.麻薬取締り大量虐殺事件 (03年2月11日〜) (目次に戻る)
12-5.犠牲者2,500人中1,400人は麻薬に関係なし(07年11月28日)
12-4.麻薬撲滅運動の犠牲者に関する特別調査委員会を設置(07年8月15日)
12-3.スラユット首相、タクシン政権が関与した大量虐殺事件解明を指示(07年3月5日)
12-2.⇒第2次麻薬撲滅運動で死者は5,000人に達していた?(06年10月24日)
12-1. 麻薬取締り開始10日間で密売人約150人(?)が殺された(03年2月11日)
タクシンは数ある「口約」のなかでバンコクの交通渋滞は半年で片付けるといっていたが、これは完全なる失敗に終わったようだ。バンコクの町は大通りは確かに広いが、それらをつなぐ細い道がいずれも「行き止まり」になっている。
路地に入って車は必ず元の大通りに戻ってくるから、大通りの負担が大きすぎるのである。行き止まりの路地の先にはたいてい金持ち階級の「豪邸」がデンと構えている。強引に区画整理をすべきだったが、抵抗勢力が強すぎて過去においてやれなかった。タクシンもやれない。
ところが、今年2月からはじめた「麻薬撲滅運動」は意外な「成果」をあげつつある。元警察官僚タクシンの面目躍如といったところである。というのはキャンペーン開始以来、8,852ヵ所を捜索して9,232の容疑者のうち6,906人を逮捕し、ブタ箱には彼らであふれかえっているという。
それよりももっとすごいのは「密売人」容疑者がこの10日間のあいだに約150名(初期の報道によると)が何者かによって虐殺されたということである。このうち8名は警察官が自己防衛のため殺したことは認めている。これとてもちろん裁判抜きの警官による殺人である。
残りの多くの密売人殺しは仲間同士が「裏切り、密告」を恐れての殺し合いによるものであるというのが警察の説明である。そういうケースもあろうが、警察官がそのほとんどを殺したのではないかとか多くのタイ人は疑っている。 そうなるとこれは警察による一種のテロである。
罪も確定していない「容疑者」が警官の判断で殺されるというケースは過去あまりに多く起こっている。タイでは殺人事件があったらまず警察官が疑われるという時期はついこのあいだまであったのである。
アムネスティ・インターナショナルなど国内外の人権団体はこういうやりかたを非難しているが、タクシンは例によって強気で「外国の人権団体が調査するなどというのは思い上がりだ、私は法律の枠内でできることは何でもやる」といっている。ただし、タクシンが考える法律の枠が何かは彼にしかわからない。
また、タクシンは今回の麻薬撲滅キャンペーンで県知事と県警本部長にノルマを課し「成績の悪い者は近々更迭する」という脅しをかけている。こうなると普段から真面目に取締りをやっていた県知事は急に「目立った成果」を上げられず、不利である。
このように多くの容疑者の逮捕が短期間のうちに可能だったのはタイ警察が極めて優秀だからとタクシンはいいたいところであろう。しかし、本当の理由は警察自身が麻薬取引に「精通」していたからである。
換言すれば、警察もかなり麻薬取引に関与していたからである。どこが「ツボ」であるかを知らずに、短期間のうちにこれほど多くの場所を手入れし、収容所に入りきれない逮捕者を出すなどということは考えられない。
最近はどうなっているかはよくわからないが、昔から麻薬と「ヤミ賭博」 はタイの軍と警察の利権だったのである。
問題は今回の3ヶ月の麻薬撲滅キャンペーンでタイから麻薬がなくなるのかということである。タクシンはビルマ(ミヤンマー)にも直接乗り込んでいって麻薬のタイ持込をやめてくれとビルマの軍事独裁政権幹部に頼んでいるらしい。
ビルマからはスピードと称するメタムフェタミン(中枢神経刺激剤)が年間10億個以上密輸されているという。ビルマの連合ワ州軍(ワ族の反乱軍だがビルマ政府軍と休戦協定を結んだ)が 国境沿いに30箇所の製造工場を持ち、タイに密輸しているとタイ政府は非難している。
密売人が減ったので巷では麻薬の価格が急騰しているという。そもそもアヘンは19世紀前半に運河、灌漑、バンコクの都市建設などの労働者として連れてこられた中国人が持ち込んできた。それから150年間、麻薬の利権は軍関係者が支配してきたのである。
過去にも何度も麻薬撲滅運動はおこなわれたが、そのつど息を吹き返したのは彼らの本当の大ボスが捕まらないからである。今回はどうなるか?逮捕者の数は前例をみない多数にのぼっており、人もたくさん死んでいる。 ただし「悪いやつほどよく眠る」のはタイでも同じである。
とにあれ成功を祈るしかない。
(03年2月17日追加)死者は半月で約400名
2月16日に警察が発表したところによれば、2月1日からの「麻薬撲滅キャンペーン」期間中に既に397名が殺害された。全く異常としか言いようのないタイ社会の実態の一端が暴露された。うち警察官の正当防衛による殺害は15件だといっている。
警察は殺人のほとんどが麻薬密売組織の人間同士の殺し合いによるものだとしているが、実は警察は麻薬密売人のブラック・リストを持っており、それに基づいて殺害がおこなわれていることも否定できない。
司法相に就任したばかりのポンテープは「司法相令」により犠牲者の遺族に国家補償をおこなう用意があると言明している。これは行き過ぎに対する非難がタイ国内でも急速に高まっているためである。検事総長ヴィチアンも警察が「自分で勝手に正義(法)を執行している」と批判している。
タクシンはこのような大量虐殺を伴うキャンペーンを緩めるどころか、成績の上がらない県知事(10県ほどあるらしい)は解任するといきまいている。これは民主体制下におけるスターリン主義であるといわれても仕方がないであろう。
今回の事件はタイの歴史に大きな汚点を残しつつある。
(03年2月25日)死者は3週間で833名、23日には9歳の子供も殺害
今回の麻薬撲滅キャンペーンによる死者は開始から3週間で833名という異常な数字に達した。ついに23日には麻薬販売人の夫婦が車で逃げるところを3名の警察官が銃撃し、同乗していた9歳の男の子が弾丸を受け即死した。
警察官が殺したのはごくわずかで、大部分は密売人仲間の殺し合いだと説明しているが、警察は死者の体から弾丸を抜き取るなど検死の妨害と証拠隠滅をおこなっているという。
9歳児殺害については警察は自分達は故意にやっていないと主張しているが、状況は明らかに警察のやり過ぎであることを示している。
タクシンは90%の国民が今回のキャンペーンを支持しているという世論調査の結果に満足しているようである。ポピュリストというのは 国家資金(国民の税金)をバラまいて保守的な一般国民の票を買収することにその本質があるが、民主主義者ではない。
民主主義は彼らが権力を獲得するための手段に過ぎない。彼らはこのようにしばしば弱者に対し冷酷である。
殺害された麻薬販売人容疑者の全ては末端の小者であり、大物は1人として捕らえられていない。警察関係者も数人捕まっているが地位の低い者だけである。 警察は自らの悪の口封じに被疑者を大量殺戮しているとも考えられる。
警察官は麻薬容疑者を殺してもたいしたお咎めはないであろう。かってのタイは共産主義者の疑いがあるとして警察官が殺人行為をおこなっていた過去がある。いまそれが麻薬犯を相手に再現されている。
警察や内務省がもっている麻薬容疑者リストは3万〜4万人が記載されているといわれ、そのうちの25%を今回のキャンペーン中(3ヶ月)に逮捕するのが目標だという。このノルマを達成しないとお咎めは避けられないので警察も必死なのであろう。
こういう事態はタイの国際的イメージを大いに損なうが、タクシンはそういう感覚は皆無のひとらしい。民主党は元から批判しているが、与党のバンハーン元首相(チャート・タイ党首)もさすがにみかねて警察の行き過ぎを批判し始めた。
(03年3月1日)死者は2月25日までに1,140名に達する。今後の死者の数字は発表せず−内務省
タイ政府・警察の暴虐はとどまるところを知らず、裁判抜きで麻薬販売人の容疑をかけられたものを次々に虐殺している。これはもはや文明国でも法治国家でもない。ついに東南アジアにファシズム国家が出現したといわざるをえない。
タクシンは相変わらず殺害には警察の関与はほとんどなく、麻薬密売者の仲間内の殺人事件だと嘯いているが、そんなことを信じているタイ人は少ないであろう。今回の事件は麻薬撲滅運動がきっかけになっていることは明らかである。
タクシンは「麻薬密売人の死より麻薬撲滅の方が大切だ」といっているが、刑法が存在する以上タイ国民は極悪人といえども「法の裁きを受ける権利」を認められているのが法治国家である。警察官に犯罪人を処罰する権利はないし、人を殺す権利もない。
タクシンはこういうところがまるで判っていない。ある意味では彼自身典型的な古い体質の警察官である。
それはさておき、こんな野蛮な国に投資をする外国の企業がこれから現れるのであろうか?
(03年3月2日) 米国の援助削減の脅しには屈しない−タクシン
今回のあまりに血なまぐさい麻薬撲滅運動の凄まじさに、あのアメリカでさえ見かねて、いい加減にしないと「財政援助(麻薬対策の)を打ち切るかもしれない」といったらしい。
ところがタクシンはますますいきり立って「かまうものか。おれの指導の下ではタイは援助国顔をする外国人などとはお付き合いごめんだ(will not associate with foreign countries as donors.)」(The Nation 3月2日付け)と高飛車である。
大体先進工業国の援助などはこのように現地の政治家などは少しもありがたがっていないのだ。日本政府ももって他山の石とすべきでなはかろうか?タクシンはもっとすごいことをいっているが、もう付ける薬はなさそうだ。
(03年3月5日)
法律を無視した警察官による虐殺について、タイの最高裁長官ジャラン・パクディタナクンが「裁判抜きの処刑はアフガンのタリバンより悪い」と批判した。
(03年3月15日)
警察が死者の数を発表しなくなったが、さらに死亡者は増え続けていることは間違いない。一説によれば5週間で1,500名が殺された。ついにタクシンは「秘密警察」政権に成り果てたというべきであろうか。
タクシンは麻薬密売組織からタクシンのクビに8,000万バーツ(約2億1千万円)の懸賞金がかけられ、命を狙われているなどと騒ぎ始め、防弾自動車を急遽手当てし、それを乗り回している。
副首相のチャワリットもこれにはあきれ果て、そんな噂はFレベル(嘘っぱち)だとして苦笑しているという。
枢密院(王室顧問団)議員のピチット・クラヴァニヤは「麻薬犯を裁く特別法廷を設置し、警官が勝手に容疑者を殺害することは即刻やめるべきである」と述べ、さらに「これだけ多くの密売人が殺されれば、本当の大物についての情報が消されることになる」と懸念を表明している。
確かに、この大量殺戮は麻薬密売組織の元締めを支援している政治家や警察にはありがたい話である。元締めがいなくならない限り、末端の密売人を何千人殺しても、またやがて密売組織は復活する。なぜならそこには需要があり供給があるからである。
(03年3月26日) 死者は1,900名に
タイのメディアでは麻薬がらみの虐殺者数は発表されなくなったが、シンガポールのストレイト・タイムの3月26日号にその数字が出ていたので紹介すると、25日のタイ警察の発表では、既に1,897名が殺害されたという。
警察官の「負傷者」は15名であった。なお「殺人容疑者」は159名が逮捕されたという。麻薬取引の容疑で逮捕された者の数は42,593名に達している。タイと留置所は超満員の盛況である。また、押収されたメタムフェタイン(覚せい剤)は1,240万錠に達した。
なおストレート・タイムズのURLは; http://www.straitstimes.asia1.com.sg/ ご関心の向きは直接アクセスしてください。
(03年4月17日) 死者は2,275人に
警察は久しぶりに麻薬取り締まり関係の数字を明らかにした。それによると、キャンペーンを開始してから2ヵ月半の間に、死亡者は2,275名に達した。警察はこの殺人事件については184件、249名の容疑者を逮捕した。
また、麻薬撲滅キャンペーンによる逮捕者は51,531名で、メタムフェタイン製造容疑者404名、密売組織元締め1,584名、密売人13,584名で残りは常用者などである。
麻薬関係で10億バーツ(約28億円)相当の資産が押収された。
(03年6月14日)ビルマ側の麻薬工場は閉鎖されていない
この麻薬撲滅運動の「成功」でタクシンの支持率は急上昇しているという。タイの一般国民にとっては麻薬が撲滅されればそれで良いと思うのは当然である。2,000人をはるかに超える死者が出たとはいえ、一般市民の日常生活にはなんらかわりはない。
問題は、タクシンが国民の生殺与奪の権を実質的に握り、とんでもない独裁者振りを発揮しつつあることである。これはタイ在住の外国人にとっても他人事ではないのである。
タクシンは華人資本保護のためには、外国企業にも平然とキバをむいてかかってくる可能性がある。TPI事件しかり、ホットコイルのダンピング課税しかり、SSM事件しかりである。同種の事件はこれからもっと起こるであろう。
ところでビルマ国内にある覚せい剤製造工場は閉鎖されずに操業を続けているという。大量の出荷待ちの「在庫」が出国のタイミングを見計らっているという。(6月13日付け、バンコク・ポスト)。
当面は、タイに大量に販売することは難しいであろうが、いずれ元に戻る可能性は少なくないであろう。確かに、末端の「売人」のネット・ワークはかなり打撃を受けたが、根絶とは程遠いというのが実態である。「悪いやつのどよく眠」っているのである。
(7月6日)「降参しろ、さもなくば撃ち殺すぞ!」
タイのネーション紙が伝えるところによると、タクシンは「逮捕に抵抗する麻薬販売人については、その場で射殺しても良い」という乱暴極まりないゴー・サインを出したということである。
こういう命令を出せるのは、法治国家の支配者ではない。絶対専制君主のみがやれたことである。
タクシンの麻薬撲滅キャンペーンは3,000人に近い死者を出して、大成功のうちに4月末に終わったはずであった。ところが早くも、月を追うごとに上昇してきている。
頭にきたタクシンはついに「殺しのライセンス」を警察官に与えたということである。ただし、殺しのライセンスなどなくてもタイの警察官は平気で「正当防衛」の名の下に殺してきたし、麻薬の密売にも手を染めてきたものがいるのである。
供給があって需要がある。そこには必ず物流がある。こいつはやけに安っぽい経済学だが。供給源のビルマが無傷ではどうしようもない。
47. 国王が誕生日の記念放送でタクシンに苦言ー麻薬撲滅での殺害の実態を明らかにせよ(03年12月5日) ― 重複
プミポン国王は76歳の誕生日記念のラジオ放送で先の「麻薬撲滅キャンペーン」を支持する一方で、2,500名もの死者を出したことに対する「1件ごとの原因究明」を求めた。
この2,500名という数字自体あやふやで、実態はもっと多いといわれている。この点を国王は「2,500名という数字は正確ではない。そのほとんどは仲間か政府の撲滅政策のなかで殺害されたものだ」と指摘した。
さらに、「もし、真相を究明し、タイ国民と国際社会に対し説明すべきである。真相が解明されなければ、多くの人々は首相を責めるであろう」とも述べた。
このように、かなりきつい言いかたのあと、「もし首相が、このキャンペーンをやらなかったら、麻薬中毒などで2,500人より以上の死者が出たであろう」といって、多少はタクシンにも花を持たせたが、真相の解明を迫ったことの意味合いは非常に大きい。
というのは、前にも述べたが、麻薬取締法で逮捕され裁判にかけられたら、2,500名も「死刑判決」を受けるはずはない。ということは、殺された人の多くは、不条理に国家権力(とそのキャンペーン)によって殺害されたということになるわけである。
この記事はタイの英字新聞ネーションによっているが、5日付の米国のWSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)は「国王が2,500名ぐらいの死者は問題ない」といったというような極めてミス・リーディングな書き方をしている。
見出しには”Thai King Endorses War On Drugs, Dismisses Death Toll” と書かれている。お粗末な記事としか言いようがない。
また、タクシンは「麻薬撲滅キャンペーン」を祝う、大祝賀会を1万人を動員して派手に行っている。このキャンペーンそのものは「国王の誕生日前に決着をつけて、国王に喜んでいただくため」と称してはじめられたものである。
しかし、実際にウカレてハシャギ回っていたのは国王でなくてタクシンその人だったのである。
その点を国王は同じラジオ放送で「良い行いをしたときは、他人に誇ることなく静かにしていれば良いのだというのは私の母の教えである」という趣旨の話しをした。
また、他人の批評にも謙虚に耳を貸すようにといってタクシンをたしなめた。しかし、タクシンはこういうこを前から国王にも言われているが、一向に気にしている様子はない。
タクシンにとっては「麻薬撲滅キャンペーン」は自分自身のパフォーマンスのひとつであり、国王はいわばダシに使われたのである。30バーツ医療制度のときもそうだった。こともあろうに国王に30バーツの診療券を渡したのだ。
実際のところ、麻薬キャンペーンにしたところで、本物のキーパーソンは1人として捕まってはいないのだ。
その点をWSJはジェマサク・ピントン上院議員の話として、「タクシンのキャンペーンは劇場のお芝居みたいなものだ。大げさな話にしているだけで、(軍・警察の)役人や政治家につながっている大物は誰も捕まえれれてはいない」とニベもなく語っている。
12-2.タクシン麻薬追放第2弾を宣言(04年2月29日)
米国の国務省は2月25日付けで、各国の人権状況調査2003年版(毎年行っている)を発表した。タイもその中に含まれている(日本うア中国も)。タイについて米国が最も厳しく批判したのは「麻薬撲滅運動」で殺害された人数の多さである。
プミポン国王も昨年末(#47参照)、大変憂慮されて、特別の談話を発表したが、タクシンにとっては「馬耳東風」であったようだ。
3,000人近い「悪者」が死んで麻薬撲滅は成功したかと思いきや、実態はそうでもないらしく、タイの学校の夏休みが始まる3月中旬から5月にかけて、さらに麻薬撲滅運動第2弾を実施するという張り切りようである。
タクシンは米国国務省の報告がよほど癇に障ったらしく、米国を「困りものの友人」として切り捨てている。
バンコク警視庁のコミッショナーのタニー・ソンブンサップ警察中将は、まず手始めにクロントイ地区からはじめるといっている。クロントイはチャオプラヤ河の波止場であり、スラムの存在で知られている。
今回は流通場所だけでなく、麻薬製造の基地と集積地まで徹底的に根こそぎにするということのようである。「悪者同士の殺し合い」が今回はなくなることを祈りたい。
⇒第2次麻薬撲滅運動で死者は5,000人に達していた?(06年10月24日)
タイの英字紙ネーションの06年10月23日付けのカウィ(Kavi Chongkittavorn)論説委員の論説でとんでもない事実が明らかにされた。第2次麻薬撲滅運動は2003年12月から2004年2月までおこなわれ、その間に被疑者が約5,000人殺されていたというのである。
第1次麻薬撲滅運動派2003年2月から4月にかけておこなわれ約2,300人の被疑者が殺害されたとして、タクシンは轟々たる国際的な非難を浴びたが、今回はそれをはるかに上回る数字である。これは本当だろうか?
この事実が隠されていたのは厳重な報道管制がしかれていたためであるとカウィ委員は述べている。昨年ジュネーブで開催された国連人権委員会においてもタイ代表はこの数字を隠したまま報告を終えたという。
もしこれが事実ならタイは国際社会に対する重大な背信行為をおこなったことになる。新政権はこの真相の解明を是非行うべきである。
⇒青少年の麻薬使用が急増(04年7月29日)
タクシン政権の未曾有の麻薬関係者虐殺はタイ市民からは、ある意味では歓迎され、タクシンは昨年末に有頂天になって高らかに「麻薬撲滅宣言」を行ったことは記憶に新しい。
しかし、最近アサンプション大学が行った、29県の11歳から26歳までの青少年1万4千人を対象に行った調査では麻薬常習者は昨年2月の444,307人から2004年2月には955,764人に倍以上に増加しているという結果が出た。
また、麻薬常習者は正規の学校教育を受けていない者の比率が高いが、地域差がみられ、東北タイでは4.34%であったのに対し、同じく貧困地帯の南タイ(イスラム教徒が多い)は9.74%と以上に高い比率を示した。
メタムフェタミン(覚せい剤)とマリファナが主な麻薬である。
*この記事はなぜかタイの新聞では見つからず、シンガポールのストレート・タイムズに掲載されていたのでご参照ください。(http;//www.straitstimes.asia1.com.sg/ 7月27日)
⇒タクシン、第2次麻薬撲滅運動開始を宣言(04年10月4日)
03年2月から開始された「麻薬撲滅運動」は2,500人以上の裁判無しの処刑者を生んで、タクシンの「圧勝」におわり、タクシン株はいやがうえにも高まった。と少なくともタクシン自身は考えているようである。
実際、何人かの知り合いのタイ人に聞いてみると、彼らは大学出のインテリにもかかわらず、「麻薬密売人」が路上で警察関係者にピストルで射殺れても当たり前だといった感じの反応が返ってきた。
しかし、人数が2,500人にもなるとさすがに問題だという世論が高まってきた。国王も懸念を表明した。さすがのタクシンもホコを収め、「チャイヨー・チャイヨー(万歳・万歳)」と国民集会の壇上で、狂喜乱舞しながら幕を引いた。
だが、上に見たように麻薬常習者はその後も拡大していることが明らかになった。ということは密売人は前よりも競争相手が減って、商売がやりやすくなったことを意味しているのであろう。また、手口が巧妙になってきたとも言われている。
そこで、タクシンは「前回のご好評」に応えて、第2回目の「麻薬撲滅運動」を展開することを宣言した。撲滅は何回やっても気持ちの良い物なのであろう。
タクシンは「麻薬販売者はまことにもって極悪非道である。彼ら全員が地獄の庭に送られなければならない。そうすれば麻薬はタイからなくなる」として、そのためには「残虐な手段」を厭わないなどと物騒な宣言をした。
前回の撲滅運動で「難を逃れた」密売人の多くは、普段から警察とのお付き合いの良かった者や「警察傘下の密売組織」の従業員であったといわれている。要するに警察は身内は殺さなかったのである。
従って、彼らの商売はいっそうやりやすくなったし、儲けも急増したに違いない。
来年2月に行われる国会議員選挙を控えて、タクシンは人気回復策に躍起になっていることが伺われる。マフィア撲滅運動に失敗した後に、最近は「汚職撲滅運動」も開始した。
(この記事は既にすんだ第2次麻薬撲滅運動で5000人を殺した事実を隠蔽するものであった可能性が強い=06年10月24日追記)
12-3.スラユット首相、タクシン政権が関与した大量虐殺事件解明を指示(07年3月5日)
スラユット首相はタクシン政権がおこなった大量虐殺事件の真相を解明するための「特別委員会」の設置を指示した。
その@は、麻薬撲滅キャンペーン(03年2月〜)に2500名もの麻薬取引容疑者が裁判なしで虐殺され、国際世論の批判を浴びた事件である。タクシンは犯人が殺されても当たり前だという発言を繰り返していた。
第2次キャンペーンは2003年11月ごろおこなわれたがこれにはさらに5,000人が殺害されたといわれている。こちらのほうはタイのメディアでもほとんど報道されなかった。タクシン政権から厳重な緘口令がしかれていたためである。
しかし、2005年7月に国連人権委員会の調査に呼び出されたときはタイの代表団は7,500人の虐殺事件として資料を用意していったという。しかし、国連側は後の5,000人については事件の発生を知らなかった。
いくら麻薬犯人が重罪であっても裁判抜きで路上で官憲とその手先に銃殺されるということ事態が重大犯罪であり、法治国家としてのタイ王国はその真相を解明し、自国民および国際社会に説明しうる義務がある。、
この件については実は日本のメディアはあまり取り上げていない。相手国の政府にとって都合の悪い事実は日本国民にあまり知らせないという方針を採っているかのごときであった。
つまり、日本人読者の知る権利を剥奪しても別に刑事罰には当たらないというのが日本のメデャイアの基本姿勢なのであろう。この方針は残念ながら今後も続くと見なければなるまい。その対策は英語の外国新聞をインターネットで見るほか仕方がない。このホーム・ページでも紹介しきれない。
そのAは南タイ紛争で起こった、クルセ・モスク事件とその後のタク・バイ事件と呼ばれる大量虐殺事件である。この両者を混同して「タクバイ・モスク事件」などとして日本の読者にお目にかけた大新聞もあった。
別に修正記事を出した様子もないので。これはこれでそのままになってしまったのであろう。無責任かつ恥じ知らずな話しである。
この事件についてはしばしばこのホーム・ページで紹介してきたので事実関係についてはそちらをご覧いただきたい。
タクシン政権下でおこなわれたこれらの虐殺事件は国連の人権委員会で取り上げられ、「被疑者の人権を守るよう」に勧告を受けていた。タクシン政権としては「真相解明」など自分で行う積もりはさらさらなく、タイは国連の指示には従わないと反発していた。
軍事クーデターによって成立したスラユット政権によって初めてこれらの事件の真相にメスが入ることとなった。
また、ソムチャイ弁護士事件は既に調査委員会が設置されているが、警察幹部の異動でトップに就任したセリピスト(Seripisut Termiyavej)長官代行によって始めて前に進み始めたという。
これは警察が下手人であるという特殊な犯罪(タイでは珍しくないが)のため、警察官がおこなう調査にはいつも限界があった。
スラユット政権になってジュネーブに本部を置く「国際法律家協会(INTERNATIONAL Commissionof Jurists)」がバンコクに事務所を設置することを許可された。民主政権(?)タクシン時代には考えられないことであった。
(ネーション、07年3月5日、インターネット版、Kavi Chongkittavorn論説委員の記事参照)
12-4.麻薬撲滅運動の犠牲者に関する特別調査委員会を設置(07年8月15日)
07年8月14日の閣議でタクシン時代におこなわれた麻薬撲滅運動による死者(2,500人とも7,500人とも言われている)についての特別調査委員会を発足させることを決めた。
委員長には元検事総長の画ニット・ナ・ナコン氏が就任する。また、委員には前上院議員のクライサク・チョナハン(チャチャイ・チョナハン元首相の子息で民主派として著名)氏やジャラン法務省次官らが就任する予定である。
この事件は多くが「警察官」が絡んでいるだけに真相解明は困難を極めると思われるが、全体像すら明らかにされておらず、米国や国連からも再三非難を浴びせられており、法治国家タイの面子にかかわる問題でもある。
日本ではこの事件は余り報道されておらず、ほとんどの日本人が何も知らされていない。いつものことだがタクシン政権の問題点にほっカムリをしてきた朝日新聞や毎日新聞などの責任は大きい。
12-5.犠牲者2,500人中1,400人は麻薬に関係なし(07年11月28日)
2003年のタクシン前首相による麻薬撲滅作戦で2,500人もの「被疑者」が路上で何者かに虐殺されるという事件が起こり、最近では国際刑事法廷でも裁かれる可能性が出てきた。
既に特別調査委員会が発足して政府も調査を進めているが、麻薬統制委員会=ONCB(the Office of Narcotics Control
Board)が独自におこなった調査によると、犠牲2,500人中、実に1,400人が麻薬とは関係の無い人たちであったことが明らかにされた。
タクシンは何の明確な基準や政策も明示しないまま、各県に逮捕者の数を競わせるという乱暴な指示を出したため、各県の警察は「伝統的な特技」を発揮して、「疑わしきをやっつける」とか、普段から快く思っていない「不逞の輩(やから)」を片っ端から消してしまったのではないかという分析がなされているという。このなかには警察が直接手を下さず、傘下の殺し屋を使ったケースも相当あったものと思われる。
検察庁の高官クンラポン氏は下手人(裁判抜きで勝手に被疑者を殺害すること自体が重大犯罪である)はかなり特定されていると語った。
この記事は英字紙Nationの11月27日付けのインターネット版によるものであるが、ライバル紙のバンコク・ポストにこの内容の記事が待てど暮らせど出てこない。
ところが、別な形でこの記事に類するものが出ていた。それはタクシンが影で操る政党のPPP(人民お力党)に最近、自称ナンバー・ツーで参加した、悪名高い政治家チャレム(Chalerm
Yubamrung)とのインタービュー記事を載せている。
そのなかでチャレムはタクシンの強圧的麻薬撲滅作戦は止むを得なかった措置であるとして礼賛し、あれぐらいやらないと効果は出ない(一時的な「効果」しか出なかったがと語った。
そのうえ、PPP党が政権についたら彼は、自ら「内務相」に就任し、タクシン時代と同じことををやるのだという信念を披瀝した。
ついでにバンコク・ポストの記事について言うと、「タクシンは天使だ=Thasin the angel」という見出しが躍る記事を出していた。
その内容は、サッカーの次のワールド・カップの予選でタクシンは所有するマンチェスター・シティにタイ・チームを支援させるというものである。
タイのナショナル・チームをイギリスにつれて行って、マンチェスター・シティと練習試合をさせるなどとして、強化訓練をやるというのだ。それによって予選で同じ組の日本チームをやっつけるという。もちろん費用は「有り余る金持」のタクシンが出すという。笑わせる話しである。
「天使」発言はタイのサッカー協会のウォラウィ(Worawi Makudi)会長がおこなったものだという。
これは12月23日の選挙に向けたタクシンのPPPに対する応援にしか過ぎないが、バンコク・ポストがPPPの勝利に向けて一役買っていると疑われても仕方がないであろう。
これから出てくるかもしれないが、麻薬撲滅虐殺事件の真相を報じる代わりにそれを正当化するPPP幹部とのインタユー記事を長々と掲載するなどバンコク・ポストはいささか常軌を逸しているように見えてならない。