オリヴィエの館を飛び出したランディが向かったのは、オスカーの館だった。そこに人の気配はなく、寒々とした印象を受けた。恐る恐る玄関の扉に手を掛けようとした時、内側からそれが開いた。
「ランディ様」
ランディの名を呼んだのは、この屋敷で長年オスカーに仕えている執事のハインリッヒだった。ランディはほっと安堵の息を吐き、次に、その腕の中にあるものを認めてはっとした。
「その剣……」
ハインリッヒが持っていたのは、オスカーの愛用の大剣と、大きな鞄が一つ。
「これでございますか。これは、形見にと、頂戴いたしました」
ハインリッヒは愛しそうに剣を見つめながら答えた。
「かた、み……?」
「はい。処分するようにと申し付かりましたので、ならばせめてもの形見にいただきたいと申し上げましたら、好きにしろと言ってくださいましたので、いただいていくことにいたしました」
「…………」
「申し訳ありません、閉めたいので、下がっていただけますか?」
「え? あ、ああ」
一瞬、何を言われたのか分からなかったが、自分が玄関の扉を挟んでハインリッヒの前に立ち塞がっているのに気付いて、脇に退いた。
ハインリッヒは扉の外に出ると鞄だけを下ろし、衣服の内ポケットから鍵を取り出して玄関扉に鍵を掛けた。
「どうして鍵を……?」
鍵を掛け終えたハインリッヒは、鞄を持ちながらランディに向き直った。
「誰もおりませんから。オスカー様にお仕えしてきた者たちは── と申しましても、殆ど私の縁者ばかりなのですが、私を最後に既に皆お暇を頂戴しました。オスカー様以外の方にお仕えする気はないと申して」小さく、どこか寂しげな笑みを浮かべながら、ハインリッヒは続ける。「次の方に仕える者たちは、既に手配してあります。あと1時間もしたら揃うでしょう。けれどいかな聖地とはいえ、短時間でも、誰もいない館に鍵を掛けずにいるわけにも参りませんし、かといって、オスカー様が去られたこの館ですることもなく待っているのも辛いので」
実際には、この館に仕える者以外には聖地では知る者は誰もいないが、この館にいたオスカーの部下四人も既に退去している。オスカーの退任が決まり、次代の者が聖地に来る日程が判明した時点で、その来訪前に、この館の地下室にあったコンピューターは全て分解されて外界に持ち出された。おそらく、今頃は既にその四人の指揮の下で、外界にある王立派遣軍総本部の中のどこか、あるいは別の秘密の場所で組み立て直されているのではないだろうか。その蓄えこんでいるデータと共に。これにはハインリッヒの推測もあるが。それ以外の王立派遣軍総本部と繋がれていた機器も── 宮殿の執務室内に取り付けてあった物も含めて── 全て同様に取り外されており、現在のこの館は、オスカーがこの館にやってくる前、さらに正確には、かつてオスカーがこの館を飛び出して戻ってきて間もない頃の状態に戻った形だ。
そしてハインリッヒ以外の、オスカーに仕え続けてきた彼の身内の者たちは、次代の者が来る少し前から秘かに進めていたことではあったが、館内にあるオスカーの、現在となっては遺品といっていいだろう物を指示通りに全て整理し終えた後── 個々にオスカーの許可を得て何かしら形見分けといえる品をを貰っていったようだが── に自分たちの荷物を纏め、1時間ほど前に出て行った。今はもう、ハインリッヒが最後の一人だ。最後に館の全てを一通り見て回り、何も問題となるような物、オスカー個人の物も何一つ残っていないか── 現時点での唯一の例外はハインリッヒが持っている、彼が形見として譲り受けた形の大剣だけだ── 確認を終えて、彼もまた去ろうとしている。彼がこれから向かうのは、一足先にこの館を出て行った身内たちのいる新しい家だ。皆、オスカーは何も告げなかったから、全てを承知し、理解していたわけではないが、それでもオスカーが抱えていた慟哭を多少なりとも知っている。オスカーの部下たちがしていたことも、直接聞いていたわけではないが、共に過ごす日々のうちに朧に察してはいた。もちろん、それを他の誰かに告げるつもりなど全くなく、ただそれらその思い、記憶を胸に秘め、ハインリッヒは妻と共にこれを機に隠居するつもりだ。娘夫婦や甥夫婦は、その子供たち── ハインリッヒからすれば孫たちだが── それぞれに新しい人生を構築していくことだろう。しかし皆、オスカーのことは生涯に渡って決して忘れることはできないだろうと、ハインリッヒはそう思う。
「それでは」と、そう言って頭を下げてハインリッヒが立ち去るのを、ランディは呆然として見送ったが、その後ろ姿が小さくなった頃、誰もいなくなったオスカーの、否、炎の館から慌てて再び駆け出した。
ランディがオスカーの館の次に向かったのは、聖地内にある王立派遣軍の施設だったが、そこは全てを拒むかのように門を閉ざし、守衛すらもその姿を消していた。ありうべかざることだった。
門の上に取り付けられているカメラでランディが来ていることは分かっているはずなのに、その門が開かれることはなく、誰も出てもこなかった。
そして見上げれば、建物の上に翻るのは、ポールの途中で止まった見慣れぬ文様の旗だった。旗の文様はともかくとして、その状態が何を意味しているのか最初は分からなくて、けれど暫くして、それが弔意を表すものだったと思い出し、愕然とした。改めて、オリヴィエの言っていたことは事実だったのだと思い知らされたような気がした。
やがて諦めたランディは宮殿に向かい、オスカーの送別会の会場となっている広間にいる女王補佐官のロザリアを呼び出した。
事情を話し、驚愕するロザリアを促して、オスカーがいるという彼の生まれ故郷を確認すべく、ロザリアの執務室に行って、そこに備え付けられた端末から王立公文書館のデータベースにアクセスする。
そこで二人はまた愕然とした。そこにあるはずのオスカーに関するデータは、公的な執務に関する記録以外、全て消失していた。軍に連絡をとって問い質しても、オスカーから何も言うなと厳命されていると拒絶され、彼らはオスカーを追う手段を失った。
女王や他の守護聖たちの待つ広間に戻った二人は、真実を告げることはできずに、ただ、オスカーは都合で出席できなくなったとだけ告げるしかなかった。
◇ ◇ ◇
オスカーの後任となったランディを、王立派遣軍は表面的には受け入れたが、オリヴィエが危惧した通り、真の意味で認めることはなかった。それまでの慣例に逆らい、ランディに“元帥”の階位を冠することを拒絶したのである。
曰く、「軍がシビリアン・コントロールの下にあるのは当然のことであり、王立派遣軍が女王陛下に仕えるものであるという立場を内外に対して明確に表明することからも、総司令官として風の守護聖であるランディ様を迎えることに問題はなく、喜ばしいことである。そしてもちろん、過去の慣例として、総司令官には自動的に元帥号が授与されてきていたことは承知しているが、前任者であるオスカー様を知っている現在の我々王立派遣軍としては、士官学校を出、たとえ僅かの期間であったとしても、実際に軍人としての経験もあったオスカー様と異なり、軍隊という組織について全く知らない、軍人ではない、何の経験もない方に対し、軍の最高階位である元帥号を与えるのは如何なものであるかと考えざるを得ない。つまり、過去の慣例を破ることにはなるが、軍としてはランディ様に元帥位を授与することは承知いたしかねる」と。
これに対し、王立派遣軍首脳部のあまりに頑なな態度に、聖地側は無理強いはできないとこれを受け入れた。
一方、公文書館のデータベースから消失していたオスカーのパーソナルデータに関して、王立研究院の協力を得てその復旧を図ったが叶わなかった。その際、研究院のそれは必ずしも進んでのものではなく、致し方なくといった態度が見て取れ、協力的とは言いがたかった。
【王立公文書館記録】 |
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【王立派遣軍文書課記録】 |
第170代 炎の守護聖
オスカー
在 位:標準暦第255期54年〜
第256期958年
生 年:不明
出身惑星:不明 |
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第167代 王立派遣軍総司令官
オスカー・ラフォンテーヌ元帥
Ω座ルアサ星系第3惑星ヴィーザ出身
標準暦第255期36年12月21日生まれ
第255期54年9月15日着任
第256期958年12月8日逝去
惑星ヴィーザにて死亡を確認 |
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一年後、夢の守護聖オリヴィエ退任。その間、オリヴィエはオスカーのことについては黙して語らず。
それからほどなく、王立派遣軍は王立研究院と連名にて、1500年近くに渡って収集されたデータを公表、サクリアは最終的には寧ろ宇宙にとって有害なものであるとして、聖地は不要であると訴え、公然と叛旗を掲げ叛乱を起こした。
その先頭に立つのは、印象的な燃えるような緋色の髪と蒼氷の瞳をし、今は亡き第167代総司令官と同じ名と、よく似た容貌を持った、若干20歳のオスカー・ラフォンテーヌ元帥である。
時代が、変わる。
宇宙は聖地を失い、遠い昔の、聖地や女王の存在しなかった頃へと、回帰する───── 。
── das Ende
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