えーころかげんな日記

「なんだ、くだらない駄洒落じゃないか。」

春が来た

あなた方はこの文章を読んで、何を感じたとしてもけっして私のところに黄色い救急車を呼んではならない。なぜなら、これはさほど真剣に書かれたものではないからだ。

何処に来た

2001/04/01

こんな日だから今日ぐらいは本当のことを書こうと思う。これらの文章が日常の出来事を比喩的に書いた者と思っている人が多いけれど、それは大きな間違いだ。これらの文章は全て紛れもない事実を詳細に描いただけなのだ。神は僕の家に住んでいたし、本は僕にしゃべった。キツネや猫がおしゃべりしているところも出くわした。そしてこれらの主語も隠語でも何でもない。正にその通りの意味なんだ。みんなそれに気づいてない。本当だってば。

2001/04/02

教祖様は旗に向かって土下座した。信者達も土下座した。教祖様は旗になら首を切り落とされてもいいと思っただろう。しかし、旗は許さなかった。とは言っても実際に本人に聞いたわけではなく、このあとの旗の行動からそう察したのである。旗は腰に下げたサーベルで教祖様の首を一降りで切り落としてしまったのだ。すると教祖様の首はふわふわと浮き上がり教壇の前に立って長々と説法を始めた。教祖様の首はあまり説法が得意ではないらしく、話は面白くもなかったので割愛させてもらおう。

教祖様の首が説法を終えると、次に教祖様の体がゆらゆらと立ち上がりまた別の説法を始めた。
「おめでとうという字は芽が出ると書くのです。春が始まる。新しいことが始まる。それがおめでたいのです。」
と、そこへ一人の若い信者が反論をしかけました。
「おめでたいというのは、愛でる事をしたいという第三者の主観的な意識ではありますまいか。」
「いやいや、若者よ。それは政府が隠された事実が明るみにでないように仕掛けた隠れ蓑にすぎないのだ。」

口論はしばらく続いたが、その内教祖様の体に残された首の部分から新芽がぴょこんと出てきたものだから、さすがに若者も納得せざるを得なかった。

2001/04/03

さて、どうしたものかな。実際のところ、どうにもしようがない。茶葉が少ないところへ大量の熱湯を注ぐ。するとどうだ。お茶は出ない。これはお湯のようなものだ。そんなものをお客様に出せるかい?まあ、茶葉を買っておかなかった僕の責任なんだが。そんなわけで出すお茶がないのだよ。饅頭でも食べるかい?そうか……。

2001/04/04

我に光を。光を与えよ。たった一条でいい。この薄暗く冷え切った牢獄の中に、少しでも明かりと熱をもたらすのならば。

さもなくば怒りを。怒りを与えよ。それだけで我はあきらめと憂鬱を拭い去り、血をも止めて動き出すであろう。

あるいは錨を。錨を上げよ。大地へつながれた我が魂を解き放て。新たなる船出を導いてくれるがよい。

それが叶わぬならば、理解を。理解を深めよ。未だ分別も評価もなされておらぬ。未だ洞窟の入り口にすら足を踏み込んだものはおらぬが故。

もっと視界を!もっと癒しを!!芝居を!!!竹刀を!!!!地雷を!!!!!未来を!!!!!!

2001/04/08

もう、やめにしましょう。こんな事は。何も生み出さないもの。意味のないことです。貴方には私が見えますか。私には、何も見えません。何も見えないのです。私の声はことごとく飛び散り、光は私の体を突き抜けていくようです。私の触れる何物も動こうとはしないのです。私は今ここに私がいることにすら疑問を感じるのです。私はここにいるのでしょうか。はたして私は考えているのでしょうか。私は例えば一人の売れない小説家が無い知恵を絞って作り出した人物の一人で気まぐれな商業主義の編集者の一存ででたり消えたりする存在ではないでしょうか。私の脳は背骨とともに大きなアクリル製の筒の中のリンゲル液に浮いており、あちこちにつながれた電極からこのような信号を得ているだけかもしれません。あるいは、あの交通事故以来十数年眠り続けたまま夢を見ているのかもしれません。

嗚呼、もう私を救ってくれる何物も有りはしません。貴方は存在しない。私は存在しない。私は考えていない。神は存在しない。

もう、やめにしましょう。こんな事は。何も生み出さないもの。意味のないことです。

01/04/06

日は落ち、月がのぼりて、夜は更けぬ。さらなる時を、数え上げるも、種は無し、花も開かず、実も付かず。うちはうち、よそはよそ、ただ押し黙り、押し黙り、思いは彼方、駆け馳せ飛び散る。

2001/04/09

だらり。ぐるり。そろり。そろり。くるり。にやり。すらり。きらり。すぱり。たらり。はらり。ひらり。ずぶり。ずるり。ざくり。どろり。ぬるり。くらり。くらり。ばたり。

2001/04/11

I know in fact.
But I thoght "Maybe." 'cause it's so expensive.

(Repeat)

Regret has never come before.
But don't say me "Don't regret."

I've got used shoulder blues.
'Cause my bag is filled in blues

(Repeat)

But just one thing what I want to say is
"The coffe time passed was never taste.
Prease pay back me 2$ prease."

分かっていたんだ 本当は
でも、こんなに金を取るんだから
もしかしたらとそう思った

分かっていたんだ 本当はね
でも、これだけ高いんだから
ちょっとは期待をするじゃぁないか

後悔はどうやったって先にきやしない
だけど後悔するなってのは おいらにはちょっと無理ってもんさ

憂鬱を背負うのは慣れてるんだ
おいらの鞄には憂鬱がいっぱい入っているから

憂鬱を背負うのは慣れっこになってる
おいらの鞄は憂鬱でいっぱいだから

だけどこれだけは言わせてくれよ
作り置きのコーヒーなんかどうやったって旨くはならない
250円を返してくれ

2001/04/12

いい加減な人生、いい加減な生き方、退屈な日常、鬱屈した感情、うち寄せる荒波、見慣れた景色、昨日までのこと、峠の茶屋、野鳥の観察、辛い思いで、電線の凧、これからの希望、失われた記憶、空想の具現化、隠された真実、尽きせぬ思い、意味のない歌、沢山の無駄、堕落したもの、野に咲く花、名も知らぬ人、時の流れ、歴戦の兵、野良犬の心、ろくでもない男、小賢しい知恵、

2001/04/15

本当は分からないことばかりだ。知っている振りをしているだけで。自分でも調べてはいるさ。でも参照した物自体が間違っているかもしれないし、その資料が参考にした文献が間違っているかもしれないし、あるいはそれを読みとるときに勝手に解釈してしまっているかもしれないし見落としているかもしれないし、大きな勘違いをしているかもしれない。もしくは言おうとした段階で間違った風にでてくるかもしれないし、重要な情報が欠如して適当に補われているかもしれない。そうでなければ、僕は何か(それは宇宙人かもしれないし、教祖様かもしれないし、電波かもしれないし、ホルモンかもしれないし、モノリスかもしれない)に操られているかもしれない。第一この文章を書いている人間が僕であるという保証はないんだ。僕でないという保証もない。あるいは僕の体が勝手にこんな事を書いているのかも知れないし、僕の中の別の人物がこれを書いているのかも知れない。

だとしたらだ。こんな人間の言うことは何一つ信用すべきじゃない。むしろ耳を傾けるべきではないんだ。こんな人間の言うことをいちいち憶えておいてそれが嘘か本当か確かめるだけエネルギーの無駄だし、それが嘘だと確かめられたところで何も生み出さない。意思の疎通をしようとするだけ、それは貴方の精神を疲弊させ、貴方の心を煩わせることになる。そして貴方は精神病院の中でき○がいじみた精神科医に囲まれて一生をおくることになる。そうなったときにはもう遅い。あいつが悪いとどんなに強く言ったところでそれは妄想だと教えられ、そう言った馬鹿げたやりとりが5年間続いたのち、ついに貴方はあきらめて本物になる。

だからもう一度言おう僕の言うことを信用してはいけない。何一つだ。

2001/04/17

つくづく呪われている、と彼は思った。様々な人に全く同じ質問を何度もされるのだ。彼はもう飽き飽きしていた。それでも、質問は止まない。それこそは彼を前にした人間が抱きうる最初にして最大の疑問であるらしかった。しかし、それは同時に彼の感じうる最大の苦痛を彼に与える物でもあった。

彼はその事について積極的に考えようとはしていなかっただろう。それだけの苦悩がその問題の中に秘められているのだ。だから彼はいつもそれを尋ねられたとき、答えに窮して記憶を巻き戻したうえに感情の波に巻き込まれて溺死してしまう。それは底なしの沼か、そうでなければ大時化の玄界灘だ。

例えば人は言うかもしれない。
「お面をかぶればいい。」
それは確かに名案だと言える。ひょっとこなり天狗なりのお面をかぶれば万事解決というわけだ。しかし、社会において実に有効であろうと思われるこの方法の唯一の欠点は、彼がお面をかぶるのが好きではないというところにあった。

実際のところ、彼は自分でない者を装うということが得意でなかった。むしろ嫌悪を示していた。その嫌悪は純粋な嫌悪ではなく半分以上は自我同一性拡散の恐怖から来る物である。自分が自分でないのならば生きている価値など何処にもない。彼はそう信じている。その信条は彼の妄想であるかもしれない。それは彼も薄々勘づいてはいるだろう。そして、その妄想を一から説明するよりもお面をかぶった方が遙かに効率的であることも明白である。だからこそ、また、彼はその手段を講じることにためらいを覚えるのだ。

この呪いはおそらく一生彼について回るだろう。そのたびに彼は針のむしろのうえをのたうち回るような感覚にさらされ、血を流すのだろうか。この呪いの原因のいくつかは彼自身にあった。一つは彼が限定された空間で正気を保つのが不可能だったこと。最大の原因は彼が『何かをやるといって、やらなかったら嘘になる。』と言うことを知らなかったことと、『自分自身に嘘をつくのが一番良くない。』と彼が考えていたことだ。

補足:幸か不幸かこれらの経験は彼の有する一番大きな妄想を更に強固な物にするのに一役買っている。

2001/04/18

いい加減ぼろぼろになった服をぽいと捨てられるのは、きっとヒトにとって服が目的ではなく手段に過ぎないからで、 同じ事はやはり靴や鉛筆やシャープペンシルにも言うことができるし、ギターやラジカセや時計にも当てはまり、蛍光灯や椅子や家についても同じであるが、 例えばここで考えてみてほしいことと言うのは、コメやミソや肉のことについてであって、これに付随してあげられる問題が、実際のところ自分に本当に正直なって考えてみないことにはどうにも解決しがたい、という性質を含んでおり、 そうでなければ自己の保身のためか、あるいは何らかの外的な理由によって、真実はねじ曲げられ巧妙に組み上げられた虚構に満ちた解答を得ることになってしまう、と言う事実をよく理解しておかなければならず、 この世の中にあふれる詐称と虚偽と欺瞞に対して断固として抵抗する姿勢をとることが望まれる、とは言ってもこれは貴方が目的の中に埋もれて日々の生活を送ると言うことを渇望している場合の話であって、 貴方が全ての事物は手段に過ぎないと言う真理を知っているのならばこの限りではないのであるが、貴方が何時までもその真理にしがみついているとなれば何時の日か貴方はそれを後悔するだろう、と言うのは貴方が貴方自身を手段としてしか考えられないのであれば、貴方が存在する必要を何処に求めていいのかわからず貴方は薄暗い裏通りの電信柱の下で街灯にてらされながら嘔吐する事になると言うことがよく知られているからであるが、 同じ様なことはやはり目的の中に埋もれて生きるヒトにも言えることで、それはつまりそれぞれの目的のために貴方が行動するとなれば貴方は貴方自身を手段として使わざるを得なくなり、そうすれば今度は貴方自身は目的とされない事になるからであり、この場合夕闇迫る川岸で泣きながら小石を投げ続ける羽目になると言うのが通説となっている。

2001/04/20

運転手はくぐもった声で言った。
「時差通学にご協力くださいますようーお願いいたします。」

僕は言った。
「運転手さん、通学に2時間もかけると2限目から始まったとしても必ずどこかでラッシュに出くわすんだ。」
しかし、運転手は答えなかった。
「えーまたー車内での携帯電話のご使用は大変危険ですのでーご遠慮いただきますようーお願いいたします。」

僕は少し憤りを覚えながら再び口を開いた。
「運転手さん、聞いてるのかい?」
「えー飲み終わりましたージュースの空き缶、ペットボトルー読み終わりました雑誌などございましたらー立ち止まらずに中程へお詰めください。」

ついに僕はかんしゃくを起こして、椅子に噛みつき始めた。運転手はやはりくぐもった声で淡々とこういった。
「えー最近列車への妨害行為が多くなっております。座席のカバーへの置き石、レールへの爆薬設置、石に向かって窓ガラスを投げるなどの行為を見かけましたら座席をお譲りくださいますようお願い申し上げます。」

そうして僕は座ることができたのだった。

2001/04/22 20:21

十ヶ月の昔、救世主は言った。
「目的の明解な者は幸せです。なぜなら彼らは自らの向かうべき場所も、彼らが他人に抱かせる印象も明確であるから。」

裏切り者は問うた。
「しかし彼らは本来の自分を廃棄している。それでも幸せでしょうか。」

救世主は答えた。
「しかり。本来の自分などどれほどの物でしょう。彼らは殻を脱ぎ捨て、より高貴な存在へと姿を変えることができる。」
「されども、その殻をこそ棄てざるべき核とは呼びませんか。」

問答の末、裏切り者は十ヶ月の後救世主の下を離れた。しばらくして裏切り者は道端で説教をしている救世主を見かける。救世主は昔と変わらぬ口調でこう言うのだった。

「目的の不明確な者は幸せです。なぜなら彼らは自らの思うままその姿を変えることができるのだから。」

2001/04/23

彼は仲間の政治家に自らの考えを熱く語った。

「現代の若者が政治家に抱くイメージとは何か?汚職、献金、不祥事、失言、虚言。つまり我々は悪人としか見られていないのだ。その悪人がだ。いつものように選挙の時にだけ駅前や町に現れて、どうせ果たされないであろう未来のことについて繰り返し不愉快な音量でわめき散らすわけだ。そんな人間に金を払う気になるか?俺はならない。そんな奴にはびた一文払おうとは思わないね。」

そこまで言って、彼はペットボトルの水を口にして一息ついた。

呆気にとられている仲間に、彼はまた話を続けた。

「俺は昨日、ついに気づいたんだ。これこそが紛う方なき真実に違いないという真理に。いいか?もし、当選したければだ。当選したくない奴はいい。当選したければの話だ。心して聞けよ。もし、お前達が選挙で当選したければだ。一切の。いいか。一切のだ。一切の街頭演説をしちゃあいけねえ。一言も発したらダメだ。ポスターもダメだ。あんな物は紙の無駄だ。資金も無駄になる。せいぜいが目の所に画鋲刺されてジョガーを驚かせるのが落ちさ。そんなのは面白くも何ともない。いいか、重要なのは最初に言ったことだ。決して演説をしちゃいけない。分かったか?」

2001/04/24

近年「」というのが一つの流行というかキーワードとなり、数年が過ぎるも未だに静かにくすぶっているところを見ると、やはり現代社会は「鰯」を必要としているのかと感慨に耽らざるを得ない。鰯の音楽、鰯グッズ、ついには鰯系偶像なる語まで飛び出しながらさほどの燃え広がりを見せない姿はあたかも低酸素下の炎のようで危うげである。

しかし、そんな鰯にもさすがに弱点はあるのであって、その弱点は以外と古くから歌として歌い継がれてきていたことが最近の研究で明らかになった。その歌とは、正にこの歌のことであった。
「お医者様でも草津の湯でも鯉の病は治りゃせぬ」

2001/04/25

たいていの女性はある程度の年齢を過ぎると、絵を描きたくなるらしい。人によっては小さい頃から絵を描いているかもしれないし、一生絵を描かない人もいるかもしれない。しかし、するかしないか、あるいはいつ始めるかと言う問題はこの際捨て置いて、もう少し重要な問題について考えてみたい。

ルネサンスの時代、遠近法が開発され舞台美術に採用されるに伴って劇場が方形になった事実と同じ様なことがここでも起きているのである。そう、彼女たちは重大なことに気がついていないのだ。あるいはこのように絵を描くという行為自体が元来そう言う性質を有しているのかもしれない。しかし私はこの点に強い矛盾を感じずにいられない。すなわち、彼女たちは自分の向かっているキャンバスが平面であると思いこんでいる。これは大きな間違いであると言える。その証拠は……などとは言うまい。もはや自明な事だ。自明なことであるはずなのに、彼女らはそれを忘れている。彼女らのキャンバスは立体なのである。

貴方がもし、過去に一度でもプラモデルの類を組み立てた経験があるのなら、私と同じような疑問を抱いているのではないだろうか。はたして、しかるべきパーツをしかるべき場所にはめ込まないと言う人がいるだろうか。あるいは、しかるべきシールをしかるべき場所に貼らないという人が。はたまた、プラモデルに陰影をつけて色を塗る人がいるだろうか。

考えるに、我々のプラモデルを作るという行為と彼女らの絵を描くという行為の間には、大地溝帯よりも大きな溝があり、両者の遺伝的交流が全く不可能なほどに隔てている。そして両者はそれぞれ独自の進化を経て現在に至るのである。両者は互いに相いれない。おそらくこれからもずっと。

2001/04/26

かりに、不愉快な声を発する口べたな伝道師が君達があまり興味のない話題について説教を用意して待っていたとしようじゃないか。かつ、君が伝道師の下へ向かう途中に大きなハルニレの木があって、大きな樹幹が広い木陰を作っているところへ持ってきて柔らかな風がそよいでいるんだ。

君はまず昔のクイズ番組を思い出し、ある化学会社を思い浮かべる。その次に、君は今まで自分の見ていた物が以下に小さな物であったかに気づく。続いて、この巨大で複雑な回転運動を続ける系の中で、あるべき本当の物、なすべき本当のことを見つけだすだろう。最後に君は伝道師とそのハルニレの木を天秤に掛けるんだ。たいていの場合は明らかな結果がでる。たとえその伝道師の話を聞かなかったが故に地獄に落とされるとしても。

一般に、『無駄に時間を過ごすことは無駄ではない。』ということができる。

2001/04/28

次のうちもっとも怖い物はどれか。

  1. 幽霊
  2. ゾンビ(動く死体)
  3. スケルトン(動く骸骨)

ではそれぞれについて検討してみよう。まず幽霊について。これはあまりおそろしい部類に入らない。まあたいていがぼうっとしているだけで、何かこちらに対して不都合な事をしてやろうという意思が見えない。仮にそれがあるにしても彼らはそれを実行に移すときに役に立つ道具を持っていない、あるいは明確に示されていないのだ。よって幽霊は除外することにしよう。

次に動く死体について。これはなかなか恐ろしい部類に入る。なぜなら多くの人は生物の動かなくなった物を死体だと思っているからだ。この恐怖は個人の認識を破壊し自分が世の中の常識について何も知らなかった事を思い知らされるという類の恐怖である。しかし、筋肉のメカニズムを知っている人間ならばこの恐怖にさいなまれることはないであろう。もう一つの恐怖は腐敗に関する恐怖である。多くの死体はあまり衛生的な環境では保管されていないため、細菌の温床となる。その腐った肉の中には黄色ブドウ球菌や破傷風菌、緑濃菌、サルモネラ菌など多くの有害な細菌が潜んでおり、近くにいるだけで感染するかもしれないといった恐怖である。しかし、ここで考えていただきたい。日本において一般的な葬法とは何か。火葬である。そもそも日本には死体が動く余地がないのである。

最後に動く骸骨である。すでにお気づきのことと思うが動く骸骨が一番恐ろしい。これは上記二点の怪物とは全く異なる恐ろしさを有している。これは正に常識を覆すタイプの恐怖である。たとえば、動く死体の恐ろしさが生物学的恐怖だとすれば動く骸骨の恐怖というのは物理学的恐怖ということができよう。科学の基礎中の基礎であるような法則までをもねじ曲げて存在するのがこの動く骸骨である。この怪物を見た者はその恐怖のあまりこう叫ぶであろう。
「ぎゃぁぁあああああああああああああああああああああ!筋肉がないのに動いてるぅううううう!!!!」

2001/04/29

僕は安いところてんを探していた。だから、その地下にある甘味処に入っていったのだった。といっても今日はお金がないから見るだけだ。その店には59000円のところてんが置いてあって予算的にはそれが一番いい。ただそのすぐ上に110000円のところてんが置いてあって、それを試食してみると味も食感もそっちの方が良くて、やはり見劣りする。やせ細った僕の財布さえ許してくれればそっちの方を買いたいぐらいだ。でもその110000円のところてんには、僕としてはいらない部分がたくさんあって、例えばがんもどきの味がするとかはんぺんの味がするとかちくわとこんにゃくの味を同時に楽しめるとかいった機能がついてる。僕はおでん用の鍋はもうあるから、味に関していえばあまり関係ないなと思う。しいていえばその110000円のところてんの魅力はその食感だけ、ということになる。でも食感といえばところてんの一番重要なところでもあるかもしれない。どうしたもんかなぁ。

2001/04/30

神には生け贄を。少女には花束を。敗戦国には菓子を。憂鬱には薬を。

「なあ、俺には何も変わらないように思える。何も変わったようには見えないんだ。」
「神の御心は底知れぬのほど深いのです。」
シスターはそう言った。俺はこう返してやった。「そりゃあそうだ。一番自分を信頼してる奴に息子を殺せなんていう奴の気が知れねえ。」

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