーツ300への引き上げである。

日本の一部の報道ではこの政策によってタイの最下層階級の生活レベルが向上したということになっているが、バンコクではそういう声はあまり聞かれない。米価の引き上げは米1トン当たり15,000バーツと50%ほど引き上げられたが、農民の手取りは9,000バーツで残りの6,000バーツが手数料の経費を除くとプア・タイ(タイ貢献)党の政治家の懐に転がり込んでいるといわれている。

また、彼らはカンボジアから安いコメを密輸し政府にそれを売りつけボロ儲けしているという。タクシンはこの米買い上げ制度はよい施策なので数年続ける必要があるといっている。タクシン時代からこの制度は汚職の源泉であるとして国内で非難をあび、民主党のアビシット政権になってやっと廃止したばかりである。

プア・タイ党が政権をとってから真っ先に復活したのがこのコメ買い上げ制度である。タイの米価が上がってしまったため、政府の倉庫には1,000万㌧を超えるコメが在庫されているという。これを世界市場に放出すればタイ政府は莫大な損出を被ることは言うまでもない。

タイの庶民の暮らしにとっても主食の米価が上がり、インフレに襲われていうr。タイを旅行すると私が最も多く食べるのはカオ・パッドというチャーハンである。ところが今回そのコメの質が著しく低下したことにまず気が付いた。日本が1993年の米不足の時にタイから70万㌧も輸入した、あの「ボロボロ米」が急に増えたのである。バンコクのセントラル・デパートの1階にある屋台風の店でもボロボロ米のカオ・パッドが出てきた。コスト切り下げのために悪質なコメを客に食わせているのである。

スラタニでは宿泊したワンタイ・ホテルの宿泊費が780バーツから980バーツに25%も値上がりした。これは従業員の人件費が値上がりしたためかもしれない。バスタブのついている部屋を全廃し、全室シャワーのもになった。また、町を走っているソンテウやモーター・サイも30~50%値上がりしている。

また、タイ経済を支えてきた輸出がこのところ大変調子が悪い。2012年8月には198億ドルと前年同月比で7%もマイナスになた。これはEUの経済危機によるものだということだが中国もその他アジア諸国も不況だからである。2012年1~8月の期間で見ると輸出金額は累計で1,516億ドルと前年同期比1.3%のマイナスである。一方輸入は1,647億ドルと7.6%増加している。貿易収支は131億ドルの赤字である。タイ経済は貿易収支が赤字になるとモロい体質を持っている。

こういう中でバンコク市民のインラク政権への不満はくすぶり続けている。いつ爆発してもおかしくない。


T12-17, タイ政府は700万㌧のコメ輸出を政府間協定で決めたと発表するも根拠薄弱(2012-10-4)

タイ国内でのコメ買い上げ制度が汚職の元凶であり、国家財政を危うくするものだという批判が日に日に強まっている。これは前号でもふれたとおりだが、インラク首相は700万㌧のコメ輸出が主に政府間協定で決まったと10月2日の記者会見発表した。

しかし、彼女自身はこれ以上の言及を避け、商業相が後の質問は引き継ぐというお決まりのスタイルで逃げてしまった。商務省は政府間の協定であり、詳細の発表は差し控えたいということでこれまた逃げた。

同じ日にタイ中央銀行の総裁(Chairman)であるウイラポン(Virapongsa Ramangkura)氏は「政府のコメ買い上げ政策は直ちにやめるべきだ。この政策には多くの汚職疑惑があり、国家の危機につながりかねない」と強く批判した。ウィラポン総裁は保守派の大物エコノミストであり閣僚経験もあり、しかもタクシン派である。

それだけコメ買い上げ政策がおかしな方向に行っていることを懸念しての発言であろう。

それでは実際にコメ輸出がどこに行われるのかというと「そんな気配はない」というのが関係者の一致した見方である。第一コメを入れる「袋」の発注すら出ていないというのだ、買い手と目されるインドネシアやフィリピン政府は、タイとはコメ輸入の話はしていないという。中国は輸入する可能性が多いがせいぜい200万㌧どまりで、国際価格が下がりつつある現在タイに有利な取引を行う可能性は低いとみられている。

9月には55万㌧のコメが輸出されたが、すべて民間業者によるものだという。現在タイ政府は1600万㌧のコメの在庫をもち、その有力な買い手は見つかっていない。さらに2012~13年三枚を2600万㌧買い付ける予定であり、4050億バーツ(約1兆300億円)の資金が必要とされる。

経済担当のキッティラート(Kittirat Na-Ranong)副首相も「米買い上げ政策はよい政策なのか?」と疑問を呈しているという。ウィラポン氏がネガティブな発言をし始めたことは「コメ買い上げ政策が実際の効果を上げるどころか国家財政にとっても大きなマイナスになりつつあることが表面化してきたことを物語る。

コメ消費者のバンコク市民の不満はいよいよ高まりつつある。

また、ヨンユット(Yongyuth Wichaidit)副首相が10月3日に突如、辞任を表明した。内務相も兼務しており、プアタイ党の重鎮であり、タクシンの右腕である人物だが、突然の辞任表明は疑惑を読んでいる。2002年のタクシン政権時代に僧院の土地を売り払ってゴルフ・コースにしてしまった「アルパイン(Alpine)」事件がいよいよ表面化したとも言われるが、プアタイ党内の権力争いか「汚職金」の配分を巡る喧嘩のせいではないかとか噂は絶えない。インラク政権もここにきて怪しい雰囲気が出てきた。


⇒タイ政府は農業および農協銀行(BAAC=the Bank for Agriculyure and Agricultural Cooperatives)に対し10月8日920億バーツ振り込んだ(2012-10-9、The Nation)。


BAACは2011/12年三枚を102万件の農家から695万㌧買い上げ、その代価を1185億8千万バーツ支払ったという(トン当たり約17000バーツ)。BAACとしては2012/13年産米について政府から2400億バーツの送金を受ける予定であり、特に業務上の支障はないとしている。

政府は今年さらに在庫400億バーツを売却しBAACに支払う予定であるという。さらに政府は2012/13年産米の第1期昨1500万㌧を買い上げ、政府が借金をして1500億バーツをBAACに振り込む予定であるという。要するに資金繰り上は2012/13年産米についてもさほど大きな問題にはならないであろうとBAAC幹部は認識しているようだ。

問題は買上米にまつわる「汚職」にあり、政府は汚職対策を真剣に行うといっている。現在までのところ、25件が調査対象に挙がっており、うち4件が役人が絡んだもので、残りは農民が精米業者に「騙された」というもので、だまされt金額は3億700万バーツとのことである。

さらに92000人の農民が苦情を訴えているという。これに対しては警察官が派遣され調査にあったているという。

議会では上院がコメ買い上げ問題について特別審議を行う動きがある。

T12-18 反政府集会に2万人が集まる(2012-10-30)

全国ベースの世論調査ではインラク政権が多数の支持を集めているようであるが、バンコクに限定するとインラク政権への不満は相当根強いものがあるとみられる。10月28日にバンコクのロイヤル・ターフ・クラブで行われたピタク・サイアム党(Pitak Saiam党首Boonlet Kaewprasits大将)主催の反政府集会には政府側の予想の1000人をはるかに上回る20,000人が参加した。

ブーンラート党首はインラック政権はタクシンの傀儡政権で米買い上げ政策などの失政が多く、国民のためにならないから打倒しなければならないと主張し、場合によっては「軍事クーデター}も選択肢であると主張している。これには黄色シャツのリーダー、チャムロン少将とその支持者の仏教徒集団サンティ・アソク(Santi Asok)も参加した。また、市民団体の「多色グループ」からも多くの参加者がいたという。

予想外の参加者の多さに気をよくしたブーンラート党首は近々第2回の集会を開くという。

これに対しインラク政権は平静を装っているが、支持母体の「赤シャツ」はいきり立っており、対抗してバンコクで大衆会を開くと息巻いている。赤シャツはバンコク市内だけでは多くの動員が望めないので、全国から参加者をあつめ、そのためには赤シャツの資金だけで、タクシンからはカネをもらわないで集会を開くのだという。

ウドン・タニの赤シャツリーダーのクワンチャイ・プライパナ(Kwanchai Praipana)がその先頭に立っている。彼はインラク政権がタクシンを帰国させられないのであれば、赤シャツだけでタクシンの帰国を実現させるのだという。

赤シャツがバンコクで大集会を開けば反タクシンン運動が逆に一気に盛り上がることが予想され、再び政治混乱が起こる可能性もある。

プアタイ党の農民バラマキ政策の中心はコメのトン当たり15,000バーツ買い上げ政策であり、これは市場価格の50%増である。農民はコメ買い上げ価格が計算上は40%も上がり、大いに潤っているはずであるが、農民の実入りはさほど多くないという。低級米を作ったほうが有利なので、輸出用のジャスミン・ライスは生産が落ちているともいう。

コメ価格値上がりの被害者は言うまでもなくバンコク市民を中心とする都市部の市民である。彼らは税金の75%以上を負担し、それがタクシンの農民へのバラマキ政策に使われ、なおかつ高いコメを交わされるという「踏んだり蹴ったり」の被害者になっている。
都市住民が怒るのは当たり前である。

プアタイ党(タイ貢献党)は農民の票を集めて政権をとったのであり、民主党支持のバンコク市民の都合などどうでもよいのである。政権を維持している間に汚職などやりたい放題やってタクシン一族とそのクローニー(お仲間)が蓄財の限りを尽くすという寸法である。これは農民にとってはどうでもよいことであり、少しでも何かをくれるタクシンさまさまなのである。

日本企業も昨年は大洪水に見舞われ、大きな被害を出したが、これは異常天候のせいというよりは、農民の稲刈りを待ってダムを一斉に放水した農業省などの失策による。これはインラク政権のセイでもある。

中国が具合が悪いからといって東南アジアに出資先を切り替えるのはいいが、タイの場合はインラク(タクシン傀儡)政権が続く限り、常に農民優遇政策のトバッチリを受けることを計算に入れておく必要がある。実際、何が起こるかわからないのである。

日本の学者や新聞・テレビなどいくら読んでのそんなことには一言も触れていない。特に国立大学(京都大学と東大も)のタイ学者は露骨にタクシン政権を支持している者がおり、十分気を付ける必要がある。新聞もまるでわかっていない。それどころかタクシンに買収されているという疑念を持たれているところもあるから要注意である。


T12-19. 民主党のアピシット党首とステップ前副首相を殺人罪容疑で特捜部が事情聴取(2012-12-12)

タイ特別捜査局のターリット(Tarit)局長はアピシット前首相とステップ( Suthep Thaugsuban)前副首相を「殺人容疑」で出頭を命じ、事情聴取を行うこととなった。ターリット局長によれば2010年の赤シャツのデモを解散させるために軍を動員し、結果的に91人の死者が出たのは当時政権にあった両人の責任だという。

特別捜査局は警察幹部と検察庁とで会議を開き、決定したとしてピヤ・ラクサクン警察大佐が民主党本部を訪れ召喚状を手渡した。

アピシット氏はこれを受けて立つという。ターリット局長は民主党政権時代に任命されたが、インラク政権になっても更迭を免れ、タクシンに忠誠を誓ったと取りざたされ、今回の件も赤シャツ隊の背後からタクシンの軍事組織である「黒シャツ隊」が最初に銃撃し,
ロムクラオ大佐以下4人の軍人を殺傷したことは不問に付している。

それ以外にも赤シャツ隊が放った手りゅう弾で一般市民にも多数の死傷者が出ており、軍は銃を持って攻撃してきた赤シャツ・黒シャツ隊員を銃撃したのみで、一般の赤シャツ・デモの参加者を殺害してものではない。当初は国軍はゴム弾で対応していたが、黒シャツ隊が軍から手に入れた高性能銃で銃撃し、ロムクラオ大佐以下が殺害されたのである。

また、当時の陸軍司令官であったアヌポン大将は「オトガメ」が無いようである。何とも不思議な特捜部の態度である。もっと驚くべきことはターリット自身が当時のCRES(Center for the Resolution of the Emergency Situation)のメンバーで赤シャツデモ解散のための、司令部のメンバーだったことである。


これは、タクシンの数々の罪状と「おあいこにしよう」というタクシンの作戦にターリットが加担したものとみられている。赤シャツの戦死者のほとんどが軍との銃撃戦で殺害されたもので、政権のトップの指令による殺人には当たらないことは明白である。


また、最近になって赤シャツ幹部は「軍事組織黒シャツ隊」の存在そのものを否定している。しかし、黒シャツ隊はカッテヤ少将がタクシンから金をもらって軍事訓練を受けていた「ローニン集団」(カッティヤの説明)であり、彼らの動きは故村本カメラマンのビデオにも映っているし、多くの報道写真がある。

要するに今回の「召喚」劇はタクシンの無罪放免(全面和解)作戦の一環であることは見え見えなのである。


T12-20 民主党法律顧問ラメット氏へのテロ、一命は取り止める(2012-12-18)

民主党の法律顧問のラメット(Ramet Ratanachaweng)氏がj宅のマンションの近くで17日(月)夜に何者かに襲われ、頭がい骨骨折の重傷を負わされた。幸い脳の損傷や出血は見られず、一命は取り止めたが、集中治療室から出て、意識はあるものの口もきけない状態であるという(バンコク・ポスト12月18日)

ラマット氏は民主党の法律顧問として様々な訴訟事件(East Water Group献金事件=昨年の大洪水の義捐金を小切手でなく現金で2万バーツを民主党が受け取ったとされる’事件’など)の弁護活動のほかほか、民主党の広報担当次長を務めている。

アビシット党首はこれは「政治的安事件」として、早急に犯人を逮捕するようにインラク首相と警察長官(Adul Saengsingkaew警察大将)に申し入れた。ただし、下手人が捕まる可能性は低いとみられている。タクシン政権時代はこの種の事件は珍しくなかったが、ここ数年政治がらみとみられるのテロ事件は聞かれなかった。


(2013年のタイの政治経済)


T13-1, バンコク都知事選挙はスクムバン知事が再選(2013-3-7)

3月3日(日)に行われたバンコク知事選挙は現職のスクムバン知事(民主党)にたいしてプア・タイ党は警察大将ポンサパット・ポンチャロン(Pongsapat Pongcharoen)氏を擁立して戦った。現職の警察トップ・クラスが知事として立候補するというのも異例ではあった。

当初はポンサパット候補は知名度も低く、スクムバン候補の圧勝とみられていたが、インラク首相が陣頭指揮をとり、プア・タイ党が豊富な選挙資金をつぎ込み挽回を図り、選挙直前には逆にポンサパット候補が圧倒的に優勢だという世論調査結果が出た。どうしてこうなったか、多くのバンコク市民は驚いたという。

たとえば、有力な世論調査機関のスアン・ズシット(Suan Dusit Poll)社は3月1-3日という直前の調査ではポンサパット候補が49%に対し、スクムバン候補は38%と10%以上もプア・タイの候補が勝つというものであった。ほかの各種の調査機関も大同小異で、わずかにNIDA(国民開発研究所)のみがスクムバン候補の優勢を伝えた。

日本のメディアは日経新聞が3段抜きの大きな紙面を割きポンサパット候補の圧勝を予測し、東京新聞までもが同様な予測記事を出した。

ところが実際に蓋を開けてみるとスクムバン候補が1,256千票、ポンサパット候補が1,078千票と17%もの大差がついてスクムバン候補の勝利に終わった。過去の世論調査でもこのように結果がまるで逆になるというケースはごくまれであり、なぜそのようなな結果になったかが問われている。これは世界的な珍事とも言ってよい。

一部には調査結果を「ゆがめる」工作がおこなわれたのではないかという疑惑すら出ている。
また、地域的なサンプリングのミスもあったという疑惑も残る。都心部では伝統的に民主党が強く、周辺部では東北部出身の労働者が多く住みタクシン派に投票したということは十分考えられる。

また、タクシン派が優勢との報道にバンコク市民が危機感を感じて投票に駆けつけたことも考えられる。ともかく120万票というのは史上最高の得票であるといわれている。

この選挙結果はタクシン派にとっては大きな痛手で、バンコク知事選を制すれば世論がタクシンに味方していると称して「和解ムード」を盛り上げ、一挙に「タクシンの赦免・帰国」につなげようという意図はくじかれた。タクシンはこのまま罪を逃れて逃亡生活を続けざるを得なくなった。政治的にはタクシンの「遠隔操作」が当分続くことになる。変な民主主義である。


T13-2. タクシンがスカイプでプアタイ党幹部に指示(2013-3-14)


最高裁判決で2年の実刑が確定し海外に逃亡中のタクシン元首相が3月11日にSkypeでプアタイ党の会議に参加し、様々な指図を行い、国会議員にを叱責するなどタイの政治的支配者であることを印象付けた。

タクシンはプアタイ党員の行動を監視しているとしたうえで、先のバンコク知事選挙でポンサパット候補を積極的に応援しなかったとしてスダラット議員(女性)派を攻撃した。また、2兆バーツ(約6兆円)のメガ・プロジェクトについてよく勉強しておくようにという指示を出したという。これは言うまでもなく最大の利権の種である。

さらに、「国民和解法案」を通さなければ赤シャツからプアタイ党はソッポを向かれるとか、「政党解体規定」の憲法69条を早く改正しろとか、外国との条約締結を規定した憲法190条を改正せよといった指令を出した。外交が国会の掣肘を最小限にすることを画策している。これによって海外の利権獲得が有利になるためであると考えられる。

また、チャレム副首相に対しては「麻薬取締のやり方が手ぬるい」といって叱責したという。タクシン時代には麻薬取引関係者が裁判抜きで2500人も殺害されたといわれている。

タクシンが半ば公にSkypeを使って会議に参加して党員に指示を出したのは初めてであり、インラク首相が「私はタクシンの傀儡ではない」といくら言い張ったところで、こういうことが公になってはいかんともしがた。今のインラク政権は「犯罪者」が支配する政権であることを内外に知らしめた。

タクシンは海外で様々な利権活動に暗躍しているとのうわさが絶えない。洪水泰すくプロジェクトにも災害直後にタクシンが「見学」に出向いた韓国企業が参加しているという。



T13-3 インラク政権はコメの高価買い上げ制度を維持する方針(2013-3-15)

インラク政権は公約のコメの高価(15,000バーツ/トン)買い上げ制度を来年2月まで継続すると発表した。これはインラク政権のポピュリスト政策の典型的なものであり、米作農家は表向きは民主党政権時代に比べ販売米価が約50%増加することになる。

しかし、「流通費用」などでかなりの部分が吸い上げられ、米買い上げ制度は最大の汚職の原因になっているといわれている。農民にもよく、与党政治家にもよい政策は簡単にはやめられない。これがインラク政権(タクシン政権)の権力の源泉である。矛盾の多くはバンコク市民に押し付けられることになる。これがタイの民主主義である。

大量に買い上げたコメは輸出競争力がないため大量に在庫が積みあがり現在約1,000万㌧が在庫されており、さらに今年は1,200万㌧の新たな在庫積み増しが予想されるという。

米政策による政府の赤字は昨年1,150億バーツ(約3,500億円)に達し、今年はさらに1,320億バーツ(約4,000億円)赤字が増えると予想されている。しかも、低品質のコメでも無制限に政府が買い上げるために、タイ国民はますますマズイ米を食べさせられる」ことになる。

政府はコメの在庫の保管場所にも困っており、一刻も早く輸出したいところだが、政府間ベースで輸出するにしてもトン当たり200ドルの損失は避けられない。500万㌧輸出すれば10億ドル(300億バーツ≒900億円)の直接損失となる。価格も国際相場がトン当たり390~455ドルで推移しているがタイは550~560ドルで売らざるを得ない状況にある。

タイのコメ輸出は1983年以降世界のトップの地位を維持し、2011年には1060万㌧油種つぃた。ところが2012年には690万㌧に落ち込み、2013年は600~700万㌧にとどまる見通しである。

タイは2011年には世界市場の33.5%のシェアを持っていたが、タイ政府がグズグズしている間にインドがシェアを伸ばし、現在インドのシェアは32.18%(従来14.57%)とトップに躍り出た。一方タイのシェアは21.79%と大きく低下した。ベトナムはシェアを着実に伸ばしており、2011年には21.79%であったが昨年は24.18%となり、タイのシエアは3位に落ちれしまった。

全てはインラク政権のポピュリズム(選挙での農民票獲得)政策のおかげである。この赤字はタイ国民全体の負担であるが、実際はバンコク市民がその約75%を負担する計算である。(税収全体に占めるバンコクの比率)

2012年9月末現在のタイ政府の財政赤字の累積はGDPの44.51%(2008年は36%)であるが、ポピュリスト政策を続ければ2019年9月には65.96%に達すると、プリディヤトン元副首相、財務相は試算している。しかし、今後大型プロジェクトをインラク政権は実施する予定であり、もっと早いペースで財政赤字は拡大するであろう。


T-13-4 タイの株式暴落、1478.87へ1週間で-7.5%(2012-3-22)

タイの株式市場は2月に入ってから景気の好調に支えられほぼ一本調子に上げ、1週間前(3月15日)は1598.13と最高値をつけたが、その後は徐々に下げ始め、本日(3月22日)は前日に比べ50.59ポイント下げ(-3.3%)と大幅マイナスとなった。

タイの企業業績はほぼ全体的に安定している中での暴落は大きなショックであった。

原因はキプロスの通貨危機といわれているが、国内政治の不安定要因も指摘されている。

インラク政権は頼りないといわれながらも、プレム枢密院議長やプラユット陸軍司令官とも「協調路線」を何とか構築し、「安定政権」を目指してきた。そのため比較的政治の安定は維持されてきたが、3月3日のバンコク知事選挙ではスクムバン候補にプア・タイ党候補が「予想外」の惨敗を喫した。

米の買い上げ制度も最初から無理がたたり、財政上の混乱ばかりか非農家(バンコク市民など)から強い反発をを招いている。

加えて2兆バーツ(6兆5千億円)の大型プロジェクトは単年度主義が憲法上規定されている中での、強引な長期プロジェクトの集積であり、民主党から「憲法違反」という追及を受けている。憲法裁判所に提訴されれば、おそらく「違憲」判決が出る公算が大きい。

この長期プロジェクトについてNIDAがおこなったアンケート調査では51.6%が必要だという回答をしているが、35.07%が財政負担が増すなどという理由で反対しているという。また、74.8%が「汚職」の可能性を危惧しているという(2013-3-23 Bangkok Post).。

プア・タイ党は各プロジェクトに委員会を設け、「汚職監視」を行わせるとしているが、最初からそのような委員会が「公正」な判断を下すと考えている国民はそう多くはないだろうし、すべてが「ガラス張り」であるはずがない。また、中国企業が「獅子の分け前」を取るであろうという噂は絶えない。

すでに中国はラオスに中国製の鉄道プロジェクトを押し付け、それをさらにタイにまで延長し、雲南⇒ラオス⇒タイ⇒カンボジアまで中国の「一貫鉄道ライン」の建設をもくろんでいると観測されている。中国のメコン地域の「串刺し計画」である。

インラク首相自身も公職就任時の「財産申告」に違法があったとされている。これは致命傷になりかねない。

また、タクシンはインラクでは軟弱だということで、よりあくの強いといわれるインラクの姉のヤオワパ(Yaowapa)女史をチェンマイから国会議員の補欠選挙に立候補させ、インラクの後の首相に就任させるのではないかと取りざたされている。既にチェンマイ選挙区ではプア・タイ党の国会議員(KasemNimmonrat)が「健康上の理由」で辞職し、その補欠選挙が4月21日に行われる段取りになっている。

これらはいうまでもなく、すべてタクシンの指図である。もちろんインラク首相を辞めさせるつもりはないといているが、バンコク知事選の敗北でタクシンの赦免帰国は消し飛んでしまた。それでもプア・タイ党はあきらめず「憲法改正」とか「国民和解法」の成立によってタクシンの赦免帰国を執拗に狙い続けることは間違いない。

しかし、2010年4-5月の一連の赤シャツ騒乱の裁判がいよいよ動き出してきている。赤シャツは武装集団「黒シャツ」隊の存在そのものを今更ながら否定しにかかっているが、多くの国民やジャーナリストが目撃しており、否定は到底無理である。

一方2008年にスバンナプミ国際空港を占拠した黄色シャツ・デモ隊幹部は裁判を堂々と受けることを決めており、「国民和解」による赤シャツと黄色シャツの「同時赦免」などは眼中にない。黄色シャツの空港占拠は「暴挙」には違いないが、武装して国軍兵士を殺害したり、手りゅう弾で一般市民を死傷させたり、放火するなどの「蛮行」を働いたわけでもなく、赤シャツとは罪の重さが最初から違う。


T-13-5. イタリー人カメラ・マンは軍の発砲により殺害された。黒シャツ着用が原因か?(2013-5-29)

南バンコク地裁は2010年5月19日の赤シャツ・デモ排除の当日、ラチャダムリ・ロードからラチャプラソン交差点方面に走って逃げていたイタリー人カメラマン、ファブリオ・ポレンギ(Fablio Polenghi)氏がサラディン方面から飛んできたとみられる銃弾に当たって死亡した事件で発砲したのは「軍である」という判決を下した。

当時近衛第2歩兵連隊がサラディン方面に展開し、赤シャツ・デモ隊と銃撃戦を行いながら、デモの強制排除作戦を行っていた。



当時の報道ではファブリオ・カメラマンは黒シャツを着用しており(上記写真)、赤シャツ・デモ隊の武闘組織「黒シャツ隊」のメンバーとして誤認され、銃撃されたという見方があった。彼がなぜ黒シャツを当日着用して、軍に背を向ける格好で逃亡(走って)していたかは明らかではない。


T-13-6. プア・タイ党の牙城のドン・ムアン地区で民主党候補勝利(13-6-18)

ドン・ムアン地区のプア・タイ党国会議員Karun Hosakul氏が失格したため、行われた補欠選挙で民主党のタンクン(Tankhun Jitt-itsara)候補がプア・タイ党(タクシンの政党)のユラヌット(Yuranunt)候補を32,710票対30,624票で破った。これはこの地区での民主党候補の初めての勝利である。投票率は70%であった。

タンクン氏は徹底的な戸別訪問作戦が功を奏したと語っている。プア・タイ党が強い地盤を誇っていたため、タンクン氏の勝利は奇跡的だともみられていたが。現在のプア・タイ党の政治に対する選挙民の批判も強かったことが立証された。


T-13-7 米買い上げ制度の矛盾拡大(2013-6-19)

タイではインラク政権が選挙公約通り政府がコメ買い上げ制度を復活し(タクシン政権時代にやっていた)約50%高い1トン=15,000バーツ(ジャスミン・ライス=20,000バーツ)で買い上げ始めた。所管する商業相はこの買い上げ制度によってどのくらいのロスが出るかを公表できないとして説明を拒んでいた。

しかし、外部の調査機関では独自の推計を行うところが現れ、1年半(3期分)で2,600億バーツ(約8,000億円)という試算が出てきた(財務省の試算)。政府官房が2013年1月31日に発表した所によると2011/2012年の2回の作付期と2012年の第2期作合わせて3期作のロスの合計は1,369.2億バーツというのが公式の発表であった。

また最近の政府の公式数字は精米ベースで1,342万㌧(モミ殻付きベースで2,178万㌧)買い上げ、3,373億バーツ支払った。政府の在庫は1,559.7億バーツで販売総額は591.4億バーツであるとヴァラテェップ(Varathep Rattanakorn)官房長官が発表した。

これだけの数字では実態は到底わからないとする民主党のアビシット前首相は1月発表の1,390億バーツのロス(3回の収獲期)のロスは2,600億バーツに達しているであろうと述べている。

また、これ以外にも最近報道されているところでは政府の在庫米(1000万㌧)の保管状況が劣悪で米に虫がわき、また、腐敗が進み食用に不向きな在庫が急増しているという(250万㌧という推計がある)。

インラク首相は米政策委員会の報告を待って今後の政策を決めたいとしており、15~20%の買い取り価格引き下げ案が検討されている模様であるが、農民組合は政府の引き下げは断固として認めないという強硬姿勢を早くも打ち出している。農民票によって政権を獲得したプア・タイ党としては農民からの脅しには弱い。

タイの一般国民の間ではコメ問題に対する政府の説明不足に疑惑が高まっているといわれ、上記のドン・ムアン地区の補欠選挙のプア・タイ党の敗北要因にもなっていると指摘されている。この制度によって多くの政治家の懐が潤い、精米業者も巨額の利益を上げているといわれている。

また、最近になってカンボジアからタイへのコメの密輸が横行しているといわれ、それが政府の買上米として転用
され、密輸業者も大儲けしているとい噂が絶えない。彼らの儲けの多くは奢侈品に使われ、最近ではイタリー製高級車を政治家の息子が買ったなどという話が出てきている。

⇒買い上げ価格をとりあえず15,000→12,000バーツに引き下げ、制度は2017年まで存続(2013-6-19)

タイのボンソーン(Boonsng Teriyapiron)商務相はコメ買い上げ政策による膨大な財政赤字に対する世論の激しい反発に鑑みとりあえず6月30日から今年の9月末までのコメの買い上げ価格を15,000バーツから12,000バーツに引き下げ、1所帯当たりの買い上げ上限を50万バーツまでに制限することとし6月19日の閣議決定をした。

ただし、買い上げ制度そのものは2017年まで存続することにするという。農家のコメ生産コストは1トン当たり8,000バーツなのでこの価格でも問題ないといとのことである。

これにより政府の支出は年間1,000億バーツにまで縮小されるという。記者からの質問でこれは「補助金」なのか「政府の損失」なのかという質問には答えなかった。

これでも農民は不満を申し立てている。水分の含量を15%に規制されると農民の手取りは9,000~9500バーツになってしまい、利益が大幅に減ってしまうというのだ。赤シャツ系農民は全国規模で反対運動を展開すると息巻いている。

一般国民は逆にこれでも納得しないであろう。制度廃止を求める声はいっそう高まることも予想される。12,000バーツで済むものがなぜ15,000バーツだったのかの説明も求められるであろう。インラク政権の場当たり主義が露呈された事件である。

⇒12000バーツへの切り下げ撤回―農民の圧力に屈する(2013-7-2)

いったんはコメの買い上げ価格をトン当たり15,000バーツから12,000バーツに切り下げることを決定しながらインラク政権は切り下げは今年の2回目の収穫の終わる9月15日まで延期すると発表した。まさに朝令暮改である。その後はどうするかは未定である。お天道様の動向を見てから決めようというところであろう。

理由は言うまでもなく「農民」からの反発である。農民政党であるプア・タイ党は都市部の国民の反発より農民からの反発のほうがはるかに怖い。こんなことは最初からわかり切ったことだが、恥も外聞もなく現状の米買い上げ政策を継続することにした。

内閣改造によりボンソーン商業相はクビになった。インラク首相が国防相を兼務するという「異常事態」となっている。

なお、最新の財務省の公表数字によれば、政府所有の米在庫は1700万㌧に達しているという。これに今から9月までに生産される2期作目のコメは400万㌧あり、さらに現在300万㌧の米が「買い上げ手続き」を待っているという。

もちろん、輸出や国内消費によって幾分在庫は軽減されるが、政府の保管能力はすでに限界にきているという。


また、米の代金は「農業および農業組合銀行(BAAC=Bank of Agriculture and Agricultural Cooperative)が6000億バーツ(約2兆円)を立て替え払いしており、そのうち1400億バーツしか政府から返してもらっていないという。

政府は7月下旬に35万㌧のコメを競売にかけるという。品質はえりすぐったものであり心配ないとされているが、防虫剤などを施された米があるのではないかという疑念が出されており、インラク首相自らコメを試食している写真を公開している。もちろんこんなことで「汚染米」に対する国民の疑惑が払しょくされるはずもない。(2013-7-23追加)


⇒財務省の副事務局長のスパ(Supa)女史、コメ買い上げのロスを公表したカドで査問に(2013-7-8)


財務省の副事務局長のスパ(Supa Piyajjiti)
女史が政府の米買い上げ制度による損害を2,600億バーツに達していると公表したが、政府(商業省)は1,390億バーツと公表した。スパ女史は農民と最終の米卸業者の間に10軒近い中間組織が介在し、それが汚職の原因にもなっていると話していた。

激高したプア・タイ党とインラク首相は余計なことを言ったとスパ女史を問責し、実態解明委員会を設置し「真相究明」を行いスパ女史を処罰しようとしている。

ところが、「叩けばホコリが出る」のは政府・プア・タイ党のほうで、精米業者の在庫を調査した段階で早くも、「報告数字」と「実態」のかい離がかなり出ていることが判明した。数字が足りないのは「横流し」の疑いがもたれるが、逆に「数字が過大」のところもある。それはカンボジアなどからの「密輸米」を「国産」という名目で不当に買い取った疑いがもたれる。

どちらにせよ、商務省の「把握している」数字はかなり、いい加減なものではないかという疑念がもたれており、スパ女史への追及が「藪蛇」になりかねない。世論も当然ながらスパ女史への同情論が強まっている。

7月8日、上院の「経済、商業および産業委員会」は財務省がスパ女史の査問委員会を立ち上げたことに対して、反対する声明を発表し、引き続き政府の行動を監視していくと述べている。

タクシン時代は上院議員の有力者を買収し、意のままに操ってきたが、現在はそうなっていないようである。


⇒さっぱりサバケないコメの入札(2013-7-31)

タイ商務省は保有米の公開販売(入札)を行ったが、入札に参加したコメの販売業者が少なく、5%米(破砕率5%)が6万㌧売れたにとどまった。売りに出したのは5%破砕米15万㌧、破砕米20万㌧の計35万㌧であった。もう1社が「破砕米3万㌧」につき商務省とネゴをしているという。これが売れても合計9万㌧にすぎない。商務省としては26万㌧は売りたかったのだという。

販売価格は平均1万2千バーツと見られ、買い上げ価格の1万5千バーツにくらべ大幅なロスであるが、背に腹は変えられないといったところだが。9万㌧売れれば商務省は10億8千万バーツを手にすることができ、「農業・農業協同組合銀行」に送金できるというもの。現有の1700万㌧といわれる政府保有在庫を一掃するのには2年間はかかるという。

その間に次の「買い上げ米」が同程度は積みあがってくる。国民は「高くてマズイ古米」を今後数年間は食べさせられる運命にある。

今国際的にはコメは過剰傾向にある。WSJは7月30日の記事で「アジアのコメの過剰生産」について特集している。「好天候」に恵まれ、インドもベトナムもパキスタンも未曾有の「豊作である」という。いうまでもなく国際価格は下落の一途である。「5%破砕米」は2011年にはトン当たり560ドルだったのがベトナムの最近の輸出価格は390ドルだという。それが今ではベトナムは260ドル、インドは237ドルでオファーしているという(7月31日WSJ).

2013年のタイのコメ輸出は290万㌧で前年同期比8.4%マイナスであった。例年であればタイは年間1千万㌧輸出しており大幅に減っている。

FAO(国連食糧・農業機構)
の予測によれば、2013年のタイのコメの生産はモミ付きベースで3580万㌧、精米ベースで2480万㌧、前年比2%増と予想されている。これはコメ買い取り制で政府が15000バーツ/トンで買ってくれるので農民の増産意欲が刺激されているためだという。

タイは保有米を輸出市場に放出するとさらに値下がりすることは目に見えている。タイ政府としても大幅な赤字になるために、やすやすとは動きがつかない状態にある。タイは現在イラクと「政府間取引」で25万㌧売る話がまとまったそうだが、価格は公表されない。

選挙で勝つためにタクシン派政党が農民にしたとんでもない約束のトバッチリを国民が受けることになった。民主主義の悲劇である。


T-13-8 インラク政権の内閣改造(2013-7-3)

インラク政権は突如内閣の改造を7月2日に発表した。

(新任)


インラク首相⇒国防相兼務


ユタサク・サシプラパ(Yuthasak Sasiprapa):元国防相⇒副国防相

パヴェナ・ホンサクン(Pavena Hongsakul;女性): Social Development and Human Security Minister(社会開発・人権保護)

チャトロン・チャイサン(Chaturon Chaisang):教育相


チャイカセム・ニティシリ(Chaikasem Nitisiri):法務相

ウィチット・カセムトンスリ(Vichet Kasemthongsri):天然資源・環境相(元TPP会長)

ピーラパン・パルスク(Peerapang Palusuk): 科学相

ヤンヨン・プアンラット(Yanyong Phuanrach):副商業相

ベンジャ・ルイチャロン(Benja Louicharoen):副財務相

ポン・チェワナント(Pong Chewananth):副交通相

ウィサム・テチャテラワット(Visam Techateerawat):副内務相

ソラウオン・ティエントン(Sorawong Thiengthong):副厚生相

(異動)

チャレム・ヨーバムルン(Chalerm Yoobamrung):副首相⇒労働相


ニワタムロン・ボーンソンパイサン(Nivathamrong Boonsongpaisal):首相府相⇒副首相兼商業相

サンティ・プロンパット(Santhi Promphat):Social Development and Human Security Minister⇒首相府相

プラチャ・プロムノク(Pracha Promnok):法務省⇒副首相

ワラテェップ・パタナコム(Varathep Ratanakom):首相府相兼副農業相

ポーンテェップ・テプカンジャナ(Phongthep Thepkanjana):副首相兼教育相⇒副首相 

(解任)


スカムポン・スワンナタート(Sukampol Suwannathat):国防相

チャット・クルディロケ警察中将(Chatt Kuldiloke):副内務相

ユタッポン・チャラサティアン(Yyttapong Charasathien):副農業相

サムサネー・ナクポン(Samsanee Nakpong):首相府相

プリーチャ・レンソムブーンスク(Preecha Tengsomboonsuk):天然資源・環境相

パデェームチャイ・サソムサップ(Phadermchai Sasomsap):労働相

タニス・ティエントン(Thanis Thiengthong):副工業相

ボーンソン・テリヤピロム(Boonsong Teriyapirom):商業相⇒コメ買い上げを巡る世論の批判への対応。


ウォラワット・アウアピリヤクン(Woravat Auapiriyakul):科学相

チョンナン・スリケウ(Cholnan Srikaew):副厚生相

プラサート・チャンタラルアントン(Prasert Chantararuangthong):副交通相

今回の内閣改造で注目点は①インラク首相の国防相就任と元国防相のユタサク大将の副国防相への就任、②チャレム副首相の解任(労働相への降格)、③ボーンソン商業相の解任、④チャトポンの教育相への返り咲きであろう。

インラク首相はいうまでもなくタクシンの傀儡であるが、プレム枢密院議長やプラユット陸軍司令官との関係は良好とみられている。軍との対決姿勢は最初からとっていない。ユタサク副国防相との異例なコンビは軍部への「懐柔」工作によって、何とかタクシンの「赦免帰国」を実現しようということであろう。また、タクシン派の軍人を国軍トップに据えようという意図があるかもしれない。

また、コメ買い上げ問題を巡る失政が特にバンコク市民の怒りを買っているさなか、「クーデター」への市民の希望が高まりつつあり、タクシンとしても「軍との融和」を第1に考えざるを得なくなったためであろう。

チャレムの解任は「南タイ」のイスラム・ゲリラ対策で現地の責任者との軋轢があったとされる。本人はそういって不満をあらわにし、改造後の閣議にも欠席した。彼はプア・タイ党の実力者であり、このままことが収まるとも思えないがとりあえずは労働相の職務に全力を尽くすと述べている。

チャレムを副首相から降格させ、治安担当から外したのは言うまでもなくタクシンであり、その理由はチャレムが「和解促進法(タクシン無罪放免をもくろむ)」の成立に消極的であったためであろうと取りざたされている。いずれにせよタクシンの不興を買う何らかの理由があったことは確かである。

「和解促進法」の強行突破を図れば国内から強い反発が起こり、バンコクが騒乱状態になることも予想される。そうなれば警察はタクシン派で占められており、何もやらないから、軍が治安出動することになり、一挙に「軍によるクーデター」へとことが運ぶ可能性がある。


ボーンソン商業相はコメ問題の責任を取らされた形である。後任は内閣府のミニスターのニワタムロン・ボーンソンパイサン(Nivathamrong Boonsongpaisal)であり、副首相に昇格させたうえで、商業相に任命されたが力量のほどは不明である。

チャトポンは元共産党員で旧タイ・ラク・タイ党の幹部でありタクシンのポピュリズム政策のブレーンである。チャトポンはタイ・ラク・タイ党が選挙法にふれ解党処分を受けた際に党の執行委員だったために5年間の「公職禁止」処分を受けていた。


T13-9.タクシンとユタサク(副国防相)の密談テープ(?)事件(2013-7-10)


ユタサク(元国防相、現副国防相)が6月22日(内閣改造の8日前)に香港でタクシンと会い、昼食時に交わしたとされる会話のテープと称するものがYouTubeに30分にわたって流れ、その真偽を巡って騒動になっている。

その真偽はともかく内容がタクシンの「赦免帰国問題」に絡む、かなりリアリティに富むもので、このテープが流された後にユタサク副国防相がインラク首相に辞意を伝え、インラクがそれを慰留したことで様々な憶測を呼んでいる。

現在はその声の持ち主の真偽について正式な鑑定をしてはどうかという話も出ているが、もしこれが本物であった場合は大事件に発展する可能性がある。

主な内容はバンコク・ポストの記事によれば以下のとおりである。

①タクシンと思しき人物の発言:「私は王室に忠実である。しかし、軍幹部はそれを疑っている。」

②両人の発言:「総司令官のタナサク大将(Tanasak Patimapakorn)はインラク首相を受け入れている。」

国防委員会に「和解(タクシンの赦免)」を求める計画について議論された。国民治安協議会(National Security Council)が内閣に直ちに「赦免する」命令を出すように勧告させる。その時の理由に「国内の紛争を阻止する」ことを大義名分とする。(こんなことをやれば国内の紛争は間違いなく激化するであろう。)

④両人はミヤンマーのミン・アウン・フライン(Min Aung Hlaing)大将に斡旋・仲介(Dawei Projectのこと?)してもらう可能性について議論した。(このダーウェイ・開発計画はタクシン・プロジェクトといわれているが評判が悪く国内外から総スカンを食らっているという)。

⑤新しい海軍司令官としアモンテェップ(Amonthep Na Bangchang)提督の名前が何回も出てきた。アモンテェップは現在海軍司令官最高顧問を務める。

⑥プラジン(Prajin Jantong)空軍司令官は味方(タクシン派)であり、彼を利用していろいろ画策させることができる。(枢密院議員のチャリット・プクパソクに対する工作)

⑦タクシンと思しき人物はプラュット陸軍司令官を大いに信用していると語った。(プラユット陸軍司令官はそんな話は一切知らないといっている)

⑧ユタサク大将と思しき人物は「陸軍トップはもしタクシンが赦免され帰国することになった場合”パ(Pa)”に対して復讐しないという保証を求めている」と語った。パ(Pa)というのはプレム枢密院議長のことだと信じられている。

⑨タクシンと思しき人物は「王室財産管理委員会」の顧問に任命してもらい、もう政治には関与するつもりはない」と語った。

⑩これ以外に、国防法を」改正して軍隊の人事権を政府が握り、軍を政府の管理下に置くことの可能性を論じた。(現在国軍は国王の軍隊という建前になっていて国防省は軍の人事権は持っていない。タクシンはかねてから、国防省に人事権を移管せよと主張していた。)

以上の会話の内容から、この録音テープは本物ではないかという見方が強まっているという。タクシン派と名指されたプラジン空軍司令官は「軍隊の責務は国家の利益を守ることにあり、国民、宗教、王室の安全を守ることだ」と優等生的コメントしたという。また、テープは偽物だろうと語ったという。しかし、このテープでは彼はタクシン派として軍などへの工作の人が与えられることになっている。

ユタサク自身はテープはにせものだと述べている。しかし、すぐに辞任の意向を表明したことは彼の関与があったのではないかと疑惑の目で見られることになってしまった。

しかし、タクシンの「赦免帰国」の企てが存在すること自体、総司令官もプラユット陸軍司令官も知っているはずだとプラジン空軍司令官は語った。

このテープの真偽については、タクシンの息子のパッポンテは「父親の声に間違いない」と語っているというし、軍の消息筋も本物だとみているようである。タクシンが軍トップと通じて上に述べたような手順を踏んで「タクシン赦免」令を議会を通さずに強引に持っていこうとしても、国民特にバンコク市民の多くは納得しないであろう(2013-7-11)。

どうやらこの録音テープは本物のようだ。あまりに今のタイの政治情勢を如実に反映し過ぎているし、しかも当事者でないと知りえないkとが語られている。

タクシンの行動は彼の「私的利益」がその動機となていることが、この会話らにじみ出てくる。利用できるものはすべて利用し、軍の人事にも介入しようとしている。

ビルマ(ミヤンマー)のダウィ・プロジェクトはタクシン・プロジェクトであることも露見した。

話は違うが、最近チュラロンコーン大学で学生がヒットラーの像を壁に描き、ヒットラーを礼賛するという事件が起こった。これは年老いた国王以外の新しい「権力者」への願望を示唆するものではないかと思われる。その背景にタクシンがいるとは思われないが、タクシン待望論もタイの社会の一部には存在するであろうことは容易に想像がつく。


T 13-10 タクシンは64歳の誕生祝客のために北京向けチャーター便を手配(2013-7-25)

タクシンは最近活動拠点を中国と香港に移した模様で、7月26日に64歳の誕生日に祝福に訪れるプア・タイ党のメンバーのためにチャーター便を用意するという。飛行機はドン・、ウアン空港から北京に飛ぶ予定だという。


T 13-11 タイでは25%のキック・バックは当たり前?(2013-7-27)

タクシンが政権(インラク政権)を奪取してから、タイでは政治家・官僚による汚職が日増しに復活してきているらしい。現在ではプロジェクトを受注しようとすれば25%以上をキック・バック(ワイロ)をするのが当たり前になってきているようだ。

かつてインドネシアではスハルト大統領のティエン夫人が「マダム・テン」といわれ10%のワイロを要求していたとうわさされ、フィリピンのマルコス大統領のイメルダ夫人は其の倍の「マダム・トェンティ(20%)」だといわれていた。我が国の学者は「開発独裁」が途上国には不可欠であるとし、この両独裁政権を支持するものが多かったが、日本からのODA援助の中からもワイロとして多額のカネが消えて行ったのである。

タイでは政権党のプア・タイ’タイ貢献党)党がしきりに大型プロジェクトをやりたがっており、国民から疑惑の目で見られている。一つは3500億バーツ(1兆1千億円)の洪水対策プロジェクトであり、もう一つは2兆2千億バーツの鉄道プロジェクトである。

バンコク・ポストによれば78%のビジネスマンがワイロを支払ったことを認め、その額も最近は急騰しているという。

インラク政権が手続きを「簡略化」してこれら大型プロジェクトを推進しようとしていることに対し世論の疑惑が高まっている。


T.13-12.  「和解法案」を巡り、タイの政治情勢深刻化、株式も下落(2013-8-2)


タクシンは何とか赦免を勝ち取ろうとし、様々な動きをしているのは{T13-9}で見る通り、軍と話をつける工作までやっていたが「秘密テープ」が漏えいしてしまい実現は不可能になってしまった。そこで次の一手は「議会を通じて和解法案」を成立させ、政治犯は赤シャツも黄色シャツもタクシンも一切合財「無罪放免」に持ち込もうとして、今の国会で強引に法案を通そうとしている。

反タクシン側は黄色シャツは幹部がスバンナブーミ空港占拠事件で起訴され、保釈中の身なので動きはつかないが、それ以外に「多色シャツ運動」や「白仮面運動」や「タクシン体制に反対する人民解放軍」(Pitak Siam)などが出てきている。何よりもバンコク市民の怒りは日増しに高まっており、赤シャツとの直接対決が何が起こるかわからない。

これには野党の民主党や各種の反タクシン政治・グループがこぞって反対し、街頭デモが始まっている。インラク政権は「国内治安法」をバンコクの数か所に発令して、市民運動を抑え込もうとしている。

一方、コメ買い上げ政策の明らかな失敗で、インラク政権は打開策を見いだせず、窮地に落ちりつつある。毎日のように悪いニュースが伝えられる。

そのような政治・経済情勢を反映してタイの株式市場は下落を続けている。8月2日(金)は薄商い(2013年上期平均615億バーツ⇒379.5億バーツ)中、バンコクは1420.94と前日比16.97ポイント下落した。5月半ばは1643.4ポイントのピークを付けたが下がる一方である。実に-13.5%もの下げである。特に外国の投資家が売り急いでいるという。

一方タイ国債(10年)は下げ続け、実質金利が4%を上回る水準に達してしまった。通貨バーツも対ドル=31.41バーツとこのところ急落している。

偶然の一致かもしれないがプミポン国王ご夫妻が4年間も入院されていたバンコクのシリラト病院を退院してホア・ヒンの離宮に移動された。国王が国民統合のシンボルというか国民いとっての最後のよりどころであることには変わりはない。

最近の株価と通貨の動き

   株式 バーツ/ドル   円/バーツ
 5月21日  1643.30 29.82  3.450 
 7月23日  1513.31  30.87 3.227 
 8月2日  1420.94  31.41 3.168 



⇒プアタイ党は議員提出の「和解法案」を議会に提出し、強引に審議を始めた。(13-8-9)

これに反対する市民は民主党のアピシット党首を先頭に数千人がデモ行進を行ったが国会周辺は「治安維持法」を盾に2万人の警察官に阻まれ、そこで平穏に解散した。プアタイ党は絶対多数を武器に「第1読会」を終了し、勝利を宣言した。

しかし、第3読会まであり、しかもタクシンを始めとする有罪犯罪者に「赦免」を与える権利が与党にあるかどうかの判断は最終的に「憲法裁判所」が行うことになるはずである。

インラク首相は「議会にすべてまかせてある」と称し、国会は欠席した。中国外相のあいさつを受けるとか、鉄道プロジェクトの見学と称してナコン・パトム方面にお召列車で出かけるとか、ともかく議会から逃げ回っているのである。国論を2分する大事な議論が国会で行われるというのに何たる法治国家であろうか。

だいたい、最高裁判決まで出て有罪が確定した「汚職・」権力乱用」事件の当事者が、有罪を確信して海外にトンズラしているものが「議会の多数決」で「赦免」を獲得して、無事「凱旋帰国」するなどという馬鹿げた話がありうるはずがない。そうなったらタイは民主主義国家でもないし「法治国家」でもない。

プアタイ党のばか騒ぎは茶番劇にすぎない。「タクシン様」に忠義を尽くす、哀しむべき醜態である。彼らには「軍事クーデター」を批判する権利はない。

民主党がデモ隊をおとなしく引き揚げさせたのはタイ市民としての良識の表れである。彼らが敗北したなどと見るのは間違いである。


T 13-13. 国内の治安を乱す噂をFacebookなどで流すと警察が取り締まる(2013-8-13)

なぜかこの重要なニュースが英字紙The Nationと「技術犯罪取り締まり本部=Technology Crime Suppression Division」のピシット・パオイン(Pisit Pao-in)警察少将との単独インタビューという形でながされた。したがってライバル紙のバンコク・ポストはこの件に関しては沈黙を守っている。バンコク・ポストのほうがより「反政府的」だと警察当局がみなしているということであろうか。

この記事は8月11日のネーションのインターネット電子版に出ていた。

それによればFacebokなどに出ているユーザーで「政治的なメッセージ」に「Like」をクリックすると「法的措置」をとることになろうと述べている。英文はこうなっている”Police Maj Gen, Pisit Pao-in defends his agency against criticism over its threat to take legal action against Facebook users who "like" certain message of a politicak nature"

これはFacebookに限らず’Line'などにも「協力」を要請していることが分かった。ウエブ・サイトに対する全面的な監視を行うということの宣言である。アメリカ政府がすべての通信情報を収集しているという情報からタイ政府もこれぐらいやってもよいという気になったのかもしれない。

タイの人権委員会はさっそくこういう動きに対して憲法で保障されている言論の自由の侵害の恐れがあるとして抗議を申し入れた。

日本に本社のある'Line'は協力するか否かは本社と協議中だといっているが、米系の各社は協力を拒否しているという。’Line'も下手な対応をすればタイ国民から総スカンくらわされることになりかねない。タイの知識人は日本人などよりもよほど強い危機感を持っているから、インラク政権などに下手な妥協をすると後々許してもらえなくなる。

言論弾圧はかつてのタクシン政権の特技であり、さっそく今回もそれを持ち出してきた。タクシン政権の目指すところは「警察国家」であり、今回も情報警察が以上にハッスルしている。名目は「国内治安の維持」であるがこれはどこまで拡大解釈されるかわからない。インラク首相は「言論の自由は守られなければならない」などとうそぶいているという。


T 13-14. 反タクシン派ビジネスマンのアクユット氏殺害の下手人は警察官?(2013-8-15

反タクシン派と知られるビジネスマンのアクユット(Akeyuth Anchanbutr)氏は6月6日スバンナ空港にいって、運転手に現金500万バーツを銀行から引き出させたままたまま行方不明になり、運転手のサンティパップ(Santhiphap)が金目当ての殺人容疑で逮捕された。

アクユット氏の遺体は運転手の供述通りパッタルン県で6月12日発見され、単なる「強盗殺人事件」として1件落着かと見られていた。アクユット氏の遺体の検視はピヤポン(Piyapong Sudsakornyen)検視官(警察中佐)が行った。それによると被害者は「特殊なヘッド・ロック」で殺されたと証言している。

しかし、アクユット氏は名前の知られた反タクシン派のビジネスマンであり、運転手の単独犯行とは思われないという意見が当初から多かった。

ところが最近になって運転手の弁護士であるスワット(Suwat Apaipak)氏は下手人は運転手ではなく「制服を着た人物(警察官)」だということを容疑者(運転手)が言い出したということを明らかにした。運転手の言によれば「自分はアクユット氏を殺そうとしたが失敗したので、そばにいた複数の警察官が手を下して殺害した」と供述しているという。今になって「事件の真相」を告白した理由は「彼らが約束のカネ300万バーツをくれなかった」からだという。

アクユット氏の殺害方法についてはタイの人権委員会が検視官の証言を取り上げ、運転手の単独犯行説に異議を唱えている。サンティパップ運転手は犯人たちは「自分の命も狙ている」と述べている。また、スワップ弁護士は「弁護費用を誰も払おうとしないし、私自身の命も狙われている」ということを理由にサンティパップ運転手の弁護を降りると言い出している。

確かにスワップ弁護士の警護を警察は行わないであろう。タイも警察が事件に絡むと、市民の敵になることはいままでいくつも実例がある。

8月17日付けのバンコク・ポストによれば何とタクシンの弁護士ががスワット弁護士とPAD(黄色シャツ)のアッチャラ(Atchara Saengkhao)弁護士を「名誉棄損」で訴えたという。スワット弁護士はタクシンの手下として知られるソムチャイ(Somchai Chitpreedakron)という人物の名前をサンティパップ運転手が語ったということを記者会見で話したのがけしからんということのようである。

こういうケースでタクシンは過去しばしば「名誉棄損」で相手を告発してきたことがある。多額の損害賠償を請求して自分に敵対する人物を黙らせるというのはタクシンの常とう手段だといわれている。タクシンが首相時代に女性レポーターに数億バーツの損害賠償を請求したこともあった。それはタクシンの敗訴に至った。


T 13-15 バンコク・ポスト系の編集者の家に銃弾打ち込まれ手りゅう弾が置かれる(2013-8-18)

8月17日早朝ににバンコク・ポストグループのポスト・トゥデイ(タイ語版)の編集者であるパッタラ(Pattara Khampitak)氏の住宅に数発の銃弾が撃ち込まれ、そのうちの1発が車庫の扉を貫通し車の後部ガラスが破損した。また郵便受けには手りゅう弾がぶら下げてあった。

これは日ごろの同紙の反政府的な論調に対するイヤガラセ行為であると考えられ、直ちにタイ・ジャーナリスト協会とバンコク・ポストが抗議の声明を発表した。

同じ英字紙でもネーションの方はややトーン・ダウンした穏健な論説が多いせいか今回は何の「オトガメ」もなかったようである。

こうしたジャーナリストに対する脅迫・イヤガラセはタクシン時代にはよくあったとされる。民主党政権時代にこのような事件はなかった。タイでは言論の自由が脅かされ始めた。警察がFacebookのチェックなどをやると公言し始めた。

民主主義的法治国家である日本ではおよそ考えられないことである。朝日新聞の記者がだいぶ前に神戸で殺されたぐらいである。最近ではせいぜい右翼がFacebookなどで悪口雑言の限りを尽くすとか、矢吹晋氏のHPに悪戯するぐらいである。


T 13-16 ゴム栽培農家が南タイで道路封鎖(2013-9-4)

南タイに集中するゴム栽培農家はゴム価格が2011年初に比べ半値に暴落しているとして政府に補助金の増額を求め抗議行動に出ており、南タイの幹線道路である国道41号線などの一部を占拠している。またつい最近ナコン・シ・タッマラート付近の鉄道も閉鎖した。

ゴム価格暴落の原因は中国の不況にあり、自動車の販売台数が伸び悩んで。タイはゴムの輸出は120万㌧で世界のシェアーの40%とあんっている。近年ではインドネシア、カンボジア、ベトナムの追い上げが厳しく過剰生産に陥っている。価格も暴落し2011年にはキロ・当たり120バーツでうれたものが現在は約60バーツにまで下がっているという。

キリラット経済担当副首相は農民にバンコクで交渉するから代表を贈れといっているが、農民はキリラットに対しナコン・シ・タマラートかスラタニまで出て来いと要求している。キリラットは南タイに行くのは「身に危険が及ぶおそれはある」といっていくのを渋っている。

南タイは東北部と違って民主党の支持者が多いことで知られている。

政府は首相府官房長のタワット警察少将を現地に派遣するとしている。

政府は補助金の総額56.2億バーツ(約170億円)を閣議決定し、1ライあたり1,260バーツ(約3700円)を支給限度を10ライ(1ライ約500坪)としているが農民は以前政府が示した25ライにせよと要求している。またゴムの買い上げ制度(1kg=100バーツ)を要求している。

タイ政府としてはコメ買い上げ制度で大幅な財政赤字になっており、ゴムどころではないといったところだ。ところで米についでゴムも政府補助金とは!

⇒9月7日になって政府は買い上げ価格をキロ当たり90バーツとすることで農民と話し合い合意を見たという。コメの買い上げ制度がゴムに波及したことになう。財政は大丈夫なのだろうか?都市住民から取り上げた税金が農民にたれ流されるタイの政治とはいったい何だろうか?


T. 13-17 またもや洪水の被害、プラチンブリの工業団地に被害(2013-9-26)

2011年10月には未曾有の洪水被害によりアユタヤを中心に日本企業は甚大な被害を受けたが、2年後の今年も洪水被害が早くも出つつある。東北部、中部地方にすでに始まっているがバンコクの東方のプラチン・ブリ県ではプラチンブリ川の堤防が決壊し、工業団地に洪水が押し寄せている。

団地の500軒ほどの工場内にはすでに40センチ・メートルの水が入り、機械設備の搬送や工場の周囲に土嚢を設置するなどの作業を急きょ行っているという。プラチンブリ県の最近の雨量は特に多く、あと数日豪雨が続けば完全にお手上げ状態になるという。

プラチンブリ川の水位は通常よりも9.8メートル上昇している。これは危険水位を80センチ・メーター超えているという。堤防の最上位にまで水が上がり、鉄橋すれすれのところにきている。バンコク・ポスト電子版参照(続く)


T 13-18. タイ検察庁、タクシンをテロ容疑で告発せず(2013-10-11)

タイ検察庁は9月30日で任期のきれたチュラシン検事総長(Chulasingh Vasantasing)の最後の仕事として海外逃亡中のタクシンもと首相に対し2010年4-5月のバンコク中心部の赤シャツ騒乱事件についての「テロリズム容疑」で告発しないことを決めたという(10月1日バンコク・ポスト電子版)

タクシンは海外逃亡中に赤シャツ・デモを企画し、赤シャツの別働隊として銃器で武装した「黒シャツ隊」を故カッティヤ少将に組織させ、軍人を射殺しかつ一般市民に手りゅう弾を投擲するなどとして多くの死傷者をだし、最終段階ではバンコク中心部で放火を行い、多くのビルが焼失した。(ワールド・センターやサイアム・スクエアなど)

赤シャツ・デモ隊員の一部にも銃などを支給し、軍との銃撃戦を行い全体で91名が死亡した。タクシンはこの騒乱の背後で指揮を執っていたことは明らかであるが、なぜか検察庁はタクシンのテロリズム容疑を否定して訴追しないことに9月17日に決めた。いわばチュラシンの「最後っ屁」である。

それを新たに検察庁長官に任命されたAtthapol Yaisawangに公表させた。これはチュラシンに内心忸怩たるものがあるためだと市民からはみられている。チュラシンの言い分はタクシンは外国にいるので「タイ国内で起こったテロ行為」の当事者としては訴追できないということであり、全くのこじつけである。タクシンは赤シャツ幹部といちいち連絡をとり、指示を発していたし、時々大型スクリーンにも登場し、デモ隊を鼓舞していた。

ほかの赤シャツ幹部は訴追され遅々として進まない裁判を待っている。

タクシンは最近は北京に滞在し、中国政府幹部とゴルフをしたり、中国企業にタイの大型プロジェクトを受注させるべく画策していると伝えられている。

この決定には民主党をはじめ多くのタイ国民が納得しておらず、形を変えて今後も追及が続くであろう。いわばタクシンによって罪を一身に被る赤シャツ幹部も公判の過程でタクシンの役割について言及せざるを得なくなるであろう。

しかし、タクシンは検察幹部の買収に成功したとみられ、今後検察庁も苦しい立場に立たされるであろう。結局罪を裁くのは最後は国民である.。

アタポン検察庁長官は2014年5月20日のクーデター後に直ちに罷免された。検察庁がタクシンに汚染された期間になっていたためである


米問題特集

T13-19.中国はタイから毎年100万㌧のコメ輸入を李克強首相が約束(2013-10-14)

中国の李克強首相は3日間タイを訪問し、外国首相としては始めて「国会演説の名誉」を与えられた。このことは日本ではあまり紹介されていないが、読売新聞は李首相が「中國に投票してくれと」要請したという。低次元のあきれた話である。

これは中国からラオスまで接続が決まっている、「高速鉄道」をさらにタイ東北部のノンカイからバンコクまでつなげる大プロジェクトを中国にやらせろというアピールである。

また、タイ政府の「コメ買い上げ政策」の失敗により在庫が1000万㌧もたまって四苦八苦しているタイ政府に対し、「救いの手」を差し伸べるべく、今後「5年間にわたり、毎年100万㌧のコメと20万㌧のゴムを輸入する」約束をしたとインラク首相が言明した。ただし、これはインラクの一方的発表であって李首相がこの件で何か言っているわけではない。

また、中国がタイのコメを「国際価格」で買うのか?政府だけの輸入で民間分は含まないのか?などといった基本的な話が明らかでない。タイのコメ輸出業者はその辺に疑念を挟んでいる。

中ータイのさまざまな取り決めを裏でおぜん立て、画策しているのは言うまでもなくタクシン元首相であるとみられている。タクシンは現在ドバイではなく北京に滞在し続けているといわれている。

もっと重要なことはASEANにおいて中国の立場を応援するようにという念押し的な話が為されたと考えられる。ASEAN内ではフィリピンとベトナムが直接中国との了解紛争中だが、中国はASEAN全体でなく「個別に交渉」することを主張している。これに対してASEANは統一して話をすべきであるという意見が支配的であるが、現在表向きに中国支持の立場をとっているのはカンボジアだけである。それを影から支えてきたのが実はタイなのである。もちろんシンガポールもその陰にいる。

先日NHKのBS放送でタイはどちらかというとアメリカ寄りであるというような解説をしていた某大学教授がいたが、全く分かっていない。

タイはタクシン政権(傀儡政権も含め)が続く限り、親中国政権なのである。こういうことが全く分かっていないのが日本のメディアである。これは特派員にもよるが朝日や日経や毎日などとくにひどかった。

日経などはビルマ(ミヤンマー)におけるタクシン・プロジェクトといわれるダーウェイ(Dawei)プロジェクトを陰に陽に持ち上げている。日本政府としてはもう片方のティラワ経済特区(Thilawa Special Economic Zone)を支援するという報道がなされている(The Nation=タイ英字紙)。日本の新聞がタクシンに肩入れするのは自由だが、タクシンにしてみれば「バカとハサミは使いよう」といって程度のことであろう。

⇒中国へのコメ輸出契約ータイ政府発表(2013-11-21)


バンコク・ポスト(2013年11月21日槃)によると、タイ政府は最近の中国へのコメ輸出について次のように報道している。

副首相兼商業相のニワタムロン(Niwatthamrong Bunsongphaisan)は中国のBaidahuang Group8北大荒集団・黒竜江省)の子会社のBeijing Great Northern Wilderness Rice Industry(北京北大荒米産業)社とのコメ取引では「国際価格」に準拠することが決まったという。デリバリーは1-2年で最初の出荷量は3か月以内に15万トンとする。

タイからの輸入米は国内消費のほか、貧困国への贈与に充てられる。中国の年間輸入量は200万トンになっている。これは中国が日照りにより国内米価が上昇しつつあるためである。

スラサク(Surasak Riang krul)貿易局長は政府が過去2年間にG2G(Government to Government=政府間)ベースで輸出したコメの量は7-800万トンに及ぶという。政府は1000万トンのコメ在庫(一説によると1600-1700万トン)を保有している。2014年にはコメ輸出はもっと増える。マレーシア、インドネシア、フィリピン、中東およびアフリカ諸国と交渉を行っている。

政府はG2Gでコメ輸出金額1300億バーツ獲得できると期待している。今年のコメ輸出は650万トンだが2014年には800-1000万トンに増加するであろう。政府は過去2年間の収穫期に6,800億バーツのコメ買い上げを行なった。しかし、売れたのは1,350億バーツである。インラク政府は2013-14年度産米買い付けに2,700億バーツを予定している。2013年10月から200万トンすでに買い付けたが支払いが遅延していて農民は苦情を申し立てている。

農民・農業組合銀行(BAAC)は2014年1月まで資金調達を増やせないので、農民への支払いはさらに遅延するだろう。

⇒中国とのコメ取引の約束は存在せず(2013年12月25日)

この記事は12月25日のバンコク・ポストの電子版に再掲載された(最初は2012年11月)ものだが、中国とのG-Gベースのコメ輸出はスッキリいっていないために再度掲載されたものと思われる。.

表題は「A rice deal that never existed in the first place,」 posted by Veera Preteepchaikul.というものである。

中国とタイは上記に見るように3年間で1500万トン(当初は300万トンという話)のコメを政府間で買い付けるというものだが、そもそもそんな話は嘘である。こんなありえない話をタイ商業省はばらまいていたという。そもそも中国政府はタイからコメを買い付ける話には原則的に合意したが、数量も価格も何も決まっていないという。

商業省が今になっても詳細を公表していないのは何よりの証拠で、中国側のコミットメメントがないままタイ政府が公にしたものであるという。そもそも中国がコメ輸入そのものを確約していないというのだから話にならない。現在米作農民には10月買取米の代金が支払われておらず、資金い困っている農民が続出しているという。精米業者に現金で買い取りを頼むと、トン15,000バーツが8,000バーツにまで買いたたかれるという。

タイのコメ買い上げ制度は過剰な農業補助であるとして米国政府から批判を受けており、WTOもIMFも批判しているという。

何もかもが不透明で国民に事実が知らされていないことに業を煮やした民主党のアピシット党首はインラク首相に対して次のことを要求する公開質問状を出した。(12月25日)

①「コメ買上げ政策」に関する損出もしくは利益の数字を明らかにすること。

②コメの国家の在庫とと小売り用に袋詰めされたもののストックの数量を明らかにすること。

③コメの輸出実績を明らかにすること。インラク政権はコメ輸出の数字を隠している最初の政権である。


中国へのコメ輸出はキャンセルに(2014-2-5-1)

中国のBaidahuang Group(北大荒集団・黒竜江省)の子会社のBeijing Great Northern Wilderness Rice Industry(北京北大荒米産業)社
への政府間コメ輸出はキャンセルになったとタイ商業省は発表した。これはタイの汚職防止委員会(NACC)がコメ買い上げ制度をめぐる疑惑について本格的捜査を開始し、コメ委員会の委員長を務めるインラク首相にも捜査の手が及ぶことが明らかになり、慌てて輸出契約のキャンセルをして、事態を「白紙」に戻したものとみられる。

このコメ輸出契約はG2G(政府間取引)だというフレコミであった。もしそうだとすると、従来の慣例から中国側の相手はCOFCO(中糧公司)という中央政府直轄の機関でなければならず、なぜ黒竜江省の地方政府の機関である「北大荒」が当事者であったのか疑問がもたれていた。数量も120万トンという大きな数字である。「国際価格での売買」ということで価格については何も明らかではなかった。黒竜江省では通常消費されるのは「短粒米」といわれジャポニカの系統のコメであるがタイ米は「インディカ種」の長粒米であることも謎とされていた。

今回のキャンセルでこの話は大きな謎が残されたまま「闇から闇へ」葬られた形になってしまった。中国との政府がらみのビジネスにはタクシンが絡んでいることは言うまでもない。今回のキャンセルは当事者双方に「不都合な真実」があったものと思われる。


⇒コメ買い上げの支払いに苦慮(2014-1-10


タイの農業および農民組合銀行(BAAC)は現在のコメ収穫期の政府買い上げ代金として農民への未払い金額550億バーツを使用することを拒否した。

選挙管理内閣はBAACに対して農民への支払いを、手元資金から行うように要請する閣議決定を行った。2011-12年期からスタートした最初の2期の収穫に対し、すでに1,800億バーツ=約6,000億円)支払っていて、それに対する政府支払いは完了している。しかし2013年10月以降の分については政府資金が不足していて支払いが滞っている。

商業省はコメの販売・輸出を試みているが思ったほどの数字をあげられていない。

2013-14年の主要収穫期のモミの買い上げは900万トン、950億バーツが予定されているが、農民への支払いは510億バーツにとどまっており、残りの440億バーツは未払いであるという。BAACはそのうち200億バーツ弱については資金の目途はついているが残りは資金が不足しており、一般からの預貯金からそれを支払えば、「取り付け騒ぎ」が起こる可能性があるという。

⇒農民の不満とストレス高まる(2014-1-13-1)

ピチット県で59歳の農夫が心臓麻痺で急死した。かれはコメ代金20万バーツの受け取りがあるが、支払いを受けられないためにやむなく10万バーツを高利貸しから借りたが、高金利でそれも枯渇し、次の作付け準備もできなくなり、ストレスで死んでしまったという。同じ問題はピチット県の多くの農民も抱えており、ついに大衆行動に立ち上がったという。約5か月間支払いがおくれているという。

スリン県でも役62,000戸の農家が8.6%の支払いしか受けていないという。北部のピチイト県、ナコン・サワン県、ピサヌローク県、中部のスパンブリ県なども同様の被害を受けているという。昨年末までに支払うという政府の約束は何回もホゴにされた。政府も金さえあれば支払るのだが、輸出もサッパリできないし、政府の倉庫はコメの在庫で満杯状態である。

インラク政権が公約通りコメ買い上げ政策を進め、今まで6000億バーツ支出してきたとされるが農民には30%しか届いていないという。その代り、精米・流通業者、悪徳役人・政治家はたんまり潤っているというのだ。(英字紙、ネーション1月13日電子版)。せっかくのタクシンの「コメ買い上げ政策」が「コメが売れない(主に輸出)ため、かえって零細農民の怒りを買う羽目になっている。

農民は抗議行動をおこしはじめており、県庁などへのデモも始まっているという。インラク政権は背腹から攻撃され,ますます窮地に立たされている。

コメ買上げ制度の実態は外部にはあまり知られていないが、買い上げ時に役人が籾米トン当たり15,000バーツのなかから2,000バーツ先取りしてしまうという。名目は水分が規定より多いということらしい。これはどう配分されているかはわからないが、汚職はここから始まるといわれている。


⇒腐った収穫(A Rotten Harvest) Bangkok Post 特集記事から(2014-2-3)


バンコク・ポスト紙は2月3日付の電子版で表記の分析レポートを発表した。下の表がそのサマリーである。それに筆者が若干のコメントを加えた。

2010年4-5月のバンコクにおける赤シャツの長期・破壊的デモ(兵士、一般市民、デモ隊員合わせて91人の死者と、大放火事件を起こした)の時は民主党政権時代であり、籾米の市中価格は普通米でトン当たり7,600~8,700バーツであった。ホン・マリ(Hon Mali)と呼ばれるいわゆる香米(ジャスミン・ライス)は12,450~13,500バーツであった。この時はコメ買い上げ制度はなく(民主党政権は廃止した)米作農民はそれが不満で、赤シャツ・デモ(黒シャツ隊という武装組織を加え)を動員して民主党政権を退陣に追い込んだ。実はこの赤シャツ・デモはタクシンの「コメ買い上げ制度」の復活を狙いとするものであったことが、最近になって明らかになった。

2011/2012年の籾米の市場価格はコメ買い上げ制度の復活もあってトン当たり、9,000~10,800バーツに値上がりしていた。香米は14,750~16,000バーツであった。政府はコメの買い上げ制度を実施し、その価格が市場価格の40~50%高の15,000バーツ(香米20,000バーツ)であった。この急激な高米価政策は農民い大歓迎されたことは言うまでもない。

NHKの最近のブリラム県の取材ではどこの家も自動車を買えるるようになったという誇らしげな声が赤シャツ・リーダーから聞こえた。農機具も飛ぶように売れ日本のクボタは大繁盛だという話も聞かれる。

ところが話はこれで終わらない。政府の買い上げたコメが高くて輸出が激減してしまった。以前は年間1,000万トン輸出していたコメが2012年には690万トンに落ち込み。2013年にはさらに落ち込んだとみられる。米の政府在庫は公称1,000万トンだが、TDRI(独立シンクタンク)の見積もりでは1,800万トンに達し、これが正常値の200万トンに戻るには何年要するかわからないという。下の表はTRGI作成のものである。





表の下3分の2はインラク政権の財政についての数字である。真ん中の表は政府の籾米及び農産品(ゴムなど)の買い上げ数量である。2011/12年度は2,165万トン、2012/13年度は2,178万トン、2013年に入ってからの主要期の収穫米1,061万トン、合計5,404万トンである。その右の列は政府の支出金額の合計総額7,280億バーツである。右の列はコメの外販金額で1,580億バーツにしか過ぎない。差引5,700億バーツが従来の政府の資金負担(在庫などとして)として残っている。これは政府の借金でもある。

これに最近の農民への未払いが1,300億バーツあり、合計7,000億バーツの政府の負債(借金)がある。インラク政権発足2年にして7,000億バーツ(約2兆2500億円)の借り入れ増加となった。その支払いは当然国民が税金という形で支払うことになる。これには金利3%として、年間210億バーツの利払いが生じる。何もかもが税金で支払われるが、税金の大半を負担すバンコク市民には何の事前の相談もない。すべて農村から選ばれたプアタイ党の国会議員によって決められたことである。いな正確には実質的に海外に逃亡しているタクシンの独裁によって決められたことである

過去5回の収穫期において籾米5,400万トン(精米換算で3,240万トン)の米が政府によって買い上げられたが、政府の販売総額は1,580億バーツに過ぎない。後1,300億バーツ農民い支払わなければならないという。差額の5,700億バーツは政府が借金してすでに農民に支払ったという計算になる。

このまま「米買上げ制度」を続ければさらに政府の借金は膨らんでいく。すでに限界に来ているといえよう。

年間3,500億バーツのコメにかかわる財政赤字をねん出するには政府のほかの支出をカットしなければならない。しかもそのかなりの部分が汚職や非効率なコメ管理コストに」食われてしまっているのである。プリディヤトンもと財務相は農民に直接現金を渡して「コメ買い上げ制度」を廃止すべきだと提言している。確かにそのほうが財政赤字は少なくなる。所得の「再配分」効果も目に見える。(T 13-20参照)

ところでタイのコメ輸出の実態はどうなっているのであろうか?

ナレッジ・ネトワーク研究所(The Knowledge Network Institure)のソンポーン(Somporn Isvilanonda)氏は2013年の前半はタイは平均FOB価格でトン当たり572ドルで輸出した。一方ベトナムの輸出価格は388ドルであった。しかし、これではタイのコメがいくら上質だからと言って輸出を続けることはできない。輸出は激減しかつて世界一だったタイの地位はインド(シェア26%)、ベトナム(同19%)についで3位の地位にまで落ち込んでしまった。

一方、タイの米の在庫はどれくらいあるのかという問いには誰も答えられない。政府は1,000万トンくらいといっているが、ソンポーン氏は1,800万トンはあるだろうと推測している。コメの品質は1年に10%劣化していくという。早く在庫処分しなければ損はますます拡大する。しかし、懸命に減らしても年間200万トンがせいぜいのところだという。正常在庫に戻すのは5~7年はかかると同氏はいう。

こめ問題の解決には一刻も早く「コメ買い上げ制度」を止めて「自由市場」に戻すしか方法がないが、それには一時的にコメ価格が下がり、農民の収入が減ることは避けられない。それは農民の支持票で政権を維持してきたタクシン政権には耐えられないであろう。

民主党は中長期的な政策として灌漑施設の増強などによって農業の生産性を上げ、工業の移転によって住民の賃金収入の像かへの道を開くというような政策であったが、タクシンはすぐに農民の収入を増やし、汚職もやりやすい「安易な」コメ買い上げ制度を実施した。それも市場価格よりも50%も高い価格を提示し、強引に実行したのである。その咎めが早くも2年後に顕在化して、都市部の住民の怒りを買っている。

これを変えるには「妥協」はもはや不可能で「タクシン政治の一掃」しかありえない。そのために「民主選挙」などにこだわってはいられないというのが、都市部の中間層を中心とした人々の声である。欧米的な政治哲学でタイの反政府デモを糾弾してみても始まらないというのがタイ政治の実態である。「貧富の格差」の縮小などという大テーマは先進資本主義国でも手に負えないではないか。この問題はすでにタイ民主党は農業の生産性向上対策など地道に考えているが、タクシンや欧米のメディアが「民主主義議会制度」の名のもとにおしつぶしてきたのである。タクシン流「ポピュリズム政策」に大いなる声援を送ってきたのが日本の学者やメディアである。

ちなみに、タイで今回のコメ買い上げ制度を声高に賛成してきた学者は①ニディ・ユーシーオン(Nidhi Eoseewong, チェンマイの歴史学者で赤シャツ支持者。ニューヨーク・タイムズのThomas Fullerはニディは中立的な歴史家として彼の意見をしばしば紹介してきた)。②カシアン・テジャピラ(Kasian Tejapiraタマサート大学、,政治学部准教授)、③ピチット・リキットキジャソムボーン(Pichit Likitkijsomboon, エコノミスト)である。また財界人ではチャロン・ポカパーンの総帥ダニン(Dhanin Chearavnont)であり、彼はタクシンに肩入れし、「もし、輸出業者がこの価格(市場価格+40~50%)で買わないというなら、私が買う」と豪語していた。最近ダニンはすっかり音なしの構えである。ダニンは「親中国派」としても有名で中国に膨大な投資を行なっている。(バンコク・ポスト、2月13日版)

カシアン
という学者は以前はタクシン批判を行う、優れた分析能力を持つ学者であった。しかし、今ではタマサート大学内のニチラット・グループと称するタクシン派・赤シャツ派の学者集団に属し、しきりに反PDRC活動を行っているようである。スーテェプが「反民主的」人物だということで、憎くてたまらないらしい。京都大学の東南アジア研究所にも時々来ているようである。同研究所に出入りするようになると、もう学者としてはおしまいである。カシアンも「コメ買い上げ制度」の理論的ブレーンになってしまってはおしまいである。元タイ共産党でタクシン派に取り込まれているインテリは多い。ワイマール体制下の共産党員でヒトラーに膝を屈した連中と同じである。なぜ黙っていることができなかったのであろうか?真に惜しまれる。



⇒ビルマからのコメの密輸が大流行(2014-2-5)

英国紙Telegrapf UK(2014-2-5)の記事によると、ビルマの国境の町ミヤワディ(Miyawaddy)は伝統的に麻薬、銃、宝石の密輸の町として悪名高かったが、従来見向きもされなかった米も密輸で大賑わいだという。というのもビルマでは50キロ当たり16ポンド(約2,650円)だった米をタイ政府が30ポンド(約5,000円)で買い上げる「コメ買い上げ政策」を実施しているからである。もちろん、ビルマ米としてではなくタイ産の米としてタイ政府に売りつけるのである。間に入るのはタイのブローヵーや政治家でであり、役人も「魚心あれば水心」と柔軟性を示す。

タイ政府はこれまで2年享で1,300億ポンド(約2兆1,500億円)支出添てきた。これにはIMFも見かねて「タイ経済を損なう」と警告を発してきたがタクシン政権は余計なお世話だと馬耳東風」である。これには所得税の大半を支払っているタイの中間階層は怒りまくっていて街頭でもに飛び出した。何としてもインラク政権とプアタイ党を引きずり降ろさなければならないというわけである。

タイの汚職撲滅委員会(NACC)は「国家米委員会」の委員長を務めるインラク首相も訴追の対象とすべく調査を始めた。NACCはとりあえずインラク首相以外の幹部15人について取り調べを開始した。

一方2月4日(火)には中国側が昨年11月に調印したとされる政府間ベースの120万トンの米輸入契約を突如キャンセルしてきた。中国側もNACCの調査が入ると「何かと不都合な事実」が浮上しかねないからであろうと推測されている。このコメ取引にはタクシンも絡んでいると見られており、怪しげな雰囲気が最初から漂っていたのである。

下の写真はビルマ側の川岸にトラックで運ばれてきたコメ袋(鶏のエサというフレコミ)を船積しているところであり、ビルマ軍の兵士が監視している。一度に100袋の「鶏の飼料」を運ぶというのがビルマ軍の兵士の説明である。

米の年間密輸量は75万トンにも達していると推計されている。これにはビルマだけでなくkンボジアからの密輸米も含まれていると考えられる。

ビルマのミヤワディ地域の労働者の賃金は1日当たり2.5ポンド(約400円)だがコメの密輸をやれば1日60ポンド(約9700円)稼げるというのが42歳の末端の密輸業者の話である。ビルマでは兵士に鼻薬を嗅がせれば捕まる心配はないというのだ。

タイ側も監視員を置いているが59人のスタッフで340マイルもの国境(メコン川流域)を見張るわけにはいかないという。それも密輸は夜間に行われる。この密輸による被害者は税金を支払っているタイ国民以外には誰もいないのだ。



(続く)


T 13-20 プリディヤトン元財務相がコメの買い上げ制度を止めて農民に「助成金」支払いを提言(2013-10-19)

プリディヤトン元財務相(スラユット政権時代)は現行の米買い上げ制度では2年間で損失が4,250億バーツにも達し、農民の手に渡る金額はその半分の2,101億バーツで、第三者への利益は1,158億バーツ、差額は経費として消えてしまうという数字を発表し、インラク首相に「コメ買い上げ制度」を即刻止め、農民に直接「補助金」が手渡せるような仕組みに変更するべきだとした。

現在のやり方では政府の損失4250億バーツの約半分が仲介業者などの手に渡ってしまったり、コメの備蓄費用や劣化米の廃却や汚職に使われ無駄が多すぎるということである。もちろん全廃すればそれがベストである。それにしてもタイの歴史に残る「悪政」である。タクシンはこれで農民票を集めて次の選挙に勝てれば何の問題もないと考えていることであろう。

   ’2011/12 ’2012/13  合計 
 買い上げトン数 21,640千㌧  22,230千㌧   48,870千㌧
 政府の損出(百万バーツ) 205,000  230,000  425,000 
 農民の得た利益  103,277 106,849 210,126 
 農民以外が得た利益 56,967  58,864  115,831 
 受益農家戸数 2,163,300  2,108,000   
 非受益農家戸数 1,839,000  1,894,000   

(The Nation, 2013-10-15)


T 14-3 インラク首相も一連のコメ買い上げ問題で訴追の可能性(2014-1-16)

タイの「反汚職委員会(NACC)」は「国民コメ政策委員会」の委員長を兼務するインラク首相(タクシンの指示で兼務していたとみられる)に義務違反があったかどうかを審査する予定であるという。

NACCはすでに前のボーンソン(Boonsong Teriyapirm)商業相、ポーン(Poon Sarapol)前副商業相および13人を汚職容疑で取り調べている。13人の中には中国政府とのコメ輸出交渉に当たっていたマナット(Manas Sroypol)前貿易局長も含まれる。

NACCは政府間輸出協定にあったていた「広東文房具・スポーツ用品輸出入公社」と「海南穀物・油脂貿易公社」の2社は中国政府から交渉権を付与されていなかったことの確証をつかんでいるという。また、実際にコメが中国に輸出されていなかった証拠もつかんでいるという。政府間取引の代理人であるSiam Indica 社が「輸出米」と称して免税されたコメを国内に販売した容疑も浮かび上がっているという(英字紙、ネーション)。

そもそも何故「文房具の輸出会社」がタイのコメの輸入に関与しているかといえば、タイ政府が学童にタブレット・パソコンを配るために大量の輸入をし、そのバーターでコメ輸出を行おうとしたためらしい。こういう取引の背後にはタクシン御大が絡んでいるというのはバンコク市民の噂である。

NACCはインラク首相を取り調べ・事情聴取の対象からは外して、直接コメ輸出にかかわった者を対象に調査を進めてきた。100名以上から事情を聴取し、1万ページにも及ぶ調査資料を作成した。

NACCのヴィチャ(Vicha Mahakhun)広報官はできるだけ早くインラク首相から事情聴取を行いたいとしている。

一方、政府のコメ代金の支払いは4回も延期され、すでに5か月も現金を受け取っていないという。コメの輸出の停滞も大きな要因となっている。資金繰りに窮した農民は政府にコメの返還を要求している。(1月18日ネーション)。

ウォラウィットGSB頭取辞任82014-2-19)

タイのNACC(国家汚職防止委員会)はコメ買い上げエイドをめぐる汚職・背任行為についてインラク首相への尋門を2月27日に行うことを決定した。訴追措置が決まればインラクは首相を辞任しなければならない。



⇒財務省は326億バーツの農業債を売り出した(2014-1-20)


これはインラク政権がコメ代金の支払い遅延に対する農民の不満を解消する目的である。この326億―つの農業債はBAAC(農業・農民組合銀行)が振出人であり、財務省が保証する。1月16日(木)に売り出し、表面利率は年利2.865%であるが実質金利は3.53%である。これは昨年にBAACが売り出した農業債370億バーツと同率である。昨年は750億バーツの農業債を財務省保障で売り出したが370億バーツしか売れなかったものである。今回の326億バーツ債権の買い手は誰かは不明である。一般市民が買ったとは到底思えない。多分政治的取引が行われたのであろう。

選挙間際に農業債を発行し、農民の支払いに充てるというのは選挙法などで禁じられているが、財務省は憲法181条に違反していないという判断である。しかし、この農業債は次期政権が支払いの義務を負うため様々な問題を引き起こす可能性がある。この債権は下院解散前に決められたものであり、「違法でない」というのが財務省の解釈である。

コメ買い上げ制度は2011年のプアタイ党の選挙公約であり、市場価格の40~50%高で買い上げ、トン当たり15,000~20,000バーツで籾米を買い上げるという、極端な「農民優遇策(ポピュリズム)」政策である。こういうことをやると財政負担はふえるし、インフレの元凶にもなり、国際市場でのコメの輸出が困難になる。したがって政府はコメをどこにいくらで輸出したかを包み隠して明らかにしていない。コメの在庫量も正確なものは公表されていない。

NACC(汚職防止委員会)はすでにコメ輸出にかかわる不正があったとしてボーンソン(Boonsong)前商業相ら15名の取り調べを行っており、農業委員会のインラク委員長も「義務違反」のかどで訴追の対象とされる可能性がある。(上述)。また、選挙管理委員会(EC)も選挙前の政府資金の流れに目を光らせている。

2013年10月から始まる2013~14年の籾米買上げは1,000万トン、金額にして1,500億バーツの買い上げが約束されているが、今までのところ500億バーツしか支払われていないという。BAACも資金が枯渇しており、政府も政府系金融機関などにBAACへの融資を要請しているがほとんど応じていないようである。政府は月100億バーツの資金を用意する必要があるというが、その詳細は明らかではない。(Bangkok Post1月20日電子版の記事参照)。

副商業相のヤンヨン(Yangyong Puangrach)はBAACやGSB(政府貯蓄銀行)ヤクルンテャイ・バンクといった国営銀行を回って「コメ買い上げ」制度の不足金を出すように説得して回っているが、意外なことに各行の労働組合」の抵抗を受けているという。BAACの組合員は「喪服」を着用して業務についているという。事務員の抵抗を受けるようでは会社のトップも簡単には動けない。あとで内部告発やNACCの取り調べがあった時にに何もかもがバラされてしまうからでる。


⇒コメの支払い資金は選挙前に集まらず(2014-1-31


インラク政権は2月2日の選挙前に、2013-14年産米の昨年10月分からの支払いを実施しようとして1200億バーツの資金を手当てしようとして34の国内金融機関を招集したが、なかなか資金の貸し手があらわれない。昨年10月から1000万トンの籾米を買い上げ、1500億バーツの支払いが必要であるがBAAC(農民及び農業組合銀行)が農民に支払った金額は500億バーツ程度にしか達していない模様である。輸出の数字が一向に伸びないのが最大の元凶である。政府の手持ち米はトン当たり620ドルほどだが、国際相場は420ドル前後であr、それに合わせて販売すれば巨額の赤字が見えている。

政府は1300億バーツの借り入れをもくろみ、今回200億バーツの債権を売り出そうとしたが、市中銀行の大部分は引き受けを拒否している。選挙前に多額の政府債を引き受ければ、後々法令違反で訴追される危険があるし、手元資金の流出が大きすぎるなどの理由によって難色を示しているという。2-3の中小金融機関だけが引き受けに応じたという。

農民には選挙前には何とかするといっていたインラク政権への怒りがここにきて急速に高まっているという。もともと農民票を集めるためにタクシンが打ち出した「コメ買い上げ政策」に農民が応じてできたが、政権が「支払えない」というのだからいかんともしがたい。資金繰りに窮した農民はトラクターを売りに出すとか、高利貸しから金を借りるとか、自前の対策を余儀なくされている。すでに自殺者も出ているという。

農民の不満が2月2日の選挙にどういう形で現れるか注目が集まっている。


⇒米作農民のバンコク集会にPDRCのデモ隊が募金活動(01-2-11-1)

タイ政府の農民への買上米の支払いが一向に進展せず、農民の中には自殺者までもが数名出ている。怒った農民はバスやトラックでバンコクに乗り付け商業省などで陳情と抗議を行なって。すでにかなり前からラチャブリのラマ2世通りや中部地区のアントンのアジア・ハイウエイなど各地で抗議の「道路封鎖」を行っている。地方での抗議行動だけではラチがあかないと選挙が終わって、2月の6日ごろから農民のバンコクへのデモ参加者が増えている。

農民の代表は2月10日(月)副首相兼商業相のニワトゥムロン(Niwatthumron)、同副大臣ナタウッド(Natthawut,赤シャツ強硬派リーダー)、首相府担当相ヴァラテェープ(Varathep)らと会談したが、政府側は努力はしているが、現状どうにもならないとヌラリ・クラリと言い訳をしていたという。業を煮やした農民側は「インラク首相の資産を差し押さえるとか政府の倉庫を封鎖し、コメを奪還するぞ」などと息巻いて会談を打ち切ったという。

農民の1人は立ち上がって「俺は赤シャツで、ナタウットに今まで投票してきた。毎朝カネのことで夫婦喧嘩をやっている。政府がコメを返すというなら21トン早く返してくれ。」と怒鳴ったという。(ネーション、2月⒒日)  

バンコクの反政府デモのPDRCのステプ・リーダーが音頭を取り、これら抗議に集まった農民への支援活動を行なおうと、資金カンパを市民に呼びかけ2月7日(金)には900万バーツを集めさらに、今週に入り1,600万バーツを集め、農民運動の弁護士に運動の費用の一部として使ってほしいと全額2500バーツ(約8,000万円)を供託した。

バンコク市民からの思いがけない支援に多くの農民は感謝・感激しているという。こういう場合はタイの弁護士は正義派が多く、きちんとした仕事をするので、彼らに後を任せておけば余計な心配はいらないという。

図らずも農民とバンコクの反政府デモ隊との交流が実現した。農民の中には「バンコク市民にこんなにやさしくしてもらったのは生まれて初めてだ」と涙を流していた人もいたという。農民のデモ隊は反政府デモ隊の先導で市内を行進しているという。

しかしながら、一方においてアユタヤでは全国から農業団体関係者100名ほどが集まり、コメ買い上げ価格を14,000バーツ(-1000バーツ)に下げてもよいから、現行の「買い上げ制度」を維持しろなどという手前勝手な要求を提出している。この制度をなくさない限り、汚職の根源は断ち切れない。農民と市民とはこの原点で対立している。

ただし、農村も富農と貧農では利害が対立しており、ヒンドゥー王対策に的を絞れば、おのずと政策は変わってくる。

赤シャツも農民とPDRCが結びついては大変とばかり、赤シャツ系の財団がコメを買い取るということを言明した。もちろん買取の量は雀の涙程度だがあくまで農民への宣伝効果を狙っている。その財団とは「Mirror Foudation」と「Duang Prateep Foundation」である。このプラテェープ財団というのは「スラムの天使」ことプラテープ女史が主催する財団であり、日本との関係が深いことで知られる。

⇒ロップブリのコメ倉庫が火災(2014-2-11-3

2012年の古米を多く備蓄しているといわれる、ロップブリの政府のコメ倉庫が11日午前中に出火した。前民主党のピサヌローク選出のワロン(Warong Dejkijwikrom)国会議員はこれは「放火」によるものであろうと語った。この倉庫には2012年産米が備蓄されており、すでにかなり腐敗が進んでいると取りざたされ、農民が調査対象にしていたとされる。写真で見る限りは焼けたのは一部だけの様子であり、調査には支障がない模様である。





⇒米作農民へのアンケート、コメ買い上げ制度に否定的43%(2014-2-12)

NIDA(National institution of Development Administration=国営シンクタンク)が1,250名の米作農民に対して2月10-11日に行った「政府のコッメ買い上げ代金支払い遅延についてのアンケート調査についての結果が公表された。

①コメ代金支払い、遅延の原因についてどう考えるか?;米買上げ制度の過程の汚職に起因する;31.13%。政府のコメ取り引きの過程で発生した損失18.42%。政府のコメ販売能力の不足による現金不足18.42%。政府が「選挙管理内閣」であるため金融機関からの融資を受けられなかった、15.3%。反政府運動のせいなど12..89%。コメントなし。4.16%。

②誰の責任か?;首相の責任35.92%、内閣の責任32.33%、商業相の責任16.58%、反政府運動(PDRC)のせい9.85%、BAAC(農民及び農業協同組合銀行)のせい3.50%。残りはコメントなし。

③政府は何をすべきか?;政府は買い上げて米を早く売るべし36.72%。農民に支払うべきカネを借りて支払うべし、28.88%。現内閣は直ちに辞任して新政府に問題解決をゆだねるべし22.64%。政府は買上米を農民に返却すべし、3.60%。PSRCが業務を阻害しているので反政府運動の問題を解決すべし。4.08%。コメントなし、4.08%。

④コメ買い上げ制度について?;廃止すべし、43.04%、世界市場価格に沿った価格で継続すべし、34.4%。現状のまま継続すべし18.24%。その他4.3%。

まず第一に指摘されるのは政府への不信感である。次に、「コメ買い上げ制度」も多くの問題を残したことを農民は認識しており、「50%高での買い上げ制度は無理であった」という認識は共有されている。43%の農民が買上げ制度を止めてしまったほうがいいという意見を持っている。国際価格での買い上げを希望している農民が約3分の1いる。これは精米業者への直接販売には過去に痛い目にあわされてきたという不信感があるのであろう。


⇒コメ代金の支払いの目途がつく?(2014-2-17)

タイ政府はコメ代金の農民への支払いの目途がついたとして、2月17日(月)に国防省次官事務所でキリラート副首相兼財務相が農民団体の代表に説明した。キリラートによれば1日当たり40億バーツ毎日支払うということであった。支払いはBAAC(農民・農協銀行)が行うというものであった。

しかし、いつ支払いを開始するのかという農民の質問には答えられず、怒った農民は罵声を浴びせ、ペットボットルや果物などを投げつけ始めた。キリラートは会場からガードマンに守られて遁走した。どうやら政府貯蓄銀行(GSB)が当面の資金をBAACに融資する(Inter Banking Loan=短期的な銀行間貸し借り)ようで、噂を聞きつけた一般預金者の中にはGSBからあわてて預金を引き出すものが相次いでいるという。17日だけで預金が200億バーツ引き出されたという(通常であれば、長期休暇の前後でも最大も70億バーツ程度)。

GSBは2000億バーツの現金を保有しているが、今回は合計300億バーツ引き出されたという。それだけ今の政府は国民から信頼されていないと見える。GBSの社員は黒の服装(抗議のため)で執務しているという。最近ではBAACの行員も同じ抗議行動を行った。

農民にしてみれば、政府の空手形には今まで何度も騙されており、支払日を約束してもらわなければ納得できないところである。また、総額1300億バーツといわれる代金を毎日支払えるのかという疑念は当然起こる。政府はコメの支払いをコメ輸出代金で充当しようとして制度を決めた。輸出金額が一時高騰したので十分間に合うと考えていたようである。(一時期トン当たり900ドルになったが、いまは400ドル前後にまで下がっている)。

そのため、輸出ができなければ、あるいは損失がでれば政府の経常支出から補てんせざるを得ず、国会での承認を要するが、下院はすでに解散してしまっており、かつ損失額がいくらになるかも政府は公表していない。米の政府保有の在庫は公称1000万トンといっているが、新聞情報では1800~2000万トンという数字が出てきている。

一方で、タクシン派のビジネスマンは逆にGSBに預金を増やしたり、新たに口座を開いたりして100億バーツほどが集まったという。元共産主義者で上院議員も務めたジョン・ウンパコーンも1000バーツの口座を開いたという。彼のような「名士」がこんなことをやるとは落ちぶれたものであるとの批判が出ている。彼の父親はサリット政権時代に財務相として辣腕をふるったプアイ・ウンパコーンである。彼の大儀名分は「貧しい農民への連帯」かも知れないが、実際は自由と民主主義の敵であるタクシンへのゴマスリとしか見えない。



ごった返すGSB窓口(バンコク・ポスト12月18日電子版より)

GBSの預金引き出しは2-3日で500億バーツに達したという。一方、タクシンの義弟のソムチャイと息子のパットンテェは2人で1100万バーツの預金を行ったという。また、ナコン・ラチャシマではアkシ赤シャツ・グループがGSBに預金しようとしたところ、銀行員から拒否されたという。


⇒ウォラウィット頭取辞任82014-2-19)


GSBがBAACに200億バーツの緊急融資を行うという話に「恐怖感」を抱いた民衆はGSBから預金引き出師をする人が後を絶たず、17日だけで300億バーツ預金が引き出されてしまった。タクシン派の経営者らはGBSに預金を増やしたり、新たに口座を開いたりして引き出し(取り付け)に対抗しようとしたが到底追いつけずGBSは窮地に陥ってしまった。

GBSはBAACへの200億バーツの貸し付けをキャンセルし、すでに貸し付けてある50億バーツも急きょ引き上げる決定をした。そうしないと国民の間に広まりつつある「不安と不信感」を解消できないと考えたようである。同時に今回の取り付け騒ぎを起こした責任を取ってウォラウィット(Woravit Chalimpamontri)頭取は辞意を表明し、辞表を取締役会に提出した。就任したのは2012年である。


T 14-13 コメ買い上げ制度に伴う汚職金600億バーツが香港に送金された(14-2-27)


バンコク・ポスト(2月27日電子版)によれば「コメ買い上げ制度に」にともなう汚職金約600億バーツが香港に送金されたという情報が精米業者の関係者から寄せられた。「タイ精米業協会」の名誉会長のニポン・ワントランガーン(Niphon Wontra-ngam)氏は銀行筋からの情報として2013年のコメ買上げ制度に伴う汚職金600億バーツ(約2,000億円弱)がひそかに香港に送金されたという。

これは「ポイ・クワーン(Phoi Kwan)として知られるシステムでヤワラート(バンコクの中華街)にある両替業者が小切手を使い現金と交換するものであり、現金は一時香港に預金され、その後折を見てタイに還流する仕掛けになっているという。これは闇送金で正規の銀行を通さないため「しっぽを掴まれない」やり方である。

ニポン氏によれば800億バーツの金が政治かや役人のワルの手元にあるのだという。コメ買い上げ制度の損失は3000~4000億バーツといわれるが、そのうち800億バーツは汚職グループの手中にあるという計算になる。このカネの配分はどうなっているかは勿論わからないが、「大親分」が「獅子の分け前」を手にすることは明らかである。彼には様々な政治資金が必要である。暴力組織を運営したり、外国人の役人や学者・ジャーナリストを買収したり何かと物入りである。

米買い上げ制度は最初から見込み違いがあり、国際価格が上昇するので利益がdると予想して始めたが、フタを開けてみると値下がりして巨額の損失につながったのだという。また、「生産数量の水増し」や監視官の不足により、悪質な不良米がドンドン倉入れされ、不良在庫が積み上げられていったという。インラク首相はコメ買い上げ制度に伴う汚職の存在は知っていたが、大親分や政治家の活動資金になることがわかっているため止められなかったという。

NACC(汚職防止員会)は彼女に汚職問題について事前に警告を発していたが無駄であった。彼女はその責任を今問われつつある。2月27日はインラクからNACCが事情聴取をする予定であったが、インラクは故郷のチェンマイに出張していて代理の者が出頭して事情聴取を受けた模様である。


T 14-17 BAACはこれから作付する米には農民に直接補助金を渡す制度に切り替え要請(2014-3-6)

BAAC(農民及び農協銀行)のルック(Luck Wajananawat)頭取は政府に対し、3月1日~9月30日までの2013/14年度2期作米については過去2年間のような市場価格に40~50%上乗せする買い上げ制度を止めて、「補助金を支給する」制度い改めるよう政府に要望を出すという。

現在の相場は水分20%の籾米はトン当たり、6,500~7,500バーツ、水分15%の価格は8,000~8,500バーツであるという。今までのやり方だと、「低級米」を作ったほうが得だということで、タイ米本来の上質米(香コメジャスミン・ライス)の生産がなおざりにされ、タイ米の輸出が一層困難になってきた。

インラク政権は2期作米について「従来のトン当たり15,000バーツを13,000バーツに引き下げ、かつ30マンバーツを上限とする」方針だが、これでも高すぎて農民への支払いに支障をきたし、政府保有米の在庫(1,700~2,000万トンと推定されている)が一向に減らないことがあきらかなために、別な形での農民への補助金を支給することを提案するものである。直接補助金制度にすれば、汚職が基本的になくなる効果も期待できる。

実際にインラク政権がどうするかは未定である。何しろ下院議員選挙がまだ宙ぶらりんの形では話にならない。

TDRI(Thai Development Research Institute=国立シンク・タンク)のニッポン(Nipon)氏は上質米と一般米について「区別した政策」の適用が望ましいと提言している。

最近、選挙管理委員会が「一般会計」から200億バーツ農民への支払いを認めたことから、政府の農民への借金は700億バーツにまで減ったという。在庫米が輸出できれば、それを農民への支払いに充てることができる。

商務省の海外貿易局長のスラサク(Surasak Riangkul)は今度こそ中国との政府間貿易協定が合意に達し、100万トンのコメを中国に輸出できるとしている。今度の相手は中国政府の正式窓口である’China National Cereals, Oils and Foodstuffs Corporation'だという。納期は1年以内で、7月までに40万トンとし、3月だけで10万トン出荷できるという。中国はもっと買ってくれそうだという見方をしている。

しかし、コメの国際価格はこれからタイが本格的にコメ輸出を行うということで、下落の一途をたどっているという。

ベトナムは385~395ドル/トン、インドが415~420ドル、パキスタンが395~405ドルで現在輸出しているが、タイは435~445ドルで売ってきた。これからは415~425ドルが精いっぱいのところであろうと見られている。タイ政府の買い上げ価格は620ドル/トン程度といわれ、大幅赤字になることは避けられない。そのすべてはタイ国民(主にバンコク市民)の税金で負担することになる。

T 14-20 タイの農民は貧困から脱却できず(2014-3-17-1)


3月13日(木)のバンコク・ポストの電子版に「タイの農民の収入はベトナム・ビルマの農民の半分以下」であるというショッキングな特集記事が出ていた。インラク(タクシン)政権は2011年から籾米を市価の40-50%高で政府が買い上げる制度を実施しているが、国際的米価の低迷で輸出をすると大幅に赤字が出るため、市況回復を待っているうちに政府の手持ち在庫が通常の600万トンが今や2000万トン近くまで急増してしまった。

おまけに農民への支払いも頓挫し大幅な支払い遅延となり、農民の自殺者まで出すに至った。

今回タイ商工会議所大学が行った調査によれば、多額の財政資金の投入の効果がサッパリ現れず、タイの米農家の生産コストはベトナムに比べ139%高、ビルマの農民よりも37%も高いという数字が出た。1ライ(約500坪)あたりのコメの生産量は450Kgでビルマの420Kgよりはやや多いが、ベトナムの900Kgに比べ半分である。

農民が手にする収益は籾米1トン当たり1,555バーツであり、ベトナムは3,180バーツ、ビルマは3,484バーツだという。タイの農民の籾米1トン当たりの手取り利益はベトナム、ビルマの農民の半分以下ということになる。

なぜこのような大きな差ができてしまったかと言えば、タイの農業の生産性が低く、農民は高い化学肥料や農薬を使いすぎることや、流通過程で仲買人や精米業者や役人(と政治家)にかなりの費用をむしり取られているためであるという。いわば汚職の源泉になっている。化学肥料の大量投入を止めて有機農法に切り替えれば、コストは大幅に低下するとこの大学のレポートは述べている。

タイ政府の「コメ買い上げ政策は失敗であった」とも同報告書は述べている。しかし、インラクは成功であったと主張し続けている。


T 14-33 コメ代金の支払い始まる(2014-5-27)

軍事政権が発足して、第1の仕事はインラク政権末期から宙ぶらりんになっていた「政府買上米」の未払い部分900億バーツの支払いである。新政権NCPO(National Council Peace and Order)はコメ代金を受け取っていない80万戸の農家に対し総額900億バーツの支払いを実施することとした。

各地のBAAC(農民及び農協銀行)が支払いを担当し、5月26日(月)から支払業務を開始した。支払いが完了するには6月末までかかる見通しだという。

NCPOの指令に基づきBAACはとりあえず400億バーツの支払いを実施し、財務省は924.31億バーツの借り入れを実施する。

2014年5月23日現在で「コメ買い上げ制度」に167万戸の農家が参加し、1,164万㌧のモミ米が買い取られた。その代金は1,929.5億バーツであった。

BAACは833,182戸の農家に対して629万㌧のモミ米代金として1,030億バーツの支払いを済ませた。そのうち、商業省が750億バーツ支払った。農民援助基金から105億バーツ、200億バーツは財政予備費から支払われた。(バンコク・ポストより)

⇒国民貯蓄銀行が財務省債券を300億バーツ買い上げ、コメ輸出は好調(2014-6-4)

公的負債処理事務所(Public Debt Management Office=PDMO)によれば国民貯蓄銀行(GSB)は6月3日に財務省債券(国債)を300億バーツ買い上げた。12銀行による入札の結果GSBはバンコク・インターバンク・レート(BIBOR)よりも0.1%安い金利、すなわち年利2.1792%で300億バーツの国債を買い上げたという。

また、6月5日にも400億バーツの国債入札があるが、売りさばけるめどはついているという。

総額1954.5億バーツ(1181万㌧のコメ)の「買い上げ誓約」今の55万1447戸の農家が558億9千万バーツ(310万㌧のコメ)の支払いを受けられないでいる。

今後1年で約3000万㌧のモミ米が生産されると予想される。コメの相場はノンタブリ県で5400~5600バーツであり、一方生産コストは6000~7000バーツで目下農家は赤字生産になているという。(モミ米と精米の歩留まりは約55%)

現在コメの買い上げ制度は廃止するという方針であるが軍政政府(NCPO)としても全く放置することはできないと思われる。しかし、対策の前提となる政府の手持ち在庫がどれくらいあるかさえもクーデター後10日間では把握できていないものと思われる(通説では1600万㌧)。

一説によれば「米作農民はモミ米トン当たり1万バーツでの買い上げ」を政府に要求したいとしている。インラク政権時は1万5千バーツで買い上げ、その処理に失敗した。こういう考え方に対してはNCPOの顧問になっているプリディヤトン元副首相は買い上げ制度ではなく、農民に対して直接現金を支給するほうが事務手続きも簡単であり、汚職対策にもなるとかつて主張していた。

タイの米の輸出は2014年に入ってからなりふり構わぬ安値輸出を始め、1月1日から5月20日まで393万㌧の実績を上げ、インドの374万㌧、ベトナムの240万㌧を上回り、世界でトップになった。通年でも900万㌧に達する見込みであり、3年ぶりに世界1の座に返り咲く可能性か大である。2015年には1100万㌧になると予想されている。

ただし、価格はタイ米はトン当たり390ドルとインド米420~430ドル、ベトナム米約400ドルを下回っている。タイ米の仕入れ価格は650ドル程度といわれ、差額は財政から補てんする、すなわちタイ国民が負担することになる。

⇒NCPOがコメ在庫の徹底調査(2014-6-13)

商業省が所管している全国1800か所のコメの倉庫を100組の調査班編成し、ててい調査を開始するとNCPOが発表した。インラク政権下では実態が全く解明されておらず、コメ買い上げ制度は汚職の源泉になっていた。

また、国家財政がどれくらいの損害を出すかも、手探り状態で不明であった。政府がまともに機能していたとは言えない状態にあった。


T 14-43 米作農民には作付補助金と低利融資を検討(2014-6-18-2)

NCPOはチャチャイ(Cgatchai Sarikala)陸軍副司令官兼NCPO副委員長が経済問題を統括しているが、米作農民への援助対策の取りまとめを行っており、政府各機関、米作農民、精米業者の代表を集め協議を行っている。6月17日(水)の会合では2014/15年産の米作農民への援助対策として

①耕作面積1ライ(約500坪当たり、500バーツ(約1600円)の補助金を支給する。ただし上限は15ライ(約2万4千平方メートル=約2町4反)とする。ただし、これは1家族の持ち分とする。計算の前提は1ライあたりの生産コスト=4000バーツ。

②BAAC(農民及び農業組合銀行)は低利のソフト・ローンを提供する。ルック(Luck Wajananawat)頭取は金利を3%カットする。これだけで1ライあたり150バーツのコスト削減につながると説明した。

これに対し、米作農民協会代表のプラシット(Prasit Boonchoei)は現金の支給では農民は米作以外に現金を流用する可能性があり、耕作資材(種籾や肥料)の現物支給のほうが望ましいのではないかという意見を表明した。農民側からは50ライまで拡大してほしいという要求が出されたがチャチャイ委員長は政府予算の限界があり、それはできないと拒否した。

農民協会のウィチアン(Wichian Phuanglamjiak)会長は本案に満足していると回答した。また、モミ米トン当たり8000~9000バーツで販売できることを期待すると語った。これは政府が米価の下支え政策をとることを期待したものであるとも考えられる。しかし、コメ買い上げ制度を全廃した現政権にとっては下支え政策は基本的に不可能である。

また、農薬、化学肥料会社の代表は生産コスト削減のために1ライあたり432バーツのコスト低下を目指すと言明した。それによってモミ米コストはトン当たり4787バーツから582バーツ削減されるという。

問題は変動する米価に対し政府が保証するかどうかにかかっている。下手に下支えを行うと政府の財政負担は大きく膨らみかねない。精米、流通業者の協力も不可欠である。


T 14-44 タクシンの仲間の米業者アピチャート、2万㌧のコメ横領で6年の実刑(2014-6-25


サムット・プラカン県の地方裁判所は地元の有力米業者プレジデント・アグリ社の元社長でタクシンのクローニーといわれたシア・ピアンことアピチャート(Apichart Chansakulporn)に対し、2007年に国が保有するコメを2万㌧横領した罪で禁固6年12,000バーツの罰金刑を言い渡した。

アピチャートは2007年にコメ2万㌧をイランに輸出すると称して、2万㌧ノコメを引出、輸出せずに横領したというもの。

プレジデント・アグリ社は2003-4年当時はコメ輸出の専門商社として活躍し、当時省務相であったワタナ(Wattana Muangsuk)と親しく、インドネシアに179万㌧の政府米を輸出した。しかし、同社は2010年には破産してしまった。

アピチャットはインラク政権と親しいコメ輸出会社のサイアム・インディカ社と関係していた。また、タクシンと共に数回中国に赴き、中国との政府間取引の話を「まとめ上げた?」(最終的には破談となった)張本人であるとも言われている。

また、インラク政権ノ「コメ買い上げ制度」の立案者であるとも言われている。


T 14-45 コメの盗難9万1千袋(2014-6-27)

タイ近衛師団第2連隊がパトゥム・タニの政府保有米倉庫を調べたところ、13万袋貯蔵していた5%破砕米13万袋のうち9万1千袋が無くなっているのが発見された。金額にして6,900万バーツである。倉庫の入り口には紛失がバレないように鋼製足場に米袋を立てかけてカモフラージュをしていたという。

犯人は不明だが、大掛かりな窃盗団であることは間違いない。この倉庫は2013年7月~11月にかけて1万袋が盗難に遭っている。





(バンコク・ポスト14年6月27日電子版





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T 13-21 憲法裁判所は上院の定数を巡る与党の改憲行動を違憲との判断を示す(2013-11-20)


プアタイ党などの与党連合が下院で議決した「上院の定数(指名議員が50%)の構成を全員選挙議員に改めるべし」という憲法改正法案を王室に提示したことについて、憲法68条に違反するという判断を示した(6:3)。

ただし、プアタイ党の活動に対して「解散命令を出すべし」という民主党の主張は退けられた。

憲法裁判所の判断は下院で多数を握れば、強引に憲法を改正して、与党の独裁政治が可能になるというやり方にストップをかけたものである。

プアタイ党は赤シャツ隊を動員して「憲法裁判所の判決は認められない」という主張をしていくという。このことでもつれれば政治的混乱を加速する可能性もある。

この憲法裁判所の判決は反政府勢力を勢いづかせることもまた確かである。プアタイ党が下院の絶対多数を頼んで「コメ買い上げ制度」などの極端なポピュリズム政策を強行し、財政赤字に拍車をかけ、インフレの元凶ともなっていることから、非農業国民の反発を買っている。


T 13-22 バンコク全市に治安維持法(2013-11-26)

インラク政権は連日の反政府デモ隊の盛り上がりを規制すべく11月25日にバンコク全市、ノンタブリ、サムットプラカンなどに治安維持法(Internal Security Act)を施行した。これはデモ隊が25日に財務省、外務省などの一部の官庁を占拠した後にとられた措置である。

デモ隊は「タクシン体制の終焉」を目指しており、民主党のスーテップ副党首は「人民政府」の樹立を目指すと宣言している。タクシンは東北や北部の農民層の支持により、議会で多数を維持しており、バンコク市民の利害を犠牲にして、農民層へのポピュリズム政策を強行し、市民層の強い怒りを買った。

今回も「国民和解法」を下院で強行突破したが、タクシン個人の救済(赦免)を目指したものであり、上院で阻止される形となった。プア・タイ党は憲法改正して上院も全員選挙にすべしという法案を下院で可決したが、憲法裁判所の違憲判決を受けた。プア・タイ党は憲法裁判所の判決は無効えあるとしてあくまで対決する構えである。

これに対しても民衆の怒りはおさまらずバンコク市内では11月24日から26日まで数十万人のかつてない大規模デモが展開されている。今回のデモは地方にも広がりを見せ、地方都市でも知識人を中心に幅広いデモが行われている。

T 13-23 反政府デモ最高の盛り上がり、遂にラムカムヘン大学で死者5名(2013-12-1)

連日勢いを増す、反政府でもは12月1日には最高の盛り上がりを見せた。赤シャツもラムカムヘン大学近くのラジャマンカラ・スタジアムに全国から動員された赤シャツ隊が集まり、インラク政権と「民主主義擁護」の大衆会が開かれた。主要人員6万人のスタジアムであるが、満員にはならなかった。

11月30日夜に近くのラムカムヘン大学生と赤シャツ自衛団とのにらみ合いが続き、赤シャツ側からの発砲で学生1名が死亡した。ラムカムヘン大学の学生はいきり立ち、周辺が不穏な雰囲気になってきたためか、赤シャツは集会の散会を宣言し、スタジアムからは全員が退去した。彼らは日当400バーツと食事つきで地方からバスを連ねて駆けつけたという。

しかし、赤シャツ自警団は解散せず学生を大学構内に追い込み、発砲や手りゅう弾の投擲を繰り返し、死者5名と負傷者58名(警察発表)を出す大惨事となった。赤シャツでもは必ず武装集団を背後に潜ませており、2010年5月の大反政府デモの時も彼らが「黒シャツ隊」とは別に、銃器や手りゅう弾で軍と対決した。

この衝突の中で赤シャツ自警団からも死者が出ている。死者はThanasit Viebgkamという22歳の国軍兵士で、プラチュウブ・キリカン県のタナラート軍基地に勤務しており、現在はカンチャナブリのサイ・ヨーク訓練基地に所属していた。シ・サケット県出身で妻と2歳の娘がいる。3年前から赤シャツ運動に参加していたという。今回も休暇を取って参加し自警団を務めていた。学生側の背後にいた中年の男に狙撃されたようだという。葬儀には赤シャツ幹部のウエン医師が参列し、タクシンから花輪が届いていた。そのほかに赤シャツからViroj Khemnak, 43歳、Visanu Phaophu. 26歳、ラムカムヘン大学生、Thaweesak Phokaew, 21歳が死亡したという。(バンコク・ポスト記事)

また、1日の午後4時半には赤シャツを乗せてきたバスの1台が放火され、中から焼死体が発見された。遺体の身元は不明である。撤退したはずの赤シャツ隊のバスがなぜ居残っていたのかはわからない。

肝心のインラク首相は朝から、姿を見せず一時は国外逃亡説も報じられた。

民主派デモ隊のリーダーのスーテップ前民主党副党首は逮捕状が出ているが、2日からはゼネストを呼びかけるなど、意気軒高である。多くの役所や大学や学校は休校になるという。

今回の騒乱の行くへは見えてこないが、12月5日の国王誕生日までには何らかの情勢の変化がみられるものと期待される。とりあえず、今回の騒動を一時的にせよ鎮静化させるためには下院の解散と選挙をやるぐらいしか方法はないであろう。

スーテップ氏はインラク首相の辞任と「国民評議会」の開設を呼び掛けているが、実現にはほど遠い。

いまのままでタクシン政権が今後も続くということであれば、日系企業にとってはタイの将来に疑念を抱かざるを得ないであろう。議会制民主主義だなどといても多数を頼んで個人の利益を追い求めるような政権ではマルコス、スハルト体制と本質的に変わるところはないといえよう。

T 13-24 国王誕生日前に一時休戦(2013-12-4)

12月3日朝、反政府デモ指導者のスーテップ(Suthep Rhaugsuban)はデモ隊に中央政庁と警察本部に向かうように指令を出していた。そこでは当然激しい攻防戦が繰り広げられると予想されていたが、あにはからんや警備の警察官は門を開けてデモ隊を中の庭に入れた。

これはスーテェプと警備側(政府側)と何らかの妥協が事前に成立していたことを意味する。その前に陸軍司令官は警察に催涙弾の使用をやめるように呼びかけていた。前日までに警察のゴム弾(実弾2発も含まれていた)と催涙弾と硫酸入り放水によってデモ隊に100名の負傷者が出て病院で治療を受けている。シリントン王女からは見舞いの品が届けられ、治療費も負担するという申し出があったという。

役所の構内に入ったデモ隊は「勝利宣言」をし、警官と握手をするなど喜ぶすがたがみられたが、スーテェプは「これは部分的な勝利であり、タクシン体制の根絶までまだまだ戦いは続く」と演説した。最後にスーテェプは民主党の副党首も辞め、政治の全面から引き下がるということにも言及したという。1か月以上の長丁場の現場指導で疲労の極に達しているものと想像される。

反政府側とタクシン側の妥協が一時的なものか(国王誕生日のセレモニーまで)か。その後の政治的改革を伴うものかは今のところ明らかではない。

インラク首相は「学者、経済人政治家、デモ参加者」を招集して政治の在り方を議論したいと語っている。しかし、こんな話には乗る人は少ない。インラク辞任が前提でなければ政治改革は前には進まないことは誰の目にも明らかだ。

スーテェプは今の議会制度は政治的に機能してい無いので「人民評議会」を設立すべしと提案してきた。これをインラクは憲法違反でとてもやれないと反論してきた。スーテェプは国王誕生日以降さらに闘争を続けると声明をだしている。軍がどこまで介入するかが問題である。その気配は感じられるが。(続く)

T 13-25 タイの下院解散(2013-12-9)

国王誕生日(12月5日)前後の休戦をはさんで、12月9日朝からPDRC(人民民主主義改革委員会)を中心とする反政府デモが再開された。これに先立ち民主党の下院議員153名が一斉に辞職届を出すことを決めていた。ところが朝8時半にインラク首相が国会を解散すると宣言した。次の選挙は60以内に行うという規定がある。

反政府デモ隊は16万人(警察発表)という今回最大の動員で中央官庁に向かって予定通りデモを実行した。主なスローガンは「タクシン体制の根絶」であり、国会の解散だけでは不十分でインラク首相も辞任し、政権を国民に返せという点に集中した。

このままの選挙制度で来年2月初めに選挙を行っても民主党が勝利する可能性は低い。いつまでもタクシン独裁体制が継続し、ポピュリズムと汚職政治からタイは逃れることはできない。さらに闘争を続けるか否かはまだ決まっていないようであるが、国会解散を獲得したのは反政府運動の大きな勝利であることには間違いない。

インラク政権が「選挙管理内閣」を続けることへの反発は依然として強いものがあるが、騒動が収まらなければ軍が「選挙管理内閣」を組織してもよいという意向が発表された。そういうことななれば、選挙制度の改革もスケジュールに上がり、プアタイ党に有利に働いてきた小選挙区制度も変えられることは目に見えている。そうなればプアタイ党は相当議席を失う可能性がある。

民主党も選挙をボイコットする可能性もある。というのは選挙に応じても早くもプアタイ党が圧勝すると取りざたされているからである。


なぜなら、例年の50%高で米を全量買い上げるという政策で、ふんだんな「買収資金」が2年間にわたり、農村いばら撒かれているからである。しかもそれは皮肉にもバンコク市民が負担した税金(税収の75%がバンコク市民の負担)でそれは賄われている。タクシンはそこまで考えて「コメ買い上げ政策」を行ったのである。これで多数をとって永久政権を維持し、巨額プロジェクトやコメ買い上げ制度で巨額の収入を得ようというのだ。コメ買い上げ制度によってインラク政権は農民に50%ものコメの収入増加をあたえ、今回の選挙では圧倒的に有利である。普通選挙といっても野党と与党では競争条件が全くの不平等になっている。これでは最初から民主党は戦えない。

まず、インラク首相が辞任して、選挙法を改正し、政府資金によるポピュリズム政策が「洗浄」されるまで、国民評議会のような臨時の機関で行政府を運用していくしか方法はあるまい。この際軍事クーデターも必要かもしれない。タイの国内の政治経済はタクシン流のおかげで歪みに歪んでしまった。これを正常化させるのは容易なことではない。


T-13-26 タクシンの麻薬犯罪戦争と人権侵害(2013-12-19)

この記事は12月13日にバンコク・ポスト紙にクライサク・チョナワン(Kraisak Choonhavan)氏が寄稿された文章の要約に私のコメントを加えたものである。同氏は元首相のチャイチャイさんのご子息で上院議員や国会議員を歴任された方である。タクシンの麻薬撲滅戦争は3千人近い死者を出した(裁判抜きの官憲による路上殺人)が、日本ではほとんどどの新聞も取り上げていないが、私はある程度このホーム・ページで紹介した。

クライサク氏は最近のPDRC(人民民主主義改革委員会)のデモ隊が要求する「人民改革評議会」と西欧社会のメディアが強調する「投票によってのみの政権交代」という認識のギャップがタイの政治にどういう意味を持っているかということを旧タクシン時代に起こった恐るべき事件を引き合いに出して認識を新たにしてもらいたいという考えでこの記事を書いたという。

最近でも下院での絶対多数を背景に、強引にタクシン赦免を求める「国民和解法案」を議決したり「憲法改正法案」を強引に通過させ、憲法議会が違法判決を下すと、それには従わないとプア・タイ党が息巻いている。国会で多数をとればオールマイテイだという思想である。

タイの国会の多数は北部・東北部の農民票をかき集めた議席である。その農民には「コメの政府買い上げ制度」によって例年のコメ価格より50%も高い値段で全量買い上げるという、農民に異常な利益を与えるポピュリズムすら通り越した極端な政策を実行している。この話は12月19日の朝のNHKBS1にゲスト出演したアジ研の重富真一氏は一言も語らない。

彼は東南アジアの農業の専門家であり、この政策を知らないはずはないが意図的に隠ぺいしたのではないかとすら疑われる。NHKに出演するアジア学者はなぜかこういうタイプの「奥歯にものの挟まった」ようなコメントをする。国営とはいえ視聴者から料金を取って放映する以上、もっとしっかりした内容にすべきである。BBCを見習えと言いたくなる。いくら「大本営発表」をしてきた前科があるとはいえ。

クライサク氏は語る「2011年の選挙では「タクシンが考え、プアタイ党が実行する」というとんでもないスローガンを掲げ、多数をとると政治経験皆無のズブの素人のインラクを自分の妹だということで首相に据えた。40代半ばの美人だということで首相にしたのかもしれない。そういう体制を作って、タクシンは逃亡先から指示をだして政策を実行している。タクシンは最高裁で汚職の有罪が確定したレッキとした犯罪人なのである。

タクシンは2003年の麻薬撲滅戦争(War on Drug)で2003年の2月から4月の間に2,873人もの死者を出した。その中には麻薬取引の本人だけでなく、妻子や老人など直接関係のない人が1,372人も含まれていた。遺体の多くは大衆の目にさらすために現場に放置された。当局の発表では3週間の間の死者は993人で取引仲間との争いで殺されたもので警察は関与していないというのだ。

麻薬取引業者は警察と地方政府がブラック・リストを作成し、地域ごとの競争で「犠牲者」の数を競っていたという。タクシンは「麻薬取引というのは国民に対する反逆で死んだからといって同情には値しない」とうそぶいていたという。極悪人といえど裁判を受ける権利があるのが近代国家である。警察官に死刑執行の権限は与えられてはいない。しかし、この件で警察官は一人も捕まっていない。

当時の国連のアナン事務局長は事態の深刻さを聞き、急きょ調査官をタイに派遣したが、「タクシン首相は国連は我々の父親ではない。余計なことを言うなと。」怒りまくっていたという。

南タイのイスラム教徒の反乱も2004年以来已に死者は5,700人に達しているが、その発端となったのは軍事基地を襲われたことに対する報復という名目でクルセ・モスクに立てこもるイスラム教徒を多数射殺し、その直後パタニでタスのイスラム教徒の青年を大量に逮捕し、取り調べのために基地に輸送した時に手足を縛られままの青年をトラックに丸太のように積み上げ輸送した。そもそも人間扱い指定兄のである。そのため80名弱が窒息死した。

残虐行為を意に介さないタクシンに対する反感は急速に盛り上がった。そのあとイスラム・ゲリラ運動が勢力を拡大し、今日にいたるまで連日のように軍や警官や民間人に対する攻撃が続いている。仏僧や学校教師にも犠牲者が出ている。

また、人権活動家も暗殺されたり、拉致されて行方不明になったケースが23件あり、国連人権委員会も調査を依頼しているがもちろんナシのツブテである。有名なのはソムチャイというイスラム教徒の弁護士で、これは警察官が街頭から拉致した現場を目撃されたが、遺体は遂に発見されず、逮捕された警察官は微罪で釈放されている。

検察庁がまともに動かず、タクシンの妹の夫のソムチャイという法務省事務局長が裁判官を短期で異動させろくな裁判ができなかったと取りざたされている。ソムチャイはその後、首相に任命された。

議会で多数を占めれば後は何を何をやってもかまわにというのがタクシンの基本的考え方である。これをタクシンは「社会契約」だと称している。つまり、国民の多数から委任されて政治をやっているのだから、オールマイテイであるというのだ。極東の某大国の政治家とよく似ている。

(タクシンの政治)
参照

日本の学者や新聞記者でタクシンの「悪政」を論じた人を見たことがない。だからバンコクでなぜあのような激しいデモが起こるか普通の日本人にはわからない。日タイ協会の機関誌には毎号のように玉田という京都大学の教授が「巻頭論文」を書いているが言っていることは「タクシンは選挙で勝ったから正当性ががる」「2006年の軍事クーデターは民主主義を破壊したからけしからん」ということを手を変え品を変え書きまくっている。それではタクシンが何をやったかについてはほとんど書かない。

何故バンコク市民がタクシン政治をやめさせようとしているかも書かない。「選挙民主主義の正当性」だけを主張している。これはニューヨーク・タイムズの特派員のThomas Fullerも同じで、まじめにデモに参加している人たちを「王党派、保守派、特権富裕層」だとしてヤジっている。ついにたまりかねたバンコク・ポストの論説委員が名指しで彼を非難した。日本人はどうか知らないが、外国人記者や学者はタクシン派から買収されているという噂も出ている人物もいる。

T 13-27 タイ民主党2月2日の選挙ボイコットを決める(2013-12-21)


タイ民主党は予想通り来年2月2日の選挙をボイコットすることを決めた。これは反政府デモに集結した民衆が、「改革をやってから選挙」をやるべしといっているのに対し、インラクは「選挙をやってから改革をやる」といっていることに対する反発である。プアタイ党が勝つことはわかっているので、「改革委員会」を作っても先の「国民和解委員会」と同じで、いい加減な改革案をつくって「お茶を濁す」ことは最初から分かっている。タクシン派にとっては自党に不利になるような改革を行うはずはないことは子供でも分かる話である。

タクシンは自分の一家で「永久政権」を目指すべく、息子のパッポンテェを国会議員に立候補させる予定であるという。北部・東北部の農民票を集められれば、何年でも政権を維持できると考えているのだろう。

民主党が選挙をボイコットしても選挙そのものは成立し、プアタイ党独裁体制は一時的には強化されるが、バンコク市民の協力は得られず、経済不振が続き、いつかは政権を投げ出すことになるであろう。「コメ買い上げ政策」をいつまでも続けることなど到底不可能であろう。農民の覚醒を待つなどということは「百年河清を待つ」ようなものだ。東北タイにはラオスよりも多い「ラオス族」が1500万人以上も住んでいて、彼らはタクシン派がほとんどで、タクシン支持票の半数近くはラオ族の票ではないかとさえ言われている。ラオ族に対するタイ族の反感は今後強まるかもしれない。

タイの労働人口3800万人のうち、所得税を払っているのは200万人に過ぎず、その大多数はバンコクはじめ都市部の中間階級なのである。彼らの支持のないタクシン政権とはいったい何者なのだろうか?所得税の大半を支払っている階層の政治的意見が反映されない民主主義などありうるのだろうか?ニューヨーク・タイムズのThomas Fullerはバンコクの反政府デモ隊を’old elite'と表現しているが彼らこそ真の民主主義の担い手である’new elite'なのである。トーマス記者は何が何でも反タクシン派を「王政主義者、保守主義者、既得権益保持者」と決めつけたいのであろう。

民主選挙といっても極端なポピュリズムに基づく不公正な選挙であり、「競争条件」が不公正かつ不平等であったら、そもそも「議会政治」など成立しない。その辺が一向にわかっていない典型的メディアは日本経済新聞やニューヨーク・タイムズのThomas Fuller記者である。彼の記事は相当程度が悪い。何かというとNidhi Eoseewong(ニディ・ユーシーヲン)というチェンマイ出身の歴史学者の話を「中立的な意見」として引用するが、彼はタクシン派であり、赤シャツ派である。グーグルで検索すれば彼の歴史観はすぐわかる。

いまや、「タイ農村部も近代化が進み、かつてほど、貧しくなく、ポピュリズムの恩恵にはあずかっていない」とか。「政治犯釈放のために赤シャツはもっと行動せよ」などというアジ演説を新聞に寄稿したりしている。Thomas Fullerはアメリカ人はタイのことなど知らないだろうから何を書いてもわかるまいと思っているのだろうが、タイ人はNYTを結構読んでいて、バンコク・ポストの論説委員から名指しで抗議された(12月21日)。また、同じく「ネーション紙」もNYTのトーマス記者とBBCのJonathan Headを批判している。日経新聞(高橋某)はタイ人はほとんど読んでいないし、日本人もタイのことは知らないだろうと思ってヨタ記事を書いているが日本の駐在員はかなり読んでいて「何だこれは」と言ってる人は少なくない。

これからどういう展開になるか予想の限りではないが、歩み寄りをタクシンが拒んだら、最後は軍が出てくることになるであろう。今のタイの軍幹部は昔とちがってかなり良質である。タイではタクシンによって「議会制民主主義」は潰されたのである。ちなみに下院の暴走を食い止めた上院は半数が「任命制議員」なのである。上院によって皮肉にもタイの民主主義は土俵際で維持されているのであるが、「コメ買上げ制度」のような極端な悪政を止めることはできていない。

⇒12月22日(日)はバンコクでは有史以来のデモ(2013-12-23)


タイ民主党が次回選挙のボイコットを決めたのを機にバンコクの反政府デモはさらに盛り上がりを見せ、警備当局の発表でも35万人、主催者側の発表では350万人が参加するというバンコクの歴史上最大のデモとなった。インラクは「選挙をやってから改革を行う」と言っているが、プアタイ党が勝つに決まっている選挙後ではプアタイ主導の「改革」にしかならず、前の「国民和解会議」と同じく中身は国民の期待するものとは無関係なものに終わることは目に見えている。バンコク市民は今の「議会制民主主義」は民主主義の形骸であって、機能していないということをはっきり認識しているのである。

タクシン派が過去行ってきた徹底的な買収選挙と過剰なポピュリズム政策で北部・東北部(イサーン)農村部には民主党候補は足を踏み入れることすらできない状況にあるという。今やバンコクなど都市部の「中間層」と米作農民層との対立はますます深くなり、国が完全に2分された状態になった。貧民層への「所得の再分配」という段階を通り越して、都市中間層の払った税金を「コメ買い上げ政策」などによって北部・東北部の農村に国家財政の10%以上も流れて行っている。

2014年度の国家予算は2兆2500億バーツであるのに対して、コメ買い上げ制度による国家の赤字は少なく見積もっても2,000億バーツに達している。都市部住民は高い米価を「ご褒美」に押し付けられるという何ともやりきれない状態になっている。これでは市民の反乱がおこるのは当然であり、学者先生や外国のメディアがいかに「民主主義の大事さ」を説教しても受け入れられない。「民主主義は普遍的原理」などといっても民主主義はヒトラーを生み、マルコスを生み、タクシンを生んできたのだ。

タイではどういう結末になるかはわからないが、軍事クーデターによって「憲法を中断し」国王任命の議会によって2年程度のクーリング期間を置き、「政治改革評議会」において改革案を国民投票にかけ、選挙制度を見直し(中選挙区制度と全国比例代表)、改めて議会選挙を行うという手続きが必要になるであろう。ともかく、このまま選挙をやっても何の解決にもならず、政治的混乱は増すばかりである。

⇒朝日新聞の柴田直治氏のご高説(2013-12-24)

柴田直治という前にバンコクの特派員をやっていて2010年の赤シャツでも騒動の時にタクシン派の言い分をタレ流していたベテラン記者が、今回の政治混乱でまたもやタクシンびいきの論説(12月11日の社説)を書いている(めこん社のHPに紹介)。要するに何もかも悪いのは民主党の怠慢のなせる業だというのである。タクシン派の牙城の東北部では民主党はロクな政治活動をやっていないとか今回タクシン派は反政府デモに譲歩したのに、一向に恩義に感じず政権打倒を要求し「議会政治」を蔑ろにしているなどである。

それではタクシンはどういう政治手法を使って、農村部での支持を固めたのかについての議論が全くない。一言でいうと通貨・経済危機後の1990年代の終わってから政治家としてデビューを果たし、2000年代の初めに首尾よく政権についたタクシンはは徹底的なポピュリズム政策を採用した。これは国家資金を使うので、自分の懐は全く痛まない。最初は30バーツ診療で「農民の心をつかんだ」というのだが、この制度は時とともに効果が失せ、次に浮上したのが「コメ買い上げ制度」であり、農民の「所得向上対策」を行った。

これは汚職の原因にもなり、民主党政権はコメ買取政策を廃止した。廃止の理由は農民も少しは潤ったが、もっと潤ったのがコメ関連業者とそれにまつわりつくタクシン派政治家であった。しかし、「コメ買い上げ政策廃止」によって農民は民主党への反感を募らせた。民主党政権を1日も早くつぶし、タクシン派政権の樹立を求めた。これが2010年4-5月の赤シャツのバンコク中心部を長期間占拠するという大デモにつながっていく。

2011年にインラクを首相に立てて政権を奪還するや「コメの市場相場の50%高でコメの全生産量を買い上げる」という極端なポピュリズム政策をタクシンは最大の公約の目玉として実行に移す。この件はこれまで本HPで取り上げてきた。コメの国際価格がトン当たり420ドル程度であるがタイ政府の手持ち米のコストは600ドルをを超えている。それまで年間1000万トンを超えていて世界のトップのコメ輸出を誇っていたタイが最近では600万トン程度にまで落ち込み、インドやベトナムに太刀打ちできない羽目におちいった。コメの在庫はたまる一方で政府は1000万トンと言っているが1,700万トン程度に達しているという見方がある。

実態はガラス張りの運用はされていないので一切は闇の中である。また、輸出実績さえまともに公表していない。

このコメ買い上げ政策で国家財政の負担は年間2,000億バーツ(低めに見積もって)以上といわれている。これは国家財政経常支出が2014年度では2兆200億バーツ(別に投資支出が4,420億バーツ)というから10%近い国家資金をこの政策につぎこんでいるのである。なぜそこまでやるかといえばタクシンの超長期政権作りのためである。コメ農家の票さえ確保しておけば半永久的に政権を維持できるからである。その分都市住民は国家資金の恩恵にあずかれない。所得税を支払っているのは75%がバンコク市民であるといわれている。彼らは高くてまずいコメを食わされる羽目に陥っている。

しかも政府は資金が不足気味でコメ農家への支払いは10月から滞っているという。この買い上げ制度が汚職の原因だということは以前のタクシン政権時代からも指摘されており、今回も大問題となっている。今回のコメ汚職は袋詰めのコメにかかわるもので「公共倉庫機構(Public Warehouse Organization)」が関与しているといわれ、その調査を政府はやるといっているが、調査チームの主査は同機構を監督している「国内取引部」の部長だというからすごい。「泥棒の親分に十手取り縄」を預けているとバンコクでは笑い話のタネになっている。(12月23日、バンコク・ポスト)

それにしてもふんだんな国家資金を農村部にバラまいたタクシン派は「選挙大歓迎」である。あまつさえ米作農村地帯に「赤シャツ村」を次々組織して、「政治的結束」を強化し、民主党がきたらトコトン妨害するという体制が出来上がっている。そういうところに民主党が入っていかないのは怠慢だと柴田直治氏は指摘する。日本の一流新聞の記者特有の「上から目線」の「無いものねだり」であり、傲慢な書き方である。ニューヨークタイムズのThomas Fuller記者でさえそこまでは言っていない。こういう体制下で選挙をやったら何事が起こるかといえば、前回以上にコメ農村部ではプアタイ党が圧勝する。そうすると朝日新聞は「正義はタクシンにあり」と誇らしげに書きまくるのであろうか。

朝日新聞の記者に言われなくても「議会制民主主義」が大切だなどということは都市部の中間層(インテリ層)は誰でもわかっている。しかし、「競争条件が極端に不平等、不公正なところでの選挙結果」にどれほどの政治的意味があろうか?もはやタイではタクシンに「議会制民主主義は潰された」というのが都市中間層の認識である。かつて1992年にスチンダ将軍に「議会制民主主義を潰された」のと事態は変わらない。あの時は国王がアナン氏を首相に任命して「よい政治が行われた」というのがいまだに語り草になっている。

私がここで言いたいのは任命制議会は必ずしも悪くないということである。「ワルばかりが任命されたら」事態は深刻であるが、今のタイではそういうことにはなりえない。現に上院議員の半数は「任命議員」である。インラク政権はこれが気に入らないといって「憲法改正案」を下院で議決した。これは憲法裁判所が否決したが、プアタイ党は憲法裁判所の判決には従えないと反発していた。結課として、その上院と憲法裁判所がインラク(タクシン)政権の暴走を食い止めたのである。

今は任命制の「国民評議会」を作って、政治改革、汚職法強化など、を作り、それを「国民投票」にかけてから、新たに普通選挙を実施すればよい。その間2年ほどの「クーリング期間」(浄化期間)が必要になるが、タイの民主主義政治定着には必要な期間である。民意なるものを尊重するのはいいが、その民意がいかにして形成されたが問題である。また、民意によって「議会制民主主義」の破壊や否定も起こりうる。ヒトラーは民意によって生まれたし、マルコスも議会で多数を占めて登場した。タクシンもしかりである。朝日新聞はそれでも「議会制民主主義」を絶対視するのだろうか?圧政・暴政に対する市民の抵抗権を認めないとでもいうのであろうか?新聞が権威主義に身をゆだねたら自殺行為である。

今のままでタクシン政権を続けながら、「政治改革」をやるなどというのは、「悪の親分に十手取り縄を預ける」という漫画にしかならない。


T -13-28 選挙管理委員会-投票の延期を勧告(2013-12-26)

12月26日になっても反政府デモは続いており、日本-タイ・スポーツ・スタジアム(選挙管理委員会の立候補者受付センターが置かれている)付近で学生デモ隊と警官隊は再度催涙ガスとゴム弾を使用し、153名の負傷者(うち3人が警察官)をだし近くの病院で手当てを受けている。そのうち警察官1名が右胸を銃撃され病院に運ばれたが死亡、デモ隊側も30歳くらいの男性が胸を撃たれて死亡し、ほかにも危篤状態の負傷者が数名いるという。日本人の40才のフリー・ランサー・カメラマンが右顔面を切られて重傷を負ったという。

今回は警官隊が対決姿勢を打ち出し、催涙ガスやゴム弾でデモ隊に襲い掛かり、14名の逮捕者をだした。実弾射撃を行ったということについて陸軍のプラユット司令官は憂慮を表明している。

反政府デモ隊PDRCのスーテップ書記長は25日には選挙管理委員会に対するでもを中止引き上げを宣言したが、数千人か引き続き26日(木)も選挙管理委員会に対するデモを続け、警官隊は積極的な警備を行い,今回のデモではかつてない多くの負傷者を出した。

選挙管理委員会は政党ごとの共通番号の抽選を行い、一応選挙の形は作ったが、事態が今後さらに悪化する可能性があるとしてインラク選挙管理内閣に対して、選挙の延期を要請した。政府側が何らかのアクションを起こさない場合は委員会として必要な決議(延長)を行うことを明言した。また、各政党間の話し合いの調停も行うことも付言した。

警察側は従来警備にあったていた3名の警察トップを交代させた。「生ぬるい」ろいう指摘がタクシン筋から寄せられたものと思われ、26日は朝からデモ隊に対して警察が積極的な攻撃にでた。

インラクは独自の「改革委員会」の案を提示したが、民主党もPDRCも拒否している。


T 13-29 プラユット陸軍司令官「軍事ク^デター」の可能性排除せず(2013-12-28)


プラユット陸軍司令官は政治混乱が悪化すれば「軍事クーデターの可能性を排除しない」と言明し、両者に早期の平和的解決を求める声明を発表した。これは日-タイ・スポーツ・センターでの27日のデモで警官隊がデモに対する「実力行使」によって双方に死者をだし、100名以上が負傷するなどの流血事件が起こり、今後事態が一層悪化するとの見方のなかで出された軍の警告である。

選挙委員会はこのままでは2月2日の選挙に向けてさらに対立が激化するとみて、選挙の延期を政府側に求めたが、政府は問題外として拒否している。政府側は従来の警備体制が甘いとして3人の幹部を更迭し、27日から放水車、催涙ガス、ゴム弾などでデモ隊に攻撃をかけ始めた。

12月28日(土)午前3時半ごろ、中央政府官庁前で
「タイ改革のための学生と市民のネット・ワーク」(学生組織,NSPRT))という団体がデモを行った際に警官隊と小競り合いをしていた。デモの警備員に向かって外部からトヨタ車に乗って接近しM16を乱射し、警備員の一人ユタナ氏(30歳)が胴体に複数の銃弾を浴び死亡し、3名が負傷し病院に運ばれた。殺害したのは20110年4-5月の赤シャツ・デモの時にタクシンがカッティヤ少将を雇い組織させていたテロリスト集団「黒シャツ隊(ローニン集団)」の残党の可能性がある。赤シャツ集団は銃を保持していて、今後もデモ隊に銃撃を加えるぞという威嚇効果を狙ったものと思われる。すでに一方的に「市民戦争」が開始されたとみるべきであろう。

当時から「黒シャツ隊の活躍」については歯切れの悪い報道をしたメディアもあり、あまり知られていないが、軍の高速狙撃銃を手に入れ、2010年4月10日には現役の大佐以下3名を射殺した。プラチョウブ・キリカンの歩兵連隊基地からM16,160丁と多数の弾薬が紛失するなど、軍から盗まれた銃器がいまだにあまり回収されておらず、これらは赤シャツ系の武装集団が隠し持っているとみられている。

政治対立が激化すればデモ隊にさらに多くの死者が出てくることが予想され、「市民戦争」を避けるためにも軍による治安維持が必要とされるであろう。

このまま選挙に突入しても、多くの犠牲者が出て国内融和はさらに遠のき、地域間対立(北部・東北部対バンコク)も激化し、収拾がつかなくなる恐れがあり、プラユット司令官は政治家が事態を収拾できなければ「軍が介入する」こともありうべしとの警告を発した。現実問題として
軍事クーデターの可能性は高まっている。

「議会選挙至上主義」はタイでは逆に弊害をもたらすことになる。軍事クーデターで憲法を一時的に停止し、「国民評議会」を設立して、政治改革と憲法改正を行い、それを「国民投票」にかけてから、改めて国会議員選挙を行うということが最も現実的な解決策となるでろう。

政治的には「コメ買い上げ制度」が最大の難問になっている。処理しきれない過剰在庫の処分と財政赤字である。この買い上げ制度をストップして正常化することが大きな課題である。前政権の民主党のアピシト前首相はこの制度を勇断を持って止めてしまった。2010年4-5月の赤シャツの「民主化要求デモ」は早く選挙を実施し、タクシン党に政権を取らせ、
「コメ買い上げ制度」を復活しろというのが本音ベースの要求(Hidden Agenda)であった。

これを読めた外国のジャーナリストはほとんどいなかった。朝日新聞はじめ日本のメディアは「赤シャツの言い分に正義有り」として、盛大に赤シャツの応援記事を書きまくった。それは欧米のメディアも大同小異であった。一言でいえばタクシンにみんな踊らされていたのである。集団ピエロ症候群である。中には買収されていた記者もいたなどと取沙汰されていた(私は信じないが)。

タクシン党は「コメ価格50%引き上げでの全量買い上げ」で、赤シャツの労に真っ先に報いた
のである。この制度を悪用してタクシンは北部・農村部の支持を固めてきた。そこでの多数を確保すれば、議会での多数を獲得し、政府プロジェクトを連発して汚職のやり放題となるという図式を都市中産階級は今回、強烈に拒否しているのである。ここにメスが入らなければ「政治改革」の意味はない。国民多数の同意を名目に不当な農民優遇と汚職政治が容認されることにはならない。何が正義かを外国のメディアは見つめなおす必要がある。

軍事政権であっても、それが穏当なもので正義を実行するものであれば外国企業も納得するであろう。


(2014年のタイの政治経済)

[テロ関連]




T 14-1, 1月13日に大デモンストレーション予定(2014-1-5)

反政府グループ(PDRC)は1月13日(月)に「バンコク閉鎖(Bangkok Shutdon)]と称する一大デモンストレーションを挙行する。そのための予行演習のデモが5日に行われた。選挙管理委員会は予定通り2月2日の下院議員選挙を行うとしているが南部の数県では反政府集団が「選挙登録阻止」行動を行っており、予定通り、選挙が実行されるか否か難しい情勢になっている。⇒選挙管理委員会は90日間の選挙延長を管理内閣に提案しているが、プアタイ党はこれを拒否している(1月12日)

情報通信技術相のアヌディット(Anudith Nakornthap)は先の日-タイ・スポーツ・センタ-での騒動の時に警察の車両から大量の小銃が盗まれており(反政府デモ隊の仕業といいたいらしい)、最近大量の銃弾が売られており、「第3者」が不穏な行動に出ると発表している。また、デモ参加者には麻薬を使用している者がいるということを言っている。

タクシン派がデモ隊に対して発砲するという事件はすでに起こっている。警備にあたっていたグループが中央政府前で銃撃を受け1名が死亡し、3名が重傷を負った事件が12月28日に起こったばかりである。彼らは銃や手りゅう弾で無辜の市民を平気で殺傷する実績(2010年の赤シャツ・デモ)もあり、1月13日には実際何が起こるかわからない。

反政府側にかなりの犠牲者が出る可能性無きにしも非ずである。また、最近歩兵第11連隊がバンコクに兵員を集めており「軍事クーデターの可能性」が取りざたされている。このままでは軍事クーデター以外に事態を収拾できなくなってきているともいえるであろう。

いずれにせよ、このまま選挙を行ってインラク政権が政権を維持できるという可能性は全くなくなったといってよいであろう。こうなったのもタクシンが下院の多数を頼んで強引に様々な失政を行ったためである。

⇒1月13日前のテロの増加(2014-1-11)


1月13日の「バンコク封鎖」デモを目前にしてタクシン派(インラクにいわせれば「第3者」)のテロ行為が次第に目立ってきた。1月11日の午前2時45分ごろラジャダムノン通りのコク・ワ(Khok Wua)交差点の付近でデモの警備隊にむかって発砲(M16とみられる)があり、4名(うち1名はタクシー運転手)が負傷した。インラク首相はデモ隊に対し「第3者」による暴力行為について警戒せよと呼びかけている。

この場合の第3者とは赤シャツの「別働隊」であることは明白である。狙撃者は射撃のプロとみられ、意識して足を狙って打っているようである。タイPBSテレビ・カメラマンもズボンに弾丸が当たったが幸い怪我はなかったという。

最近バンコク・ポストのPDRCに対する「攻撃」がなぜか露骨になってきている。コン・ラトディー(Kong Rithdee)副編集者はステェプのことを「ガタのきた箱舟」と称し、「ステップは我々全員を沈没させる」と口汚くののしっている。ほかの論説委員も「お社l九(タクシン)を汚職(ス^テップ)が攻撃するしかくはあるのか」tp要するにステップの過去の汚職疑惑を攻撃している。この際決着のついたステプの過去の汚職疑惑は関係ないと思うが、意識的なステプ攻撃が目立ち始めた。いざとなるとバンコク・ポストも豹変するのであろうか?論説者はどうでもいいから正しい事実を報道してもらいたい。

T 14-2, 民主党アピシット党首宅に爆発物投擲(2014-1-15)


14日夜12時近く、スクムヴィット・ソイ31にあるアピシット党首の自宅の屋根に爆発物が投げ込まれ、屋根の一部とガラス数枚が割られたが、人的被害はなかった。アピシット一家と父親が居住している。犯人は捕まっていないが、言うまでもなく赤シャツ別働隊の「テロリスト集団」のメンバーである。(バンコク・ポスト15日電子版)容疑者4名(うち女性1名)が警察に身柄を拘束されているという。彼らは武器弾薬をデモサイトに運搬していた容疑もかけられている。

南タイのトラン(Trang)市においても数日前チュアン・リークパイ前民主党党首の自宅爆発物が投げ込まれた。タイはまともな政治家が生きていくのは容易でない。

また、16日夜10時ごろにはシ・アユタヤ通りのスアン・パッカード・パレス地区にあるスクムバン・バンコク知事の家にもM27手りゅう弾が投げ込まれたが負傷者はいなかった。また夜8時ごろルンピニ公園前のラマ6世の銅像付近で集会を開いていた反政府デモ(PDRC)の集団に向かって手投げ弾が投げ込まれたが、集団には届かず路上で爆発しけが人は出なかった。犯人は黒ずくめの2人でナンバ^・プレートを外したオートバイに乗っていたという。

同じ16日にはPDRCのリーダーの一人イッサラ・ソムチャイ(Issara Somchai)の家にもピンポン爆弾が投げ込まれた。不在だったため被害を免れたという。軍は平服に着替えた兵士をデモ隊に紛れ込ませ、テロを監視しているという。

⇒17日にデモ隊標的のテロで1名死亡36名負傷(2014-1-17


スーテプを先頭にPDRCのデモ隊がナショナル・スタジアムを過ぎてバンタート・トン(Banthat Tong)通りを左折してすぐに、近くの空きビル(解体予定)に潜んでいた何者かが手りゅう弾(中国製)を投擲し、スーテプの30mのところで爆発した。デモ参加者は金属片などで36名が負傷し、うち1名(Prakong Chuchan,46歳、ナコン・シ・タマラートから参加)が死亡した(1月18日午前2時30分)。デモの警備隊員が空きビルに駆け付けたが、すでに部屋はもぬけの空だった。

しかし、その部屋からは未組立のM16ライフル3丁のほか、手りゅう弾の安全ピン1個、警察バッジ2個、ナラティワット県警察官の帽子1個、簡易冷蔵庫、食料などが発見された。犯人はかなり長時間そこで待ち伏せしていたことがうかがわれると同時に警察関係者がテロの容疑者として浮かび上がってきた。警察にはタクシンン派が多いということは前から言われていたが、もし、ナラティワットという遠い南部からテロ目的で出張していた警察官がいたということになれば事態は重大である。

先日も日・タイ・スポーツセンターの選挙管理臨時事務所でデモ隊と警官がもみ合った際に黒シャツを着た警官が付近のビルの屋上からデモ隊員を狙撃したという疑いがもたれている。PDRCは警察と政府の責任を非難している。一方、警察はPDRCの「自作自演」ではないかと語っている。デモ隊が行進の出発直前にコースを変更したことが警備に支障をきたしたと述べている。




⇒勝利・記念塔の近くで手りゅう弾爆発28人負傷(2014-1-19)

1月19日(日)午後1時半ごろ勝利記念塔(Victory Monument)の集会場近くで男が手りゅう弾を投擲し、ポスト・トゥデイの女性記者シティニー(Sithinee Huangnak)さん28歳ほか27人が負傷した。負傷の程度はわからないがほとんどが病院に運ばれた。

警備員が複数の犯人の男を捕まえようとしたが、逃げながらもう1個の手りゅう弾を投げつけ、拳銃を発射しながら待っていたオートバイに飛び乗って逃亡した。

警察の発表によると前回(17日)と今回使用された手りゅう弾はRDG-5と呼ばれる同じタイプのもので中国製(もしくはロシア製)とみられている。



この写真はバンコク・ポストの電子版(1月19日夜)に掲載されたものである。手りゅう弾をステ^ジの後方のテントめがけて投げたが、近くのコーヒー・ショップの屋根にぶつかって、そこで爆発してしまった。重傷者7名を含む、28人ものけが人が出た。テントに届いていたらさらに大きな被害になっていただろう。バンコク・ポストの女性レポーターも大けがをしたという。男は首からホイッスルをぶら下げている。ただし、そのひもは3色ではない。(通常のデモ隊員は3色カラーのひもを付けてい)。

逃げる途中にピストルを発射した。ピストルは.38口径のものであったという。そのピストルの弾が腹部に当たり1名が重傷を負った(生死不明)。男はオートバイ・タクシーに乗って逃げた。また歩道橋の上からも1個の手りゅう弾が投げ込まれた。手りゅう弾はPDG-5と呼ばれる中国製のものであるといわれる(ロシアで開発されたが中国製)。犯行グループは総勢6名であったと警察は見ている。

また、19日夜10時40分にラチャダムノン・ノック・アヴェニューのマカワン(Makkawan)で学生グループのNSPRT(Network of Student and People for Reform of Rhailand)のデモ隊の警備に当たっていたシティチャイ(Sitthichai Maliwan)27才が消音銃で撃たれ胸を貫通する重傷を負った。生死は報じられていない。

上の犯人像が海軍士官に似ているということ警察が報道陣に話したことから、軍と警察の関係は悪化し、海軍は警察を「名誉棄損」で訴えるという騒ぎになった。プラユット陸軍司令官は警察の対応が遅いとして注意を促した。たしかに警察は警備が甘く、何度も手りゅう弾やピストルを爆発現場に持ち込まれている。そればかりか、カンボジアに逃亡していた「黒シャツ軍団」の入国も見逃して(?)いる。

上の写真はプロ・チョーブ・キリカンの海軍に所属するラチャタ・ウォンユット1等水兵ではないかという疑惑が持ち上がり、本人は当日チャイ・ナートにいる妊娠中の妻を見まいにいっていてアリバイがあると主張している。ところが彼はプラチョーブ・キリカンの大5歩兵連隊の兵士であり、現在は「罷役」中でり、軍務には就いていないとも言われている。また、もっと重要なことは彼は故カッティヤ少将の組織していた「武闘軍団(黒シャツ隊)にも関係があったといわれている。

その後、この犯人はカンチャナブリに住所のあるクリツァダ(Kriitsada Chaikae)という人物であることが特定され、班員の逮捕につながる情報提供者には50万バーツの懸賞金が出され、また警察長官からも20万バーツの懸賞金が出されることとなった(2月27日バンコク・ポスト電子版)。

また、1月23日のバンコク・ポストによればパトゥムタニの赤シャツ・リーダーのウッティポン(Wuthipong Kotchathamakhun=Ko Tee)がさきの数件の手りゅう弾事件に関与した疑いで行くえを追っているという。また、22日には2名のオートバイに乗っていた男が38口径のピストルと23個の手りゅう弾を所持していたところを捕まえたという。


プロの殺人集団が動き始めたといえよう。これはタクシン軍団かも知れないが警察官も関与している可能性がある。もはや軍事クーデター以外に事態の打開を図るすべはなさそうである。


⇒タイ海軍はカンボジアから来た「黒シャツ軍団」の関与を指摘(2014-1-22)

タイ海軍のウイナイ・クロムイン(Winai Klom-in)提督は外国人(カンボジア人?)が10台のバンに乗って月曜日(1月13日?)にバンコクで暴力行為を実行するために国境を越えたという情報を入手していると語り、国境を警備していた警察は何もしなかったというのは不可解だと語った。(2010年のバンコク騒乱以降「クロシャツ軍団」がカンボジアに逃げ込み、逮捕を免れたという情報は当時あった。)

また、2010年5月10日に39名の「外国人戦闘員」(黒シャツ隊員)が殺されたが、赤シャツはこれを冷蔵庫のローリーに運び、検視を待たずに何処かに運び去ったことも知られている。海軍としては今回の「非常事態宣言」でインラク政権が出動を命じても拒否すると語った。

ウイナイ提督は今回の一連の手りゅう弾事件で3人の海兵隊員(Seal=Sea,Air,Land)が関与しているという噂を強く否定した。(上の写真の犯人も海兵隊員ではないかといわれている。)容疑をもたれている3人の海兵隊員はいずれも事件当時サタヒップの海軍基地にいたと語った。

ウイナイ提督は「外国人勢力」がバンコクに来て抗議現場に侵入してきているという情報と「麻薬マフィア」が現場で暗躍しているという情報をもとに数人の海兵隊員を現場に派遣したことを認めた。6人の海兵隊員は現在、チョンブリ県のKoh Samae San基地に帰任しているが、もし、国民の保護が必要なら直ちに彼らを現場に派遣すると語った。

海兵隊員を現場に派遣したのはプラユット陸軍司令官からの要請に基づくものであった。

これに対し赤シャツ・リーダーの一人であるアリスマン(Arisman,彼もカンボジアに一時逃亡していた)は「2010年の騒乱の時は’黒シャツ軍団’なるものはいなかった」と語っている。(これは明らかな虚言である)。ウェン・トジラカン(Weng Tojirakan)赤シャツ・リーダーは「黒シャツ軍団は赤シャツとは無関係である」と語った。(以上は1月22日バンコク・ポスト電子版の記事の要約である。カッコ内は筆者の注)

ウェンはウソをついているという意識はないであろう。しかし、赤シャツがタクシン政治の大衆組織であるとしたら、黒シャツはタクシン政治の暴力組織なのである。赤シャツがタクシンとは別な政治目的を持った団体であるというなら、ウェンの言い分は正しいかもしれない。ウェンはその点で現実を見ていない「観念論者」なのである。赤シャツ運動によてタクシン体制を支えていることを忘れてしまっているのである。タイ国民はタクシンの政治の在り方について批判しているのである。ウェンは赤シャツのデモ参加者が銃撃したり、手りゅう弾を投擲した事実を知らないとでもいうのだろうか?彼は良心的な政治信条を持って行動しているつもりかもしれないが、タクシン体制という暴力組織の一翼をになっている「共犯者」にしか過ぎないのである。


クロシャツ軍団は故カッティヤ少将がタクシンの支援(タクシンから資金提供を受け)のために、志願者を「浪人集団・軍団」などと称して、軍事訓練していたものであり、2010年の赤シャツ・デモの背後にいて、騒乱の時は赤シャツ隊の間を走り回り、兵士などに銃撃を加えていたことは多くの報道写真が撮影している。カッティヤ少将は多分口封じのために何者かに狙撃され死亡している。彼らは明らかにテロ軍団であり、一般市民にも銃や手りゅう弾で攻撃を加え多数の死傷者を出している。

2010年5月10日の騒乱後は黒シャツ軍団の残党はアリスマンらとともにカンボジアに逃れ逮捕を免れていた。ウィナイ提督が「外国人勢力」というのは「黒シャツ」メンバーのことであり、実際はカンボジア人ではなく、退役したタイ人の軍人やレンジャー部隊員であると考えられる。赤シャツは彼らは「赤シャツと無関係」だと彼らの公判などで主張しているが、無関係のものを排除せずに赤シャツ・でもの間を「自由に走り回らせていた」という事実は否定しようもない。

警察は「黒シャツ隊」の入境に対して、「情報を知りつつ何もしなかった」とうのは彼らがタクシン派に汚染されているためだとタイ国民には見られている。


⇒パトゥム・タニで武器輸送犯を逮捕(2014-1-25-1)


パトゥム:タニ県(バンコクへの北からの入り口)のタニヤ・ブリで車両のチェックをやっていた警察官がマドをすべて黒いフィルムで覆ったホンダ・シビックを止めて調べたところ膨大な武器弾薬が隠されていることを発見した。1月24日午後10時のことであった。



押収されたものは1丁のAK-47自動小銃と60発の弾丸、1丁のPPG手りゅう弾発射装置、M-61手りゅう弾1個、RPGロッケット1個、金属スパイク20個などであり、犯人は軍隊の迷彩服を着ていた。犯人はチナラート(Chinnarat Kannachanawichen)と名乗っているいる。赤シャツの武器庫があるといわれるロップリからやってきたという。

パトゥム・タニ県警察の大手柄である。それまでタイ警察は交通チェックをやりながら1件も武器の運び込みを捕まえられず、陸軍から苦情を言われていた。これで警察にもまじめにやっている警官が間違いなく存在することが立証された形となった。

このような事件を見ると、インラクが言うように「第3者の犯行」というのはコジツケに過ぎず、実際はタクシン側の誰かの犯行と言わざるを得ない。タクシン政権とはこのようなテロリスト集団を手先に使う「マフィア」そのものなのである。朝日新聞の柴田某やニューヨーク・タイムズのトーマス・フラー(Thomas Fuller)などの見方がいかに甘いかを改めて認識させられる。


⇒PDRCのリーダー、赤シャツに銃殺される(2014-126)

PDRCの1グループであるPeople's Democratic Force to Overthrow Thaksinism(PDFOT=タクシン主義打倒のための人民民主義の力)のリーダーであるスチィン・タラチン(Sutin Tharathin)氏52歳がバン・ナー地区の投票所であるワット・スリ・イアムで期日前投票を阻止しようとしていたところ、26日(日)正午ごろ、50人ほどの赤シャツ・グループと遭遇した。

赤シャツ隊から銃が少なくとも5回発射され、また爆発物が投げられ、スティン氏ほか3名が銃弾で負傷し、スティン氏は頭部と首を撃たれ死亡した。爆発物などによる負傷者は10人で病院で手当てを受けている。検視はポーンティップ(Dr. Pornthip Rojanasuman)法務省検視長によって行われ、彼女の検視報告によると銃弾は2方向からスティン氏にあたり、1発は右の首、もう1発は左の耳から貫通していたという。

銃弾の種類は特定されなかった。この結果からみると偶発的に弾丸が当たったものではなく、腕利きの殺し屋がスティン氏殺害を当初からもくろんで銃撃したものと考えられる。タクシンはこういう殺し屋を配下にもってテロをおこなっているものとみられる。他のリーダーも狙われている可能性がある。場合によっては外国人ジャーナリスト・カメラマンも「宣伝効果を狙って」殺される可能性がある。検視官のポーティップ女史は「正義派」という評価が高く、今回も遺族が特別に依頼したということである。

警察官は現場にいたが例によって犯人は捕まえられなかった。むしろ警官がスチン氏殺害を黙認したとさえ見られている。プラユット陸軍司令官は犯人逮捕を警察に強く求めているが、警察官も関与しているとみられるこの事件の犯人が捕まるとは考えられない。

赤シャツの中にはプアタイ党の前国会議員クントム警察中佐がいた。彼は自分は関与していないと主張しているという。このテロ事件は反政府リーダーが狙撃されるという重要な意味をもっているが日本の報道機関は沈黙を守っているようだ。


⇒1月28日にデモ隊に発射し負傷させた警察官の犯人が捕まる(2014-1-28)

陸軍クラブ前で100人ほどでPDRCがデモを行っていた際に、オートバイに乗った男が発射し、デモの1名(32歳)が背中を撃たれ、弾丸は胃にまで達する重傷を負った。。今回はデモの警備隊が犯人を取り押さえ袋叩きにし、犯人は病院に運ばれたため氏名などは不明であるがスティソン警察に所属する警察官であることが分かった。犯人の乗っていたオートバイは警察官の名前で登録されたものだという。現場にはモーター・サイ(オートバイ・タクシー)の運転手のチョッキが残されていた。

PDRCの警備員が押収したものは11ミリ口径のピストル、弾倉、手錠、携帯ラジオなどであり、一度は警察官が押収しようとしたが、結局軍隊が保管した。

また、PDRCの幹部のサマラン(Samaran Rodphet)氏の自宅にも1月28日(火)午前3時ころ手りゅう弾M67が投げ込まれ、窓や自動車が破損した。家族に負傷者はいなかった。本人はここ1か月ほど帰宅していなかったとのこと。警備の警察官などはついていないので狙った家には自由に手りゅう弾攻撃ができるようだ。M67は半径15mほどは殺傷能力がある高性能の手りゅう弾だという。


⇒投票前夜ドンムアン空港の近くで銃撃戦、負傷者6名(2014-2-1)


ドンムアン空港の近くのラクシ(Lak Si)地区で高僧ルアン・プ・ブッダ・アッサラ(Luang Pu Buddha Issara)の率いる反政府デモ(PDRC)に対し午後4時ごろ何者かが大型爆竹とともに銃撃を加えはじめ、警備についていたPDRCガードマンとの銃撃戦となり、30分ほどの交戦があった。負傷者は双方で計9名,
うち2名が重傷であった。そのうちの一人は重体だと伝えられる。

PDRCのデモ隊員は武器は所持していないことを公言しており、ピストルで応戦したのは怪しからんとして警察がピストルを所持していたPDRCガードマンを逮捕すると言い出した。赤シャツは兵士が私服でPDRCのデモの警備に当たっており、彼らが赤シャツからの発砲に急きょ応戦したのではないかといっている。PDRCからの応戦は今までまれだったからであろう。

警察は赤シャツ側からの発砲はいっさい黙認しており、一人の逮捕者も出していないが、PDRC側が自衛のために発砲したら直ちに逮捕というのはタイ警察がいかにタクシン派に肩入れしているかを示すものといえよう。

この際米国人のフリー・ランサー・カメラマン(James Nachtway)が赤シャツ側からの銃弾を受け、足に負傷した。プレス関係者はデモ隊と同じような薄緑の腕章をつけていたため誤認されたという。外国人カメラマンなどは特に赤シャツ・テロの標的になりやすい。射殺されれば「宣伝効果」が大きいからである。



これは「ラクシ」事件の現場で撮影された「黒シャツ」スタイルのガンマンである。2010年事件の時の「黒シャツ」と同じかどうかは不明である。本物の当時の黒シャツにしてはどこか間が抜けている感は否めない。ポップ・コーンの袋の陰にピストルを隠し持って狙撃していた様子が写真にとられてしまった。以来「ポップコーン・シューター」として赤シャツのテロリス封じを行ったといわれ人気を博している。彼のおかげで当日は赤シャツ・テロも自由に動けず、おかげで死亡者はゼロだったという。それにしても危険な存在である。PDRCに恐怖感を与えるためのデモンストレーションかもしれない。「正義の味方らしい」ということで正体は不明である。

⇒バンコク民主記念塔ちかくで爆弾テロ、6名負傷(2014-2-10)


バンコク民主記念塔近くのラチャダムノン通りで2月10日(月)午前11時半ごろ、PDRCデモ隊が撤収したのちにバンコク都庁の清掃員が清掃作業を行っているときに、何者かが手製爆弾を投げ込み6名が負傷した。うち2名は重傷だという。

⇒2月に入って最大の衝突、警官1名、市民4名死亡、負傷者70名(2014-2-18)

政府側が反政府デモ(PDRCC)タイが占拠している拠点の奪還を行っているが、パン・ファー橋の近くで警官隊がゴム弾(だけか?)を発砲し、デモ隊も応戦する事件が起こり、警察官1名と、デモ参加者4名が死亡し、70名(警官が19名)が負傷するという大きな衝突事件が発生した。コメ買い上げ代金の支払いで行き詰りつつある政府が、PRDC拠点(ステージが組まれている)の強制奪還に乗り出した。犠牲者が出るのを承知の上での警察の強硬策である。

警察官に死因は何者かが発砲し、銃弾を胸に受けたものである。また銃弾を頭以受けた警官も重態であるという。また、外から投げられ手りゅう弾(M79)を蹴飛ばそうとした警官がもろに手りゅう弾の爆発を受け両足に重傷を負ったという。。この手りゅう弾は軍と警察が使用するものであるが、外部にも相当数出回っている。2010年には赤シャツが愛用していたといわれている。

警官が銃弾で負傷するというのは銃を持った何者かがデモ隊(基本的に非武装)に紛れるか、背後から援護射撃を行った可能性がある。またはデモ隊側が手りゅう弾を投擲した可能性がある。近くのビルから手りゅう弾を発射したという説もある。しかし、市民4名が警察側からの銃撃で死亡したという事態は重大である。この事件をきっかけに軍がデモ隊防衛に動き始めた。軍と警察との協力関係も失われたといってよい。今後軍の大規模介入があるかもしれない。

また、警察は中央政庁を19日中に奪還せよというタクシンからの命令を受けており、地方から警察官を増強しているという。目的は19日中にインラクが政庁に入り、屋上の金色に輝くブラフマー(ヒンドゥーの最高神)像を赤く塗りつぶさないとタクシン一族は権力を失うという「占星術師」からの御託宣があったからだという噂が流れていたという。それは別としてチャレムCMPO委員長が強硬策にでたのはタクシンからの指示によるものであろう。インラクもすべての責任は反政府デモにありという演説を行い新たに物議をかもしている。

デモ隊側に4人もの死者と多数の負傷者をだしたことについて、第3者による犯行だとしてチャレムCMPO委員長は言明し、警察には責任がないと主張している。「第3者」がいたのかどうかは不確かだが、いたとすれば「赤シャツ系のテロリスト」であり、彼らを取り締まらなかった警察の責任は免れない。チャレムが言いたいのは軍の兵士がデモ隊支援のために手りゅう弾や高速銃を使用したのではないかということだが、警察も小銃を保持していたことは認めている。あくまで自衛のためであり、当日は発射しなかったという。下の右の写真は警察官が明らかに小銃を発砲しているが「ゴム弾」を使ったのだという。デモ側に4人もの死者が出なければ、その言い分も信じられたかもしれない。

民事裁判所は19日に「戒厳令の適用範囲」を狭め、かつデモ隊が武器を所持しない平和的なものであれば「強制排除」をしてはならないという裁決を下した。これは18日の惨事をは反映したものとみられる。また、デモ隊の資産を取り壊すことも禁止した。





⇒トラート県でPDRC集会に手りゅう弾テロ3名死亡41名負傷(2014-2-22)

カンボジア国境南端のトラート県カオ・サミン地区で2月22日(土)午後9時半ごろ反政府集会を開いていたPDRC支持者の住民(約2,000人)に対して、何者かが1トン・ピックアップ社大で乗り付け、手りゅう弾2発を投げ込み、銃を乱射するという事件が起こった。5歳の少女1名が死亡し、31名が負傷しそのうち4名は重体であるという。2月25日にもう1名少女が入院先の病院で亡くなった。

タクシン派の人道を無視した一方的暴力行為であり、タクシンというのがいかに恐ろしい存在であるかを世界に見せつけた事件である。

海軍の特殊部隊司令官ウィナイ(Winai Klom-in)提督はは「下手人はカンボジアから潜入した、(赤シャツ別働隊)殺人集団の仕業ではなかろうか」と語った。タイ人であればこんなひどいことはできないであろうというのだ。しかし、プラユット陸軍司令官は下手人はタイ人で2010年4-5月の赤シャツ騒動を起こした連中と同一犯だと言い切っている。あの時はカッティヤ少将からトレーニングを受けた「黒シャツ軍団」が先に手りゅう弾攻撃を行い次に銃(M16)を発射して当初ゴム弾銃しか持っていなかった軍を圧倒した。その日(2010年4月10日)、ロムクラオ(Romklao)大佐は狙撃され死亡した。6名の兵士も銃殺された。

インラク政権は崩壊間近とされているが、最後まで戦えというのがタクシンからの指示のようで、赤シャツ・テロ集団に対しては資金が大量に提供されているという噂が流れており、今後バンコクやその他の都市でも放火・殺人事件が頻発する可能性がある。今回も、23日(日)に赤シャツはナコン・ラチャシマで4,000人の全国集会を開き、PDRCデモと直接対決をすることを宣言するという。インラク首相は「コメ買い上げ制度は成功だった」と強弁している。独善的な政治集団である。結局ツケは国民が支払うのだからタクシン一派にとっては痛くもかゆくもないという考え方である。

2010年の赤シャツデモでも赤シャツ隊は銃で軍隊と交戦し、多数の死傷者をだし、最後はワールド・センターやサイアム・スクエアーを放火した。

⇒トラート県カオ・サミン地区で起こった惨劇のさなかに、ナコン・ラチャシマで赤シャツは全国決起集会を開いていたが、チョンブリ出身のダブ・デーン(Dab Daeng) という警察官上がり(現役説もある)の男が壇上に駆け上がり、マイクを手にして「よいニュースがある。タラートでPDCRの集会に手りゅう弾が投げ込まれ5人死んだ」と叫んだという。それを聞いた参加者たちの多くは期せずしてこぶしを振り上げ喜びの叫びをあげたという。

それを聞いてティダ委員長は慌てて「赤シャツは暴力を建前とはしていない」と制止したが、ダブ・デーンはいきり立ってなおも叫んでいたのでそばにいた元国会議員によって壇上から引きずりおろされたという。赤シャツはことあるごとに「民主主義を愛し、民主主義を守る」と言っているが実態はこういうことである。日本では京都大学の玉田芳史教授は「日タイ協会」の機関誌で赤シャツ、タクシン擁護の論文を長年書き続けている。今回の反政府デモは「政府機関の封鎖などは暴力なのだから、暴力で排除しなければならない」などというタイの赤シャツはの学者の言葉を引用している。

殺された少女は屋台の手伝いをしていて、集会には参加していなかったという。犯人は2台のピック・アップ車でやってきて、手りゅう弾2発を投げ込み、自動小銃を乱射して逃げたという。(Bangkok Post,2月24日電子版、論説記事)


⇒2月のトラート県テロ、2人の容疑者捕まる(2014-5-27-1)


この事件の容疑者がカオ・サミン(Khao Saming)地区のプラネート(Praneat)村の果樹園経営者ナロン(40歳)が所有する家に犯人グループ(赤シャツ)が潜んでいることを突き止めた海兵隊とレンジャー部隊員が取り囲み2名を逮捕した。

1名は逃亡したが、やがて発見されたが、レンジャー部隊員ウティナン(Wuthinan Sriprasit)を至近距離から射殺した。その後犯人は逃亡した。逮捕された容疑者名は明らかにされていない。家からは武器や赤シャツ等が見つかった。
(バンコク・ポスト、5月27日付電子版より)






⇒バンコク・ラチャプラソン通りで23日夕方手りゅう弾テロ、3名死亡22名負傷(14-2-23-1)


23日午後5時ごろラチャプラソン通り(伊勢丹の斜め向かい)のBIG Cショッピング・モール前でPDRCのデモ隊にM79手りゅう弾が投げられ、6歳の少女と4歳の少年と40歳の女性の3人が死亡し、22名が負傷するという事件が起こった。トゥク・トゥク(3輪タクシー)の運転手と乗客も負傷した。犯人は例によって捕まらない。テロ実行犯を一人も捕まえられないというタイ警察の輝かしい記録は今回も更新された。ただし、赤シャツ幹部クワンチャイが襲われた時にはすぐに容疑者を見つけた。。

赤シャツ集団はタクシンからPDRCへの対抗措置をとるように命じられているとされ、23日ナコン・ラチャシマで決起集会が開かれた。その流れに沿った昨日のタラート事件と今日のラチャプラソン事件であったともみられる。27日はインラク首相がNACC(汚職防止委員会)の取り調べを受けることになっており、その間にできるだけ赤シャツに暴れさせようというつもりかもしれない。むしろ「軍事クーデターを誘発することを狙っての行動とも受け取れる。

国家治安評議会(NSC=National Security Council)はこの2つの事件と昨日ラチャダピセク・ロードの民事裁判所で見つかった不発手りゅう弾事件とはそれぞれ関係があるとして、パラドーン(Paradon Pattanatabut)委員長は「政府に責任あり」として非難した。手りゅう弾の投擲と銃撃(Trat事件)は素人の犯行ではないとして厳重な捜査を要求した。

一方でインラク首相の顧問のであるタクシンの腹心のパンロップ(Panlop Pinmanae)退役大将はCMPOのトップに任命されるであろうという噂についてはパラドーン中将は「CMPOでは議題に上がったことはない」語った。パンロップは問題の人物で、2004年当時第4軍の司令官で、タクシンの指示に従い南タイでイスラム教徒を弾圧し、クルセ・モスク事件やパタニ事件(80名ほどの容疑者を窒息死させた)うを引き起こし、その後の南タイのイスラム教徒の反乱の口火を切った人物である。

CMPO委員長はチャレム副首相兼労働相が務めているが、生ぬるいという声が内外(日本を含む)のタクシン派から上がっており、「デモ隊の官庁封鎖は暴力であり、それには遠慮なく暴力で対抗すべし」という指示がタクシンから出ているものと思われる。

23日の赤シャツの「全国決起集会」でも「戦の太鼓」を打ち鳴らして、反撃を行うという決意表明がティダ(Tida)委員長(女性)からも発言があった。

事態を重く見たプラユット陸軍司令官は出張を取りやめ対策会議を行っているという。与党プアタイの支持母体である赤シャツ集団がこのような決議を行うこと自体が異常であり、前後してタクシン派のテロ事件が起こったということには国民の生命財産をと平和維持を任務とする国軍にとっては重大な問題である。

プラユット陸軍司令官は今回連続して起こったテロ事件は2010年4-5月の赤シャツ騒動の時に赤シャツ武装組織として軍と対決した黒シャツ軍団の残党が暗躍しているとの見方を示した。警察が誰一人として犯人を捕まえないわけはこの辺にあるということであろう。黒シャツ軍団を育成し指導した故カッティヤ少将はパンロップ退役大将と親交があり、カッティヤをタクシンに紹介したのはパンロップではないかとみられている。


T 14-21大量の迫撃砲弾がチョンブリで見つかる(14-3-21)

チョンブリ(バンコクの郊外)の池の中で魚取りをしていた近くの農民が水中で筒を見つけ警察に不審物として報告したところ迫撃砲弾と判明し、さらに池を捜査したところ合計21発の迫撃砲弾が発見された。砲弾は防水処置が施されており、使用可能な状態であった。それらは2週間前に池に隠された新しいものであることもわかった。何者かがバンコクの市街戦に備え用意していたものであろうと推測される。

軍事クーデターの際にはタクシン派暴力組織がこれで軍を攻撃しようとしたのではないかと考えられている。これ以外にも自動小銃(AK47)1丁、80発の手りゅう弾、552発の銃弾が発見された。もちろんこれ以外にも赤シャツ集団は各所に武器を備蓄しているものと推測される。誠に危険な集団である。赤シャツのリーダーがティダ夫人から武闘派のジャトゥポンとナタウットに交替したのも「市街戦」を想定しての指揮官の交替とみることもできよう。

「民主を平和的手段で守る」と自称している赤シャツ集団も背後にはとんでもない「武装集団」が潜んでいることが明らかになった。結果的に、軍事クーデターを避けたプラユット陸軍司令官の判断は今のところ正しかったようである。





T 14-14 赤シャツ60万人の民兵構想をぶち上げる(2014-2-27-1

赤シャツの幹部であり、インラク首相副秘書長であるスポーン(Suporn Attawong)は60万人からなる「新民主主義運動」に参加するボランティアを東北20県で募集すると発表した。これは明らかにスーテェプのPDRCに対抗する組織である。スポーンは3月1日から募集を始めれば1か月以内に20万人が応募するとみている。

タクシンの腹心であるパンロップ退役大将を顧問に戴いて、1か月間の「訓練」を実施するという。訓練の内容については説明がないが、射撃訓練など含まれる可能性が高い。スポーンは20万人分の銃はいつでも集められると前々から豪語している。場合によっては「内戦」も辞さない構えである。この費用一切はタクシンが負担することであろう。これを見ると話し合いどころかタクシンとしては「徹底抗戦」の構えであることがよくわかる。

また、内務相のチャルポン(Charupong Ruangsuwan)はインラク政権擁護のための「人民志願并」の募集について、隊には正式に認可されている民間所有の銃は1000万丁あり、国民の力はを無視すべきではないと発言した。これは陸軍に対する明白な「オドシ」である。このチャルポン発言以降「分離主義」を標榜する横断幕が急増し始めた。

赤シャツ全体としても東北の4県(ウドン・タニ、カラシン、マハ・サラカム、コンケーン)からボランティアを募り、「親民主主義キャラバン」を組織することを発表した。これにはプアタイ党の前国会議員も参加するのだという。キャラバン隊は平和に活動し、官庁などにデモをかけるが封鎖したり、占拠したり、業務を妨げないという。しかし、実力行使をする「実戦部隊」は2010年の黒シャツ軍団のように、きちんと準備することであろう。かれらはそれを「第3者」と称し、赤シャツは関与していないという。これはタクシン流詭弁であることは言うまでもない。今回もテロ殺人犯についてインラクは「あれは第3者の仕業」として無関係を装っている。

すでに2月27日にはインラクを召喚する予定であったNACC(汚職防止委員会)に押しかけ、出入り口を封鎖して「業務を妨げて」いる。

東北方面軍の第2軍司令官チャーンチャイ(Charnchai Puthong)中将は各県知事と打ち合わせを行い、特に武器使用については注意を促したという。

⇒赤シャツ民兵の設立は違法(2014-3-2)

ISOC(国内治安維持司令部=Internal Security Operations Command)は上記のような北部と東北部から志願者を募り、武装させるという赤シャツの行動については「正式な報告」を受けていない、事実とすれば重大な治安維持上の問題であるとし各県知事にISOCに支給報告をもとっめると同時に、第2方面軍司令官に情報の取りまとめを指示した。


⇒銃撃・手りゅだん攻撃が相次ぎ、病院までも標的(2014-3-8)


赤シャツは脅迫とみられる銃撃やしゅるうだんの投擲を続けており、PDRCがルンピニ公園に反政府集会の会場を集約する動きに対応して、2月24日夜にはルンピニ公園に20発以上の手りゅう弾が投げ込まれ、また銃声も午前零時から3時まで続いた。負傷者は2名出たもよう。学生運動の警備隊が手りゅう弾を投げていたタクシー運転手を1名を捕まえたという。

PRDC幹部の留守宅にも手りゅう弾や銃撃が相次ぎ、2月28日の深夜にはPDRCのリーダーのタヤ(Taya Teepwan)女史のナコン・ラチャシマの実家に100発以上の銃弾が撃ち込まれた。タヤ女史はタクシン夫人(形式的には離婚)がエンポリアムのルイ・ヴィトン店に買い物に入ったのを見つけ「ホイッスルを吹いて」追い掛け回したことが赤シャツの反発を買ったという。また、ナタポン(Nattapol)氏の住宅にも手りゅう弾が投げ込まれたが不発であった。

3月4日午後8時15分にノンタブリにあるNACC(汚職防止委員会)の構内にMKタイプの手りゅう弾が投げ込まれた。負傷者はなかった。

3月7日夜にはルアン・プー師がっ主催するチェンワタナ通りのPDRCの会場(ここだけはルンピニ公園への集約を拒否している)の近くにある、モンクットワタナ・ゼネラル・ホスピタルに銃撃が加えられ、壁に直径15センチほどの大きな穴があけられた。幸いけが人は出なかったという。同病院のリエントン(Riengthong Nanna)院長は銃撃犯を激しく非難したが、警察に被害届を出してもムダなので被害届を出さなかったといっている。

確かに、23名もの死者と770人の負傷者を出したテロ事件で犯人が1人もつかまっていない状況をみれば赤シャツ・テログループと警察がグルになっていると思われても仕方がない面はある。最近もパトムタニの赤シャツのボスでテロ事件にかかわり「分離横断幕」を掲げたコーテ(Ko Tee)はバンコク警察長官とは「ジッコンのオ間柄」だなどと取沙汰されているようではどうしようもない。

3月8日(土)午前2時には同じチェン・ワッタナ通りにある憲法裁判所にパイプ爆弾が投げ込まれ、また銃撃があり、1名が負傷し、モンクットワタナ・ゼネラル・ホスピタルに担ぎ込まれたが、後にシリラート病院に移送された。重傷とみられる。この辺は爆弾投擲が頻発しているにも関わらず、犯人は1人もつかまらない。警察のヤル気が疑われる。


⇒スーテェップ氏の自宅付近でも不発手りゅう弾(2014-3-11)


3月10日(月)夜、PDRCの指導者であるスーテェップ氏の自宅から30mほど離れたところで、ピンをぬかれた不発のM79手りゅう弾が2個発見された。
警察は2個とも爆破処理をした。何者かが手りゅう弾をスーテェップ氏の自宅(バンコク・ターウィ・ワッタナ地区)に向け投擲したが不発だった。民主党党首のアピシットの自宅にも手りゅう弾が投げ込まれたことがある。タクシン派の仕業であることは間違いない。タクシンという政治家はマフィアのボス同然のところがあって、何かあると手下が家に銃撃を加えたり、手りゅう弾を投げ込んだり、殺人・傷害事件まで引き起こしている。

ちょうど10年前(2004年3月12日)も人権派弁護士、ソムチャイ氏が警察官に拉致され、行方不明になった事件があった。ソムチャイ氏の遺体はいまだに発見されていない。拉致したのはなんと警察官であり、真昼の犯行だったので、目撃者がおり5人の警察官が捕まった。そのうち1人だけが有罪となり、3年の禁固刑が言い渡された。他の4人はアピシット政権時代に失職したが、インラク政権下で復職し「昇進」までさせているという。

判決が2006年に言い渡されたが、タクシンはソムチャイ弁護士の死亡を発表した。しかし、遺体は見つかっていない。なぜタクシン首相自らが行方不明者の死亡を発表したのか不思議である。

ソムチャイ弁護士が殺された理由は、彼がナラティワット軍事基地を襲撃したイスラム教徒の裁判の弁護人をやっていたためである。ソムチャイ弁護士は何かタクシンにとって不都合な事実を掴んだために殺されたと考えられている。

タクシンに「盾つく」ことは殺されるリスクを伴うことなのである。彼は警察をはじめとして「殺し屋」を多数配下に持っている。今回の政治混乱に伴う一連のテロ事件でも犯人は誰一人として捕まっていない。警察の怠慢というより、警察がテロ犯人とグルになっているという見方さえもされている。


⇒赤シャツが僧侶に集団暴行(14-2-25)

バンコク・ポスト(3月25日、電子版)に乗っていた写真ですが、赤シャツ集団がNACC(汚職防止委員会)の前で、カラシンから親族の見舞いに来た僧侶が、赤シャツグループが「インラク首相の訴追反対」の集会を開いているところを横切ろうとしたところ、集団で暴力を振るわれているところです。仏教が大変厚く敬われている国でこんなことがあったのを初めて知りました。

記事によると、赤シャツ集団がある男を殴っていたので止めに入ったら「生意気な坊主」だということで殴られたそうです。警官が止めに入ってもなかなか止めず、棒で殴り続けたものもいたらしいです。

赤シャツ派はマフィアみたいな連中もかなりいることは、日ごろ起こっている数々の(いちいちこのHPには載せませんが)爆弾事件を見ればはっきりしています。彼らの「民主主義」というのは暴力付きの「民主主義」であり、「選挙」を要求して議会の多数を制し、あとは好き勝手に国家予算を自分たちに都合に合わせて使おうというだけのことです。その結果汚職が著しくはびこっています。それを日本の学者やメディアは一生懸命に応援しているのです。

これが日本語ではなく、英語の新聞だったら、タイ国民から非難の投書が殺到するようです。ニューヨーク・タイムズのThomas Fuller記者もあまりに一方的なウソを書くので、非難の集中砲火を浴び最近は鳴りを潜めているようです。彼は赤シャツ派の論客の歴史学者の話を「中立的な著名な歴史家」として続けざまに書いていました。他にも最近はBBCの記者もやり玉に挙がっていました。日本の新聞についても私はいくつかの例を挙げ批判しました。それに対する反感もあるらしいのですが、もっと公正な内容の深い記事にしてほしいと思います。

「村越カメラマン事件」も「軍の仕業」が通説になっていますが、弾丸が軍用のM16ライフル弾だったということで「軍の仕業」にされてしまったようです。当時の黒シャツはM16を多数手に入れしきりに使っていたことはタイではよく知られています。デモの背後から撮影していたカメラマンが軍の銃弾に当たるなどと言うことは普通では考えられないことです。最近はそこ、少しは良くなってきたように見えますが、日本人の特派員はタクシン派の政治家や学者から取材して書いていた記事がほとんどです。



この後、NACC事務所付近を捜索した警察は、手りゅう弾投擲装置1丁と数発の手りゅう弾とAK47自動小銃1丁とタスの弾丸を付近の草むらから発見したという。

T 14-23 学生運動の活動家が赤シャツ・テロに高速道路上で撃たれ、死亡(14-4-1)


PDRCの運動と一緒になって活動しているNSPRT(Network for Students and People for Reform of Thailand=学生中心の組織)がチェン・ワッタナの政府官庁での集会・デモを終え、根拠地に引き返そうとして高速道路にトラックとバスで入ったところを近くのビルで待ち伏せしていた赤シャツ・テロリストが銃撃を加え、頭部を撃たれたワサン(Wasant Khamwong)という警備担当の学生が死亡し、バスで移動していた4人が負傷した。犯人はノンタブリ地区のテロリストの親分のコー・テーの配下のものであると考えられている。

彼らは高速道路で銃撃をするという予告をしていたという。しかし、赤シャツは警告は発したが、自分では銃撃していないといっている。何のために彼らは人殺しをするのか?タクシンのエゴのためである。それが「民主主義」だと思っているのか、殺せばご褒美が出るのかそこまではわからない。警察はノロノロと現場検証にやってきたという。もちろん犯人は捕まらない。(バンコク・ポスト、4月1日、電子版)




T 14-27 PDRCデモに銃撃と手りゅう弾で3人死亡、22人が負傷(2014-5-15)

タクシン派テロリストが5月15日午前2時半ごろ、民主の塔の近くにいたPDRCデモ隊に白色のピックアップ・トアックから手りゅう弾(M78)を発射(投擲)し、さらにM16ライフルを乱射し走り去った。手りゅう弾の1個は付近のホテルの窓に向かって発射された。宿泊客2名が軽傷を負ったが特定の個人の殺害を狙ったのではないかと疑いをもたれている。

男性3名(PDRC警備員)が死亡し、22人が負傷し病院に運ばれた。

これらのテロ行為の下手人を警察はつかまえたことがないという「輝かしい」実績を誇っている。警察はあくまで犯人像は不明であると称して逮捕に向けた動きは見せていない。

陸軍司令官プラユットは「際限もなく続くテロが続けば国軍とすいても断固たる措置をとる」と警告を発している。テロ防止を警察に任せていたのではどうにもならない。タイの国軍の干渉はもはや不可避であろう。

選挙管理委員会は次回の下院議員選挙を7月20日に行うことをめざし、各党との調整を図ってきたが、テロ行為が絶えないために、選挙の実施に疑問が出てきているという。


T 14-29 ロップリとサムット・サコンで多数の武器を押収(2014-5-21)


陸軍の戒厳令布告直後にロップリでAK47自動小銃1丁と実弾1150発、手製爆弾など多数を所持していた元レンジャー部隊員チャワット(54歳)が陸軍憲兵隊などの捜査を受け、逮捕された。チャワットはバンコク在住の2人の女性から依頼を受け、武器を渡していたという。相手の名前は目下明らかにしていない。(左の写真)

また、サムット・サコンでもチャンタナ(44歳・女)のアパートの1室からAK47を含む数丁の銃と1500発の弾丸と手りゅう弾発射装置などを憲兵隊が押収した。チャンタナは赤シャツ・メンバーと見られ2枚の赤シャツ・メンバー・カードも発見された。(右の4枚の写真)

これらの武器はバンコクでの「市街戦」もしくはテロに使用される目的で保有されていたものである。ロッップリの捜索では警察も協力していた模様であるが、憲兵隊が動かなければ、そのままバンコクに運ばれ使用される可能性がきわめて高かった。

今回押収された武器はほんの氷山の一角と見られる。過去半年間に起こったテロ事件はいずれもこれらと同じ種類の武器が使用されている。




(Bangkok Post,5月21日電子版)



下の2枚はMaicheal Yon氏のブログから(2014-6-17)
これ以外にも日常的に放棄された武器が発見されている。所持しているところを捕まれば最長20年の禁固刑に処せられるので、赤シャツで武器を隠し持っている者は草むらなどに武器を遺棄している者が続出しているという。

⇒赤シャツ集会現場付近でAK47所持の男逮捕(2014-5-21)

赤シャツがバンコク西方のウタヤ・ロードで集会を開いていたが、その現場付近で自動車に乗って仮眠していたプラサート(56歳)を軍将校が調べたところ、車のトランクからAK47自動小銃1丁と実弾数十発が発見された。男は銃は自分の物ではないと関与を否定しているが、近くの警察に連行されて取り調べを受けている。この件も軍が職務質問をして発見したものであり、警察は見過ごしていた。

⇒チョンブリでまたもや武器を大量発見(2014-6-2)

軍と警察当局はチョンブリで187発のM67手りゅう弾、27発のRPG(ロkッケト弾)を発見した。いずれも比較的新しく、赤シャツ派がテロで使用するために準備していたものと見られている。反軍事ク^デター派は3本の指を立てて「自由、平等、友愛」のフランス革命の精神を表すとしているが、一方で仲間がテロ活動を行い、またその準備も進めている。犠牲者にはどういう自由があるのだろうか。





⇒元兵士がナコン・ラチャシマで大量の武器・弾薬の所持で逮捕(2014-6-24)

ナコン・ラチャシマ(コラート)で第4管区の警察隊と第3歩兵連隊の混成捜査隊が、大量の武器を隠し持っているとみられていた元兵士(兵卒)のナパドン(
Napadol Petchmadam=42歳)の自宅を家宅捜索して4丁のM16ライフル、6丁の自動小銃(うち1丁はAK47)、1丁のM79手りゅう弾投擲銃、2丁の機関銃、多数の手りゅう弾、1万8千発の弾丸、2着の防弾チョッキなど多数の武器・弾薬を押収した。これらは全て新品であった。

これらはすべて赤シャツのテロ活動に使用される予定の物であった。今回の捜索のきっかけになたのは先に逮捕した26名からなく赤シャツ武装組織「Khon Kaen Model」の逮捕がきっかけになり、捜査を進めていく段階で武器取引の実態と保管場所とその責任者が判明したためである。

当局はこれらの武器の購入に充てた資金源をさらに追及するという。善意の第3者が出した金であるはずがない。

なお、多くの武器を赤シャツ派は隠匿しているものと思われ、6月24日にはバンコクのガソリン・スタンドに販売目的でM16ライフル1丁のほか投擲弾を所持していた男が逮捕された。赤シャツ派まだ武闘をあきらめてはいない証拠であるともみられる。

これらの武器・弾薬は軍の兵士が盗み出し、横流ししたものか、カンボジアからの密輸品のどちらかであろう。

6月19日から26日の1週間以内に自発的に武器を当局に差し出したものは刑事罰に問わないとする「特赦期間」を設けたが、その間に集められた武器は、59の兵器(war weapons),32丁のライフル、228丁のピストル、332箇の手投げ弾、182箇の手りゅう弾(投擲銃用か)、356の武器の部品その他多数の銃弾などであった。

これらはタクシン支持者(赤シャツに限らない)がテロ目的で使用しするために集めたものであり、彼らの「平等と民主主義」の内容のすさまじさが窺える。これらの武器についての記事は日本はもちろん先進民主主義国のメディアにはめったに登場しない。




(Bangkok Post, 2014-6-26)



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オバマ大統領にあてたタイ弁護士Vanina Sucharitkul氏の手紙(2014-1-20-1)

英字紙The Nationにオバマ大統領あての手紙が掲載されていました。タクシンは米人弁護士を雇い、「反タクシン派」やバンコク市民に対する攻撃を懸命にやっており、欧米のメディア(日本も含め)はそれに翻弄され、とんでもない国際世論が形成されつつあります。この手紙はネーションが誰かの圧力で早々に引っ込めてしまったようです。

Mr President: Some facts you should know about the Thai political crisis

January 20, 2014 1:00 am

To Barack Obama President of the United States of America January 17

Dear Mr President,

I am writing in response to Congressman Michael Turner's letter to you yesterday, urging you to publicly voice opposition to the anti-government movement and support the election on February 2. With all due respect, Congressman Turner's letter is misguided and shows a lack of understanding of the Thai political crisis. I would like to first explain what led to this crisis and clarify why the anti-government movement's aim is to achieve democracy.

As a US-trained lawyer, and citizen of the US and Thailand, I am pro-democracy. Indeed, I have often volunteered for voters' assistance groups to inform Americans on voting registration, necessary documents for voting and finding the right precinct to ensure that their votes get counted.

The anti-government protesters are also pro-democracy. The movement is not to rid Thailand of democracy, but to rid Thailand of the most tyrannical and dictatorial leader in history. Throughout history, many dictators have been democratically elected. Saddam Hussein received 100 per cent of the votes. Hugo Chavez, whom you publicly called authoritarian, was also elected by the majority.

The Thaksin authoritarian government, elected through vote-rigging, proved to be the most corrupt and the gravest human rights violator. In order to fully appreciate the current political crisis, one must examine the telecommunications tycoon's legacy. Just to name a few examples of Thaksin's egregious conduct:

n In February 2003, Thaksin launched a "war on drugs" campaign resulting in 2,800 extrajudicial killings in the span of three months. In 2007, official investigations concluded that more than half of those killed had no connection with drugs. The UN Human Rights Council raised serious concerns yet the perpetrators were never prosecuted.

n In 2004, Thaksin's security forces shot, suffocated or crushed to death 85 southern protesters in what is known as the Tak Bai massacre. Human Rights Watch has condemned this atrocity and has urged an independent criminal investigation but again, to no avail.

n According to Amnesty International, 18 human rights defenders have been assassinated or have disappeared.

n Due to Thaksin's censorship and intimidation of the press, human rights violations remain unreported.

n In an attempt to circumvent conflict of interest laws, Thaksin illegally transferred billions of baht in assets to his maids and drivers, without their knowledge.

n Thaksin aided his wife to purchase government land at a reduced rate of 1/3 in violation of the law prohibiting political leaders from engaging in business dealings with the government. Thaksin was sentenced to two years but fled the country and never served his sentence.

n Thaksin approved a US$127 million low-interest government loan to Myanmar's military-run government to purchase satellite services from his family's telecommunications business.

n While prime minister, Thaksin sold his stake in telecoms giant Shin Corp to Temasek, evading taxes worth $16.3 million.

n Thaksin's policy of corruption for his personal gain prompted the Supreme Court to unanimously order the seizure of $1.4 billion of his frozen $2.3-billion fortune.

These are just examples of the myriad ways in which Thaksin abused his power and robbed this country for his personal gain. Although in self-imposed exile, Thaksin continues to run Thailand and implement policy corruption via his sister. In a disguised attempt to foster reconciliation, the current Thaksin regime passed an amnesty bill designed to pardon protesters from all sides for engaging in political expression. At 4:25am on a Friday night, the Thaksin-controlled Parliament revised and passed the third version of the bill that would pardon all politicians ever charged or convicted of corruption since the coup. The revised bill also provided for the return of assets seized. To state the obvious, this law was passed solely to pave the way for Thaksin's return as a free man with all his wealth restored.

In a ploy to control both Parliament and the Senate, Thaksin's current government attempted to amend the Senate structure and bar appointed senators. To ensure balance of power, the Senate comprises professionals from all sectors, such as law and science. Eliminating this system would result in Thaksin's party controlling all legislative power without any checks and balances. The amnesty bill can then easily pass. The Constitutional Court struck down this measure. Nevertheless, Thaksin's government openly declared that it would defy the court's decision.

It is this blatant, systematic policy of corruption and abuse of power solely for the benefit of Thaksin that fuelled Thai citizens to stand up and say enough is enough. The protesters want democracy. But first, Thaksin's dictatorship must be eradicated.

After a decade under Thaksin's regime, one thing has become clear. Our democratic system has failed us. It has allowed an authoritarian regime to usurp power and rob the wealth of the people. When a system allows for voter fraud and places corrupt politicians above the law, citizens must question this broken system. A true democracy requires transparency, accountability and proper balance of power.

We want democracy. And it is through this civil disobedience that we will achieve it.

Sincerely,

Vanina Sucharitkul

cc: Congressman Michael Turner



Vanina Sucharitkul is a Bangkok-based corporate lawyer specialising in international commercial arbitration and advising clients on a diverse range of commercial litigation and cross-border disputes across Southeast Asia involving commercial contracts, investigations and anti-corruption, joint ventures, construction and infrastructure projects, environmental contamination, and employment issues. Experience acting as counsel and advocate in arbitrations across multiple jurisdictions under the auspices of institutions including the ICC, SIAC, AAA and TAI. Admitted to the California Bar and currently a member of the International Court of Arbitration of the ICC.



T 14-4 タイ戒厳令施行(2014-1-22-1


インラク政権は1月22日からバンコクとその周辺の地域についに戒厳令を60日間発令した。しかし、これには軍の支持はえられず、もっぱら警察の力を借りることになった。警察も実力で反政府デモを排除する予定はいまのところ無いようである。もし、警察が実力行使を行いデモ隊に死傷者が出るような事態になれば直ちに軍事クーデターもありうる。

インラク政権は作戦本部を開設しているとみられるが、その陣容は以下の通りとなるとネーションは報じている。。

①インラク首相とチナワット一族のポジャマン・タクシン前妻とプアタイ党幹部が指揮を執る。背後にはタクシンが控えて作戦と指示を出す。

②首相秘書官スラナンド(Suranand Vijjajiiva, 国家治安評議会事務局長パラドム(Paradom Pattanatabutr)中将、国防省時間ニパット(Nipat Thonglek)大将。

③副首相兼外務相スラポン(Surapong Tovichakchaikul), 副首相 プラチャ(Pracha Promong),および首相府事務局長トントン(Tongthong Chandransu)、官房長官、国家評議会事務局長。

④プロミン(Dr. Prommin Lertsuridej)、ボキン(Bokin Bhakakula)、プムタン(Phumthan Wechayachai)がプアタイ党のシンクタンク・メンバーとしてアドバイスする。彼らがインラク首相のブレーンである。

⑤タクシンの妹ヤオワパ(Yawowapa Wongsawat)は副首相のポ^ンテェップ(Pongthep Thepkanjana)、ヴァラテェープ(Varathep Rathanakom) とヤオワパの夫で元首相のソムチャイ(Somchai Wongsawat)
がロビー活動を行う。ソムチャイは元法務官僚でもあり、司法当局への働きかけを行う。

⑥それ以外にナパドン(Nappadon Pattana)moto外装・弁護士とウィト(Wichit Plangsrisakul)が赤シャツ代表で参加する。


T 14-5 憲法裁判所は「選挙延期」は可能という裁決(2014-1-25)

1月24日(金)、憲法裁判所は選挙管理委員会から「選挙延期の可否」を求める提訴に対して、「選挙管理委員会と選挙管理内閣」の合議により延期は合法との判決を示した。インラク首相は反政府デモが中止され、民主党も選挙をボイコットしないならば延期してもよいという判断に傾いているという。(バンコク・ポスト記事参照)

しかし、反政府側はそのような要求は受け入れられないであろう。反政府デモ(PDRC)の要求はあくまで「タクシン体制の一掃」であり、プアタイ党が勝利するいかなる選挙にも反対であり、インラク首相が辞任し、いったん「指名制度による政権を樹立し」政治改革法案をまとめ、国民投票を実施し「政治改革がまとまった後」でなければ選挙をやっても無意味だという主張は取り下げないであろう。

2月2日の選挙を強行しても、政治的混乱状態は収まらないことも確かである。延期の期間はせいぜい3か月程度であろうが、その間に「政治改革」なるものが完成するはずもないし、「タクシン政権主導の政治改革では改革」の意味をなさない。

「選挙さえやればよい」という外国政府の考え方はPDRC、バンコク市民には受け入れられない。あくまで民主選挙のための「地ならし(level playing field) 」が先行されなけれならない。


T 14-6 選挙は無事終了するも無効の公算大(2014-2-6)

2月2日の選挙は大きな暴力行為なしに何とか終わった。しかし、反政府デモの選挙ボイコット・キャンペーンもあって南タイでは事実上選挙ができない県がいくつも出てきた。全国の投票率は47.7%と前回の2011年の選挙の71%に比べ極端に低下した。バンコクでも投票場がデモ隊によって封鎖されるなどの事態があり、投票率は27%と異例の低さだった。(MCOTニュースによる)

28の選挙区では候補者が1人もおらず、また12,000か所の投票場で投票ができなかった。

 全有権者数 43,024,786   
 投票者数 20,530,399  47.7% 
 有効投票 14,645,812  71.3% 
 無効 2,458,461   12.0%
 No Vote 3,420,080   16.6%

上の表で’No Vote'というのは「積極的棄権票」ともいうべきもので、投票したいような候補者がいないという意見表示である。今回のれが16.6%にも達しているが前回は2.7%であった。民主党が選挙ボイコットしたことも響いているが、与党候補者に投票したくなかったという意思表示も含まれている。与党プアタイ(タイ貢献)党はかなり不人気で、北部や東北部でもかなり得票率が落ちているという。「米買い上げ」制度で得票率は上がると考えられていたが、昨年10月以降の政府の支払いが大幅に遅延して、農民の不満を買ったのが響いている。

選挙管理員会としては1月26日に行われた「期日前投票」が反政府デモによって投票できなかった人が多く出ているので2月26日に「期日後投票」を実施するかどうか検討中とのことである。ただし、投票日を2回に分けるということは選挙法に違反しており、また、それを実施しても総議席の500の95%の議員が集まらないと下院が開けないため、すでに28の選挙区で候補者はゼロであることから、選挙は無効になる。

どちらにしても下院議会は当面開く見通しが立っておらず、どうすべきか憲法裁判所の判断を仰ぐことになろう。

なお、下の表はバンコク・ポスト作成の地域別の表である。東北部でも投票率は55.31%にしか過ぎなかった。900万人の投票者中有効票を投じたものが730万人おり、そのほとんどがプアタイ党に投じたものと思われる(81%)。それが北部になると投票者477万人中、有効票を投じたものは56%と落ちる。タクシン支持票も東北よりは少ないものと考えられる。




⇒憲法裁判所は2月2日の選挙は有効と判断(2014-2-12-3)

憲法裁判所は前民主党国会議員ウィラート(Wirat Kanlayasiri, Songkhla)が起こしていた2月2日の選挙は憲法大68条に違反しているので無効だという訴訟について、根拠不十分だとして「合憲」の判断を下した。したがって残りの裁判は別途2月27日に行われることになる。同氏の主張は戒厳令の中で行われた選挙は政府の横暴であるというということである。また、同じ日に全国で行われ于べき選挙が実施されなかったことも憲法違反だと主張していた。

ただし、今後の補充選挙についての判断は示されていないために、選挙管理員会と、選挙管理内閣での責任の押し付け合いが起こるのは必至である。選挙管理員会としては投票当日デモにより選挙が実施できなかった選挙区のみで再選挙をやるという意向であったが、政府に対して候補者がいなかった28の選挙区でも投票するのであれば政府命令を出すべきであると主張している。


T 14-7 タイの2分割論がでる(14-2-9)


バンコク・ポスト(2月9日、電子版)に北部・東北部タイとバンコクを中心に2分割すべしという議論が出ているこれは元々は東北部にはラオ族が1,000万人いるといわれ、それがタイ王国に統合され、タイ化」された歴史的経緯があることと、赤シャツ運動のメンバーの多くがラオ族が多いという背景があるようである。彼らはバンコク市民から「愚か者だとか教育レベルが低いといってさげすまれてきた」というのだ。確かに進学率は東北農民は低い。

事実、今回のバンコクでの反政府デモノのさなかにパーヤオ(Phayao)県の国道の陸橋にとんでもない横断幕が掲げられた。



横断幕には「この国には正義がない、オレはこの国を分離すべきだと思う」と書かれていた。横断幕は4時間後に撤去されたが、犯人は捕まっていない。赤シャツ派の仕業に相違ないが、警察はバンコクの銃撃事件の時もそうだが、赤シャツとわかれば犯人を逮捕することはめったにない。警察自体がタクシン派が多いのと、捕まえたりするとあとの復讐が怖いからである。今回タクシンに覚えの芽出度かった警察幹部が一斉に昇進したという。

分離派の言い分は「チェンマイ」を首都として別の北部タイ政府を作るべしという。これに同調する学者もいて京都大学に来ているパヴィン(Pavin Chachavalpongpun)准教授は「South China Morning Post(香港の英字紙」に’A breakaway state is possible but without international recognition it is unlikely to happenn’(分離は可能だが国際的な認知は得られそうもない」と言っているという。国際的な認知があれば「分離」可能だといっているのである。

東都大学の東南アジア研究・センターは玉田芳史とうタクシン支持の教授がいることで知られるが、パヴィンのこの発言は研究所でのお勉強の成果でもあろう。それにしても国際的認知以前に「分離」して「自主財政」でやっていけるのか。パヴィン先生はそれはやれると考えておられるのであろう。あきれ果てた「研究者」である。

チェンマイの赤シャツ・リーダーでインラクと同じ学校で学んだというマハワン(Mahawang Kawang)はもし軍事クーデターが起こったら、チェンマイでインラク政府を作ればよいといっている。また、コンケーンで独立でタイの政治や法制史を研究しているというデヴィッド・ストレックファス(David Streckfuss)という学者は反政府運動の指導者スーテェプが政権を取ったら、「北部タイの分離」は深刻な課題となるだろうといっている。

また、この先生は「GDPの17%しか生んでいないバンコクに政府支出の74%が使われている」などととんでもない発言をしている。これはいくら独立の学者でもひどすぎる。タイの名目GDPに占める農業の比率はいまや11%にしか過ぎないのである。この農業所得も北部。東北部だけとればせいぜい6-7%にしか過ぎないであろう。

GDP全体で11兆7142億バーツ中農林業は1兆3514億バーツ(2012年)である。一方就業人口3941万人の中で農業部門の就業者は1543万人で39%も占めている(2012年)。いかに農業部門の生産性が低いかを物語っている。ちなみに2002年時点では就業人口3,426万人、うち農業1404万人で41%である。10年もたつのに農業就業者が2%しか減っていない。しかも絶対数では10%も増えている。タクシン政権はタイ経済の近代化に力を入れていなかった何よりの証拠である。日本の学者はタクシンを新興資本家の代表者として持ち上げてきたが、実はまったく無関係であった。

タクシン政権としては農村部に人口をとどめておいて、そこにポピュリズム政策で財政支出を行い、選挙基盤を維持強化してきたのである。

地方分権はタイにおいてもあるていどは必要であることは間違いない。知事の公選や地方議会も必要であろう。しかし、分離・独立などということで農村部がバンコクと南部・中部と切り離されたら、財政的に極度にひっ迫してしまうことは目に見えている。所得税はバンコクが75%負担しているのである。今回のコメ買い上げ制度だけで政府の計上支出の10%近くがつぎ込まれ、なおかつ農民への支払いが滞っているという。

インラク(タクシン)政権は行政能力が著しく欠如しているのである。合理的な算数の計算すらできていない。分離論などというのは「絵にかいた餅」ほどの価値がない。そういうことを論じている人は「白昼夢」を見ているに過ぎない。また、地方といえども商人階級やインテリ層は分離独立などとんでもないと考えている人は少なくないはずである。農民も国王に尊敬と信頼を寄せている人は多い。逆にバンコク市民にとっては赤シャツ強硬派などどこかに行ってくれと願っている人は多いであろう。


T 14-16,赤シャツの分離主義の動きに軍が厳重警戒(14-3-3-1

赤シャツ内部のタクシン狂信グループは北部・東北部はバンコクの中央政府に反旗を翻し、「民主主義の貫徹(タクシン独裁)」を徹底するために分離した政治体制を作るべきだという主張が公然化してきた。ただし彼らも「独立」とまでは言っていない。独立すれば、直ちに「財政的行き詰り」が目に見えているからであろう。上記のパーヤオ県以外にもピサヌロークでも「分離」を要求する横断幕が張られた。

最近はチェンマイで’Sor Por Por Lanna'(ランナー民主主義共和国)を掲げる団体が出てきた。赤シャツのインテリ幹部であるウエン(Weng Tojirakarn)は’Sor Por Por Lanna'は「ランナー人民独立共和国」とは違うのだと主張する。それは民主主義を守るための「ランナー議会(Assenbly)]なのだと言い訳をする。

赤シャツは「国を分離するという主張はしていない」というのがウエンの言い分である。もしそういうことをやれば、赤シャツの解体と幹部の逮捕・厳罰が待っていることを彼くらいのインテリならすぐにもにわかることである。

しかし、どう言い訳をしても’Sor Por Por Lanna'とはランナー(タイ東北部・北部)の民主共和国であるという意味には変わりなく。たとえばラオス人民共和国は’Sor Por Por Lao'である。しかし、’Sor Por Por 'というのは’Assembly for the Defence of Democracy'の略語で150人以上の学者が集まって作った「評議会」的なものであるとウエンは強弁する。

しかし、民兵20万人構想や、この運動を先導しているチェンマイの’Rak Chiang Mai(チェンマイを愛する)’グループは単なる学者の集団などではない。民主党などには暴力を伴う露骨な反対活動を行い、到底「民主主義を守る」などという代物ではない。また最近のバンコクのPDRCの集会場のステージで余興に歌や踊りを演じていたタレント・グループにはチェンマイのホテルやステージなどでの上演を禁止するというような大人げない措置を強制している。そもそも「殺人容認の民主主義運動」などありえない話である。

タイ国軍の第3軍(ISOC)司令官のプリーチャ(Preecha)中将は17県に知事を招集して事態の確認と情報収集を開始した。陸軍としてはこのような「分離主義」活動は違法であり、たとえ「象徴的」行動であっても、取り締まると宣言している。

民主党は憲法裁判所にプアタイ党の解党と執行部の政治活動禁止を提訴するとしている。プアタイ党の幹部であるチャルポン(Charupong Ruangsuwan)は赤シャツの集会で壇上から「分離運動を実践する」と宣言したという。民主党としてはこれは「国家反逆罪」にあたるとして、NACC8汚職防止委員会)にチャルポンを取り調べるように要求するであろうといっている。

また、軍としては赤シャツ武闘は幹部のコー・テ-(Koh Tee・Witthipong)がワラ(Wara Boonyarit)少将とソングウィット(Songwit Nunphakdi)taisaをとっ捕まえろと赤シャツメンバーに指示を出していた。コー・テーはバンコク市内のテロにもかかわった疑いをもたれ軍も行方を追及しているという。


⇒空軍司令官がコー・テの逮捕を要求(14-3-6)

空軍のプラジン(Prajin)司令官はパトゥム・タニの赤シャツリーダーのコー・テ(Wutthipong Kachathamkhun=Ko Tee)がドン・ムアンに分離キャンペーンの横断幕をかけたとして首都警察長官のカモンウィット(Khamronwit Thoopkrachange)中将にコー・テの逮捕を要求した。

プラユット陸軍司令官もコー・テの逮捕を求めている。コー・テはPDRC幹部の暗殺にも関わっている容疑をもたれている。もっとも戦闘的な赤シャツ幹部である。

コー・テの言い分は横断幕で「分離を主張したわけではなく、プラユット陸軍司令官を批判しただけだ」と主張している。

コー・テは首都警察長官とは「親しい関係」にあるとされている。

T 14-8 タクシン、ビルマでスーテップ他の殲滅の祈祷(2014-2-11)

タクシンは先週突如ビルマのヤンゴンにやってきて、反政府運動のリーダーであるステープや高僧ルアン・プ^・ブッダ・イッサーラなどの殲滅を祈願する祈祷会をマンダレーの寺院で開いた。それにはタクシンも義弟であるソムチャイ元首相や多くのプアタイ党の前国会議員が参加したという。タクシンは今回の選挙をさいごまで戦い抜くことがタイの民主主義を守る道がと訓示を垂れたという。要するにインラク首相の退陣は認めず、トコトンやり抜くことを誓ったということである。

しかし、ブッダが誰の見方をするかは明らかである。タクシンはこの種の祈祷やブラック・マジクの類が好きだという。ただし、今回はタイの高僧も相手なのでうまく通用するであろうか?今回もタクシンはマンダレーにいる有名な占星術師のところにいって占ってもらったと地元紙(イラワジ)が報じている。これをなぜかポジャマン夫人が否定している。理由がよくわからないが、何か不都合なのであろう。

タクシンは合理的な思考とか「他人の意見に耳を傾ける」ようなことが苦手な人物だと思われているが、占星術師のいうことは聞くというのでは世間体が悪いとでもいうのだろうか?



(バンコクポスト、2月11日電子版より)


T 14-9,反政府デモへの資金援助を行った企業19社の名前が漏れる(2014-2-12-1

CAPO(The Center for Maintaining Peace and Order=平和と秩序秩序維持委員会)は戒厳令の執行機関であるが反政府デモ(PDRC)に対して資金援助を行っていた企業と個人の内定を進めており、容疑が固まったとして公表の段階に来ていたが、差しさわりがあるとして公表を控えていた。

ところが、裏でそのリストを新聞社に渡したと見えてバンコク・ポスト(2月12日・電子版)がリストを出してしまった。
Saha Phathanapibul Plc. Gaysorn Plaza, Siam Paragon Department Store, King Power Group, Dusit Thani Hotel, Siam Intercontinental Hotel, Riverside Hotel, Mitr Phol Group, Wangkanai Group, Boon Rawd Brewery,Thai Biverage Plc, Yakult(Thailand) Co., Neptune Co., Thai Namthip Co., Muan Thai Life Assurance, Hello Bangkok co , Metro Machinery Co.,。


その他個人名が13名上がっているが実際はかなりの数に上るであろう。日系ではヤクルトの名前が挙げられている。,トヨタの名前も出ていたらしいが上記には含まれておらず、トヨタのプラモン会長も金は出していないと言明している。サハグループもCAPOを名誉棄損で訴えると息巻いているが、何しろ公式発表のリストではないところが弱点である。

また、Boon Rawd Breveryはかの「シンハ・ビール」の会社である。赤シャツのリーダーのクワンチャイが手下を引き連れて脅迫に行った会社である。オーナーの娘さんはPDRCの若きリーダーとして有名である。


⇒トヨタのプラモン会長宅に銃撃(2014-2-15

PRDCに資金援助をしたといわれるトヨタのプラモン(Pramon Sutivong)会長の自宅に15日午前3時ごろ銃弾5発が撃ち込まれたが、けが人は出なかった。これはプラモン氏がPDRCに資金援助しているという新聞報道に基づくタクシン派の嫌がらせとみられる。政府のCMPO(秩序維持回復本部)が調査したものに基づく情報をCMPOが自らは公表せず、新聞に「リーク」して間接的に公表したものである。

CMPOの調査自体に批判があつまっているが、さらに調査を強化するといっている。この場合、名指された個人や企業は資産凍結や4万バーツ以下の罰金を科せられるが、それ以外に個人的にタクシン配下の暴力集団からの攻撃を受ける可能性がある。


T 14-10 アピシット民主党党首、選挙復帰宣言、新首相には各党が合意できる人物を(2014-2-20)


バンコク・ポスト(2月20日電子版)によれば民主党はやり直し選挙には参加の用意があると宣言。当面の首相には各党が合意できる人物を充てるべきで、アピシットは首相にならなくても構わないといっている。今の政治的空白は長く続けられないので新政府をスタートさせ、政治改革を行うべきだとの主張である。

今までのプア・タイ党はタクシンの無罪放免や「利権確保」を目指したものであり、それは多くの、今となっては国民が望まない政権であった。民主党はその理想とする政治が北部や東北部で正しく理解されていなかった。民主党としては「政権獲得」という党利をいったん捨てて、「新政府」成立に協力する用意があるという宣言である。

これにプア・タイ党が反発してあくまで「タクシン政権」の維持に固執する理由はないであろう。今回のアピシット宣言によってタイの政治は新しい方向に向かってスタートが切れる可能性が出てきた。


T 14-11 赤シャツは「反政府デモ」に対抗する大衆動員宣言(14-2-23)


赤シャツ集団は2月23日(日)にナコン・ラチャシマに全国から幹部4,000人を招集して、インラク(タクシン)政権を崩壊寸前にまで追い込んだPDRCを中心とする「反政府集団」に一撃を加えるべく、戦闘開始を宣言するという(バンコク・ポスト、2月23日電子版)

赤シャツの攻撃にはPDRCも武装した警備員が警備しているために、細心の注意を要するが、赤シャツには警察(トマト)と軍隊の一部(スイカ=表は緑だが中は赤)もついているので、いざというときには心配いらないと、赤シャツのリーダーで商業省次官を務めるナタウット(Nattawut Saikuar)は息巻いている。ナタウットは2010年の4-5月の赤シャツ騒動の時に強硬派リーダーとしてタクシンの命を受け大活躍をした当事者で、その時の裁判が継続されており、目下保釈中の身分である。赤シャツに暴力をそそのかしたとあれば直ちに保釈取り消し・再逮捕される可能性がある。

赤シャツの作戦としては大衆動員によって「素手」で軍事施設を封鎖するという。PDRCと全く同じ手法を用いるのだという。ただし、彼らにはかねて用意の「黒シャツ軍団」が控えており、PRDCと対決する場面では何をやらかすかわからない。

勿論赤シャツの武闘組織・黒シャツ軍団の動きで混乱状態が悪化すれば「軍の介入」もありうる。タクシンの思惑としては、むしろこの際「軍事クーデター」を起こしてもらったほうが、自陣の引き締めには役立つと考えているフシがみられる。今週が最後の山場かも知れない。赤シャツにはかなりの資金が渡っている模様である。軍事ク^デターがおこれば「コメ買い上げ制度」の失敗をウヤムヤにできる好機だとみているであろう。


T 14-12 60%が中立の首相を望む(14-2-26)

NIDAが2月24-25日におこなった全国1650名のアンケート調査によれば、60.3%が「中立の首相」が望ましいと答えた、31.1%が首相はあくまで選挙の結果によってえらばれるべきだと回答した。中立の首相で望ましい人物はアナン元首相が27.82%でトップ、23.27%がコメントなし。18.55%が適当な人物はいない。6.36%がスリン前ASEAN事務局長(元民主党政権外相)であったという。大多数がプアタイ党は政権担当する力なしとみている結果であろう。

また、政治的な話し合いが非公式に行われている。プアタイ党のナンバー2のソムチャイ元首相(タクシンの義弟)とPDRCのリーダーのルアン・プー・ブッダ・イサーラ(高僧)が選挙管理委員会議長のソムチャイ立ち合いのもとで2月5日と2月24日(月)に会談を行っていたことが明らかになった。会談の内容は明らかにされていないが、何も進展がなかったことだけは確かである。

一方で、赤シャツのほうは全国決起集会(23日)など開いて「戦意を高めて」おり、ナタウットは北部と東北で独立した政府を作るべしとか、幹部のスポーン(Suporn Attawong)は20万人の「村の若い衆」を集めて軍事訓練をほどこしPDRCをタイから追放すべしなどと息巻いているという。(BKK Post2月26日電子版) 両人とも正常な感覚とは程遠い。

また、軍は軍事パレードに備えるとしてドンムアン空港に戦車部隊を結集しているという。軍事クーデターについてはプラユット陸軍司令官は再三否定しているが、これが現状打開の近道であることは確かである。いくら話し合いを行っても肝心のタクシンは「政治利権」をあきらめるというタイプの人間ではない。彼の今までの政治キャリアーのなかで「合理的な話し合い」を行ったことは一度もないはずである。

2010年4-5月の赤シャツ騒動の時も、何回も妥協寸前までいったが、その都度タクシンがぶち壊し、最後は軍に銃撃戦を挑み、敗北するやショッピング・センターを焼打ちした。その後「50%の高額でコメ買い上げを行なうという」約束を米作農民にして2011年の選挙で圧勝した。東北各地に「赤シャツ村」を2万か所も設置して来るべき選挙に備えている。赤シャツ村設置に協力しなければ政府からの「補助金」を出さないというオドシもかけているという。したがって「民主選挙」大歓迎なのである。今回の米買い上げ代金不払い事件でだいぶミソを付けたが、なお熱烈なタクシンびいきは多いとみられる。


T 14-15 PDRCはバンコク封鎖体制を解除、ルンピニ公園に集約(20114-3-2)

PDRCは1月13日からバンコク封鎖体制を敷いてきたが、一応の目的は達したとして7か所の主要交差点の封鎖を解き、集会場を3月3日からルンピニ公園に集約することとした。しかし、チャン・ワタナを封鎖しているルアン・プ・ブッダ・イッサーラ師はまだ時期尚早としてどう交差点の封鎖を続けるとしている。

また、国営企業労組会議は内務省前のキャンプを続け、学生・人民改革ネット・ワ-クはチャマイ・マルチェット橋において中央政府地域の「制御」を続けるとしている。

PDRCの今後の目的としてはインラク首相の退陣とタクシン系企業への攻撃を行うとしている。

反政府デモ開始以来2月末までの死者は23名(うちバンコクは20名)、負傷者は768名(バンコク725名)に及んでいる。


T 14-18 2.2兆バーツの大型プロジェクトに違憲判決(2014-3-12)

インラク政権が強行突破を図った2.2兆バーツの大型プロジェクトについて、憲法裁判所は3月12日に違憲判決を下した。これはバンコクと地方を結ぶ高速鉄道計画で、タクシンが最も期待していたプロジェクトである。下院の絶対多数を背景に、プロジェクトの全体構想につき、下院を通過させ、あとはインラク政権と財務省(政府のいうがままに借金をする)の裁量で海外などから大金を借り入れ、個別案件については議会の、チェックを受けることなく行政機関が勝手に計画を進めるという「透明性」を全く無視したやり方である。

これに対して民主党は透明性のない運用は汚職につながり、個々の案件も第3者のチェックを受けないまま中国企業などへの「特命発注」につながりかねないとして、憲法169条、170条などに違反するという提訴が起こされていた。

インラク首相はこのプロジェクトが違憲ということになれば交通インフラは大幅に遅れることになると強い懸念を表明していた。

しかし、巨額プロジェクトが議会などで詳細なチェックを受けず、不透明なまま進めることは法治国家である以上そもそも無理な話である。ラオス国境からタイ東北部を縦貫してバンコクにつながる高速鉄道は、すでに中国企業が受注したかのような雰囲気になっており、既成事実化が進行中であった。

この違憲判決でタクシンの意図は覆されることになった。タクシンは現在北京に滞在していることが多く、最近もプアタイ党議員が北京にタクシンを訪問し、タクシンからプアタイ党国会議員は「おとなしすぎる」とハッパをかけられたばかりだという。政府の中心人物が国に逃亡していて、そこから重要課題について指示が出されるなどというのはどう見ても普通の「民主主義国家」とは考えられない。

インラク政権になてからは汚職が急増していると、最近のアンケート調査にも示されており、インラク・タクシン政権の正統性を疑問視する声は高まっている。全国の9つの大病院で「汚職政治はノー」という横断幕を掲げたら、赤シャツはケシカランといって抗議しているという。それなら「汚職政治はイエス」という横断幕に切り替えたらいいのかという皮肉な意見も聞かれるという。「タイでは汚職は当たり前」などと言う日本のタイ通の学者もいるが、そういう情勢は消滅しつつある。

タイのCSI(Corruption Situation Index=汚職状況指数)の2013年12月の調査では75が汚職はふえていると回答し、2012年に比べ12ポイント増加しているという。タイ商工会議所大学んのサワニー(Sawanee Thalungroj)学長はCSIの取りまとめ結果として2010年以降汚職は深刻化していると語った。インラク政権になってから汚職は急増しているというのである。

昨年10月以降のバンコクにおける反政府デモの盛り上がりは、汚職の増加に対する指紋の反発が強まっていることを意味している。タクシン派の論客(3月12日のSongkran氏の寄稿)は、最近PDRCのルンピニ公園におけるデモ参加者が急減しており、PDRCの運動は失敗に終わったなどと喜んでいるが、目下は一時休戦状態にあるだけである。


この違憲判決に対するチャドチャイ(Chadchai Suttipunt)交通相の反論は「この判決は技術的な(あるいは手続き論)であって、2兆バーツ・プロジェクトそのものを否定しているものではない。」などと的外れなコメントをしている。

インラク首相は「国を発展させる重要なプロジェクトが司法のてによって阻止されてはたまらない」といった感情的なコメントをしたという。(バンコク・ポスト、3月13日電子版)

実際問題として、高速鉄道が必要な区間もあるだろうが、タクシンが北京でアレンジして、早急に進めるようなニーズは今のところないであろう。民主党のいうように、現有軌道を広軌と複線化してからやれば十分である。今でも鉄道の稼働率が低く、列車の本数が足りないために、汽車の切符も買うのが大変難しく、いつも満員である。国民は高速バスとミニ・バスに頼っている。タイは道路が比較的よく道路が整備されているのでとりあえずは自動車輸送で間に合っている。

それより、まずやるべきは列車の増強である。貨車の絶対数が少なく、運用も非効率である。そこにいきなり2兆バーツはありえない。段階的に鉄道を強化していけば十分である。高速鉄道化しても運賃が高ければ貧しい人は利用できない。もっと、現状の改善からスタートして、段階的にやるべきである。タクシンとしては一挙に2兆バーツの契約を決めて、大金を稼ごうという狙いがあったことは最初から見え見えなのである。タイ国民はそれが頓挫したにすぎないとみている。このことで悲しんでいる国民は決して多くはない。もっとも悲しんでいるのはタクシンであろう。

この違憲判決でタクシン一派は大打撃をこうむっているという。というのは新幹線が通るというので沿線の土地を買い上げ値上がりを待っていたが、それが今や一斉に値下がりに転じているという。汚職で稼いだ金で、土地投機でさらに稼ごうとした彼らの野望は潰え去った形となった。彼らが日本の学者がいう、旧勢力に対抗する「新興勢力の資本家」なのだから聞いてあきれる。


T 14-19 赤シャツのリーダーが武闘派のジャトポンに交替(2014-3-17

赤シャツは3月15日(土)アユタヤで集会を開き、議長がティダ女史から武闘派の刑事被告人ジャトポン(Jatuporn Promphan)に交替した。書記長には同じく武闘派の刑事被告人ナッタウット(Nattawut Saikuar)が就任した。両人とも2010年1-5月の赤シャツの暴力デモを指導し、軍人殺傷、ショッピング・モール放火などのの罪に問われ、現在保釈中である。国会議員であるために現在は保釈中であるが、国会議員の資格を失ったり、国会の閉会中は何時でも拘留される可能性がある。有罪となれば相当長期の禁固刑が言い渡される可能性がある。

タクシンがこういう人物を赤シャツのリーダーに据えたということは、今が勝負どころとみて、今後も武闘路線を強化・継続するということを宣言したものと受け止められている。今後は「市民戦争」に突入する可能性が出てきた。

事実パトゥム・タニ県の赤シャツ・リーダーでテロ事件を指導していると見られているコー・テーは「武器の備蓄をはじめ、軍隊と対抗、いざとなれば略奪行為も辞さない」という物騒な宣言を発している。タクシン一家のエゴイズムのために無知な国民が動員される仕掛けが着々と整っているのである。


T 14-22 2月2日の選挙は無効ー憲法裁判所判決(14-3-20-1)


憲法裁判所は2月2日に行われた下院議員選挙は28選挙区で候補者があらわれず、選挙は無効であるとの判断を染めした。評決は6対3で、有効とした判事が3名いた。

民主党はこの選挙をボイコットしたが、次に行われる選挙には候補者を立てるとアピシット党首は言っていたが次もボイコットする可能性があると同党の広報担当のチャヴァノン(Chavanond Intarakomalaysut)は言っている。2回連続して候補者を立てないと「解党」命令が出されるという。

やり直し選挙の日程は決まっていない。60日以内に選挙日程をきめなければならないという規定があるようだが、全政党が合意しなければそれも延期可能なようである。

民主党のアピシット党首は前から、結果はどうあれ次の選挙には参加すると言明していたが、PDRCのステェープ議長はあくまで「改革優先」と言っている。民主勢力内部の調整も手間取りそうである。



この写真は「民主の塔」にタクシン派が「民主主義は死んだ」として、塔全体に黒い布をかけたものであるが、反政府派の学生運動の活動家がすぐさま取り払ったという新聞記事が出ていた。「民主主義を殺した」のは憲法裁判所ではなくタクシンその人とその取り巻きである。「民主主義」は選挙だけで成り立っていないというのは米国国務長官ケ^リーの最近の言葉でもある。


T 14-24 上院選挙77議席中プア・タイ党など与党系が40議席を占める(14-4-1-1)


3月30日に行われた上院議員77議席(各県から1名)のうちプア・タイ党を中心とする与党系が40議席を占めた。民主党はその半分の20議席にとどまり、残り17議席は「旗幟が明白でない」、中立系の議員である。ただし、任命議員が73名おりこのうち、タクシン系とみられる議員が13名で残り60名は反タクシン系とみられ、范師蔓タクシン系は80議席を確保している。しかし、過去には反タクシン系も買収され「寝返った」例もあり、与野党の議席差は少ない。

自分に確たる信念があって、一貫した政治姿勢を貫く上院議員がどれだけいるかが問題である。

与党の上院議員はほとんどが北部と東北部の選出である。小さい農業県が多く、一方バンコクも1議席であり、1票の格差は極めて大きい。これから、選挙管理委員会の当選認定を受けてから、上院議会が開かれ、誰が議長に選出されるかが問題になる。




(バンコク・ポスト作成、14年4月1日電子版)


T 14-25 インラク首相、国家公安委員会タウィル事務局長人事で憲法裁判所が訴追受理(2014-4-3


憲法裁判所は4月1日、28人の上院議員から、提訴されていた国家公安評議会事務局長のタウィル(Thawil Pliensri)不当解任事件でインラク首相の「職権乱用」罪につき、訴追を受け入れることを決定した。インラク首相は2011年に首相のの座に就くや否や、国家公安評議会(NSC=Natinal lSecurity Council)の事務局長を解任し、警察長官のウィチエン(Vichien Pojposri)と交代させ、次いでポジャマン・タクシン夫人の弟のプリューパン(Priewpan Damapong)警察大将が就任し、最近はパラドン(Paradorn Pattanabut)中将が就任していた。

この人事の発端は目的はタクシンが自分の意中の人物を警察長官に任命したいとして、当時警察長官であったウィチェンをNSC事務局長に横滑りさせ、タウィルを解任するという、「玉突き人事」であった。

ターウィルはNSC事務局長を解任されたのちに首相府顧問という名目上の役職を与えられていたが、解任を不服として行政最高裁判所に提訴していた。どう裁判所は2014年3月7日にインラクがとったタウィル更迭は「正当な理由がなかった」として復職を命ずる判決を下し、現在タウィルはNSC事務局長の地位に返り咲いている。タウィルの更迭は憲法違反だとしてパイブン(Paibul)上院議員28名が「首相の義務違反=職権乱用」だとして憲法266条と268条に違反した憲法裁判所に提訴していた。

これに対しインラクは行政府の長(首相)は公務員の人事権は首相にあると反論している。インラクが有罪と決まれば首相の地位を降りねばならず、政権は崩壊する。

これ以外にインラクは「コメ買い上げ制度」に伴う義務違反でNACC(汚職防止委員会)からも訴追を受けているが、膨大な証拠書類のやり取りがあり、結審までには相当な時間を要する。このタウィル事件のほうが、先に結論が出るという見方をされている。いずれにせよインラク首相の降板は近いと見られている。

これに対し赤シャツ集団は司法による介入は許せないとして直接行動に出ており、NCCAの事務所を赤シャツは取り囲んでおり、数日前も手りゅう弾を2発投擲した。


T 14-26 インラク首相に違憲判決、9閣僚辞任(2014-5-7)

タイ憲法裁はインラク首相(選挙管理内閣)が28人の上院議員から、提訴されていた国家公安評議会事務局長のタウィル(Thawil Pliensri)不当解任事件でインラク首相の「職権乱用」罪につき、訴追を受け入れ、審議していたが、5月7日満場一致でインラク首相の「有罪」を認める判決を下した。同時に他の閣僚も9名が有罪となり、9名の閣僚が辞任を余儀なくされ、残った副首相のニワタムロン(Niwatthamrong Boonsongpaisam)商業相兼務が首相の職務を引き継ぐことになった。

選挙管理委員会としては下院議員選挙を7月にも実施すべく、各党と調整に入ったが民主党は選挙に参加するかいなかを決めていないといわれる。問題は、北部と東北部の農民票を固めているプアタイ党が7月の選挙でも勝つと見られ、そうなるとタクシン政権はいつまでも継続し、バンコク市民などの都市部の中間階級の不満は収まらないとみられる。

プアタイ党は早くも選挙対策として全国一律の最低賃金を1日300バーツから380バーツに引き上げる政策を提示しているといわれる。その狙いとするところは農民層の農村離れを食い止め、選挙戦を有利に進めることにあるといわれている。

タクシンが政権にしがみつく理由は、「政治はカネになる」という単純な信仰から、汚職事件や2010年のテロ事件などの罪を一切赦免されタイに無事帰国し、場合によっては「独裁政権」の獲得を狙っていることにあるとされる。それには農民層の票が絶対的にかかせないものであり、工業化の進展によって農民層が都市部に流出するのを避ける政策を一貫して過去10年以上とってきた。

タイの近年の経済不振や昨今の政治的混乱はタクシン個人の利益と密接に結び付くものであることは明らかである。逆な見方をすればタクシンが政治に見切りを付け余計な策動をやめれば、タイの抱える政治・経済の問題は大部分が解決されるともいえるのである。タクシンも早く「年貢を納める」べきである。

辞任する閣僚はスラポン副首相兼外相、プラチャ副首相、プロプラソップ副首相、キリラート副首相兼財務相、サンティ内閣府担当相、ユタサク副国防相、シリワット農業相、アヌディット情報交通相、チャレム労働相。

⇒コメ買い上げ制度についても有罪ー上院で弾劾裁判(2014-5-9

汚職防止委員会(NACC)はインラク政権のコメ買い上げ制度にまつわる汚職について制度運営委員長のインラク首相の監督責任について有罪という評決を7-0の満場一致で下し、インラク前首相の「弾劾裁判」を上院で行うことを決定した。

上院では来週から審議に入る予定である。上院は45日以内に評決を下さなければならない。

この2つの判決を不服としてタクシン支持派は4件の爆弾事件を起こしている。いずれも死傷者は出ていないが、タクシン派の内戦開始を告げるノロシとも受け止められており、内戦回避を理由とする軍事クーデターの可能性も出てきた。赤シャツは5月9日からバンコク周辺で大衆行動を起こすと宣言している。


T 14-28, タイ陸軍全土に戒厳令布告、当面軍事クーデターはなし(2014-5-20-1)

タイ陸軍司令官プラユット大将は5月20日午前3時、タイ全土に「戒厳令」を施行した。当面は報道管制とバンコク市内などに陸軍を展開し、テロ派生を防止する措置にとどまっている。現在の選挙管理内閣には政治を継続させている。軍はPeace and Order Maintenance Command(POMC)を組織した。

その背景は5月15日になっても赤土シャツ派テロ組織はテロ活動を止めず、警察も事実上放任していることからテロがエスカレートする事態を食い止めることに狙いがある。今回の戒厳令がすぐに「軍事クーデター」には直結しないが、赤シャツ派はすでに独自の民兵組織やテロ集団を持ち、武器もバンコク周辺に大量に隠匿し、場合によっては警察も「奪われたと称し、武器を彼らに供与する」可能性もある。警察が赤シャツの武器を隠匿しているという噂さえある。

陸軍は「CAPO」と称する政府が組織していた治安維持組織を解散させた。CAPOは最近になってもなお反政府組織PDRCの幹部30人に対する逮捕状を請求し、強行弾圧の構えを崩していない。しかし、これらの逮捕令状は執行されないとPOMCは宣言した。

インラク首相が辞任した後任のニワタムロン(Niwatthamrong Boonsongpaisam)首相代行はもともとタクシンの会社シンコーポレーションの経営者としてタクシンに使われていた人物で、今回もタクシンの指示を受け、PDRCへの強硬策をとりつつあった。それに呼応する形で赤シャツ武闘派が動き始めたことは確かである。その象徴的事件が5月15日のテロ事件(死者3名負傷者22名)であった。

赤シャツは5月20日もバンコクで集会を開いており、それを軍隊が遠巻きに包囲して監視しているという。一般市民や旅行者にはさしあたり何の被害もないが、赤シャツの武力を伴う抵抗はかなり長期的に続く可能性がある。

赤シャツの委員長に最近就任したジャトゥポンは現在は保釈中であるが、保釈条件に違反して「政治活動」を行っているとして保釈の取り消し処分を受けた。彼の身柄が拘束されるかもしれない。赤シャツ武闘派の武器は2010年の4-5月の騒動の時もそうあったが、軍隊と同じM16やAK47自動小銃である。それ以外に手りゅう弾投擲器や迫撃砲弾もかなり保有しているとみられ、軍も警戒感を強めている。

なお、PDRCは5月20日以降のデモは取りやめたという。集会拠点をルンピニ公園からラチャダピーセックに移した。


T 14-30 タイで軍事クーデター(2014-5-22)


タイで軍事クーデターが起こった。国民の大多数が望んだことであった。5月20日の戒厳令の布告時にはプラユット陸軍司令官は「軍事クーデター」はないと言明していたが、それを信じていた人は少なかったであろう。実際問題としてタクシンがあきらめない限り「妥協」などは最初からありえなかった。PDRCもそれは最初からわかっていた。

軍と警察はNational Peace and Order Maintaining Commission (NPOMC=国民平和と秩序維持評議会)を組織し、王室に関する条項以外の憲法を停止した。警察はタクシン派幹部が実権を握ってきたが、軍主導のもとで人事異動が行われるであろう。また、当面はプラユット陸軍司令官がNPOMC議長として行政の全権を掌握するが、近く首相と閣僚が任命されることになろう。

2010年4-5月の赤シャツ騒動の時も何度も妥協寸前までいったがタクシンが首を縦に振らなかった。その結果5月10日の軍と赤シャツとの銃撃戦になり、さらに死者が増えた。挙句の果てが商業地区の中心部への大放火事件になった。タクシンは市民に社婆が出ることなど最初から「大した問題ではない」ということである。彼が「貧民対策」を行ったことは確かだが、それはあくまで「選挙対策」であり、その青写真は元共産党員が作成した。

タクシンのブレーンには元共産党員が少なくない。赤シャツ議長を最近までやっていたティダ女史やその夫のウェンも元共産党員でジャングルに隠れて武装闘争をやっていた。彼らはタクシンが「独裁エゴイスト政治家」と知りながら協力していた。ポピュリズム政策が品王君政の福祉につながると考えていたのであろう。実に愚かな考えだ。

タクシンは2011年の選挙で北部・東北部の米作農民に「コメ買い上げ制度」の復活を約束していた。それも従来の市価の40~50%高という非常識なものであった。高額なコメの価格では輸出も減る一方で、政府の手持ち在庫が2000万㌧近くにまで膨らんだ。現在は国際市場で投げ売りを行っているが、農民への支払いも延期せざるを得ない状況になった。農民優遇策によってタクシンは農業人口の工業部門への移動を阻止し、自分の票田の維持につとめた。

その結果、タイの工業化は相対的に遅れた。成長率も鈍化していた。タイ経済全体が変調をきたしていたのである。日本の学者やジャーナリストでそういう視点で物事を見ていた人物は誰もいない(いたらゴメンナサイ)。民主党は選挙に勝てないからダメダメだという意見ばかりである。朝日の柴田某などその典型である。タクシン政治の問題点など指摘した日本の学者・ジャーナリストは見たことがない。

欧米のジャーナリストはタクシンに「買収されていた」人物の噂は絶えなかった。日本人はもちろんそこまでタクシンには重視されていない。彼らは自分の思い込で愚論を開陳してきたに過ぎない。朝日テレビを先ほど見ていたが、彼らも全くことの本質がわかっていない。薄っぺらなジャーナリストというのが偽らざる印象である。いざことが起これば彼らは必ず国民を裏切ると私は見ている。

インラク政権はそれ以外にも失政の連続(上記書き込み参照)であり、すでに政権の体をなしていなかった。閣僚もコレといった人物はいなかった。タクシンに昔恩義を売ったというような元証券取引所所長とか、タクシンの会社の番頭とかである。犯罪を犯して海外に逃亡しているタクシンに、何事によらず指示を受けているような政権は本来ありえない。

今後は軍による政治が行われるが、それはただちに「民主選挙」のための準備ということにはならないであろう。日本とは違う意味での「学識経験者や良識ある人物」がそろっているので、「賢者による政治」が続くことになるであろう。それがいい政治をやればそれでいいのだ。間違っても軍人が自分のエゴのための政治をおこなう気遣いはない。

投票民主主義にかわる「民意の吸い上げ」が行われるであろう。タクシンのポピュリズムは結局それを「享受したはず」の農民からも失望を買う結果となった。

今回のクーデターで赤シャツ派が反乱を起こ洲などといわれていたが、とてもそんな実力はない。夜陰に紛れて、善良な市民を殺害するのが精いっぱいのところであろう。国軍と一戦を交えたら、全滅するだけである。彼らは基本的にマフィアの手先にしか過ぎないのである。弱いものいじめが彼らの本領なのである。

クーデター後は政治も経済もスッキリ安定しくと私は見ている。20万人の民兵を組織して、バンコク政権から独立するなどという寝言を行っていた政治家もいたが、いったい税金を誰から取るのだろうか。現在のタイは税金の75%をバンコクの市民と企業から集めているのである。タクシンのポピュリズムはバンコク市民が収めた税金を使って農民にバラマキ、ついでに自分たちのフトコロを暖めてきたのだ。独立などしたら、汚職の財源そのものがなくなってしまう。


T 14-31 プラユット陸軍司令官が全権掌握、上院も解散(2014-5-25)

National Peace and Order Maintaining Commission (NPOMC=国民平和と秩序維持評議会)の議長のプラユット陸軍司令官が首相として全行政権を掌握した。憲法は王室関係の条項を除きすべて破棄された。5月26日には国王からの認証を受けた上院は残されるという噂があったがこれも解散させられた。

クーデターに伴い報道管制(ほとんどのテレビ番組はすでに通常に戻っているといわれる)がしかれ、政治活動を目的としていた赤シャツのラジオ番組も停止命令を受けた。

前政権の幹部や御用学者に一斉に出頭命令が出され、出頭したものは拘束されているが、NPOMCはいずれも1週間以内に釈放される見通しだという。しかし、約30名ほどが出頭を拒否しているという。赤シャツ議長ジャトゥポンも出頭していない。彼は捕まれば2010年事件のテロ指導者としての裁判が待っている(現在は保釈中)。インラック前首相は5月23日に出頭し、身柄を拘束されていたが25日には釈放された(なお拘束状態は続いているという報道もある5月26日)。ほかの幹部も釈放されたものが多いという。

その中にはチャルポン(Charupong Ruangsuwan)前内務相とチャトゥルン(Chaturon Chaisang)前教育相がいる。チャルポンは東北地方に雲隠れして抵抗を続ける構えである。チャトゥルンは5月27日に逮捕され、彼は「軍事法廷」で裁かれるという。それだけ彼のタクシン政治に果たした役割は大きかったとみられているのである。チャトゥルンは元共産党員でタクシンのポピュリズム政策の立案者の中心人物だとみられている。彼の民主主義論は日本の赤木功先生から高い評価を受けていた。上記2名の銀行口座は凍結され、3月からの資金の出入りをチェックされるという。

それ以外に京都大学の大学院アジア・アフリカ地域研究科のタイ人の学者パヴィン(Pavin Chachavalpongpun)助教授(最近の新聞には教授という肩書になっている)が彼は出頭するつもりはないとのこと。同研究所の玉田芳史教授はタクシン擁護の論陣を長年にわたり、「日タイ協会」の機関誌に連載している。

ジャーナリストでは英字紙The Nationのベテラン記者プラヴィット(Pravit Rojanaphruk)氏が出頭命令を受け、これに応じたと伝えられる。最近のネーション紙はバンコク・ポストにくらべインラク政権寄りの記事がでたり、「都合の悪い記事」を書かなかったりしていたが、彼の影響かもしれない。軍部は彼のことを忘れていなかったようだ。

また、「スラムの天使」ことプラテェープ女史も出頭命令を受け拘束されているという。熱烈なタクシン支持者で2010年の騒乱の時は大活躍をし、一時日本に亡命していたが、帰国後は政治活動はしていなかったという。軍部は何かつかんでいたのかもしれない。

警察官僚でタクシン派と目されていた人物はこれからパージされることになるであろう。今回の一連のテロ事件でも犯人を一人も捕まえないという輝かしい実績は銘記されるべきものである。検問で武器を押収した警察官は地方に駐在していたものばかりである。警察官全員が赤シャツびいきではないことは言うまでもないが白昼PDRC幹部スティン氏が射殺された事件は警察官の目前で起こった事件であり、バンコク市民の非難が集中した。

やり玉に挙がっているのはバンコク警察庁長官のカムロンウィット(Kamronwit Thoopkrachang)やチェンマイ警察署長のキリット(Kirit Kittilue)警察少将など9名であるという。また、警察長官のアドゥル(Adul Saengsingkaew)は更迭され、首相府付となった。長官代行にはワチャラポン(Watcharapol)警察大将が就任した。

また、3名のビジネスマンが召喚されているという。大手ゼネコンのイタル・タイのプレムチャイ(Premchai Kanasutra)社長、不動産業のSansriのスレッタ(Srettha Thavisin)社長、Land and Houses Plc.のアナン(Anant Asavahokhin)会長である。

NPOMCの初仕事はインラク政権末期に農民に支払うべきコメ代金の残額をここ1両日に支払いを始め1か月程度で完了するという。財務相は500億バーツの借り入れ作業にかかった。

また、クーデターに反対する赤シャツ・グループがヴィクトリー・モムメントの近くに三三五五集まり始めているというが1000~2000名程度にとどまるという。また、ショッピング・センターのアマリン・プラザ前にも1000人ほどが詰めかけたという。赤シャツが組織したとされる「20万人の武装民兵団」の動きは目下のところ報道されていない。

5月7日の報道ではデモ参加者(PDRCも含む)数千人は一人250バーツをもらって郷里に帰ったという。バスでフア・ランポン国鉄駅、エカマエとモーチットのバスターミナルにそれぞれ送られたという。200バーツが交通費で50バーツが食費だという。



(Bangkok Post 電子版より)


T 14-32 赤シャツ村の標識の撤去を要請(2014-5-26)

パーヤオ県のニミット(Nimit Wachaithanawong)副知事は下の写真のような「赤シャツ村」を示す標識を公共の土地から撤去し、以前にあった「村の名前を書いた標識に戻す」様に各村長に要請したという。

赤シャツ村というのは赤シャツがその村を支配していることを誇示するための標識であり、そういう村にはプア・タイ党以外の政治家が入って行って政治的宣伝や選挙活動ができない(きわめてやりにくい)雰囲気を作り出すためのものであり、パーヤオ県、チェンマイ県、チェンライ県ほか東北の各県に数千存在しているという(1説によれば2万か所)。

また、選挙結果は村ごとに公表するためプア・タイ党以外に投票すると誰が「裏切ったか」すぐにも噂の対象となる仕組みになっているという。こういう事実は外国(日本も含め)のメディアは知らないか知っていても報道しない。

これで「公正で民主的な」選挙が行われていたということにはならない。朝日新聞の某幹部が主張する様に「民主党が怠慢なので東北部では選挙に勝てない」と断定するのは酷である。赤シャツ村を宣言すれば「政府の補助金」もたんまり降りるのだという。これは明らかな選挙違反ではないのか?

赤シャツ村の非合法化ができるかできないかも「選挙を実施する」要件になるであろう。




(Bangkok Post 電子版より)



5月27日のバンコク・ポストによれば「赤シャツ村」のシンボルマークが「白」に塗り変えられたという。もちろん一部の村だけだろうが。それにしても素早い対応である。


T 14-34 NPOMCはプリディヤトン元副首相ら6名の顧問団を任命(2014-5-27-2)

NPOMCは治安、経済、法律などの補佐を行う6名からなる顧問団を任命することにしたと報道されている(バンコク・ポスト)

① Prawit Wongsuwon, 元国防相、顧問団議長
② Anupong Paojinda, 元陸軍司令官、 治安担当
③ Somkid Jatusripitak 元副首相、外交担当
④ Pridiyathorn Devakula 元副首相、現Post Publishing 会長 経済担当
⑤ Narongchai Akrasanee 元商業相、経済担当
⑥ Visanu Krue-ngam 元副首相(タクシン政権)、行政裁判所長官 行政法、司法担当。過去の経歴ではややきな臭い面がある。

上記に加え⑦Yongyuth Yuthavong カセサート大学教授(バイオ専門)が顧問団に加えられた。2006年クーデター後。スラユット政権で科学・技術相を務めた。タイを代表する著名な学者である。




上の写真は5月29日にネーション紙(電子版)に掲載された「ドリーム・チーム」とやらの面々である。ほかにもタイは人材豊富である。不思議なことにタクシン派にはロクな人材がいなかった。元共産党員がブレーンとして活躍していたのであるが、彼らは実はイデオロギー過剰な反面、「経済音痴」であった。インラク政権の閣僚は最も貧弱であった。


また、プラユット議長は各軍区司令官に各地区における「改革のための国民和解委員会」を開くことを命じた。これには赤シャツ・グループのメンバーや他の政治グループも参加させるという。

各地のコムニティー・ラジオ局(赤土国シャツの宣伝機関)は閉鎖する。


T 14-35 捕まえられるものなら捕まえてみよ。豪語する赤シャツ幹部(2014-5-28)

赤シャツ幹部のソンバット・ブーンガム・アノンはNCPO(National Council Peace and Order=国民平和と秩序評議会)の出頭命令に逆らって雲隠れし、「捕まえられるものなら捕まえてみろ」と豪語しているという。彼はRed Sunday Groupという赤シャツの小グループのリーダーでタクシンには批判的だとみられており、出頭してもすぐに釈放される可能性が高いだけに、何を考えているのだろうか。⇒結局6月5日夜、チョンブリ県で捕まった。

もう1人のプアタイ党前国会議員のプラシット(スリン県選出)は赤シャツ集会で「不敬罪発言」をしたといわれ、捕まれば成り行きによっては相当長いこと牢屋に入れられることもありうる。(プラシットも5月29日にスリン県で軍に捕まり、バンコクの警察に送られた。)

この2人については資産凍結命令が出された。ほかの赤シャツ関係者でまだ出頭していないものはチャルポン(Charupong Ruangsuwan)前内務相、現プアタイ党党首、パヤップ・パンケット(Phayap Panket) アリスマン(Arisman Pongruangrong),チナワット・ハブーンパット(Chinawat Haboonnpat)、マライラク・トンチャイ(Malairak Thongchai) らの名前が挙がっている。アリスマンは2010年の騒乱の後にカンボジアに逃げ込み、インラク政権になってからタイに舞い戻ったが、テロ容疑者として保釈中の身である。




上の写真はすでに捕まった前教育相のチャトロンである。悪質なタクシン派と見て彼は「保釈」が認められず、「軍事法廷」で裁かれるという。元共産党員もすっかり「転向」してタクシンの走狗となり「権力の甘い蜜」をたっぷりいただいて、このふてぶてしい態度である。本人は別に悪いとは思っていない様子である。この男の屁理屈を絶賛している日本のタイ学者とはいったい何者だろう。(5月29日追記)


T 14-36 タクシン派警察官僚のパージ始まる(2014-5-29)

民主政権時代に特別捜査局長(Department of Special Investigation)に就任し、インラク政権下ではタクシン派に寝返り、民主勢力(反タクシン派)を弾圧したことで知られるタリット(Tarit Pengdith) は警察少将チャチャワン(Chachawal Suksomjit) と交代させられた。

国防相事務局長のニパット(Nipat Thonglek) も更迭された。

警察長官であったアドゥル(Adul Saengsingkaew)は首相府付となった。長官代行には次官であったワチャラポン(Watcharapol Prasarnrajikit)警察大将が就任した。ワチャラポンはプラウィット元国防相(現NCPO顧問)の弟のパチャラワット(Patcharawat Wongsuwan) 元警察長官(アピシット政権下)と近かった。彼が正式に警察長官に就任すると全国的に警察官僚の大移動が行われるが、すでに一部下表(バンコク・ポスト5月29日付)に見るように始まっている。

バンコクの警察長官バンコクのカムロンウィット(Kamronwit Thoopkrachang)やチェンマイ警察署長のキリット(Kirit Kittilue)警察少将など9名の更迭が実行されている。カムロンウィットに代わってバンコクの長官に任命されたのは次長のチャクティップ(Cgaktip Chaijinda)であり、彼は民主党政権下ではバンコク警察長官であった。それがインラク政権下では次長に格下げされていたのである。クビにならなかったのはバンコク知事(スクムバン)が民主党員だったためである。チャクティプ長官はPDRCのリーダーのスーテェプと親しい間柄であるといわれている。

知事クラスも下表のように大きな移動があった。知事は警察官僚と異なり、あまり極端な赤シャツ支持はし絵池ないとみられ、多くは他県への横滑りである。それでも赤シャツの牙城であるチェンマイやナコンラチャシマやコン・ケーンの知事が重点的に移動させられた。


(バンコク・ポスト紙5月29日、電子版より)


T 14-37 赤シャツ20万人の民兵軍団を率いるスポーンが政治から手を引く(2014-5-30)

今年2月26日、ナコン・ラチャシマで開かれた赤シャツの「全国集会」で60万人の赤シャツ民兵構想をぶち上げ、とりあえずは20万人組織(「新民主主義運動」)して、スーテップが率いるPDRCに対抗すると息巻いていた赤シャツの幹部であり、インラク首相副秘書長であるスポーン(Suporn Attawong)は軍事クーデター後、さっそく軍にとらわれていたが6日後に釈放された。スポーンは「イサーンのランボー」と呼ばれる武闘派の大親分であった。

彼は釈放されるや、すっかり恭順の意を表して、「これからは政治には関与せず、老母に孝養を尽くす」と殊勝なことを宣言して、さっそくナコン・ラチャシマの町の守護神・Thao Suraneeの像に82歳の母親と共に花をささげている。

20万人もが武装して軍と撃ち合いを始めたら、国中が大騒ぎになると思っていたが、総大将がアッサリ兜を脱いでしまったようである。外国のジャーナリストの皆様は大いに落胆されていることであろう。ロイター通信だけが「今回のクーデターに賛成している国民は相当多い」と報道していたそうである。

外国のジャーナリストのほとんどは「タクシン政治の実態」には目もくれず「選挙で選ばれた政権だから、民主政治の具現者だ」と決めてかかって報道してきた。彼らはタクシン派と「反タクシン派」の流血の惨事を写真に撮りたくて、今日もバンコクの町をさまよっているらしい。



(バンコク・ポスト、5月30日付電子版)

⇒それ以外の赤シャツ幹部も次々軍に屈服(2014-5-31)


バンコク・ポストによればスポーン以外の主要な赤シャツ幹部も次々に軍に拘束された後に、今後赤シャツ運動から手を引くことを誓っている。

ウドン・タニの武闘派ナンバー・ワンのクワンチャイ(Kwanchai Praiphan)は地元でラジオ局を運営し、ベンツを乗り回していたことで有名だが、2度と赤シャツ運動の先頭に立つことはないと語ったという。彼は最近何者かに狙撃され、首に重傷を負っていた。

ロイ・エト県の中核リーダーニッティ(Nitti Sinthuprai)は軍の要請を受け入れ政治活動を中断すると誓約したという。すいかし、ニッティは軍の努力によってもイデオロギーの異なる各派閥間の深い亀裂は埋まるとは思わないとも語り今後の動きに含みを持たせている。「軍の力には負けたが、我々は敗北を認めたわけではない」と正直なところを述べている。

ウアtラディット県のシリワット(Siriwat Jupamattha)は軍の推進しようとしている「国民和解」は不公正がなくならない限り実現困難であるといっている。彼自身不公正の定義は明らかにしていない。

もちろん彼ら以外に大物赤シャツリーダーは逮捕を逃れて各地に潜伏している。彼らにタクシン資金が届かなくなれば自然に消滅している。そのタクシンは現在日本に来ているらしい。




上の写真は2014年2月に米国大使館のスタッフがテロ事件のさなかに赤シャツ村を訪問した写真である。何の目的かは明らかではないが米国大使館のタクシン支持を物語るものであろう。問題意識が問われる態度である。


T 14-40 ウドン・タニの赤シャツの親分クワンチャイが子分に払うカネカネが無い(2014-6-12)

ウドン・タニの赤シャツのボスのクワンチャイ(Kwanchai)がこともあろうに軍に対して「事務所が閉鎖」されたため、多くのラック・ウドン(ウドンを愛する)グループのメンバーに手当を支払えないと苦情を言ったという。いあっまではタクシンが送金していたようであり、それが止まってしまったのである。

軍は赤シャツに対して、PDRCに比べとりある会が不公平で、このままでは軍が主張する「国民和解」の前途は多難であるといっているという。

クワンチャイは2010年4-5月の赤シャツ騒乱の時大活躍をしたことで知られる。ラジオ局を運営し、赤シャツのための「宣伝活動」を行う、プロの赤シャツ活動家であり、ベンツを乗り回していた。

2014年1月にはPDRCのスーテェップを逮捕した者にはマンバーツの賞金を出すと公言していた。その直後自宅で何者かに狙撃され、足と肩を負傷した。この時は警察は容疑者を素早く捕まえた4人の元海兵隊員であるという。

クワンチャイのような男はもっぱら暴力団の地方組長みたいな存在であり、亜t苦心からアkネが流れてこなくなればたちまち干上がってしまうタイプの人間である。こういう種類の赤シャツ活動家はほかにも相当いるとみられる。彼らはそもそも「和解」等やってはいられないのである。




T 14-38 NCPO大型プロジェクトの洗い直し開始、経済は楽観ムード(2014-6-3)

WSJやFTは社説で軍事政権をコキオロシ、1日も早く選挙をやって民政に戻せと主張しているが、残念ながら彼らは全く的が外れている。タイ国民の期待はとりあえずはNCPOが賢者と官僚を集めて、何をどうすればよいかを着実に検討を開始することにある。プラユット評議会議長は慎重な性格のようで安心感が経済界にも急速に広まりつつある。株価も着実に上昇しており、消費者信頼感指数も14か月ぶりにプラスに転じた。

「反クーデター」の動きが激しくないと外国政府や欧米メディアには「不都合な」ようで、しきりに「三つ指」サイン運動など報道しているが、あんなものに大衆的な基盤はない。線香花火のようなものである。完全に軍がコントロールしているし、バンコク市民もそれを支持している。「自由、平等、友愛」などというフランス革命の理念があるなら、なぜテロ事件が頻発して多数の死傷者を出したのか?現在でもテロようの武器がしきりに摘発されている。

インラク政権下では何かあると政治家が首を突っ込んできて「利権漁り」を行い、事態をやたらに紛糾させてきた。みんなが満足するような調整が図られてきたので「汚職は蔓延した」のである。予算の使用効率は著しく低下した。

大型プロジェクトも2兆バーツという規模が独り歩きし、それをタクシンが海外から調整するということが行われてきた。勢い、タクシンが拠点にしてきた中国勢が「うまい汁」を吸う仕掛けになっていた。洪水対策の3,500億バーツ・プロジェクトもタクシンに真っ先に声をかけた韓国勢が有利にことを進めるなどして、日本勢は弾き飛ばされてしまった。しかし、そのプロジェクトはあまりに問題含みだったため現在宙ぶらりんになっている。

何もかもが改めて「仕切り直し」がこれから行われようとしている。まことに結構なことである。これから軍政の実力が試される。タクシンとプアタイ党政治家と堕落官僚に任せてきた過去との違いを世界に見せる良いチャンスである。

下の図は2兆バーツ・プロジェクトの2020年までの大型鉄道プロジェクトであるが、急がなければならないというものは余り見られない。全体的には道路とバス・トラックに過度に依存しているタイの交通システムをもっと鉄道依存型に変える必要があるということである。鉄道車両も足りないし、貨物ターミナルも足りない。鉄道の稼働率が極度に低く線路が「アクビ」しているのである。

南タイへの輸送ももっとフェリーの輸送網を強化しなければならない。ホア・ヒンまで線路を2重にするという計画のようだが、ホア・ヒンまで増強しても仕方がない。高速鉄道ありきという考え方も問題ありである。列車の本数を増やすことを最優先すべきである。鉄道車両の老朽化もひどい。機関車は40年前のものがいまだに走っており、雨の日は機関士が「手動」でワイパーを動かしながら運転している有様である。

国鉄は低運賃を強いられ、長年赤字が続いており、貨車の更新など全くできていないようである。それでいていつも切符は売り切れ状態であり、当日券などめったに手に入らない。その分官民のバス会社が活躍している。タクシン政権下で10年以上もこれといった鉄道輸送対策は講じられていない。GDPに占める石油の消費量はタイは「世界でトプ・クラス」といわれてきた。

検討すべきことは山ほどある。まず、大型予算を決めてカネを支出すべしというタクシン方式は絶対にやめなければならない。




(バンコク・ポスト、6月2日付電子版より)

⇒株価も急回復(2014-6-3)

軍事クーデター後株価は数日低迷したが、5月28日に1400台を回復し、6月3日には1454.28となり、13年10月25日の水準にまで戻った。

 13年10月28日 1454.08 
 14年5月20日  1394.60
 5月22日 1400.21 
 5月26日 1388.29 
 5月27日 1392.73 
 5月28日 1402.79 
 5月30日 1415.73 
 6月2日 1440.94 
 6月3日 1454.24 


T 14-41交通体系の全体的改善に3兆バーツが必要(2014-6-13)

NCPOの経済問題委員会(プラヴィン委員会=Pravin Juntong空軍司令官)は先のインラク政権がまとめた超高速鉄道を中心とする2兆バーツの大型プロジェクト予算を8,000億バーツ削減する方針を固めたが、鉄道の複線化や機関車・列車の刷新・増強や、海運能力増強(港湾建設など)、道路建設、空港整備などで交通体系全般の改善・増強に3兆バーツが必要であるという案をまとめた。

ソムチャイ(Somchai Sriwattanachoke)交通省事務局長は2022年までにこれらの計画を実行すべく検討を進めており、6月19日には基本計画を発表するとしている。この計画は超高速鉄道に特化した前の計画に比べ、水運関係にもかなりの力点を置いている。また、空港整備に加え新たに航空機も増強する計画になっているという。

プラユットNCPO議長の考え方としては、鉄道については在来線の複線化と電化が先決だという。高速鉄道網という考え方はタクシンが中国と組んで中国の技術を持ち込んでやろうとしていたプロジェクトであり、それには一部を除き同調できないというものである。







T 14-42 カンボジア人不法就労者188,000人が緊急出国(2014-6-18-1)

軍事クーデター以降、NCPOが外国人の不法就労者を取り締まる方針を明らかにしたことから、予想外の188千人という多くのカンボジア人の帰国ラッシュが始まった。慌てた両国政府は逮捕や強制帰国などの措置はとらないから安心する様にとテレビなどで言明したが時すでに遅かった。

帰国の交通混雑でカンボジア人を満載したトラックが横転し8名が死亡するという惨事が起こった。

インラク政権が全国一律300バーツ/日の最低賃金を強行してからは、タイ東北部や東部の建設業者やエビ加工業者や農家などが大量のカンボシア人を就業許可証なしで不法に雇い始めた。農業と建設業でカンボジア人の雇用の60%を占めるという。

もともとタイとカンボジアは国境紛争もあり、両国の陸軍が常時、対峙しており、外交関係も必ずしもうまく言っていなかった。カンボジア人労働者にとってみればフンセン首相と親密であったタクシンの政権が崩壊したことによって、新たな紛争の火種が発生したと感じていたようである。

ビルマからの不法就労者も多いがこちらのほうは大したパニックは起こっていないという。

アピシット政権時代には2010年12月にThai Patriots Networkという愛国者団体の幹部でかつPAD(黄色シャツ)のリーダーでもあるウェーラ(Veera Somkhwamkid)氏がサケオ県の国境のPreah Vihear遺跡近くでカンボジア側にスパイ容疑で逮捕され、8年の禁固刑を言い渡されいまだに服役している。インラク政権は同氏の釈放交渉は余り熱心に行わなかったことは確かで、同氏が民主党系の人物だったたことに対する報復ともみられていた。

フンセン首相としても早く釈放したいが、背景にタクシンがかかわっており、ウェーラの早期釈放に反対しているとも取りざたされている。軍事境界線を誤って越えたぐらいで8年の刑とはそれにしても異常である。ウェーラと同時に捕まった秘書のラトリーは6年の刑を言い渡されたが、昨年すでに「恩赦」で釈放されている。その時一緒に行動していて捕まった国会議員(Panich Vikitseth民主党)を含む5名は2011年1月に釈放されている。

このようなアイマイなスパイ容疑で逮捕されたタイ人に対し過酷な刑罰に処したことに、タイ国民と軍部が怒っていることは多くのカンボジア人は認識しており、報復措置を恐れてのパニック的な出国ラッシュにつながったとも考えられる。

事態の解決には「正式な労働許可証」の発給という事務手続きが必要なためにかなり時間(数週間)がかかることは間違いない。しかし、カンボジア人も帰国してもロクに仕事はないし、賃金も対の3分の1程度であり、タイで働らきたいという意欲は強い。とりあえず困るのは彼らを許容していた事業者たちである。なお、正式那ワーク・パーミットを取得しているカンボジア人は40万人いると言われている。

なお、現在タイには正式な労働許可証を保持している外国人労働者は223万3千人おり、ビルマ国籍が174.2万人、ラオス国籍が9.5万人、カンボジア国籍が39.5万人いる。不法労働者がこれ以外に約180万人いるといわれている。

⇒カンボジアでの不当囚人ウェーラ氏釈放(2014-7-1)

タイとカンボジアの国境紛争が起こっているPreah Vihear遺跡近くで、カンボジア側に越境したとしてとらえられ、2010年10月から8年間の禁固刑に処せられていたPAD(黄色シャツ)のリーダーでもあるウェーラ(Veera Somkhwamkid)氏が2014年7月1日突如国王の恩赦により釈放された。

国境線もはっきりしていないところで「国境線」を越えたなどというのは「始末書プラス罰金」くらいで釈放されるのが普通と考えられるが、ウェーラ氏の場合はタクシンンの宿敵「黄色シャツ」のリーダーだったことが災いして、異例の8年間の禁固刑が言い渡されていた。

これは誰が見てもタクシンの「指しがね」にカンボジアのフンセン首相が応じていたというのがバンコク市民の噂の種であった。今回タイで軍事クーデターが起こり、インラク政権(タクシン政権)が崩壊し。その後不法就労していたカンボジア人が20万人近くも一斉に帰国するという事件が起こった。それに対してタイ軍政(NCPO)は寛大な措置で応じ、「不法就労」を「正式就労」に切り替える便宜を図っている。

これはカンボジア政府にとっては何よりありがたい措置であり、「その御礼と申してはなんですが」とばかりに、ウェーラ氏の釈放に踏み切ったものと考えられる。












T 14-46 2015年10月には選挙実施予定(2014-6-28)

NCPOは今年9月には指名による政府を設立し、2015年10月には議会選挙を実施するという計画を発表した。今年8月には新たに暫定憲法草案を作製し、2015年8月には公布するという。

その間NCPOは引き続き権限を維持する。暫定政府に全権を移譲すると一連の改革が未成熟に終わることを懸念したものと思われる。暫定議会の議席数は200とするが高級軍人が半数の議席を占めるという。


(Bangkok Post, 2014-6-28)


T 14-47 軍政下の立法議会197名の指名議員で発足(2014-8-8)

タイで軍事政権が5月22日に発足してから200名からなる指名議員による立法議会が発足したが。3名が辞退もしくは無資格のために参加せず197名からなる議員で発足した。その構成員はタイ社会のエリート集団であり、議長には前最高裁判事のポーンペット(Potnphet Vichicholchai)氏、第1副議長には前上院議会議長スラチャイ(Surachai Liengboonlertchai)氏、第2副議長にはピラサク(Pirasak Porchit)氏が選出された。対立候補はいなかったため5分間で全て議決されたという。ワチュラロンコン皇太子が臨席され、国王の認証を得て正式に発足するという。この議会で通常の立法はもちろん、首相の指名や、新憲法も決めることになるであろう。国民は前のインラク政権の時との違いを注意深く見守っているに違いない。

私は7月9~29日まで仏足跡の写真を撮影するためにタイに行ったが、バンコクの街はもちろん東北のナコン・ラチャシマやサラブリに出かけたが、あの隆盛を誇った赤シャツの影も形もなく、国民は軍事政権を素直に受け入れているように見受けられた。要するに町は静かなのである。バンコクでは私が25年前に駐在していた時と全く変わらず、ショッピング・センターには人があふ返っていた。しかし、日本人や中国人のツーリストの姿は極端に少なかったようである。テロ事件は軍事クーデター後は1件も起こっておらず、全く身の危険は感じられないのに、日本人の観光客がこうも少ないのはメディアの影響としか思えない。

「タイの政治混乱」について帰国後質問を受けるが、政治混乱とは何かと私のほうが聞きたくなる。それほど軍事政権の施策はタイ国民に幅広く受け入れられている。「混乱を期待している」のは外国人ジャーナリストかもしれない。何か事件が起こらないと彼らも記事の書きようがないのであろう。

格好の話題を提供しているのは特殊な日本人で代理妻に9人もの子供を産ませた重田光時(24歳)という人物でパスポートの写しまでが新聞い出ていた(8月8日バンコク・ポスト電子版)。重田氏はスーパー・リッチで、現在本拠地のマカオに自家用ジェット機で逃亡したとのことである。彼はかの一世を風靡した「光通信」のオーナーの重田康光氏の子息ではないかという記事もでていた。

タイではこういうことは別に刑法上問題ではないだろうが、ここ2日ほどの新聞・テレビの話題となっていた。タイでは日本人に対する平均的な評価は極めて高い。私が日本から来たというと多くの寺院で僧侶が歓迎してくれた(もちろん例外はあるが)。旅の安全を祈ってお経まで上げてくれた方もおられた。一方でヤクザの話題や、この手の事件を起こすとメディアは真っ先に取り上げるから要注意である。

気になるのは目的不明でタイに滞在している日本人の老人が多い(私とほぼ同年代)ことである。彼らはもと駐在員ばかりではない。タイが好きなのは結構だが、やたらに右翼的な言辞を弄している人も少なくない。そうすることによって「日本人意識」を駆り立てているのかもしれない。中国人をやたらに「支那人」などと呼ぶ。石原慎太郎の口真似だろうが、中国人は日本人にこういう呼ばれ方をするのを「侮蔑的」だとして大変嫌う。国際社会で生活する以上、相手が嫌がるものの言い方は慎むのがジェントルマンとしての在り方であろう。日本人がアメリカでジャップといわれて喜ぶ人はいないのと同じことであろう。


T 14-48 .2010年の黒シャツ一味5名が逮捕(2014-9-12)

Bangkok Post (9付1日電子版)によればタイ警察は2010年4月10日にデモ排除にあたったラムラオ大佐以下5名の軍人を射殺した、いわゆる黒シャツ隊メンバー5名(うち1名は女性)を逮捕したとして容疑者をメディアの前に引き出した。あと2名はなお逃亡中であるという。

タクシンからカネをもらって、黒シャツ・テロリスト集団に軍事訓練を施していたカッティヤ少将はすでに暗殺されてしまって、黒シャツの活動が時の経過とともに闇から闇に葬られつつある中で今回の実行犯容疑者逮捕の意味は大きい。黒シャツは赤シャツ・デモ隊員も殺害した疑惑がもたれている。

日本のメディアは「選挙で勝った」タクシンのやることだからと称して黒シャツ隊などの「テロ行動」を隠ぺいしてきた傾向がある。

これに対し赤シャツのリーダーは「黒シャツ」などいなかったとして存在そのものを否定している。しかし、赤シャツデモ隊のあいだに黒シャツを着て銃を時々発砲していた集団の存在は世界的に報道されていて知らぬものはいない。知らなかったのは赤シャツ幹部だけということになりそうだ。そういう発言をして世界に通用するとでも思っているのであろうか?それでは日本の右翼の「朝鮮人従軍慰安婦」を巡る発言と同じではないだろうか。存在を否定すればするほど自身の「名誉」が傷つけられる。なぜなら「存在の事実」は否定しようがないからである。

今頃になって警察がなぜ「容疑者」を逮捕したかといえば、警察は黒シャツ隊のメンバーをある程度把握していながらインラク政権時代はそれを隠していたとみられる。しかし、今回の軍事クーデターによって、警察も隠し通すことができなくなり、遂に表に出したということであろう。それだけ、今回の軍事クーデターは裏の裏まで軍が事前に調べていたことをうかがわせる。逮捕された5人はかなり「真犯人」に近いとみられる。ただし、黒シャツ隊メンバーの数はもっとずっと多いはずである。




(バンコク・ポスト9月11日、電子版より)


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