馬喰町駅

全国大会 道中記

またの名を 旅の恥はかき捨て という


 ここは暴露の駅舎、別館そのである。
1989年(平成元年)に行われた、全日本吹奏楽コンクール全国大会 に初参加したKSBの 恥人(はぢびと) たちの道中を暴露しようと思う。

 この年の課題曲は 「風と炎の踊り」(小長谷 宗一)、自由曲は 楽劇「トリスタンとイゾルデ」より 愛の死 (R.ワーグナー)、そして指揮は客員指揮者の 江頭 義人 氏だった。
 全国大会の会場は石川県の金沢市観光会館で、その結果は銅賞であった。 N響のチューバ奏者である 多戸幾三氏から、江頭さんの指揮が「素晴らしい」と誉められたこととか、その多戸氏が指揮をした「シンフォニエッタ」がすごかったとか言う話は、この部屋の趣旨と異なるので割愛する。
 まあ、田舎者たちの珍道中を笑って下され。


10月18日(水曜日)  序章 (先輩に敬意を表して)
 地元で最後の練習を終え、我々は楽器をトラックに積み込んだ。 運転するのは運送業者の人ではなく、KSBのOBである。 この人は私の高校の先輩であり、KSBの先輩であり、中学・高校の吹奏楽部OB会の会長であり、北見でピアノの演奏会やピアノ協奏曲を演奏するときには必ず調律を行うという、一級のピアノ調律師なのである。

 トラックには楽器を積んでいるから速く走ることはできない。 連絡航路のある港までおよそ10時間。 そこからフェリーに乗り、東北自動車道を走り、・・・・・
 この先輩、助手も乗せず、たった一人で金沢に向かって旅立っていった。 この日から実に一週間にもわたる長旅をすることになるのである。


10月21日(土曜日)
 我々は朝9時に「網走バス」で女満別(めまんべつ)空港に向かった。 実はこのバスにはKSBのOB(OGだな)がガイドとして乗っていたのだった。 女満別空港から飛行機に乗って行くわけだが、この時代はまだJASしか飛んでいなかった。 いや、それでもプロペラ機ではなく、ジェット機にはなっていたけどもね。

 我々が乗るのはJAS 22便である。 ツアー・コンダクターのお兄さんの後をぞろぞろと並んで飛行機に乗り込んでいった。
    A:「飛行機に乗るとき、靴を脱ぐってぇのは知ってるよな」
    B:「あ、やっぱりそうなんですか、分かりました」
さすがに田舎者の仲間と思われるのはいやだったんだろう。 飛行機まであと5mというところでスチュワーデスと目が合い、「冗談だよ」とBに耳打ちしていた。

 飛行機が滑走路に進み、加速した。
    C:「うわぁ、すごい。F1みたいだぁ」
    D:「すごい、すごい、シートにくっつくぅー」
ここまでは許そう。
    C:「キャー、浮かんだ。飛んだ、飛んだぁー」  ・・・ちょっと、あのねぇ・・・
    ここで数人から拍手と歓声が沸き起こる  ・・・俺、恥ずかしいから下を向いていようっと。
    「お客様、当機はまだ水平飛行に移っておりません。
     シートベルトを外して立ち上がらないようにお願いいたします」
E君、列車の旅じゃないんだから、狭い通路を何度も何度も歩き回らないでくれないかな。 たとえ飛行機が水平飛行に移ってもさ。
Cさん、自分の前に座っている人を振り向かせて写真を撮ったり、座席の上で両膝ついて後ろの人の写真を撮ったりするのは止めてもらえんかな。 しかもフラッシュの他に大声で名前を呼んだり、でかい笑い声をつけてさ。

 ま、他の乗客の迷惑を顧みずも、とりあえず千歳空港でANA 382便に乗り換えて小松空港に着きました。 北陸鉄道のバス、二台に分乗したんだけども、我々の乗ったバスは男のガイドさん。 もう一台の方は女性のガイド。 皆はもう一台の方に乗っている連中をうらやんでいるけども、男のガイドは金沢名物。 男が本物なの。 嘘じゃないよ。 その昔、出張で金沢に行ったとき、市内観光をしたときの男のガイドさんが言っていたもん。

 この日の夕食は昼食だった。 わっかるかなー、わっからねぇんだろうなぁー。 シャバダー・イェーィ!・・・ 松鶴家千とせ の真似だけども、って今の人は誰も知らんか。
旅行社には、金がないから1000円の夕食を頼んだのだが、1000円の夕食はないと、ツアー客用の昼食メニューを出されてしまったのだ。 これはきわめてわびしい昼食の夕食だった。 全員、近くの店でおにぎりやパンなどを買い込んだのは言うまでもない。

 文化センターの第一練習室で金沢における初の音出し。 なんとこの部屋、3面が鏡張り。 まったく、○○ホテルじゃないんだからさぁ。 がまの油よろしく、冷や汗がたらたら出てくるではないですか。 音までバンバン反響してくるし・・・
 それにしても金沢、関西圏なのねぇ。 住宅は瓦屋根で、しかも煙突がない。 我々、北海道人にとって住宅に煙突が無いというのはとっても奇異に映る。 まあ、最近は暖房の形式が変わってきたから、北海道の住宅でも煙突のない家が増えてきているけれども。


10月22日(日曜日)
 今日乗るバスには女どころか男のガイドもいない。 しかもそのバスは市内バス。 座席が少なく、吊革だらけ。 あらま、やられましたよ。 話を聞くと、観光バスはすべて出払っていて、古い市内バスしか残っていなかったんだと。

 時間にルーズなKSBの団員たち(これは今も変わっていない)。 ぽつら、ぽつらとバスに乗る。 イライラして待つは運転手。 そのとき、我々の乗ったバスの目の前で、自転車に乗った人が左折してきた車と接触して転んだ。 すかさず一番前に座っていたダジャレ男の中学教師が叫んだ。
    「T先生、交通事故で人が倒れた。見てやって」
大歩危の駅舎、ある看護婦の手記にも登場したT先生が
    「こんな所まで来て患者なんか診たくないよー」
と言いながら、仕方なく、(本当に)仕方なくバスを降りていった。

 倒れた人は頭を打っているわけでもなく、かすり傷らしいものもほとんど見あたらず、結局、大丈夫だったようだ。 バスの運転手は「もう発車していいんですよね!」と、さんざん待たされて怒ったのか、えらい暴走運転で走りだした。 今日の午前中は、山の上にある「ふれあいの里」体育館での練習である。 いやいや、曲がりくねった山道をロール運転するもんだから、皆、車酔いさ。

 兼六園で昼食。 観光会館で全日本吹奏楽コンクール。 これは別にどうでもいいことだね、この駅舎にとって。 さて、ここから本題。 我々は「酔虎伝」という、水滸伝をもじった店で宴会をするのだが、店の前には「歓迎 北見公共吹奏学団 様」という張り紙があった。 KSBの名前までもじられてしまったのだ。
 店に入ると、女将(おかみ)が太鼓を叩いて迎えてくれた。 しかし、この太鼓の音が地獄を呼び起こすことになろうとは、我々も、当の女将も知る由もなかった。

 KSB史上最悪なる宴会の幕が切って落とされた。 まずは乾杯の嵐。 あちこち出かけていって、乾杯をする。 酔っぱらって力の加減が分からないから、グラスを重ねるときに割れてしまう。 取り皿を落として割ってしまう。 身振り、手振りが大きくなり、コップに手を引っかけて割ってしまう。 テーブルの上に乗っていたビール瓶を「邪魔だ」からと足下に置き、自分がトイレに行ったときに引っかけて割ってしまう。 まあまあ、割れるものは何でも、一人何回でも割ってしまう。

 どんどん酔っぱらって気分が悪くなってきているのに、おだって一気飲みをする。 当然のごとく吐く。 最初は行儀良く大便器で吐くのだが、その人数が増えてくると当然、大便器はふさがっている。 すると小便器で吐く。 小便器もふさがってくると洗面台で吐く。 そのうちトイレに行く間もなく、皿に吐くやつが出てくる。 そして最後には床だろうがどこだろうが吐きまくる。 店の人は当然怒る。 そして便所掃除をさせられるハメになる。 宴会が終わり、我々は外に出たのだが、見送る女将の顔は当然の事ながら仏頂面だ。 そして数人はホースやブラシを持ちながら、まだ便所掃除をしていた。

 まさしく旅の恥は掻き捨てである。 ここまで狂った連中を見たのはこの時初めてであった。 私はこれまで、すさまじいほどの開放感に浸る彼らを見たことがなかった。 そして、それでも二次会へとなだれ込む根性には・・・・・・ (言葉がない)


10月23日(月曜日)
 さわやかな朝を迎えた。 私は、美味しく朝食を頂いた。 しかし、二日酔いで朝を食べない人が続出する。 朝食付(というか、朝食代を払っているのに)なのに、もったいない奴らである。 それだけではない。 バスが発車する時間になってもでてこない人物が数人いたのである。 ホテルでは全員シングル・ルームなのだが、一人寝が寂しいのか、便器と添い寝した人、便器に抱きついて寝た人、何と間違ったのか、便器に頭をつっこんで寝た人がいたようである。 便器には精気を吸い取る霊が居たのだろうか。 彼ら全て血の気のない、真っ青な顔をして最後にバスに乗り込んだのである。
    「もうだめ、飛行機の中でも絶対吐く」
と言いながら一番最後に乗り込んだ、KSBで有名な三兄弟の長男が発した言葉と、手に握りしめたビニール袋は今でも鮮明に覚えている。 でもビニール袋は必要ないよ。 どうせ吐いたって胃液も出やしないんだから・・・

 行きのはしゃぎようはどこへいったのか、帰りは静かにANA 381便で千歳空港へ。 乗り継ぎに多少時間があるので、空港内で自由時間となる。 ここでまた田舎者が顔を出すことになるのだ。

 搭乗手続きが始まった。 我々は飛行機に乗り、シートベルトを締めて静かに離陸を待っていた。 出発の時間になった。 が、飛行機はまだ移動しない。
    「皆様、離陸の時間ではありますが、もう少々お待ち下さいませ」
スチュワーデスがアナウンスしているが、この原因を我々は知っている。 野郎が数人、来ていないのだ。
 10分遅れて奴らが機内に入ってきた。 おみやげを買い込んだあと、まだ時間があるからとラーメンをすすっていたらしい。
    「ゲートをくぐったあと、ずいぶん距離があるんですね」
と、シートベルトを締めながら彼らは言った。 あったりめぇーだっちゅうの。 ローカル線なんだから搭乗口は端の方なんだよ。 彼らは、発車1分前に改札口をぬければ間に合う列車(しかも田舎のね)と、飛行機を同次元に考えていたらしい。 まったくもって田舎者である。


あとがき
 何でもかんでも初めての連続であった全国大会。 この教訓が生かされたからなのか、修学旅行で飛行機を使う高校が増えたからなのか定かではないが、二度目の全国大会では、残念ながらこのような劇的なドラマは生まれなかった。 したがって 全国大会道中記 のパート・II は、今のところ出す予定はない。