ここは暴露の駅舎、別館その参である。
2000年(平成12年)4月29日(みどりの日)に行われた 市民バンドフェスティバル in SAPPORO に参加した4人+見学者4人の部員たちの道中を暴露しようと思う。
部員? この先を読んでいけば意味が分かるよ。
我々はちょうどいい時間に出発したようだ。 トラックも乗用車も少なく、あっさりと札幌に着いてしまったのである。 練習開始にはまだ時間があるので、我々はヨドバシカメラに寄ることにした。 しっかし都会のお店ですなぁー。 品数も種類もたーくさんありますし、値段も安い! いいねぇ、都会の人は・・・
注文して程なく、中華丼が来た。 ただし4つである。 E氏は別のものを注文していたため、「それは違うよ」と言った。 そして「冷えたら旨くないから先に食べていい」とも言ったので、我々はゆっくりと食事をしていた。 そして店が混んできた。 後から来た他のテーブルには品物を置いていくが、こちらのテーブルには来ない。 そうこうしているうちに二人は食べ終わり、従業員が片づけに来た。 そのときE氏は「まだこないの?」と聞いた。 ウェイトレスは「少々お待ち下さい」と言って注文票を確認したようだが、他の女の子と首をひねりながら訳が分かっていない様子をしていた。
ついに私も食べ終え、一服をしたが、それでもハンバーグ定食はやってこない。 しびれを切らしたE氏は「もういい! 別のところで食べてくる」と言ったので、我々はその店を出ることにした。
我々はレジに行って精算しようとしたが「紙はありませんか?」と聞かれたので、一人分来てないからテーブルには乗ってなかったよと言った。 係の者が確認し、「申し訳ありませんでした」と謝っていたが、その後ろの席と中央の席でもウェイトレスが「申し訳ありません」と謝っていた。 まぁ、よく謝るお店だこと。
どうやら中華丼を4つ持ってきた時点で間違いに気づいたようだ。
しかし何も言ってこないので、我々としては後の1個は別テーブル行きで、じきにハンバーグが来るのだろうと思うしかないではないか。
注文取りが間違って書き取っていたのなら聞き直すべきであるし、別の女性に確認したときにも「お待ち下さい」だけで済まさず、しっかりと確認すべきである。
どうも二重、三重に対応の悪さが出ていたようだ。
まぁ、安いことは安いんだけどもねぇ・・・
演奏会終了後、我々はホテルにチェックインし、歩いて「羊々亭」に向かっていった。ちなみにこのホテル、名前をロンシャンという。
フランス風の洒落た名前なのだが、我々は・・・ いや、後で書くことにしよう。
彼はお開きになる頃、戻ってきた。 しかし、しかしだよ。 お開きになって帰るとき、店の入り口でまた別の女性と楽しく語らっていたのである。 私たちはあきれ返ってしまい、さっさとエレベーターのドアを閉め、下に降りていった。 ここに証拠写真を載せる。 彼は渉外部という立場を悪用した罪人である。 世が世ならば市中引き回しの上打ち首になったはずである。 しかし今の法律ではさらし首にすることはできない。 よって、彼の悪行をさらすため、証拠写真を載せることとした。
後日談:この証拠写真を見た幸ちゃん曰く 補 記:なぜ私はこんなにも福ちゃんをいぢめるのかと思われるかもしれない。 ぢつは幸ちゃんを守る会というのがKSB内部にあり、団長を含め、多くの会員が存在しているのである。 その大事な幸ちゃんを泣かすようなやつは許しておけないのである。 私は正式な会員ではない。 しかし、気持ちは会員とまったく同じである。 いや、隠れ会員といってもいいだろう。 ということで、断固として彼を糾弾するものである。 |
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団長は勝手知った足取りでスタスタと通りを歩いていく。 前述の福ちゃんは、たくさんの女性と話が出来てうれしかったのだろう。 暴露部屋本館に登場している渡氏と女の話をしながら、千鳥足でふらふらと後をついてきていた。 さらに福ちゃんは、ティッシュを配っているオネーチャンと話をしたり、あぶないお店のオネーチャンと話をしたり、電話ボックスに張ってある紙を数枚取ってオネーチャンの写真を眺めたりしていた。 (この紙は当然、ポケットの中に入ることになる)
さて、団長は例によってスタスタと通りを歩いていたのだが、そのうちホテルが見えてきた。
何とそれは我々が泊まるロンシャンなのである。
団長は右に90度曲がって、また歩き始めた。
そして彼は南に数丁歩いていることを確認すると、さらに右に90度回ってから、再びスタスタと歩いていったのである。
そして店に着いた。
実は1次会の会場から2次会の会場へは南に数丁行ったところなのだが、団長は東に行き、次に南、そして最後は西に向かって歩き、ようやく2次会の会場へたどり着いたのであった。
つまり、コの字型に回り道をした訳ね。
そして団長曰く
さて、この悲劇、一度では終わらない。 何とこの店、閉まっていたのである。 「土曜の夜に閉める店なんてどこにある!」と怒ってみても、実際閉まっていたんだなぁ、これが。 ということで、別の店に向かうことにした。 今度は間違えず、すんなり行ったよ。 しかも開いていたよ。 でもね、人がいっぱいで入れなかったの。 そして長時間歩かされて尿意を我慢できなかった3人が、隣の空き地で立ちションをしていたよ。
でもさすがは団長。 まだ別の日本酒のうまい店を知っていた。 そして我々はようやくうまい日本酒を飲むことが出来たのである。 歩き疲れたから、さらにおいしい日本酒を頂けたんでしょうな、きっと。 私はコーラだったから、よう知らんけども。
あっさりと閉店の時間になってしまった。 飲兵衛 道中記の主人公が複数いるんだもん。 これじゃ終わらんよ。 でも、さすがに別の店に行く気力、というよりも歩き続けて体力がなくなったので、ホテルに帰って飲むことにしたんだ。 我々はコンビニに行ったが、そこに酒はなかった。 例によって福ちゃんが、ティッシュを配っている(先とは別の)オネーチャンと話をしながら、酒を売ってる店を聞いていた。 そしてローソンで酒を買い込み、ホテルで3次会へと突入した。
この後かい? いつも通り私は早めに切り上げて隣の部屋で寝ていたから詳細は知らないけど、翌朝、隣の部屋を覗くと渡氏が寝ていたよ。
本館で説明したとおり、渡氏は札幌に引っ越しちゃったんだ。
当然のごとく終電に間に合わない時間まで飲んでいたから、そのまま泊まってしまったんだと。
7名分の宿泊費しか払っていないのに・・・
あ、これ内緒よ、内緒。
なるほど、確かにいい天気だ。 芝を渡るそよ風も心地良い。 風邪が確実に癒される気がした。 私は皆に感謝し、その言葉を伝えようとしたが、皆は新聞を読んでいた。 私が新聞を読んだのはホテルのロビーで、しかも野球の結果を確認しただけである。 私はすっかり恥じ入り、一人の新聞を覗き込んでみた。 おや、赤ペンで何か書き込んでいるぞ。 新聞の中身を見ると連続した数字の下に外国人のようなカタカナの名前が書いてある。 さらにその下には◎とか、○とか、▲といった記号がたくさん書いてある。 そして全員を見ると左手にはマークシートを、右手には鉛筆を持って・・・・・・
そう、一行の大半は競馬部の部員だったのである。 もちろんKSBに渉外部はあっても競馬部というのはない。 ましてや麻雀部というのもないのだが、この二つの部は歴然と存在する。 しかも殆どの部員は二つの部を掛け持っているのだ。
私は最初のレースをパスした。 皆のかけ方、この場の雰囲気を掴みたかったからだ。 そして2レース目に勝負に出た。 私の買った馬券は8-12である。 そしてほとんど首の差で8-12が入り、私は驚喜した。 私は「やったー、ビギナーズ・ラックだ」と叫んだのだが、ゴール地点の再生画像を見ると、それは8-2であった。 やはり競馬は甘くない。
私は隣にいたKSB歴の一番長い長老を師匠とし、次のレースからは師匠の赤ペンでマークした馬のみを選ぶようにした。
結果は・・・
結果は7戦5勝である。
しかも最後の天皇賞は買ったワイド馬券の1着から3着までが全て当たるという、完全制覇を果たしたのである。
ただし、配当は130円と150円であった。
ところでロンシャンという我々が宿泊したホテル。
この名前は確かフランスの地名だと思うのだが、競馬の師匠と福ちゃんは、すぐ気づいた。
世界でも有名な競馬のレース「凱旋門賞」が行われるフランスの競馬場、ロンシャン競馬場と同じ名前だということを。
写真の説明:一行は8名であるが、写真に渡氏の姿がない。
が、別に帰ったわけではない。
馬券を買いに行っていただけである。
しかし、いつもながら間の悪いヤツである。
団長の電話相手は、なんと市民バンドフェスティバルの主管団体である札幌吹奏楽団の指揮者、菅原氏である。
菅原氏は遠くから来た我々をねぎらい、わざわざ電話をかけてくれたのだが、「で、今はどちらですか?」との問いに団長が答えを窮している場面である。
車座となった中央に缶ビールが見えると思うけど、あたりまえのごとく、飲んでましたよ。
そして当然、帰りの車中でも競馬と福ちゃんの話を肴に酒を飲んでいた。
運転手で飲めなかったO君、ご苦労様でした。
追 記:私は勝率トップとなり、配当金で子供におみやげを買うことが出来た。
(ただし、金額では団長が一番儲けたらしい・・・)
全ては師匠のおかげであり、とても感謝している。
私も競馬部に入ろうかな・・・
ところで天皇賞の前のレースでクラネットパンチという馬が出走していた。
実は福ちゃんの嫁さんはクラリネット吹きである。
周りの人はこの馬に投票したのだが、福ちゃんは買わなかった。
だって、家に帰ってから幸ちゃんのクラリネット・パンチを受けるのが怖かったんだもん。