馬喰町駅

高知演奏旅行 道中記

気温も地元の人たちも暖かかった高知。その高知へ演奏旅行に行ってきた団員たちの旅の記録です。

 ここは暴露の駅舎、別館そのである。
2004年(平成16年)4月24日から26日まで、我々は北見の姉妹都市である高知へ演奏旅行に行ってきた。 2泊3日の楽しい旅であったが、やはりKSBの団員である。実に様々なハプニングが続出した。 我々が遭遇した数々の出来事のうち、私が把握している部分を書き綴っていこうと思う。

導入部
 創立30周年の韓国演奏旅行に続き、35周年では念願の高知へ演奏旅行に行くことが決まった。 しかし第35回定期演奏会はいつもの6月ではなく、春に行われることになっている。そこで1年前倒しで高知へ行くことになった。 高知の人たちの甚大なる協力のもと、『高知県市民バンド連合演奏会』に 「北見市・高知市市民バンド交流演奏会」というタイトルをつけていただき、 我々は、あこがれの高知で演奏、そして交流をもつことができたのである。
 今回はパスポートの必要はない。言葉も通じる(よね、きっと?)。 早朝から起こされることもない。 シロフォンを頼んだつもりがグロッケンだったということもないだろう。 きっと楽しい旅になるはずだ。
4月24日(昼の部)
 肌寒い気温の中、我々は9時20分に女満別空港に集合した。そう、この時間に全員集合してしまったのだ、我々は。 おかしいと思いません? 遅刻の常習者が多数いるKSBなのに。 ま、ともかく全員揃ったので荷物を預けに行った。 面白いですねぇ。楽器のケースが探知機の中を通るたびに画面に現れる楽器の設計図。 そう、まるでコンピュータで楽器を設計しているような絵が現れて、順番待ちの間も楽しめた。 そしてチューバ。でかい棺桶は入らないので、チューバだけその場で中身をさらし、検査を受けたのだった。 続いて搭乗待合室へ。木管楽器は手荷物として機内へ持ち込む。 「楽器ですか?」「そうです。」楽器は丁寧に扱われ、X線の中へ通してくれた。 そして私の番。「楽器ですか?」「・・・うーん、楽器の一部です。」 私のを、やはり丁寧に扱い、X線の中へ通してくれた。ありがとう、感謝します。
 さて、待合室の中、私がタバコを吸いに喫煙コーナーへ行くと、やはり飲兵衛道中記の主人公。 すでにサッポロビールを飲んでましたわ。そして・・・

第一の事件: 「お弁当をお忘れのお客様ぁー、お弁当をお忘れのお客様ぁー」
何とSM嬢(サド・マゾの略にあらず)がX線通過後のサンドイッチを取り忘れていたのだ。 いいですねぇ、本当に今回の旅は楽しくなりそうです。 ちなみにその後、団員のものではなかったのだが、 「財布をお忘れのお客様ぁー、財布をお忘れのお客様ぁー」 という事件もあったのだ。 私のすぐ目の前を通って行ったその黒い財布、俺が欲しかった・・・
 それはともかく、羽田行きJAL1182便は10時20分、ほぼ定刻で女満別を出発した。 気流も安定し、快適なフライトで羽田に着く。空港で各自昼食をとった後、13時55分発のJAL1485便に乗り込む。 そして・・・

第二の事件: 「ご搭乗中の皆様、お忙しい中、大変恐縮ではありますが、もう少々お待ち下さいませ」
クラ長女曰く、「○○ちゃん、いない! ○○ちゃんも、○○ちゃんもいなーい!!」
クラ軍団がいないのだ。しかし、客室乗務員は笑顔で答えてくれた。
「大丈夫ですよ、今、バスが来ますから。」
その後、彼女たちは涼しい顔してやって来た。ま、彼女たちの名誉のために書いておこう。 搭乗口に待機していたバスが出なかったのは彼女たちのせいではなく、他の乗客が遅かったからである。 バス輸送だからなぁ。しょうがないね・・・
 定刻より少し遅れて飛行機は飛び立った。高知行きのフライトも快適な旅だった。 何てったって、乗り物にめちゃくちゃ弱いU委員長が平気だったんだから。 ただ一点、着陸後の逆噴射が強烈で、体が前のめりになってしまったが。(滑走路の残りが少なかったのか?)
ともかく我々は高知に着いた。そして手荷物受取口で我々が荷物を待っている横を棺桶チューバのご一行が通っていった。 ここでも丁寧に楽器が扱われていた。ありがとう、感謝します。 そして楽器や荷物を受け取り、空港ロビーを出た我々を迎えてくれたのは、南国の暖かな空気と、 鳥のさえずりだった・・・・・
男は黙って、サッポロ・ビール 天龍を狙う刺客の影が・・・ こんな植物、見たことない

4月24日(夜の部)
 我々はバスに乗り、高知市内へと向かった。道中、ガイドさんが高知の地理、歴史、文化などを説明していた。 さらに初歩の土佐弁として、「ちゅう」も教えてもらったのだ。 そして30分ほどで我々が宿泊するサウスブリーズホテルに着いた。 ところでこのホテル、出発する二週間前に場所を確認すべく地図を見たのだが、該当するものが見つからなかった。 そして一週間前、団員に配られた演奏旅行スケジュールに載っていた住所を頼りに再度ホテルを確認してみた。 しかし、該当する住所には南風荘という名前があるのみ。
「南風荘、南風荘・・・そうか!英語で言うとSouth Breezeね。それでサウスブリーズホテルかい!」
ということで私が見た地図は少し古かったのだ。ま、ともあれ我々は各自の部屋に入り、練習場へいく準備をした。 高知は暖かいので上着の必要はないだろう。上着はハンガーに掛けるとするか・・・「おっ?」
私の部屋は(古い)本館にある。その部屋のハンガーには黒いマジックで「南風荘」と書いてあったのだ。
 我々はホテルの近くにある「かるぽーと」の最上階で練習した。 本番で演奏する曲を練習するのはもちろんだが、土佐弁の練習もしなければ地元の人と打ち解けて話をすることが出来ない。 私は早速練習してみた。
「ここでクレッシェンドしてメリハリをつけるんでちゅう
何か私、使い方を間違ってますか? あらら、皆さん、お疲れのようで(私、 幼児語ならとくいなんでちゅう)・・・
仕方がないので予定より一時間早めに終わることにした。 でも、もうひとつ練習が残っている。

 残念ながら月曜日の休みが取れない団員が数名いる。彼らは演奏終了後、直ちに北見へ引き返さなければならないのだ。 そこで明日に迫った懇親会の練習を兼ねて、打ち上げをすることになった(何の打ち上げ?)。 要は皆、練習を差し置いても飲みたいだけなんです。
 さて、我々はすでに予約してあった店に行った。二階の全席が埋まった。我々の貸切である。 最初に食べたのは、もちろんカツオのたたき。 実は私、数年前に地元(北見)のスーパーで買ってきたものを食べたことがあるのだが、一切れ食べただけで止めてしまった。 旨くなかったのだ。 この大皿に乗ったカツオもダメかなと思ったのだが、これがうまいんです。 やはりワカメ、玉ねぎ、そしてタレとニンニクが違うんだな。参りました。他の魚も旨い。 地元の食材を地元で食べる。最高だ!!やはり旅はいいもんだ。そして・・・

第三の事件:または「旅の必須アイテム」
約50名もの人数で飲み食いしているためか、あまりお店の人の愛想がよろしくない。 そこで団長が北海道のお土産を手渡した。 そして、その効果はテキメンだった。 お店の人の愛想が良くなり、延長料金も取られず、なんと延々4時間もの間、我々は飲み放題を続けることになったのである。
 私は気分が良くなり、思わず土佐鶴桂月など数種類の日本酒を利き酒してしまった。 私は酒が飲めない。アルコール類は全くダメなのである。総量でも20ml程度の日本酒で私は酔っ払ってしまった。 まずい、明日は本番が控えているのに・・・
 明日のため、今日中にホテルに戻らなければならない。 名残惜しかったが、お開きにすることにした。 二階から降りていったのだが、なぜか途中で詰まっている。

第四の事件: 「歩けない。俺、酔っ払っちゃったよー!」
太鼓叩きの彼の名を、仮に北見交響吹奏楽団の最後の一字を採って団としておこう。 AV部(注:Audio Visualの略ではない、大人が喜ぶあの・・・)の部長でもある (あくまでも仮名です)が階段の踊り場で座り込んでいたのだ。
団・団、ダメダ・、 ダメダ・ダメダ・団・団っ、明日は本番なのに大丈夫かい!?
(太字の部分はある曲のティンパニーのフレーズです。古い団員に詳細を聞いてくだされ。)
 さて、酔っ払いは放っておいてホテルへ帰ることにしよう。 宴会へ行くときはショート・カットしてしまったので、帰りは有名な「はりまや橋」を見ていこう。
「欄干しか見えないのかぁ。お江戸の日本橋みたいだな。おっ、横で若者がボードをやってるよ。時代だねぇ。」
「あれ、見て。隣に赤い橋があるよ。あれが本当のはりまや橋じゃないの?」
ということで見てきましたよ、本物を。 朱塗りの橋で、小さいけどきれいだねぇ。記念写真を撮っておきましょう。 おや・・・
平成かいっ!出来たのは!!
後日、ガイドさんが言わはりました。「日本3大がっかりの一つ」だと・・・
これが本場よ、カツオのたたき 今も生きぬく、アンモナイト 二人の坊さん、かんざし買わず

4月25日(昼の部)
 今日もいい天気。うむ、すがすがしい朝だ。私は朝食を食べに行った。 すでに多くの団員が食事をしている。そして洋食派が主流のようだ。 でも、私は和食党です。ご飯に味噌汁、これ最高。そして高知名物のシラスもありますねぇ。 これは「どろめ」ではなく、「釜揚げ」の方ですな(知ったかぶり)。 いただきます! おや、団君、目が死んでるよ、大丈夫?
 だがしかし、逆に朝から元気のいい人がいた。 私が食事を終えてロビーに行くと、外出先から戻ってきた人がいた。 聞くと、高知城へ行き、日曜市場を散策しながら帰ってきたとのこと。
「いやぁ、健康的な生活をしてますね、部長。 同じ部長でもAV部の部長とはぜんぜん違いますね。」
ちなみにこちらの部長は麻雀部と競馬部の部長を兼務している。 いつもは徹夜麻雀で朝弱いはずなのに、おかしいなぁ?
ってなことを話しているときに

第五の事件: 「私たちの部屋、エアコンが付いてないんです。」
と、めぐちゃん・すーさんの話。 あらま、そりゃ夏は暑くて眠れないし、冬は寒くて眠れないよねぇ。 ま、昨夜はエアコンがなくても大丈夫だったろうけど。 でも変だな。彼女たちはツインで私の部屋はシングル。しかし、そんなに部屋のつくりが違うとも思えない。
「もしかして枕元にある時計の右側に丸いツマミがなかったかい?」
「えっ、あそこにスイッチがあったんですかぁ?」
ということで、この事件は解決した。 しかし何でだろ?新人じゃないのでホテルには何度も泊まっているはずなのに・・・

 「かるぽーと」。ついに我々はやってきた。 三階席まである立派なホールである。 ところでまずお詫びをしなければならない。
「高知の皆さん、リハーサルの時間を大幅にオーバーしてしまい、申し訳ありませんでした。」
と、お詫びをしたところで
第六の事件: 「リガチャーがないっ!」
本番前、皆は地下のリハーサル室へと降りていった。 私の楽器は音が小さいので、一人楽屋で音出し、チューニングをしていた。 したがって、この事件は人伝えに聞いた話である。 聞くところによると、O君夫人がサックスのリガチャーを忘れ、あわてて取りに戻ったそうである。 しかし、これはたいした事件ではない。 韓国でのO宅君事件に匹敵する、高知最大の大事件が本番で起こることになる・・・

 いよいよ高知での演奏が始まった。 「キャンディード」序曲、「私のお気に入り」と、何とか無事に演奏した。 私は弦バスの所へ移動し、チューバの人たちに「なかなか良かったよ」と目で合図をした。 そして団長が司会者に呼ばれ、高知の皆さんに挨拶をしているとき、
最大(第七)の事件: 「社長! 本番中にどこへ行くんだぁー!!」
何と社長(仮)が舞台からいなくなったのである。
「懇親会の練習で飲みすぎてトイレにでも行ったのかな?」
と思ったが、曲の紹介が終わり、客員指揮者が舞台上に現れても社長は来ない。 「ローエングリン」の第一幕への前奏曲が厳かに始まったが、やはり社長は来ない。
「ま、しばらく静かな部分が続いてチューバの出番が無いから、いいか。」
しかし、曲がだんだん盛り上がっていき、チューバの出番が来たが、まだ社長は来ない。 そして結局 全曲が終了し、我々が舞台からハケるまで社長が戻ってくることはなかったのだ。
 本人の談によると二日酔いのためではなく、呼吸が出来なくなってしまったということらしい。 過呼吸症候群だったのだろうか?  ま、しかし、ソロがなくて良かったねェ。 最後まで気がつかなかった団員がいたくらいだから・・・
さて、この先が問題だ。 金沢の夜に匹敵する大宴会! うまく表現できるのだろうか?

ハルウララの、高知競馬場? 一人佇み、何思ふ 何を隠そう、私が社長(仮)ですが、
ハズカシくて、顔はお見せできません

4月25日(夜の第一部)
 ホテルに帰って着替えた後、我々は団体で打ち上げ会場まで歩いていった。 ぞろぞろ歩く私たち、地元の人たちには奇異に映ったでしょうな。 さて、会場に到着してパートごとに座り、宴会の開始だ。 私が座ったのはチューバ・パート。 そして、ここには二人の女性。 で、私と同じくコントラバス弾きと思いきや、二人ともチューバ吹きだったんですねぇ、これが。 一人は大学生で、話を聞くと私の仕事と同じような研究をやっていた。 あらら、これにはビックリ。 そしてもう一人はソプラノ歌手だった。 何と『ラ・ボエーム』の「私の名前はミミ」を先日、歌ったばかりだそうな。 KSBでも6月の定期で『ラ・ボエーム』を演奏する(無論、私の名前はミミもね)ことになっていたので、二度ビックリ。 しかし、ソプラノ歌手でチューバとは・・・
 スピーチが始まった。 まずは各団体の紹介を兼ねて、土佐弁講座を初歩から中級・上級、そして応用編と教えていただいた。 しかし、よく分からない。 やっぱ、難しいんだべさ。 そして宴会中にお酌を受け、ご返杯の仕方も教わりました。 ええ、酒は飲めないんだけど、ジュースをもらってお酒をお返ししましたよ。

 ところで第一部の主役は、間違いなくあの人だろう。
第八の事件: 赤い悪魔、現る!
そう、我々が赤い悪魔と呼ぶ、あの人だ。 飲兵衛道中記の主人公たちも、割と酒に強い方であるトロンボーン・パートの連中も、 誰もかれもが、ことごとくやられてしまったのである。 この酒の強さは半端ではない!! さすがは土佐人である。 KSBの団員、何人もが私のテーブルに来て「助けて!、赤い悪魔にやられたぁ!!」と 叫んでいた。 うん、助けたい、助けてあげたいのだが、何せ私は酒が飲めないもんで・・・
 だがしかし、この状況を打開すべく、一人の女性が立ち上がった。

第九の事件: 赤い悪魔、降参す!
彼女は赤い悪魔と同じく、トランペットを吹いている。 トランペット・パートの意地を賭け、二人の勝負が始まった。 日本酒を注いでもらい、グィっと飲み干して相手に返す。 そのバトルが何度繰り返されたことだろう。 最後には赤い悪魔参りましたと白旗を揚げ、 この戦いに幕が下りたのであった。 さすがは古代の二神、アマテラスオオミカミとスサノオノミコトの末裔である。 ヤマタノオロチを酒漬けにし、成敗してしまった。 哀れ、赤い悪魔は一次会で姿を消すことになってしまったのである。
注:二神とは、アマテラスオオミカミとスサノオノミコトの姉弟、 二人の神という意味であって、決して人の名前ではない。
やはり次はKSBの恥をさらさなければいけないんだろうなぁ・・・

巨頭会談に紛れ込む、赤い悪魔 赤い悪魔を地獄へと返す、
団長運営委員長
うふっ赤い悪魔なんて
ちょろいもんよ

4月25日(夜の第二部)
 打ち上げが終わり、我々は会場の外に出たのだが、歩道上に皆が残り、異様な盛り上がりを見せていた。 ここでの被害者は鏡野さんの団長であったが、その内容については、あえて触れないでおこう。 しばらく外で騒いでいた団員たちであったが、自然の成り行きで二次会へと流れることになる。 二次会は居酒屋であったが、体調不良?の社長(仮)以外は全員残ったので、会場は超満員。 ところかまわず、ぎゅうぎゅう詰めで座っていた。 ここでは地元の珍しい魚たちが出てきたが、御免なさい、すべて名前は忘れてしまいました。 でも、全種類頂きました。 そうそう、厨房を担当されていた鏡野の皆さん、本当にありがとうございました。
 さて、なるべく触れたくないのだが、触れねばなるまいな、KSBの恥部を。

第十の事件: 黒服男、現る!
いや、KSBの団員にとっては別に事件ではない。 演奏会の打ち上げで毎度見られる、いつもの光景なのだ。 しかし、高知の皆さんにとっては衝撃的だったと思われる。 彼は一応、目で合図をする。 団員が気づかないときは手で合図をする。 「そろそろ脱いでもいいか」と。 無論、口では言わないが、そこはいつものこと。 団員も阿吽の呼吸でOKを出す。 上着が会場を飛び交い、ズボンが人から人へと渡される。 靴下も渡されるが、それは丸めて放り出される。 かくしてトランクス一枚になった男が会場を闊歩することになるのだ。 それがなぜ黒服男かって?  最後には下着も会場を飛び交い、恥部を隠すために黒い服を使うからなのだ。 しかし、この日は最初、メニュー表で隠したりしていたな、そういえば。
 かくして二次会の最後はパンツ帽子のかぶりあいと、前を隠しても尻の間から見える○○の鑑賞(見たくはないわい!)と、 チョンマゲ攻撃にさらされるのであった・・・

注:本当は黒いトレーナーと書きたかったのだが、本人が「あれはトレーナーではない」と言うので、黒服とした。
注2:当事者でない人にはチョンマゲ攻撃の意味が分からないと思うが、 KSBの恥をさらすことになるので、説明はしない。 要はチョンマゲに形が似ているということなのだが、そう立派なものでもない(本人談)。
後日譚:私は二次会で帰ったので、三次会まで行った人たちの様子は知らない。 よって第二部の記述はこれで終わるのだが、三次会の次にラーメンを食べに行き、 自分のラーメンを完食した後、もったいないからと人の食べ残したラーメンを啜っていたツワモノがいたそうな。 どうも、それは赤い悪魔を成敗した、スサノオノミコトの末裔だったらしい。
後日譚(訂正):「あれは食べ残しにあらず。 半分ほど食した後、尿意を催し、トイレに入っている隙に食されてもうた。」 と、半分しか食えなかった、ある男性の談。
いよいよ残るは高知最後の日となりました。最後の日はたいした事件はありません。
でも、全てを書き終えたあとで、付録を考えてますから・・・

大黒天1 朝野球で鍛えた、この体
ケツの下から見えるから歩くな!
KSBの誰も穿かない物を
よくぞ穿いたぜ、金曜姐!
私の名前はミミ
ミミが殿様になる3秒前
大黒天2

4月26日(昼の部)
 前夜、あれだけ騒いだのに、そしてホテルに帰ってからも大声で話を続け、 寝ている我々に多大なる迷惑をかけていた連中がいたにもかかわらず、皆、 元気で朝食を平らげておりました。 酒が後に残らない、楽しい宴会であったのは確かだと思う。 しかし、金沢の時とぜんぜん違うね、皆!
 さて、今日は市内観光。 全員バスに乗り込み、出発した。 そしてガイドさんが開口一番「皆さん、高知名物のカツオのたたき、お食べになったんですね。」と言わはった。 何で知ってるんだ?と思いきや
「バスの中、ニンニクの匂いが充満してます」と言うことだそうで。

 最初の観光地は高知城。 もちろん団体割引を使って城内へ入りました。 天守閣から見る風景はいいもんですな。 おや、団長一人だけ外にいる・・・
天守閣から降りて公園内を散策。 打ち上げで教えてもらった名物のアイスクリン、数名がチャレンジしてました。 そして「よく冷えたラムネ」の看板につられてラムネを買った人がつぶやきました。
「よく冷えてないラムネだ」と・・・
集合時間が近づいたので駐車場へと向かった。 おや、先に到着した人が持っているコンビニの袋からビールが見えたぞ。 やはり飲兵衛道中記(4月24日昼の部に出てきた人物とは別)の主人公、あれから10年たっても変わりませんなぁ。

 次の目的地は、四国霊場第三十一番札所、五台山の竹林寺。 ここでは皆、賽銭を入れ、願い事をしていたのだが、私は参加しなかった。 私の願い事は「馬券が当たりますように」くらいしかないので、バチが当たると思ってやめたのだ。 ここで私は子供向けのお土産を買ったのだが、おみくじを引いた人たちが恋愛運のことで盛り上がっていた。 そして、その隙を狙って

第十一の事件: これこれ、部長っ!
いや、これもKSBの団員にとっては別に事件ではない。 どこへ行っても見られる、いつもの光景なのだ。 我々がお土産を買ったり、おみくじを引いているときに、部長はバスガイドのオネーチャンといちゃいちゃしていたのだ。 嫁が同行していないのをいいことに、オネーチャンを口説いていたのだ。 生まれたばかりの やや子が可愛そうではないか。 よって、彼をさらし首の刑に処す。

 午前の最後は桂浜。 城も寺も石段だらけ。 歩きなれてない私は石段の昇降で疲れていた。 砂浜なら楽だろうと思っていた。 しかし、そう思っていた私がバカだった。 なんで浜なのにあんなに階段があるのさ!!!

第十二の事件: 団長の夢、実現す!
坂本龍馬ファンの団長は、二十数年前に入団した頃から夢を語っていた。 さらに、昔から酒の席で、よく言っていた。 「坂本龍馬像の前で酒を酌み交わしたい」と。 そして二十数年来の夢が、ここで実現した。 やはり、これは一種の事件でしょう。 ちなみに高知城の駐車場でビールを持っていたのは団長です。 私が「おや、龍馬像の前で飲むのは日本酒じゃなかったっけ?」と聞くと、 「これはバスの中で飲むやつで、日本酒は別」と答えはった。

 浜辺を散策していると、地元(愛媛だったか?)の学生たちが来ていた。 宿泊研修なのだろうか。 我々は「暑い、暑い」とふーふー言いながら歩いていたのだが、 彼らは制服の上着を着たまま波と戯れていた。 「君たち、暑くないのかい?」
 浜の食堂で昼食。 私たちはうどんと、カツオのたたきを注文した。 初日の夜に食べた たたき ほどではないが、しかし、やはり旨かったぞ。 さて、バスに乗るべく駐車場へと向かうと、白装束の一団と出会った。 「むっ、パナウェーブが高知に来たか!」と思ったら、観光バスに乗ってやって来た、 お遍路さんの団体でした。 そういえば、竹林寺ではお遍路さんの姿を見なかったなぁ。

 観光の最後は坂本龍馬記念館。 ここでは、じっくりと歴史の勉強をさせてもらいました。 屋上から見る景色も良かったなぁ。
 さて、名残惜しいが、我々は北見に帰らねばならない。 我々は空港に着き、お土産を買った。 本当に皆、よく買った。いや、買いまくった。 紙袋を二重にしてもらったり、麻袋に入れたりしながら、手がちぎれるほど重い荷物を持って飛行機に乗った。 かくして部長は、所持金二百数十円で北見に戻ることになる・・・

後日譚:数ヶ月過ぎた今でも「楽しかったね」、「また高知に行きたいね」 という話がよく出てくる。 本当に楽しい演奏旅行だった。 しかし、こんなに楽しく過ごせたのは、高知の人たちの温かいもてなしがあったからこそ。 高知の皆さん、本当にありがとうございました。 皆さんのおかげで私たちに大きな思い出が残りました。 改めて御礼申し上げます。 そして、高知演奏旅行 道中記、これにて終了いたします。
もちろん、付録はつけますよ・・・

一人残った、手乗り団鳥 龍馬は見えぬが、龍馬像の下 唯一の心残り、くじらを喰いたかった


付 録

皆、土佐弁の使い方、知っちゅう