2010年5月末赤シャツ騒動まで←クリック


タイの政治経済、2010年6月以降




T11-31タイ 国防省にロケット式手りゅう弾を投擲した元警察官に38年の禁固刑(2011-12-13)


T11-30, 赤シャツ武闘派リーダー・アリスマンがカンボジアから帰国し自首(2011-12-7)

(スポット事件主犯はラオスでとらえられている?⇒2011-12-4)

(タクシンにパスポートを再発行⇒2011-12-2)


T11-29 赤シャツ幹部ジャトゥポン議員資格取り消し⇒2011-12-1

(民主党派警察幹部13人を更迭⇒2011-11-30-1)


(パトゥムタニのLam Luk Ka 水門の開閉を巡って赤シャツが実力行使⇒2011-11-30)

(洪水の責任問題でダム管理について政府の責任をアピシット前首相が追及⇒2011-11-29-1)

(スポットのカネの出所は警察は調べず、NACCの仕事と逃げる⇒2011-11-29)


(洪水の復興に日本が全面協力⇒2011-11-25)

(チャレム副首相がスポットのカネは前運輸相時代のワイロと言明⇒2011-11-24-1)

(バンコクの北側の住民が長引く洪水に怒り爆発⇒2011-11-24)

T11-28 タクシン洪水対策プロジェクト見学に韓国訪問⇒2011-11-23

(タクシンは今回は恩赦を受けないと言明⇒2011-11-20)

T11-27 スポット運輸省次官宅の強盗2億バーツを強奪して捕まる⇒2011-11-19

T11-26 洪水のドサクサに紛れてタクシン恩赦のうごき2011-11-16)

(パトゥムタニで防水土嚢が破壊されバンコク東部に増水の危機⇒2011-11-18)

(周辺住民の抵抗でバンコク市内が浸水拡大の危機に⇒2011-11-14)

(農業相がダム放水を遅らせた事実を認める⇒2011-11-11)


(政府は水害対策の2つの委員会を設置⇒2011-11-10-1)

(排水を上回るペースでバンコクは増水⇒2011-11-10)

(救援物資購買で汚職疑惑⇒2011-11-8)

(バンコク中心部に、洪水迫る、寄付金の横取り横行⇒2011-11-7)

(タイ政府ようやく運河の堤防の破壊を阻止すると約束⇒2011-11-4)

(バンコク市東部に洪水が拡大、防護壁破壊が原因⇒2011-11-2)

(バンコクの東西の水位増す⇒2011-11-1)


(バンコクの中心部はどうやら難を逃れた模様⇒2011-10-30)

(Nation, Thanong Khanthontg編集委員がプア・タイ党と赤シャツ批判⇒2011-10-28)

(バンコク旧市街は水浸し-国王は王宮よりも国民を守れと指示⇒20110-10-27)

(第2波の洪水予報ーバンコク市民は水道水の備蓄を⇒2011-10-25)

(日経新聞高橋特派員は諸悪の根源はタクシン追放クーデターにありと主張⇒10月23日)

バンコクの運河の水門を開放、バンコク市街洪水の恐れ(2011-10-21)

バンコク防衛のために東部地区が犠牲に、インラク政権への批判高まる(2011-10-20


T11-25、タイ50年ぶりの大洪水、死者はすでに270名に達しバンコクも非常警戒態勢(2011-10-10)

今回は洪水対策を怠った政府の責任が大きい(2011-10-16)


T11-24、タイがインドネシアへのコメ輸出30万トンをキャンセル(2011-9-29)

T11-23,タイの経済政策は輸出より内需拡大(2011-9-25)

T11-22,タクシンはテレビ電話会議で閣議に登場(2011-9-23)


T11-21.プア・タイ党今度は法務省幹部の大幅入れ替え、タクシンの恩赦対策か?(2010-9-14)

T11-20. 財務省関係でもタクシン派優遇人事(2011-9-7)


T11-19. タクシンが帰国できない理由は待ち受ける訴追の数々(2011-9-3)


T11-18,警察長官にポジャマン夫人の兄弟プリューワンが近く就任(2011-9-1)

T11-17, 赤シャツ幹部を次々政府高官に取り立て(2011-8-29)


T11-16. 東北の市庁放火赤シャツには33年の実刑判決(2011-8-25)


T11-15 タクシンの訪日の狙いは何か?(2011-8-21)


T11-14 インラク政権の初仕事は昨年の騒乱の犠牲者に1人1,000万バーツの弔慰金(2011-8-17)


T11-13. 赤シャツ入閣せず、インラック政権まずは低姿勢のスタート(2011-8-13)


T11-12 バンコク市民のフラストレーション溜まる(2011-7-28)

T11-11, インラック曰くタクシンの裁判をやりなおせ(2011-7-6)

T11-10 プア・タイ党262議席、民主党160議席、開票84%、タクシン派過半数を上回る(2011-7-3)

T11-09,選挙管理委員会5名中4名が急きょ欧州に視察旅行に出発(2011-6-18)

T11-08、アピシット首相は前回選挙結果をしたまわれば党首辞任を明言(2011-6-15)

T11-076, 世論調査ではプア・タイ党が一番人気(2011-5-23)

T11-06,タイの総選挙は7月3日に決まる。プア・タイ党の首相候補にタクシンの末妹インラック女史(2011-5-16)

T11-05、タイ陸軍から130丁の自動小銃M16などが盗まれる(2011-3-6)


T11-04, 村本さんの死因が赤シャツの政治宣伝に?(2011-3-2)

T11-03, タイ議会憲法改正案2件通過。条約の国会事前批准と比例代表議員の増加(2011-2-11)


⇒フン・セン首相曰く、「これは本格的戦争だ」(2011-2-9)


T11-02, タイ軍とカンボジア軍が国境周辺で銃撃戦、住民1名が死亡(2011-2-4)


⇒両軍休戦協定。カンボジア兵士64名、タイ兵士1名戦死(2011-2-6)


T11-01, バンコクで黄色シャツ・デモタイを狙った赤シャツ隊5人を逮捕(2011-1-25)

T10-41.タイの総選挙は近い?民主党臨戦態勢(2010-12-27)

T10-40.4月にサラディン駅近くで手榴弾を発射し市民を殺傷した赤シャツ隊員を逮捕(2010-12-22)


T10-39. バンコクでの非常事態宣言は解除されるが治安維持法適用強化(2010-12-21)

T10-38. アピシット首相への評価が高まる。正直さなど(2010-12-15)

⇒タイー中国と国内縦断鉄道建設計画で合意、ノン・カイからパダン・ブサールまで(2010-12-13)

⇒タクシンの米国での講演は延期(2010-12-12)

⇒PTIPLの2億5800万バーツの不正献金疑惑を棄却(2010-12-9)


T10-37. 流石アメリカ、タクシンがタイの民主主義と人権についてフォーラムで講演の予定(2010-12-7)


⇒PTIPLの2億5800万バーツ献金事件は有罪でも罰金刑どまり(2010-12-3)

T10-36. 民主党に解党理由なし。憲法裁判所判決(2010-11-29)

T10-35 村本さんを銃殺したのは軍の仕業?毎日の特ダネ?(2010-11-17)


T10-34. アピシット首相記者会見で政権運営の自信を示す(2010-11-15)

T10-33.赤シャツ武闘派幹部のアリスマンはカンボジアに潜伏中とアピシット首相が明言(2010-10-26)

T10-32. 中国との高速鉄道計画に議会が待った(2010-10-26)

⇒マンション暴発事件で2名手配、うち1名にプア・タイ党関係者から資金提供(2010-10-12)

T10-31.アピシット首相、バンコクの最低賃金1日44バーツ・アップを提案(2010-10-11)

T10-30. バンコクと周辺3県の非常事態宣言を3カ月延期、マンション暴発事件(2010-10-6)

T10-29. 暗殺者集団11人をチェンマイで逮捕(2010-10-4)

T10-28, クーデター4周年記念赤シャツ集会6,000人集まる(2010-9-19)

⇒コーウィットではまとまらず、プア・タイ党の混乱(2010-9-14)

T10-27. プア・タイ党のヨンユット党首辞任、後任はコーウィット元警察長官か?(2010-9-10)

T10-26. マプタプット工業団地の大部分のプロジェクトが環境問題クリアー(2010-9-2)

T10-25. バンコク地方議会選挙では民主党が圧勝(2010-8-30)

T10-24. ロシア人「死の商人」の米国送還遅れる(2010-8-26)

T10-23, タイ下院予算案通過、プア・タイ党から6人が賛成票を投じる(2010-8-25)

T10-22,フン・セン首相タクシンとの顧問契約解消、両国大使復帰(2010-8-24)

T10-15⇒カッティヤ少将の元運転手で資金の配布係逮捕(2010-8-19)


T10-21, 赤シャツ幹部19名テロ活動他の容疑で起訴、逃亡中のタクシンは別途(2010-8-13)

T110-4⇒タイ最高裁、タクシンの「差し押さえ資金返還」控訴を棄却(2010-8-11)

T10-20, 新警察長官にウィチャン副長官を指名(2010-8-10)

T10-18⇒BIG-C爆弾事件容疑者2名逮捕(2010-8-5


タイ陸軍時期司令官はプラユット副司令官の昇任(2010-8-4)

T10-18,⇒BIG-C爆発犯容疑者4名を特定、カンボジア国境付近の警備強化(2010-8-3)

T10-18,バンコク中心部で爆弾テロ、1名死亡、11名負傷(2010-7-25)

T10-12⇒バンコク第6区の補欠選は民主党のパニット候補の順当勝ち(2010-7-25)


T10-17, タクシン、モンゴルで鈴木宗男議員と面談、日本政府の支援と理解要請(2010-7-24)

T10-15⇒カッティヤ少将のもう一人の右腕、ラチャタ伍長を逮捕(2010-7-23)

T10-16. アマティヤ・セン博士の赤シャツ騒乱についての欧米メディア批判(2010-7-22)

T10-14,特別捜査局はTPIの民主党への違法献金は証拠不十分と判断(2010-7-19)

T10-15, 赤シャツ・テロ実行犯逮捕(2010-7-15)

T10-14、民主党にたいする「解党」提訴固まる(2010-7-10)


T10-13.赤シャツ、軍の備蓄石油タンクをロケット式手榴弾で攻撃、実害なし(2010-6-29


T10-12. バンコクの補欠選挙、民主、赤シャツ、黄色シャツの3つ巴の闘い(2010-6-25)

⇒黄色シャツ、キッティサク氏立候補翌日取りやめ(2010-6-26)

T10-11.ブーム・ジャイタイ党本部に爆弾が仕掛けられる(2010-6-23

⇒カンボジアに逃れた男女の赤シャツをカンボジア政府が捕えて強制送還(2010-7-5)


T10-10.赤シャツ騒乱事件の資金提供に関わった86人を特定(2010-6-16)

T10-9. タイ、麻薬撲滅事件の調査委員会再開(2010-6-11)


T10-8.アピシット内閣の改造(2010-6-6)


⇒アピシット首相らへの不信任決議案を否決、新たな対立の火種も(2010-6-2)

6月1~2日に行われた下院議院での討議の結果、アピシット首相ら6人の閣僚への不信任決議案は否決された。不信任の理由は、4月10日、5月19日の赤シャツ隊のラートプラソン地区からの強制排除に権力の過剰な行使があったというものである。

他の閣僚については、「利害相反」などが取り上げられた。

信任 不信任 棄権 無投票
アピッシット首相 246 186 11 21
スーテップ副首相 245 187 11 21
コーン財務相 244 187 12 21
カシット外務相 239 190 15 21
チャワラット内務相 236 194 14 22
ソーボン運輸相 234 196 13 22


チャワラット内務相とソーボン運輸相はネーウイン・チョーチーブ氏が率いるブーム・チャイ・タイ党の所属であり、この2人に不信任票を投じたのはプア・ペンディン党の一部の議員であったと見られている。

両党とも与党連合に属しているが、道路予算の配分について、プア・ペンディン党はブーム・チャアイ・タイ党に対する不満があり、最近は両者の間に軋轢が生じていた。

また、両党の議員が主に東北地区の選挙区で競合している。

ただし、両者とも与党連合を離れて、タクシンのプア・タイ党と手を組むという可能性はない。しかしながら、与党の第2党と第3党との仲たがいはアピシット首相にとっては頭の痛い問題である。

ブーム・ジャイ・タイ党は「われわれを採るかプゥア・ペンディン党を採るか」と迫っているという。

一方、プゥア・ペンディン党はブーム・チャイ・タイ党に内務相のポストを与えておくのは良くないので、内閣改造すべきだといっている。

また、野党のプア・タイ党にも今回のラートプラソン占拠事件の影響が出ており、1名(Nikom氏 )がアピシット首相を信任する票を投じている。さらに、10名ほどの議員がブーム・ジャイ・タイ党(ネーウィンの党)に移籍することを希望し、投票を棄権したと見られている。

下記の党以外にPAD(民主主義のための人民連合=黄色シャツ)は新しい政党=New Politics Partyを組織しており、支持率はかなり高いといわれている。これは民主党と次の選挙では競合するものと思われる。

議員数
プア・タイ党(タクシン系) 188(27) 野党
民主党 173(33) 与党
ブーム・ジャイ・タイ党 32(4) 与党・ネーウイン系
プゥア・ペンディン党 31(7) 与党・軍の支持
チャート・タイ・パタナ党 25(1) 与党・バンハーンの政党
ジャイ・タイ・チャート・パタナ党 9(1) 与党
プラチャ・ラート党 5(1) 野党
社会行動党 5(1) 与党
民衆党 3(1) 与党
合計 474(82)

(  )内は比例区で内数


T10-8.アピシット内閣の改造(2010-6-6)

6月2日に行われた内閣不信任投票で、プゥア・ペンディン党の議員約10名が、ブーム・ジャイタイ党(ネーウィン派)のチャワラット内務相とソーポン運輸相に対し、信任せず、その結果この2人の信任票が民主党の閣僚よりも少なく「面子を潰された」と激怒していた。

プゥア・ペンディン党の議員にしてみれば、この2人の行いがあまりよろしくない(汚職疑惑など)ということになる。

結果的にプゥア・ペンディン党の2つの派閥、すなわちプラチャ(退役警察大将)派とワン・パヤナクーコーラート派から10名ほどが脱退するようである。

タクシンの政党のプア・タイ党は彼らと手を組むことを狙っているというが脱退組みも別にプア・タイ党に親密感を持っているとはいえず、民主党政権に「是々非々」で協力していくことになる公算が強い。

なお、プゥア・ペンディン党は4つの派閥の連合体であると言われている。この党はもともとタクシンの最初の政党であるTRT党のスラキアート(元副首相)が発起人になって作った党である。

その後スウィット(Swuit Khunkithi)が党首を務めていたが、スウィットは独立しKitsangkorn(社会行動党、;5人の国会議員)の党首になって入閣(天然資源・環境相)している。

①Ban Rim Nam派;リーダーはSuchart Tanchaoen(被選挙権なし)、今度辞めさせられる副教育相Narisada Chawaltanpipatは同派に属す。総勢5名。

②Pracha派;退役警察大将Pracha Promnokの率いる小派閥。

③Wang Phayanak-Korat派;Pinij Jarusombat(被選挙権なし)とPreecha Laohapongchanaの率いるWang Phayanak派ととPairote Suwunchweが率いるKorat派の連合体である。

これら4つの派閥が今後どういう行動をとるかは不明だが、閣僚ポストが減ったこともあり、疎外感を持つ可能性もあるが、軍部やプレム枢密院議長の支援もあるといわれているので民主党から離れてしまうとは考えにくい。

選挙区は東北地方が中心でネーウイン派のブーム・ジャイタイ党と競合関係にある。

3人のリーダーの頭文字をとって3Psとも呼ばれている。議員総数は14名。工業相のCharnchai Chairungruangと情報技術相のRanongruk Suwunchweeはこの派閥に属する。

④独立派;副財務相のPruektichai Damrongrutはこの派に属する。

なお、6月5日夕刻に下記の右欄の閣僚の信任状が王室に提出された(ネーション、6月6日電子版)右の空欄は全て留任。

首相 Abhisit Vejjajiva 民主
副首相 Suthep Thaugusban 民主
副首相 Trairong Suwankiri 民主
副首相 Korbsak Sabhavasu 民主
副首相 Sanan Kachornprasat CTP
首相府担当相 Satit Wongnongtaey 民主
首相府担当相 Ong-art Klampaiboon 民主
首相府担当相 Veerachai Veerameteekul 民主 科学技術相に
国防相 Prawit Wongsuwan 民主
財務相 Korn Chatikavanij 民主
Pradit Pataraprasit RCP
Pruektichai Damrongrat PPD Mun Patanotai MB
外務相 Kasit Piromya 民主
観光・スポーツ相 Chumpol Silapa-archa CTP
社会開発・福祉相 Issara Somchai 民主
農業・共同組合相 Theera Wongsamut CTP
Supachai Phosu BJT
運輸相 Sophon Saram BJT
Kuakul Danchaiwijit CTP
Suchart Chokechaiwattanakorn BJT
天然資源・環境相 Suwit Khunkitti SAP
情報通信技術相 Ranongruk Suwanchawee PPD Juti Krairiksh 民主
エネルギー相 Wannarat Chanweerakul RC
商務相 Pornthiva Nakasai BJT
Alongkorn Pollabutr 民主
内務相 Chaovarat Chanweerakul BJT
Boonjong Wongtrirat BJT
Thaworn Senneam 民主
法務相 Peeraphan Saleerattavipak 民主
労働相 Paitoon Kaewthong 民主 Chalermchai Sri-on 民主
文化相 Teera Slukpetch 民主 Nipit Intrasombat 民主
科学技術相 Kalaya Sophonpanich 民主 Veerachhai Veeramethakul 民主
教育相 Chinnaworn Boonyakiat 民主
Narisarat Chawaltabpithak PPD Chaiyos Jiramethakorn PPD
Chaiwuti Bannawat 民主 工業相に
公共保健相 Jurin Laksanawisit 民主
Phansiri Kulnardsiridamrong BJT
工業相 Charnchai Chairungrueng PPD Chaiwut Bannawat 民主

BJT=Bhum Jai Thai
CTP=Chart Thai Pattana
PPD=Pua Pandin
SAP=Social Action Party
RCP=Ruam Jai Thai Chart Pattana
MB=Matubhun Matubhun党党首は2006年9月のクーデターのときの陸軍司令官Sonnthi Boonyaratkli大将である。Mun Patanotai氏は党首代行であり、プゥア・パンディン党から数人引き連れて与党連合に参加するという。

T10-9. タイ、麻薬撲滅事件の調査委員会再開(2010-6-11)


ピーラパン司法相はタクシン政権時代の2003年の初めに「麻薬撲滅キャンペーン」で約2,800人が虐殺された事件の真相解明に乗り出すことにし、元検事総長のカムピー・ケオチャルン(Khamphi Kaewcharoen)氏を任命することを内定した。

実はこの委員会は2006年9月の「クーデター」後のスラユット政権時代に発足し、元検事総長のカニット・ナ・ナコン(Kanit na Nakohon)氏が任命されていたが、タクシン派のサマック政権が誕生したために、この委員会の機能は停止させられた。

この事件は、タクシン政権の「恥部」であり、彼の独裁者としての残虐性を遺憾なく発揮したものであるが、「麻薬撲滅の成果」のみが強調されて暗部には蓋をされてきた。プラテープ女史(プラティープ財団前理事長)は「麻薬撲滅キャンペーン)をタクシンの業績として讃えていた。プラテープ女史は赤シャツ隊の幹部として今回の事件で逮捕状が出ているが、どこか「安全な場所」に隠れているようである。

大方の日本人は「麻薬キャンペーン」によって対では麻薬密売人が減ってよかったと信じている人が少なくない。しかし、これは裁判抜きで政府が「被疑者と決めた人間」を逮捕も・裁判も抜きで「路上で勝手に処刑する」という残虐な不法行為であることは間違いない。

以前にも、このホーム・ページで何回か指摘してきたが、日本のメディアはこの件の報道はほとんどしてこなかった。これは明らかに、当時のタクシン政権への「遠慮」であったと思われる。しかし、これは日本の読者の「知る権利」を剥奪した「非民主的な行為」であった。

これとは別にタイ政府は今回の赤シャツ騒動の「真相解明委員会」を発足させることにして、元検事総長のカニット・ナ・ナコン氏を委員長に任命し、人選をカニット氏に一任することにした。

タクシン派のプア・タイ党も当初はカニット氏の委員長就任を容認する雰囲気であったが、最近になって強硬に反対し始めた。その理由はおそらくタクシンから「反対するように指令」が来たためではないかとうわさされている。というのはカニット氏はスラユット政権時代に「麻薬撲滅キャンペーン」の真相解明委員会の委員長に任命された「前歴」があるからである。

しかし、政府としてはカニット委員長でいく方針である。プア・タイ党の言い分を聞いていたら、事態の究明などは永久に進みそうもない。

T10-10.赤シャツ騒乱事件の資金提供に関わった86人を特定(2010-6-16)

治安維持本部(CRES=Center of the Resolution of the Emergency Situation)は赤シャツの違法な行動に対して資金を提供したと疑われる86人(含法人)を特定したと発表した。

その内容は公式には明らかにされていないが、下表のようにバンコク・ポスト紙に掲載された。特別捜査局、AMLO(マネー・ロウンダーリング取締り局、税務局、麻薬取締り局の協力によって、疑わしい資金の流れを追及して容疑者リストを作成したという。

これは5月12日から19日にかけての赤シャツの「テロ行動」(銃、手榴弾などによる軍・警察や一般人への攻撃行動)に関わる容疑に限定したという。

この86人には政府の役人、タクシン元首相に近い個人および彼の親族が含まれる。その中には700万バーツが振り込まれ、同日に引き出されたケースや4億バーツとか40億バーツの多額の現金が振り込まれたケースがあるという。

また、タクシンの親族でイニシャルがP(長女ピントンタ)は70億バーツ(約200億円)以上の現金を受け取り、それが徐々に引き出されたという。

また、タクシン夫人に近いカンチャナパという人物は4億バーツの資金を受け取ったといわれ、タクシンの士官学校同期(10期生)のP(下表からは不明)の口座には7億バーツが振り込まれ、それが同日に引き出されたという。

いずれにせよ、資金の大本はタクシンであり、それがさまざまなルートで赤シャツの活動資金として流れていったものという見方がされている。

この資金の流を追求していくことによって、タクシンの組織の基本部分が明らかになっていくものと考えられる。

また、アピシット首相は5か条の「国民和解案」を既に提示しているが、タクシンは反対の意向を表明しており、なかなかまとまりそうもない。

アピシット首相自身も「テロリストとの和解はありえない」といっている。それは当然のことで、数百人の武闘派が銃や手榴弾を持って国内に潜伏しており、彼らが存在し続ける限り、彼らとの「和解」は意味をなさないであろう。

あくまで和解の対象は「武器を所有しない」一般の民衆が相手である。その辺を国際アムネスティーなどは分かっていないのがなんとも理解に苦しむところである。米国政府はその辺の事情を良く承知しているという。なぜか、日本の新聞は口をそろえて「和解」を主張しているが、肝心のタクシンが「和解」する気がないのだからどうしようもない。

 タクシン親族・知人  合計 預貯金  引き出し額 
ポジャマン夫人   5700万B 300万B  4400万B 
 パットンテ・長男  42億4000万B 1600万B  42億3000万B 
 ピントンタ・長女  76億3000万B 10億B  66億3000万B 
 インラク・チナワット  3億1700万B 1億5000万B  1億5700万B 
 バナポット・ダマポン  54億5000万B 2億9000万B  51億6000万B 
 チャイシット・チナワット大将  3700万B    
 Kanchanapa Honghern  4億900万B    
 政治家      
 Karun Hosakul  4600万B 2400万B  2200万B 
 Vicharn Meechainan  1億6500万B 7300万B  9200万B 
 Sudarat 女史  3億3400万B 1億6700万B  1億6700万B 
 Santhi Prompat 4300万B  2150万B  2150万B 
 Chaiya Sasornsap  3700万B 1800万B  1900万B 
 Pracha Prasopdee  3000万B 1600万B  1400万B 
 Charoen Chankornol  2200万B 1400万B  800万B 
 Sanguan Phongmanee  200万B    
 Phairote Tanbanchong  280万B    
 Chuwit Pitakpornpanlop  360万B    
 Somchai Potprasert  2000万B    
 Duangkae Umoppom 500万B     
 Sernsak Pongpanich  1400万B    
 Somsak Kietsuranont  300万B    
 赤シャツ・リーダー      
 Veera Musikhapong  1050万B    
 Kwanchai Praipana  1400万B 900万B  500万B 
 Suporn Atthawong  1400万B    
 Weng Tojrakarn  140万B 140万B   
 Nisit Sinthuprai  800万B 500万B  300万B 
 Korkaew Pikulthong  200万B    
 Sangiern 警察少将  1000万B    
 元警察、軍幹部      
Chat Kuladiok警察中将  6000万B 3000万B  3000万B 
 Preun Suvanadat大将  1400万B 700万B  700万B 
 Salang Bunnag警察大将  2700万B    
 Manat Poarik中将  40万B    
 法人      
 Songram Kitlertpairot 6億9500万B  3億4800万B  3億4700万B 
 SCAsset Corp 47億B  26億B  21億B 
 Worth Supply 119億B  59億B  56億B 
 BBD Development 156億B  81億B  75億B 
 PT Corp. 224億B  94億B  129億B 
 SCK Estate 155億B  77億B  77億B 
 SC Office Park 174億B  78億B  96億B 
 OAI Management 147億B     

資料出所;Bangkok Post 2010年6月17日 電子版
1バーツ=2.85円
空欄は内訳不明分

上記の表のうちKanchanapaはポジャマン夫人の個人秘書であり、ポジャマン夫人の「代理人」と考えられている。タクシンの長男と長女の2人の口座から109億バーツが徐々に引き出されており、その行方の追及が注目される。

上記の表からは、当然あってもおかしくない人の名前がいくも抜けている。故カッティヤ少将や同少将と親しくかつタクシンのクローニーであったスルヤ元工業相や赤シャツのリーダーの幾人かの名前がない。おそらく「政治的な理由」で公表されたかったものであろう。

また、ナタウットのように「恩師」に1億バーツの札束を見せびらかしながら、「銀行の口座」にはカネを置いておかなかったような目先の利く人物もかなりいるはずである。

この名前の公表は赤シャツ・グループにとって致命的ともいえる打撃を与えることになろう。「民主主義や貧富の格差解消だの社会的公正だの」と偉そうなことを言っていた連中がタクシンの飼い犬だったということが露見してしまったのである。

これら83人(含む法人)のカネの流れにっついての取り調べは6月28日(月)から特捜部が本格的に行う予定である。


T10-11.ブーム・ジャイタイ党本部に爆弾が仕掛けられる(2010-6-23)

ネーウィン・チョーチーブ系のブーム・ジャイタイ党(与党連合第2党)本部の駐車場に爆弾(ガス・ボンベにガソリンとTNT火薬と遠隔起爆装置)が仕掛けられ、犯人は負傷し現行犯で逮捕されるという事件が6月22日(火)に発生した。アネックという26歳の男が重傷を負っているところを捕まり、犯行を認めた。

他人から頼まれて実行したというのみで、具体的に誰からいくらで頼まれたかについては供述を拒んでいるという。爆発物は果物屋台に仕掛け、チョンブリから1トン・ピックアップ・トラックで運んできた。到着後電話による遠隔操作で爆発させたとみられている。

犯行を企画したのはタクシン系の政治団体(プア・タイ党か赤シャツ隊)ではないかとみられている。その後の警察の調べで、アネクに仕事を依頼した人物はレムチャバン(港湾あり)に住むガンポンという人物であることが判明した。

ガンポンはその付近のモーター・サイ(オートバイ・タクシー)のボスであり、赤シャツの地方幹部とみられている。ガンポンのうえにはさらに有力者がいて、露見した以上ガンポンの身に危険が迫っているとして警察はガンポンに投降を呼びかけているという。

アピシット首相は本件は「赤シャツ」の政治テロの再開ではではないかとみて警戒を強めている。

赤シャツはアピシット首相の「国民和解」提案を断固拒否している。これはあきらかにタクシンからの指示によるものとみられる。

タクシンがその気にならない限りタイでは「全国民的和解」はあり得ない。

「和解」を望まないグループは「赤シャツ幹部」である。「和解プロセス」が進めばタクシンからカネが降りてこなくなる。ただでさえ目下主要なタクシン派人物の銀行口座が凍結されている。

カネの流れが止まると困るので、小口のテロ事件を頻発させる可能性がある。手榴弾の在庫はまだまだ十分にあり、銃も4月10日に軍から盗んだだけでも68丁が未回収である。それ以前の備蓄もある。それらを背景にタクシン派の民衆への威嚇は当分続くとみなければならない。

もうひとつ注目しなければならないのは赤シャツの「活動家」の中には麻薬の密売などを本業としている「マフィア」が相当含まれていることである。21日にはチャンタブリー県の赤シャツ幹部が麻薬密売で逮捕された(「タイの地元新聞を読む」6月22日版参照)

⇒ブーム・ジャイタイ党本部爆破事件の「首謀者」はカンボジアに逃亡(2010-6-28)

タイ警察が爆発事件の首謀者と断定するオーアことWarisaya Boonsom 42歳(女)とアーイことKobchai Boonplod 41歳(男)は爆破事件の翌日(6月23日)にカンボジアに入国していたことが明らかになった。カンボジアには赤シャツ隊武闘争派の幹部のアリスマンが潜伏しているとみられている。

すでに首謀者の1人として逮捕されているデートポン(Dejpol)57歳とカムポン(Kampol)42歳の2人の容疑者の供述から2人の名前が浮上したという。カムポンはレムチャバン港周辺のバイタク運転手のボスで赤シャツ・デモ警備隊の幹部であるという。

しかし、彼らは「小者」でその上に「政治的意図」をもった本当の首謀者がいることは間違いない。

もともとは「民主党本部」を狙ったが、警戒が厳重で果たせず、与党第2党のブーム・ジャイタイ党に目標を変更したと彼らは供述しているという。

⇒カンボジアに逃れた男女の赤シャツをカンボジア政府が捕えて強制送還(2010-7-5)

カンボジア政府はタイのテロ容疑者としてカンボジアのシェムレアップに滞在していたワリサヤ(42歳女)とコブチャイ(41歳男)の2人を7月3日に捕えて、5日タイに強制送還してきた。この2人は夫婦である。

2人は赤シャツのメンバーであることは認めたものの、事件への関与は否定し、誰かに「ハメられた」と言い訳しているという。誰かとは明らかにできないと言っていた。しかし、2人はすでに逮捕されているデートポン7容疑者に隠れ家を提供したり、犯行に使われた屋台用荷車の購入資金を提供していたという。

また、ワイサヤ容疑者の手帳から爆発物製造方法に関するメモが見つかったという。これはコブチャイが自ら書いたものであることを認めている。

これらの事実関係からだけでも事件への関与は明らかであり、しかも「非常事態宣言」下のテロ事件だけに刑罰も一段と厳しくなることが予想され、彼らの上の人物の名前を明かさざるを得なくなるであろう。一応Mr. Pという名前が出ているという。

この2人はカンボジアで赤シャツ幹部のパンヤップ(Panyap Panket)とカンヤパック(DJ Aom, Kanyapak Maneejak)の2人に合流する予定であったとみられ、逮捕された朝にはカンボジア警察はこの2人の赤シャツの名前を使ってロビーにワリサヤとコブチャイ夫婦を呼び出したという。

カンボジアのフンセン首相は「アピシット首相に呪いをかける」というぐらいの熱狂的タクシン信奉者であるが、今回の「小者」の逮捕・引き渡しによって多少なりともアピシット政権に「ゴマを擦った」つもりであろう。

しかし、赤シャツ武闘派幹部のアリスマンなど複数の赤シャツ幹部を依然としてカンボジアに匿っていることは明らかで、タイ政府としては引き続きカンボジア政府にタクシン派幹部の身柄引き渡しを要求し続けるであろう。

逆の見方をすれば赤シャツはカンボジアに第2本部を置き、タイでお尋ね者になっている赤シャツ幹部をかくまい、カンボジア政府はそれを容認していると見ることもできよう。

カンボジア政府としては過去に中国製催涙弾(殺傷能力のある)などの武器をタイに輸出し、膨大な利益を上げてきたが、アピシット政権が安定すれば、タイ政府との「敵対関係の長期化」は大きなマイナスになることは確実で、今回の強制送還措置は「関係改善」を求めるカンボジア政府の最初のメッセージといえよう。


T10-12. バンコクの補欠選挙、民主、赤シャツ、黄色シャツの3つ巴の闘い(2010-6-25)

バンコクの第6選挙区選出の民主党議員であったティワ氏(Thiwa Ngemyuang)氏が6月11日病死したために、補欠選挙が7月25日に行われることになった。民主党はパニット氏(Panich Vikisreth)が立候補することで、無風の選挙戦になると考えられていた。

ところが、タクシンの政党であるプア・タイ党はこともあろうに赤シャツ幹部で「テロリスチ容疑」で拘束されている11名の幹部の一人であるコーケウ(Kokaew)氏を候補者として担ぎ出した。たぶん、有罪判決が確実視されているコーケウ氏は現在「未決拘留中」の身分であり、保釈を受けて立候補するのだという。

刑事裁判所は「保釈を認める」という裁決を行い、前代未聞の「テロリスト容疑者」が公党の候補者として立候補することになった。このまま2人で選挙を行えば民主党候補が勝つことになったであろうが、ここで予想外の立候補者が現れた。

それは、PAD(黄色シャツ)の政党の「新政策党」がキッティサク(Kittisak Ratprasert)大将が立候補することに決めたという。こうなると民主党の優位は一気に崩れてしまった。赤シャツのテロリストが国会議員として登場する可能性が出てきたのである。

黄色シャツの「新政策党」は民主党の足を引っ張るだけの役割を今後とも果たして行きそうである。

一方、先ごろ行われたバンコク市議会議員の6議席の補欠選挙ではすべて民主党候補者が制した。しかし、民主党は黄色シャツの支持者の票を受けて「辛勝」したものがほとんどであったという。


⇒「新政策党」キッティサク氏立候補断念(2010-6-26)

PADの政党「新政策党」のキッティサク氏は立候補の翌日に立候補を取りやめると宣言した。これは上に述べて事情のように、「赤シャツ」幹部を利することに対する黄色シャツ支持者からの反対の声に押されたためと考えられる。

一番喜んだのは民主党であろう。キッティサク氏は「テロリスト」と選挙戦を戦う気がしなくなったと説明しているという。


⇒バンコク第6区の補欠選は民主党のパニット候補の順当勝ち(2010-7-25

7月25日(日)に行われた下院議員の補欠選挙では民主党のパニット(Panich Vikitsetr)候補が96,480票を獲得し、タクシンのプア・タイ党のコーケオ(Korkaew Pikulthong)候補の81,776票に14, 704票の差をつけて当選を決めた。投票率は49.5%であった。

前回投票率は72.7%であった。今回は民主党候補の楽勝が当初から予想されていたため、投票率が落ちたものとみられる。

プア・タイ党としては赤シャツ最高幹部の1人で現在テロリストなどの容疑で、拘置されているコーケオを候補者に立てるという「奇策」に出たが、民主党候補には勝てなかった。

第6区はバンコクでは比較的低所得者が多く、赤シャツの支持者もかなり多いとみられていた選挙区であった。かなりの「実弾がばらまかれた」と民主党側は主張していた。

T10-13.赤シャツ、軍の備蓄石油タンクをロケット式手榴弾で攻撃、実害なし(2010-6-29)


6月27日夜10時ごろ、ノンタブリー県の陸軍補給連隊の6基の石油備蓄タンクの1基にロッケット装置により発射された手榴弾(RPG)2発が命中したが、石油タンク内がたまたま空だったので爆発を免れた。

このロケット手榴弾は100メートル以上の飛距離があったとされる。

しかし、政府は赤シャツ軍団はロケット式手榴弾の使用実績はあり、相当な備蓄もあると推測され、6月22日のブーム・ジャイタイ党本部爆発事件もあり、赤シャツ軍団のテロ活動が動き出したのではないかと警戒を強めている。

手榴弾や爆発物の使用は遠距離からの使用で多くの軍・警察官や市民を殺傷できる効果があり、銃撃とりも多用される可能性がある。

これは南タイのイスラム・ゲリラの最近の動きをみても明らかである。イスラム・ゲリラの場合はもっぱら道路脇や自動車に仕掛けた爆弾を携帯電話などを使った遠隔操作で爆破させている。しかし、この方法はバンコクでも次第に普及しつつある。


T10-14、民主党にたいする「解党」提訴固まる(2010-7-10)


選挙管理委員会は先に、民主党がPTI社から規定を上回る2億5800万バーツの政治献金を受けたとして、「解党」を求めるように検察庁に提起していたが、このほど検察庁と選挙管理委員会は合同会議を開き、憲法裁判所にたいして正式に提訴することを決めた。

この事件は2005年にバンヤート党首とプラディット書記長時代の出来事とされるが憲法裁判所が有罪と認定すれば、民主党は解党処分を受け、アピシット首相らの当時の党執行部は5年間の被選挙権剥奪の処分を受け、タイ政治は大打撃を受ける。

憲法裁判所は提訴を受理するかどうかは決めていない。

民主党は献金授受の事実はないとしているが、解党の可能性はゼロとは言えない。

⇒特別捜査局はTPIの民主党への違法献金は証拠不十分と判断(2010-7-19)

法務省特別捜査局(DSI)のターリット局長は選挙管理委員会と検察庁が民主党の「解党」にかかわる疑惑として提訴しようとしているセメント会社TPI Polence社から2005年に民主党の選挙運動用に渡されたとされる2億5800万バーツについて、実際は民主党議員個人に渡されたという疑惑については証拠不十分と判断したと語った。

また、選挙管理員会が民主党が2億5800万バーツの金額を受け取ったとすれば、それは「政党法」に違反し、「解党」に値するという主張についてはコメントを避けた。しかし、この金額が民主党にわたっている証拠が否定されたことにもなり、民主党の「解党」問題は選挙管理委員会から支給された「選挙広告用看板」費用2900万バーツ問題に絞られることになりそうである。

民主党の看板は「規定よりもやや小さかった」という事案である。いくら「法非」の国といわれるタイでもこれは余りに微罪であり、せいぜい罰金刑で終わりそうである。


T10-15, 赤シャツ・テロ実行犯逮捕(2010-7-15

ロッブリ警察は赤シャツ軍団が5月8日ルンピニ公園前から向かいのシーロム道路の入り口のソイ・サラディン駅(高架鉄道)に向けてM79手榴弾を発射し、警察官1名と一般市民1名を殺害し、多数の市民を負傷させた容疑で指名手配されていたラング(Rang)ことスラチャイ(Surachai Thewarit)25歳を7月15日朝逮捕された。

スラチャイは赤シャツの有力な武闘派メンバー(黒シャツ隊ことタクシン将軍軍団)であり、故カッティヤ少将の有力な部下であり、護衛を務めていた。彼は戦闘技術を習得するためにカッティヤによって台湾に派遣されたこともあるという。(台湾当局はスラチャイなる人物が入国した記録はないと強く否定7月19日)

スラチャイは5月19日の政府の掃討作戦後、一時カンボジアに逃れていたが、6月26日にブリ・ラム県の自宅に帰り、東北部の各地を転々としていたが、次の暗殺を計画しロッブリに行ったところを逮捕された。帰国後、出産したばかりの妻に電話し「大仕事」を済ませたら送金すると語っていたという。

スラチャイはルンピニでM79を発射させてことや他の銃撃事件に関与したことを認めており、ほかの黒シャツ隊メンバーについても供述しているという。

特別捜査局タリット(Tharit)局長はスラチャイが直接かかわったと供述している事件を次のように列挙した。(7月16日追記)

①3月28日;第11歩兵連隊本部に対するM79手榴弾投擲。兵士4名が負傷。
②4月10日事件(ラートプラソン強制排除)時にコック・ウァ(Khok Wua)交差点付近における軍人5名(Romklao大佐ほか)の殺害と一般市民が負傷させられた。一味はM79手榴弾を軍にも市民にも発射した。
③4月21日;パトム・タニ県ラム・ルク・カ地区の燃料貯蔵タンクに対するロケット式手榴弾(RPG)の発射。
④4月22日;サラ・ディン交差点(ルンピニ公園前)におけるRPG発射。市民1名が死亡し、75名が負傷した。
⑤5月17日;ズシタニ・ホテル(ルンピニ公園前)に対するRPG攻撃。
⑥5月19日;ルンピニ警察官宿舎に対するM79手榴弾攻撃。
⑦5月7日;サラ・ディン交差点のクルン・タイ・バンクの前での警察官に対するM16ライフルによる狙撃。警察官1名が死亡、2名が負傷。
⑧5月8日;ルンピニ公園前のセキュリティ・チェック・ポイントに対するM79手榴弾攻撃。市民1名が死亡、警察官4名が負傷。

なお、特捜局の秘密捜査官と海兵隊員が赤シャツ隊員を装って、スラチャイからAK47自動小銃2丁と25発のM79手榴弾と2丁の発射装置と手榴弾銃弾を6万バーツで購入したという。この取引には別に4人が関与していた。

これらの武器は新品で中国製のものであったことが判明したという。タクシン派はおそらくカンンボジアから中国製の武器を輸入するルートを持っていた可能性がある

黒シャツ隊(武装赤シャツ軍団)の有力メンバーの逮捕は今後の彼らの行動を掣肘する意味がある。(英字紙ネーション、バンコク・ポスト7月15日、16日版参照)

⇒カッティヤ少将のもう一人の右腕、ラチャタ伍長を逮捕(2010-7-23)

特捜局は先に逮捕したスラチャイとともに故カッティヤ少将の右腕(右腕が2本?)と言われていたラチャタ(Rachata Wongyod)を逮捕した。ラチャタはなんと現役の伍長でカッティヤのドライバーを務めるかたわら、「黒シャツ軍団」に属し、M16ライフルによる狙撃やM79遠距離手榴弾の投擲などのテロ活動を行っていたという。

ラチャタ伍長はプラチョウブ・キリ・カンの第15歩兵部隊に所属する現役の兵士であった。黒シャツのなかに「現役の兵士がいる」という風評はやはり事実であった。

ラチャタは「黒シャツ隊」に所属していることは否定しているが、時折「黒シャツ」の打ち合わせを観察していたという。

しかし、当局の情報では彼はスラチャイと並ぶカッティヤ少将の右腕で「黒シャツ軍団」のリーダー格でさまざまな「狙撃事件」に関与していた疑いがあるという。

このようにリーダー格の人物が次第に逮捕されてくると、赤シャツ隊のテロ活動の実態が明らかになってくる。軍は「黒シャツ隊」のメンバーに銃を持参して投降してくれば「赦免」を与えるといっているが、今の段階では「投降すれば殺される」と思っているものが多いらしく、「投降」実績はゼロのようである。

⇒カッティヤ少将の元運転手で資金の配布係逮捕(2010-8-19)

パトロール警察局のスッティポン局長は8月14日、カッティヤの元運転手のジャルチャラット(Jalchalat Kongsuwan)37歳を逮捕したと語った。ジャルチャラットはタクシンからカッティヤに渡された多額の資金を実際に配布する作業にかかわっていたといわれる。

配布責任者はコー(Mrs Kor)という名の女であるといわれ、カノクワン(Kanokwan Witjitrawiwat)という赤シャツの幹部であるとみられているが、当局は本人を確認できていないという。

ジャルチャラットは今年3月にカッティヤが武器の不法所持で逮捕された際に運転手をしていて同時に逮捕され、その後保釈されていた。赤シャツ関係者はなぜかいったん逮捕されてもすぐに「保釈」されその後さらに凶悪事件を引き起こしているケースが少なくない。

昨年のASEAN会議をぶち壊した首謀者のアリスマンは逮捕がすぐに保釈され、今年の4~5月の騒乱では「武闘派」リーダーとして大活躍し、5月19日以降も逮捕を免れ、現在カンボジアに潜伏しているといわれている。

なお、5月19日に逮捕された赤シャツ幹部はウィーラを除いて、全員保釈を拒否され、収監されており、全員の起訴状が裁判所に送られている。赤シャツの騒乱をPAD(黄色シャツ)の空港占拠事件と同じだという議論が日本でも行われているが、本質的な違いがあることをメディアもきちんと報道すべきである。

また、8月20日のネーション紙の報道によれば、このジャルチャラットは別名スティラック(Suttirak Kongswan)と称し、昨年ナラティワットのアル・ファルコン・モスク(al-Furqon Mosque)において信者に自動小銃を乱射し、10名を殺害するという事件の犯人ではなかとみられているという。

スッティラック元レンジャー部隊の隊員で今年1月にアル・ファルコン・モスク事件の容疑者として一度は逮捕されたが、保釈金を積んで自由の身になっていた。

虐殺事件の目的はイスラム教徒に「反政府感情」を募らせ、アピシット政権を窮地に追い込むためとみられている。


T10-16. アマティヤ・セン博士の赤シャツ騒乱についての欧米メディア批判(2010-7-22)

ノーベル経済学賞の受賞者であるアマティヤ・セン博士は国連関係の講演会で、今回の赤シャツ騒乱について、一方的にアピシット政権を批判したことで知られるBBCやCNNやニューヨーク・タイムズについて「貧乏人と金持階級」の「階級闘争」であるという論理は「短絡的」であると厳しく批判した。

彼は日本語の新聞や読めないので日本のメディアについては批判していないが、一部の欧米のメディアの論拠を疑っている。

特に、「タイのトップ・クラスの大金持ち(タクシンのこと)が指導する階級闘争とはどいう意味か?」という批判である。まったくそのとおりであり、プア・タイ党などは公党として「タクシンの誕生祝い」まで行っている。

赤シャツの幹部が多額の預金口座を持っていることは、上の表からも明らかである。銀行に口座を持たずに多額の資産を隠し持っているものも多い。

こういうインチキ階級闘争について日本のメディアも何処までメスを入れて報道してきたであろうか?欧米のメディアはタクシンに買収されていたという「風評」があり、一部の特派員は更迭された。

日本のメディアはそこまでいっていないが、常軌を逸した「タクシンびいき」報道がなされてきたことは本ページで指摘したとおりである。帰国後の特派員が「タイの民主主義」についてえらそうに一般国民に「講演」したりしている。ほとんど「病気」ではないかと思われる。

セン博士は、講演会での質問で「タイ国軍の武器使用」について質問を受けた。セン博士は「異常事態(この場合赤シャツ隊が訓練された武装集団を要し、軍側に最初に発砲し、多数の死傷者を出した=4月10に事件とその後のテロ行為)」においては軍が制圧に乗り出すのは当然で、インドでもそうしていると述べた。

ただし、軍が一方的にデモ隊に武力行使すべきではないと付け加えた。地下に潜伏していた武装集団の幹部スラチャイが7月15日に逮捕された。

また、ドイツの例を引いて、豊かなドイツ人が、自分たちのコムニティを守るために、外からやってきた者(外国人労働者)に暴力を加えるのはよくないと指摘し。「経済発展が進めばすべての問題が改善される」という見方は間違いであると締めくくったという。

(英字紙、ネーション・電子版2010-7-21付け参照)


T10-17, タクシン、モンゴルで鈴木宗男議員と面談、日本政府の支援と理解要請(2010-7-24)

タイの英字紙ネーションが共同通信の配信として、タクシン元首相が7月21日(水)にモンゴルの首都ウラン・バートルで鈴木宗男国会議員と面談したと報じている。

タクシンはその際「日本政府の支援と理解を要請した」という。鈴木議員は「新党大地」の党首であり、与党議員ではないが衆議院外務委員長を務める。

鈴木議員はタクシンの外国人弁護士アムステルダムと今年6月に東京で面談し、今回の「会談」につながったとみる向きもある。

会談で鈴木議員が何を語ったかは明らかにされていない。

これにはおそらく日本の外務省が何らかの形でかかわっているものと推測される。

日本には「タックシン派」の学者やメディア関係者も隠然たる勢力を持っているが、民主党政権がどいう反応をしめすかが注目される。ちなみに米国政府はタクシンの赤シャツ騒動にははっきり否定的態度を示している。

こういう会談が日本ータイ関係にプラスになるとは考えられない。かつて麻生政権時代にアピシット首相が第1の訪問国として日本にやってきたとき、どれくらい「冷たいあしらい」をしたかを外務省やメディアは忘れるべきでない。あの時はタイに駐在していた日本人の多くは肩身の狭い思いをしたのである。


T10-18,バンコク中心部で爆弾テロ、1名死亡8名負傷(2010-7-25)

現地時間7月25日午後5時51分ごろラジャダムリ通りのショッピング・モール「BIG-C」店の前の「ゴミ缶」に仕掛けられていた爆弾がさく裂し、近くにいた市民1名が重傷を負い病院に運ばれたが死亡した。また、10名以上がが負傷した。負傷者はいずれも爆弾から飛び出した「鉄片」で顔や手足を傷付けられたという。

場所は赤シャツ・デモ隊が5月19日まで占拠していたラートプラソン地区の中心部の伊勢丹デパートの向かい側であり、赤シャツのテロ組織が事件に関与しているという見方が多い。

犯人は捕まっていないが、本日行われた第6選挙区におけるプア・タイ候補の落選と関連付ける説もある。補欠選挙ながらプア・タイ党は組織を挙げて、多額の選挙資金を投じて戦ったといわれ、かなりヒート・アップしていたという。5時半ごろには民主党のパニット候補の「当確」が出ていた。

この事件によってバンコクの「非常事態宣言」の廃止がさらに延期される可能性もある。

その後の警察の調べで、爆発物はM67手榴弾を時限装置を使って爆発させたものであることが判明した。犯人についても近くの防犯カメラの映像でヒントが得られたという。

また、タクシンはツイッターを通じて支持者(赤シャツ)に「武力に訴えないように忍耐」を呼びかけたという。語るに落ちる話である。暴力組織を作り、さんざ一般市民に危害を加えた張本人は一体誰だというのであろうか?

また、赤シャツの支持者がバンコクの第6選挙区に40%近くいるらしいことにも驚かされる。そもそも、テロ容疑者をたとえ獄中からであるにせよ「立候補」を認める選挙管理委員会とは一体何なのであろうか?それを担ぎ出す「プア・タイ党」というのはいかなる政党なのであろうか?
青字は7月26日追記

⇒BIG-C爆発犯容疑者4名を特定、カンボジア国境付近の警備強化(2010-8-3)

タイ特別捜査局(米国のFBIに相当)DSIはすでに4月24日に逮捕状の出ているタナデット(Tanadet Ekapiwat)を7月25日の「BIG-C」爆弾事件の容疑者として特定し、改めて刑事裁判所は逮捕状を出した。

DSIはほかに3名の容疑者を特定し、逮捕状を請求している。

彼らはカンボジアに入国する可能性が高いとしてカンボジアの国境の警備を強化しているという。

赤シャツの幹部もほとんどがカンボジアに入国し、そこに新たな拠点を設けバンコクなどでの活動を指揮している公算が大である。

タクシンはカンボジアに対しさまざまな「フェイバー」を与え、赤シャツが使用する武器や2008年10月に警察がPAD(黄色シャツ)デモ隊にしようした、「殺人催涙弾」もカンボジアから「輸入」した公算が大であるといわれている。

これらの武器はほとんどが中国製であるとみられている。

なお、当局は今回のBIG-C事件ではタクシン派の退役陸軍大将パンロップが関与していると疑っているという。パンロップは故カッティヤ少将の元上官であり、プア・タイ党にも加盟しており、一時期赤シャツ軍団の司令官に就任するとの噂がながされた。

パンロップは今回の事件との関与を否定している。

また、タクシンの従兄でタクシン時代に陸軍司令官、のちの国軍総司令官に就任したチャイシット・チナワット(Chaisit Shinawatra)もパンロップ同様、赤シャツの軍事行動(テロリズム)に関与しているという疑惑をもたれている。

チャイシットはタクシンの単なる従兄であり、それ以外の関係はないと主張している。しかし、チャイシットはタクシンのおかげで「窓際族」から軍のトップにまで昇進した。タクシンの強引な人事のおかげで軍内部に反タクシン感情が一気に高まったともいえる。

⇒BIG-C爆弾事件容疑者2名逮捕(2010-8-5


バンコク警察本部は7月25日にラジャダムリ通り(伊勢丹前)のBIG-Cショッピング・センター前で起こった爆弾事件とその後、ラン・ナム通りで起こった爆破事件の容疑者として8月4日(水)に元兵卒ソラピンと赤シャツ警備員のセクサンという2人の容疑者を逮捕したと発表した。

特捜局タリット局長はキティサクという人物の逮捕状を取って行方を追及しているという。

ソラピンは爆弾の組み立てをしたが、爆発の実行にはかかわっていないと主張している。警察は彼の自宅を捜索した結果、中国製手榴弾82-2と手製の爆弾などを発見した。また赤色のオートバイと黒のヘルメットを所有していた。

ソラピンは5月19日の騒乱当日、ビクトリー記念碑とディン・デン地区で爆弾を破裂させた容疑でも追及されていた。それ以外の各所で暴力的な集会に参加していたことが確認されている。


T10-19,タイ陸軍時期司令官はプラユット副司令官の昇任(2010-8-4)

アヌポン陸軍司令官が定年で9月末に退任するため、公認の一連の人事が決まりつつあるが、4月5月の赤シャツ騒乱に毅然たる態度で臨んだとされる副司令官のプラユット・チャンオチャ(Prayuth Chan-ocha)大将の昇任が固まった。これはアピシット政権の案として国王に上申されたという。

予想される新人事(バンコク・ポスト、2010-9-2付)

陸軍司令官   Prayuth Chan-ocha大将  現陸軍副司令官
 陸軍副司令官  Thirawat Boonyapradap大将  現陸軍司令官補佐
 陸軍参謀長 Dapong Rattanasuwan中将  現 副陸軍参謀長
 陸軍司令官補佐  Yuthaslip Doychuenngram中将 空軍司令官 
 陸軍司令官補佐  Pichet Wisaijorn中将  現第4軍司令官
 陸軍最高顧問  Wit Thephatsadin na Ayudthya大将  現陸軍司令官補佐
 陸軍特別顧問 Thanongsak Apirakyothin中将   現第3軍司令官
 陸軍特別顧問  Kanit Sapitak中将  現第1軍司令官
 第1軍司令官 Udomdet Sitabutr少将   
 第2軍司令官 Thawatchai Samutsakhon中将   
 第3軍司令官  Wanthip Wongwai中将  
第4軍司令官   Udomchai Thammasarorat少将  
 国軍総司令官 Pirun Paewpholsong大将  現陸軍参謀長 
 第1軍副司令官 Varit Rojanapakdi少将  第2歩兵師団長 


プラユット大将は2014年に60歳の定年を迎える。第12期Chulachomklao士官学校卒。

この中で、現在第1軍司令官のカニット(Kanit Sapitak)中将の名前が見当たらない。従来第1軍司令官(首都圏防衛)は陸軍司令官補佐の地位が与えられ、将来の陸軍司令官候補に擬せられてきたが、大将に昇格のうえ陸軍特別顧問に就任するとみられている。赤シャツ対策で強硬派のダポン副参謀長との意見の対立があったとも言われている。

第3軍司令官のタノンサク中将が陸軍司令官補佐に抜擢されたのは「赤シャツ騒動」での積極的な働きが評価されたものと観測されている。

アヌポン陸軍司令官はBarapha Payak(Tigar of the East)forceと呼ばれるグループに肩入れしたという風評を否定している。これはプラチン・ブリに基地を置く「東部国境」を警備する軍の派閥という意味で、アヌポンとプラユットも同じ釜の飯を食った間柄であるという。

⇒陸軍司令官補佐には空軍司令官ユタスリプ中将が就任か?(2010-8-21)

バンコク・ポストによれば陸軍司令官補佐に就任が予測されていた、現第3軍司令官タノンサク中将は「陸軍特別顧問」に就任し、代わって現空軍司令官ユタスリップ(Yuthaslip Doichuen-hgam)中将が「陸軍司令官補佐」に就任するという見方が出てきた。

ユタスリプ空軍司令官は第11期陸軍士官学校卒で次期陸軍司令官に予定されているプラユット陸軍副司令官と親しいといわれている。

しかし、スーテェップ副首相は今回の赤シャツ騒動で実績のあったタノンサク中将が予定通り陸軍司令官補佐に昇格するという「予定に」に変更はないと言っているという。(結果は陸軍特別顧問であった)


T10-20, 新警察長官にウィチャン副長官を指名(2010-8-10)

ながらく空席になっていて、パティープ警察大将が代行を務めていた警察長官のポストに現在副長官のウィチャン(Wichean Potephoeree)警察大将が10月1日から就任することとなった。

これはアピシット首相が委員長を務める王室タイ警察委員会のメンバーの投票によるもので、票を投じた8名全員の賛成が得られたものである。この委員会のはピラポン司法相は所用で欠席した。

ウィチャン新警察庁長官は警察学校28期の卒業で57歳であり、定年の2013年まで3年間の在職期間が見込まれる。

先の赤シャツ騒乱では露骨にあ赤シャツ隊を支持する警察幹部が現れ、国民の批判を買ったが、ウィチャン氏がどういう方針で臨むかが注目される。

前回はアピシット首相の推薦する人物が各派の思惑から多数を得られずに警察長官を指名できず、代行を置くにとどまった。その結果、タクシン派警察幹部の横行を許す結果にもつながったといえよう。

警察からタクシン派幹部を一掃することは至難の技であるが、警察が「治安維持」の責任をほとんど果たせなかったことについて国王からの不満もあり、今後は少しは「改善されていくであろう。

T110-04.タクシン差押さえ資金760億バーツ中460億バーツ没収最高裁判決(2010-2-26)

2006年9月の軍事無血クーデターによって追放されたタクシン元首相(別件で2年の禁固刑判決が確定したが収監を恐れてドバイに滞在中)のタイの銀行口座に残されていた766億バーツ(約2070億円)が汚職調査委員会によって凍結されたままであったが、帰趨をめぐっての最高裁判決が本日下される。


7時間以上に及ぶ判決文朗読の後に下された判決は760億バーツ中460億バーツは没収され、300億バーツ強がタクシンに返されることとなった。

その300億バーツはタクシンガ首相に就任する前から持っていたカネだという解釈のようである。

今までに判明したところでは弁護側の主張はほぼ全面的に退けられたが、検察側の主張も、いくらがタクシンが政界入りする前から持っていたとされる明確な計算がなされていないという点が判決文のなかで述べられている。

タクシンとその家族が保有していた金額はタクシンが首相になるまえに「申告」された額が基準になりそうだが、家族や親族や家政婦に名義を書き換えた分の合法性も問題にされるであろう。

携帯電話の認可料金がタクシンの所有するシン・コーポレーション(後にシンガポールの国営投資会社TEMASEKに売却)に対し、同業他社より安く設定したり、衛星通信ビジネスもビルマに輸銀融資を増額してつけてタクシンの会社に受注させるなど、首相という地位を利用して個人的な利益(我田引水)をしきりにおこなってきた点が指摘された。

シン・コ^ポレーションの利益率が高いので株価は上昇し、そのピークでタクシンは同社の株を売り払った。

前にも有罪判決が出たが、ラチャダピーセク通りの国有地(政府が差し押さえた)の払い下げをポジャマン夫人に落札させた(日本のカンポの宿事件と類似)というところが既に有罪になっている。(2年の禁固刑はその罪状)

タクシンは他にもさまざまな疑惑が持たれているがそれは今後の話である。今回の事案や昨年の4月のソンクラン暴動などにまつわるタクシンへの刑事罰は問われないのであろうか?

タクシンとしてもこの判決には従わざるをえないであろう。これによってタクシンの反政府活動はひとまず収まるであろう。(実際は収まらなかった)

赤シャツ運動は誰がなんと言おうとタクシンのカネによってタクシンの資金奪還闘争のためのものであった。これがタイの貧困層の「民主化闘争」だなどとネゴトを言っていってきたタイ通の皆様の今後の言動がミモノである。

赤シャツ隊も2月26日の判決日に最高裁などにデモをかけるという話しもあったが、貧困階級が超金持のタクシンの財産を守るために闘うなどというのはどう考えてもおかしい。

赤シャツ隊の運動もこれから潮が引くように収まっていくであろう。アピシット政権打倒のために彼等は闘いますかね。それがタイの「民主化闘争」ですか。(実際、タクシンとその子分は、狙撃部隊を用意し、軍警察に対抗し、一大惨劇を演じた。)

日本のタクシン派の先生方やジャーナリストの皆様がこれからどういうことになるのかミモノである。タクシン派の大幹部チャトゥロン氏の書いた本をわざわざ「適切なもの」などとして雑誌に紹介・投稿されたA先生もまことにご苦労様でした。

日本のタクシン派(彼等はタクシンのことをなぜか’タックシン’という共通の隠語めいたいいかたをしているから誰が隠れタクシン派かはすぐ見分けがつく)は従来、ほとんどタクシンの悪行を論じることはなかったが、この最高裁判決は主な事例を問題にしているので、ご関心の向きは御参照ください。

タックシン派の先生方に共通して言えることは「開発独裁支持者」だったのではないですか?あなた方の言う「タイの民主主義」とはタックシン民主主義だったに過ぎません。チュラ大のティティナン先生など日本のタックシン派からは大変頼りにされていたようですが彼はどう考えても反動ですよ。彼こそ隠れタクシンの典型だと私は思います。

⇒タイ最高裁、タクシンの「差し押さえ資金返還」控訴を棄却(2010-8-11)

先の最高裁判決(2010-2-26)でタクシンの銀行凍結資産766億バーツのうち463.7億バーツが違法に取得した資金だとして、政府により没収されたが、「異議申し立て」がなされ、最高裁で審議されてきた。

予備審議では119名の判事が参加し、投票の結果103対4、欠席・棄権12名で異議申し立てを棄却した。

最高裁は8月11日に「異議申し立て」を却下する判決を下した。タイの最高裁判所の判決はいい加減だとして日本の識者(タックシン派)も雑誌等を通じてしきりにキャンペーンを行ってきたが、残念ながら彼らの努力は報われなかった。

タイの司法はいい加減で「2重基準だ」と朝日新聞やその他の一般紙は主張してきた。彼らはその根拠を明確にすべきである。



T10-21, 赤シャツ幹部19名テロ活動他の容疑で起訴、逃亡中のタクシンは別途(2010-8-13)

3月から5月にかけてバンコクの中心部を占拠し、強制排除に乗り出した軍・警察に対し組織的に銃撃を加え、また手榴弾攻撃を行い、結果として91名の死者を出し、2000名近い負傷者を出し、5月19日にはバンコク中心部の主要なビルに放火するなど破壊活動を行った赤シャツ・デモ隊の幹部19名に対し、検察庁は8月11日に起訴状を刑事裁判所に送った。

また、身柄の確保されていないタクシン元首相や、ワイポト警察中佐、アリスマン、スポーン、パヤップの5名については逮捕・取り調べ後処分を決定するとしている。タクシン以外の5名については現在はカンボジア国内に潜伏しているものと推測されている。

プラテープ財団の前理事長のプラテェープ女史については未だ逮捕されたという情報はないが、今のところテロ容疑者には含まれていないがクロン・トイ地区の違法な大規模集会を組織し、アジ演説を行ったという罪状で逮捕状が出ている。

19名の被告とは次のとおりである。
Veera Musikhapong(600万バーツで保釈中), Jatuporn Prompan(下院議員)、Natthawut Saikua, Weng Tojirakarn, Korkeaw Pikulthong, Kwanchai Praipana, Yoswaris Chuklom, Nisit Sinthuprai, Karun Hosakul(下院議員), Wiphuthalaeng Patanaphumthai, Phumkitti Sujindathong, Suksek Poltue, Jaran Loypul, Amnat Inthachote, Chayut Laicharoen, Sombat Makthong, Surachai Thewarat, Rachot Wongyod, Yongyuth Thuammee.(順序はバンコク・ポストによる)

なお、ウィーラ(Veera)は600万バーツ(約1600万円)の保釈金を積んで、保釈を認められているが、他のメンバーは保釈を認められていない。ジャトポンは国会議員特権で現在収監を免れている。


なお黄色シャツ(PAD=民主主義のための人民連合)については中央政庁や飛行場の占拠事件を起こしているが、平和裏に退去しており、軍や警察に発砲したり一般市民に危害を加えたというような野蛮行為は働いていない。

 なぜか日本のメディアの主流どころはよほど「黄色シャツ」が憎いらしく、彼らを執拗に非難し続けている。警察は黄色シャツ幹部にも召喚状を出して罪状の確認を行っているようだが、刑事訴追は遅れている。ただし、黄色シャツはテロ行為の被害者であっても、加害者ではない。またカンボジアに逃亡するなどということはない。


T10-22,フン・セン首相タクシンとの顧問契約解消、両国大使復帰(2010-8-24)


タクシンの顧問弁護士ナパドン(元外相)はタクシンは「自らの意志でカンボジアのフン・セン首相の顧問を辞任した」と8月23日発表した。タクシンは現在の状況では「顧問の役割を十分果たせない」ということを辞任の理由としている。

しかし、実際はフン・セン側から「辞任を要請された」見るべきであろう。フン・センはアピシット首相に対して「死の呪いをかける」などという、本来隣国の首相としてはおよそ「非常識な」行いをし(2010年3月)、5月19日の赤シャツ敗北以降、赤シャツ軍団幹部をカンボジアにかくまうなどという反タイ政府的な行動をとってきた。

その結果、タイは大使を召還し、今日まで半ば「国交断絶」に近い状態が続いている。それに加え、プレア・ヴィハール(Preah Vihear)寺院をめぐる国境紛争があり、その処理を誤るとアピシット政権は崩壊するかもしれないなどという「インチキ報道」すら日本で流されている。

なぜか日本の一流(?)各紙は、一日も早くアピシット首相を辞めさせたがっているようだ。これは現地に投資をしている日系企業の大多数の考え方と違うということを各特派員は認識すべきである。とくに、日経のタイの経済記事はひどい。はっきり言って支離滅裂である。

しかし、アピシット政権は「赤シャツ危機」を乗り切り、経済活動もきわめて順調な推移をしめし、10年2Qの成長率も9%の伸びを記録した。一方、カンボジアはASEANの経済発展から取り残され、どうにもならない閉塞状況にある。

とりわけ、隣国タイには様々な形で「経済的な依存関係」があったが、タイからの投資も急減するといった状態になている。

近くASEAN首脳会議あり、そこでアピシット首相とフン・セン首相が「諸問題」の解決のための話し合いを行うことが合意されていたが、今回カンボジア側から「手土産」が差し出されたというのが、今回のタクシンの顧問辞任(解任)劇であろう。

両国大使は今日にも任地に復帰すると報道されている。今後カンボジアに隠れている赤シャツ幹部も次第にアブリ出されてくるであろう。


T10-23, タイ下院予算案通過、プア・タイ党から6人が賛成票を投じる(2010-8-25)

タイの下院は2011年度(2010年10月~21年9月)の予算2兆700億バーツ(約5兆6千億円)を承認した。出席議員466名中、賛成253名、反対173名、保留14名、棄権21名であった。

与党連合からの保留・棄権が意外に多かった。しかし、もっと驚くべきはタクシンの政党プア・タイ党から6名の議員が「賛成票」を投じ、その氏名も明らかにされている。

4月・5月の赤シャツ騒乱事件いらい、タイの政治にさまざまな変化が生じていることが窺われる「事件」である。ただ、いえることはかつてのようにタクシンが選挙を通じて「復権」するという可能性は急速に失せているということである。

また、昨日(8月24日)に公表される予定であった、「騒乱事件」の91名の死者の死因の報告が「間に合わなかった」という理由で延期されたことである。とくに「村本記者」とイタリー人記者の死因については結論が出ていないようである。

日本の一部の新聞では村本さんは軍によって射殺されたといわんばかりの報道をしているが、実に不謹慎である。赤シャツのデモ隊の「目撃証言」が当時報道されたが、証人は現れなかったという。使われた銃はM16狙撃銃(高速銃)であったことは確かなようで、これは赤シャツの「黒軍団」が当日使っていた銃である。

しかし、それはもともと「軍用銃」であるため軍が使用しなかったと断定するのが困難であったものと推測される。村本さんが負傷後赤シャツ・デモ参加者によって運ばれる写真が、韓国の新聞に出ていたが、傷痕は前面に見られず、背後から撃たれたような感じであった。

ということは「黒軍団」が撃った可能性が高いということである。村本さんが持っていたビデオ・カメラも行方不明である。「黒軍団」の行動を記録した村本さんを沈黙させる必要を感じたのは赤シャツの方ではないだろうか?いずれにせよ真相が早期に明らかにされることを期待したい。


T10-24. ロシア人「死の商人」の米国送還遅れる(2010-8-26)

国際手配を受けていたロシア人のヴィクトール・ボウト(Viktor Bout)という国際的に知られた武器密輸商人(死の商人)をバンコクの高級ホテルで2008年3月に逮捕した。彼はコロンビアの反政府組織やアル・カイダにも武器を供給していると言われた、元ロシア軍パイロットである。

その身の振り方がようやく決定され、米国に強制送還されることに一度は決まった。米国政府はボウト容疑者の密輸武器が「テロリスト」に渡るという観点から、身柄の引き渡しを要求し、強制送還のために民間ジェット機をチャーターしてドン・ムアン空港まで迎えに来ているという。一方、ロシア政府はボウト容疑者はロシア国民であり、ロシアに送還すべきだと主張している。

ところが、米国政府の身柄引き渡しの要求書のなかに、「マネーロンダーリングと詐欺(Fraud)」の容疑項目がはいっており、その件については裁判所はまだ審議が済んでいないと身柄引き渡しの延期を決定した。米国は怒って一日も早く身柄を引き渡せと主張している。

一方、ロシア政府はボウト容疑者の身柄を米国に引き渡すことについて強く反発しており、ロシア外務省広報局次長のウラジミール・コジン(Vladimir Kozin)氏はロシアの英字紙Mosvcow Timesに寄稿し、「ボウト氏はロシアのビジネスマンでありロシア政府の支持を受けている」としてボウトを擁護している。

その上、今回の事件はロシアと米国の関係を阻害するものであると強く警告している。コジン次長は「個人的見解だが、ボウト氏は釈放されるべきである」としてタイ側にも圧力をかけている。

ここまでの話は、死の商人の首領クラスの男がバンコクで逮捕され、その処置をめぐってタイ政府が米国とロシアの板挟みになるという「災難物語」である。

一方、2009年12月、タイのドン・ムアン空港に「給油」のために立ち寄った民間機から多数の武器が発見され、タイ当局はただちに武器と航空機を差し押さえた。実はこの飛行機の「最終目的地」はバンコクではなかったのではないかという「疑惑」が持ち上がっている。この飛行機はグルジア国籍でウクライナ人がパイロットであり、乗務員はすでに国外追放になっている。

当初の報道では武器の買い手はコロンビアの反政府ゲリラ組織であり、スリ・ランカまでとりあえず運ぶということになっていたという。この武器は北朝鮮製のものでロッケト部品も含まれていたという話が、実は北朝鮮製のものではないことが判明した(どこ製かは明らかにされていない)。

内容は明らかにされていないがAK47自動小銃やライフル銃や実弾300万発といったゲリラが使うような銃火器が主体で、総重量が30トンあったといわれている。

ところが、最近になってタクシン首相が赤シャツ軍団を武装させるために、「武器を調達しバンコクに持ち込んだのではないか」という噂が出ているのである。

今年の4月11日にアピシット首相の補佐官で国会議員でもあるシリチョーク(Sirichoke Sopha)氏がボウト容疑者の拘置先に出向いて「面談」していたことが明らかになった。

これに対し、プア・タイ党の国会議員であり、赤シャツの大幹部のジャトポーン(テロ容疑で逮捕されたが国会開催期間中は拘置を免除されている)が「シリチョークは正規の手続きを踏まずに、規定以外の時間に容疑者に面会するという重大な違法行為を犯したのだから国会議員を罷免せよ」と声高に主張し始めた。

また、タクシンの法律顧問のノパドン(元外相)は「タクシンに武器密輸の嫌疑をかけるようであれば名誉棄損で訴える」と言い始めた。

タクシンの子分達の過剰な反応をみると、「もしかして」という疑惑が浮かんできてもおかしくない。シリチョークはボウトに対しタクシンとの関連について質問などしていないと主張している(後で、質問したことを認める)。


T10-25. バンコク地方議会選挙では民主党が圧勝(2010-8-30)

8月29日(日)におこなわれたバンコクの行政評議会(都議会に相当)は改選61議席中民主党が45議席、プア・タイ党が15議席、無所属が1議席獲得した。黄色シャツの新政治党は1議席も取れなかった。プア・タイ党が議席を取った選挙区は周辺部と都心部でも低所得者層の多い選挙区であった。

また、区議会議員選挙では改選議席256のうち民主党が210議席、プア・タイ党が39議席、無所属が7議席という結果になった。

これをみると、中間層以上は民主党支持者が多く、低所得層はプア・タイ党支持者が多いという結果になった。

全国ベースでは必ずしも民主党が圧勝するとは言えない。貧困層の多い東北部や北部では依然としてプア・タイ党が優勢であろうことは間違いないが、ブーム・ジャイ・タイ党といった連立与党がどのくらい議席を伸ばせるかが依然として焦点であることには変わりはない。

なお、最近末広昭東京大学教授がバンコクで講演し、赤シャツ支持の論陣をはり、タックシンは農民救済策をとったが、アピシットは単なる「ばら撒き」政策で駄目だとか、タックシンは昭和初期の「北一輝」のようなすぐれた革命家だなどっとブッて聴衆を唖然とさせたという。

どこで調べたか、先のバンコク騒乱では91名の死者のうち軍人は3名のみで、残りはすべて軍が虐殺したという「新事実」も明らかにしたという。その数については近く特捜局が「検視結果」などを調査して発表するという。

末広先生は東大教授ではあるが、「社会科学研究所長」という要職にあり、こういうデタラメを東大の学生諸君に講義はしていないと思われる。いずれにせよ日本では「学問と思想と言論の自由は憲法で保障」されている。ただし、発言したことの責任は本人が負う。


それにしても末広先生の情報源はすごい。赤シャツに相当な情報網を持っておられるらしい。そういえば、バンコクの某日本料理屋の大将が赤シャツに情報網を持っていて「有益な話」をホーム・ページで流してくれていたが、最近はどこかに行ってしまった。残念である。

T10-26. マプタプット工業団地の大部分のプロジェクトが環境問題クリアー(2010-9-2)

タイの東部臨海工業地帯のマプタプット工業団地で、住民に健康上の被害を与える容疑があるとして76件のプロジェクトの工事が2009年9月から差し止められていたが、そのうち74件が「環境基準をクリアー」としてして中央行政裁判所より工事再開がみとめられた。

今回、アウトになった2件のプロジェクトとはPTT Chemical PCL. の子会社のTOG Glycol社のエチレン・グリコール・プラントとSiam Cementの出資会社のビニール・クロライド・モノマー・プラントでありこの2件は環境庁の別途審査が必要であるとの判決であった。

タイの投資委員会はこの判決でタイへの外資が増加すると歓迎している。(WSJ 2010-9-2 電子版参照)


T10-27. プア・タイ党のヨンユット党首辞任、後任はコーウィット元警察長官か?(2010-9-10)

タクシンの政党プア・タイ党の党首ヨンユット氏は9月8日の党幹部会に辞任を申し入れ受理された。これはヨンユットは否定しているが、タクシンの指示によるものとみられている。後任は元警察庁長官でタクシンの腹心であるといわれるコーウィット(Kowit)警察大将が就任するとの観測が流れている。

コーウィットは警察官僚時代にはタクシンの意をうけて、さまざまな謀略事件に関与したという疑惑がもたれている。2004年のイスラム教徒のソムチャイ弁護士謀殺事件に関与しているといわれ、2008年10月にはコーウィットはソムチャイ内閣で内務相を務め、PAD(民主主義のための市民連合=黄色シャツ)のデモ排除で殺傷力のある「催涙弾」を使用し、2名の死者を含む多数の死傷者を出した責任者である。

その前のサマック内閣では副首相兼内相を務めており、タクシンの意を受けて警察畑を掌握していた人物である。
出ているが
タクシンがコーウィットを選ぶ理由は、最近アピシット政権は「警察改革」を人事面で断行し、タクシンの警察への影響力が落ちてきたことへの対策ではないかとみられている。

好意的な見方としては本人は王室に忠実であり、アピシット政権の「国民和解」に協力するであろうという見方、がある。しかし、タクシンの意向によってどうにでも動く人物であることには変わりはない。

⇒コーウィットではまとまらず、プア・タイ党の混乱(2010-9-14

コーウィット元警察長官はいったんはプア・タイ党党首に就任することを内諾したものの、東北部の党幹部から異論が出たということで、コーウィットはプア・タイ党への入党(明日にでも党首になろうという人物がまだ入党もしていなかった!!)を辞めたという。

プア・タイ党にはジャトポンのような「強硬路線」一本槍できた人物が幅を利かせており、新党首を選ぶのも容易でないようである。プア・タイ党には元左翼もおり、思想は関係ないが「一旗組」もおり、それぞれが自分の利益と思惑でやりたい放題やってきたので、党内の融和は統一などというのは最初から無理である。

タクシンが「おれはこう決めたから嫌なら出ていけ」といえば、物事は決まる。しかし、意外に出ていく奴は少ないであろう。最後の決め手はタクシンの金である。

最近、国会議員7人ほどがタクシンとロシアで落ち合い、次の選挙用の「綱領」(マニフェスト?)をタクシンに書いてもらってきたという。問題は綱領よりもタクシンがいくら、いつまで金を出すかであろう。

タクシンも内心ではもうあまり金を出したくないらしく(金を出しても効果がないことがはっきりした)、ポジャマン夫人がアピシット首相の「和解案」に乗るように影で動いているという。

「和解案」に参加できる人物としてコーウィットは登場させられたが、赤シャツの強硬派幹部がそれに反発したというところである。下手に「和解」などされてしまうと、赤シャツ幹部は「テロリスト」の罪状を着せられて、長年ブタ箱暮らしを強いられることになりかねない。タクシンもいよいよ「選択」を迫られている。

結局、本日結局ヨンユット党首の再選が決まった。


T10-28, クーデター4周年記念赤シャツ集会6,000人集まる(2010-9-19)

5月19日の赤シャツ騒乱排除以降4カ月ぶりに2006年9月のタクシン追放・クーデター4周年を記念して、赤シャツ・グループが抗議行動としてバンコクの中心地のラートプラソンに集合して気勢をあげた。周辺の大型店舗は午後6時に閉店した。

バンコクは「非常事態宣言」下にあるが、政府が「午後8時までに解散する」ことを条件に特別に許可したものである。人数は警察発表で6,000人(朝日新聞の特派員は1万人)であったという。

一部が暴徒化するという懸念もあったようだが、警戒が厳重なため何事もなく終わったようである。

タクシンはリビヤにいるようだが「国民和解」に協力するように支持者に呼び掛けているという。無益な武力闘争をいくらやっても「勝ち目がない」と悟ったのかもしれない。いままでタクシンの言動はあまりにブレが大きく「額面通り」に受け止められないが、タクシンもこれ以上カネを使っても仕方がないということで様子見に転じたものと考えられる。

しかし、ロップリの軍の武器庫から大量のロケット式手榴弾が盗み出される事件が起こっている。また、アピシット首相の私邸近くのマンションに黒シャツ(赤シャツの武装組織)がアジトを構えてアピシット首相の暗殺を狙っているという報道もある。

タクシンの狙いは「コストを少なくして、所期の効果を上げる」ということに尽きるであろう。それには個別テロが近道である。何万人の大衆行動など手間暇かかってどうしようもないといったところかもしれない。



T10-29. 暗殺者集団11人をチェンマイで逮捕(2010-10-4)


タイ警察チャイヤー少将はチェンマイで赤シャツ武装集団メンバー11名が逮捕されたこと確認した。これは先に逮捕されている赤シャツ戦闘部隊のメンバー(Kittichai Chansawat)の供述に基づく逮捕であるとされている。

赤シャツの「暗殺集団」約30名がカンボジア国境付近での訓練を終え、チェンマイに集結し、訓練を続けているという。

彼らのターゲットはアピシット首相などの政府の要人のほかネーウィン・チョーティーブ(与党連合第2党のブム・ジャイ・タイ党の実質オーナー)も狙われており、2000万バーツ(約5500万円)の懸賞がかけられているという。

一方においてタクシンの政党のプア・タイ党のプロドプラソップ(Plodprasop Syraswadi)副党首はアピシット首相の「和解」提案に応じる用意があるとして5段階からなる「和解提案」を用意した。

しかしながら、肝心のタクシンは和解によって「恩赦」を獲得することが狙いであり、一方において政敵の「暗殺者集団」を育成している。

先の4-5月の赤シャツ騒乱の時も「和解」が成立する直前で、タクシンの「鶴の一声」でそれがぶち壊しになった経緯がある。タクシンが反対したため「和解」が成立しなかったことをバラしたのはカッティヤ少将であった。そのためカッティヤは赤シャツ戦闘集団によって暗殺されたという見方が有力である。

いずれにせよ赤シャツ騒動を左右してきたのはタクシンであることは間違いないが、最近日本からバンコクを訪問して講演した2人の大学教授は2人とも口をそろえて「赤シャツ騒動にはタクシンは関係していない」と強調して帰ったそうである。

多くの聴衆はあまりの「非常識」に唖然としたそうだ。大学教授などといってもごく一般的な常識に欠け、じぶんが何をいっも「無知な大衆は信じてくれる」と思っているらしい。一体日本の「タックシン派」は何を考えているのであろうか?

また、バンコクでは10月には何か大事件が起こるという風説が赤シャツ支持者から出ているという。

⇒11人の事情聴取進む。カンボジアで反王室教育受ける(2010-10-11)

チェンマイで逮捕された11名は他の28人とともにカンボジアに潜入し、シェムレアップ近くの軍事基地で、武器の使用方法を含む戦闘訓練を受けたと供述したという。

彼らはチェンマイ51というタクシン派集団の幹部から誘いを受けてカンボジア入りをした。訓練の際に「タイ王室を憎悪」させるようなビデオを見せられ、「思想教育」を受けたという。

訓練終了後は各人が2万バーツを支給され、3班に分かれて行動していた。4人だけはカンボジアに残され赤シャツ幹部のアリスマンの護衛の任務に就いているという。

彼らはスーテップ副首相の自宅付近の地図を持っており、彼の暗殺を計画していたという。

アリスマンは事件後もタイにずっととどまり、カンボジアには行かずに、各地に潜伏し、バンコクにも数回行き、警察にも見つかったが、彼らは見逃してくれたと語っていた。彼はいつも通り嘘をついてたようだ。


T10-30. バンコクと周辺3県の非常事態宣言を3カ月延期、マンション暴発事件(2010-10-6)

タイ政府は10月6日で期限切れとなるバンコク、ノンタブリ県、パトゥムタニ県およびサムット・プラカン県の1都3県について「非常事態宣言」(6人以上の政治集会の禁止や言論規制など)を3ヶ月間延長するという閣議決定をおこなった。

バンコクの治安は著しく改善されているが、テロリスト暗躍の動きや爆弾事件もあり、なおかつ非常事態宣言の延期が必要であるというのが政府の考えであり、バンコク市民も大方はこれを支持しているものとみられる。

おりしも5日午後6時ごろバンコクの郊外のノンタブリ県で5階建てアパートの2階の1室が突如爆発し、アパートの1階と2階が大きく損傷し、4名の死者と9名の重軽傷者(うち名は重体)が出るという事件が発生した。

爆発が起こった部屋は「武器庫」であり、TNT火薬や農薬から作った爆発物が50Kg近く発見され、ライフル銃のほかまた『タイの新国家体制』というタイトルの赤シャツ系の宣伝ビデオが発見されたと伝えられている。

このアパート内には地方ラジオ局もあり、赤シャツの「爆弾製造アジト」であった可能性もあるとみられている。

部屋の借り手はチェンマイから来た人物であり、警察が行方を追及している。男の名はサマイ(Samai,46才)で赤シャツの警備員であり、過去の爆発事件に関与した容疑で指名手配中である。10月7日なってサマイも爆死していることが4確認された。

9月にバンコクで起きた4県の爆弾事件では、ここで組み立てられた爆弾が使用された可能性が高いと警察はみている。4件とは、9月8日、Santirat Schoo、9月8日BIG C Supercenter、9月9日保健省、9月26日、ロイヤル・ターフ・クラブの爆発事件である

ノンタブリ県は比較的プア・タイ党(タクシンの政党)の勢力が強く、アピワン国会副議長で赤シャツのリーダーの地元でもある。もちろん、同氏と今回の爆発事件は直接は関係ない。しかし、一連の爆破事件は赤シャツ・メンバーが関与したものであるという事実は否定しようがなくなった。

また、このこの爆発が意図的なものか偶然かも不明であるが、大規模殺傷能力のある爆弾が破裂したという事実は重大である。10月の騒乱を赤シャツのテロリスト集団が画策している可能性もないとは言えない。

⇒マンション暴発事件で2名手配、うち1名にプア・タイ党関係者から資金提供(2010-10-12)

タイ警察は爆発事件のあったノンタブリ県のバン・ブア・トン(Bang Bua Thong)地区のサマラン・メタ・マンション(Samaran Metta Mansion) 202号室に出入りしていた2人の人物を特定し、行方を追っている。1人はカシ(Kasi Ditthanarat)48才で南タイのナラティワット県の男である。

もう1人はアムポーン(Amphorn)という49歳のチェンマイ出身の女性で、イスラム教徒のスカーフを普段は着用していた。ナラティワットで「伝統的な生地(バティック?)」の販売店を所有しており、チェンマイにも支店を持っている。

このカシという男は2度にわたって計5万バーツを銀行口座から引き出している。ところがカシに現金を渡した人物が特定された。

それはプア・タイ党の国会議員ウィスット(Wisut Chaiyanarun)が委員長を務める「資金洗浄と麻薬取引対策委員会」の事務員でワサ(Wasa Theprian)という女性である。

ワサは人から頼まれて(その人の名前は言えないという)500バーツの報酬をもらって自分の口座を使って、カシの口座に10月3日に4万バーツ、10月6日に5万バーツ振り込んだというものである。ウィスット議員はワサを連れて警察に事情の説明をおこなわせたという。

ウィット議員はワサを雇ったのは娘の親友だったからだと釈明している。ウィット議員は当局のブラック・リストに名前が挙がっており、先におこなわれた一斉預金口座封鎖の対象になっている。(ネーション、2010-10-11、12付電子版参照)

警察はワサの「自首」がなくとも銀行口座から身元を割り出していたに相違ない。しかし、誰から頼まれたか言えないでは済まされない。警察はワサを拘置し取り調べをおこなっている。10月15日のバンコク・ポストはスラチャイ(Surachai)という人物の名前を報じている。素性は不明。

また、この2人がナラティワット出身であることから爆発事件と「南タイ・ゲリラ」の関係を危惧する声が上がっている。それに対し、ソンティ元陸軍司令官(2006年9月のクーデターの首謀者でイスラム教徒)は関連を否定している。


T10-31.アピシット首相、バンコクの最低賃金1日44バーツ・アップを提案(2010-10-11)

アピシット首相はバンコクの労働者の最低賃金を現行日額206バーツから44バーツ上げて50バーツとするように提案した。

最低賃金は政労使の3社委員会によって決められるが、使用者側は当然ながら大幅アップには強い抵抗を示すものと思われる。

アピシット提案は極東の某元経済大国の首相のように「急な思い付き」ではなく、伝統あるシンクタンクのTDRI(Thailand Development Research Institute)が最近提案したバンコクと隣接するサムット・プラカン県について日額255バーツが妥当であるという提言を考慮したものと受け止められている。

しかしながら経営者側は来年10バーツ・アップを提言しているという。 一方、労働者側のタイ労働団結委員会(Thai Labour Solidarity Committee)のウィライワン(Wilaiwan sae Tia)議長(女性)は標準家族生計を支え、両親にいくばくかの送金をしていくには残業手当抜きで421バーツ必要であると主張している。

政労使委員会の事務局は最近の物価上昇傾向は急激であり、労働者の賃金上昇への要望は強いと述べている。 一方使用者側は労賃は「最低賃金」をベースにするのではなく「業績(Performance)」を注心に考えるべきであると主張している。

チュラロンコーン大学のナロン・ペットプラサート(Narong Phetprasert)経済学講師は60%の労働者は月額6,000バーツ(約16,500円)以下で働いており、残業なしには生活していけないと述べている。

また、TDRIのヨンユット上級研究員は「外国労働者の流入がタイ人労働者の低賃金の原因となっている」と語っている。(バンコク・ポスト、2010年10月11日電子版参照)

東北部や北部タイからバンコクに出てきても下積みで賃金も低く生活が依然として苦しい人々がバンコクとその周辺部に滞留しており、これが赤シャツ運動の下支えになっていることは事実で、アピシット首相の今回の発言もかなり、「真剣」なのもであることは間違いない。

日系企業は最低賃金を上回る賃金を支払っているところが大部分であるが、来年は大幅なベース・アップは不可避であろう。(続く)


T10-32. 中国との高速鉄道計画に議会が待った(2010-10-26)


アピシット政権が進めようとしている中国との高速鉄道建設に対して、内容の詳細が分からないとか、なぜ日本や欧州とではなく中国とやるのかといった「アピシット政権の早急な結論」に対して異議をさしはさむ議員が多く、議会の承認は延期された。

この7,000億バーツ(約1兆9千億円)から8,000億バーツ(2兆2千億円)はかかると言われたプロジェクトの説明書がたったの13ページの文章だけであり、野党議員や上院議員からも強い反発が出ているという。

特に、上院議員の多くが、このプロジェクトは技術的、採算的なリスクが多いうえに環境問題の評価もほとんどなされていないという不信感を表明している。

スポット・ポトンカム(Supot Phothongkham)上院議員は35名かうらなる評価委員会を設置し、問題点の再検討を行うよう要求している。

6月26日の下院で討論の末、特別委員会の設置が決まった。高速鉄道網は次の5ラインである。①BKK⇔Nong Khai,②BKK⇔Rayong, ③BKK⇔Padang Besar、④BKK⇔Chiang Mai, ⑤BKK⇔Ubon Rachathai これらの5ラインを一括して中国に丸投げ発注をしようというのだから議会から反対があって当然である。

今回の特別委員会の設置によって、あらためてF/Sがおこなわれる可能性が強まり、日本勢の入札のチャンスも与えられるであろう。このプロジェクトはタイ国にとっても日本にとっても極めて重要なものであることはいうまでもない。

アピシット政権の中国とのスパー・プロジェクトを早急に決めようとしている姿勢には「中国寄り」という批判があるが、アピシット政権発足当時の日本政府(麻生政権時代)の冷淡な対応を考えれば、アピシット首相が日本に対して内心快からぬ思いを持つのも理解できよう。日本政府はタイ政府に対してどういうロビー活動をやってきたのであろうか?

今回の赤シャツ騒乱でも日本のメディアの大部分が赤シャツ寄りの報道を繰り返したのは、「日本政府の姿勢の表れ(タクシンびいき)」という見方がタイ政府の一部にはあり、最近も日本の国立大学の教授が相次いで訪タイし、赤シャツ寄りの発言を繰り返している。

タイに投資をしている多くの日本企業の考え方とかけ離れている一部の政府関係者や学者や新聞記者は事態をどのように考えているのであろうか?おそらく、次の選挙でプア・タイ党が勝利し、タクシンが復権するとでも思っているのであろうか?

⇒タイー中国と国内縦断鉄道建設計画で合意、ノン・カイからパダン・ブサールまで(2010-12-13)

スーテップ副首相はラオス国境のノン・カイ(Nong Khai)からバンコクを経由してマレーシア国境のパダン・ブサールまでの高速鉄道建設計画について基本的に合意し、近く、議会に諮ることに決めたという。中国側にはソフト・ローンの提供を要請し、中国側はタイ政府からの正式要望書などを求めたという。

計画によれば、来年できるだけ早期に着工し、4年間で工事を完成させるという。

これに先立ち、中国は雲南とラオスを結ぶ高速鉄道建設について最近合意している。雲南からタイ国境のビエン・チャン(Vien Tiane)までつながれば、メコン河を越えればノン・カイにつながる。

中国とラオスとタイの話がまとまれば、雲南からラオスを経由してタイを縦断し、ハジャイ(Hat Yai)からマレー半島西岸の国境のパダン・ブサール(Padang Besar)にまでつながる高速鉄道を中国が建設することになる。タイ国内は一応このルートの鉄道が走っているが本数も少なく、効率もあまりよくない。しかし、需要は大いにある。

この話が議会をすんなり通るかどうかが問題である。


T10-33.赤シャツ武闘派幹部のアリスマンはカンボジアに潜伏中とアピシット首相が明言(2010-6-26)

アピシット首相は赤シャツの武闘派幹部で先の騒動の中でも武装集団を指揮していたとみられるアリスマンがカンボジアのシェムレアップの豪華ホテルに滞在し、赤シャツ武力集団の訓練を指揮するなどしていることが明らかになったとし、近くカンボジアのフンセン首相にアリスマンの身柄引き渡しを申し入れると述べた。

最近、フンセン首相はアピシット首相との関係改善を模索しており、両国関係は大使の派遣を再開するなど和解ムードが高まっている。

しかし、最近チェンマイで逮捕された11名の赤シャツ・テロリスト・グループがカンボジア領内で軍事訓練を受けたと自供していることに対してはカンボジア政府は強く否定している。(T10-29の記事参照)

身の危険を感じたアリスマンは第3国に出国するために、カンボジア政府にビザを申請しているという。(以上は「タイの地元新聞を読む」10月26日付を参照。)

これとは別に国連のパン事務総長がバンコクを訪問中であるが、赤シャツ幹部はパン氏に対して現在拘留中の赤シャツ幹部は「全員が政治犯」であり、ただちに釈放するようにタイ政府に働きかけて欲しいと文書で要請した。

これに対し、パン事務総長は「タイ国内の問題はタイ人自身で解決すべきである」と回答したという。さすがにパン事務総長は赤シャツが4月・5月の騒乱で何をしてきたかを認識している。

そういえばタクシンが首相当時、あまりの人権抑圧(麻薬取り締まりで2,500人虐殺など)や言論弾圧の激しささに、国連が注意したが、タクシンは「国連はオレの親父ではない。余計な事に口出しするな。」と強烈に反論していた。

いっぽう日本の「タックシン派」の学者は「赤シャツは民主主義と社会的不平等の解消」のための運動であり、「タクシンは一切関与していない」と最近になってタイで発言している。それにしては赤シャツの集会に、しょっちゅうタクシンが「電話参加やビデオ参加」をして「士気を鼓舞」していたが、あれはいったい何だったのであろうか?カネもしこたま出していたはずである。

T10-34. アピシット首相記者会見で政権運営の自信を示す(2010-11-15)

APEC首脳会議で来日中のアピシット首相は昨日(14日)日本の外国人記者クラブで1時間ほどの講演と質疑応答をおこなった。私は某機関の推薦で、末席から傍聴させてもらった。アピシット首相をこの目で見るのは初めてである。

アピシット首相は若いだけあって少しも疲れた様子もなく、すこぶる元気であった。タイの経済はリーマン・ショックや赤シャツ騒動などのピンチを無事乗り切って経済も順調な立ち直りを見せ、今回の空前のタイ洪水もGDPベースで0.3%ほどの影響を受けるが輸出の好調や内需の好調により8%近い成長を遂げるという見通しであった。

来年には早い時期に総選挙を実施する予定であるとも述べた。ビルマはアウンサン・スー・チーさんの解放もあり、選挙も何らかの第1歩になるという比較的楽観的な見通しであった。タイは今やゆるぎなきASEANのリーダーであり、域内全体の民主化をリードすべき立場にあるという認識であろう。

TPPについては特段の言明はなかった。ASEANではTPPについては本来身軽なはマレーシアとシンガポールは最初から熱心であるが、タイの立場としてはASEAN+3(日本、中国、韓国)もあり、APEC全体の「経済統合」というテーマもあり、TPPであまり先走った態度をとる必要もないというところであろう。

それに比べると日本の首相の立場はつらいところであろう。新しいものに次々飛びついて国内の話題を盛り上げたいという態度がミエミエである。農業の構造改革の口実を作ったという点では有効であるが、「労働力の自由化」などはこれだけ若年労力市場が劣化しているときにどいう影響が出てくるのであろうか。

労働省を復活させて雇用対策対策を練り直すべきである。もっとも、今の役人は自分のやるべきことが分からなくなっているから役所だけ復活しても意味がないかもしれないが。

今回の「事業仕分け」をみても役人は物事を「前向きに受け止めず」自分たちの「既得権益」の擁護にきゅうきゅうとしている。これは小泉改革なるものがいかにインチキであったか、その後の自公政権の無策の影響が端的に表れている。

国内世論も大いに責任がある。テレビに出てくる保守系評論家の言い分をまるのみにして、民主党政権の「尖閣騒動」でやたらに役に立ちもしない古い時代の「愛国心」をあおっていきり立ている。まるで「満州事件前夜」のような騒ぎである。


今回の事件を後になって振り返れば「民主党政権の正しい対応」を評価せざるを得ないであろう。今でもすぐにわかることは中国人が日本人の保守派以上の愚劣な「愛国心」の発揚をとめたことである。これを「自然の流れ」に任せておけば「反日デモ」は全国に波及し、日系企業への攻撃や「日貨排斥運動」が起こり、日系企業や日本人の駐在員はどれくらいの被害を受けたか想像もつかない。

今回この程度で収まったのは民主党政権が不必要に国内世論をあおることなく、冷静に中国政府に説明をおこない、中国政府もそれをかなり理解し、国内世論の暴走を阻止したことである。

これは「日本外交の勝利」というべきである。中国政府も自制心を働かせたことを私は評価したい。「雨降って地固まる」の例えではないが、今後はかなりうまくいきそうな気がするのは私だけでなく現地に投資している大部分の企業や駐在員も同じであろう。

「外交が弱腰だとか土下座外交」などというのは理非をわきまえない保守・反動勢力の言い分である。勇ましい意見に世論がすぐに同調するのは日本人が第2次世界大戦の前夜からさほど進歩していない証左だとは思いたくない。

テレビ局もこの手のデマゴーグ専門のキャスターやコメンテーターは引っ込めた方がよい。正義の味方のような発言をしている彼らが次々に馬脚を現した。

財界も黙ってないできちんと発言しなければ取り返しのつかないことになる。中国に投資している企業を守るために、日本政府は行動したという認識を持つべきである。保守系メディアが目の敵にしている仙谷官房長官が泥をかぶっていたのである。

今回のビデオ漏えい事件の保安官の行動は弁護の余地はない。これは昔の「関東軍」の行動と同じである。制服を着た人間が個人の価値観で行動を起こすのは政府に対する反逆行為である。しかも、「SENGOKU38}というネーミングで投稿するなどは卑怯極まりない。

仙谷官房長官に対する明らかな政治テロである。背後関係は明らかでないが、彼が「単独犯」とは到底思えない。司直の毅然とした捜査に期待したい。


T10-35 村本さんを銃殺したのは軍の仕業?毎日の特ダネ?(2010-11-17)


毎日新聞の11月17日朝刊に西尾特派員の署名記事で「タイの法務省特別捜査局幹部は、16日毎日新聞に対し、バンコクで4月、タクシン元首相派と軍治安部隊の衝突を取材中に銃弾を受け死亡したロイター記者の日本人カメラマン、村本博之さん(当時43歳)について『軍の発砲による銃撃で死亡した』との見解を示した。」とある。

他の新聞には村本さんの死因も含め4件の死亡については黒シャツ(タクシン派テロ組織)か軍による銃撃かはまだ判定がつかず、捜査に警察の協力を仰ぐという報道がある。特別捜査局の幹部が毎日新聞だけに「真相を明かす」などということは考えられないので、当局の報道を待ちたい。

これは過去タクシン寄りの報道をし続けてきた毎日新聞の記事なので、私は「マユツバ」だとみるが、特捜局が「軍によるもの」と判断した以上はその根拠を知りたいものである。

ちなみに、バンコク・ポスト紙は全体の死者89名のうち12名については赤シャツ隊による殺害だと断定し、村本さんを含む6名については”The DSI could not definitely determine whether the death of six people were caused by the UDD(赤シャツ), ITS SUPPORTING GROUPS, OR GOVERNMENT AUTHORITIES."となっている。

要するに村本さんを含む6人について軍によるものか赤シャツ軍団によるものかは断定できなかったと書いている。これは最近まで「タクシン派ベッタリ」の記事を書いてきた朝日新聞も他紙も同様である。毎日新聞だけは軍が下手人だと断定しており、しかもDSI(特捜局)幹部が毎日新聞にだけ「軍が殺害した」と断定したというのだからスゴイ。Majisuka? 殊勲甲、特別ボーナスに値する!


T10-36. 民主党に解党理由なし。憲法裁判所判決(2010-11-29)

2005年4月の選挙で選挙管理委員会から助成を受けた2,900万バーツについて、民主党(当時の党首はバンヤート氏)がその資金を不正に使用した(幹部間でカネを分配するなど目的以外に流用)と選挙管理委員会は訴えていたが、憲法裁判所は訴えを退ける判決を下した。

判決は個々の訴因には触れず、選挙管理委員会の提訴は「事態発生後(選挙委員会が確認後)15日以内」という手続きを取らなかったのは憲法違反であるとして、提訴全体を無効としたものであった。選挙委員会が確認したのは昨年12月であり、検察庁に提訴されたのは赤シャツ騒動のさなかの今年4月であった。

これによって、民主党は解党命令を受けることもなく、アピシット首相も辞任を避けられるというメデタイ結果になった。

今回の、選挙管理委員会の「民主党解党請求」裁判はもともと容疑が薄弱だったといわれ、一部にはタクシン派に買収された委員が強引に提訴に持ち込んだとか、今年4-5月の赤シャツ騒乱の時に、デモ隊が選挙管理委員会に押しかけ、脅迫された委員が「提訴を約束させられらた」とか報じられていた事件であり、さしたる容疑ではないとみられたので、本ホーム・ページでは取り上げてこなかった。

しかし、最近になって誠に奇怪な事件が憲法裁判所内で起こった。民主党の「裁判対策をやっていた議員」が憲法裁判所の判事2名にたいして、会見を申し入れ、何を話したかはつまびらかではないが、その様子がビデオで撮影され、ユーチューブに流されたというのである。

それを撮影した人物は憲法裁判所の長官の私設秘書あったパシット(Pasit)という人物で、ユーチューブに流すと同時に香港へトンズラしてしまった。これはナニを意味するかというと民主党の評判を貶めるためにパシットが仕組んだものである。

パシットはタクシン派から高額の謝礼をもらってビデオ撮影をおこなったと推測する向きは多い。民主党の議員の不見識も責められるべきである。面談に応じた2人の判事は評決から下りてしまい。結局残る6人の判事が評決した。

賛否の内訳は4対2であったという。タイ国民がおそれたのは長官秘書がタクシン派に買収されていたとすれば、判事も同様に「汚染されて」おり、民主党に解党命令がくだり、アピシット首相も辞任を余儀なくされるのではないかということである。

政局が混乱すれば、せっかく立ち直りつつあるタイ経済も再び混乱する恐れがありとして、最近株価も下降線をたどっていた。判決が出た直後に株価は急騰し、+17.29ポイントあげ、3日ぶりに1000ポイントの大台を回復し、1009.00で引けた。

赤シャツや日本のタックシン派の新聞記者や学者は「タイの裁判所は2重基準(タクシン派差別)」だなどと言って騒ぎ立てるであろうが、私は全くそうは考えていない。彼らのタクシンへの肩入れのすごさの方が異常である。日本の新聞の多くは「法廷侮辱罪」に問われかねない報道をしてきた。

タクシン派の方こそ、最高裁に500万バーツ(約1500万円)の現ナマを菓子折りにつめ、事務局に配ろうとしたり、今回のパシット事件を起こして、司法に不当に介入した実績がある。2002年の「タクシンの資格審査事案」では憲法裁判所判事に対する多数派工作をおこなったというのは周知の事実である。(日本のメディアはこれらの事件をほとんど報道しない。)

私は信じていないが、日本にも「タクシン資金」が入ってきているという噂すら存在する。一部のジャーナリストは「タクシンが好きだから応援している」とかつてうそぶいていた向きもあったが。

しかし、まだこれで終わったわけではない。民主党はもう1件「解党請求」事案を抱えている。それは2億5800万バーツの不正献金疑惑である。これはタイの新興財閥の第3のセメント・メーカーのTPI ポレーンの経営者から貰った金があり、それが事実とすれば違法であり、民主党は解党させられる可能性あるというものである。

この裁判は複雑怪奇であり、真相解明にはかなり時間がかかると考えられる。また、解党処分になってもアピシット首相は処分対象外であるという。事態が進展してきたら詳しく報告したい。

なお、今回の判決で赤シャツやプア・タイ党がまた騒乱を起こすという日本のメディアはいつものことながら見事に外れたようである。頭の良くない特派員を高額のカネを使って駐在させておく意味がよくわからない。

騒乱が起こるか起こらないかはタクシンがこの件でカネを出すか出さないかで決まるというのは、いわば気のきいたバンコク市民にとっては常識以前の話なのである。「貧民階級の自発的民主化要求」などというものは現在は表に出てくるようなレベルにはもともとない。いずれは出てくるが、それは民主党が「反動政権」に転じた時に、まずバンコク市民が立ち上がる。ものごとには順序というものがある。

⇒PTIPLの2億5800万バーツ献金事件は有罪でも罰金刑どまり(2010-12-3)

タイ選挙管理委員会は民主党がセメント・メーカーTPI Polene社から広告代理店Messiah Business & Cretion 社経由で2億5800万バーツ(約8億4千万円)を受け取りながら、それを選挙管理委員会に届け出なかったのは違法であると検察庁経由で憲法裁判所に提訴している。

しかし、本件は仮に有罪になっても「政党の解散」には至らず、最高10万バーツの罰金刑にとどまる見通しだという。

法律上決められている「解党要件」は1998年の66条と2007年憲法の94条で、「立憲君主制体制下で民主主義に敵対する行動があった場合。国民の生活と道徳の平和安全を脅かす場合。」であり、同時に政党は不正な献金を受け取ってはならないとしている。

しかし、献金問題は2007年憲法の127条によれば罰金刑は最高10万バーツであり、他の余罪がなければそれでおしまいである。

憲法の専門家は今回のけんでは到底民主党を解党には至らなず、最悪「刑事罰」でおしまいになるという(前憲法起草委員Kaewsan Atibodhi氏)。

ただし、TPIポレーン社が外国企業であったり、見返りに利益を求めていたりしたら「解党問題」が出てくるというも考えられるという。

これが、プア・タイ党へのタクシンからのヤミ献金というケースであれば「国民生活への脅威」とかの罪状に引っかかる可能性も出てくる。
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⇒PTIPLの2億5800万バーツの不正献金疑惑を棄却(2010-12-9)


上記の疑惑について憲法裁判所は12月9日の第1回公判で、いきなり選挙管理委員会の提訴は正規の手続きを踏んでいないとして棄却を申し渡した。「正規の手続き」とは政府機関の「政党登録局の責任者の合意がないまま送検し提訴した」ことが憲法上過失があったということである。

ただし、評決は4対3の僅差であった。

これによって、民主党は「解党命令」がらみの提訴の2件とも「無罪放免」になった。これにより、アピシット政権は後顧の憂いなく政策運営に取り組めることになった

上記2件とも「選挙管理委員会」の不手際により、内容が国民の前に明らかにされることなく、実質「無罪」になったことになる。ただし、金銭がらみの提訴は証拠がはっきりしたものとして提出されないとなかなか有罪には持ち込めないように思われる。

タイの民主党も日本の民主党も「カネがない」という点では共通しているようだ。クリーンな政治をやってもらうということが「民主政治」の第一歩である。その点、日本ではなぜか人気の高い「タックシン」さんはかなり問題があったようだ。


T10-37. 流石アメリカ、タクシンがタイの民主主義と人権についてご講演の予定(2010-12-7)

貧民対策は「社会主義」だなどといってワメキ散らす政党が選挙で大勝するような偉大な民主主義国であるアメリカ合衆国の「ヨーロッパにおける安全と協力のための委員会(The US Commission on Security and Cooporation in Europe) がタクシンを呼んで12月16日に「タイの人権と民主主義と統治(governance)」についてのフォーラムを開くという。この委員会には7人の上院議員が名を連ねている。

これは「悪い冗談(Black Joke)」だと驚いたが、どうも事実らしい。アメリカのいう民主主義や人権なるものがどのくらい「マジ」か問われる事件である。しかし、タクシンが雇った外国人弁護士もよくぞここまで持ち込んだものと思う。どうなるか見ものである。恥を世界にさらすのはもちろんアメリカ国民である。

さすがに、タイからは猛烈な非難の声が湧きおこった。そもそもタイと米国は「犯人引き渡し協定」を結んでおり、すでにタイで2年間の禁固刑が確定しているタクシンについてタイ政府が引き渡しを要求したらオバマ大統領はどいう態度をとるのであろうか?

それにしてもテーマがすごすぎる。ミュージカル「マイフェアレディ」の女主人公イライザの親父が米国に行って「道徳についての講演」をして大好評で謝礼に大金を貰うという話を思い出して思わず笑ってしまった。イライザの親父のセリフが「あっしら下層階級には中産階級の道徳とやらはネーんでござんすよ」だった。

それにしても近頃「石が浮かんで木の葉が沈む」ような話が多すぎる。

尖閣問題で対応がまずかっただなどと言って仙石官房長官が参議院で問責決議を受けるなどはその最たるものである。対応がまずくて「日ー中の過激な愛国主義者」がハッスルして、その勢いで中国で反日暴動が全国に広がり、日貨排斥運動が起こって日系企業が大損害を受けるような事態に発展したのであれば「問責決議」もやむを得ないであろう。

しかし、実際は中国の騒動が大したことなく治まり、その後むしろ日中の政府間に融和ムードが醸成されつつある。これは結果的に仙石官房長官のお手柄といってよいと思う。「問責決議」の理由など私にはさっぱりわからない。毎日新聞など一流紙の論説委員の方々は頭がよいらしくすぐにお分かりになったようだが。

騒いでいるのは首相が靖国神社などに参拝し不必要に日中関係をこじらせた政治家とその仲間ではないか。

⇒タクシンの米国での講演は延期(2010-12-12)

前代未聞の珍事ともいうべきタクシン元首相がワシントンで今月16日に行う予定であった『タイにおける人権と民主主義について』の講演は来月に延期になったそうである。タイ政府はタクシンが米国に入国したら「犯人引き渡し協定」に基づき身柄をタイ政府に引き渡す義務があると主張していた。

延期の理由として7人の上院議員の顔触れが変わるためとしているが実際は米国政府がビザを発給しなかったためといわれている。

タイ政府は先ごろロシア人の武器密輸業者ブートをロシア政府の反対にも関わらず米国に引き渡したばかりである。

また、別件だが4月10日に銃撃により死亡した日本人カメラ・マンの村本博之さんを殺害したのは軍によるものという毎日新聞とロイター通信の報道は根拠がないとタイ特別捜査局が発表した。


T10-38. アピシット首相への評価が高まる。正直さなど(2010-12-15)

下記の表は私立アサンプション大学がおこなっている世論調査ABACポールが17都県2,381所帯の18歳以上の回答者を対象に12月1日~14日にかけておこなった調査であり、前年に実施したものよりもアピシット首相に対する評価が高まっていることを示している。

これはタクシン元首相との比較ではなく、タイの東北部のタクシン支持者が多いとみられている人たちの声がどの程度反映されたものかは定かではない。しかし、アピシット首相が「軍部のカイライ」であるかのごとき報道が流され続けてきた日本人の中には意外な結果だと受け止める向きも少なくないであろう。

私の個人的見解をいわせてもらえば、下表の評価は極めて妥当なものである。オックスフォード大学で経済学博士号を取得したといわれるだけあって経済政策のレベルもきわめて高い。

到底日本の財務省や日銀のエリートが束になってもかなう相手ではない。日本のエリートが受けたハーバード大学の亜流としか言いようのない「市場原理主義」経済学ではオソマツ過ぎて話にならないのである。

   今回調査 前回調査 
 リーダーとしての誠実さ  74..9%  68.2%
 感情を抑制できる面 74.1  73.8
 道徳を基本に置いている面 72.0  71.4
 私益より公益を優先している 71.7   65.4
 国民が信頼を置ける面 71.2   
 人の心を惹きつける面 70.5 65.9
 国民を見捨てないところ 69.1  67.0 
 民主主義的なところ 68.9  66.5 


しかし、タイ国民は79.8%のものが「国民間の対立解消」、78.7%が「農地改革の実行」、75.3%のものが「社会的格差、複数基準の存在、差別的対応の解消」を望み、その他汚職問題、犯罪問題、麻薬問題、自然災害の救済問題などで政府の対応の遅さに不満を抱いているという。(『タイの地元新聞を読む』12月15日記事参照)

これらは日本でも同様な問題があることは明らかである。日本経済をガタガタにし、国民の多くを困窮に追い込んだ自公政権にやっとの思いでおさらばして民主党政権が出来上がったのだから、菅・仙谷政権にはもっと頑張ってほしいものである。

よくみると民主党政権ならではという成果も着々とあげている。尖閣問題で「大火事」になりそうだった日-中問題を大過なく収めたのは大殊勲である。中国に進出している多くの企業や駐在員はほっと安堵の胸をなでおろしている

毎日新聞や日経新聞(たまたま私が購読している2紙)のオソマツ論説委員などの言うことを真に受ける必要はない。「汝自身の道を歩め、そして人々をして語るに任せばよい(ダンテ神曲)」のである。


T10-39. バンコクでの非常事態宣言は解除されるが治安維持法適用強化(2010-12-21)

タイ政府は12月22日(土)付けでバンコクと周辺3県に残されていた非常事態宣言を解除するが、ISA(Internal Security Act=治安維持法)の運用強化によって治安の維持を図る方針であるという。また、現在拘置されている罪状の軽い104名の赤シャツ・メンバーの保釈が認められた。

これは逮捕状なしでテロ行為を準備したものを逮捕でき、1週間は拘置できるという、ある意味では民主主義にとっては大変危険な法令であるが、タクシン派の黒シャツ軍団が武器を隠匿したまま市民のなかに紛れ込んでいるという事態が解消されていない現状ではやむを得ない措置であろう。

国軍は今後は治安維持の責任を警察に任せるという。

今回の104名の仮釈放のお膳立てをしたのは国民和解協議会のカニット(Kanit)委員会であるといわれている。.カニット氏は古手の民主派活動家であり、タクシン元首相からは最も危険な人物として目の敵にされていた。

赤シャツ派の学者やジャーナリストは4-5月の騒乱で出た91人の死者のほとんどが軍による発砲によるものだとして日本においてすら騒ぎ立てているが、事件の発端はタクシン派の黒シャツ武装集団が1か月以上にわたるバンンコク中心部のデモ隊を解散させようとしたときに高性能銃でロムクラオ大佐以下4名の軍人を射殺したことにある。

カッティヤ少将率いる黒シャツ軍団の軍人殺害がなければ、今回の騒動で死者はごくわずかしか出なかったはずである。

その後も無差別に手榴弾の投擲などによって多くの市民や警察官を殺傷してきた。赤シャツは今後も毎月10日と19日にデモ隊を組織して騒乱時における仲間の死を追悼し、現在拘束されている赤シャツの幹部や活動家の釈放を要求するという。

彼らは口を開けば軍の暴虐を非難しているが、彼らがおこなった殺人放火、商業地の長期不正占拠について口をつぐんでいる。相手を声高にののしれば自分たちの罪状が消えるとでも思っているのであろうか。

これは日本において昨今みられる自公の政治家の民主党政権批判にも似ている。自公政権の長期にわたる不始末のしりぬぐいに今の政権は四苦八苦しているとしか思えない。自民党や公明党の幹部が眉を吊り上げて民主党の非を喧伝するさまは誠に見苦しい。


T10-40.4月にサラディン駅近くで手榴弾を発射し市民を殺傷した赤シャツ隊員を逮捕(2010-12-22)


タイ特捜部(DSI)は元レンジャー部隊員であり、カッティヤ少将の配下であったジェームズ・シンシッティ(James Singsitthi)という人物を逮捕したと発表した。

ジェームズ容疑者は4月22日夜、M79手榴弾を高架鉄道のサラディン駅に向かって発射し赤シャツに抗議にきていた非武装の市民グループ「多色シャツ集団」の近くで爆発させ1名の死者(女性)と多数の負傷者を出した事件の下手人であるとの容疑である。

ジェームズ容疑者はカッティヤ少将のアシスタントの一人であり、バンコク市内に潜伏していたといわれる。当時の記事は下記をご覧ください。

⇒赤シャツ先制攻撃、手榴弾投擲で市民1名死亡85名重軽傷(2010-4-23)


バンコクのビジネス街シーロム通りの入り口に近いルンピニ公園前に陣取っていた赤シャツ・デモ隊が昨夜10時45分ごろ5発のM79手榴弾を高架鉄道のサラディン駅に向かって発射し、うち1発が駅に命中し、1発は付近のファースト・フード店、もう一発はアユタヤ銀行支店前に落下し爆発した。他の2発も駅付近に落下した。

サラディン駅近くはシーロム通りの入り口に当たり、赤シャツ隊に反対する市民グループが対峙しており、またヤジ馬も多く、そこを狙って「投擲機」を使いM79を発射した。

その結果1名が死亡し、3名が重態、その他24名が重傷で4月25日(日)現在入院中という大惨事を招いた。

手榴弾の射程距離は300メートルほどあり、警察は赤シャツのデモ隊から400メートル以内に近づかないよう警告を発している。

市民側に死者が出たという知らせに赤シャツ陣営は歓声を上げて喜んだという。彼らは人命に対して普通の人間としての感情を持っていないようである。他人の生命を尊重しなければ、自分の生命を尊重してもらえない。彼らが仏教徒であるとは信じがたい

これでいよいよ「市民戦争」が開始されたと見てよい。今度は赤シャツ・デモ隊がバンコク市民から「仕返し攻撃」を受けるであろう。ソレを避けようとすれば、治安維持軍が赤シャツの「強制排除」に乗り出さざるをえない。

治安維持部隊は4月22日を何もせずに空費したことが今回の惨事につながた。本日は昼間から何らかの動きがあるであろう。赤シャツ隊は「無防備・非武装のデモ」を標榜し、武力を持って攻撃するのは別の集団だといっているが、それは真っ赤なうそである。

こういう事件を引き起こしながら、赤シャツ・リーダーは国連軍に「平和維持部隊」の派遣を要請するという。国王に調停を要請したと思ったら、今度は国連だという。あきれ果てて物が言えない。

タクシン時代には「麻薬撲滅キャンペーン」で被疑者が2,500名ほど警察などによって殺害され、国連人権委員会が「殺さずに逮捕して正式に裁判にかけよ」と勧告した。

それにタクシンは反発して「タイは国連の指図は受けない。国連は父親でもあるまいし、余計なことを言うな」と言い切った。自分の命が危なくなったら、タクシンの子分の赤シャツ・リーダーは国連に助けを求めている。

タクシンのいくところ常に「死」が付きまとう。恐ろしい政治家である。そういう人物を日本の「タックシン派」の学者は「好き」らしく、一生懸命声援を送っている。タクシンのことをタイ経済の「近代化の立役者」などといっている。それも真っ赤なうそである。

タイ経済の近代化とグローバル化に最も貢献してきたのは日本の進出企業である。タクシンはどっちらかといえば日系企業の足を引っ張った。



T10-41.タイの総選挙は近い?民主党臨戦態勢(2010-12-27)

アピシット首相は来年早い時期に総選挙を実施する(任期は来年末まで)と最近になって発言しているが、首相府のコブサク官房長官が来年1月1日に辞任し、民主党本部に戻り選挙対策に専念することになった。

後任は現在官房次官のアンチャレー(Anchalee)女史が昇格することで調整が進められているという。

タクシン派のプア・タイ党は「選挙用の党首として」クリーンなイメージを持つミンクワン(Mingkwan)元商業相が就任することで、調整が進められているという。タクシンは現在ドバイに滞在しており、最近プア・タイ党の国会議員が数十名ドバイを訪れ、選挙対策などを協議したと伝えられる。

タクシンは実はミンクワン氏は肌に合わないとして難色を示していたようだが、他に適当な人材が見当たらないとして、結局ミンクワン氏で落ち着いたようである。タクシンの本音としてはせっかくカネを出すのだから、妹かポジャマン夫人(現在は形式的に離婚中)をプア・タイ党の党首に据えたかったと報道されている。

いくらなんでも、それではプア・タイ党はタクシンの個人政党だといわれかねないし、「貧民の民主主義要求」を表看板にしていた赤シャツ・グループもメンツ丸つぶれである。それで仕方なしに汚れの目立たないミンクワン氏をヘッドに据えることになったというのが筋書きであろう。

さはさりながら、プアタイ党はタクシンの資金無しでは選挙は戦えないことから大挙してドバイに出かけたということである。しかし、派手な買収行為をおこなえば、解党という厳しい処罰が待っているだけにどうなるか見ものである。

選挙はどうなるかは予想の限りではないが、プア・タイ党がさらに議席を減らし、民主党が議席を伸ばすであろうことは確かであろう。


T11-01, バンコクで黄色シャツ・デモタイを狙った赤シャツ隊5人を逮捕(2011-1-25)

タクシン政権に反対運動をおこなったことで知られるPAD(民主主義人民連合(通称黄色シャツ)は最近はタイ-カンボジアとの国境紛争でのアピシット政権の「弱腰(?)」を批判する行動をとっている。

PADは1月25日(火)4時ごろから政府に対カンボジア強硬路線を要求するデモを予定していた(実際は2,500人ほど集まったという)。

これを狙った赤シャツの武闘派がPADのサンティ・アソク仏教団が国会に向けてチャマイ・マルチェット橋を通りかかる時刻を狙って、時限爆弾を仕掛け、デモ隊に投擲する手榴弾を所持していたとして、タワチャイ(Tawachai)という人物(37歳)が逮捕された。

タワチャイは24日午後5時ごろ橋のあたりで不審な行動をとっていたところを警察に逮捕され、彼の自供により仲間4人が逮捕された。また、家宅捜査により数多くの手榴弾と30発の銃弾を押収した。

タワチャイは4,5月の赤シャツ騒乱の時に武闘派メンバーとして活動しており、今回の武器は赤シャツ系の「某有名将軍」から護身用に貰ったものだと説明しているという(英字紙ネーション、25日付電子版)。

この件は警察が仕組んだ「自作自演」のものであるというのが赤シャツ幹部のジャトポン国会議員らの見方であるが、警察はこれは周到に仕組まれた本格的な事件であると説明している。

いずれにせよ昨年の4,5月事件で赤シャツ武闘派は多くの軍用武器を持ったまま国内に逃亡しており、将来、彼らがテロ事件を起こす可能性は高いとみられる。

彼らの自白によれば第3者から金銭で依頼を受けたものだという。

T11-02, タイ軍とカンボジア軍が国境周辺で銃撃戦、住民1名が死亡(2011-2-4)


かねてからタイとカンボジア両国の国境付近のクメール寺院、プレア・ビハール(Preah Vihear)の領有権などをめぐって紛争が続き、最近民主人民戦線PADの幹部ら7人が国境付近でカンボジア側に逮捕され、指導者のウイーラ(Veer)氏がスパイ容疑で8年の禁固刑を言い渡されるなど、両国でかなりヒート・アップしていた。

今日、午後3時半ごろ、タイのシー・サ・ケット県で両軍の銃撃戦が始まり、ロケット砲の撃ち合いなどがあり、付近のタイ人農民が1名死亡し、タイ軍兵士が2~3名負傷したと報じられている。

両国政府とも紛争を拡大させる意図はあまり感じられないため、このまま終息するという公算が大きい。

不可解なのは「反タクシン運動」を主導してきた、PAD(黄色シャツ)が最近、カンボジアとの国境紛争で強腰の姿勢を見せ、アピシット政権に圧力をかけ始めたことである。過剰な愛国心を鼓舞することによって何か得るところがあるのだろうか?

⇒両軍休戦協定。カンボジア兵士60~64名、タイ兵士1名戦死(2011-2-6)


その後の戦闘でタイ国軍の発表によると、カンボジア軍は60~64名の戦死者を出し、12~3台の装甲車と戦車が破壊されたという。タイ軍は戦死者1名と12名の兵士が負傷したという。カンボジア側からの発表は確認されていない。

この数字が正しければ、カンボジア軍の大敗ということになる。この戦闘の結果は今後の両国の交渉に大きな影響を及ぼすことは間違いない。

2月6日(日)朝のテレビ放送でアピシット首相は「話し合い」による解決を呼びかけた。双方の現地軍の司令官は休戦協定を結んだということである。住民もタイ側で約3,000人が避難したといわれるが、三々五々帰宅し始めている。

これ以上の戦火の拡大は当面ないものと思われる。

PADはアピシット首相とカシット外相の辞任を要求しているが、これは無意味である。

その後、2月6日の深夜からカンボジア軍が砲撃を開始し、タイ軍の兵士10名が負傷したと伝えられる。アピシット首相によれば、これまで休戦協定を破って砲撃を開始したのは全てカンボジア側であるという。

⇒フン・セン首相曰く、「これは本格的戦争だ」(2011-2-9)

カンボジアのフン・セン首相は2月9日(水)に「これは本格的戦争だ。もはや2国間での話し合いの段階ではなく、国際的な仲裁にゆだねられるべきものである。タイのアピシット首相に全責任があり、かれは国際法廷において戦争犯罪人として裁かれるべきである。」と主張した。

またこの戦争は「長期化」するとも語った。

また、フン・セン首相は自分の長男フン・マネ(Hun Manet)33歳を陸軍准将に超特急で昇格させ、今回の「戦争」の指揮に当たらせているという。どこかの国に似ている。


フン・マネ准将はアメリカのウエスト・ポイント士官学校を卒業しており、カンボジアでは超エリート・コースを歩んでいる。将来は父親の陸軍司令官の地位を引き継ぐことになるとみられている。

今回の「戦役」で実績をあげれば、その時期は早まり、親子2代でカンボジアの支配者となることが予想されている。まことにメデタイ話であるが、事態はさほど簡単ではない。

戦争を仕掛けた相手のタイ軍の方がはるかに強く、カンボジア軍に多数の戦死者が出ていることは上記のとおりである。おまけにフン・マネ准将も負傷したという噂が流れている。これはカンボジア側が強く否定しているが、事実かもしれない。

勇敢なところを部下に見せたがって、最前線に飛び出して行って、「指揮を執っていた」可能性が高い。

いずれにせよ、フン・セン首相は小手調べ之つもりが、思わぬ大敗北となって引っ込みがつかなくなったものと思われる。

ASEANの結束だの「地域統合」だのといっても、独裁者が支配している国が混じっていてはうまくいくはずはない。これは経済学というより「常識の問題」なのである。


T11-03, タイ議会憲法改正案2件通過。条約の国会事前批准と比例代表議員の増加(2011-2-11)


タイ議会(上下両院合同)は憲法改正案2件を議決し、国王の認可を20日以内に経て発布する。ただし、憲法裁判所が別途審査する。憲法裁判所が他の条項に照らして、矛盾ありという裁定を下した場合は再度修正される。

改正点の1は国際条約を締結する場合は議会の事前承認を得るというものである。これによって政府間でFTA(自由貿易協定)などは勝手に結べなくなる。

その2は下院の選挙区制度にかかわるもので、現行は地方選挙区の定員420名、党派別獲得票数による、党指名候補の定員80名合計500名であったが、改正案では地方選挙区の定員が375名、党比例代表枠が125名となり、民主党が東北を地盤とするプア・タイ党(タクシンの党)よりも有利になるとみられている。

従来の選挙区区割りでは小選挙区制議員が多いため、東北地方でタクシン派が優位を占め相対的に有利であった。

T11-04, 村本さんの死因が赤シャツの政治宣伝に?(2011-3-2)

経済の好調を背景にアピシット政権は一気に「国民和解」を実現しようと図ったのか、最近になり、、昨年4-5月にバンコクの中心部を占拠し、武装集団に軍隊を銃撃させ、大佐以下4名を銃殺し、最後にはワールド・センターなどに放火をして市民生活に大きな打撃を与えた赤シャツ幹部の首謀者が一人60万バーツ(約150万円)の保釈金で仮釈放された。

どういう理由で、群衆に向かって「放火をしろ」絶叫していたナタウッドなどが釈放されたのかはわからないが、本来相当な重罪判決が予想される重要犯人が釈放されたのには何かわけがあるのだろう。そんなことは日本人の私がとやかく言うべきことではなが、日ごろタイの司法当局の「二重基準」とやらを批判し続けている関西の国立大学の某や日本の一般紙も何かひとことあってしかるべきであろう。

ところが、最近になってタイの特捜部(DSI)が昨年の事件で死亡した村本カメラマンの死因が「どちらが殺害したとは断定しないまでも」AK47によるものではないかという見解を発表した。7mm以上の銃弾で撃たれたという検視結果を発表したのである。

しかも、当日の軍はAK47を装備していないということであり、その銃を使っていたのは赤シャツの武装組織「黒シャツ軍団」ではないかということになってしまう。毎日新聞は昨年11月17日(T10-35参照)に本HPで紹介したとおり、「軍がやった」という説をスクープ?している。これは某DSIの幹部が言ったというのが根拠らしい。

私の素人考えだが、デモ隊の後ろでカメラを回していた村本さんが正面からデモ隊の間をかいくぐって(?)飛んできた弾丸に当たったというというのはどうも解せない。黒シャツが後ろから撃った可能性のほうが高いのではないかと思えてならない。

それはタイ当局が日本大使館員に説明しているらしいが、さらに調査を続けるというのがタイ当局の説明である。

赤シャツは村本さんを殺したのは軍隊だという説を主張してやまず、3月12日に予定されている集会で、この問題を取り上げるという。赤シャツとしては日本人の多数が「タクシンの味方だ」と錯覚しているフシがある。いいかげんにしてもらいたいものだ。

ところで保釈された7人は早速、赤シャツ集会で一席ぶつらしい。おまけに今年6月までには行われる総選挙に立候補するらしい。これでは「実質的に無罪放免と同じではないのか」と言いたくなる。タイというのは大変な民主主義国家に成長したものである。



T11-05、タイ陸軍から130丁の自動小銃M16などが盗まれる(2011-3-6)


プラチョブ・キリ・カンにある第1陸軍歩兵大隊の武器庫から130丁のM16自動小銃ほか多数の武器・弾薬が紛失していること判明した。これは内部の兵士が関与した盗難事件であり、容疑者2名が逮捕され、1名が逃亡中といわれる。

問題は誰の手にこれらの武器が渡ったかである。一般市民がこんなものを買うはずはない。もっとも可能性が高いのはタクシン配下の武装集団「黒シャツ隊」であろう。資金を持っているのは彼らである。南部のイスラム・ゲリラの可能性もあるが、資金力を持った組織ではなさそうである。

陸軍は在庫管理上の計算ミスの可能性があるなどといっているが、そんなことが言い訳にもならないことは明らかである。大金を出して買うやつがいるから盗まれたのである。早く回収しないとこれがいつ何時使用されるかわからない。


T11-06,タイの総選挙は7月3日に決まる。プア・タイ党の首相候補にタクシンの末妹インラック女史(2011-5-16)


アピシット首相は7月3日に国会議員選挙を実施することを決めた。タクシンの政党ともいうべきプア・タイ党は党指名候補の筆頭(首相候補)にタクシンの末の妹インラック(Yingluck Shinawatra)女史を持ってきた。

彼女は1967年6月21日生まれでチナワット家の9人の子供のうちの末っ子である。チェンマイ大学の政治科学・行政学部を卒業後、ケンタッキー州立大学で政治科学の修士号を1990年に取得した。

後にShinawatra Directories 社で働き2002年には通信会社AISのmanaging director(社長)に就任し、2005年にAISの持ち株を全て売価し、膨大な利益を手にし、現在はThaicom Foundationの理事兼事務局長を務める。

実業界で実績をあげたという触れ込みだが、すべてタクシンの会社内での話である。政治的キャリアはほとんど知られていない。

彼女はAnuson Amornchat 氏(M Link Asia Corporation, Managing Director)と結婚し、1児(男)の母である。

タクシンがプア・タイ党のベテラン政治家ではなく、妹をプア・タイ党の事実上のトップに据えたのは、タクシン自身が7月の選挙に必勝の構えで膨大な政治資金を投入する覚悟であり、その管理を海千山千の政治家に任せられないという事情があるものと考えあられる。

また彼女はかなりの美人であり浮動票を狙えるという思惑もあるであろう。いずれにせよタクシンの最後の切り札の登場である。選挙はこれからどうなるかわからないがプア・タイ党が過半数を占めるとは考えられない。下の写真はバンコク・ポストとより借用。

ただし、タクシンはプア・タイ党が政権をとってもインラク女史を首相にはしないと言明しているという。それは当然でインラク女史は「人寄せパンダ」的そんざいであり、とうてい首相など勤まるタマではないという。インラク女史はアピシット首相との党首討論には応じないと逃げ回っている。
(2011-5-23追加)

T11-07, 世論調査ではプア・タイ党が一番人気(2011-5-23)

アサンプショウン大学が最近行った世論調査によると、インラク女史人気が急上昇してきて、プア・タイ党が人気ナンバー・ワンになっているという。もちろん支持率が高いのはタクシンの出身地の北部と東北部であり、バンコクおよびその他では民主党が一番人気である。

実際の投票行動にこれが直結するとは限らないが、投票パターンが過去とあまり変わらない可能性もある。

現在のところタクシンの妹が美人党首ということで、特に若者の間で異常な人気を博しているという。

彼女は貧困の撲滅などを一応選挙スローガンに掲げ、農村地帯で農家の老婆などと抱き合ったりして、かつてタクシンがおこなっていたパフォーマンスを繰り返している。

しかし、本当のタクシンの狙いはプア・タイ党が政権をとって「恩赦法」を成立させ、タクシンが晴れて「赦免(現在、職権乱用の罪で2年の禁固刑が確定)」を勝ち取り、タイに凱旋し、ひいては政権への復帰を狙いとしている。

選挙運動期間が7月3日までと比較的長いことがタクシンにとってはかえって重荷になるであろう。

また、赤シャツ隊が選挙運動に参加し、プア・タイ党を支持する運動をおこなったり、民主党の選挙活動を妨害したりすれば、プア・タイ党に解党命令が出される可能性もある。

   全国 バンコク  中部  北部  東北部  南部
Pheu THai   41.2  33.3  36.9  62.8  55.3  8.4
Democrat   36.9  38.1  41.2  27.1  19.7  69.4
Bhum Jai Thai   3.9  1.0  0.3  0.8  13.0  1.9
Chat THai Pattana  3.2  6.0  3.3  2.2  0.5  5.0
Rak Thailand   1.6  2.4  3.1  0.5  1.3  0.4
Others   4.0  3.6  4.1  3.4  4.0  4.8
Undecided   6.5  11.0  7.5  1.7  4.6  7.6


英字紙ネーション2011年5月23日電子版参照

T11-08、アピシット首相は前回選挙結果をしたまわれば党首辞任を明言(2011-6-15)

タクシンの政党のプア・タイ党がバンコックでも優勢が伝えられ、赤シャツの幹部が多数参加するプア・タイ党の政権ができるのではないかと一部の報道では浮かれているようである。

昨年4月10日の衝突を見てもわかるように赤シャツ・デモの背後で高性能銃で武装した「黒シャツ隊」が縦横に動き回り、タイ陸軍の高級将校を含む4人の軍人を射殺し、かつ大量の爆発物を兵士に向かって投擲し、多くの重軽傷者を出した。

このようなタクシン配下の暴力集団がタイの政権を担当するなどということがありうるだろうか。万一タクシン政党が過半数を獲得するようなことがあれば、バンコク市民は必ず決起するであろうし、軍も黙認しないであろう。結論としてプア・タイ党が政権を獲得するということはあり得ない。

背後に秘密軍団を持ち、彼らが多くの兵器を保持したまま政権についたら、タイは法治国家とは言えなくなるであろう。

ところで、選挙戦は後2週間を残すのみになったが、インラク党首という奇策を弄して出発当初の選挙戦を有利に展開しているはずのプア・タイ党の人気にやや陰りが出てきていることは間違いない。

報道機関が企画した党首討論会にインラク党首は出席を拒んでいる。アピシット首相と並んで討論などできるようなタマではないことは最初から明らかである。

アピシット首相は昨日(6月14日)ロイター通信などの記者に、2007年の選挙の実績167議席を下回るような結果に終われば、民主党党首を辞任するとして、今回に選挙は500議席中200議席前後は獲得できると見ているという。

最近のバンコクの世論調査では33議席の大部分をプア・タイ党が取るというような結果も出ているようだが、回答者の約50%が支持政党を明らかにしておらず、彼らの多くはどたん場で結局民主党を選ぶことになるであろう。

アンケート結果ではプア・タイ党の支持者は東北・北部からバンコクにきている労働者がプア・タイ党支持を強く表明している傾向があるという。従来からのバンコクの一般市民や中流階級は静かにしているが民主党支持者が多い。

結果はプア・タイ党が第1党になる可能性はあるが、彼らが政権を担うことになはらないであろう。昨年5月にバンコクの中心部を占拠していて最後の段階で壇上から「火をつけろ」などと絶叫していたナラズ者が政府を形成するなどということはあり得ない。

莫大な選挙資金が国中にあふれていて1票500~1000バーツ(1バーツ=2円65銭)という噂が飛び交い、しかも国民の60%以上がカネをもらえばその候補者に投票するなどということがアンケートで示されているお国柄の「民主選挙」であり、何が起こるか分からないが、結局落ち着くところに落ち着くというのが私の見方である。

タイは近代国家に着実に成熟しつつある。タイ国民の良識に期待するほかない。それよりも現職の首相をつかまえて、バカだのペテン師だのとタイした根拠も無しに罵倒しまくる日本の政治の方がよっぽど常軌を逸している。

こんなことが容認される国だからこそ、役人まかせの自民党政権が半世紀も続き、東電のデタラメ経営を放置し、原子力発電の安全対策を怠る結果になったのではないか?

菅首相はオソマツかもしれないが、歴代の自民党の首相がどれだけ「立派」だったのか私は問いたい。経済政策が無能・無策だったのはハッキリいって自公政権の時代である。「自由放任にしておけば後は神様がうまくやってくれる」と言い続けたのはどこの誰であったか思い出してほしい。

民主党はそこからサホド進歩がないのも事実である。しかし、自民党幹部の最近の発言は明らかに「ヒトの道」を外れている。


T11-09, 選挙管理委員5名中4名が急遽、欧州に視察旅行に出発(2011-6-18)


選挙を2週間後に控え、さまざまな違反行為が報告されるさなかに、こともあろうに選挙管理委員会の5名の委員中4名がデンマークとアイスランドに「選挙制度視察」のためと称して、来週火曜日(21日)まで出かけてしまった。

タクシン政権時代にも選挙管理委員長がオーストラリアに出かけ、タクシンの腹心が同行するという「事件」が起こった。

こんな火急の時期にいまさらデンマークの選挙制度視察にいくという選挙管理委員会のメンバーの行動については「各党そろって」批判の声をあげている。しかし、彼らをデンマークとアイスランドに呼び寄せた人物がいるはずである。

それは誰であるかなどという野暮な話はここでは控えるが、いずれ彼らの行動は大きな問題を引き起こすであろう。

彼らが、選挙での買収行為を認定すれば、その候補者は最悪レッド・カードをもらい、即失格となる。また、場合によっては政党自体が「解党」の憂き目にあう。それを何としても阻止したければ、選挙管理委員を巨額のカネで買収する必要がある。

こういう手法が御得意なのは誰あろうタクシンであった。朝日の元特派員などはそういう「タクシンが好き」だと公然とうそぶいているのだから、日本の新聞もタイしたものである。要するに読者、国民をバカにしきっているのだ。

結末は乞うご期待といったところである。

T11-10 出口調査ではプア・タイ党300議席、民主党150議席、タクシン派の大勝利(2011-7-3)

タイの総選挙が7月3日おこなわれたが、複数の出口調査ではタクシン派のプア・タイ党が500議席中300議席を占め、民主党は150議席、その他与党は50議席ということでタクシン派が圧勝する勢いである。

ただし、実際の選挙結果はこれほど大きな差はないであろう。出口調査は「プアタイ支持確信者」が早期に投票を済ませたものが反映されている。また、プア・タイ党は選挙違反者が多く、レッド・カード(失格)をうけるものも出てきそうである。(プア・タイ党262、民主党160途中経過95%開票)

実際にプア・タイ党が政権について彼らの言う公約がどう実行されるか楽しみである。コメの生産についてはジャスミン・ライス1トン当たり2万バーツ(5万3000円)の最低価格保証をするとか、最低賃金は全国1率300バーツにするとかおよそ実現不可能な公約が多い。

民主党の政策は極めてまともな政策だっと考えられるが、なぜこういう結果になったのかは理解に苦しむところである。東北と北部の農村地帯でプア・タイは圧勝したが、バンコクでは民主23、プアタイ10と民主が勝った。

バンコク市民が収めた税金を貧しい農民にバラマクという結果になる。投票民主主義が生んだ悲劇的にして喜劇的結果である。衆愚政治の再開である。日本もこれで50年以上苦しみ、収拾のつかない経済状態に陥った。

今後のタイの政治的社会的混乱は必至であり、タイの経済社会は深刻な打撃を受けることは間違いない。日系企業はタイへの出資を当面は手控えた方がよさそうである。


これによってタクシンが無罪放免されて政権につくことはあり得ないが、ますます大きな顔をしてのさばりかえることであろう。

また、昨年4-5月のバンコクのテロ放火事件の重要容疑者が10人も国会議員に当選することになり、彼らの裁判がどう行われるかも関心が持たれるところである。農民票が今回の選挙結果を生んだことは間違いがなく、今後の政策によっては産業資本家など都市部の資本家が大きな打撃を受けることが考えられる。かつてない悪質な政治がおこなわれることが予想される。

インラックなる女性党首の政治的能力はゼロに等しい。悪徳政治家をコントロールすることもできない。タイ政治の悲劇である。

農民層はタクシン派政党の勝利によって得るところは何もなく、バンコクの工場労働者も何も得られず、失業が待っていたことに気がつくであろう。タイ経済は糸の切れたタコの状態に陥ることは避けられない。

下の表は非公式集計(95.25%)だがプア・タイ党は北部と東北部で圧勝しているが南部では議席ゼロ、バンコクでは33議席中10議席しか取れなかった。これは過去の選挙結果と変わりはない。新興勢力が政治を変えるなどという図式にはなっていない。東北・北部の支持が特に大きかった。

彼らのために、国家予算をバラ巻くことはバンコク市民の反発を買うことは必至である。

開票率95.25%(非公式集計)

   バンコク 中部  北部  東北   南部 小計 比例  合計 
 プアタイ 10   41  49  101  204  61  265
 民主  23  25  13  5  50  115  44  159
 BJT  0  13  2  13  1  29  5  34
 Chartthai Patana  0  17  2  1  1  15  4  19
 ChartPatanaPP  0  0  1  6  0  5  2  7
 Palun Chon  0  0  6  0  0  6  1  7
 Rak Thailabd           4  4 
 Matu Bhum          
 New Democrat          
 Mahachon            0
合計 33  96  73  126  52  375  124  499


合計と内容が一致してません。


T11-11, インラック曰くタクシンの裁判をやりなおせ(2011-7-6)

インラック女史はCNNとのインタビューで"Thaksin case to be reviewed"(タクシンの裁判のやり直し)を主張した。司法と立法は別であり、インラックのこの発言はタイ国内で大きな反発を生むことは必至である。(The Nationの7月6日電子版記事参照)

タクシン一家の法律観が問われる問題である。タクシンが首相時代に失敗した最大の原因はここにある。タクシンは国民の多数の支持を受けて首相に当選したのだから「国民の自由は首相によって制限されても仕方がない」という考え方のもとに言論弾圧、麻薬密売容疑者の路上での暗殺(2500人以上)などやりたいことをやってきた。

日本にも選挙民の支持を受けたのだからといって「独裁権」を主張する知事がいるのだからタクシンのことは対岸の火事ではない。

インラックの今回の考え方は、タクシン党ともいうべきプア・タイ党が議会で過半数をとって国民の支持を取り付けたのだから、タクシンの過去の罪を軽減するのは当たり前であるということであろう。

タクシンはラチャダ・ピーセックの1等地(差し押え国有地)を妻のポジャマンに落札させるという「職権乱用・汚職」の罪で2年間の禁固刑が確定している。それ以外に帰国すれば次々訴追される案件が目白押しである。最高裁判決を覆そうとして弁護士が500万バーツ入り菓子折りを事務局に持ち込み現行犯逮捕され、弁護士は6カ月の実刑を受けている。

タクシンは「法律の上(うえ)の存在である」というという思い上がり2006年のクーデターを呼んだのである。これが怪しからんといって日本の新聞記者や学者がタイの軍部や司法の悪口を書きまくってきたというのが今日の日本の姿である。

インラック自身もタクシンの財産隠しに一役買い、これが「偽証罪」で訴追される可能性もある。

また、プア・タイ党は多くの新聞記者に現金(2万バーツ)を配り、選挙期間中インラクを持ちあげる(提灯記事)を書くように依頼したことが判明し、新聞記者協会が今から調査を開始するという。

これが事実であれば、明らかに選挙違反であり、「プア・タイ党」は解散命令を受ける可能性がある。

ともかく、今回の選挙は問題が多く、見えないカネの多くの流れがあったことは間違いなく、またバンコクの市民の反発も強く、今後のタイの政治情勢は「大荒れ」に荒れることは間違いない。日本の新聞記者やが学者がピエロの役を演じないように祈りタイ。


T11-12 バンコク市民のフラストレーション溜まる(2011-7-28)

タイの新政権は8月の初めに発足する予定であるが、未だに閣僚名簿などは一切表に出ていない。テロ・放火事件の主犯である赤シャツ隊の幹部が入閣する可能性がある。また、タクシンは閣僚人事に一切関与していないと公言しているが、そんなことを信用しているものはいない。

問題は東北と北部で農民層の票を集めれば(T11-10の表参照)いかなる政権も成立する。今回の場合はバンコク中心部では民主党が圧勝しているがバンコク市内の北部(出稼ぎ労働者が多く住む)ではプア・タイ(タイ貢献党)が勝っている。それでもバンコク全体の33議席中民主党は23議席獲得した。

問題はプア・タイ党は徹底的な非現実的とも思われる「バラ撒き」政策(最低賃金全国一律300バーツ/日、米価の高価買い上げ制度など)を公約に掲げて政権を獲得したことである。その財源の多くがバンコク市内の企業や市民から集められた税金である。

バンコクの市民感情からすればおれたちの税金の多くが東北や北部の住民にプア・タイ党の政策によって持っていかれるという悔しさである。

昨年の4-5月には彼らにバンコクの中心部を占拠され、4月10日には催涙ガスとゴム弾でデモ隊排除に乗り出した軍に対して(警察はタクシン派が幹部を構成していて何もしなかった)、赤シャツの別働隊である「黒シャツ軍団」が高性能銃で反撃し、軍は大佐以下4名が殺害され、多くの重傷者を出した。

あまつさえ5月19日はセンター・ワールドはサイアム・スクエアが放火され今日に至るもセンターワールドの改修工事は未完成である。赤シャツ隊の幹部の多くは逮捕されたが、なぜか保釈され、今回のフア・タイ党の全国区リストに名前が挙げられ10名が当選している。

其の内何人かは閣僚に任命されると取りざたされている。彼らは裁判の結果では相当長期の禁固刑に処せられることは間違いない。また、1昨年のホア・ヒンでのASEAN首脳会議場に乱入し、会議をぶち壊した首謀者のアリスマンは未だに逮捕されていない。

その赤シャツ隊が今回のプア・タイ党の選挙運動の主役であった。彼らは豊富な活動資金を持って、大いにプア・タイ党の選挙活動をおこなった。プア・タイ党は「タクシンが考え、プア・タイ党が実行する」と標榜して選挙戦を戦ったのである。

タイの法律では公民権を停止されているものは選挙活動を応援してはならないと規定されており、この件はやがてプア・タイ党の解散命令につながる可能性が高い。

選挙管理委員会は近く500人ほぼ全員の当選を公認するといわれている。選挙管理委員会は選挙日の直前になって5人中4人が不可解な「海外視察」に出かけてしまった。これは疑惑の行動として将来問題になるであろう。

どのような形になるにせよインラック女史を首班とするプア・タイ党の連合政権は8月には発足する。これからが見ものである。プア・タイ党は選挙の祝勝集会をバンコクでは開けなかった。バンコク市民は怒りに燃えているのである。


T11-13. 赤シャツ入閣せず、インラック政権まずは低姿勢のスタート(2011-8-13)


インラック政権の閣僚がどたん場になって公表され、認証式が終わったが、注目の赤シャツ幹部が一人も入閣していないことが判明した。閣僚名簿はもちろんタクシンが決めたものと考えられる。

過去にさまざまな事件を起こしたヨンユット氏(Yongyuth Wichaidit)が副首相兼内務相で実質的な内閣運営をやっていくものと思われる。

これまた強面でしられるチャレム氏(Chalem Yoobamrung)が副首相で、警察を担当するものとみられている。3人目の副首相はタクシン時代の警察庁長官のコーウィット氏(Kowait Wattana)である。彼はタクシンの手先としてさまざまな事件にかかわっていたとされ、イスラム教徒の弁護士のソムチャイ氏を誘拐・暗殺した(警察官の犯行)事件の疑惑をもたれたままウヤムヤに終わっている。

この3人の副首相はタクシンの警察国家体制の中心人物になると危惧されている。とりあえずはタイ警察を元のようなタクシン体制に人事面でも戻されることになるであろう。

4人目の副首相はキチッキティラット(Kittiratt Na-Ranog)氏で商業相を兼務する。5人目の副首相はチャートタイ・パタナ党の党首で観光・スポー相のチュンポン氏(Chumpol Silpa-achaバンハーンの弟)である。チュンポン氏は民主党政権時代も観光・スポーツ相を務めていた。この2人の副首相はさほど実権はない。

副首相が5人もいるというのは異例だが、最初の3人に実権は集中している。

この前まで証券取引所の事務局長だったテラチャイ氏(Thirachai Phuvanatnaranubala)が財務相に、前の証券取引所の所長のキティラット氏(Kittirat na Ranong)の2人は財界にも知られている人物である。証券取引所関係者が重要な経済閣僚のポストに就くのは、彼らがかつてタクシンの云う事をよく聞いたためと憶測する向きもある。

テラチャイ財務相はプア・タイ党のバラマキ公約をどうさばいていくかが見ものである。しかし、両者ともかなり小粒であることは間違いない。

国防省は元国防相事務局長でありタクシン政権時代に国防次官であったユタサク氏(Yuthasak Sasiprapha)が就任する。彼は今の国軍幹部とフリクションを起こすような人物ではないといわれている。

最も評判の悪い閣僚は外務相のスラポン氏(Surapong Towijakchaikul)であり、彼は外交経験など一切ない。ただひたすらタクシンの忠実な子分であったというだけの人物だといわれている。それだけ、カンボジアのフン・セン首相とはうまくいくであろう。労働相のパデムチャイ氏(Padermchai Sasomsap)もあまり評判は良くない。

司法相のプラチャ氏(Pracha Promok)とと科学・技術相のプロッドプラソップ氏(Plodprasop Suraswadi)は比較的よく知られている。

農業および協同組合相のテーラ(Theera Wongsamut)氏はチャートタイ・パタナ党の幹部であり、前のアピシット政権でも同じポストに就いていた。灌漑局長を長く務め、地道な農業政策をやっていくであろう。

その他の閣僚はほとんど無名であり、バンコク・ポストによればプア・タイ党に割り当てられた21人のうち14名はタクシンとポジャマン夫人が決め、4名はタクシンの妹のヤオワパ(Yaowapa),2名をインラクが決めた問われている。

ヤオワパはプア・タイ党の大幹部であるが、彼女では選挙に勝てないと見たタクシンは美人の末の妹インラクをリーダーに仕立て上げ選挙戦で見事に勝利したということである。この際政治的経験などは問題ではなかったということである。

今後何かにつけタクシンが国外からリモート・コントロールすることになるが、日常的にはポジャマン夫人(法的にはタクシンと離婚したことになっている)が大きな力をふるうことになりそうだ。

いずれにせよ、タクシン一家による政権という色彩が濃厚であることは間違いない。これがタイの民主主義の現状である。こういう政治体制を「民主政治」であるとして受け入れるのは「何かをもらえればよい」と考えている東北部や北部の貧しい農民層である。

新中間階層と呼ばれるバンコクの市民はそうはいかない。タクシンが新興勢力としてバンコクの新中間層(大学出のビジネスマン、技術者、医師、弁護士など)の支持は受けていない。その証拠にプア・タイ党はバンコク中心部では1議席を除いて23議席全て民主党に敗れているのである。

新興勢力のタクシン対保守派、王党派との対立というが、実態は毒性の強い「独裁政治家」対「民主派」の戦いなのである。そのように考えないとタイの政治を見誤ることになる。

残念ながら、日本の学者、ジャーナリストはこのところを見間違い、結局タイの独裁政治を助けているのである。もともと日本人は「開発独裁」(途上国は独裁政治でないと発展しない)という誤った理論の信奉者が多い。

確かに韓国は朴政権下で発展したかもしれない。しからば、フィリピンとインドネシアはどうかといえば、逆ではないか。フィリピンは第2次大戦後、アジアでは日本に次ぐ工業国だといわれながら、「民主選挙」でマルコスが独裁権を獲得してから、フィリピンは徹底的に悪徳政治家の餌食になり見るも無残に荒廃してしまった。そのマルコスを助けたのは日本の自民党政権であった。

インドネシアもスハルトの32年の独裁体制下でスハルト一家と、クローニー(取り巻き)の華僑資本家(サリムなど)に食い荒らされ、石油など豊かな天然資源などに恵まれながらも完全に工業化しそこなった。

これら独裁政権を先頭に立って支持してきた日本経済新聞ですら2011年8月11日には「フィリピン・インドネシア」はンフラ不足が弱点で、日系企業をはじめとする外資はあまり行かないと論じている。

赤シャツは今回の人事に不満はあるが、しょせんは彼らもタクシンに雇われの身である。タクシンがノーといえばノーなのである。彼らはいわばタクシンの「走狗」なのだ。だから彼らはタクシンには逆らえない。

日本政府(外務省)はもともとタクシンが好き(朝日新聞も同様)であり、8月22日から28日まで、2年間の刑が確定している汚職犯のタクシンの日本滞在を認めるという。これは「超法規的措置」であり、およそ常識外れの措置であり、バンコク市民の反発を買うことは間違いない。

江田五月法務相は何を考えているのであろうか?いい加減にしてもらいたい。バンコク市民は概して新日的であり、彼らの信用を少なからず傷つけることになる。民主党政治家の「アジア知らず」はヒドすぎる。これは現行のタイの法律からみても日本政府の行動には問題があるのだ。

タイのパス・ポートを所有しないで、しかもでしかも2年以上の実刑判決を受けている罪人を入国させるなどという行動は日本人にも受け入れらる話ではない。民主党政権はこのあと始末をどうするつもりなのだろうか?

しかも、インラク首相は日本政府にタクシン受け入れの要請はしていないと言っている。スラポン外相が「個人の資格で」日本大使とネゴしたというのが実態であろう。そうなると日本外務省の責任も重大である。

ネーション紙(8-17電子版)によれば、タクシンの日本行きは「日本の民間部門」の招待によるもので、タイ政府は関与していないという。これはタイの首相の発言であり、日本政府は日本の民間部門からの要請で「超法規的措置」をとったということになる。これは民主党政権にとっては重大な事態である。

”She insisted Thaksin was invited by Japan's private sector before she took power and the visa was granted based on the judgement of Japanese authorities."ということになっている。


T11-14 インラク政権の初仕事は昨年の騒乱の犠牲者に1人1,000万バーツの弔慰金(2011-8-17)

インラク政権が発足して早々、赤シャツが政権に要求したのは昨年の4-5月の赤シャツが引き起こした騒乱時の死者91名(軍人、民間人を含む)に対して1人1,000万バーツ(2,600万円)という史上空前の弔慰金の支払いであり、インラク首相はさっそく検討委員会を設立することに同意した。

アピシット政権時代にすでに1人40万バーツの弔慰金が支払われ、1件落着したと考えられていた案件である。

民主党の一部の議員からはあの事件はタクシンが起こした事件(早期解決を阻んだのもタクシンであった)だから、有り余る富を持っているタクシンが支払えばよいではないかという反発の声が上がっている。

4月10日の最初の衝突で赤シャツの背後で高性能銃で武装する「黒シャツ隊」が催涙弾とゴム弾銃でデモ隊を解散させようとした軍に対し、実弾攻撃を加え、ロムクラオ(Romklao Thuwatham)大佐以下4名の軍人を射殺し、多くの兵士が負傷した事件がきっかけであった。

この時に日本人カメラマンの村本さんも何者かに射殺された。毎日新聞は村本さんを殺害したのは軍隊だという報道を流したが、真相は不明である。赤シャツ・デモ隊の背後でカメラを操作していた村本さんを正面から軍が狙い撃ちして殺害したということはおよそ考えにくい。軍にもそうする動機がない。

黒シャツ隊を指揮していた人物はカッティヤ少将というタクシン派の造反軍人であり、彼は後に何者かに狙撃され殺害された。しかし、事件の最後の段階の5月19日まで、赤シャツの武装集団は軍と銃撃戦を繰り広げ、赤シャツ側に多くの死者が出た。

早い段階で、話し合いが成立していれば赤シャツの死者も少なくて済んだことは間違いない。しかし、「平和解決」を阻止したのはタクシンであった。正面きっての銃撃戦になれば赤シャツ隊の鉄砲隊もかなわないことは自明である。

しかも、黒シャツ隊の多くは銃を持ったまま現場から逃走してしまい、まだ一部しか逮捕されていないようである。それでも、一般の赤シャツ隊が使っていたとみられる銃火器が多数押収された。

タクシン派のやり方は政権をとった以上、国庫から最大の資金を奪い取るという作戦は当然予想されることであり、「国内和解」などというのは単なるスローガンにしか過ぎない。2001~6年までのタクシン政治がやがて再現されることは間違いないであろう。

インラク首相自身はあまりバンコク市民を刺激したくなくとも、周辺が勝手気ままに、「戦利品」を奪い取る行為にでることは間違いない。この1,000万バーツの話はその序曲に過ぎない。


T11-15 タクシンの訪日の狙いは何か?(2011-8-21)


タクシンは8月22日から28日まで日本にやってくることになった。タイ政府は公式には最高裁判決で2年間の禁固刑が確定し、刑に服さず海外に逃亡している人物を日本政府に正式に受け入れを要請する立場にはない。それをやったらだれかが「刑法」に問われることになる。

現にスラポン外相は民主党から「不信任案」を突き付けられるという動きにあり、国事法違反で刑事訴追されるかもしれない。

今回はタクシンの訪日要求が強いので、タクシンの遠縁に当たるスラポン外相(外交経験皆無あまり目立たない国会議員)が日本の外交筋に働きかけ、最後は民主党の石井一副代表が官邸に働きかけて実現したと伝えられている(blog 眼力その他)。

麻生内閣時代は法律上の制約からタクシンの訪日要請を拒否したといわれる。今回はタクシン派が総選挙で勝利したという情勢の変化はあるにせよ、民主党政権のあまりにダラシナイ対応は今後に禍根を残すことになろう。タイの新聞でも日本政府への批判記事が多く出されている。

ところでタクシンは日本に何をしに来るのだろうか?タクシンを招待したのは「日本・中国・ASEAN経済文化協会」という団体である。水野清元建設大臣が会長で、吉川貴盛元自民党衆議院議員(北海道)が副会長。理事長は日暮高則千葉商科大学講師という一見ごく普通の研究者団体のように見える。たぶん役人上がりの受け皿団体かもしれないが、自分からどうしてもタクシンを呼ぶという性格の団体ではないであろう。

もちろん背後から働きかけをおこなった企業や政府系機関や個人がいるものと推測されるが、それはだれかはわからない。

注目すべきは日本にさきだちドイツがタクシンの入国を認めていることである。ドイツはタイのインラク政権がおこなう大プロジェクト(高速鉄道など)の受注を狙っていることは間違いない。

タクシンは表向きは日本の経済人との会談や東北被災地への訪問であるが、問題は今後のタイ政府が実行するであろうと思われる数々のビッグ・プロジェクトについてタクシンを通すように暗黙に因果を含めに来たというのが実態ではなかろうか?

表向きはタイの民主主義についての講演なども予定しているという。タクシンがいかに「民主的な(?)」政治をおこなってきたかは本ホームページが多少報告しているのでご参照いただきたい。

もっとも日本にはタクシンの「民主政治」について心酔しているらしい学者やジャーナリストがいる。また、日本のどの新聞がタクシンとの「単独インタビュー」をおこなうかが見ものである(結局、単独インタビューはNHKだけだったようである⇒下記)。

タクシンは機が熟するまでタイには帰らないといっているが、カエルに帰れないであろう。その理由はバンコク市民はタクシンに嫌悪感を持っている人が多いことと、2010年4月10日の事件でタクシンの「黒シャツ隊」という武装組織が先制攻撃をかけてロムクラオ(Romklao Thuwatham)大佐以下4名の現役軍人を射殺してしまったことである。この時軍は催涙ガスとゴム弾の銃でデモを解散させようとしていた。

この件はタイの陸軍史上きわめて重大な事件であり、タイ陸軍は「国民和解」などといってウヤムヤにすることができないであろう。

これ以外にもタクシンが首相在任中にいくつも問題を起こしていて、クーデター後にできた「汚職調査委員会(ASC)」が報告書を作成しており、タクシンの身柄が拘束され次第、次々と訴追されることになるであろう。

シン・コ-ポレーションの子会社シン・サテライトの通信衛星システムをビルマ(ミヤンマー軍事政権)に売った時に強引にタイの輸出入銀行から4000万ドルの融資を付けた件も問題になっている。

今回の選挙でプア・タイ党が勝ったのは「タクシンの人気」ではなく「インラクの人気」によるものであることが世論調査で明らかになっている。インラックの支持率は過半数を超えていたが、タクシンの支持率は30%以下という調査も出ている。そのインラクも馬脚を現すのに半年もかからないであろう。

プア・タイ党は東北部の農村で早くも「足固め」を行っており「赤シャツ村」を拡大しようとし、赤シャツ村には100万バーツ渡すというキャンペーンを開始したという。その村の村民は「赤シャツ」に同調しなければ「村八分」になるという仕組みである。もし、それが事実であれば「国民和解」どころか、国民の間の亀裂は一層深まることは間違いない。

⇒タクシンに単独インタビューした二村解説委員のデタラメぶりに唖然(2011-8-25)


NHKのタイ報道についてかねてから危惧していたが、二村解説委員の話(8月25日BS1午後5時頃)を聞いていて、彼のあまりに不勉強なのに驚いた。二村はタクシンのことを「被告」という言い方をしている。しかし、彼は「被告」ではなく、最高裁で有罪が「確定し」海外に逃亡しているれっきとした「逃亡犯」なのである。

第2に彼を視野の広い有能な政治家で、彼に敵対しているのは「保守派」だと決めつけていることである。彼は在任中に犯した罪によってまともなタイ人からは嫌われているのである。知識層の多いバンコクではタイ貢献党は惨敗しているのである。タイ貢献党は東北部と北部の農民層の票をかき集めて選挙に勝ったのである。

二村は2006年の軍事クーデターを保守派のタクシンに対する反発の結果起こったという考え方のようだが、それは根本的に間違っている。彼は自分の首相という立場を利用して自らのビジネスを有利に導いてきた。通信事業はその典型である。

ビルマやカンボジアに対しても首相という立場を利用して衛星通信の売り込みをやってきた。

また、言論弾圧も甚だしいモノがあり、麻薬撲滅キャンペーンでは2500人人もの「容疑者」を路上で射殺しているなどなど罪状を上げればきりがない。

自分の息のかかった政党が選挙で勝てばすべてが免罪されるのか。NHKというのはそういう価値観をもっているのか?

ドイツがタクシンの入国を認めたら日本も認めるのか?NHKはドイツのやることは正しいと判断する根拠は何か?アメリカもイギリスも認めていないではないか?

NHKは公共放送である。二村解説委員は相当程度が悪い。もっと勉強してもらわないと困る。

こういうインチキ報道は戦前の「日本放送協会」時代からNHKがやってきたことである。今は真実を報道してもブタ箱にぶち込まれることもない。何のために、また誰のためにこういう報道番組を作成するのか?

タイでは民主党議員が130名署名し、スラポン外相の罷免決議案を国会に提出している。スラポンは日本政府が勝手にやったことで彼自身は何も関与していないという。


T11-16. 東北の市庁放火赤シャツには33年の実刑判決(2011-8-25)

2010年5月19日、バンコクの中心部の放火事件に呼応する形で、東北部でも各地で市庁舎などに対する焼き討ち事件が多発した。そのうちの1つのウボン・ラチャタニ市庁舎焼き討ち事件で主犯格の4人が禁錮33年4か月、8名が2年~8か月、9名が証拠不十分で無罪となった。

当初、主犯格の4名は」終身刑の判決を受けていたが、その後自白などにより裁判に協力したという情状が酌量され33年4か月の有期刑に軽減された。この判決は他の地域の同様な事件の判例となりうるてんで注目される。

バンコクでは黒シャツ隊などによる軍人や一般市民の殺害行為ののち、しめくくりで市の中心部で大規模な放火事件があり、首謀者には重大な刑が科せられる可能性がある。その背後にはタクシンがいたことは明らかであり、彼が帰国すれば逮捕され、この件でも訴追される可能性が高い。

タイは日本の某国立大学教授がさげすむようないい加減な裁判をやる国ではない。かつてはタクシンが憲法裁判所判事を買収して「資産隠し」事件を強引に無罪(8対7)に持ち込んだといわれるケースもあったが、おおむね公正な裁判が行われ、バンコク市民からは支持されているように思う。

8月24日にはタクシン夫人のポジャマン女史が親族への多額の贈与を結婚祝いだとして税金逃れをしたということで第1審では3年の禁固刑が言い渡されていたが、控訴審では「税法は禁固刑」にそぐわないとして、無罪となった。

これについては、タイの裁判官が時の政治権力や、「カネ」に支配されやすいと言わんばかりの報道のされ方をしているがそれはなんともいえない。

最近の日本のタイの研究者の中には「タクシンに不利な裁判」はことごとく「不当判決」であると主張する向きもあるが、この判決は彼らにとっては久しぶりに「正当な判決」ということになるのであろうか?

また、2003年にポジャマン夫人がラチャダピーセックの1等地(差し押さえ物件で国有地)を7.7億バーツで落札し、タクシン当時首相が「利益相克と汚職の罪」で告発され2年間の禁固刑が言い渡され、そのごこの土地は政府に買い戻され、今年8月改めて競売に付された。

落札価格は18.2億バーツであった。落札したのは不動産開発業者であるという。現職の首相が夫人に国有地を買収させるということは正当な(?)な手続きを踏めば違法ではないというのがタクシンの考えかもしれないが、首相たるものがやるべきことではないであろう。

国営企業の民営化もタクシン時代に何度か行われたが、有力政治家や財界人が株を安く手に入れ(正当な価格で)大いに稼いだといわれている。タクシンというのはそうした体質の持ち主であった。そういうところをバンコク市民はきちんと見ているからタクシンに対する不信感は相当に強いのである。

2006年月9月の軍事クーデターの時もバンコク市民の反応は「これしか解決の道がなかった」という声が強かった。



2010年5月20日、猛火に包まれるウボン・ラチャタニ市庁舎
(バンコク・ポストより)


T11-17, 赤シャツ幹部を次々政府高官に取り立て(2011-8-29)

インラク政権は赤シャツの最高幹部を全国区の指名議員として10名ほど国会議員に当選させたが、その次の幹部クラスを各省の顧問、次官クラスの地位につけている。彼らはもちろん官僚としての経験はなく、地方の赤シャツ幹部としてプア・タイ(タイ貢献)党の選挙運動で活躍した人々であり、インラック首相は「適材適所」と言い張っているが、明らかな「論功行賞」であるとして国内で批判が高まっている。

その典型はインラックは当初、当該から人材を起用するとしていた外相のポストにスラポンを当てた。彼はタクシンの姻戚に当たり、タクシンの忠実な部下であったが技術者であり、外交経験などは一切ない。彼はさっそくタクシンの訪日に尽力し、それを実現させたが、民主党からは早くも不信任動議を出されている。

今回、起用された赤シャツ幹部は
アリー(Aree Karinara)赤シャツ護衛隊長⇒ワナラート(Wannarat Channukul)内務相の秘書官)
チナワット・ハブンパッド(Shinawatra Habunpad)⇒チャット(Chatt Kuldiloke)副交通相の顧問,元タクシー運転手協会会長。
ヨスワリット・チュクロム(Yoswaris Chuklom)⇒タニット(Thanit Thienthong)副内務相秘書官

ペチャワット(Phetchawat Wattanapongsirikul)⇒社会開発および人権擁護相の顧問、 チェンマイを愛する51グループ・リーダーで元判事補。
ヨスワリット(Yoswalit Chooklom)⇒タニット(Thanis Thienthong)副内務相の顧問。NIDAで修士号を取得。

ウイチェンチャニン(Wichienchanin Shintu-prai)⇒副交通相の顧問、ロイエの赤シャツリーダーで赤シャツ執行部のニシット(Nisit)の弟。
プラサン(Prasang Mongkolsiri)⇒ブンルアン(Bunruen Srithares)副教育相の顧問、元国会議員。


カロム(Karom Polthaklang)弁護士、チャルヌユット(Charnyuth Hengratrakul)パタヤ地区赤シャツ・リーダー、

赤シャツ幹部を含めすでに10名が政府ポストに就くことが決定していて全体で20名になるという。
パンロップ・ピンマネー(Panlop Pinmanee)退役大将⇒首相顧問

スチャート・ライナムンゲルン(Suchart Lainamngern)⇒首相府副官房長、政治担当)
アヌソン・イマサアト(Anusorn Imasa-at)⇒首相府副報道官)、2010年4-5月デモ時の中央ステージの司会者でDJ REDと呼ばれていた。
パンジトラ・アクソルンナロン(Panjitr Aksornnarong)⇒首相官房政治担当官

南タイ紛争の重大なきっかけとなったのクルセー・モスク事件、タクバイ窒息死事件(約80名の若者が軍基地への輸送中に窒息死させられた)であった。特にクルセ・モスク事件当時のISOC(国内治安維持本部)の副司令官で現地の指揮にあったっていたのがパンロップであった

パンロップはタクシン政権時代も一貫して政府ポストを与えられ、さまざまな謀略に関与してきたといわれている。昨年の騒乱時にもパンロップは一時「赤シャツ軍司令官」に擬せられたこともある。

(バンコク・ポスト、2011年8月29日電子版参照)


T11-18,警察長官にポジャマン夫人の兄弟プリューワンが近く就任(2011-9-1)

チャレム副首相は現職の警察長官ウィチェーン(Wichean Potephosree)に辞任するように圧力をかけ、本人もやむなく辞任を了承したという。後任はタクシン(前)夫人ポジャマンの兄であるプリューパン・ダマポン(Priewpan Damapong)副長官が昇格する。

チャレムがウィチェーン警察長官を解任する理由は何と、最近指摘されたバンコクのカジノを放置していたということらしい。このカジノ事件は野党タイ友愛党のチューウィット党首(トルコ風呂の経営者、タマサート大学卒、国会議員)がバンコク市内のカジノの存在を指摘し、それが半ば警察の公認で」運営されていたと指摘した事件である。

このカジノについてウィチェーン警察長官が関与していたことはあり得ないが、部下がやっていたにせよ、監督責任は免れないというのがチャレムの言い分のようである。口実はさがせばほかにいくらで見つかるはずで、この際カジノ事件を利用したに過ぎない。

タクシンにしてみれば、2002年に義弟のプリューパンを警察長官に据えるべく、それまで窓際族であった彼を17人の先任コミッショナーを飛び越し、警察長官補に超特進で任命し、18ヶ月後に副長官に昇進し同時に警察大将に昇格し、次に長官に据えるという段取りが整っていた。このとき、タクシンの露骨な身びいきが世論の批判を受けた。

しかし、長官に任命しようとした直前の2006年9月の軍事クーデターでその話がご破算になってしまったという経緯がある。彼は士官学校出ではなくタマサート大学法学部卒業後東ケンタッキー大学(Eastern Kentuckey University)に留学し刑法の修士号を獲得している。

その後、民主党政権が2009年秋に発足し、2010年の4-5月の赤シャツ騒乱時まではタクシン派が警察を掌握していた。赤シャツ騒乱時には警察が取り締まり情報を赤シャツにしばしば漏えいさせたり、重要犯人アリスマンを取逃がしたり、ろくな役割を果たさなかった。

その後、紆余曲折の結果ウィチェーンが警察長官に起用され、警察改革が始まったばかりのところが、7月3日に選挙でタクシン党ともいうべきプア・タイ(タイ貢献)党が勝利し、インラク政権が誕生した。

インラク首相は最初は「ウィチェーン警察長官を辞めさせることはない」と言っていたが、タクシンもしくはポジャマン夫人の意向を受けてチャレム副首相が今回の警察官人事を強行したとみられる。これに対し、インラク首相は「警察の人事はチャレム副首相に任せてあるので私は知らない」と逃げを打っているという。

要するにインラク首相は「お飾り」に過ぎず、実権を握っているのはタクシン、ポジャマン夫人でありチャレムはその意向を受けてうごいているという構図が明らかになった。

タクシンは2006年には警察を完全に傘下に収め、次は士官学校第10期生(タクシンの同級)を使って、軍を掌握しようとしたが、その直前に軍事クーデターによって政権を追われたのである。

今回も赤シャツの言論機関やジャーナリストに対する威嚇行動や政府機関の赤シャツによる乗っ取りなどが次々おこなわれれば、バンコク市民が蜂起し、再度軍が介入するということもありうるであろう。

インラク首相は口を開けば「国民和解」などと言っているが、実際は全く逆のことをおこなっている。実はタクシンによるタイ国家の再乗っ取りであり、赤シャツを暴力部隊の先頭にたたせ、言論封殺をおこなっていくという前々からお得意の「民主的(?)」な手法の実践である。これに「名誉棄損」訴訟という方法を使って、ジャーナリストに圧力をかけるのである。

都市部での大衆を動員しての「示威行動」というのがタクシンの得意技である。これはヒットラーの得意の戦法でもあった。しかし、バンコクではそれに反発する市民が多いので、やむなく東北部や北部の農民を動員したのが、2010年4-5月の赤シャツ騒動である。

現警察長官ウィチェーンは次のポストとして国民安全保障委員会(National Security Committee)の事務局長(Secretary General)の地位を提示された。しかし、そこには現職のタウィン(Thawil)氏がいる。

彼は30年のキャリアをもつこの部局のエキスパートであり、2010年4-5月の赤シャツ騒乱のときに非常事態解決本部(CRES=Center for the Resolution of Emergency Situation)の事務局長を務めたということでかねてからタクシン派に目の敵にされていた。

この際、タウィン事務局長を首相府の無役のポスト(完全な窓際族)に移動させようとチャレムは画策した。

しかし、タウィンは納得せず、どこかの省の次官というポストならともかく、首相府の無役ポストというのはあまりにもひどいということで「行政裁判所」と公務員委員会の傘下の「公務員地位保護委員会(Merit System Protection Committee)」に提訴すると息巻いている。

(結局、タウィン氏は首相秘書になるということで手を打ったといわれる。これはコシット副首相(元警察長官)の口ききによるものでチャレムは不快感を抱いていると伝えられる。しかし、タウィンは納得しておらず、提訴するかもしれないという。)

このように特定個人(プリューバン)に特定のメリットを与えるインラク政権は民主党を始め、市民からも反発を受けることは必至である。こういうやり方はまさにタクシン流の真骨頂でもある。


(民主党派警察幹部13人を更迭⇒2011-11-30-1)


プリュウーバン警察長官は12月15日付で、民主党政権時代に幹部に昇進した警察官幹部13人を無役のポストに格下げ移動するという。(バンコク・ポスト2011-11-30 インターネット版)
その中にはバンコク警察本部副部長アムヌイ(Amnuay Nimmano)警察少将やウアポン(Ueapong Komarakul)警察少将やクレーリン(Kreerin Inkaeo)警察少将などが含まれる。

そのほとんどが2010年4-5月の赤シャツ暴動の時に取締組織の幹部を務めていた。しかし、これはどう見てもタクシン派、プリューパン長官の怨念を感じさせる報復人事である。これで選挙公約でプアタ党が掲げていた「mai kae kaen tae kae khai(報復でなく仲直り)」という公約を自ら踏みにじり、バンコク市民への宣戦布告である。彼らは警察官として職務をまともに遂行していただけである。それにしても2010年の騒乱時にタイ警察のとっった態度はお世辞にもほめられたものではなかった。

このような人事異動を通じてタクシンは警察を自分の影響かに収めて支配してきた。この首相を軍医も応用しようとしていたがそれが失敗し、結果2006年9月の軍事クーデターにつながったとみることができる。軍は「国王の軍」という建前があり、人事異動についても枢密院の事前審査を得て国王が決済するという原則が貫かれている。



T11-19. タクシンが帰国できない理由は待ち受ける訴追の数々(2011-9-3)

タクシンはプアタイ党が7月3日の選挙で勝利した直後、年末には長女の結婚式に出席するためタイに帰りたいと言っていた。しかし、その後タクシンは帰国の環境が整うまでは帰国しないと言い出した。

タクシンは現在ラチャダピーセックの土地の夫人へ払い下げ問題で「汚職と権力乱用の罪」に問われ、2年間の禁固刑が確定しており、帰国すると刑期を務めなければならず、海外に逃亡している(タイのパス・ポートは取り消され、現在はモンテネグロのパスポートでドバイに滞在)。

しかし、帰国して身柄を拘束されると、判明しているだけでも以下の事案で裁判にかけられ、有罪となれば相当長期のオツトメを果たさなければならなくなる。

1.2-3桁富くじの不法販売。
最高裁の刑事法廷はタクシンが海外に逃亡しているため審理を中断している。元財務相のワラテップ(Warathep Ratanakorn), 元財務省次官ソムジャイヌク(Somjainuk Engtrakul), 元政府富くじ事務所所長のチャイワット(Chaiwat Phasokphskdee)はそれぞれ2年間の実刑判決が言い渡されているが、2年間の監察期間におかれている。

2.ビルマに対する借款供与についてタクシン当時首相が職権を乱用した容疑。
これはタクシンの会社Shin Corp.がビルマ政府に対し、通信衛星の使用契約をおこなった際に、タクシンがタイの輸出入銀行に4000万ドルの借款を供与するように指示した容疑。

3.携帯電話事業で「通信事業認可契約」を「利用税」に切り替え事件。
Shin Corp.は660億バーツの損害を国家に与えた容疑。本件は国家反汚職委員会(NACC=National Anti-Corruption Commission)と検察庁が捜査に当たっている。

4.CTX9000爆発物検査装置。
スヴァンナプーム国際空港に設置したCTX9000爆発物検査装置についての汚職疑惑でタクシンと閣僚が被疑者になっている。。NACCが調査中。

5.国営銀行クルンタイ・バンク(Krung Thai Bank)から民間企業に融資させた事件。
2006年の軍事クーデター後に設置された不正資産調査委員会(Asset Examination Committee)が調査した事件でクルンタイ銀行が民間会社クリサダ マハナコーン(KRISADA MAHANAKORN)に対し90億バーツの融資を不正におこなわせた事件でこの融資はコゲツキとなった。タクシンの息子のパントポンテ(Pantongtee)もこの件で収賄の疑いをもたれている。本件はNACCに引き継がれている。

6.2010年4-5月の赤シャツ・テロ事件
2010年4-5月の赤シャツのデモ隊がバンコク中心部を占拠した際に、「黒シャツ隊」とよばれる武装集団が4月10日に高速銃を発射し、大佐以下の4人の軍人を射殺し、多くの兵士を爆発物なども使い負傷させた。その後も銃と手榴弾などで抵抗し、5月19日の最終日までに一般民間人を含め92名が死亡し、2000名が負傷するという大惨事となった。この事件の張本人がタクシンであるという容疑が持たれている。

赤シャツ・デモ隊と政府との間では途中で「和平交渉」がおこなわれ、何回かまとまりかかったが、海外からのタクシンの指示で交渉は決裂したとみられている。和平交渉が早期にまとまっていれば死者の数は激減していたはずである。この件はまだ公判に至っていないが、タクシンが帰国逮捕されれば、有罪になる可能性が高く、その際最高の刑罰が与えれらることもありうる。

インラク政権は「国民和解」の名のもとに憲法を改正してこれらのタクシンの犯罪容疑を一気に帳消しにしようと考えているといわれるが、タイも法治国家であり、簡単にこれらの事件が全てチャラになるとは考えられない。もし、そうなるとすればタイでは政治権力者な何をやっても罪に問われることはなくなる可能性がある。

(この記事はネーション2011年9月2日の電子版を参照しています)


T11-20. 財務省関係でもタクシン派優遇人事(2011-9-7)


インラック内閣は財務省関係でも
タクシン派優遇人事を閣議決定した。
政府富くじ事務所(GLO=Govermnet Lottary Office)の理事に今回次の3名を就任させた。

スラシット(Surasit Sangkapong) 警察少将。2003年の「麻薬撲滅運動」の時に2,500の被疑者が警察官によって路上で殺害されたといわれるが、彼はその時に中心的役割を果たしたといわれる。その後GLOの理事に天下っていたが、「2~3ケタ・富くじ不法販売事件(上記T11-19参照)に連座し、海外に事実上の亡命をしていた(ビジネス・マンとして国外で働いていた)。プア・タイ政権ができるとすぐに帰国し今回GLOの理事に就任した。

ウィーラパット(Weerapat Srichaiya)弁護士:ポジャマン夫人の弁護士。
ルジャウィン(Rujawin Kijwit)陸軍中将。

財務省関係:
ベンジャ(Benja Louichareon)財務省副時次官⇒物品税局長。ベンジャ女史は国税局在任中にタクシンへの課税に反対した「功績」が買われたらしい。彼女は大変優秀な税務調査官であり、国税局長から財務省次官になると嘱望されていたが2006年の軍事クーデターでとん挫したといわれる。

ポンパヌ(Pongpanu Svetarundra)物品税局長⇒財務省事務副次官。実質降格とみられている。彼はタクシンに課税すべしという論者であったという。また、タクシンの預金資産460億バーツの没収と国庫移管について署名当事者であった。また、石油税の値上げを主張し、プア・タイ党の引き下げ案に抵抗したという。

ソムチャイ・プルサワ(Somchai Pulsawa)財務省副次官⇒関税局長。タクシンの義弟で元首相のソムチャイ・ウォンサワット(Somchai Wongsawat)と近しい関係にあるといわれている。

プラソン(Prason Poontaneat)関税局長⇒国営企業政策局長。民主党政権時代に関税局長に就任した。

ソムチャイ・スジャポン(Somchai Sujjaponngse)国営企業局長⇒財政政策局長

ナリス(Naris Chaiyasoot)財政政策局長⇒財務局長

ウイナイ(Winai)財務局長⇒引退。

サティット(Satit Rungkasiri)国税局長は更迭が取りざたされていたが、難を逃れた。最近の中央税金法廷がタクシンの子供のパントンテェとピントンタ(長女)の2人に対し、税金を支払う必要なしという判決を下したが、国税局としては控訴しなかったことが評価されたという見方がある。

(バンコク・ポスト2011年9月7日電子版参照。同様記事はネーションにもあり。)

このようなタクシン一派の身びいきの人事はバンコク市民の反発を買っていることは間違いない。




T11-21.プア・タイ党今度は法務省幹部の大幅入れ替え、タクシンの恩赦対策か?(2010-9-14)

プア・タイ(タクシン派)政権は9月13日(火)に法務省幹部の異動を閣議決定した。その狙いとするところは実刑を忌避して海外に逃亡中のタクシンの「赦免工作であるといわれている。プア・タイ党の大きな狙いは2010年4-5月の「赤シャツ騒乱事件」対策であるが、その動きは今後みられるであろう。

主な異動は

①チャチャイ(Chartchai Suthiklom)刑務局長(Correction Department)⇒法務省副事務次官(Deputy Secretary-General)
スチャート(Suchart Wong-ananchai).警察大佐:情報通信技術省監察官(Inspector-General, the Information and Communication Technology Ministry、元DSI局長)⇒刑務局長(Correction Department これはタクシンの赦免のほか赤シャツの服役者にも恩赦を与える事務局トップのポストである。

③タウィー(Thawee Sodsong)警察大佐:法務省副事務次官⇒南部国境地帯県行政センター(SBPAC)事務局長。
④タウィー氏の後任はナラート(Narat Sawettanan)警察大佐:特別捜査局(DSI=Department of Special Investigation)次長

⑤パヌ・ウタイラート(Panu Utthairat)SBPAC事務局長⇒内務省付き
⑥ピタヤ・ジナワット(Pitaya Jinwat)法務省副事務次官⇒権利保護局事務次官

⑦アンポン・ワンシリ(Ampol Wongsiri)公共部門反汚職委員会事務局長⇒(Justice Inspector-General)
⑧ドゥサディー・アラヤウティ(Dusadee Arayawuthi)警察大佐、法務省監察官⇒公共部門反汚職委員会事務局長
この人事によって役人の汚職追及は緩和されるのではないかと危惧する向きもある。

⑨シーハナットプラヨーンラート(Seehanant Prayoonrat)警察大佐、反マネーロンダリング庁(AMLO=Anti-Money Laundering Office)
副事務次官⇒事務次官に昇格。

その他の省庁
パシット・サクダナロン(Pasit Sakdanarong)元憲法裁判所長官私設秘書⇒ウィッタヤ・ブラナシリ(Witthaya Buranasiri)保健相の顧問。パシットは前憲法裁判所長官チャット・チョラウォーン(Chat Cholaworn)の個人秘書であったが、タクシン派の「回し者」であり、民主党国会議員がチャット長官を訪問した際の様子をビデオ・カメラで隠し撮りし、それをメディアに流した。しばらく香港に雲隠れしていたが、今年初め舞い戻った。この事件の意味することはタクシンの息のかかった人物が高級裁判所にもおり、一部の判事はタクシンに籠絡されている可能性があるということである。チャット長官は事件発覚後辞任しているが、タクシンに有利な評決を行っていたといわれる。

ピヤ・アンキナント(Piya Angkinant)元ペブリ県国会議員⇒ウィッタヤ・ブラナシリ(Witthaya Buranasiri)保健相の顧問、これは明らかにタクシン派の落選議員に対する失業対策である。


T11-22,タクシンは電話会議で閣議に登場(2011-9-23)


有罪判決を受けて海外に逃亡中のタクシンはSkype(テレビ電話会議)を利用し、閣議に参加し閣僚に指示を与えていることが分かった。インラク首相は「閣議への参加」ではなく閣僚に「精神的激励(モラール・サポート)」を与えているにすぎないといっている。

タクシンとしては妹インラックのやっていることが素人くさくてみていられないということで閣僚に自分で逃亡先から指示を出したということであろうか?これは明らかに違法行為である。というのはタクシンはタイ・ラク・タイ(TRT)党が解散させられたときに「公民権」の5年間停止処分を受けており、これに違反することはプア・タイ党が解党命令を受けることになりかねない。

プア・タイ政権はコメの高価買い上げ、最低賃金の全国一律300バーツ(バンコクでも現行220バーツ)、大学卒公務員の初任給1万5千バーツ、全国の学童への小型パソコン(スマート・フォーン的なもの?)の無料支給,ガソリン・ディーゼル油の値下げなどの広範な「大衆迎合(ポピュリズム)」政策を選挙公約にかかげ、それを実施しようとしている。

これらの政策は最初から「無理筋」であり、財政的根拠も薄弱である。狙いは何としてでも政権を奪還し、タクシンの帰国実現(無罪放免)と政権への復帰にある。

インラク首相を始め、おそまつ閣僚が多く、「ポピュリズム政策一本槍」では早晩破たんをきたすことは明らかである。

世界的な経済危機がタイにも迫る中、とんでもない政権が出現したものである。彼らを選んだのは東北・北部地域の貧農である。彼らはほとんど所得税を払っていない。税金を払っているのはバンコクを中心に存在する中間階級(ミドル・クラス)から上である。人口の比率はせいぜい25%であろう。

彼らはおそらく民主党に投票した人が多いと思われるが、何も報われることはない。タクシン派の無頼の輩が国会で多数をしめ、行政機関に入り込みやりたい放題やるのを切歯接扼腕してみているだけである。しかし、彼らの忍耐もそう長くは続かないであろう。

今、タイの御用学者が始めたキャンペーンは2006年9月の軍事クーデターが「違法かつ無効」のものであり、それ以降のタクシンの汚職追及のための組織や法令はすべて無効であるという主張である。

早くタクシンを無罪放免にして帰国させたいというのが、タクシンの子分どもの目標であり、国内政治などは2の次であろう。それには何としてでもクーデター後の「憲法」を改正しなければならない。しかし、現行の憲法は「改正」のために国民投票を実施し、正当性が保証されており、タクシン派としては再度憲法改正を行い、国民に賛否を問う必要があることは当然である。


T11-23,タイの経済政策は輸出より内需拡大(2011-9-25)

前の証券取引所の所長のキティラット氏(Kittirat na Ranong)は現在は副首相兼商業相という経済の舵取り役を務めているが、この人物の経済認識のいい加減さが露呈されはじめた。

インラク政権が発足してから、不幸にもEUの経済危機に端を発する世界的な株安に見舞われ、政権発足後一時は1070バーツほどであった株価が急落し始め9月23日(金)には前日よりも32.43ポイント下げ、958.06バーツにまで落ちてしまった。

株価はいずれ回復するものであり、別にパニクルことはないと思うが、キティラット副首相の認識ではタイ経済は輸出に過度に依存し過ぎ(2010年のGDP比の69%)であることが問題であり、今後は内需依存型経済(民間消費は51.4%)に切り替えるべきだという。これには日本企業の駐在員もさぞ唖然としたことであろう。輸出増が悪いといわんばかりの言い方にはも思わず「マジスカ?」と言いたくなる。これはタクシンの本音かもしれない。

彼の言うには政府買い上げ米価がトン当たり9000バーツほどだったものが15,000バーツに引き上げられ、最低賃金も150~220バーツが300バーツに大幅にアップされるので庶民レベルの消費意欲が増え、内需が大幅に増えていくという御託宣である。ポピュリズム政策などで経済発展を遂げた国は世界に例をみない。財政でばら撒きをやった分だけ公共投資が圧迫される。

キティラット氏はバンコクの証券取引所長の経歴は長いが、タイの実体経済についての知見は御世辞にも高度なものとはいえず、前の民主党政権のアピラック首相やコーン財務相にくらべ「月とスッポン」である。

タクシンが政権について2003~4年にGDPが6%成長程度に回復したが、それは輸出が伸びたためであり、タクシンのポピュリズム政策の効果ではない。輸出が伸びて製造業の雇用が増え、個人消費が増えていくという筋道をたどったのである。

タイから自動車産業やエレクトロニクス産業の成長を取り除いたら、何が残るというのであろうか?コメの価格も50%も引き上げてしまったらコメ自体の輸出競争力がなくなり、残る国内ではインフレが加速される。こういう理屈をキティラット副首相はまるでわかっていないようである。


T11-24、タイがインドネシアへのコメ輸出30万トンをキャンセル(2011-9-29)

インドネシアの農民・漁業者組合のウィナルノ(Winarno Tohir)会長によれば、このほどインドネシアがタイ政府から買い付けを約束していた米30万トンの契約をキャンセルすると通告してきたという。

タイ政府がいうには、この契約は前政権(アピシット政権)がインドネシア政府と取り交わしたもので、インラク政権は拘束されないとのkと。

実際はインラク政権は従来価格よりも50%以上も高い価格で農民から米の買い上げを公約しており、従来の価格ではインラク政権はにコメを売却することができず、やむなk一方的にキャンセルしたものと思われる。

こういうときには悪徳商人や村のボスが「暗躍する」絶好の機会であり、カンボジアからコメの密輸が始まったと伝えられる。カンボジアで1トン8000バーツ(モミ米)を国境で袋に詰め替え、タイ政府に15000バーツで売り渡すという輩が出てきている。補助金というのは常にこういう犯罪を生む。初めは一部のワルの仕業だが、いずれ政治家も介入してくる恐れ無きにしもあらずである。

タクシン派の前後の見境のない選挙公約はこのように随所でホコロビを見せてくることになる。自動車新規購入減税にしても外国車は対象にしないという方針(その後修正するかもしれないが)がインド政府の強い反発を受けている。

(Tempo 2011-9-28 参照)

T11-25、タイ50年ぶりの大洪水、死者は既に270名に達しバンコクも非常警戒態勢(2011-10-10)

タイは50年ぶりの大洪水に見舞われ、すでに死者が270名に達し、アユタヤなどは完全に冠水し、ロジャナ工業団地にあるホンダ工場は4000台の完成車を避難させたが、なお数百台が水浸しになったと報じられている。団地はほぼ全域に浸水し、300工場が水浸しになって操業を停止しているという。

洪水は北部を中心に30県を襲い、バンコクも危機にさらされている。バンコク周辺でもチョンブリやラヨンといった工業地帯もかなりの被害が出ている。操業を停止している工場は多数出ている。

インラク政権は9月中はタクシンの帰国対策や農村部へのバラ撒き対策などに忙殺されており、洪水の大きさを影響を軽視して来たとの批判を受けている。政府が本格的な対策に取り組み始めたのは10月に入ってからだといわれている。軍はいち早く行動を起こし、被害地の救援活動を開始し、洪水対策作業に取り組んでいる。

洪水対策本部(FROC=Flood Relief Operation Center)が設置されたのは何と10月9日設置であった。設置後もFROCは運営に混乱に次ぐ混乱で事態を一層悪化させた。タクシンの手下の素人が組織のトップに座っていたためである。

本部長は司法相のプラチャ氏(Pracha Promok)氏であり、彼は個人政党にも等しい小政党の党首であり、元警察官僚でタクシン政権下で保健省の副大臣を務めたことがある。その時の大臣はスダラート(Sudarat)女史であり、彼女は今回FROCの顧問に就任している。本部長以外の幹部はほぼ全員がプア・タイ党員であり、彼らは勝手気ままに行動することは最初から予見されていた。

タイの雨季は通常10月末まで続き、雨期明け後も北部方面からの水量は衰えず、バンコクも近々大洪水に見舞われる恐れが十分にある。バンコク都庁では都民の避難体制を準備しつつある。これから10が月17日ごろまでが洪水のピークとされるが、洪水の被害はこれからバンコク全域に及ぶ可能性がある。特に満潮時には海に水が流れないため被害が増大する。

NESDB(国民経済社会開発委員会)はこの被害は推計するごとに増加しつつあり、現在は800億バーツ(2500億円)と推定され、GDPは0.9%押し下げられ4%を切る可能性が高いとしている。(従来見通し3.5~4.5%)実際の被害額はこれをはるかに上回るであろう。

農村部が真っ先に被害を受けそれが急速に南下し、アユタヤ地区(ホンダを始め自動車部品メーカーや日系のエレクトロニクス工場が多数ある)を一飲みにし、バンコク周辺にも急速に今後被害が拡大していくものと予想されている)。

日系企業もバンコク出張を見合わせるところが相次いでいる。ただし、現在はバンコク市内の交通はまださほど影響は受けていないという。状況は時々刻々悪化しており、楽観はできない。


今回は洪水対策を怠った政府の責任が大きい(2011-10-16)

洪水と言えば「自然災害」と日本ではほぼ相場が決まっているが、今回のタイの洪水はかなり様子が違うらしい。まず雨量だが8月にはかなりの大雨だったが9月は昨年をやや下回る程度であったらしい。今回の雨季の雨量はバンコク周辺では一昨年とほぼ同じであるという。問題はチャオ・プラヤ上流の雨量であるが我国の国土交通省の調べでは今年の7~9月の雨量は712㎜で前年同期の528㎜よりは多かったことは確かだが、ダムの水位が早くから上がっていた。

8月か9月の初めころから上流のいくつかのダムを計画的に放水しておけば、今回の大洪水は避けられたという議論が出ている。実際にインラク政権が動き出したのは10月に入ってからだという。そこに2か月間もの時間の空費があった。

それまでインラク政権は何をしていたかというと、選挙で勝った「戦利品(ポスト)」の争奪戦や、タクシン夫人の兄弟を警察長官に無理やりつける算段、赤シャツへ幹部の高官ポストの当てはめ、法務省幹部、財務省幹部のポストの争奪、タクシン帰国のための「恩赦工作」などに明け暮れていて洪水対策などは念頭になかったというのである。

そのトバッチリを最も受けたのはアユタヤの工業団地に工場のあるホンダ、キャノンなど日系企業である。機械設備が冠水しており水が引いても操業再開にはかなり時間がかかることは間違いない。今月末には工場再開などと言っていますが、多くの工場では相当遅れる見通しだ。

インラク政権は実に困った無能政権といえよう。国土がどうなるかより、自分たちの利権確保に忙殺されているのである。外交的にも親中国路線に傾斜していくことは間違いない。キャンセルされたがインラク首相は日本よりも最初に中国に行く予定であった。

今回の大洪水で自動車をはじめ隊の輸出産業(その中心は日系企業)は大打撃を受けたが、インラク政権は「輸出より内需」政策を標榜しており、今後の洪水対策にもどれくらい本腰を入れるかは要注意である。

政権内には今後は日本よりも中国からの大規模投資に期待したいという声もあるという。タクシンは所謂「華僑的色彩が強」い人物で、ASEAN=中国自由貿易協定をシンガポールと組んでプロモートしたことは忘れてはならない。

米国はタイの動向にはほとんど無関心である。日本政府も米国と同様の歩調であろう。その証拠に今回の緊急援助物資は3000万円に過ぎない。


下記のグラフはチョンブリ気象台の観測した雨量(バンコクと同じ)ですが、2011年の8月は509.5ミリと近年では最高ですが、9月以降は例年以下です。1~9月の総雨量も1,316ミリで2010年よりは360ミリ多いですが、雨期は10月末で終わるので、年間総雨量は2009年の1,576ミリ(ここ数年で最多)ていどで収まると思われます。

問題はチャオ・プラヤ川上流の雨量ですが、ここにはデータがありません。しかし、傾向としては上流だけ極端に降ったということもなさそうなので、2009年並みであったと推測されます。(資料はバンコクの友人が提供してくれました)



バンコク防衛のために東部地区が犠牲に、インラク政権への批判高まる(2011-10-20)



政府はバンコク市街地の大洪水を避けるために、チャオ・プラヤ川への水の増加を少しでも回避すべくバンコク周辺地域に向けて排水を強化している。そのためバンコク東部は「犠牲」になりつつある。サイマイ(Sai Mai)水門の周辺では10月14日ごろから水位が上昇し、住民がパニック状態に陥っていた。インラク首相は事態は収まりつつあり政府がしっかりコントロールしているので心配するなと語っていた。(AFP Taipei Times 2011-10-15) プロドラソップ(Prodrasop Suraswadi)科学技術相は死体の悪化を懸念していたという。

ラット・クラバン(Lat Krabang)tiku(したの地図の右手②)地域にはこれまた工業団地(いすず工場がある)があり工場や倉庫が立ち並んでいるがそこも洪水が入り込み大きな被害を出している。

バンコクの南にはチョンブリ工業団地があり、そこにはこれまた数多くの工場があるが、そこにも洪水は押し寄せる可能性があり各工場とも洪水を防ぐ対策に忙殺されている。この地区には自動車工場、部品工場などが数多くあり自動車工場は全て操業をストップして洪水対策に専念している。

しかし、団地内の工場は金網フェンスで囲われており、工場本体の周辺に土嚢を積み上げるなどして少しでも水の浸入を防ぐしかとりあえず方法がない。この地域の排水路は概して小規模であり、東部地域を迂回して洪水が流れ込んできた場合は一面水浸しになる可能性がある。

アユタヤやパトゥムタニ地区の現場ににインラク首相もしばしば訪れているが、「総指揮官」としての指導力は著しく欠如していることが露呈されている。閣僚も知識・経験の不足からバラバラであり、情報は混乱している。政府としての統一した見方と市民への情報提供が何より望まれているが、それができていないという。

ナワナコン地域でも10月18日朝には「大丈夫」などと報道しながら、その日の午後には一転して「全面避難命令」をだすなど、見通しの甘さと情報の不正確さに住民は右往左往させられている。

すでに8月の豪雨の時からこういう事態は予想されていたにも関わらず、政府の関心は洪水には向けられていなかったことが今回の大被害の元凶であることは間違いない。

日本ではNHKのトンチンカンな報道が目につく。枕詞にいつも「大雨による大洪水」という言葉が毎回出てくる。映像を見ると空はカンカん照りの青空である。9月以降タイした雨は降っていない(上のグラフ参照)。日本の洪水のイメージで今回の洪水を語っているか、タイ政府の外国向け発表(しているかどうか知らないが)を鵜呑みにした結果であろう。

今朝のBS放送でまだ「タイの大雨予報」を出していたが、雲は明らかにバンコクの南にかかっている。これからはマレー半島側が11~12月が雨季になり、こちらも例年洪水がある。南タイは山に降った雨がすぐに海岸に到達する「鉄砲水」型の洪水である。何もかもゴチャマゼになった「予報」である。

こんな大洪水の最中にインラク政権は議会にとんでもない法案を提出しようとしていた。それは「2007年出版法」の改定である。これは警察長官を検閲のトップに据え、彼が必要と判断すれば、新聞社の閉鎖を命令することができるという恐るべき内容の法案である。これによって政府批判を行う言論機関の弾圧にも容易に応用されかねない。

日本の一流大学の教授が賞賛してやまない「民主的なタクシン」の本音ともいうべき法案である。「王室や国家の安寧秩序、道徳」に反すると3年以下の禁固刑と10万バーツ以下の罰金刑が科せられるという内容である。
タクシンの時は自分に批判的なジャーナリストを「名誉棄損」で訴え、巨額の賠償金を請求するという手間暇のかかるやり方で弾圧してきた。また、新聞社の株式を買収し批判的な編集者や記者を一掃するということもやってきた。「民主主義者」タクシンの面目躍如ともいうやり方である。

この法案が10月18日に閣議決定された翌日にポジャマン・タクシン夫人(形式的には離婚)の弟のプリューバン(Prieban)が正式に警察長官に就任している。インラク政権はこんな前代未聞の言論弾圧法の制定に血道をあげているから大洪水対策などそっちのけになっていたのである。この法案は大洪水騒動のおかげで議会には上程されていないが、いずれこの法案は提出されるであろう。

最近、タクシンは口を開けば「民主主義」を口にし、赤シャツのデモ隊も民主主義を叫んでいたが、タクシンの本音は民主的選挙制度で選ばれた「独裁者政治(主義)」であり、警察国家体制をしくことにあった。東北の選挙民の支持さえあればそれは「永続的に」可能であった。タクシンは今日でもその野望を捨てていない。だからこそ、政治経験皆無の「ミテクレ」の良い妹を引っ張り出して強引に政権を獲得し、親族のプリューバンを警察長官に任命し、恩赦を勝ち取って無事帰国して独裁政治家として復権したいという狙いがアリアリと見える。



(バンコク・ポスト2011年10月20日の電子版より)
チョンブリ工業団地はこの地図よりさらに下方(南)にある


バンコクの運河の水門を開放、バンコク市街洪水の恐れ(2011-10-21)

バンコク市街地の洪水を防ごうと市内の運河の水門を閉鎖していたが北側からの洪水の圧力を緩和するために、市内の運河を利用してチャオ・プラヤ川にみずを流すことが決まった。

政府は、これによってバンコクの市街地が洪水になることはないと主張しているがバンコク市民は恐怖感を抱いており、水や食料品の買いだめに動いている。そのためコンビニなどの陳列棚が空っぽになるところが続出している。また、南部方面(洪水の被害はない)へ移動する人も増えている。

スクムバン・バンコク知事はインラク首相のバンコクの水門開放命令を実行しなかった。この判断は大正解であった。水門をすべて開いたらバンコク市内全域が洪水になっていたことは間違いない。(しかし、玉田芳史京都大学教授は日本タイ協会の機関誌「タイ国情報」2011年11月号で「バンコクの傲慢」というドギツイ表現でスクムバン・バンコク都知事(民主党員)がバンコクを洪水から救ったのは不当であると批判している。

バンコクを洪水に沈めても経済的に大したことはないということがその論拠である。)首都の政治経済の機能がマヒしても周辺地域に工業部品の生産拠点が移っているというネーション紙のスパラク氏の説を引用している。あきれ果てた話である。首都圏機能をマヒさせないというのは必要最低限の話である。玉田発言はほとんどが赤シャツ派の意見を代弁するかの観があり、それを毎号巻頭論文としている日本タイ協会の見識も疑われる。


軍も被災地域の住民の救出や防水活動に全面的に協力しているが、これを機会に軍がクーデターを起こすのではないかというような疑心暗鬼が政権内にあり、政府と軍の協力関係はすっきりしたものではない。軍としてはあくまで「受け身の立場」を強いられており、「政府からの要請待ち」という立場を保っている。

しかしながら軍は既に5万人の兵士を動員して、被災者の救護や防波堤の補強をおこなっている。

インラク首相は21日(金)正午「自然災害法(1997年)」を発動し、全ての権限を首相が掌握し、軍も首相の指揮のもとに、王宮、堤防、空港などの重要地点の警備に当たれという命令をだし、違反者は処罰すると宣言した。

これは言うまでもなく民主党などが要求する、「非常事態宣言」の発動に対抗するものであることは間違いない。「非常事態宣言」が発動されれば軍司令官が全権を掌握することになるからである。そのほうが、右往左往しているインラク政権寄りは対応が機敏になることは明らかである。

プラユット陸軍司令官は既に要所要所に多くの兵士を動員しているが、バンコクを取り巻く防波堤は脆弱で洪水の量があまりに多く、どこまで支え切れるかは断言できないと言っている。恒久的な堤防になっていないというのである。過去10年のうちタクシンとその手下が政権を掌握していたのは8年間にも及び、その間洪水対策はほとんど手をつけられていなかった。

それに加え、インラク政権は「早期のダム放流」にも関心を示さなかったという不手際がここにきて大災害を招いた。一方、2009年の大雨の時はアピシット政権が迅速な対策をとり、洪水被害は最小限にとどまった。

軍もどたん場で責任をなすりつけられかねないので「非常事態宣言」にはむしろ消極的だとも言われている。どちらにしてもバンコクが洪水に見舞われる可能性は高まっているといえよう。すでにバンコク市街(北部)の一部に洪水が発生しているという。

一方、副首相兼商務相のキッティラート(Kittirat na Ranong)は急遽中国に出かけ温家寶首相と会い緊急援助を要請したもようで、中国は170台の排水ポンプを早急に送り届けることにしたという。このうち150台は22日にも到着し、1時間当たり78トンの排水能力が追加されるという。残りのものが全て届くと1時間200トンの排水が可能になるという。(ネーション紙・電子版10月21日)

1997年の通貨危機の時にチャワリット(前首相)が急遽資金援助を要請に日本にではなく北京に飛んだというケースに似ている。タクシン派政権にとっては頼りにすべきは日本ではなくまず中国だと考えているのかも知れない。

日本政府は3000万円相当の緊急援助物資を送ったが、これはあまりに少ないと云わざるを得ないが、タイに進出している日本の大手家電メーカー(東芝、ソニーなど)は1社当たり3000万円の寄付金を出している。自動車メーカーはホンダが1億バーツの寄付を決めた。他メーカーは目下のところ不明である。。各社とも防水対策でそれどころではないがいずれ寄付をおこなうことは間違いない。

10月21日の午後のニュースでは日本政府としては3000万円では世界第3位の経済大国としてはあまりに些少だというので、ボート200隻と移動式トイレ250台の寄贈を決めたという。これで全部かと思っていたら、野田首相は今後、本格的な支援策を検討すると言明したそうである。日ータイ関係を考えれば当然のことである。

ちなみにEUは6000万バーツ(約1億5000万円)の寄付をするということである。

地元企業からの寄付の動きはほとんど報道されていないが、出足はすこぶる悪い模様である。

前回の2004年のスマトラ沖大津波の時も外国からの義捐金が数十億円も行方不明になり、国際的に糾弾されたがタクシン首相はウヤムヤに終わらせた経緯がある。今回、多額の現金を政府に渡すことへのタメライがあるのかもしれない。

(アヌポン陸軍司令官バンコク市民に自主的避難呼びかけ⇒10月21日夕刻

アヌポン陸軍司令官は政府がバンコクの水門の全面開放を指示したことによってバンコク市内への洪水の拡大は避けられなくなったとして、市民に対して自主的に安全な場所への避難を呼びかけた。なお、新たに公共の避難場所の設置を検討している。

ドン・ムアン空港には既に多くの人が避難してるが洪水はドンムアン空港にも迫りつある。

インラク首相はバンコク市内の運河が水で満杯になってもあふれ出ることはないから心配するなと言っている。ところが洪水の勢いが強く土嚢は全く防水に役立っていないという。防水堤もあるにはあるが、ほんの形ばかりのもので高さ1m足らず、幅15cmくらいのものがほとんどで水圧で容易に破壊されるし、また容易に乗り越えられてしまうという。

今夜からバンコク市内に洪水が広がっていくことが予想されている。

チャオ・プラヤ川上流のプミポン・ダムやシロキット・ダムなどいずれも水位がほぼ100%に達しており、引き続き上流から水が流れ込んできており、放流を続けざるを得ない状況にあるという。

(バンコク知事、27地域の住民に避難命令⇒22日午後4時30分)

インラク首相の指示によりバンコクの運河の水門が一斉に開かれ、北部からの水が市内に流れ込んできている。一部の堤防は決壊したとみられ、またチャオプラヤ川の水位が上がってきているため、市街地北方では洪水となり、一部は官庁街にも水が出始めた。

そのためバンコクのスクムバン(Sukhumbhand Paribatra)知事は27地区の住民に対し避難命令を出した。徐々に洪水は市街地の中心部に向かっていくものと思われる。

洪水がバンコク市街を覆いつくすことになれば、市民生活は大打撃を受けることは言うまでもない。既に多くのスーパー、コンビニで棚が空っぽになりつつあり、銀行の支店も営業不可能になってきているところが相次いでいる。高速道路は車を避難させる人たちの「駐車場」と化し、通常3車線のところが1車線しか使用出来ず、未曾有の大渋滞となっている。

バンコクについてさらに心配なのは水道水がダメになってしまう危険があるということである。普通はペットボトルなどを飲用にしているが、一部の家庭では水道水を煮沸して飲用している。また、普段の炊事には水道水を使っているところが大部分である。これが長期間使えなくなると一大事である。

なお、バンコクの南方に位置するチョンブリ県にも工業団地があるが、そこは今のところ安全であるというが、2~3日後には洪水が押し寄せる可能性があり、各社予防措置をとっている。


(日経新聞高橋徹特派員は諸悪の根源はタクシン追放クーデターにありと主張⇒10月23日)

日経新聞は東南アジアについて予想外の奇説を時に報道するが、10月23日(日)の解説記事で「治水バンコク防衛が裏目」という記事を載せている。首都バンコクを水害から守るために張り巡らした土嚢がケシカランという赤シャツの主張をそのまま載せている。赤シャツ土嚢を破壊してバンコクに水を流し込んだらしい。

バンコクから上流にかけての一貫した治水計画を立てたのはタクシン元首相で、かれが2006年の軍事クーデターで終われたため、計画が実行されずに、今日まで来たのが今回の大災害の元凶だという。その後2008年末から政権に就いたアピシット民主党政権が無策で何もしなかったのが今回の大洪水を招いたというのである。

これはタクシン派政権の一方的な言い分である。2009年にも今年並みの大雨が降ったがアピシット政権は早めにダムの放流をおこない、下流地域の洪水を緩和したため今回のような大被害をもたらした洪水を阻止できたのである。

タクシンは2001年~2006年の5年間に防水計画を作成したが実は何もしなかった。彼の計画の眼目はメコン川から地下トンネルを掘り、水を東北部に引き乾季の農業用水対策にあてるというものであった。所謂大プロジェクト構想である。

軍事クーデターの後にスラユット政権ができたがこれは憲法改正と次の総選挙を準備しただけで終わりである。その後タクシン派のサマック政権とソムチャイ政権が続いたが、彼らこそ何もしなかった。

アピシット内閣は2008年12月20日に成立して約2年半続いたが、その間大きな洪水被害はなかった。北部・中部の大雨情報があるとただちにダムの放流を準備し、今回のようにギリギリまでダムに水を貯めこみ、ダムが満杯になってから放流し、洪水を激化させるというような大ミスを犯さなかったのである。

インラク政権が今年8月に発足したが、8月はおりしおも大雨が降った(NHKは最近降ったかのごとき表現をしているが間違い)。灌漑局や気象官庁はもちろん大雨の情報を政府には連日のように報告したが、インラク政権は一顧だにしなかった。

9月から既に洪水は始まっていたが、「例年のこと」としてさほど問題視していなかった。政府が洪水対策本部を設けて大騒ぎし始めたのは10月に入ってからのことである。その時既に洪水はアユタヤに迫っていた。対策が1カ月以上も遅れてしまったのである。

洪水対策本部(FROC=Flood Relief Operation Center、10月9日設置)
ができてからも政権部内で正しい情報や分析が共有されず、バラバラのアナウンスメントが繰り返され「政府が安心だ」ということは「危険が迫っている」いううことだと住民の間では混乱と「政府不信」が広まっている。

おまけに、バンコク防衛のせいで周辺に大洪水が起こったなどという赤シャツ幹部の言い分をそのまま信じて、せっかく積んだ土嚢を撤去してバンコクに水を流し込んだものがいるといわれている(上記高橋記事以外にもそういう情報が飛び交っている)。

人口1200万人ともいわれるバンコクの機能がマヒしたらどうなるかなどということへの認識がない人たちが少なくないのである。インラク首相がバンコクは心配ないからパニックを起こすななどと市民に呼び掛けているが国王が入院しているシリラート(Sriraj)病院にも洪水が来ているのである。

高橋特派員がこのゆなデマにも等しいようなアピラク政権への誹謗とタクシン政権擁護の記事を書いた意図は不明である。こういう記事を書くならばもっと取材範囲を広げないと読者は正しい理解ができない。なお、ここ数日の新聞を読む限りでは朝日と読売は「事実を正確に書こう」という姿勢が見える。

ちなみに、Wall Street Journal (2011-10-18, Internet版)で"Floods Soak New Thai Goverment"(by James Hookway)と題して、シンガポールの東南アジア研究所(ISAS)研究員 Pavin Chachavalpongpun (タイ人)の次の談話を紹介している。

"Ms. Yingluck, to her credit, has done her job well. She has been seen everywhere. But the goverment also knew about the imminent floods two months ago and did little to prevent it. This is a leadership crisis."

まことに、その通りというしかない。確かに、インラク首相はあちこちに出かけて行ってテレッビにはその都度おの御姿は放映されているが、大事な点はサッパリで、信用ならないというのがバンコク市民の一般的な評価であろう。



Bangkok Post 24 Oct 2011 電子版より

(第2波の洪水予報ーバンコク市民は水道水の備蓄を⇒2011-10-25)

政府の洪水対策本部(FROC)がまともな情報発信をしない(できない?)のに業を煮やしたバンコク知事は関係者の情報から、新たな洪水の第2波が近く押し寄せる危険性があるとしてバンコク市民にできるだけ多くの水道水を備蓄しておくように呼びかけをおこなった。

これは新たな洪水のうねりが近付きつつあるという灌漑局などの有識者の判断に基づくもので、今後新たに洪水が市内中心部に流れ込むと同時に、水道水の水源が破壊され、まともな水の供給ができなくなることを恐れての「警戒警報」である。

FROCは従来から「危険警告」は住民の不安を掻き立てるとして、ドタン場まで危険情報を国民に流さなかった。バンコク市民の生活を守る責任のあるスクムバン知事(民主党)としては識者の予想に基づき早めの警告を出したものと思われる。(ネーション紙電子版)

こういう行動は水害防止方で全責任を掌握しているインラク首相にとっては「マイ・サバイ(不愉快)」であろうが、已むをえない措置と考えられる。

FROCの顧問としてタクシンンは重鎮として陣取っているスダラート女史は「バンコク」に水をもっと流せと息巻いているといわれ、スクムバン知事とは当然意見の対立がある。FROCが純粋は中立機関でなくてタクシン派幹部の影響力が強い機関であることにそもそも問題がある。

(バンコクに危機迫る-10月27日~31日連休に)

大洪水がバンコク北部に再度迫ってきており、バンコクは大量の洪水の新たな侵入に備えて警戒態勢を強化している。あすは海面の上昇と北からの大量の洪水がかさなり、バンコクは危機的状況を迎えつあるという。

政府はこの月末が洪水のピークに当たるとしてバンコク、ナコン・パトム、ロップブリ、アユタヤ、サムット・プラカンなど21都県に対し、10月27日(木)から31日(月)まで5日期間の連続休日にすると宣言した。ただし、コンビニや銀行の支店はギリギリまで開店するものと思われる。

公立学校の新学期は例年11月1日からだが今年は11月15日まで延期される。

なお、インラク首相は防水堤は役立っていないとようやく認めた。軍が前々から云っていたことである。

下の図はバンコクは最悪このような洪水状態になるであろうという予想図である。これはランシット大学のセリ・スパラティット(Seri Supharatid)博士が作成したものである。中心部は21~50cmの水が出るという予想である。


Bangkok Post 2011-10-26 Internet 版より


(バンコク旧市街は水浸し-国王は王宮よりも国民を守れと指示⇒20110-10-27)

国王に状況の説明に首相や陸軍司令官が参上したが、国王は「王宮に対して特別な措置は必要ない。洪水の自然な流れに任せておけばよい。それよりも国民の災難を少しでも軽減すべく全力を尽くしてほしい」という要望を述べられたという。

このようにプラユット司令官が今朝がた報道陣に語った。(Bangkok Post 2011-10-27 Internet 版)

すでに、バンコク市内ではチャオ・プラヤ川の水位が地面よりも高くなっていおり、川の水位を見ながらいくつかの水門を開けたり閉めたりし、また多数のポンプで水を川に放出しているが洪水はジワジワとバンコク市内全域に広がりつつある。

現在のところ、水道の一部では濁り水が出ているとの報道もあるが、何とか普段通りの水道水は供給されているもよう。ただし、多くの市民が交通マヒのため、出勤できなくなっている。

また、FROCに集められた膨大な支援物資があまりスムーズに配られておらず、赤シャツ支持者の多い地域に優先的に配送されているという疑惑が持ち上がっている。FROCはそれを否定しているが、日常の生活物資が不足しており、着の身着のまま逃げまどっている被災者への供給を優先すべきであることは云うまでもない。

また、救援物資を積んだトラックが来ると、その前にプア・タイ党の旗を立て、あたかもプア・タイ党からの支援物資であるかのごときイメージをテレビ・カメラに映つさせている「ボランティア」いるという。また、救援物資が運ばれるトラックに横断幕をはり「これはタクシンからの贈り物」というインチキの宣伝をしたケースもあったという。

(Nation, Thanong Khanthontg編集委員がプア・タイ党と赤シャツ批判⇒2011-10-28)

対の英字紙ネーションの編集委員のタノン・カントン氏が下記のような強烈なプアタイ党と赤シャツの批判をおこなっています。

見出しは「バンコクが陥落寸前であり、1765年にアユタヤ王国がビルマに攻め滅ぼされたときに似ている」というものです。

王宮の門のところの防水施設(多分土嚢)を何者か(多分赤シャツ)が破壊しているという話から始まって、インラク政権の洪水対策に対する著しい遅れとその担当者の適性の欠如(素人集団)が大混乱・大被害の元凶であるという話です。

話の内容はこのホーム・ページでも取り上げて来たこととほぼ同じですが、具体的な個人名が入っていたり、より詳しく書かれています。今までの批判記事の総まとめといった内容です。実際のところインラク政権が「洪水対策本部」を立ち上げたのは10月9日(土)であり、いかに対応が遅れたかを物語っています。

被災したタイ国民と日系企業をはじめとする工業団地の企業、従業員にとっては何ともやりきれない悲劇となりました。タイはもっとしっかりした国でした。中国のことわざに「悪政は虎よりも恐ろしい」というのがありますが、悪政の害はこれほど恐ろしいものです。

Pheu Thai and red shirts do nothing to help their own

Thanong Khanthong
thanong@nationgroup.com October 28, 2011 9:01 am

Bangkok is falling, similar to the fall of Ayutthaya in 1765.

It is now too late to save Bangkok from flooding. I could never have imagined that the City of Angels would collapse before my eyes.

On Wednesday, a Nation photographer saw a group of people trying to destroy barriers protecting the Grand Palace from floods. This information appeared in my colleague's twitter account, @Tulsathit. Few paid attention to this. But it's a revelation, illustrating that the tragedy of modern Thailand is a conspiracy. If the Temple of the Emerald Buddha were to be completely underwater, Thais would have been dealt a big shock, losing all morale and strength to fight back. If the Emerald Buddha cannot protect the City of Angels, then the angels would have taken flight and the capital would have fallen.

Are we facing "shock and awe" similar to 9/11? The crash of the economy and whole nation? Let me raise several crucial questions that have to be addressed, because government agencies, ministers, Pheu Thai MPs and red shirts are apparently adopting a passive mode while disasters pile on the Thai people.

In spite of heavy storms this year, water levels in general have not been significantly worse than the great floods in 1995. More investigation is needed on water releases from the dams this year and in 1995. Water resources experts from Plamod Maiklad to Dr Smith Thammasaroj have asserted that floods could have been avoided. I was told that a Cabinet member spoke to irrigation and electricity officials not to release the water from dams, in spite of heavy downpours in September, so there would be enough water for farmers. "I shall assume sole responsibility for this," he said.

The delay in releasing water from dams, particularly Bhumibol Dam, in the North has caused mayhem because the water has to be released en masse otherwise the dams would have been broken apart. This Cabinet member has not yet come out to assume any responsibility for his decision that caused unprecedented floods to so far destroy 10,000 factories and plunged millions of Thais into bankruptcy and homelessness. What was his motivation? Was it meant to coincide with 9/11?

Prime Minister Yingluck initiated the Bang Rakam Model to tackle the floods in September after visiting Amphoe Bang Rakam, Phitsanulok. Bang Rakam (bang, small town; rakam, painful suffering) is far from being an auspicious name. She must have been informed about the serious threat of floods, which started in August. It was not until October 9 that she signed an executive order to create the Flood Relief Operation Centre (Froc). What happened during the interval on the flood prevention programme when ex-prime minister Thaksin Shinawatra stole the news headlines?

Yingluck has put the wrong people in the wrong jobs. Does she know what she is doing? Froc is headed by Police General Pracha Phromnok, the justice minister. Pracha has virtually no knowledge of water resources and crisis management. Korbsak Sabhavasu, the Democrat's strategist, was surprised upon learning that Dhirachai Wuthitham served as secretary-general of Froc? He asked: "Who is Dhirachai? If he is unknown, how can he coordiate with all the agencies and ministries to combat the floods?"

The Interior Ministry sits on the sidelines doing virtually nothing to tackle the crisis. Interior Minister Yongyuth Vichaidit said the floods are beyond his and the ministry's ability to tackle, although the ministry has the country's largest manpower and resources network to respond to a crisis situation to help the people.

We have not seen the police on TV helping the flood victims. Police General Phriewphan Damarong, a younger brother of Pojaman Na Pombejra, has been appointed police chief. He made some news initially. After the floods become more serious, he did not appear in the public eye. The police force is an idle watcher of the tragedy. Instead, the military has sent out 40,000 personnel to help communities fighting the floods. Why does the police force adopt a do-nothing attitude?

Pheu Thai MPs and ministers are not helping flood victims. They are nowhere to be seen. Where are they?

Red-shirt leaders have not come out to help those affected by the floods either. In April and May last year, they campaigned against the elite and for democracy. This year their people are suffering badly, but not a single red-shirt leader has emerged to help the poor. Ironically, the provinces suffering from the floods are Pheu Thai territories. Where are they?

At the same time, Pheu Thai wants to go against the military by pushing for legislation to nullify the coup in 2006. Jatuporn Promphan, a red-shirt leader, is trying to have the Defence Ministry's regulations amended so that the government can have more control over the reshuffling of military posts.

Yingluck has refused international assistance although Thailand is facing bankruptcy from the floods. I was told that Ban Ki-moon, the secretary-general of the United Nations, asked the prime minister how the UN could help. Yingluck's response was to the effect that UN assistance would not be needed. The US offered to send aircraft carriers, which were also refused. Why did she refuse international assistance, which now has to go through private channels rather than official channels.

We do not see red-shirts coming out to help other red shirts in a systematic way. Food, drinks and other supplies are slow to be delivered to the flood victims.

These questions have really disturbed me as I watch the floods destroy Thailand. Yingluck is apparently a puppet prime minister who is dancing to a tune written by those around her. Who are the invisible hands who apparently have a malicious intent for Thailand?


(バンコクの中心部はどうやら難を逃れた模様⇒2011-10-30)

バンコクの旧市街部(王宮や官庁街やチャイナ・タウンのある地域)は洪水に見舞われたが、ラジャダムリ通りの商店がいからスクムビト通り(日本人が多く居住する地域)あたりはどうやら洪水の被害を免れた模様である。これは29日夜に予想された大潮がさ程の兆位の上昇を見せなかったことと懸命の排水作業などが功を奏したためであると考えられる。

しかしながら、洪水は着々と迫っており、バンコクの西側にはかなり拡大している。ノンタブリの南側はかなり洪水がひどくなっており、チャリン・チン地区(タマサート大学の川向こう)では住民に避難準備命令が出されているという。下の地図で色の一番薄い地域は今のところ水は出ていない。




(Nation 2011-10-30 Internet 版より)

FROCに集められた救援物資はほとんどがドン・ムアン空港の倉庫内に残されており、一部は水に浸かっており、衣類は軍に持ち込んで洗濯しているという。日本から送られた移動式トイレもそのままになっていることが写真で確認されている。

FROCはこれらの物資を急遽他の場所に移して早急に配送すると言っている。しかし、全般にやることなすことスロー・モーであり、被災地に食料など持ち込むとただちに長蛇の列ができるほど住民は食料などを必要としている。

インラク政権は恐ろしく無能な政権であり、行政能力が著しく欠如している。インラク首相は全く行政経験もなく、タクシンの妹として会社の事務所の立派な椅子に座っていてだけのキャリアしかないことが随所で露呈されてしまった。

基本的に、気働きなどはない人物であり、周辺の有力者の云うことを聞いてついていっているだけのことである。先日も東部地域の水を排水するために5本の道路を破壊せよなどとう命令を出したが、あまりの暴挙に反対意見が集中しこれまた急遽取りやめるという事件が起こった。

結局のところほとんど成り行き任せで今までやってきた方が結果的によかったということになりそうである。合理的ジャッジなどはいまや誰も彼女に期待していないようだ。一部の御用紙や評論家がこの洪水を「自然災害だとか役人が無能でインラク首相には何の責任もない」などとワメキ散らしている。



これは内外からの援助物資を政治家が「わがもの」として自分の選挙区や支持者のいる地域(赤シャツ村など)に送り出そうとしているという風刺画である。(バンコク・ポスト2011-10-31 Internet 版より)

トラックの横断幕に「タクシン贈り物」と麗々しく書かれたものもあったという。もちろんタクシンはそんなことはやっていない。韓国から手当てした排水ポンプを贈ったという顧問弁護士の話はあるが、誰も現物を見た者はいないという。

また、FROCの顧問スダラート女史(タクシン派の重鎮)が取り仕切っている救援物資配送センターでは「赤い袋」に入れ替え作業をやったり、ボランテアに「赤い帽子」をかぶれと言ったりしているという。救援物資がプア・タイ党や赤シャツの宣伝に使われているという何とも「火事場泥棒的」な話である。ドン・ムアン空港に洪水が迫るとFROCは救援物資の山を倉庫に残したままバンコク市内に逃げてしまった。これには映っていないが、日本から送られた移動式簡易トイレも赤シャツは不要だと考えたのか置き去りにされた。



FROCとは別にまともな人たちがやっている救援センターももちろんある。赤十字や軍や大学や民主党もそれぞれセンターを設けているという。これには一般のボランテアも参加している。


(バンコクの東西の水位増す⇒2011-11-1)

バンコクの北部や旧市街(王宮や官庁やタマサート大学の周辺)はすでに水浸しになっているが、そこから南に位置する市の中心部(ワールド・センター、プロンティット通り、スクムビット通りなど)は目下のところ水は出ていない。ただし、スクムビット・ソイ50はチャオプラヤ川の堤防が一部壊れ、水が出ているが応急措置によりほとんど止まっている。

しかし、バンコクの郊外は依然として水位が下がらず、周辺の住民はバンコク市内を通ってチャオプラワ川に通じる運河の水門をもっとあけて水を大量に流せと迫っている。現在は70cmほど水門を上げているが150cmにしろという要求である。

政府は上流地域とのバランス上バンコク市街地の洪水範囲が広がってもやむを得ないと考えているようだがスクムバン・バンコク知事としては市街地全体に洪水が広がると人口密度が高く、ビジネス・センターの機能もマヒさせられないのでこれ以上水門は上げられないと主張している。

協議の結果東バンコクのサム・ワ運河(Khlong Sam Wa)の水門を1メートルまで上げる(開く)ことで合意をみた。これ以上あげると洪水が運河からあふれ出て市街地の洪水が一挙に広がる可能性があるという。

水門の周辺には道具を持った住民が1,000人ほどが集合し、水門を守っている都の役人に罵声を浴びせるなどして脅迫しているという。そのうちに、住民は水門のわきの堤防を一部破壊してしまった。

チャオプラヤ川まで運ばれた水はチャオプラヤの水位が運河より低ければ出口の水門を開けて流せるが、最近はチャオプラヤの水位が高いためポンプを使って排水している。

バンコク北方のランシットやパトムタニ周辺の水位は下がるどころか上流からの水でやや上昇しており、スクムバン知事は第2波の危機がバンコクに迫っているとして警戒を強めている。ただし、アユタヤはやや水位が下がり始めたという(11日午後の情報)。

同時に、チャオプラヤ川に排水できない水はバンコクの東と西に分かれて進んでおり、この両地域の洪水がジワジワと増している。地域一帯は高低差が少ないため進行は緩慢である。こうなると今まで洪水を免れていた工業団地にも水が広がる危険が増してきた。

当初インラク首相はバンコクの水門の全面開放を命令したが、スクムバン知事はこれに従わなかった。もし、従っていたらバンコクは今頃一面の洪水で首都機能は完全にマヒしていたであろう。





(バンコク市東部に洪水が拡大、防護壁破壊が原因⇒2011-11-2)

1日(火)に住民によって破壊されたサム・ワ運河水門の堤防から大量の水がバンコク市内東部に流れこむなどして道路の冠水はかなり拡大した。スクムバン・バンコク知事は急きょ警察官の護衛にもとに修理を行った。これに対しプア・タイ党のWicham Meenchainart国会議員はいまさら防護壁を修理しても無駄だと発言している。

しかし、これはとんでもない間違いで、すでに、下図にみる'Fashon Land Shopping Center’あたりまで冠水し、ミンブリ地区の2つの工業団地(Bang Chan Industrial Estate)付近の道路も水浸しとなっている。

さらに、北から新たに水が流れ込めばサム・ワ水門の下流にあるセン・セプ(Saen Saep)運河の水門経由で大量の水が流れ込みバンコクの市内全域が冠水するという事態になる。

このような住民による防護壁の破壊は数か所でみられるが警察は黙認してきたともいえる。戒厳令が施行されていないので軍は手出しができず、警察がこれらの犯罪行為を取り締まらなければ収拾がつかない。

警察長官は最近強引に昇格させたばかりのタクシン夫人ポジャマンの兄弟のプリューパンであるが、彼はほとんどやるべきことをやっていない。

政府・FROC(洪水対策本部)もサム・ワ水門の補修について何もしていない。もちろん、補修にかかる費用は政府が負担するが、すべてをスクムバン知事にやらせて拱手して成り行きをみているばかりで、インラク首相も1週間以内に水は引くなどという楽観論を述べたたてているだけである。

プア・タイ党の幹部の素人考えで方針が左右されてきたインラク政権は最初からスクムバン知事の意見をもっと取り入れるべきだったのである。

結論的にバンコクの洪水被害は全域に拡散する可能性がある。ティラチョン副知事はバンコク全市で安全な地域は無くなったと語った。






住民によって破壊されたサム・ワ運河水門の堤防から大量の水がバンコク市内東部に流れこみバンチャン工業団地が浸水の危機に見舞われたが、3日この部分は補修され、一応これ以上の浸水の危機はさった。

また、下図のとおり、同じミンブリのラクラバン(Lat Krabang)工業団地も洪水が迫っている。

バンコク全体の50地区のうち、まだ浸水を免れているのは11地区のみとなった(11月3日深夜現在)。




(タイ政府ようやく運河の堤防の破壊を阻止すると約束⇒2011-11-4)

インラク政権は怒れる住民が運河の堤防を破壊し、自分たちの居住区の水位をできるだけ下げようとしていた行為を事実上黙認してきたが、バンコクが洪水から守られず、かつ上水道の水源にまで汚水が流れ込んでくるという壊滅的状態を避けるべく、警察を動員することを約束した。

上記のサム・ワ水門わきの防護壁が破壊された時も大勢の警官がみていて阻止行動をとらなかったことに対し、民主党の支配するバンコクを水没させても構わないというプア・タイ党の政治家と警察が結託していたのではないかという見方が出ている。

さすがに、インラク政権と警察もこれではまずいということで運河の破壊行為を取り締まると宣言した。特に重要なのはプラパ運河(Klong Prapa)であり、この堤防が数か所破壊されたためにバンコクの水道の汚染が一気に進み、煮沸しないと飲めない(普段でも市民の大部分は煮沸しているが)状態になり、かつ供給量もカットせざるを得なくなった。

インラク政権はバンコクの防衛にはきわめて冷淡であり、バンコクは都庁と軍が防護壁の強化や排水を独自におこなってきた感が強い。ともかく警察官の姿が交通整理意外にあまり見られなかった。住民の救護活動も軍がトラックと人員をもっぱら派遣しておこなっており、兵士の疲労度も極限に達している。

バンコク全市が水没することにでもなれば国民から非常事態宣言発動や場合によっては軍事クーデターの願望が高まることもありうる。プラヨット陸軍司令官は非常事態宣言の発動に否定的である。現行法の範囲で政府はやれるはずだという考えである。

11月4日の夕刻にはさらに北からの洪水がジワジワと押し寄せドンムアン空港から市の中心部入り口にあたるチャトチャク(Chatucak)もすでに退避勧告が出され、地下鉄のラチャダピーセック駅付近にも水が押し寄せている。乾いている面積はいっそう狭まりつつある。

プラユット陸軍司令官はバンコクの中心部(商業地区)は何としてでも守ると決意を述べている。それにしても政府の洪水対策本部(FROC)は何とも頼りない。国内外からの膨大な救援物資をドン・ムアン空港の倉庫で水浸しにしたまま自分たちは事務所を安全なバンコク市内に移したというのをみてもその無能ぶりがよくわかる。

一方、各地で民間のボランティアや軍隊が被災者を救援するために休む暇もなく活動している。

ROCの動きは極めて党派的(タクシン派=プアタイ党の利益中心)であり、懸命に働いている都職員や軍に対し非協力的であったことは否定できない。事務局も官僚が動員されており、怠慢なうえに統制がとれていないという批判が出ていた。インラク首相もこれからは「すべての政府機関が同一の方向に向かった働く」と語っている。

タイの官僚は日本の官僚とよく似ていて「横の連絡」が全く苦手なのである。要するに、組織的行動ができないのである。その点タイ陸軍ははるかに優れている。

FROCとバンコク都庁が一致協力するのがもっとっも望ましことだが、実現は難しい。プアタイ党が態度を改めることは考えられないからである。政治的妥協というのは政治的インテリジェンスがない人間には無理である。それは昨年4-5月の赤シャツ騒動をみれば明らかである。銃で軍隊を襲い、銃撃戦で敗れると無防備の商業ビルに放火した。5月19日に銃撃戦になる前に降伏すれば多くの人命が助かり、放火事件も起こらなかったはずである。

今回の洪水対策でも自分たちの周辺の水を少しでも減らそうとして運河の堤防を破壊したり、水門の開け閉めを指図したりする。下流の工業団地や首都がどうなろうと関係ないのである。プア・タイ党は「住民の意向優先」で住民の無晴雨的な行動を止めない。

当局が下流への水量を調整しようとし、上図の①のランシット運河(Klong 9)9の水門を閉じようとしたら、またもや住民300人ほどが押し寄せ、役人の行動を阻止したという。その前にKlong8とLong10の水門は軍隊の力をかりで閉めたという。もちろん住民の行動は自分たちの居住区の推移を何とか下げようとした「自衛策」には違いないが、バンコクの中心部やその前のラックラバン工業団地を洪水から守ろうとする政府の方針(?)を妨害するものである。この地域はプア・タイ党が議席を獲得した地域でもある。

なお、11月5日夕方のテレビ・ニュース(チャンネル3)でアユタヤ地区は水が引いた場所が多いとの報道があったという。(ネーション)




上図はバンコクの西側に大量の水が流入し、チャオ・プラ側の対岸のトンブリ地区が全面的に洪水になり、南タイに抜ける道路が水没しかかっている状況を示している。最南のラマ2世通りも危なくなってきている。(11月5日午前)

(バンコク中心部に、洪水迫る、寄付金の横取り横行⇒2011-11-7)

アユタヤやパトゥムタニ地域では水が引き始めているが。バンコクの中心部には洪水が徐々に押し寄せ、市の中心部に5㎞と迫っている。また、下水道を通じて軽度の浸水域は急速に拡大している。ここにきて政府の洪水対策本部FROCはバンコク都庁に対し態度を軟化させ、71台の排水ポンプをバンコク都庁に提供すると11月7日(月)に発表した。そのうち48台は最近中国から買い入れたものであり、まだ到着していないものも含まれるという。設置には15日間を要する。

日本が提供する10台の強力ポンプ車は25メートル・プ-ルの水を10分間で排出するというニュースはタイでも報道され、11月17日に到着するということであり、タイ国民は首を長くして待っていることであろう。

バンコク都庁(BMA)としてはFROCの申し出でに感謝の意を表している。今まで、FROCはBMAの協力要請に対してお世辞にも十分な対応をしてこなかった。

こういう時期に洪水被害者に対する義捐金の呼びかけがテレビを通してなされているが、その義捐金を個人の口座に振り込ませて横取りするという悪質な詐欺事件が急増している。チャロン・ポカ・パン財閥からの巨額な義捐金が行方不明になっているとも言われている。現金の寄付については厳重な注意が必要である。

それ以外に、避難家庭に対する空き巣も横行し、警察は警戒態勢を強化しているというが犯人が捕まったという報道はほとんど聞かれない。また、外国から寄贈されたボートも盗難にあっているという。FROCに集められた寄贈品はかなりイイカゲンな管理をされていたが、FROCは改善を約束し、管理責任者を交代させた。しかし、プア・タイ党が配分の実験を握っている限りは公正な配送がおこなわれているかどうかは定かでない。

ABAC(アサンプション大学の世論調査)によれば被災者からもっとっも感謝されているのは軍隊であり、次に民間のボランティア、3位がメディアであるという。警察もこのところ熱心に動き始めたようで、従来の8位から4位に上がってきたという結果である(ネーション、インターネット版11月7日参照)。

下の図は11月7日の夕方現在の避難勧告が出されている13地域であるが、これはさらに拡大される模様である。





(救援物資購買で汚職疑惑⇒2011-11-8)

FROCが被災者に支給している救援物資が不当に高い価格で購買されているという疑惑が広がっている。一般の国民から寄せられた救援物資以外にもFROCが国家予算で買った物品があり、一袋300バーツ、500バーツ、800バーツと3種類ある。インスタント食品がなどが詰められているが、いかにも割高だという印象を持たれているようである。

悪いことに、疑惑をもたれている800バーツのものはすべて配給されてしまって現物がないからわからないというような担当者の言い分が一層疑惑を募らせている。この問題をメディアが根拠もなしに取り上げたのはけしからんと政府関係者は言っているが、説明をきちんとしなければならないのは国民の税金を使っている政府の方である。

こういうところが民主主義政権を自称するプア・タイ党が自らの矛盾を天下にさらすもとになっている。メディアが間違っているというならば「正解はこれだ」と指示して誤解を解くのがスジである。証拠となるものがなくなってしまったなどというのは子供っぽい言い訳で誰も納得しないであろう。

2004年末の大津波の時も政府関係者が外国からの援助資金数十億円を「行方不明」にして、その調査結果をタクシンは明らかにしなかった。米国はこの件をいまだに問題にしており、今回も米国からの援助の話は目下のところ聞こえてこない。今回も同種の事件が起こるのではないかという疑惑が最初から国民に持たれているからこういう騒ぎになるのである。

これが問題になっている救援物資である。内容については説明がないが800バーツといえばかなりの大金である。日本円に換算すると2000円だが食品の価格がベラボーに安いタイでは最低賃金3~4日分にも相当する「高額」な品物と理解されていることであろう。タイの友人に聞くと市価よりは30~40%は割高(ペーン・パイ)らしい。結局FROCは真相究明はやらずにウヤムヤに終わらせるらしい。



これは今日のタイを象徴しているような写真である。
素人政治家のミス・ジャッジによってこんな事態になってしまった。首相も含め、閣僚も適切な時期に適切な判断ができないととんでもないことが起こるのである。適材適所の人材配置がなされていなかった。それは日本でも同じである。困難が起こっても、それに便乗し、党利党略を優先させる政治家たち。まさに「タイは泣いている」



(Bangkok Post より)

(排水を上回るペースでバンコクは増水⇒2011-11-10)

すでにアユタヤ地域では水が引いて工場もボチボチ再開を始めたらしい。しかし、バンコク周辺は徐々に水かさが増え、FROCが貸してくれた排水・ポンプをフル稼働させても入り込んでくる水量のほうが多くて浸水域もゆっくりではあるが拡大している。

スクムバン知事によれば流入量は1日1億立方メートルであるという。

東部地区にあるバン・チャン(Bang Chan)工業団地は何としても冠水を阻止するとして軍は多数の兵士を動員して土嚢を積み上げるなどの防水作業を行っている。すでに団地の前の道路は1メ^トルも冠水している。

バンコクの西部では南部に抜ける南端のラマ2世通りに1kmまで水が押し寄せている。この通りが通行不能になるとホア・ヒンあたりに避難しているバンコク市民は市内の自宅に戻れなくなってしまう。バンコク都庁はラマ2世通りの通行を確保市べ九大型土嚢(Big Bag=1個2トン半)で壁を作り、水を迂回させたり、借りたポンプを重点的に割り当て懸命の排水作業を行っている。

日本からの排水車10台の到着が待たれている。

洪水が始まって今日まで死者が529人、行方不明者が2名以上でており、50人近くが水中での感電死であるという。


(政府は水害対策の2つの委員会を設置⇒2011-11-10-1)

インラク政権は今回の水害からの復興と洪水対策を立案するために2つの委員会を設置することとした。

①災害復興委員会:委員長ウィラポン(Virabongsa Ramangura)氏。ウィラポン氏は財務相の経験もあるタクシン派の古手エコノミストと知られ、タクシンから委員長に就任するように直接要請があったという。タイ産業連盟、タイ商工会議所、タイ銀行協会のほか閣僚や専門家が参加するという。メンバーの詳細は明らかでないがほとんどがタクシン派で占められるという。

政権からは副委員長として2人の副首相、ヨンユット(Yongyuth Wichaidit内務相兼務)とキッティラートが参加する。これ以外にはタクシン政権時代の副首相であったウィサヌ(Visanu Krue-ngam)氏とタクシンの顧問であったパンサク(Pansak Vinyaratn)氏が加わる。これはあくまでプア・タイ党の都合に合わせた陣容であり、復興資金の配分がどうなるかなど早くも懸念されている。

今回の水害でタクシンは表に出ず鳴りを潜めていたが、いよいよこういう人事をやることでまず動き始めた。復興事業は巨大な利権を伴うことは言うまでもない。こういう仕事を取り仕切るのはインラク首相には到底荷が重すぎる。プア・タイ党の幹部・閣僚もふっこうなどという仕事は全く手におえない。彼らが得意なのは党利党略的な小細工である。これが民主党との大きな違いである。

②治水対策委員会;副首相兼商業相のキッティラート(Kittiratt Na-Rayong)氏が委員長に就任する。顧問には王立チャイパッタナ基金のスメト(Sumet Tantivejkul)事務局長が顧問として任命された。キッティポンは証券取引所出身で治水関係には何の知見もなく、委員会の議論の方向がインラク政権の失策の追及に向かうことを恐れての人事であろう。

委員のメンバーは元農業省の役人が中心になるといわれている。タイには治水関係の専門家もいるが、彼らは今回の洪水は「人災説」を唱えている人が多く、どういう顔ぶれの専門家が参加するかが見ものである。もちろん御用学者で「自然災害説」を唱えている人物は当選確実である。


(農業相がダム放水を遅らせた事実を認める⇒2011-11-11)

11月10日(木)の2012年度国会審議で民主党のニピット(Nipit Intarasombat)議員が「ダムの放流をもっと早く始めていれば、今回の洪水被害はもっと軽減されたのではないか」と質問したのに対し、テーラ(Theera Wongsamut)農業相は農民に稲刈りをする時間を与えようとして、政府のダムの放水を遅らせたという事実を認めた。

これを多くのメディアや学者や政治家が「自然災害」という言い方で弁護してきた。しかし、政府がダムの放流を遅らせていたというのは多くの関係者は知っていた事実であった。その理由を「農民保護のため」と言い切ったのはテ-ラ農業相が初めてである。

しかし、彼にすべての責任があるわけではない。大きな洪水被害が出ることを政府として予想できればダムの早期放流は当然ありえたのである。要はインラク政権ではダムの放流や洪水問題に対してテ-ラ農相以外誰も考えていなかったということである。

テーラ農業相はバンハーンが率いるチャート・パタナ・タイ党の出身であるがインラク政権はバンコク中心部にはほとんど足場を持っていない北部と東北部の農村を選挙区にする議員集団である。「農民の利益優先」政党なのである。だから、このような問題が起こったし、今回の洪水でも「バンコクを死守する」という決意で臨んだのはバンコク都庁(BMA)と国軍である。

プア・タイ党が牛耳る政府の洪水対策本部はバンコク防衛に対して極めて冷淡であった。しかも、被災者救援活動を通じて政治家や役人が私服を肥やしたという疑念をもたれている。11日の国会審議で5Kg85バーウの普通米を何と180バーツも出して買っていたという事実が明らかにされた。

タイには巨大ダム(10大ダムとと呼ばれている)がいくつもある。その代表的なものがプミポン・ダムであり保水量は134億立方メートルほどといわれている。今年は雨量が多く8月1日いは93.9億立方メートルと昨年の41.3立方メートルの2.3倍にも達していた。

9月1日には104.8億立方メートルと昨年の60.4億立方メートルよりも40億立方メートルも多かった。この段階で放流を行っていれば、今回のような未曾有の被害は明らかに軽減できたはずである。タクシン派政権ができたために、外国資本や地元の企業は大きな損害を被ったともいえよう。

プミポン・ダム貯水量(単位;100万立方メートル)

2009 2010 2011
8月1日 6,070 4,014 8,522
8月10日 6,150 4,126 9,393
9月1日 6,337 6,040 10,483
10月1日 7,536 6,482 12,554
10月10日 6,704 13,359
11月1日 9,347 8,494
12月1日 9,344 8,774


なお、バンコクの洪水は11月10日午後5時ころには増水が一応ストップし1~4㎝ほど下がり始めたという。しかし、新たに浸水域は拡大しており、スクムバン知事はBang Bon, Chom Thong および Bangkok Noi の住民に対して避難を呼びかけた。ただし、東バンコクのバンチャン工業団地(Bang Chan) では水位があがっており、バンコク都庁では団地内の工場については機械、原材料の避難を呼びかけている。軍や従業員が懸命になって土嚢の積み上げなどを行って浸水を防いでいる。

市街地のあちこちにゴミが散乱し、洪水がゴミ袋を伴って移動するために、衛生状態が悪化しているという。軍隊が洪水の中のゴミ袋を必死になって回収しているという。

インラク首相は10日間でバンコクの水は引くといっているが、例によって耳を貸す人は少ない。





(周辺住民の抵抗でバンコク市内が浸水拡大の危機に⇒2011-11-14)

バンコク周辺では洪水圧力が減少しつつあり、アユタヤやパトゥマウ・タニ周辺では水が引いて道路も開通しつつあり、バンコク市内でも乾いた道路が増えてきている。しかし、政府がドン・ムアン空港付近に構築した大型土嚢(Big bag)によってせき止められた大量の水が居住地区から引かないとして住民200名ほどが土嚢の除去にとりかあった。それによって12mほどの土嚢が取り外され、大量の水がバンコクの市内に向けて流れ出しているという。

そのため、バンコク中心部では洪水範囲が広がる恐れが出てきている。この大型土嚢はFROC(洪水対策本部)の発案で設置されているが、付近の住民にとっては邪魔者となっているケースもある。インラク政権にとっては「あちら立てればこちら立たず」という状況になっているが、いずれにせよインラク首相の後10日で何とかなるというお決まりの楽観論がかえって住民のいら立ちを買う結果となっている。

しかし、バンコクの洪水もどうやら現状どまりで今後改善されていくであろう。結局バンコクの中心部はスクムバン知事以下の職員と軍の懸命の頑張りで何とか守られた。もし市内全域が洪水に沈んだらタイの政治・経済の機能がしばらくは完全にマヒ状態に陥ったことであろう。10月末の特別休日も含めバンコクの株式市場も結局一日も休むことはなかった。首都の経済機能は基本的に維持されたのである。これは驚くべきことであった。

スクムバン・バンコク都知事はバンコクから水が引くのは12月になってからだと予測している。

ホンダは洪水の直撃を何とか免れたラット・クラバン(Lat Krabang=上の地図の右側)ですでに工場の操業を再開した。この工場はオートバイを主に生産している。乗用車を生産しているアユタヤ工場は水が引き始めているが工場再開の目途は立っていない。

一方トヨタは3工場ともバンコクの東南にあたるチョンブリやラヨンに工場があり直接洪水の被害にあっておらず11月21日から生産を再開するという。日産やマツダや三菱も被害にあわず11月14日から工場を再開する。部品メーカーはチョンブリやチェチェンサオといって東南部に比較的集中しているが各地に点在しているため完全にそろうまでにはまだ時間がかかる。

今になってたい政府の意向を酌んだ学者がアユタヤあたりの工業団地が水没したのはバンコクを死守しようとしたスクムバン知事のせいでバンコクを水没させれば問題なかったとして、スクムバン知事にすべての責任を負わせようとする異常な論調があらわれて。そうしたからといってアユタヤ地区の水没がなくなったわけではなく、バンコクも共に水没しただけの話である。(日本のいずれかの新聞にスクムバン知事批判が出る可能性がある

今回の問題は今まで指摘したようにインラック政権の初期対応の遅れが最大の問題である。その後の対応も失策に次ぐ失策で政権運営の実力のなさが露愛知された。記者会見でインラク首相が涙をみせるなどして同情を買うどころか「無能・無力な首相」として国民からも不信感をもたれている。インラク首相というのはもともと無理だったのである


(パトゥムタニで防水土嚢が破壊されバンコク東部に増水の危機⇒2011-11-18)


ドンムアン空港の北のパゥトウムタニにある「ホク・ワー運河(Klong Hok Wa)下流で住民による防水土嚢の一部が破壊され、大量の水が下流域に流れだし、サイ・マイ地域の水かさがまし、住民に避難勧告が出された。これにより、一時期は水位が下がりかけていたドン・ムアン空港周辺やサイ・マイ地区の水位が20㎝から30~40㎝急激に上がり始めた。さらに下流のバンチャン工業団地やラット・クラバン工業団地も再び危険が増してきた。

アユタヤ知己はほとんど水が引いているが、その南のパトゥムタニ県にはまだかなりの水が滞留しており、起こった住民が土嚢のてきょに乗り出したものである。このような住民の実力行使に政府は話し合いで解決しようとしているが、次々に破壊が行われている。

話し合いの結果ホク・ワー運河の70cmほどの隙間をもとに戻そうとしていた100人ほどの住民に向かって何者かが爆発物を投げつけ7人の負傷者がでるという事件が起こった。
爆発物は手製のものであり、さほど強力なものではなかったとみられている。


(バンコクの北側の住民が長引く洪水に怒り爆発⇒2011-11-24)

アユタヤ地区は水がかなり引いてきたが、そこから南のパトウム・タニやランシットやノンタブリ県では水がなかなかひかず、政府が積み上げた大型土嚢などを破壊する動きが頻発しており、警察も手をこまねいて見ている状態が続いている。

それでも政府の対応が遅いとしてFROCに対して具体的な措置をとるように要求してパトゥム・タニの住民が高速道路を封鎖する事件がおこた。道路封鎖に怒ったドライバーと住民がいがみ合う事件も起こっている。

バンコク中心部が冠水する恐れがなくなったのでバンコクに通じる運河にもっと水を通して北側に滞留している水をもっと流すことが可能にな状況にはなってきて
、バンコク都庁も運河の水門をさらに開くなどの措置を講じている。しかし、一度に大量の水が流れ込むと場所によっては市内に混乱が起こる可能性もある。

ランシット大学のアーティット(Arthit)学長はついにシビレを切らしてFROCとバンコク都庁が適切な措置を速やかに講じないと住民の先頭に立って道路封鎖などの直接行動に出ると宣言した。バンコク都庁は素早く反応してポンプ5台を居住地区に持ち込んで排水に狭量くしているという。タイ人の官僚の欠点でもあるが横の連携と合理的な判断をなかなか下さないということも問題を大きくしている。もとはといえばFROCがプア・タイ党員が指導権を握っており、最初から「党派的」行動に出ていたことに問題がある。

日本から持ち込んだ強力ポンプ車も活動を開始しており、一部はアユタヤ地区のロジャナ工業団地付近で活動しているようである。タマサート大学のランシット校の水は目立って減ってきた。しかし、道路から離れた奥地に入り込んでいる水の排除は容易ではなく、アユタヤ地区でさえ国道は乾いているものの工業団地が再開されるまでにはなお数か月を要するという。


(洪水の責任問題でダム管理について政府の責任をアピシット前首相が追及⇒2011-11-29-1)(

プラチャ法務相が洪水の問題の処理とタクシンの恩赦問題で民主党から不信任動議が提出され、国会で激しいやり取りが行われた。プラチャ法務相はFROC(洪水対策本部)の本部長に指名されたが、その運営方法がネポティズム(縁故主義)で主要スタッフを全国から有能な専門家や人材を集めることをせず与党のプアタイ党の幹部やその息のかかった人物で固め、洪水問題の処理や救援物資の扱いなどで多くの不手際や不正があったという指摘を受けた。

その中で、洪水問題のそもそもの出発点である、ダムの早期放流を怠った政府の失態についてアピシット民主党党首から改めて厳しい指摘がなされた。プラチャ法相は議会が解散された5月のダムの状況は昨年と一昨年となんら変わらなかったと述べた。その後大量の雨があったがアピシット政権は放置していたのではないかというのがプラチャ法相の言い分である。

これに対しアピシット党首はインラク政権が発足した8月の初めにはダムの状態はまだ容易に「制御可能(managable)]」な状態にあったと反論した。民主党政権時代には何の落ち度もなく、その後の事態の変化を無視したのはインラク政権であるという主張である。

これについてはすでにテーラ(Theera Wongsamut)農業相は農民に稲刈りをする時間を与えようとして、政府のダムの放水を遅らせたという事実を認めており(2011-11-11の記事参照)、いくら政府が「自然災害説」を主張しても事実はいかんとも動かしがたい。
要するに政府はこれほどの災害になるという認識を最初から持っていなかったのである。

政府の認識の甘さは当初FROC本部をドンムアン空港に置いたことでわかる。ドンムアン空港自体が洪水に見舞われ機能マヒの状態となり、バンコク市内に急きょ移動した。そこにも洪水がきたが、水が浅かったためそのまま使用している。

プラチャ法相への不信任案は与党が過半数を有しており、273タイ88票で否決された。その後、赤シャツ国会議員であるジュトポン氏は不信任動議を提出した民主党議員154名を提訴すると息巻いているという。理由はジャトポンや他のプアタ党議員がが洪水援助物資の購買について不正を働いたとの指摘があったからという。

(パトゥムタニのLam Luk Ka 水門の開閉を巡って赤シャツが実力行使⇒2011-11-30)

スクムバン・バンコク知事によれば今でも一日1億立法メートルの洪水がバンコクに流れ込んでおり、バンコク市内の北のほうでは少しずつ毎日浸水域が広がっているという。

バンコクの北にあたるパトゥムタニ県のラム・ゥク・カ(Lam Luk K)水門が従来1mあけられていたところをFROCのスタッフでもある
サンギアン(Sangiam Samanrat) 警察少佐が赤シャツメンバーほか200名ほどを引き連れてやってきて、11月28日(月)の夜インラク首相とFROC本部長の許可をもらったと称し、水門を1.5mにあけてしまった。

群衆はそのまま水門の近くに泊まり込みバンコク都庁が水門を占めに来るのを妨げようとしている。
政府官房のスタッフはそのような指令所は首相もFROCも出していないと述べている。ソンギアン少佐が赤シャツの古文を引き連れて実力行使に出たものと考えられる。警察は彼らの近くにいるが例によって何もしていない。

スクムバン知事は水門が1Mにまで戻されるもでは交渉に応じないとしている。「法よりも群衆の医師が優先する社会」ではないというのが知事の言い分である。実際バンコク市内北方への水量は少しずつ増えているという。また、チャオ・プラヤ川の対岸のトンブリ・地域の洪水も当分収まりそうもない。

サンギアン(Sangiam Samanrat) 警察少佐についてはFROCは自分のところの職員ではないといっている。彼は赤シャツの
強硬派メンバーの一人であるというのが真相のようである。



T11-26 洪水のドサクサに紛れてタクシン恩赦のうごき(2011-11-16)


インラク政権は昨日(11付15日)に秘密の閣議を開き、12月5日の国王誕生日に予定される例年の「国王による受刑者の恩赦」に1項目加えることを検討したという。それは「60歳以上の受刑者で残りの刑期3年以下のものを恩赦の対象とする」という項目である。

この閣議には不思議なことにインラク首相は「所用のため」欠席しており、副首相のチャレム(Chalerm Yubamrung)が閣議の議長を務めた。また、閣議後のプレス・リルースからはこの項目は取り外されていた。

この条項はアピシット政権時代の2010年には「ただし、汚職と麻薬にかかわる受刑者には適用されない」となっていた。また恩赦の時に実際に服役した者にかぎられており、タクシンのように汚職犯でしかも海外に逃亡している者は適用外である。そもそも服役していないタクシンが恩赦受けて出獄するとはどういうことだろうかという疑問も当然わいてくる。

今回のインラク政権の案ではすべての制限項目が取り払われ、タクシンは無事に「恩赦」を受けられる仕組みになっている。これは恩赦の範囲の拡大だが明らかに「タクシン個人の恩赦」を狙ったものであり、国民の怒りを買っていることはいうまでもない。

それにしても、いくらなんでもインラク政権のこの閣議決定(正式なものかどうかは不明だが)はひどすぎる。これは汚職しても60歳以上で3年以下の禁固刑であれば、事実上無罪になってしまう。海外にトンズラしていれば年末には「恩赦」が与えられるということになる。麻薬も同じ。これは「汚職と麻薬」を推奨するに等しい。これが法治国家タイですか?

「民主主義の衣」を着たインラク政権(実質的なタクシン政権)は何が何でもタクシンの刑を逃れようとしている。「法の下の平等」を逆手にとって「法から逃れる」というのだから異常というほかない。これはタダでは済まない。再び、反インラク政権、反タクシン運動が起こるであろう。

インラクは例によってタクシンの息のかかった有識者を集めて「検討小委員会」を作って検討させるらしい。このへんは日本政府とよく似ている。インラクは特定の個人や団体のための政治は行わないなどと公言していたが早くも随所で馬脚を現している。


(タクシンは今回は恩赦を受けないと言明⇒2011-11-20)

タクシンのインチキ恩赦請求に対する国民の反感が増す中かで、タクシンは先手を打って「インラク政権は特定の個人のため(タクシン)に特別なことをやらないでほしいと述べ、事実上「今回は恩赦を受けない」と言明したという。これはタクシンの顧問弁護士のノパドンがタクシンの手書きのメモのコピーと称するものを報道陣に配って明らかにしたものである。

そもそも今回の恩赦申請は枢密院の承認を得られないし、国王サインするはずがないことは最初からわかっていたはずである。議会で多数をとったからと言ってオール・マイテイだと考えるプア・タイ党や一部のマス・コミのほうが間違っている。恩赦の本質は服役模範囚の「減刑」であり、海外にトンズラしている汚職や麻薬の犯人が「釈放」されるなどという話は世界のどこに行っても通用するはずがない。

タクシンは国民和解ができて国民がタクシンを「Forgive and Forget」してくれるまで待つそうである。実際問題としてタクシンは確定した汚職の罪だけでなく2010年4-5月の赤シャツ騒乱事件の首謀者であり、帰国すれば直ちに逮捕される可能性が強いのである。本HPでも今まで書いてきた通り、デモ隊を解散させようとしていた軍に向かって「黒シャツ隊」が「先制攻撃をかけ軍人4名を射殺し、あまつさえ5月19日には一大放火事件を起こした罪は軽いものではありえない。

今回のタクシン・メモについてバンコク市民は例によって「タクシン一流のゼスチャー」にすぎないと見る向きが多いという。悪事がばれるたびに「もう政治からは手を引く」などといままでも何度も聞かされてきた。タクシンはウソつきだという評価は出来上がってしまっている。そのタクシンを好きだという学者や新聞記者が日本には相当いてタクシン支持の健筆(?)をふるっている。

怒れるバンコク市民は土曜日にもルンピニ公園前広場で1000人以上が自然発生的な抗議集会を開き、かつての黄色シャツ(PAD=People Alliamce for Democracy)は21日(月)午前10時から反対集会を開く。もし、政府の対応が従来と変わらなければ、これはかなりの規模の集会となり、一気に「インラク政権打倒運動」に発展していく可能性がある。

インrラク政権としては今回の洪水問題で大失策の連続であり、早めにタクシンの恩赦をやめることを宣言することになろう。⇒11月20日(日)夜、プラチャ法務相(Pracha Promnok9は今回の恩赦には逃亡中の犯人には適用されず、したがってタクシン元首相にも適用されないと語った。また、刑期を務めていないもの、汚職犯には適用されないことも付け加えた。

この結果、PAD(黄色シャツ)の21日の抗議集会も中止される。人騒がせな事件であった。タクシンのインラク政権への海外からのリモコンは今後も続くことはいうまでもない。タクシンは今回世論の動向を完全に見誤っていたのである。ドバイにいて限られた手下の情報しか入ってこないからこういうことになったのである。


(タクシンにパスポートを再発行⇒2011-12-2)

スラポン(Suraporn Tovichakchaikul) 外相はタクシンねの「新年の贈り物としてタイ国民としてのパスポート」を再発行すると言明した。タクシンのパスポートはアピシット政権時代には確定した2年の禁固刑から逃れるために、海外で逃亡生活を送っているとしてタイのパスポートを取り消された。

タクシンは現在はモンテネグロ(バルカン地域)のパスポートを取得しドバイで暮らしている。

スラポン外相はパスポートの発行は「外相の権限」であるとしている。タクシンへのパスポ^トの発行には反対するものはいないだろうと述べている。

スラポン外相の底抜けの正直さには多くのタイ人が深い感銘(?)を与えられるであろう。プアタイ党の幹部には彼のような無邪気ともいえるタクシン信奉者が多い。これでこれから先タイの政治をうまくやっていけるのかどうかはなはだ心もとない。

しかし、スラポン外相はもっと大事なことを忘れている。彼は国法を犯し、海外に逃亡している重要犯罪人を国内にまず連れ戻す義務があることを。彼は最初から根本的に何かが抜けているとしか思えない。


T11-27 スポット運輸省次官宅の強盗2億バーツを強奪して捕まる(2011-11-19)

運輸省の事務次官スポット(Supoj Sublom)氏の大邸宅に11月12日(土)夜に6人組の強盗が押し入り、現金1200万バーツ(実額は巣名)が強奪される事件が発生し、そのうち2名が逮捕され、900万バーツの現金が発見された。さらに、20日(日)夜までに合計5人が逮捕された。警察は犯人グル-プは10人以上にのぼると確信している。それまでに、警察が没収した金額は1,650万バーツ(約4,000万円)に上っている。それ以外に金鎖なども押収されている。

しかし、逮捕された犯人は実は奪ったのは2億バーツ以上でありほかにも鞄にに入っていた7億バーツの現金があったが重くて持ち出せなかったと告白した。後で警察が調べたところ鞄の中身は書類だったという。もちろん、残りの現金は警察が来る前にスポットがどこかに隠匿したに違いない。

正式な被害届は500万バーツ(約1250万円)と当初報道されていたが、スポット氏は実際にいくら奪われたかは不明だと供述している。班員はは2億円以上は持ち出せなかったと言っているがこれもはっきりしない。タイでは紙幣の最高額は1000バーツであり、2億バーツというだけでも相当なボリュームになる。

この事件の首謀者の1人はチャヤタート(Cayathat=36歳)という人物で母親のチュティマ(Chutima)が半年前までスポット氏の秘書を務めていたが、解雇されたのを恨んで犯行に及んだと供述している。チャヤタートは母親に付き添われて警察に自首してきたという。

なぜスポット次官がこのように多額の現金を持っていたかが次に問題となり、さっそくNACC(国家反汚職委員会)で取り調べを受けている。スポット氏は運輸省のキレ者官僚として知られ、過去多くの役職とプロジェクトに関与している。

スポット氏は取り調べのためにさっそく更迭された。もし、スポット氏がワイロなどで不正に蓄財したことが明らかになれがほとんどの財産が没収され禁固刑が言い渡されることになる。

6人は1年前から近くの家をかり、周到に作戦を練ったうえで犯行に及んだという。当日の夜はスポットの家族は娘の結婚式で外出をしており、その隙を狙ったという。犯人は留守番をしていた家政婦に対し「危害を加えないから安心しろ。おれたちはいこの家の主人がおれたちのボスから奪ったカネを取り返しに来ただけだ」と語ったという。

スポット氏は2億バーツものカネは持っていないので、犯人はウソをついていると述べているという。それにしても奇妙な事件である。もしかすると誰かから預かった政治資金かもしれない。なぞは深まるばかりである。

NACC(汚職取締委員会)はスポット氏の所持金の出所やカネの流れなどについて一連の捜査を始めるとしている。スポット氏は過去16回も資産報告(高級官僚として)をしているが、それはかなり低い金額のものであり、今回奪われた金はその後新たに取得したものだと説明している。もちろん真偽は定かではない。警察はから奪われた金額は1億バーツ以上であり、そのうち1600万バーツが回収されている。(11月22日バンコク・ポスト電子版より)

それにしても気になるのはスポット氏に対する取り調べの甘さである。私はこの金は某政党の「政治資金」の可能性があるとみている。汚職によって私腹を肥やした金ならばもっと周到に分散して隠すはずである。それをかなり粗雑な扱いをしているのは最近外部からもちこまれたばかりのカネであろう。それをうっかり銀行などに預けると、後で当局に銀行口座を調べられると説明に窮するから現ナマで置いておいたものであろう。

(スポットはカネの出所明らかにせず、とりあえず回収した1500万バーツは押収⇒2011-11-22

スポットは強奪されたカネの出所を明らかにせず、またその金額も不明としている。しかも自宅に置いてあった巨額のカネは運輸省事務次官に就任した時に提出した「資産報告」の後に取得したものだということになっており、多額のカネの出所については供述していない。スポットは事務次官のポストを外され、現在は「首相府付」としなっている。

事務次官の代行は副次官のシルパチャイ(Silpachai)氏が任命された。スポットはタイ国際航空とMRTA(Mass Rapid Transit Authority) の取締役を兼務しているが、こちらはこちらは当面解任されないという。

NACC(汚職防止委員会)と運輸省はスポットに対する取り調べを正式に行うことを決定した。運輸相のACMスクムポン(ACM Sukumpol Suwanatat)氏は当初取り調べに消極的だったが、ここにきてようやく重い腰を上げて(というか慌てて)運輸省としても取り調べを行うこととしたものである。検察庁の役人をいれて「中立性」を主張しようとしている。

こえは首相府事務次官のトントン(Thongthong Chndrangsu)が委員長になって運輸省と検察庁から委員が参加するという。これが運輸省がらみの汚職であれば結論はどうなるか最初から見えている。問題は運輸省の組織的犯罪かスポットの個人的な収賄かということになる。

一方、NACCとAMLO(資金洗浄調査委員会)は独立した機関として独自に調査を行っている。トントン委員会はいいわばインラク政権の委員会であり、政府に都合の悪い真実にはフタをする可能性がある。

今回の強盗団は11人からなり、そのうち実行犯6名を含む7名は逮捕されているが主犯とみあっれる4人は逃亡中である。そのうち3名は暴力団組織の幹部であるという。彼らは少なくとも6000万バーツ(約1億5千万円)の原人を持っているという。警察当局は彼らが奪った金は1億バーツ位と見積もっている


(チャレム副首相がスポットのカネは前運輸相時代のワイロと言明⇒2011-11-24-1

チャレム副首相はスポットが自宅に隠匿しておいて奪われたカネは前政権の運輸相ソポ-ン(Sophon Saram)が高速鉄道の紫(Purple)、青(Blue)、赤(Red)ラインの建設受注にからみ地元大手ゼネコンのシノ・タイ(Sino-Thai Engineering Construction Plc)社から受け取ったキック・バック(ワイロ)だと非難した。

ソポーン前運輸相はネーウィン氏の率いるブム・ジャイ・タイ(Bhum Jai Thai=BJT)党の所属である。チャオバラート(Chaovarat Charnvirakul)BJT党首は激怒しチャレム副首相を名誉棄損で提訴すると息巻いているという。

もちろん今の段階では真偽のほどはわからないが、タクシン時代にシノタイがタクシンにワイロを渡したことがないということも断定できないであろう。いずれにせよスポットが奪われたカネは彼の通常のサラリーではないことは確かで、事態の推移によってはタイ政界を揺るがす大事件に発展しかねない。

イタルタイ社はタクシンと関係の深いゼネコンとして知られ、日本のゼネコンも同社とJ/Vでいくつかの建設工事を請け負っている。


(スポットのカネの出所は警察は調べず、NACCの仕事と逃げる⇒2011-11-29

ネーション紙によるとスポットのカネの出所については警察は自ら調査を行わず、NACC(汚職防止委員会)の仕事であるとして捜査を拒否しているという。もちろんNACCも捜査権を持ってはいるが、警察は強盗犯人の追跡以外はやらないというに等しい。

これは何を意味するかというと、汚職関係者の中にタクシン人脈が含まれている可能性がることを示唆してるのではないだろうか?これまでチャレム副首相はもっぱら前の民主党政権時代の運輸相であったソンボーン(ブム・ジャイ・タイ党所属)の仕業だったと議会で公然と批判してきたが、話の筋からして、スポットは運輸省がらみプロジェクトのキック・バックの調整役と資金の受け取りと配分を長期間やっていた疑いが出てきた。そうなるとタクシン派政権時代にも遡る可能性が当然出てくる。

チャレム副首相としても「XXをとらえてみれがわが子なり」ということにもなりかねない。汚職に関してはタクシン派政権は数々の輝かしい実績があり、辻元流にいえば「疑惑のデパート」みたいなものだからである。プア・タイ党が他党の汚職疑惑を追及するのは、自らが今後汚職に手を染めないという宣言ならばこれに越したことはない。

それにしては洪水被害者救援物資の購買についても早くも疑惑が生じている。

ここにきてスポットのカネを狙ったのはプアタイ党関係者ではないかといううわさも出てきている。首謀者がラオスに逃亡しており、真偽のほどは不明である。

また、警察では捕まえた犯人から1,700万バーツを押収しているが、スポットは奪われたのは500万バーツだと主張している(2011-12-10現在)。

(主犯はラオスでとらえられている?⇒2011-12-4

ネーション紙(2月3日)によれば今回のスポット宅に押し入って多額の現金を奪った犯罪グループ11人のうち8名はすでに逮捕されており、逃亡を続ける主犯のウィーラサク(Weerasak Cheulee) はラオスに高跳びしたがタ・ケク(Tha Khaek)市付近で11月29日にラオス警察によって捕まっていることが住民からの情報で明らかとなった。

ウィーラサクはタイ・バーツを両替所でラオス紙幣に交換しているところを尾行してきた警官につかまり連行されたという。

タイ警察はこの報道を否定しているが、ラオスのネーション系の新聞(コム・チャド・ルク=Kom Chad Luek)は大きく報じているという。





T11-28 タクシン洪水対策プロジェクト見学に韓国訪問(2011-11-23)

タイは今回の洪水被害対策として前々から国王から指摘のあった「洪水の道}すなわち北部の洪水を速やかにタイ湾に流し込むような、いわば洪水の「高速水路」を建設する計画であるといわれている。東京でいえば隅田川と並行している荒川(放水路)のようなものを作らなければならない。これには野党の民主党も賛成するであろう。問題はそのやり方である。大プロジェクトだけに大金が動く。となれば次に起こるのは胡散臭い話である。

タクシン元首相は素早い行動をとった。彼はなぜか韓国に真っ先に飛んで行ったのである。ドバイで「恩赦騒動を終結させる」メッセージを書いていたと思ったら、11月22日(火)には韓国で、洪水対策施設の見学を行っている。もっともメッセージはドバイでなくても書けるから実際はもっとタイに近いところにいた可能性もある。

タクシンはどういう資格で韓国を訪問したかは定かではないが韓国政府の役人が現場の説明を行っている。

タイの洪水対策水路建設プロジェクトはおそらくは外国借款付で外国とタイのゼネ・コンが行うことになるであろう。その際韓国の建設業者も参入してくることは間違いないであろう。タクシンの訪韓に先立ち、スラポン外相がソウルを訪れ韓国との協力関係について協議をしたという。

洪水対策ではモタツイたがカネの絡む話になると行動はスバシコイようである。

韓国側は”Korean Water Resources Corp."がいち早くタイ政府に接触しているという。今回の洪水では日系企業が多大な被害を受けたがこのままでは「治水大プロジェクト」は韓国企業が受注に一歩先行している雰囲気である。(Korea Herald 2011年11月23日、Internet 版参照、写真共)





(洪水の復興に日本が全面協力⇒2011-11-25)


11月25日(金)の日本経済新聞の夕刊に「タイ洪水復興ー日本が支援」という記事が出ていた。「タイ政府はJICAと共同で治水対策を策定する外、復興資金の調達へ」国際協力銀行(JBIC)の支援を受け日本での国債発行も検討する。円借款を活用する可能性もある。」と日経は報じている。

まことに結構な話であるが、日本がやるにせよ韓国がやるにせよタクシンが仲介者として介入してくる可能性は大有りである。


T11-29 赤シャツ幹部ジャトゥポン議員資格取り消し(2011-12-1)

プアタイ党国会議員で赤シャツの大幹部であるジャトゥポン議員は今年7月の選挙でプアタイ党全国区指名候補として一応当選扱いを受けていた。しかし、彼は2010年4-5月の赤シャツ騒乱事件の時にも国会議員であり、デモの指導的役割を果たし、国会終了後に逮捕されて拘留されていた。

7月3日の選挙当日拘置所にいたため投票に行けず、「投票しなかったものは国会議員になれない」という選挙法の規定によりジャトゥポンの当選は認定されないのではないかという疑義が生じていた。ジャトゥポンは事前に保釈請求を出したが、それも拒否された。

選挙管理委員会が指摘するもう一つの問題点はジャトゥポンが国会の会期を終わって再拘留された際に「自動的に政党員の資格を失う」というプアタイ党の規定があり、ジャトゥポンは「党指名」の候補者としての資格がなかったということである。しかし、ジャトゥポンは「党指名」の候補者となった段階でたとえ拘留中でも「党員資格」が回復されたということをプアタイ党は主張しているらしい。真偽のほどは不明である。

選挙管理委員会はジャトゥポンの当選を「保留)Pending)」としながらも、「仮免許」のような扱いで議員活動を認めていた。しかし、最近になって選挙委員会として4対1の評決でジャトゥポンの議員資格なしという結論に達し、その是非を「憲法裁判所」にゆだねることにした。

プアタイ党としては選挙管理委員会の決定を不服として憲法裁判所で争うことにしている。

2010年5月19日に赤シャツ幹部として騒乱を指導していた19人はいったん逮捕されたが、その後保釈金を積んで保釈され、そのうち10人近くはプアタイ党の指名候補者として当選を果たしている。彼らは選挙当日投票に行けたので、議員資格は問題にされなかったが、当選後も「保釈の条件」である政治j活動を行わないという条項を比較的に守って国会でも静かにしていた。しかし、ナタウッド議員はジャトゥポンとともに比較的派手な動きをしている。

それに比べジャトゥポンはその後の保釈の条件を平然と無視して国会で大活躍をし、洪水救援活動でも「我田引水」的振る舞いが多く、救援物資の購買や配分についても不正行為があったのではないかという疑惑をもたれている。

いずれにせよ赤シャツ幹部は公共の場所をバリケードなど築いて長期間占領し4月10日には黒シャツ武装集団にデモ隊排除に向かった軍に発砲するなどして大佐以下4名を射殺し、多数の兵士を負傷させた。その後も手りゅう弾を投擲し、市民を殺傷するなどのを繰り返した。

5月19日には排除に向かった軍と激しい銃撃戦を行い、最後にセントラル。デパートやサイアム・スクエアなど10か所以上の建物に放火した。これらはどれをとってもテロ行為をともなう重大犯罪であり、有罪が決まれば相当長期間の禁固刑が言い渡される可能性がある。

日本人の常識からいえば彼らのほとんどが保釈されるということ自体理解しがたいものがある。しかし、それはタイの司法当局が決めたことであり、そういうものかと納得せざるを得ない。しかし、日本の一部の学者はタイの「司法制度が王党派より」でありけしからんなどと非難し続けている。これも理解しがたいことである。


T11-30, 赤シャツ武闘派リーダー・アリスマンがカンボジアから帰国し自首(2011-12-7)

赤シャツの武闘派リーダーのアリスマン(Arisman Pongruangrong)は昨年4-5月の赤シャツ騒乱以降姿をくらまし、カンボジアに密出国していたことが確認されていたが、最近ひそかに帰国し、タイの特別捜査局(DSI)に出頭した。アリスマンは逮捕に先立ち「1997年憲法に立ち返れ」と主張した。

アリスマンは2009年にホア・ヒンで開催されようとしていたASEAN首脳会議を赤シャツのデモ隊の先頭に立って会場に乱入し、ブチ壊した。その後逮捕されたが保釈されていた。2010年の4-5月の赤シャツ騒乱の時も武闘派リーダーとして活躍し、警察の不手際により取り逃がし、5月19日の最後の日にも警察はアリスマンを識別しながら取り逃がしたといわれている。

その後、カンボジアに密出国していた。カンボジア政府はアリスマンを重要犯罪人と認識しながら、かくまっていたことになる。

今回出頭してきたのはタイはプアタイ政権ができて身の安全に確信が持てたからだという。再び保釈されタイで自由に暮らせるはずだというのが彼の思惑である。すでにタイは赤シャツの天下になっているのですべてが彼の目論見通りになるだろうというのである。彼は英雄気取りでカメラに向かってポーズをとっていた(下の写真)

もちろん彼は自分が重大犯罪行為を犯したという認識はない。彼の身柄は検察庁に移される。支持者に囲まれて英雄気取りで自首したアリスマンは保釈を申請したが、刑事裁判所は保釈後逃亡の前科のあるアリスマンの保釈請求を当然ながら拒否した。




T11-31タイ 国防省にロケット式手りゅう弾を投擲した元警察官に38年の禁固刑(2011-12-13)

刑事裁判所は2010年の赤シャツ騒乱時に国防省にロケット式手りゅう弾(PRG)を投擲した元警察官ブンディット(Bundit Sithithum)被告44歳にに38年の禁固刑を言い渡した。ブンディトは2010年3月20日に国防省本部にプロペラ式手りゅう弾を発射したが目標を外れ一般市民1名を負傷させ、電話回線を破壊し、テロ行為、武器の不法所持などの罪に問われていた。

ブンディトはM-67手りゅう弾と発射装置のほかにM-3ライフルと48発の実弾を所持していた。偽の公文書を使用した罪で2年、手りゅう弾で一般市民を負傷させ建造物を破壊した罪で20年、免許証なしで手りゅう弾投擲装置を所持していた罪で6年、市内で銃弾と手りゅう弾を所持していた罪で5年合計38年の禁固刑となった。(MCOT、2011-12-13記事)

これは長期の刑であるが、赤シャツ武闘派の今後の裁判で1つの判例になるものと考えられる。先に2010年5月19日に地方の県庁建屋に放火した実行犯には20年の刑が言い渡されている。

これとは別にチャレム副首相が2010年に赤シャツデモ隊に紛れて黒シャツ集団が軍に銃を発砲し多くの死傷者を出したが、彼らは制服を脱いで黒シャツに着替えた現職の警察官であると言明した。これは今までになかった「事実(?)」であり、物議を醸しそうだ。

チャレムの言っていることを信じる人は少ないであろうが、現職の警察官が赤シャツのデモに参加したり、取締に手心を加えていたことは広く知られている。

また、黒シャツ隊の事実上の指揮官とみられていたカッティヤ少将は新聞記者とのインタビュー中に何者かに狙撃されて死亡したが、犯人は東北からきた警察官のグループであったとも語った。記者団から証拠はあるのかと聞かれチャレムは目下証拠を集めていると述べた。

チャレムの云わんとすることは警察官の背後にはブム・ジャイ・タイ党の事実上のリーダーのネーウィンがいたということのようである。要するにタクシンは何も悪いことはしておらず、悪いのはネーウィンだといわんばかりの発言である。

黒シャツ隊はカッティヤが「ローニン(浪人)戦士」とよんでいたグループであり、元レンジャー部隊員らの戦闘経験者を集め自ら訓練していた集団であることは間違いない。資金の出所はタクシンでいわばタクシンの「私兵集団」であるというのが大方の見方である。そうなるとタクシンが帰国した際に軍人殺傷の容疑で捕まり、裁判にかけられる可能性が高い。

しかし、事件当日に黒シャツ集団が「別系統の組織」に属していたとすれば赤シャツは共同行動をとるはずはない。外部の人間を厳しく規制していたからである。このチャレムの一連の「新説」はあくまでタクシンの罪状隠しのための苦肉のデッチアゲだとみる向きが多い。






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