Movie Review 2000
◇Movie Index

リング0 バースディ('00日本)-Jan 30.2000
[STORY]
30年前、18歳の貞子(仲間由紀恵)は上京して劇団飛翔の研究生となっていた。ある時、看板女優の突然死により代役として貞子が抜擢される。劇団員からは不審に思われるが、遠山(田辺誠一)だけは貞子の味方だった。一方、新聞記者の宮地彰子(田中好子)は貞子の過去を調べ、彼女の行方を追っていた。
監督・鶴田法男(『ゴト師株式会社』)
−◇−◇−◇−
『リング』と『リング2』との間に生じた齟齬を調整するために作られたような話だと思った。『リング』のヒットにより『らせん』を無視してまで無理矢理作った『リング2』は、オリジナルストーリーのせいか破綻しまくってて、恐怖よりもその意味不明さにばかり気持ちがいっちゃって集中できなかった。

でもこの作品では『リング2』で感じてた違和感もあまりなく、それほど突飛な設定も盛り込んでないせいか、思ったよりもすんなり入っていくことができた。よく考えりゃやっぱり辻褄合わなくて「?」なシーンももちろんあるけど(あ、でも貞子が×××たってのはやっぱりちょっといただけないねえ)うーん、こうなると今度は『リング』の方と話が繋がらなくなっちゃうような気がするな。『リング0』を見たあとで『リング』を見たらきっと違和感が生じるに違いない。

30年前のお話なのでロケは極力避けたようで、それはお察しします。が、屋内での映像ばっかりで途中で飽きてきてしまった。不幸な貞子はしょっちゅう泣いてるし、田辺@副社長(笑)は表情に変化のない人なので尚更起伏に乏しかったように思う。展開もタルくて睡魔にちょっと襲われた。でもクライマックスの怖さは思わず劇場内から声が漏れるほどで、私も思わずビクッとなった。怖かったのはその一瞬だけだったけど(笑)

このシリーズにおける恐怖とは、『リング2』から継承されるべき恐怖とは、貞子の怨念の深さがどれほどのものだったかを表現することであり(井戸の中で生き長らえていたという恐怖だ!)映画が終わったあとでもモヤモヤ残るようなものが必要だったはず。それが後味があまり悪くなかった。仲間由紀恵ちゃんの可愛さに負けたか(笑)最後までかなり素直に撮ってたんじゃないかな――ということは、かばくん中田監督がサドで意地悪で粘着質ということ?!ステキ・・・(←ごめんバカで(笑))

でも、もういいかげん『リング』シリーズは打ち止めにしてくれと思う。これ以上やってもどんどん墓穴掘るだけだし。次回作に繋がるような伏線が張られてるような気もしないでもないけど(笑)やんなくていい。貞子や井戸やビデオに囚われ過ぎてもいい作品にならないんで、全く新しい設定でむちゃ怖い作品を作って欲しいっすね。――貞子のご冥福をお祈り致します(と、勝手に〆)
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ISOLA―多重人格少女('00日本)-Jan 30.2000
[STORY]
平成7年1月17日午前5時46分に起きた阪神淡路大震災によって、1人の少女に悪魔の人格が誕生した――。
人の感情を読むことができる由香里(木村佳乃)は、震災のボランティアのため東京から西宮にやってきた。そこで千尋(黒沢優)という少女に出会うが、彼女が多重人格障害であることを知り、彼女を助けたいと思うようになる。
監督&脚本・水谷俊之(『ひき逃げファミリー』)
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原作は『黒い家』が既に映画化済みの貴志祐介さんのデビュー作『十三番目の人格−ISOLA−』を映画化。

はっきり言って悪くはないけど良くもないというか・・・。
配役に関しては原作とのギャップが少なく、悪くはなかった。キャスト発表の時、由香里役に木村佳乃と聞いて異論はなかったし、実際に映画を見ても悪い印象はなかった。千尋役の黒沢優も映画初出演にしては、無口でジトッとした役柄だったのが幸いしてか(ごめん)危なっかしいところがあまりなくてよかったと思う。
また、震災の様子や崩れてしまった建物など、セットも含めてチャチではなくきちんと撮られていたし、当時報道で使われていた映像や合成を織り交ぜても違和感なく見られた。

でも何だか気持ち悪くて腹立たしいのは、震災で亡くなった人を悼む(フリをする?)一方で、ホラーだからと原作にはない、残酷に人が死ぬシーンが挿入されてるところにあるんじゃないかな。確かに小説『ISOLA』は怖い話ではあるけど、その怖さとは、そんな直接的なことじゃない。そういうシーンを入れるよりもむしろ、千尋の人格をもっと丁寧に描くべきだし、とことんホラーとして描きたいならば、哀悼の意を入れたりルミナリエを映したりすんな。そんなのただの偽善に過ぎないもの。結局、中途半端でホラーにしようとしてもならなくて、ぜんぜん怖くなかった。

う、何だか書いてて可哀相になってきた(あらら)・・・ま、でも映画だしね(それ言ったらおしまいだけど)それに2本立てだから全てを表現するには時間もないとくりゃ(それも言ったらおしまいだが)これも1つのエンタテインメントとして見るしかないでしょう。

ちょっと気になったのが、研究室の様子やクライマックスのあたりが『パラサイド・イヴ』っぽかったこと。監督が違うのに似てしまうというのは、どっかで角川からの妙なチカラでも働いてんですかね?と邪推してみたりして(笑)

ところで貴志さんは映画のどこに出演していたのでしょう?『黒い家』の時はすぐに分かったのに今回は全く分からなかった・・・。分かった方はぜひ教えて下さい。お願いします。
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ファンタジア/2000('99アメリカ)-Jan 27.2000
[EXPLANATION]
1940年に製作された『ファンタジア』の「魔法使いの弟子」と、新たに製作された7つのパートからなるアニメーション作品。新作は「運命」「ローマの松」「ラプソディー・イン・ブルー」「ショスタコーヴィチピアノ協奏曲」「動物の謝肉祭」「威風堂々」「火の鳥」
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現在はアイマックスのみでの上映だが、これに何分か付け加えられて一般の劇場でも公開するらしい。いや、でもできることならアイマックスで見てほしい。

1940年版『ファンタジア』でもストーリー性のあるものやないものを織り交ぜて表現していたが、2000年版でも同じような試みをしている。キャラクターもディズニーらしいものから、全くディズニーらしくないものまであって飽きさせない。1940年版を復元した「魔法使いの弟子」を除いて1番ディズニーらしいなぁと思えるのが「動物の謝肉祭」だろう。ヨーヨーを持ったフラミンゴがコミカルに踊るシーンや、キャラクター自体もディズニーらしいくて、ついほっとする。

クジラが空を飛ぶ「ローマの松」は綺麗なんだけど、ポリゴンが苦手な私としてはどうにも気持ちの悪いものだった。同じCGでも「ピアノ協奏曲」のスズの兵隊なら無機質なものだから許せるんだけど、クジラのような生き物をCGにするのはやっぱりやめてほしい。これだけの動きはCGだからこそ、というのはもちろん分かるんですが。はい。これからはCGと分からないほどの技術革新に迫るか、描くものによってうまく使い分けるか、というところではないかしら。何でもかんでもCGになってしまったらそれはそれで寂しいので、残すところは残してください。

1番好きなのは「ラプソディ・イン・ブルー」だった。この曲自体好きなんだけど、これに絵とストーリーがついて、ほかのどの作品よりもぴったり合ってて良かった。これだけは見終わってすぐにもう1回見たい!って思った。曲だけなら「威風堂々」も聞いてるだけでジワ〜と涙が出るほど好きだが、ノアの方舟と合わせるのはやはりちょっと無理があるかな。聞きながらつい星条旗がたなびくシーンや、角帽を空に放り投げてるシーンが浮かんでしまった。まぁ既存の楽曲で、新たな可能性に向けてチャレンジしなきゃ逆につまらないくなってしまうので難しい。

そして最後!!「火の鳥」を見て『もののけ姫』を思い浮かべたのは私だけではあるまい。さらに「もののけ」のよーな深いメッセージ性などあるわけもないので感動することもなし。あえてパクりとは申しませんが、昔のように「ディズニーってすごいっ!」と手放しで喜べなくなってきてることは確かだ。
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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ('99ドイツ=アメリカ=フランス=キューバ)-Jan 19.2000
[EXPLANATION]
ギタリストのライ・クーダーは敬愛するキューバの古老ミュージシャンたちと「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」というアルバムを作り、97年のグラミー賞を受賞した。彼の友人である映画監督ヴィム・ヴェンダース(『パリ、テキサス』など)は、ミュージシャンたちのインタビューとともにキューバの街並やカーネギーホールでのコンサートをフィルムに収めた。それがこの作品である。
−◇−◇−◇−
今、これを書きながらサントラを聴いている。すると、おじいちゃんたちが嬉しそうに演奏している画が浮かんできた。覚えやすいメロディと素朴な歌詞(中には「火を消し忘れて寝たら火事になっちゃって野次馬が集まった」みたいな歌詞もある(笑))はキューバに生まれたわけでもないのに懐かしい気持ちになる。

92歳のコンパイ・セグンドが葉巻咥えて話す姿はカッコイイし、72歳のイブライム・フェレールの声は艶があって聞き惚れてしまうし、77歳のルベーン・ゴンザレスの弾くピアノはとてもブランクがあったとは思えないほど素晴らしいタッチを見せている。
いちいち年齢を書くのも野暮だけど、自分がもし彼らの年齢になった時、こんなに生き生きとした表情で果たしていられるだろうか?(その前に生きてるか?というのもあるが)と思ったのであえて書いてみた。彼らの顔には、今までやってきた音楽に誇りと自信が窺える。ただし高齢であるからして、インタビューなどでは同じ話を何度も繰り返して言ってるようなフシがある(カットしてるんだと思うよ)でも演奏だけはどんなにブランクがあろうと決して忘れることなく衰えることもない。間違っててもそこがまた味なんだな。

余談だけど、映画の最初と最後で流れる「チャン・チャン」という曲ははっきり言って頭の中エンドレスになるので注意。私と友達は映画を見たあと、まったりした気分で出鱈目な歌詞をつけながら歌いながら帰りました。アレッセーローボヨパラマカニ!レゴッケートーボヨパラマヤリ!
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ラストタンゴ・イン・パリ―無修正完全版('72フランス=イタリア)-Jan 15.2000
[STORY]
パリでアパートを捜していたジャンヌ(マリア・シュナイダー)は、ある古いアパートの一室でアメリカ人のポール(マーロン・ブランド)と出会う。2人はどちらがその部屋を借りるかで話し合いながら関係を結んでしまう。その後も、お互いの名前も素性も知らぬまま2人はその部屋で会い続けるが・・・。
監督&脚本ベルナルド・ベルトルッチ(『ラストエンペラー』)
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72年の公開時、一部ボカシ等で上映された作品の無修正版。今はこれくらいの映像ならば、十分ボカシなしで上映OKだろうが、当時としては大変なものだったろう。これからも今まで上映できなかった映画が無修正版として続々と上映されるかな。

*以下ネタバレというか説明が多いので注意
ジャン=ピエール・レオー演じるトムという恋人がありながら中年のポールに惹かれるジャンヌと、妻の自殺により傷心のポール。最初はどうしてジャンヌはこんなおっさんを好きになってしまうんだろう?と思うんだが、恋人トムは映画製作に夢中で、ジャンヌのことも映画の被写体として捉えているところがある。つまり生身のジャンヌを見られない、夢見がちで現実逃避したい青年らしい。だから生々しいオジサンとの生々しい情事に耽ってしまうのかと。

が、実はポールも妻の自殺という現実から逃げている。妻が自殺した血まみれの部屋から逃げ出し、当てもなく街をさまよい、偶然出会ったジャンヌを妻の身代わりのように抱いてしまう。だからジャンヌの素性も名前も知りたくないのだ。しかし、妻の遺体に問い掛けることでその思いを断ち切ることができる・・・ということはポールは妻の生前、妻に対しても面と向かって問い詰めたりできなかったのではないか?と私は思った。つまりポールもトムも年齢や性格こそ違うが、本質は同じなのではないか、と。

ジャンヌは若い女性にありがちな夢は持っているが、ポールやトムのような人間ではない。ポールと会ううちに同じように逃避に嵌まり込む。「結婚」というある種の「縛り」からも逃げようとするが、さらに逃げるポールに嫌気がさして一気に覚めて現実を見据えるようになる。ここらへんが「女性だから」ではないかな(笑)「男が―、女が―」と分けて語るのはあまり好きじゃないが、いつまでも夢見がちな男に対して、女のしたたかさ!ラストを見て恐いと思いつつも、もし自分がジャンヌの立場ならば同じことをしたであろうとも思っている。そしてそう考えてしまう自分が恐い・・・なんてね(笑)

どうしてもポルノチックなところばかりクローズアップされてしまうけど、それだけじゃない。フランス映画らしい唐突さもあるけど、この人物描写の緻密さが、この映画が傑作だと言われている所以なのかな(うまく説明できない。難しい・・・)
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