パレスチナ=イスラエルの共生を希求する、道なきロード・ムーヴィー・ドキュメンタリーの傑作。
1月末に、京都の「ひと・まち交流館」という場所に映画『ルート181』を見にいく。『スペシャリスト:自覚なき殺戮者』のエイアル・シヴァンと『ガリレアの婚礼』のミシェル・クレイフィが共同で撮ったドキュメンタリーだ。最近は劇場に映画を見にいくことがめっきり減ってしまったが、この映画だけは見逃すわけにはいかない、と思って見にいったのは正解だった。クレイフィの映画はこれを含めて4本ほど見ているが、間違いなく今回のが最高傑作だ。
▽予想外の盛り上がり
京都駅からバスに乗って最寄りのバス停で降り、あらかじめネットで入手していた地図で見るとその近くにあるはずの会館を探すが、これがなかなか見つからない。しばらくうろうろしたあと、通りを一筋間違っていたことに気づき、ようやくたどり着く。開場まで30分ほどあったので余裕しゃくしゃくだった。どうせこんな映画だれも見に来ないだろう。そう思っていたので、受付のひとに「予約だけで満席状態です」といわれたときは一瞬焦った。電話予約ができることは知っていたが、面倒くさいのでしていなかった。しかし、よく聞くと、入場する順番は先着順とのこと。わたしの整理番号は19番とかなり若かったので、全然大丈夫だ。焦らすなよ、まったく。
iPod Shuffle で The Pop Group の『Y』(古いね)を聞きながらしばらく開場を待つ。 席数はたしか200席ほどだったと思うが、上映開始前にほとんど全席うまってしま った。なぜこんなにひとが集まったのかわからない。この会場ではふだんからイヴェ ントをやるときはひとを集められる体制ができているのか、それともパレスチナ問題 に関心を持つひとがそれだけ多かったということなのか。東京で監督をゲストに呼ん での上映会のときも、当日600人近い客が集まったと聞く。
『ルート181』の関西での上映は、ここ京都と大阪でそれぞれ一回ずつだけという 非常に限られたものだった。どうしてこんなにけちくさい上映の仕方をするかと思っ ていたのだが、見にいく前日になって、この作品が4時間半を超える大作だと初めて 知り、まあ仕方がないかと思った。内容から見ても長さから見ても、そう何度も上映 できる作品ではない。
上映前に、京都大学教員の岡真理女史による簡単な紹介。パレスチナ問題と直接・間接に関わりのある問題が次々と早口で語られる。ネタバレになるようなことは話すなといわれていたらしく、映画の中身についてはほとんど触れられなかった。こういう「問題作」の上映のときに呼ばれるゲストの話はだいたいいつもこういうものなので、とくにがっかりすることでもない。しかし、文化人のお話は映画をたちまち抽象化してしまう。
さて、映画が始まる。スクリーンは、会社のプレゼンのときに使うような上から引っ張っておろすタイプのもの。この作品の撮影はDVで行われたものらしく、この上映ではそれをフィルムに焼いたものが使われていたと思われる(プロフェクターを使っていた気配はなかった)。どういうかたちで上映が行われているのかについてもひと言説明がほしいところだ。当然、画質はあまりよくなく、これならDVDで見た方がきれいかもしれないというものだった(まあ、フィルムとヴィデオの質的違いにも気づかない観客が大部分だというのも事実である)。
▽ロードなきロード・ムーヴィー
「ルート181」というタイトルは、ロバート・クレイマーのロード・ムーヴィーふうドキュメンタリー『ルート1』(89)をただちに思い出させる。カナダからフロリダ州キー・ウェストまで、アメリカ東海岸を走る2千マイルのハイウェイを5ヶ月かけて旅をしながら、その風景のなかから「アメリカ」を浮かび上がらせてゆく4時間の大作である。このタイトルが『ルート1』を意識したものかどうかは知らないが、多くの共通点があることは確かだ。しかし、この2作には決定的な違いがある。
予定のない旅、未知の人々との出会い、流れてゆく風景。ロード・ムーヴィーと呼ばれる映画ジャンルの諸要素が『ルート181』にはすべてそろっている。ただし、ここには決定的なものが欠けている。「ロード」が欠けているのだ。なぜなら、「ルート181」という名の道路は実際には存在しないからだ。それはこの映画の作者たちが勝手に名付けた実在しない道なのである。
第二次大戦後、発足後間もない国連によって、ユダヤ人の国イスラエルの建国を認めるパレスチナ分割決議が採択された。「181」とはこの国連決議の番号である。これによって、恣意的な分割線によってパレスチナとイスラエルは分割されることになる。しかし、この直後に、この決議を不服としたアラブ諸国とユダヤ軍のあいだで戦争が勃発。その結果、多くのアラブ人が故郷を追われ、分割案ではアラブ側となっていた土地の多くもユダヤ側に併合されるかたちで、1948年、イスラエルの建国が宣言される。
国連で定められた分割案は結局守られることはなかった。エイアル・シヴァンとミシェル・クレイフィは、その幻の分割線を「ルート181」と名付け、その境界線に沿って南から北へと旅を続ける。その途上で出会ったイスラエルやパレスチナの人々をとらえた旅の記録がこの映画なのである。
イスラエルとパレスチナを分ける予定だったその分割線の大部分は、いまやイスラエルの占領地帯となっている。彼らの多くはモスリムに対する敵意、憎悪、不快感を隠そうとしない。空間の旅はイスラエルによる占領の歴史の断層を浮かび上がらせてもいく。同時に、そこには歴史の大いなる不在が横たわってもいる。いかにして自分たちがいまそこにいるのかという問いを、彼らは決して自らに問おうとしないのだ。
▽カフカを引用するイスラエル兵
どれだけ面白いインタビューを取れるかが、この手の映画の勝敗を決するといっても過言ではない。そして、この映画に登場する人たちはどれもみな例外なしに面白い。これはやらせではないかとときに思うほど、面白いのだ。そのなかから数場面だけを紹介する。
旅の途中でイスラエルの検問所(チェック・ポイント)を通過する場面が何度か出てくる。キャメラを向けるだけで、ここは撮影禁止だと声を荒げて近づいてくる銃を肩に提げたイスラエル兵の若者の姿は、イメージ通りといってもいいものだ。問いつめていくと、おれたちは上から命令を受けているだけだと、たちまち思考停止状態に陥る様子も、いかにも彼らはこういうものだろうと思っていたイメージとそう狂いはない。しかし、別の検問所でキャメラに向かって語るイエメン出身のイスラエル兵カップルは、すでにそんなイメージから大きくずれるものだ。ムスリムのイスラエル兵という存在自体がわれわれにはよくわからない。そのカップルは、見つかったらヤバいといいながら恥ずかしそうに舌につけたピアスをキャメラに見せて笑っていた。
それよりももっと驚いたのは、外出禁止令の出ているラマッラーの街の交差点で戦車に乗っていたイスラエル兵の若者だ。彼は唐突にキャメラに向かってカフカの「掟の門」の話をしはじめ、「結局、掟はないってことさ」というと、その後も次々と、自分が読んだ哲学者の名前を列挙しはじめる。全部は覚えていないが、その多くはカフカ同様ユダヤ人だったと思う。レヴィナスやマイモニデスまで読んでいるインテリが戦車に乗っているというのは、わたしには想定外のことだった。
面白いのは、おそらくエイアル・シヴァンだと思うのだが、撮影隊のひとりがその若者に向かって、「ハンナ・アーレントは読んでいるか?」と尋ねると、彼は、「アーレント? 知らない。聞いたことないな」とこともなげに答えたことだ。レヴィナスを 読んでいるインテリがハンナ・アーレントを知らないなんて、それこそ考えられない。『エルサレムのアイヒマン』を書いたアーレントは、イスラエルの書店や図書館から徹底的に排除されてでもいるのだろうか。
エイアル(?)はさらに、「『悪の凡庸さ』についてどう思うか」と意地悪い質問をつづける。アーレントを読んでいる人間にはこの質問の意味は明らかだ。このイスラエルのインテリ青年は要するにアイヒマンなのだ、という皮肉がそこには込められているのだが、青年には質問の意図がわからず、きょとんとキャメラを見つめるばかりだった。
▽『ショアー』のパロディ?
もう一つ、この映画をスキャンダラスな作品にしてしまった有名な場面を紹介しよう。それは「床屋のシーン」と呼ばれるシーンだ。旅の半ばあたり、中部地域にあるロッドという都市が舞台である。この町に、1948年当時パレスチナ人が閉じ込められていた地域があり、それが「ゲットー」と呼ばれていたという。その町の床屋で、1948年当時19歳だった老人が、ロッドのゲットーにあるモスクに集められていた300人のパレスチナ人がイスラエル人に虐殺された記憶を、客の髪を切りながら語るというシーンである。
たしかに、悲惨な出来事が語られてはいる場面である。イスラエル人にとっては、この出来事の内容だけで不愉快にさせられるかもしれない。しかし、それだけではないのだ。この場面には一つの仕掛けがある。それはこのシーンが、クロード・ランズマン監督がホローコーストにおける虐殺の論理を追求したドキュメンタリーの大作『ショアー』に出てくる床屋のシーンをあきらかに意識して作られているということだ。『ショアー』の有名なその場面では、かつて家族とともにトレブリンカの絶滅収容所に送り込まれたユダヤ人の床屋の男が、ガス室に送られる直前の女性たちの髪の毛を切らされた記憶を、ランズマンによっていやいや語らせられる。
『ルート181』の床屋のシーンは、この『ショアー』の場面のシチュエーションを逆転させて描いているのだ。かつてゲットーに閉じ込められ、虐殺されたユダヤ人が、今度はパレスチナ人をゲットーに閉じ込めて、虐殺する。その記憶をパレスチナ人の床屋が、『ショアー』のユダヤ人の床屋よろしく語るというわけだ。何よりもスキャンダラスだったのは、『ルート181』のこのシーンが、イスラエル人を加害者として描くだけでなく、それを一種のパロディとしてやっていることだった。
事実、これを見たランズマンは激怒したという。ランズマンのみならず、この映画のとくにこのシーンに反ユダヤ主義を感じとったひとは多く、フランスでは上映禁止を求める騒ぎにまでなってしまった。わたし自身は、このシーンに関しては、たしかに言いたいことは非常によくわかるのだが、すこしやり方が単純すぎるのではないかと思っている(クレイフィはもっと暗示的な描写を意図していたが、エイアルがこういうかたちを望んだとも聞く)。しかし、こういう「プロパガンダ的」な場面はこの作品においてはむしろ例外的なものであり、ランズマンのようにここだけを取り上げて作品を全否定するというのはあまりにも不当だ。このあたりにわたしは逆に『ショアー』の監督のうさんくささを感じてしまう。
『ルート181』のふたりの監督は、この映画を撮るにあたって、「作り手側のイデオロギー的な方向性に合致する人間・土地・出来事だけをフィルムに収めるようなことはしない」という姿勢で臨んだという。エイアル・シヴァンはイスラエル人であるとはいえ、反シオニズムを公然と主張している人物だし、パレスチナ人のクレイフィはむろんパレスチナに肩入れをしているだろう。だから、この言葉を素直にとることはできないと思うが、このふたりが反ユダヤ主義的な意図でこの作品を撮ったのではないことだけは確信できる。
フランスのポンピドゥー・センターで「現実の映画」と題した映画祭が行われたとき、この作品は最初2回上映される予定だったのだが、一回目の上映後に、アルノー・デプレシャン、ノエミ・ルヴォウスキー、フィリップ・ソレルスなどなどが共同署名した抗議の手紙が届けられ、センターはシーンをいくつか削除したかたちでフィルムを上映し、上映前には、作品が公正さを欠いていることを観客に警告する文書を配るという異例の措置に出ることを決定。この検閲といってもいい処置に、ゴダールらをはじめとする映画人や知識人が、検閲に反対する声明を発表した。なお、デプレシャンはその後、、作品は認めないが、検閲には強く反対するとの一文をメディアに寄せている。大変な騒ぎだったようだ。
フランスといえば、つい最近もイスラエルの青年が殺された事件をきっかけに全国で数十万ともいわれる規模のデモが起こり、連日メディアをにぎわせている。デンマークのムハンマドの風刺画問題といい、民族や宗教が絡むこういう問題は、島国にすむ意識の低い日本人にはなかなか理解できないものだ。しかし、『ルート181』はなによりもまず、民族や宗教の問題ではなく、力による土地の占領の物語として見るべきである。占領したのがたまたまイスラエル人であり、されたのがたまたまパレスチナ人だったということだ。宗教や民族のことについてあまり詳しくないひとは、そう思って見た方がわかりやすいし、それで見えてくることもあるだろう。
なかなか見る機会がない作品である。見逃せば次の機会は当分ないと思うので、近くで上映していたらぜひ見にいってほしい。(今のところ日本ではソフト化されていないが、フランスでDVDが出ている)。
ついでにエリア・スレイマンの『D.I』も見よう。
△上に戻る