ワープを繰り返しつつ、最高速で宇宙を航行する王立派遣軍の所有する、先頃就航したばかりの最新鋭の高速駆逐艦があった。
目的地は、Ω座にある恒星ルアサの第3惑星ヴィーザ── 。
主星を発ってから12日、オスカーはずっと自室に閉じ篭もっていた。従卒も近づけず、ただじっと、窓の外の流れてゆく星の光を見続けていた。その表情からは、彼が何を考えているのか、窺い知ることはできない。
インターフォンから呼び出しの音が鳴って、オスカーはスイッチを押す。
『間もなくヴィーザに到着します』
スピーカーから事務的な声が流れる。
「分かった」
一言答えてインターフォンを切ると、デスクの上の手袋とソファの背に掛けてあった軍用ケープを手に取り、それを身に付けながら部屋を出て、艦橋へと向かう。
部屋から艦橋へ至る間、誰にも会うことはなかった。
艦橋入り口の前に立つと、シュッと小さな音がして自動的に扉が開き、一歩、足を踏み入れる。
扉の開く気配に気付いて、艦橋にいた全員が入り口を振り返った。
そこにオスカーの姿を認め、操舵手を除く全員が立ち上がり、姿勢を正してオスカーに向かって敬礼する。それにオスカーは頷きながら軽く答礼した。
この駆逐艦の艦長を務めるデーニッツ大佐── 本来なら駆逐艦の艦長は少佐であるが、今回に限り、特例として王立派遣軍副司令官から任命されてた── が艦長席から離れてオスカーに歩み寄った。
「閣下、本艦は間もなく衛星軌道に到着、航行を停止、位置を固定します」
その言葉に頷きを返し、それから艦橋の中央へと歩を進めた。
目の前に広がるのは、聖地からの迎えが来るまで、聖地のことはもちろんのこと、女王も守護聖も何も知らぬままに彼が生まれ過ごした惑星。
かつてはじめて宇宙から見た時、オスカーはまるでエメラルドのようだと思った。それほどに翠深く輝いていた惑星だった。しかし今、その惑星は醜く焼け爛れた死の惑星と化している。だがどのように変わり果てていようとも、故郷である事実に変わりはなく── 。
「……やっと、帰ってこれた……」
オスカーは目を細め、感慨深げに呟いた。
そんなオスカーに、デーニッツは遠慮がちに声を掛けた。
「閣下」
視線はそのままにデーニッツに意識を向けたオスカーに、促されるまま先を続ける。
「シャトルの準備は終えています。いつでも、出られます」
その言葉にオスカーは一旦その蒼氷の瞳を伏せ、それから振り切るように躰ごとデーニッツを振り返った。
「……面倒を、掛けたな。私の身勝手でこんなところまで付き合わせて、すまなかった」
そう詫びるオスカーに、デーニッツは、ただ、いいえ、と俯き気味に首を横に振って否定するだけだった。
オスカーはそんなデーニッツの肩を軽く叩くと、シャトルのある格納庫に向かうべく一歩踏み出した。
それにハッとして、デーニッツは切羽詰った声でオスカーを呼び止めた。
「閣下っ!」
「……」
その声に足を止め、振り返る。
「……お気持ちは、変わりませんか? ご決心を変えていただくことはできませんか!?」
オスカーの決心がいかに固いかはよく知っている。いまさらその心を変えることは叶わぬだろうことも過ぎるくらいに承知している。それでも、デーニッツは言わずにはおれなかった。
行かせたくない。できることならば、許されるならば、力ずくで無理やりに押さえつけてでも、このまま彼を連れて帰りたい、とすら思う。そしてそれはデーニッツのみではなく、この艦に乗船している全ての者の思いだ。
そんなデーニッツに、オスカーは力なく首を横に振って答えた。
やはり、と思いながらも、絶望がデーニッツを襲う。
「……私には、そんなふうに引き止めてもらえるような資格などない。ただの愚かな男だ。実際、呆れただろう? 強さを司る炎の守護聖だなどと言ったとて、所詮はこの程度の男に過ぎないと分かって」
そう言って淋し気に自嘲の笑みを浮かべるオスカーに、デーニッツは否定の意を示した。
「閣下、私たちは閣下が守護聖だから閣下に従ってきたのではありません。立場の違いはありましたが、閣下はいつも、守護聖としてではなく、私たちと同じ軍人の一人として、私たちに対して下さいました。だから私たちは閣下に従ってきたのです。閣下が守護聖であるかどうかなど、関係ありませんでした」
デーニッツの言葉にオスカーは目を見張り、それから嬉しそうに微笑った。
「そう言ってもらえるのは、嬉しいことだな。全てを失って、絶望と憎しみだけに囚われていた私がここまでこれたのは、おまえたちの存在があったからだ。聖地を離れ、おまえたちといる間だけ、守護聖であることを忘れて、私は私自身でいることができた。こんな私を受け入れたくれたおまえたちには、言葉では表せないほどに感謝している。
……望めば、このままおまえたちと戻って、守護聖ではない、本当にただの一人の人間として、軍人として一生を送ることはできるだろう」
「ならば……!」
再度、オスカーは首を横に振った。
「だか……」窓の外、目前にまで近づいた惑星を見つめながら半ば呟くように告げる。「いまさら生き方を変えることはできない。なぜなら私は、このために、この時のためだけに、今まで生きてきたのだから」
そう静かに語るオスカーに、デーニッツはそれ以上告げる言葉を、掛ける言葉を持たなかった。
「私がヴィーザに降りたのを確認したら、早々に去れ。いつまでも私に付き合う必要はないからな」
オスカーの言葉に、今度はデーニッツが首を横に振る。
「デーニッツ?」
「申し訳ありません。はじめて閣下のご命令に逆らいます。主星を発つ前に、副指令より、最後まで見届けるようにと、そう申し付かってまいりました」
オスカーは右手で前髪を掻き上げながら溜息を付いた。
「あまりみっともないところを見られたくはないんだがな……。好きにするがいい」
「ありがとうございます」
デーニッツが敬礼するのを見やって、オスカーは踵を返した。そしてそのまま出口に向かい、ドアがシュッと音を立てて開く。
「閣下っ!!」
そのまま通路に出ようとしたオスカーを、デーニッツが再度呼び止める。
まだ聞いていないことがある。確認しなければならないことがある。
オスカーは、振り返ることなく、ただ足を止めた。
「……か、……回収、は……」
尋ねる声が震えるのを、デーニッツは止められない。そしてまた、何を、とは言えなかった。
オスカーも、何を、とは問わない。ただ、
「無用である」
迷いもなく答え、彼は歩き出した。
扉が閉まり、オスカーの姿が見えなくなって、デーニッツと、そして艦橋にいて二人の遣り取りを息を詰めるようにして聞いていた者たちは、扉の向こうに消えたオスカーに向けて、不動の姿勢で敬礼を送った。
数分後、駆逐艦は航行を停止、予定通りの位置に艦を固定。ほどなくして女性オペレーターの声が艦橋に響いた。
「シャトル、出ました」
その声に顔を上げて外を見れば、艦から飛び立った小型シャトルが、惑星に向かって真っ直ぐに進んでいくのが確認できる。
「大気圏突入まであと2分。突入後、暫く通信は不通になります。進路クリア、進入角度良し。そのまま真っ直ぐ進んでください」
『了解』
スピーカーからオスカーの短い応えが艦内に響く。
オスカーの機体操縦に不安はない。見事に機体を操っていた。
オペレーター以外の全ての者が── 艦橋にいる者だけではなく、艦内にいて手を止めることの可能な全ての者が── 窓の外に、モニターに映し出されるものに釘付けになる。
長い間、彼ら王立派遣軍の頂点に立ち、尊敬と憧れをその一身に集めていた男の、最期の時を見届けるべく───── 。
大気圏に突入し、摩擦熱に赤く染まった機体が、時間の経過と共に元の機体の色を取り戻していった。
「通信回復、クリア。こちらでは確認できませんが、何か異常はありますか?」
『ない、良好だ。この近くに着陸できそうなところはあるか?』
オスカーの問い掛けに、パネルを操作したオペレーターが答えを返す。
「そこから南南東に500メートルほど進んでください。比較的平らで広めな台地があります。そのシャトルの性能なら、着陸に支障はありません」
『了解』
オスカーはオペレーターの指示通りに機首を南南東に向け、それを追うように、駆逐艦も艦首を動かした。
間もなくオペレーターの示した台地を確認したシャトルは着陸態勢に入り、そのまま1q近い滑走ののち、静かに停止した。
『デーニッツ』
艦橋の中央スクリーンは、シャトルの操縦席にいるオスカーを映し出していた。
『世話を掛けて、済まなかったな。私はいくが、皆、息災でな』
その言葉を最後に、通信機のスイッチが切られ、スクリーンからオスカーの姿が、消えた。
「閣下っ!!」
どんなに叫んでも、呼びかけても、もはや応えは返らない。
|