主星にある王立派遣軍総本部の第一作戦司令室で、部屋の一面を占める巨大なスクリーンには、ヴィーザに赴いた駆逐艦からの映像が映し出されていた。すなわち、彼らが唯一、彼以前のような紙の上だけの存在ではなく、本当の、自分たちの元帥と、総司令官と認めて従ってきたオスカーの、最期の姿が。
「……馬鹿な、男。クーデターの一つでも起こしてたら、少しは可愛げもあったのに……」
感情を押し殺した声でそう呟いたのは、夢の守護聖オリヴィエである。
オスカーが聖地を去ってほどなく、後を追うように訪れた王立派遣軍総本部で、半ば無理矢理に入り込んだのだ。
オリヴィエのその言葉を聞いたのは、すぐ脇にいた王立派遣軍のNo.2たる副司令官、ハラルド・シュナイダー大将一人だった。
間もなく画面の一部が切り替わり、デーニッツ大佐が映し出された。
スクリーンを通して、シュナイダーに敬礼をしながらデーニッツは告げた。
『任務、終了しました。これより主星に帰還いたします』
敬礼する右腕が、よく注意して見れば、何かを堪えているのを示しているかのように小刻みに震えているのが分かる。
『なお、ご遺体の回収については、無用と……』
デーニッツは言葉を詰まらせた。さらに彼は目を伏せ、唇を噛み締める。
シュナイダーは、一時は驚愕したものの、すぐに落ち着きを取り戻して確認するために問い返した。
「閣下ご自身がそう申されたか?」
『はい』
その返事に、司令室内がざわめく。
「……了解した。大佐、貴官らの一日も早い帰還を待っている」
ほどなくしてスクリーンから全ての映像が消えても、室内のざわめきは治まらなかった。
しかしシュナイダーはそれには構わずに、傍らに控える副官のリンツ大佐を呼び寄せた。
「ただ今この時より、ルアサ星系を全面封鎖、一切の船の立ち入りを禁止する」
シュナイダーの意図は明らかだ。
ヴィーザの大地にその骸を曝すのがオスカーの望みであるならば、それには従おう。だが、余人の目にそれを晒す気は、シュナイダーには、ない。彼らの主たる人の永遠の眠りを、余人に妨げさせるわけにはいかない。だから、誰も通さない、誰も辿り付かせない。
「承知しました。で、このこと、聖地には?」
「報告の必要は無い。元々ルアサ星系付近を航行する船は殆どない。大勢に影響はないだろう。それに何より、閣下のことを聖地に知られるわけにはいかない。閣下ご自身も、それを望んではおられぬはずだ。だが、研究院のヴェイユ院長には伝えておけ。何かあれば、院長の方でうまく対処してくれるだろう」
分かりましたと頷きながら、リンツはその視線をシュナイダーの脇にいるオリヴィエに向けた。
それに気付いたオリヴィエは、立ち上がりながら安心させるように言ってやった。
「大丈夫よ、誰にも何も言わないわ。私があいつにしてやれるのは、もうそれくらいしかないからね」
「申し訳ございません」
「いいのよ。邪魔したわね、もう帰るわ。見送りはいらないから」
そう言って踵を返すオリヴィエを、シュナイダーが声を掛けて呼び止めた。
「何?」
「閣下は、私たちに全てを遺してくださいました。私たちが起つことを、閣下は望んでおられると、お思いになられますか?」
「……分からないわ。私はあいつじゃないから……」
「……詮無いことを申しました。お忘れ下さい」
聞かなかったことにするわと言い置いて、オリヴィエは司令室を後にした。
通路に出て、エントランスへと向かう。
静か、だった。エントランスに着くまで、誰にも出逢うことはなかった。建物ごと、オスカーの死を悼み、全ての活動を停止しているかのようだ。
建物の外に出ても、そこにも人影は一つもない。
そのまま少し歩いてから、オリヴィエは振り返って建物を振り仰いだ。
目についたのは、翻る半旗。それが見慣れた神鳥をあしらったものとは違うことに、オリヴィエは目を見開いた。
その旗は、オリヴィエの知らないものだった。、いや、おそらくは王立派遣軍に属する者たちでも、全ての者が知っているわけではないだろう。それはかつて、惑星ヴィーザに存在したザルービナ共和国、つまりはオスカーの故郷の旗だった。
あの男はなんと言っていた。
私たちが起つことを……── と、そう言ったのだ。
それは、彼らにその考えがあることを示しているのではないのか。
オスカーは言っていた。そして彼らも。
彼らはオスカーが遺したデータを持っているのだ。それをどう扱うかは、オスカーが言っていた通り、全て彼ら次第。
けれど、そのオスカーがいないのに。オスカーはもうどこにもいないのに。
これからの聖地と王立派遣軍の関係を思った時、オリヴィエの脳裏をイヤな考えが過った。
◇ ◇ ◇
扉が軽くノックされて、それから聞き慣れた声がした。
「オリヴィエ様、失礼します」
そう声がして、風の守護聖ランディが扉を開けて入ってきた。
「……誰も入れるなと、執事にそう伝えといたはずだけど」
剣呑な声で、ソファに座ったまま、ランディを睨み上げるようにしてオリヴィエは言っ放った。
何かあったのだろうか、機嫌が悪そうだと、ランディはオリヴィエに近付きながら思う。
「すみません、止められたんですけど、もう時間だから、通させてもらいました。迎えに来たんです」
「迎え?」
「お忘れですか? オスカー様の送別会ですよ。もう皆揃ってて、あとはオリヴィエ様だけです」
「……悪いけど、私は行かないわ」
「行かない? なぜです!? オスカー様の送別会ですよ! オスカー様と一番親しいのはオリヴィエ様じゃありませんか、そのオリヴィエ様が……」
「主役がいないのに行ったってしょうがないでしょ!」
オリヴィエは声を荒げてランディの言葉を遮った。
「オリヴィエ様……。オスカー様がいないって、確かにオスカー様はまだみえてませんけど、時間までには戻ると仰っていたから、そろそろ来られますよ。もしかしたらもう会場に入ってるかも……」
「オスカーは来ないよ。あいつはもう来ない、来れない。だってあいつは、もうどこにもいないんだからね」
「オリヴィエ様……?」
ランディにはオリヴィエが何を言っているのか、言いたいのか、分からなかった。
「分からない? なら教えてあげる。あいつは今、生まれ故郷の大地で屍を晒してるわ」
「なっ!? な、何を言ってるんです、オリヴィエ様。冗談は……」
「冗談なんかじゃないわ、本当のことよ」
「……なら教えてください、それはどこです!? もし本当にオリヴィエ様の言う通りなら、放っておくわけにはいかない!」
ランディの詰問を、オリヴィエは突き放した。
「知りたければ自分で調べなさい、私の口からは言えない。あいつはそれを望んでないからね。屍を晒し続けることを、あいつ自身が望んでるんだから」
「そんなこと、あるはずないでしょうっ!!」
「信じたくないかもしれないけど、事実だよ。あんた、ううん、あんただけじゃない、誰も知らなかっただろうけど、オスカーは、この聖地を憎んでた、守護聖である自分を嫌悪してた」
「そんな馬鹿なっ!? あのオスカー様に限ってそんなこと、あるはずない!」
拳を握り締め、思い切り否定する。そんなこと、あるはずがない。オスカーは誰よりも忠実な女王陛下の騎士だったのだから。
「あいつは今やっと、自分の望みを手に入れたんだよ。守護聖という枷から、聖地という籠から漸く解き放たれて、あいつはやっと自由を手に入れて、ずっと望んでいたことを叶えた。誰にもそれを邪魔する権利はない。たとえ女王陛下であろうともね! さあ、分かったらさっさと出ていって! 今夜、私は一人で呑み明かすんだからっ!!」
一層声を荒げ、出ていけと、ソファから立ち上がり腕を上げて扉を指し示すオリヴィエの様子に、ランディは、オリヴィエは事実を言っているのだと、ようやく認めて、慌てて部屋を飛び出していった。
それを見送って再びソファに腰を下ろしたオリヴィエは、右手で顔を覆った。その下を意識しない涙が一筋、伝った。
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