いけるところまで |
0.出発前夜 | |
2002年春,めでたくというかようやくというか,学生生活にサヨナラする時がやってきた。そこで,記念に無茶な旅行に行こうと企てる。当初は同期3人での九州旅行を考えていたが,諸般の事情で取りやめに。とはいえ,どうしてもどこかに行きたかったので,研究室を共に過ごしたT氏と出かけることとにした。 行き先は,@クルマで行ける,A多少金属に関係する,B就職したら行く機会がなさそう(※当時の感覚です),ということで「山陰地方」をターゲットにした。 足は当時の愛車セレス号,とりあえずの目的地は「石見銀山」。初めの1泊はT氏の実家で,その後はガイド本を頼りに当日宿を決めることに。そんな風任せの旅に出発。 |
1.助走区間の1日目 | 仙台市→上越市,約350km |
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2.まだまだ助走区間の2日目 | 上越市→舞鶴市,約430km |
T氏の実家を出て,北陸道を西へ向かう。まずは北陸道名物のトンネル区間だ。初めて自分の運転で走った頃(おそらくこのダメ旅)は対面通行区間がだいぶ残っていたが,今回は4車線化も完了していたので,かなり楽ちんに進む。 福井の手前(確か加賀IC)で高速を降り,かのダメ旅では断念した東尋坊へ立ち寄る。なかなか見応えのある崖であったが,海面をゴミが漂っていたりして,あまりここでダイブはしたくないかな。それを思いとどまらせる看板が多く,景勝地としては若干興ざめであった(仕方が無いのだろうけど。)。 東尋坊からひたすら海岸線を走り,敦賀に向かう。カーブとアップダウンの多い道だ(とはいえ,3日目に比べれば序の口)。途中,ガソリン残量が少なくなったため,小さなガソリンスタンドで給油するが,値段の高さに驚いた記憶がある(それでも,今(2012年)の平均よりは安かったはず)。 敦賀到着の時点で薄暗くなってきたので,今夜の宿を決めることにした。ガイド本をペラペラめくり,舞鶴ぐらいまでは行けるんじゃね?ということで,「かんぽの宿 舞鶴」を予約。国道27号線をひた走り,小高い山の上にある宿に到着。 2日目も,まあ,そんなところで。 |
3.一番長かった・・・3日目 | 舞鶴市→日吉津村,約250km |
この日から本格的に山陰の道を走る。とりあえずの目標は鳥取ぐらいか? まずは舞鶴を出て天橋立へ。レンタサイクルを借りて松並木を進み,股のぞきで有名な傘松公園へ。雨がぱらつくビミョーな天気であったが,眺めは「ほほう」といったところ。帰り道には廻旋橋(かいせんきょう)が動いている様子も見ることができ,ラッキー? さて,あまり寄り道は良くないということで,さらに西へ進み,城崎温泉を目指す。確かここで昼食,確か温泉は入っていない。 ここからが(結果的に)本日の最難関であった。まず,円山川の河口へ向かい,ここから海沿いを走ることにする。これが苦痛の始まりであったのだ。地形を考慮すれば当然何のだが,急カーブに加えアップダウンの連続,竹野で山陰本線と合流するころにはすでに嫌になる有様だが,引き返すわけにもいかず。このルート,餘部鉄橋を見たいという意図もあったのだが,香住で国道と合流する頃にはすでに戦意喪失。雨降りだったこともあり,ほほーと眺めるぐらいで鉄橋下を通過してしまったのだ(この時は,鉄橋が架け替えられることなど頭になく,今となっては悔やんでも悔やみきれない)。 さらに困ったことに,浜坂付近でトイレに行きたくなってきた。が,コンビニなどがない。鉄ちゃんの悪い癖で,名の知れた駅の近くにはなんかあるだろうと思っていたのだが,そんなに甘くなかったのだ・・・。結局,相当我慢しながら走り,ギリギリ(?)のところでガソリンスタンドに駆け込んだのであった。 と,こんな有様なので,確か15:00頃鳥取砂丘に着いたものの,雨の中歩く元気もなく,かといってここで1泊して明日再挑戦といった意欲も湧かない。なぜなら,明日もこの道が続いたら・・・と考えると,先に進まずにはいられなかったのだ(上記の通り,当初は鳥取泊まりも考えていた)。 で,国道9号線をそそくさと西へ向かうが, 一桁国道だけにスムーズに進む。まあ,それなりに平地もあるしね。ただし,だいぶ暗くなってしまい,景色などはほぼ見えないため,この区間のことは特段印象に残っていない。 そして,ようやく今夜の宿泊先である日吉津村の「うなばら荘」に到着。本日の走行距離は・・・250km???,こんだけ疲れたのにそれしか走ってないの・・・??? |
廻旋橋が回って・・・ |
船が通る |
股のぞき (必要に応じて上下反転させてくださいね!) |
国道312号線の看板と愛車セレス号 |
4.小休止の4日目 | 日吉津村→出雲市,約110km |
へろへろになった前日の反省を踏まえ,この日は余裕のある行程を心がけよう。 さて, 宿を出て境港方面へ向かい,そこから中海(大根島)を渡って松江に向かうルート。中浦水門上の道路橋を渡ろうとすると,運良く(悪く?)船の通過によりしばらく待たされる。ここは,可動橋なのだ(残念ながら現存しない・・・写真ぐらい撮っておくのだったかな)。 さて,無事江島経由で大根島に渡り,その後干拓用(?)の道路を通って本土(!)に戻る。海(湖?)の中を一直線に走る道路は初めてで,なんかドキドキ。 松江では定番の松江城や小泉八雲記念館を見物。その後,宍道湖の北岸を走り抜け出雲大社に向かう。平田あたりで昼食だったかな。出雲大社参拝の後は日御碕へ,断崖絶壁の上の高い灯台を見物。道を戻り,旧大社線大社駅跡を見ながら,この日の宿である「湖陵温泉,国引荘」に到着。確か,まだ明るかったはずで,このぐらいの1日だと楽で良いなあ・・・。 さあ,明日いよいよ石見銀山だ。 |
出雲大社 |
日御碕灯台 |
5.・・・の5日目 | 出雲市→滋賀県多賀町,約620km |
旅のクライマックス(?),大学で材料(金属)を学んだ者としては一応見ておきたい石見銀山。 朝,宿を出て国道9号線を西へ走り,大田市から山間に。石見銀山の観光といえば龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)ということで,駐車場に到着するも,ちょっと様子がおかしい。なにやら看板が出ていて,「坑道内の工事のため,3月○日まで公開休止」的なことが書いてある。どうやら,我々はピンポイントで工事期間に来てしまったようだ・・・がっかり。さらに我々を迷わせたのは,あと3日ほど待てば工事が終わり再開されるということ。そもそも,あてのないぶらり旅であるから,下関あたりまで往復して時間をつぶすことも考えたが,いかんせん疲れてきている。ということで,いつかまた来ようということで石見銀山はこれにて終了となった。 さて,すっかり意気消沈したものの,このまま帰るのも悔しいので,山陽側に出てみることにした。道ばたにうっすら雪が残る県道を走り,三江線沿いを因原(いんばら)へ。ここから国道261号線,大朝ICから浜田自動車道,中国自動車道,広島自動車道,山陽自動車道を経由して宮島口に到着。途中安佐SAで昼食をとったこと,高速は楽だなあ〜しみじみ感じたことが思い出される。 さて,宮島口から連絡船に乗り宮島へ。鹿と戯れながら有名観光地を観光した気分に浸る。 宮島口に戻り,今度は広島電鉄で広島市内へと向かう。が,市内で何をしたかさっぱり覚えていない。お好み焼きを食べた・・・気がしないでもない。おそらく,電車で往復したかっただけではないか?その割に,「グリーンムーバー(5000系)」に乗れなかったのは確かである。 そして,いよいよ帰り道,今晩中にどこまで行けるか。この旅ではここまで「車中泊」はしていないため,体力的には余裕がある・・・はずであったが,石見銀山のこともあり士気が下がっているのは否定できない。山陽道・中国道・名神高速経由で,多賀SA併設の「レストイン多賀」を目指すことにした。 いつぞやM氏と大激論を交わしながら走った山陽道,今回は逆方向(東行)だが,やはり走りやすい。体力的にもまだ大丈夫のようだ。しかし,名神高速に入ったぐらいで,モーレツに睡魔に襲われる。音楽をガンガンかけながら,最後のひとがんばりで,ようやく多賀SAに到着。そして,爆睡。 |
宮島へ向かう船のすれ違い |
海の中の鳥居 |
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厳島神社 |
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6.ようやく最終日 | 滋賀県多賀町→仙台市,約830km |
さあ,今日こそ・・・最終日にしたい(この時点でどこまで行くか決めていない)。朝食の後,昨夜に引き続き名神高速を走る。できるだけ先に進もうということで,そのまま東名高速へ。しかし,広島からの連続走行で,ガソリンがだいぶ減ってきた。かといって,高速のSAだと,ガソリン高そうだなあ。ということで,確か沼津ICか御殿場IC(忘れた)で高速を降り,ガソリンを補充。一度降りた高速にまた乗るのも何なので,そのまま箱根の山に向かう。 テレビではよく見る箱根駅伝のコース,初めて通ってみたのだが,その傾斜に驚き。こんなところを走るんだとの思いを新たにする。 その後,小田原厚木道路経由で東名高速に戻り,保土ヶ谷バイパス,首都高湾岸線,中央環状線経由で東北道へ。この時点で何時だったかは忘れたが,その日のうちに仙台に戻れそうな気がした。 東北道での走りは全く覚えていないが・・・まあ,生きて仙台に戻ったのは間違いない。 |
傾向と対策 | |
5泊6日,走行距離にして2500km超の,なかなか印象深い卒業旅行でありました。まあ,メインイベントが残念な結果ではありましたが・・・。その2年後のリベンジ旅の良いきっかけとなった,とまえむきしこうで。 ところで,この旅の写真を掘り出してみたものの,なんと24枚撮りフィルム1本分しかないのだ。今となってはもう少し記録を残しておけば・・・と思うのだが,卒業間近の金がない時期だったからか,もしくは走ることに意識が偏りすぎたのか,いずれにせよもったいない。このページの写真は,そんな貴重な記録なのであります。 |