Movie Review 1999
◇Movie Index

13F('99アメリカ)-Oct 31.1999
[STORY]
仮想現実の研究家フラー(アーミン・ミューラー・スタール)が何者かに惨殺された。助手を務めるダグラス(クレッグ・ビアーコ)は自分にかかった容疑を晴らすため、仮想現実の中へ飛び込んで行く。するとフラーが自分宛てに手紙を預けたことを知るが・・・。
監督ジョセフ・ラスナック(ドイツ人で米作品初監督)
−◇−◇−◇−
仮想現実といえば『ニルヴァーナ』『マトリックス』などの映画があるけど、私はこの手の話がすごく好きだ。現実と仮想現実の狭間で揺れ動く。そして次第に自分の存在さえも疑わざるを得なくなる恐怖・・・!という意味では『オープン・ユア・アイズ』にも通じるものがあるかも。(あとラストは『ダークシティ』か(笑))

こういう映画が好きなのはセットと映像が凝ってるってところもね。この作品では1930年代を荒くて黄色っぽい映像に、(おそらく)1999年はシャープで青っぽい映像で撮られているので、この2つを間違えることはない。同じ役者が2つの世界でそれぞれ登場するけど、これも間違えなかった。ストーリーも思ったより複雑でなく分かりやすかった。

でも、映画を見終わってストーリーを振り返ってみてあることに気がついた。
(はい、ここからネタバレしまーす)明言はされないけど、1つの法則に気付く。説明しにくいので記号化するけど、例えば1930年代をAとする。(おそらく)1999年をB、2024年をCとし、その階層の人物をA'、B'、C'とする。B'の人物がAの仮想現実に行くためにA'の意識に入りこむ。ここでA'(心はB')が死んでしまうと、Bの世界にはB'の身体に移ったA'の心が出てきてしまうのだ。ヴィンセント・ドノフリオ演じる助手のシーンがそれだった。そしてダグラスの時もそう。上をBとCに置き換えたことがラストで起きていた。この現象を明らかに彼女(えーと名前忘れちゃった)は知っていた。知っていたからこそ刑事に電話を掛けてダグラスの身体を持った夫を殺させたのだ。そして2024年で夫の身体にダグラスの意識が宿っている。実はそこまで計算済み・・・だったらコワイよなー。夫のイヤな面を全てなくした、いい面だけを持った人間を作り愛するなんて――。海見て微笑んでる場合じゃないっス(笑)
ちょこっとしか触れられてなかったけど、本物の犯罪を減らすために仮想現実を作ったというのも、果たしてそれが正しいことなのか?って思った。映画ではそれを肯定的に描いているようだが、どうせならそういう恐ろしさをもっと見せて欲しかったのに。あくまでも仮想現実を超えたラブストーリーっていうテーマなんだろうけどね。
(ここまで)

以上は私の勝手な解釈と仮定ですので念の為。どんな映画でも面白く見なきゃつまらないという精神に則り、自分なりに面白く解釈してみました。
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HEART('98イギリス)-Oct 24.1999
[STORY]
重い心臓病を患っていたゲイリー(クリストファー・エクルストン)は交通事故で脳死になった青年の心臓を移植され回復した。ゲイリーはその心臓の持ち主だった青年に興味を持ち、彼の母親マリア(サスキア・リーヴス)に会う。マリアもまた息子への愛をゲイリーに重ね合わせるようになるが・・・。
監督チャールズ・マクドガル(初監督作)
−◇−◇−◇−
脚本は『司祭』やTVドラマ『心理探偵フィッツ』のジミー・マクガヴァン。

嫌いなストーリーではない。アイデアやラストなんかも面白いと思う。息子の肝臓でも骨髄でもなく、心臓だからこそマリアはゲイリーに固執したんだろうし(これが角膜なんかだったらもしかしてまた違った話ができるかな?)でも見てて何だかヤな感じという印象は拭えなかった。結局誰の視点でもなく、突き放したような撮り方が今回はどうも・・・。冒頭、列車を空から撮影したシーンからしてそれを象徴していたかのよう。

ゲイリーと妻のテス、マリアの三角関係と、ゲイリー、テス、テスの愛人アレックスの三角関係を巧みに絡ませている。が、結局私は妻に固執するゲイリーにも、息子(の心臓)に固執するマリアにも、テスに固執するアレックスにも入り込めなかった。テスだけは誰かに固執してるわけじゃなかったけど、ゲイリーとアレックス、どちらかに決められずに関係だけは続けてしまうところは滅入ってしまった。このうちの誰かを理解したいわけじゃないし、理解できるはずもないんけど、この半端な視点のせいか表現したいことが私には伝わらなかった。

手術シーンは苦手。心臓が出るたびに「あれはニセモノなの。動いてるけどホンモノじゃないのよ」と自分に言い聞かせながら見てたんだけど、まるで自分の心臓を掴まれてるような感覚がして息苦しくなり、何度も目を瞑ってしまった。今思えば、あんなものを(と言っちゃいけませんが)紙袋に入れて持ち歩けるマリアの息子に対する愛情がどれほど深かったのか、というところに繋がらなくはないけれど、どうせなら(問題発言かもなので伏せ字(笑))ゲイリーから心臓をえぐり出し、いとおしそうに触りまくってるシーンでも入れてくれたほうが、より良かったのではないかと思える。←目を瞑ってた人の言葉とは思えないな(笑)埋めておいた猫を掘り出して車に放り込んでおくシーンだって、息子を死に至らしめたニコラの部屋に入った後のシーンだって、私は見たかった。残虐シーンが見たかったわけじゃなくて、マリアが一体どんな表情でそういう行為をしているのかが見たかった。常に憮然とした表情だったマリアの、息子への異常とも思える愛情を、その瞬間の表情を見せて欲しかったのだ。(ここまで)あえてそういうシーンを映さないという演出なのはじゅうぶん分かるけど、作品のテーマ、表現したいこと、伝えたいことが届かなかった。

手術シーンやエンディングで使われるラブソングが、そうでない歌に聞こえてくるという使い方は面白かった。「あなたのハートが欲しい♪」なんていう歌詞の「HEART」は、「気持ち」でなく「心臓そのもの」なんだろう、と想像してイヤ〜な気持ちになります。
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マーサ・ミーツ・ボーイズ('98イギリス)-Oct 24.1999オススメ★
[STORY]
ある朝、ローレンス(ジョセフ・ファインズ)は同じアパートに住む精神科医ヘンダースンのところに恋と友情の相談をしに行く――。
その3日前、ローレンスの親友ダニエルは空港でマーサ(モニカ・ポッター)というアメリカ人女性に一目惚れし、何とかデートの約束を取り付けるものの、翌日彼女にフラれて落ち込む。もう1人の親友フランクも、やはり偶然出会ったマーサに恋をするが逃げられる。実はマーサはすでに理想の男性と巡り合っていた・・・。
監督ニック・ハム(初監督作)
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チラシの裏を見て「ちょっと面白そうだな。でもあんまり期待できないかな?」と軽い気持ちで見に行ったんだけど、これが予想外に面白かった。もっと単純なラブストーリーかと思ったら、回想形式になっていて、それが時間通りになっていないためにまるでパズルを嵌め込むような展開になっている。ある意味ちょっとしたミステリかも(笑)

例えば「マーサが夕食を共にしたのは誰か?」「何故マーサは公園にいたのか?」「ローレンスは何を悩んでいるのか?」などと最初はいっぱいクエスチョンマークが出てくる。それが別の回想シーンによって解き明かされ「ああ、そうだったのか!」とエクスクラメーションマークがいっぱいになる。同じシーンをもう1度繰り返されても全然うざったくなくて「ああ、これはこういうことだったのか」と別の見方もできるし納得できて面白い。でもそんなにうんと凝ってるわけじゃなくてあくまでもシンプルな作りなのだ。シンプル過ぎたのか、クライマックスがそれほど盛り上がらないのがちょっと残念だけど、それでも十分楽しめた。

キャラクターとしては、出てくる男3人がはっきり言って3人ともチンケだ(失礼)金持ちの音楽プロデューサー・ダニエルは背が低くてサル顔。フランクはあの『ダークシティ』のルーファス・シーウェルなんだけど、あの映画でも書いた通り、彼の顔は歪んでます(笑)そしてローレンス役のジョセフは今までコスプレな役(『恋に落ちたシェクスピア』『エリザベス』)しか見たことなかったけど、今回は服装が地味な(笑)せいか顔の濃さが引き立っててクドい〜!でも不思議とそのローレンスに好感を持ってしまった。3人の中で1番ナイーヴで優しい役だったからなぁ。

これぞ運命の人!という人物に出会ったマーサがいきなり猪突猛進になり、人に迷惑を掛けてまで大騒ぎするところは、アメリカ人を表現したシーンだったんだろう。それに比べてイギリス人男性はこんなに情けないわけ?アメリカ人、イギリス人それぞれが見たらどう思うのかな。
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金融腐食列島・呪縛('99日本)-Oct 9.1999
[STORY]
大手都市銀行の朝日中央銀行―ACB―が総会屋に対して巨額の不正融資を行っていたことが発覚した。しかし元会長で相談役の佐々木(仲代達矢)ら幹部たちは何の危機感も持っておらず、悠長に構えていたが、とうとう東京地検が強制捜査に乗り出し、多数の逮捕者が出た。そこで佐々木の娘婿の北野(役所広司)や片山(椎名桔平)たちは、ACB再生へと動き出した・・・。
監督・原田眞人(『バウンスko GALS』)
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本店の所在地といい2行合併な銀行名といい、実在の某銀行を思い浮かべずにはいられません。ちょうどこの原作(作者は高杉良)が出版された頃に、その某銀行が強制捜査されたということで、かなり話題になったらしい。現在は例の3行合併も原作者が予想していたらしく、ますます話題になっている。

私は銀行員じゃないんだけど、うちの会社のユーザが銀行ってことで全く無関係というわけじゃない。銀行に何かあれば社内も動くので、いつもニュースは気にしてる。でも原作は未読だった。小説と実際はやっぱ違うじゃない?と疑ってた所為もあって。だからまずは映画を見てそれを確かめてみよう、と思ったわけだ。

で、その答えは「やっぱり映画のほうが実際より志が高い」と思った。巨悪からの呪縛を解き放ち、新しく生まれ変わろうとするその強い姿勢が窺える。映画だからこそ志高く行こうじゃないか!とう気持ちがあるのかもね。でも実際はこうはいかないでしょう。いくら呪縛から逃れようとも、やはり古い体質からは逃れられない。特に昔っからある会社はそうなんだよね。うちの会社も最近ではいろいろやろうとしてるし、やってもいる。でも変わろうとしても変われないの。会社を支える人間が変わっても、その器が変わらないので、結局動かしようがないんだよね。社員の数からしても、1人1人に意識改革なんてやろうものなら20年くらい掛かるのでは(笑)と思っちゃう。それで結局あきらめてるような気がするな。

ふぅ(溜息)まぁ実際のこと言ったらキリないので映画の話を。映画が始まって間もなくの地検の強制捜査シーン、これが良かった。検察官が一斉にビルに入ってきて、ダンボール箱に書類をどんどん詰め込んでいく。あのニュースで見たシーンがドラマチックに構成されていて、チカラ入ってんなーと感心した(遠藤憲一さんもカッコいいんす)でもそれにチカラ入れすぎたみたい(笑)その後のシーンからだんだんと迫力が薄れていく。特に1番盛りあがらなきゃいけない株式総会シーンが私はガッカリした。もしかして2時間以下にするために途中をカットしたのでは?と思うほどだった。それは随所に見られる。

北野と義父であり影のトップである佐々木との対決も切れちゃってる(これは無名塾出身の役所と主宰の仲代との対決でもあったんだが)ここも大事なのにね。私は2時間以上、せめてあと15分くらい長くても良かったと思う。でもある人が亡くなってしまうシーンは泣きました。この手の事件には必ずといって会社の犠牲者がいるんだよね。実際でもこういうことがあると心を痛めずにはいられないし、怒りを覚える。

スーツ度95%、メガネ度80%、オヤジ度65%(当社比←?)ってことで内容以外ではかなり個人的に楽しめました。役者さんたちもそれぞれいつもやってるような役を当たり前のように演じてくれてるので、悪く言えば変わり映えしないってことだけど、ある意味で安心して見られたし。でもジャーナリスト和田美豊のキャラクターは、日本の銀行体質を描く作品なのに日本人らしくなくて、そこだけ妙に嘘臭く浮いていたような気がする。それに彼女はしょっちゅう水をガブガブ飲んでたので、きっと『パラサイト』されてると思います(笑)
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あの娘と自転車に乗って('98キルギスタン=フランス)-Oct 6.1999
[STORY]
ベシュケンピール(ミルラン・アブディカリコフ)はいつも仲間たちと遊んだりいたずらしたりして毎日を過ごしていた。そして密かに好きな女の子もいた。しかしある時、仲間の1人から「お前は貰いっ子だ」と言われたことに衝撃を受け、孤立してしまう。
監督アクタン・アブディカリコフ(長編デビュー)
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キルギスタンは元ソビエト連邦の一部で、現在は共和国として独立している。私にはそれくらいの知識しかなくて、この映画を見た時に初めて「ソ連だったといってもロシア系じゃなく、アジア系なんだ」と知った。顔はもちろん、服装や家などモンゴルっぽい雰囲気がある。生活や風習などを、映画を通して知ることができて良かった。まだまだ私にとって未知の世界がいっぱいあるなぁ。

タイトルだけ見ていると、少年の淡い恋を描いた可愛らしい物語に思える。でも実際はそれだけじゃない。恋の部分ももちろんあるし可愛いんだけど、どちらかというと少年が思春期を越えて大人になっていく様を描いた作品だった。その過程で恋がある。その恋だって、ただ見つめて照れてるだけだったのが、それより先に進もうとするところが彼の成長の現れだ。女の子に「自転車に乗らない?」って誘うようになるわけね。日本だと自動車になるけど、自転車なのが可愛い。そして女の子を自転車の前に乗せたいために荷台を外して迎えに行くところがさらに可愛い(でも個人的には前に乗るのはお尻が痛くなりそうでヤダなー)

自分の親が子供の頃だった、昭和20年代くらいの日本のような雰囲気がある。写真で見たような風景と子供たち。わざとセピア色で撮影されてたのも懐かしさがあって効果的。だが冒頭の、赤ちゃんだったベシュケンピールの養子縁組の儀式(?)を行う場面がカラーで、その赤ちゃんが成長して少年になった時の映像がセピア色になったのはどういうわけだろう。セピア色というと時間的に過去の映像に見えるし、カラーなら最近の映像に見えるだろう(というより普通はそういう使い方をするハズだが)それを逆にしたのは何か意図するものがあったのだろうか?これには理解できなくて、かなり違和感があったな。

ベシュケンピール少年を演じたミルラン君は監督の息子さんで、この物語は監督の実体験を元に作られたそう。ほかの出演者もみな素人だとか。それは何となく見てて微笑ましくて分かったんだけど、少年が恋する少女役の子がきれいでびっくりした。顔の造りももちろん可愛いんだけど、笑顔がすごくきれいなの。素朴で純粋で控えめな笑顔がオジサンのハートをギュッと鷲掴みって感じっす(照)←バカ
今時の日本人でこういう笑顔ができる女の子っていないでしょ。ええなあ〜(ぽわ〜ん)
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