馬喰町駅

市民バンドフェスティバル 道中記

またの名を 部活 道中記 という


 ここは暴露の駅舎、別館その参である。
2000年(平成12年)4月29日(みどりの日)に行われた 市民バンドフェスティバル in SAPPORO に参加した4人+見学者4人の部員たちの道中を暴露しようと思う。 部員? この先を読んでいけば意味が分かるよ。

4月29日(土曜日):前半
 一行8名はレンタカーのワゴン車で札幌に向かうべく、朝6時に出発した。 しかし前の日から降り続いた季節はずれの雪のせいで30cm近くの積雪がある。 これでは峠が危ないと誰もが思ったが、峠に近づくにつれて雪が減っていき、峠付近では路面が濡れている程度であった。 無論、冬からの残雪が道路脇には残っていたが。
 しかし不思議ですねぇ。 道央で大雪になっても大雪山に阻まれ、道東では大した雪にはならないというのが普通なんだけど、釧路方面も含めて道東だけ大雪になるなんて、滅多にないことだ。

 我々はちょうどいい時間に出発したようだ。 トラックも乗用車も少なく、あっさりと札幌に着いてしまったのである。 練習開始にはまだ時間があるので、我々はヨドバシカメラに寄ることにした。 しっかし都会のお店ですなぁー。 品数も種類もたーくさんありますし、値段も安い! いいねぇ、都会の人は・・・

第一の悲劇(または犠牲者)
 我々は札幌市民会館に着いた。 出演者の4名は練習に行ったので、残り4名は会館内の食堂で昼食を取ることにした。 食堂はまだ混んではいない。 私を含めた3名は中華丼の定食を、客員指揮者のE氏はハンバーグ定食を注文した。 この一人だけ違うメニューを頼んだことから悲劇は発生した。

 注文して程なく、中華丼が来た。 ただし4つである。 E氏は別のものを注文していたため、「それは違うよ」と言った。 そして「冷えたら旨くないから先に食べていい」とも言ったので、我々はゆっくりと食事をしていた。 そして店が混んできた。 後から来た他のテーブルには品物を置いていくが、こちらのテーブルには来ない。 そうこうしているうちに二人は食べ終わり、従業員が片づけに来た。 そのときE氏は「まだこないの?」と聞いた。 ウェイトレスは「少々お待ち下さい」と言って注文票を確認したようだが、他の女の子と首をひねりながら訳が分かっていない様子をしていた。

 ついに私も食べ終え、一服をしたが、それでもハンバーグ定食はやってこない。 しびれを切らしたE氏は「もういい! 別のところで食べてくる」と言ったので、我々はその店を出ることにした。

 我々はレジに行って精算しようとしたが「紙はありませんか?」と聞かれたので、一人分来てないからテーブルには乗ってなかったよと言った。 係の者が確認し、「申し訳ありませんでした」と謝っていたが、その後ろの席と中央の席でもウェイトレスが「申し訳ありません」と謝っていた。 まぁ、よく謝るお店だこと。

 どうやら中華丼を4つ持ってきた時点で間違いに気づいたようだ。 しかし何も言ってこないので、我々としては後の1個は別テーブル行きで、じきにハンバーグが来るのだろうと思うしかないではないか。 注文取りが間違って書き取っていたのなら聞き直すべきであるし、別の女性に確認したときにも「お待ち下さい」だけで済まさず、しっかりと確認すべきである。 どうも二重、三重に対応の悪さが出ていたようだ。
まぁ、安いことは安いんだけどもねぇ・・・


4月29日(土曜日):後半
 例によって暴露部屋だから、フェスティバルそのものの内容には触れないでおく。 夜の部へと話を進めよう。 打ち上げが行われた「羊々亭」での出来事である。

 演奏会終了後、我々はホテルにチェックインし、歩いて「羊々亭」に向かっていった。ちなみにこのホテル、名前をロンシャンという。 フランス風の洒落た名前なのだが、我々は・・・
いや、後で書くことにしよう。

渉外部の活動
 この部分は暴露部屋本館風に書くこととしよう。 ここでの主人公は今年の早春に結婚した渉外部の男である。 彼は結婚して幸福なので、仮の名前をちゃんとしておこう。 ついでに嫁さんの名前をちゃんとしておくかな。 実はこのちゃん、KSBの渉外部という立場を悪用し、各団体の女性と楽しく語らっていたのである。 もちろん最初は我々と一緒のテーブルにいたのであるが、直ぐにどこかへと消えてしまったのだ。 後ろを振り向けば釧路の女性と一緒に楽しく語らっていた。 次に後ろを振り向くと、もうそこにはいない。 どこに行ったかと辺りを見回せば、私の左側のテーブルで別の女性と、やはり楽しく語らっていた。 次にそこを見れば・・・・ と、まったくきりがないのである。

 彼はお開きになる頃、戻ってきた。 しかし、しかしだよ。 お開きになって帰るとき、店の入り口でまた別の女性と楽しく語らっていたのである。 私たちはあきれ返ってしまい、さっさとエレベーターのドアを閉め、下に降りていった。 ここに証拠写真を載せる。 彼は渉外部という立場を悪用した罪人である。 世が世ならば市中引き回しの上打ち首になったはずである。 しかし今の法律ではさらし首にすることはできない。 よって、彼の悪行をさらすため、証拠写真を載せることとした。

後日談:この証拠写真を見たちゃん曰く

「ふーん、とっても楽しそうじゃない?」

補 記:なぜ私はこんなにもちゃんをいぢめるのかと思われるかもしれない。 ぢつは幸ちゃんを守る会というのがKSB内部にあり、団長を含め、多くの会員が存在しているのである。 その大事なちゃんを泣かすようなやつは許しておけないのである。 私は正式な会員ではない。 しかし、気持ちは会員とまったく同じである。 いや、隠れ会員といってもいいだろう。 ということで、断固として彼を糾弾するものである。

福ちゃん1
福ちゃん2
福ちゃん3


4月29日(土曜日):後半その2 (2次会)
 一行8名は当然のごとく2次会へ行く。 団長の提案により、日本酒のうまい店へ行くことになったのだ。

第二の悲劇(または強行遠足)
 ウチの団長は出張が多い。 月に1回以上は札幌へ出張している。 当然の事ながら用件終了後、酒を飲む。 従って安くておいしい店をいっぱい知っているのだ。 我々は団長の後をついて2次会へと足を運んでいった。

 団長は勝手知った足取りでスタスタと通りを歩いていく。 前述のちゃんは、たくさんの女性と話が出来てうれしかったのだろう。 暴露部屋本館に登場している氏と女の話をしながら、千鳥足でふらふらと後をついてきていた。 さらにちゃんは、ティッシュを配っているオネーチャンと話をしたり、あぶないお店のオネーチャンと話をしたり、電話ボックスに張ってある紙を数枚取ってオネーチャンの写真を眺めたりしていた。 (この紙は当然、ポケットの中に入ることになる)

 さて、団長は例によってスタスタと通りを歩いていたのだが、そのうちホテルが見えてきた。 何とそれは我々が泊まるロンシャンなのである。 団長は右に90度曲がって、また歩き始めた。 そして彼は南に数丁歩いていることを確認すると、さらに右に90度回ってから、再びスタスタと歩いていったのである。
 そして店に着いた。 実は1次会の会場から2次会の会場へは南に数丁行ったところなのだが、団長は東に行き、次に南、そして最後は西に向かって歩き、ようやく2次会の会場へたどり着いたのであった。 つまり、の字型に回り道をした訳ね。 そして団長曰く

「福ちゃんの酔いを醒ませてやったんだ」

 さて、この悲劇、一度では終わらない。 何とこの店、閉まっていたのである。 「土曜の夜に閉める店なんてどこにある!」と怒ってみても、実際閉まっていたんだなぁ、これが。 ということで、別の店に向かうことにした。 今度は間違えず、すんなり行ったよ。 しかも開いていたよ。 でもね、人がいっぱいで入れなかったの。 そして長時間歩かされて尿意を我慢できなかった3人が、隣の空き地で立ちションをしていたよ。

 でもさすがは団長。 まだ別の日本酒のうまい店を知っていた。 そして我々はようやくうまい日本酒を飲むことが出来たのである。 歩き疲れたから、さらにおいしい日本酒を頂けたんでしょうな、きっと。 私はコーラだったから、よう知らんけども。

 あっさりと閉店の時間になってしまった。 飲兵衛 道中記の主人公が複数いるんだもん。 これじゃ終わらんよ。 でも、さすがに別の店に行く気力、というよりも歩き続けて体力がなくなったので、ホテルに帰って飲むことにしたんだ。 我々はコンビニに行ったが、そこに酒はなかった。 例によってちゃんが、ティッシュを配っている(先とは別の)オネーチャンと話をしながら、酒を売ってる店を聞いていた。 そしてローソンで酒を買い込み、ホテルで3次会へと突入した。

 この後かい? いつも通り私は早めに切り上げて隣の部屋で寝ていたから詳細は知らないけど、翌朝、隣の部屋を覗くと氏が寝ていたよ。 本館で説明したとおり、氏は札幌に引っ越しちゃったんだ。 当然のごとく終電に間に合わない時間まで飲んでいたから、そのまま泊まってしまったんだと。 7名分の宿泊費しか払っていないのに・・・
あ、これ内緒よ、内緒


4月30日(日曜日)
 空は雲一つない快晴。 そして風もない穏やかな朝だ。 私は連休前に引いた風邪が治っていなかった。 そんな私を心配して、旅の一行は私を芝生のあるところへ連れて行ってくれた。

 なるほど、確かにいい天気だ。 芝を渡るそよ風も心地良い。 風邪が確実に癒される気がした。 私は皆に感謝し、その言葉を伝えようとしたが、皆は新聞を読んでいた。 私が新聞を読んだのはホテルのロビーで、しかも野球の結果を確認しただけである。 私はすっかり恥じ入り、一人の新聞を覗き込んでみた。 おや、赤ペンで何か書き込んでいるぞ。 新聞の中身を見ると連続した数字の下に外国人のようなカタカナの名前が書いてある。 さらにその下にはとか、とか、といった記号がたくさん書いてある。 そして全員を見ると左手にはマークシートを、右手には鉛筆を持って・・・・・・

競馬部員  そう、一行の大半は競馬部の部員だったのである。 もちろんKSBに渉外部はあっても競馬部というのはない。 ましてや麻雀部というのもないのだが、この二つの部は歴然と存在する。 しかも殆どの部員は二つの部を掛け持っているのだ。

 私は最初のレースをパスした。 皆のかけ方、この場の雰囲気を掴みたかったからだ。 そして2レース目に勝負に出た。 私の買った馬券は8-12である。 そしてほとんど首の差で8-12が入り、私は驚喜した。 私は「やったー、ビギナーズ・ラックだ」と叫んだのだが、ゴール地点の再生画像を見ると、それは8-2であった。 やはり競馬は甘くない。

 私は隣にいたKSB歴の一番長い長老を師匠とし、次のレースからは師匠の赤ペンでマークした馬のみを選ぶようにした。 結果は・・・
 結果は7戦5勝である。 しかも最後の天皇賞は買ったワイド馬券の1着から3着までが全て当たるという、完全制覇を果たしたのである。 ただし、配当は130円と150円であった。

 ところでロンシャンという我々が宿泊したホテル。 この名前は確かフランスの地名だと思うのだが、競馬の師匠ちゃんは、すぐ気づいた。
世界でも有名な競馬のレース「凱旋門賞」が行われるフランスの競馬場、ロンシャン競馬場と同じ名前だということを。

写真の説明:一行は8名であるが、写真に氏の姿がない。 が、別に帰ったわけではない。 馬券を買いに行っていただけである。 しかし、いつもながら間の悪いヤツである。
団長の電話相手は、なんと市民バンドフェスティバルの主管団体である札幌吹奏楽団の指揮者、菅原氏である。 菅原氏は遠くから来た我々をねぎらい、わざわざ電話をかけてくれたのだが、「で、今はどちらですか?」との問いに団長が答えを窮している場面である。
車座となった中央に缶ビールが見えると思うけど、あたりまえのごとく、飲んでましたよ。 そして当然、帰りの車中でも競馬ちゃんの話を肴に酒を飲んでいた。 運転手で飲めなかった君、ご苦労様でした。

追 記:私は勝率トップとなり、配当金で子供におみやげを買うことが出来た。 (ただし、金額では団長が一番儲けたらしい・・・)
全ては師匠のおかげであり、とても感謝している。 私も競馬部に入ろうかな・・・
 ところで天皇賞の前のレースでクラネットパンチという馬が出走していた。 実はちゃんの嫁さんはクラリネット吹きである。 周りの人はこの馬に投票したのだが、ちゃんは買わなかった。 だって、家に帰ってからちゃんのクラリネット・パンチを受けるのが怖かったんだもん。


あとがき
 うーむ・・・ だんだんシャレにならなくなってきた。 誰か私の暴走を止めておくれ。 このままでは私がKSBの恥そのものになってしまう・・・