●「完全撤収」IN 代々木第一体育館5/13●
帰りが夜行バスっていうのは辛いのよ、ライヴの熱い思い出を喋れないから。
5/13(2)
本当に、彼らを好きになって良かった、と心から思った。
笑って終われる、それが野猿。本編が終わったとき、ホントに泣くことしか、呆然とすることしかできなかったあたしたちが、笑っていた。「あのオッサンら、最高だ!!」と言いながら、笑い続けていた。本当に嬉しかった、もう一度出てきてくれたことが。一頻り笑って、悲しみを吹き飛ばして、「ありがとー」と呟いた。会場から出るために階段を登りながらハニィと二人、
「愛してるー!」と解体作業中のスタッフ達の群がるステージに向かって言った。もうこれ以上ないくらいの気持ちで、ハニィと手をつないで外に出ると、そこには大きな円が出来ていて、たくさんの人たちが「野猿最高! 有り難う野猿!」と言いながら、「叫び」祭りヴァージョンを熱唱して踊っていた。みんなすごく嬉しそうに、いい顔をしていらっしゃった。輪は大きくなる一方で、「Y! A! E! N!」と熱唱しては腕で精一杯文字を作って踊っていた。
ナナは、ハニィとまるでいつものライヴ終わりのように「晃哉がー!」「神波がー!」と言いながら歩いていられた。
「家に帰るまでがコンサートですから」という晃哉の科白にすごくツボを押されたナナはかなりお気に入りの科白だった。何を思い出しても悲しくなったけど、もう二度と見られないんだと思ったけど、でも最後のWアンコールを思い出せばすごく楽しくなれた。
あまりに出口が混んでいたのと、先程の輪が何か騒ぎになっていたのでもしや何かあったか、と思って戻ったりしているうちに、何と大阪名古屋とお世話になりっぱなしのお姉様方にお会いできたのです!
実は、もうお会いできるのがこれが最後だと思って、開演前にお電話したら(しかもなかなか踏み切れないナナを見かねてハニィがしてくれた)スタンド席にもう入っていらっしゃったので会えなかったんですよね。そうしたらなんたる偶然か、巡り会えました。
「会えて良かった! ライヴ最高だったね!」と言っていただき、かなり感動。
開演前にお会いした方々もそうだけど、この方達も、野猿がなかったら絶対に会うことになかった方なのです。きっと、もうなかなか会えないでしょう。そう思うと何だかますます野猿に感謝。
代々木を出るときに偶然、後ろにいた方が「俺達の船出」を歌っていたのであわせて踊ってみたら何だか意気投合してしまい、数人でいろんな曲を
熱唱しながら歩道橋を渡っていました。みんな自分のファンの人のパート歌うからわかりやすいね、などと話しながら、さっきのライヴのテンションを思いっきりここで消費していました。
新宿の駅で御姉様方に「色々お世話になりました。本当に有り難うございました。会えて嬉しかったです」とご挨拶をして別れました。何だか、ますます野猿が終わったんだなあと感じました。

帰りも夜行バスなんですが、それまでにご飯を食べる気がナナもハニィも全く持って失せていた。いわゆる
胸がいっぱいでご飯いらないという状態(笑)。なのでコンビニで適当なジュースとかゼリーとかを買ってバスの中で食べることにしました。バス待ちをしていると何とそこには大阪でカラオケをしたときにお話しした方がいらっしゃいました。ハニィと二人でナンパしてみると、うちのサイトでチケットを譲ってもらって完全撤収に参加したとのことでした。ちょうどライヴの話をしたかったんで話しかけてくれて良かった、というふうに言っていただいて、熱くライヴトークをしていました。お互い、アンコールの興奮が冷めていなかったんですよね。
バスの中では蒟蒻ゼリーを貪り食いながら「あぁ本当に来られて良かったね、
最高のオッサン達だよ!」と言いながら切なさを紛らわせていました。色々ハニィとはひそひそと話をしていたけれど、まだまだ興奮していたけれど、まあ寝なくちゃいけないんで寝ましょう、おやすみ、と言ったあと。
ハニィが、ひっそりと泣いていた。
気付いてあたしは無理矢理彼女を抱きしめて、一緒に泣いた。
「泣くなよ・・・!」と言いながら、二人でこっそり泣いた。

5/14
大阪駅でバスを降りたあと、夜にお会いした方にグッズの写真を見せていただいてからお別れしました。何だかやっぱり野猿が終わったんだなあと別れたときに思いました。
それから以前と同じようにファーストフードで朝ご飯を食べました。するとハニィのお母様からメールがハニィの元に届き、今朝の
目覚ましテレビにライヴの様子が流れたということを知りました。
ふと見ると、隣の席の姉さん達も完全撤収帰りでした(荷物で解った)。
朝ご飯を食べてコーヒーを飲みながら、「ああ、やっぱりまだ好きだわ」と二人で噛みしめていました。「全然まだまだ終わらないわ、ますます好きだわ」と切なく愛がこの胸を焦がしていました(笑)。
またもや学校には行かないけれど、あたしはバイトがあったので余り話し込まないうちに帰ることにしました。
「楽しかったよ、有り難う! また明日ね!」とハニィと言いあって、ああ本当に良かったと思った。
私たちは、また明日も会える。
「君がいなかったら、きっとこんなに野猿を追いかけられなかったよ。こんなに楽しい思いは出来なかったよ」
「うん、私らは、また会えるんだから」。
何だかすごくお互いに有り難うと言い合って別れた。

切ないのでオチを付けると(笑)、その後帰り道で花屋さんによって、遅くなったけど母の日の花束を買って帰りました。勿論、渡すときの科白は「母さん母の日、おめでと」(落ちてない)。

何だか切ないことばかり書いているので申し訳ないですが、もう少しだけ。
このレポを書いている6/1現在、未だに野猿が大好きです。
そして余り悲しくなっていません。撤収しちゃったんだなあ、と余り実感していないのかもしれません。このレポを書いていると思うのですが、ライヴ中の彼らの様子を思い出すのは何も悲しくなくて、とても楽しいんですよ。だけど自分たちの心境は、思い出せば出すほど悲しい。不思議ですね。
ちょうどハワイロケの放映も終わったので、これからどんどん実感が湧いてくるのでしょう。露出がない、と実感させられて毎週ごとに悲しくなっていくのかもしれないです。
だけど、きっとまだまだ好きです。私の中ではまだ終わっていない。彼らはまだ、いる。

もう少しだけ個人的なことを。
なぜか、すごく辛いときにはいつも野猿(とハニィ)がそばにいました。
すごくバイトが辛かった時期があって、辞めたいといつも思っていたとき、「Chicken guys」が発売になってすごく元気づけられた。
長いつきあいだった彼氏と別れたとき、すぐに夏の集会があって、ものすごく元気になれた。
就職活動に滅入っていたとき、撤収ツアーが始まって気持ちが晴れた。
偶然だけど、何だか巡り合わせがあるような気がします。
有り難う、野猿。貴方達のおかげで、私も頑張れた。
(しかし、バイトを3つ掛け持ちして死にそうになっていたときにチキンを口ずさみながら稼いだお金はすべて撤収ツアーに消えたのよねぇ(笑)。本末転倒かもしれないけど、でも本当にお金貯めてて良かった・・・あの頃は本当にしんどかったけど、あれがあったからここまで撤収に力を注げたんだよね。働いてて良かったと、心から思います。この1ヶ月間、追いかけ倒して幸せでした。有り難う野猿、有り難うとんねるず。そして有り難う、ハニィ(君がいなければこんな素敵な思いは出来なかった)。)
5/13 浅草 真っ最中 号泣
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