馬喰町駅

合歓の里 道中記

またの名を 飲兵衛 道中記 という


 ここは暴露の駅舎、別館である。
1994年(平成6年)に行われた 日本吹奏楽指導者クリニック に参加した4人の飲兵衛たちの道中を暴露しようと思う。

 参加者は次の5人である。
     客員指揮者E氏:  長老
     中学校教諭T氏:  チューバ吹き
     KSB団長 S氏:  今回のツアー・コンダクター
     技術部代表O氏: KSBとオケのホルン吹き
     常任指揮者M氏: コントラバス弾き

 さて、先に 4人の飲兵衛たち と書いた。 しかし合歓の里に行ったのは5人である。 実は、常任指揮者のM氏は一滴も酒が飲めないのである。 師匠からは「酒の飲めないやつが酒の曲なんか振れるか !」と言われるのだが、飲めないものは飲めないんです。 あ、いや、とにかく飲めないらしいんだな、この人は。 そんな訳で、4人の飲兵衛たちの実体を、酒の飲めないM氏から語ってもらうことにしよう。 なお、5年以上前の古い記憶である。 記憶違いがあるかもしれないが、本人たちからクレームが付かなければ、それはすべて真実と断定しても良いだろう。 クレームが付かないことを祈る。


5月14日(土曜日)
 私は(ここでの私とは、常任指揮者M氏の事ですよ)技術部代表O氏の車で女満別(めまんべつ)空港に向かっていた。 途中、カーブでセンターラインを越えて向かってきた対向車に出くわし、「合歓の里へ行く前に、俺の人生も終わりか」と思ったが、O氏の絶妙なハンドルさばきで、なんとか対向車との衝突を避け、無事に空港へ着くことができた。

 我々が乗るのは12:40発の大阪行き、ANA 766便である。 少し時間があったので、我々は空港内のレストランで昼食をとることにした。 旅慣れている5人は重い食事を避け、サンドイッチやスパゲティーなどを注文している。 そして、私を除く4名はビールも注文した。
 そうなのだ。 この日記のすべては、ここから始まるのだ。

 搭乗手続きのアナウンスが聞こえてきた。 各自、昼食の支払いを済ませて搭乗待合室に入ったのだが、その中の売店でツアー・コンダクターのS氏が缶ビールを1ダースほど購入した。 そして驚くことに、彼ら4人はカウンターでビールを注文し、飲んでいるのである。 もちろんそのビールは、先ほど購入した缶ビールとは別物である。 ちなみに私は定番の「グレープフルーツ・ジュース」を飲んでいた。

 ツアー客が多いため、我々はエンジン音のうるさい後部座席に押しやられていた。 私は客員指揮者のE氏が最後列、ツアー・コンダクターで団長のS氏がその前に座っていたことだけ覚えている。 そして最後部にスチュワーデスが・・・
 我々を乗せた飛行機が滑走路に移動し、加速を始めた。 そして車輪が滑走路から離れ、飛行機が上昇したとたん、団長のS氏が座っている座席の下に置かれていたビールが倒れ、客員指揮者のE氏の横を転がり、スチュワーデスのところまで流れていったのだ。
 私は、うつむいて口に手を当て、必死に笑いをこらえようとしているスチュワーデスの顔と、その笑いからくる背中の上下動を忘れることはできない。

 飛行機は水平飛行に入った。 スチュワーデスが素早く座席ベルトをはずし、笑い(営業用の笑みではなく)とともに転がったビールを我々に渡してくれた。
 機内サービスが始まり、私は「紅茶」を頼んだのだが、他の4人は当然のごとく缶ビールを空けている。 むろん、もらったお菓子は私に寄こし、ホタテの貝柱をつまみにビールを飲んでいる。
 客員指揮者のE氏が、スチュワーデスに「どうですか」とホタテの貝柱差し出したが、見事に「結構です」と断られてしまった。 しかし、このホタテの貝柱が、後に有効なアイテムになるのである。

 飛行機は無事に着陸し、バスで梅田に向かった。 我々は「東急イン」を探して歩いていたのだが、横の路地に飲み屋が数軒並んでいるのを見つけ、そちらの方に曲がっていった。 今飲むためではない。 チェックインした後、どこで飲むかを決めるために飲屋街をさまよっていたのである。

 チェックインを済ませた後、我々はあたりをつけておいた「ふぐ料理屋」に入った。 そして、ここで「ふぐのコース料理」を注文した。 最初に出てきた「ふぐさし」はとても旨いのだが、いかんせん仲居さんの愛想が悪い。 ここで追加のビールを注文したときに、団長のS氏が「どうぞ皆さんで食べて下さい」とホタテの貝柱を差し出した。 それからである。 仲居さんの態度が急変したのは。 おかげさまで、最後の「ふぐ鍋」もおいしく頂くことができましたわ。

 ふぐ料理では当然酒も(私にすれば結構)飲んだが、これは、あくまでも夕食である。 したがってこの後、自然の流れとして「居酒屋」へと足を運ぶことになった。 ここには2時間ほど居たのだろうか。 そろそろ帰りますかということになり、全員立ち上がった。 が、客員指揮者E氏のビールが半分ほど残っていた。 それを見た技術部代表のO氏は「もったいない」と言い、カポっと、あっさり飲み干したのだ。

 酒飲みに欠かせないのは2次会である。 私にとってみれば3次会なのだが、「ふぐ料理屋」でたとえ一人大瓶3本のビールを飲もうとも、フランス料理で出てくるワインと同じ扱いである。 この時のビールは夕食であって、1次会にはあたらない。 当然皆は2次会へと流れることになったのだが、残念ながらそれを語るすべはない。 なぜなら、私はホテルに帰って寝ていたのだから・・・・・


5月15日(日曜日)
 今日はさすがに4人ともおとなしい。 迎え酒をあおり、二日酔いを消すほどの気力もないようだ。 我々はタクシーに乗り、近鉄上本町へ向かった。 そして駅に着いたとたん、客員指揮者のE氏が消えた。 昨日の飲み過ぎで下痢ピーとなったらしい。 タクシーの中でかなり我慢していたようだ。 当然、列車に乗り込んでからもトイレ通いが続くことになるのである。

 列車は「鵜方」に着いた。 駅前の食堂で昼食を取ることになったのだが、二日酔いのため、皆は軽い「うどん」を注文していた。 昼食後タクシーに乗り、我々の目的地である合歓の里へと向かうことになった。 しかしこの時、ツアー・コンダクターのS氏が、目的地とともに酒を売っている店の前で止まってくれ、と運転手に伝えていた。

 タクシーが商店の前で止まった。 私と中学校教諭のT氏がタクシーの中に残り、他の連中は酒を買いに店内に入っていった。
 日本吹奏楽指導者クリニック(合歓バンド・クリニック)は毎年この時期に行われている。 当然、地元のタクシー運転手も合歓の里で何が行われるかを知っている。 そして買い物部隊を待っている間にタクシー運転手が振り返り、私と中学校教諭T氏に向かってこう言ったのだ。
      あんたたち、何しに来たの?

 クリニック第1日が始まった。 しかし、その内容を伝えることは、この駅舎の趣旨に反するので止めておくことにする。 飲兵衛日記であるから、夜の部だけ伝えることにしよう。

 懇親会が始まった。 ジャズ・コンボの演奏が我々を歓迎してくれたが、小長谷宗一氏がトロンボーンで参加していた。 むろん、アド・リブ・ソロも含めてメチャクチャ巧い。

 我々はすっかりミーハーになり、ヤン・ヴァン=デル=ロースト氏や、淀川工業高校の丸谷明夫氏らと写真を撮ったりしていた。 むろん懇親会であるから、私以外の4人は酒を飲んでいた。
 懇親会終了後、、札幌白石高校の米谷先生と東海大四高の井田先生の部屋に、北海道から来た人間全員が集まって酒を飲んだ。 その後、我々5人の相部屋に戻ってきたが、当然のごとく、買ってきた酒を飲みながら四方山(よもやま)話をしたのである。


5月16日(月曜日)
 クリニック第2日。 この日は、昼食後に自由時間を設定してある。 ここはヤマハのリゾート地なので、遊んでほしいと言うことらしい。 そう言われて遊ぶことをしない我々ではない。 ランドカーに乗って、大きな敷地内を遊び回っていた。 そしてここにはプライベート・ビーチもあったのだ。 男5人、ビーチで戯れても何も面白くはないが・・・

 レーシングカート場へやってきた。 我々の他に1名の参加。 ヘルメットを付け、レース開始。 他の1名が団長S氏を追い抜こうとしてスピンし、カートは斜面に乗り上げた。 レース終了後にそのことを伝えると、団長S氏は一言
      俺のラインを邪魔するからだ!

 今日の夜も懇親会である。 この日最後のメニューが午後10時過ぎだったので、私は疲れて懇親会をパスすることにした。 したがって、会場で彼らが何をどれだけ飲んだのか知らないし、部屋に帰ってどれだけ飲んだのかも知らない。 ただ、翌日の朝冷蔵庫を見て、大のオトナ3人が抱えてきた酒が無くなっていたのを知るだけである。

5月17日(火曜日)
 クリニック第3日も無事に終了し、客員指揮者E氏はコンサートを聞きに行くために「名古屋」へ、残りは「大阪」へと別れることになった。
 E氏を除く我々は梅田に着くと、阪神甲子園球場を目指していた。 この日は阪神-大洋戦が行われ、新人の藪が4連勝した日だった。

 我々は横浜の私設応援団がいる近くの外野席で見ていたのだが、最初は少なかった観客がどんどん増え、最後には横浜の私設応援団の周りをも埋め尽くし、一丸となって阪神を応援していた。 私たちは恐ろしくなり、ゲーム途中で帰ってきた。 横浜の私設応援団たちは大丈夫だったのだろうか・・・
別に喧嘩騒ぎが起きたわけではないが、あの阪神を応援するエネルギーときたら・・・・・・・
 翌日の各スポーツ紙、第一面は、もちろん全部この話題。 間違っても巨人が一面を飾ることはなかった。


5月18日(水曜日)
 この日にANA 765便で帰ってきたのだが、何も記憶に残っていない。
よって、飲兵衛日記、これにて終了。

あとがき
 初日は昼の12時前から夜中の0時過ぎまで、都合12時間以上も彼らは飲み続けていたのである。 私は彼らのパワーに脱帽するとともに畏怖を抱いている。
 まぁ、今ではこれ程のパワーはないけどもね。

 今はスチュワーデスと言わないのは分かっている。 スッチーと言うほど若くもない。 たとえ法律で規制されようとも、私が長年慣れ親しんだ名称を変えて「客室乗務員」と呼ぶことはできないのだ。

 1999年の合歓バンド・クリニックに客員指揮者のE氏は出かけていった。 我々は気力、体力、そして一番大きな問題であるが無いので、あきらめざるを得なかった。 でも、またいつか行きたいと思っている。 何たって食事が朝・昼・晩ともに超豪華なんだから・・・