Grab - 1




 いつものように執事に見送られて屋敷の玄関を出る。いつもと違うのは、服装だけだ。
 守護聖としての正装ではない。かといって私服でもない。軍服だ。考えてみれば、軍服を着て屋敷を出るのははじめてかもしれないと、オスカーは思った。
「行ってらっしゃいませ」
 そう言って執事のハインリッヒが見送るのに、
「行ってくる」
 と、これまたいつものように軽く答えて、階段を下りた。しかし途中で足を止めて、そのままの姿勢、背を向けたままで告げる。
「……長いこと、世話になったな」
 主のその声にはっとして、ハインリッヒは深く頭を下げた。
 短い階段を折りきった時、駆け込んでくる風の守護聖ランディの姿が見えた。
「オスカー様!」
 オスカーが出かけるところなのに気付いて、ランディは慌てて声を掛けながら駆け寄ってきた。
「オスカー様、お出かけ、ですか?」
 少し息を切らせながら、まだ自分よりも高いオスカーの目線に視線を合わせてランディは尋ねた。
「ああ、最後に軍に顔を出しておこうと思ってな」
「それで軍服をお召しになってらっしゃるんですね。でも、今夜のこと、お忘れじゃないですよね?」
「今夜のこと?」
「パーティーですよ、オスカー様の送別会! 俺、念のために時間の確認を取りにきたんです」
「フフ。ご苦労だな、わざわざ。大丈夫、忘れてない」
「本当ですね? 6時からですからね。それまでには、お戻りになりますよね? 陛下もおいでになられるのに、主役がいなかったら話にならない」
「ハハハ、分かってる、それまでには戻るさ」
 オスカーの返事に、ランディは安心したように軽く息を吐き出し、それから、視線をオスカーの全身、上から下へと流した。
 それに気付いたオスカーが、何だ? という顔をしたのに、申し訳なさそうに答える。
「すみません。オスカー様の軍服姿って、はじめて見たから」
「ああ、そうだな、聖地にいる間に着たことはなかったからな」
 言いながら、ランディの表情が幾分沈みがちになったことに、心配げに続けて声を掛ける。
「どうした? 何かあったのか?」
「俺、不安なんです。俺に、オスカー様の後任が務まるでしょうか?」
 守護聖の座を退()くと同時に、王立派遣軍総司令官の任も解任される。それに伴い、オスカーは自分の後任にランディを指名していた。
 自分の後継者たる新しい炎の守護聖は、まだ若く、というより幼く、また、たとえ名のみであっても、性格的に軍のトップには向かないと判断したためである。
 過日、引継ぎの意味もあって、ランディと王立派遣軍の首脳部との引き合わせも済んでいる。
「そのことか。いいか、ランディ。俺は俺、おまえはおまえだ。俺とおまえは違う。何も俺と同じようにやろうとする必要はない。おまえはおまえのやり方でやればいい。ただ、相手に、軍部首脳陣に何も相談もせずに勝手にことを決めるのだけは、やめておけよ」
「わかりました、その点は注意します。でも、俺は王立派遣軍のこと、殆ど知らないから、自分勝手に何かを決めるなんてどだい無理ですよ」
 オスカーの言葉を受けて、ランディは苦笑気味に答えた。
 実際のところ、オスカーがどのように王立派遣軍に対して対処していたかすら、ランディは何一つ知らない。ただ、稀にオスカーと一緒に外界に出かける時に、場合によっては王立派遣軍から護衛が付くことがあり、その際、オスカーは彼にとっては部下にもあたる軍人たちに、自ら指示を出しており、彼らはそんなオスカーを、守護聖としての任務で出ているにもかかわらず、守護聖としてではなく、あくまで自分たちの上官として、「閣下」と呼んでいた。だから自分もそうしなければならないのかと思い、それがランディの不安感を煽っていた。故に、オスカーの、自分と同じようにやろうとする必要はないとの言葉に、正直、安堵した部分はある。
 しかし、引継ぎのために引き合わされた時の軍首脳部たちの瞳の中にあった、オスカーに対する絶対的な信頼と敬愛。それに対して、自分に向けられたそれは、とても冷たい瞳だった。それどころか、一瞬、彼らの瞳の中に、自分に対する憎しみともとれるものすら感じられたのだ。それがランディに、オスカーの後任となることへの不安感を増大させている。
「俺のことを意識し過ぎるな。ヘンに考え込まず、おまえはおまえのやり方でやればいいんだ。頑張れよ」
「それを聞いて少し安心しました」
 オスカーの励ましを受けて、少し前までの沈んでいた表情とは裏腹に、幾分明るい顔でランディは応えた。
「ところで」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「すいません。今までお聞きしたことなかったけど、オスカー様はこの後、聖地を出られた後、どうされるおつもりなんですか? 軍に残られたりしないんですか?」
「そうして、おまえの下で働けと?」
 苦笑を浮かべながら返すオスカーに、ランディは顔を赤らめ、慌てて否定した。
「す、すみません! そんなつもりじゃないですっ!」
「はははっ、冗談だ」
 ランディの慌てふためく様を軽く笑い飛ばしながら、オスカーは以前よくしたようにランディの肩をポンポンと軽く掌で叩いた。
「……オスカー様が軍に残って下さったら、心強いなと思ったんです。本当にすいません、俺の身勝手な願いなんです」
 そう言って頭を下げるランディを見つめるオスカーの瞳は、どこか冷めた色をしていたが、一瞬伏せて再度開けられたその瞳は穏やかなものだった。
「期待に添えなくて悪いんだがな、俺は故郷(くに)へ帰るよ」
「故郷へ……。そうですか。オスカー様の生まれた惑星(ほし)って、どんなところなんですか? 確か、以前に一度、草原の惑星って言われてるってお聞きしたことはありましたけど」
「ああ、そうだ。草原が多くてな。見渡す限りの一面の緑の海だ。初めて宇宙(そら)から見下ろした時、まるでエメラルドのようだと思ったのを今でも覚えている。流石にあれからだいぶ経ってるから、結構変わっちまってるだろうがな」
 目を細めて懐かしそうに語りながら、最後は寂しそうに呟かれた言葉に、ランディは普通の人間とは違う、守護聖であるがゆえの年月(とき)の流れを感じざるを得なかった。
「それでも帰られるんでしょう? 大丈夫ですよ、待ってくれてる知り合いはいなくても、故郷って、そう変わるもんじゃないと思いますよ。……ちょっと楽観的すぎるかな? ……と、俺、もう行きますね、今夜の準備があるから。時間、忘れないで下さいね、オスカー様」
 最後に念を押して、それじゃ、と来た時のように走り去っていくのを見送っていると、ふいに声を掛けられた。
「何も知らないっていうのは、時に酷く残酷なものね」
「オリヴィエか」
 振り返りながら声の主の名を呼ぶ。
「いつからいた?」
「ちょっと前からね」
「何か用か?」
「……さよならを言いにね。あんたのことだから、もうこれが最後なんでしょ?」
「流石に、おまえは騙せないな」
 溜息を付くオスカーに、オリヴィエは極力明るく振舞った。
「当然でしょ、一体何年の付き合いだと思ってんのよ」
「そうだな」
「……で、その格好で出てくの? 荷物とかは? あ、それとももう積み込み済み?」
 オリヴィエはオスカーが身に纏った軍服以外には、何一つ── いつも腰に下げている大剣すら── 持っていないことに疑問を持って尋ねた。
「この身一つで十分だ。ここで得たものは全て処分した。馬は軍に寄贈したし、資産は全て軍の名義に書き換えた。任務中に死傷した軍人や残された家族への見舞金や年金の足しにしてもらうようにな」
「剣は? あれって、代々家に伝わってるものなんでしょ?」
「……あれはここに置いて行く。あれには、以前の女王試験の際の夢魔の件の時の光のサクリアが、僅かではあるがまだ完全に消えずに残っているからな。だからここに捨てていく。それに、俺にはもう必要のないものだしな」
「で、あと一つ、例のデータは?」
 データは、と聞かれたその瞬間、オスカーの眉がピクリと僅かに動いた。
「最初は、おまえに話した通り、知りたくて調べていただけだった。だが、調べを進めていくうちに、思っていた以上に多方面に渡っての調査になり、結果、このままにしておくことはできないと思った。だから、俺自身がそれをどうにかすることはないが、あれも全て軍に渡した。最重要機密扱い、でな」
「軍に……?」
 オリヴィエは眉を顰めた。万が一外部に漏れたりしたら、どのような事態を引き起こすことになるか計り知れないデータだ。それを管理するのがたとえ軍であっても、いや、別の意味で軍が管理することに、オリヴィエは不安を覚えずにいられない。ましてや今のオスカーの言葉を聞けば尚更強くそう思う。
「首脳部の一部には、何のデータかは伝えてある。どうしろ、とまでの指示は与えていない。それをどうするかはあいつら次第だ。つまり、それが俺の置き土産、ってわけだ」
 そう言って、これ以上はないというくらいの冷笑を浮かべるオスカーに、思わずオリヴィエは恐怖を感じた。
「……とんだ、時限爆弾、だわね……」
「そうだな。ついでにデータってことでいえば、俺に関するパーソナルデータは、逆に昨日のうちにハッキングして全て削除させてもらった」
 そこまで……とオリヴィエは思う。
 オスカーは、自分に関するものを何一つここに残してく気はないのだろう。物質的な物だけではなく、デジタルデータという形のないものすらも。そして唯一の例外が、かつて込められた光のサクリアがまだ残っているという大剣というわけだ。
 オスカーは腕の時計を確認し、
「悪いがもう出る。あまり待たせるわけにはいかないからな」
 そう言って、傍らに停めてある地上車のドアを開けて乗り込んだ。
「……元気でな」
 窓を開けてそう告げる様は、とてもこれが最後とは思えない。
 だが、間違いなくこれが最後だと、他の同僚たちは何も知らずとも、オリヴィエは知っていた。
 掛ける言葉が出てこない。元気で、とは言えない。彼がこれからしようとしていることが何か、はっきりと聞いているわけではないが知っているから。それ故だろうか、返す言葉が本当に何も浮かんでこないのだ。
 何も返さない、いや、返せないでいるオリヴィエに、オスカーは小さく微笑みかけてからエンジンを掛け、地上車を発進させた。
 オリヴィエの後ろでは、玄関の重厚な扉の前で、長年オスカーに仕えてきた初老の執事が、その地上車の影が見えなくなるまで、じっと見送っていた。





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