ここは暴露の駅舎、別館である。
1994年(平成6年)に行われた 日本吹奏楽指導者クリニック に参加した4人の飲兵衛たちの道中を暴露しようと思う。
参加者は次の5人である。
客員指揮者E氏: 長老
中学校教諭T氏: チューバ吹き
KSB団長 S氏: 今回のツアー・コンダクター
技術部代表O氏: KSBとオケのホルン吹き
常任指揮者M氏: コントラバス弾き
さて、先に 4人の飲兵衛たち と書いた。 しかし合歓の里に行ったのは5人である。 実は、常任指揮者のM氏は一滴も酒が飲めないのである。 師匠からは「酒の飲めないやつが酒の曲なんか振れるか !」と言われるのだが、飲めないものは飲めないんです。 あ、いや、とにかく飲めないらしいんだな、この人は。 そんな訳で、4人の飲兵衛たちの実体を、酒の飲めないM氏から語ってもらうことにしよう。 なお、5年以上前の古い記憶である。 記憶違いがあるかもしれないが、本人たちからクレームが付かなければ、それはすべて真実と断定しても良いだろう。 クレームが付かないことを祈る。
我々が乗るのは12:40発の大阪行き、ANA 766便である。
少し時間があったので、我々は空港内のレストランで昼食をとることにした。
旅慣れている5人は重い食事を避け、サンドイッチやスパゲティーなどを注文している。
そして、私を除く4名はビールも注文した。
そうなのだ。
この日記のすべては、ここから始まるのだ。
搭乗手続きのアナウンスが聞こえてきた。 各自、昼食の支払いを済ませて搭乗待合室に入ったのだが、その中の売店でツアー・コンダクターのS氏が缶ビールを1ダースほど購入した。 そして驚くことに、彼ら4人はカウンターでビールを注文し、飲んでいるのである。 もちろんそのビールは、先ほど購入した缶ビールとは別物である。 ちなみに私は定番の「グレープフルーツ・ジュース」を飲んでいた。
ツアー客が多いため、我々はエンジン音のうるさい後部座席に押しやられていた。
私は客員指揮者のE氏が最後列、ツアー・コンダクターで団長のS氏がその前に座っていたことだけ覚えている。
そして最後部にスチュワーデスが・・・
我々を乗せた飛行機が滑走路に移動し、加速を始めた。
そして車輪が滑走路から離れ、飛行機が上昇したとたん、団長のS氏が座っている座席の下に置かれていたビールが倒れ、客員指揮者のE氏の横を転がり、スチュワーデスのところまで流れていったのだ。
私は、うつむいて口に手を当て、必死に笑いをこらえようとしているスチュワーデスの顔と、その笑いからくる背中の上下動を忘れることはできない。
飛行機は水平飛行に入った。
スチュワーデスが素早く座席ベルトをはずし、笑い(営業用の笑みではなく)とともに転がったビールを我々に渡してくれた。
機内サービスが始まり、私は「紅茶」を頼んだのだが、他の4人は当然のごとく缶ビールを空けている。
むろん、もらったお菓子は私に寄こし、ホタテの貝柱をつまみにビールを飲んでいる。
客員指揮者のE氏が、スチュワーデスに「どうですか」とホタテの貝柱差し出したが、見事に「結構です」と断られてしまった。
しかし、このホタテの貝柱が、後に有効なアイテムになるのである。
飛行機は無事に着陸し、バスで梅田に向かった。 我々は「東急イン」を探して歩いていたのだが、横の路地に飲み屋が数軒並んでいるのを見つけ、そちらの方に曲がっていった。 今飲むためではない。 チェックインした後、どこで飲むかを決めるために飲屋街をさまよっていたのである。
チェックインを済ませた後、我々はあたりをつけておいた「ふぐ料理屋」に入った。 そして、ここで「ふぐのコース料理」を注文した。 最初に出てきた「ふぐさし」はとても旨いのだが、いかんせん仲居さんの愛想が悪い。 ここで追加のビールを注文したときに、団長のS氏が「どうぞ皆さんで食べて下さい」とホタテの貝柱を差し出した。 それからである。 仲居さんの態度が急変したのは。 おかげさまで、最後の「ふぐ鍋」もおいしく頂くことができましたわ。
ふぐ料理では当然酒も(私にすれば結構)飲んだが、これは、あくまでも夕食である。 したがってこの後、自然の流れとして「居酒屋」へと足を運ぶことになった。 ここには2時間ほど居たのだろうか。 そろそろ帰りますかということになり、全員立ち上がった。 が、客員指揮者E氏のビールが半分ほど残っていた。 それを見た技術部代表のO氏は「もったいない」と言い、カポっと、あっさり飲み干したのだ。
酒飲みに欠かせないのは2次会である。 私にとってみれば3次会なのだが、「ふぐ料理屋」でたとえ一人大瓶3本のビールを飲もうとも、フランス料理で出てくるワインと同じ扱いである。 この時のビールは夕食であって、1次会にはあたらない。 当然皆は2次会へと流れることになったのだが、残念ながらそれを語るすべはない。 なぜなら、私はホテルに帰って寝ていたのだから・・・・・
列車は「鵜方」に着いた。 駅前の食堂で昼食を取ることになったのだが、二日酔いのため、皆は軽い「うどん」を注文していた。 昼食後タクシーに乗り、我々の目的地である合歓の里へと向かうことになった。 しかしこの時、ツアー・コンダクターのS氏が、目的地とともに酒を売っている店の前で止まってくれ、と運転手に伝えていた。
タクシーが商店の前で止まった。
私と中学校教諭のT氏がタクシーの中に残り、他の連中は酒を買いに店内に入っていった。
日本吹奏楽指導者クリニック(合歓バンド・クリニック)は毎年この時期に行われている。
当然、地元のタクシー運転手も合歓の里で何が行われるかを知っている。
そして買い物部隊を待っている間にタクシー運転手が振り返り、私と中学校教諭T氏に向かってこう言ったのだ。
あんたたち、何しに来たの?
クリニック第1日が始まった。 しかし、その内容を伝えることは、この駅舎の趣旨に反するので止めておくことにする。 飲兵衛日記であるから、夜の部だけ伝えることにしよう。
懇親会が始まった。 ジャズ・コンボの演奏が我々を歓迎してくれたが、小長谷宗一氏がトロンボーンで参加していた。 むろん、アド・リブ・ソロも含めてメチャクチャ巧い。
我々はすっかりミーハーになり、ヤン・ヴァン=デル=ロースト氏や、淀川工業高校の丸谷明夫氏らと写真を撮ったりしていた。
むろん懇親会であるから、私以外の4人は酒を飲んでいた。
懇親会終了後、、札幌白石高校の米谷先生と東海大四高の井田先生の部屋に、北海道から来た人間全員が集まって酒を飲んだ。
その後、我々5人の相部屋に戻ってきたが、当然のごとく、買ってきた酒を飲みながら四方山(よもやま)話をしたのである。
レーシングカート場へやってきた。
我々の他に1名の参加。
ヘルメットを付け、レース開始。
他の1名が団長S氏を追い抜こうとしてスピンし、カートは斜面に乗り上げた。
レース終了後にそのことを伝えると、団長S氏は一言
俺のラインを邪魔するからだ!
我々は横浜の私設応援団がいる近くの外野席で見ていたのだが、最初は少なかった観客がどんどん増え、最後には横浜の私設応援団の周りをも埋め尽くし、一丸となって阪神を応援していた。
私たちは恐ろしくなり、ゲーム途中で帰ってきた。
横浜の私設応援団たちは大丈夫だったのだろうか・・・
別に喧嘩騒ぎが起きたわけではないが、あの阪神を応援するエネルギーときたら・・・・・・・
翌日の各スポーツ紙、第一面は、もちろん全部この話題。
間違っても巨人が一面を飾ることはなかった。
今はスチュワーデスと言わないのは分かっている。 スッチーと言うほど若くもない。 たとえ法律で規制されようとも、私が長年慣れ親しんだ名称を変えて「客室乗務員」と呼ぶことはできないのだ。
1999年の合歓バンド・クリニックに客員指揮者のE氏は出かけていった。 我々は気力、体力、そして一番大きな問題である金が無いので、あきらめざるを得なかった。 でも、またいつか行きたいと思っている。 何たって食事が朝・昼・晩ともに超豪華なんだから・・・