旅の記憶 その3

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とりあえず四国まで



0,出発前夜 仙台→(東北道)→東京

  コンビニバイトもやめて小金持ちになっていた大学3年の春休み,せっかくだからどこか遠くに行ってみようと計画。ちょうど学科主催の工場見学で東京に行くことになり,そのついでに四国まで行ってしまおうと言うことに。どこがどのように「ついで」なのかは聞かないように。
さて,そんな折,知人M氏(岡山県倉敷市出身)が,どーせなら途中まで一緒に行きましょか,ということになり,彼の実家にお世話になることに。
 工場見学に3日,埼玉に2日滞在の後,四国に向けて出発。
 ちなみに,クルマはいつものセレス。四国旅行直後にスキーの予定があったため,スタッドレスタイヤでの出動。



1,東京出発〜倉敷まで激走 東京→(東名高速)→名古屋→(R258・R21他)→米原→(名神高速)→高槻・京都→(名神高速・中国道・山陽道)→倉敷

  渋滞の首都高を抜け,東名高速に乗り,西へ向かう。しかし,名古屋手前にて日没コールド。運転が面倒になったため,豊明市あたりの健康ランドにて1泊。
起床,朝から牛丼を食べ,雨の名古屋城・関ヶ原を見る。噂通り,ゆったりとした名古屋の道路に感動。その晩は,岐阜在住のお友達に会いに行ったM氏とは別々にお泊まり。翌日,京都での待ち合わせを予定していたため,私は名神高速にあるレストイン多賀にて1泊。
 起床,朝はヘルシーにうどんを食べ,京都に。二条城などを見学したまでは覚えているが,その後夜までなにをしていたか・・・記憶無し。う〜〜む。夕方,京都駅でM氏と落ち合い,セレスに乗って倉敷に向け出発。
 名神高速→中国道→山陽道を経て,倉敷へと向かう。道中,クルマの中で,ふとしたことから激論(喧嘩ではない)になり,車の速度がぐんぐんアップ。おそらく,「ぬうわ」km/hでの巡航であったろう。そのぐらいの速度は慣れた道ならともかく,初めての道ではそれなりに危険を伴うような気がしますね。タイヤはスタッドレスだし,オービスの場所も分からないし・・・。
 結局,気が付いたら岡山にいた,といった感じで,途中の記憶はまるで無し。なんとなく,トンネルが多かったかな〜〜,ぐらいのもの。捕まらなくて,ラッキー。



2,瀬戸大橋を渡る,そして山登り 倉敷→(瀬戸大橋)→坂出→(R438・R32他)→琴平

 M氏の実家で2日滞在し,倉敷市内を見学,そしていよいよ瀬戸大橋を渡り四国へ。四国入り口までM氏が同行する。与島PAで,とりあえず写真を撮ってみたり。スタッドレスタイヤが痛々しい。どこの橋もそうなのでしょうが,橋は見てうれしいもののような気がします。坂出にてM氏とお別れ。彼はその後ヨーロッパに・・・。
 いよいよ1人となり,とりあえず金比羅詣でに。高松琴平電気鉄道琴平線の羽間駅前に車を停め(ごめんなさい),とことこ電車で琴電琴平駅へ。そして,とことことこ石段を登る。お客さんを籠に乗せて山の上まで・・・等というお仕事もあるようですが,いくら給料が良くても小生には無理だな,等と思う。ちなみに,うどんは食さず。とことことことこクルマに戻り,再び松山に向け出発。



瀬戸大橋 与島PA。
タイヤはスタッドレス。

高松琴平電鉄。


予土線江川崎駅付近。
単行ディーゼルカー。
予土線には半家という縁起の悪い駅がある。
どちらかというと増毛が良いなあ。

沈下橋。
ちなみに,三川町には通称「もぐり橋」という,
沈下橋と似たような橋がありますが,
こちらには折り畳み式の欄干が付属。
本家沈下橋は欄干がない硬派な仕様。



3,漫然と松山に,面倒になり大洲に 琴平→(R377・R11)→川内→(県32)→伊予→(R56)→大洲

 車に戻り,国道11号線をひたすら西に向かう。困ったことに,途中の記憶がほとんどない。いや,道が思った以上に狭くて,なかなか先に進まなかった記憶はあるが。いい加減運転に飽きた頃,松山が近づいてきた。通常であれば道後温泉や松山城などを見るところだが,先を急ぎたい気分になり,国道11号に別れを告げ,伊予市に向かってショートカット。この時点で,すでに日没であった。
 陽が見えなくなるとさみしくなるもので,さらにペースをあげて56号線を宇和島に向かって走る。大洲市にて車中泊。「オズの湯」というお風呂やさん(日帰り浴場)の駐車場に車を置き,後部座席にて1泊。
 朝,起きてみるとセレスの周りを車が取り囲んでいた。というか,ふつうに風呂のお客さんたちですな。車中泊の欠点は,朝起きたときに何となく恥ずかしい気持ちになること。リヤウィンドウに遮光フィルムが欲しくなる。
 まあ,起きて顔を洗えばそんな気持ちもどうでも良くなるもので,張り切って出発。


4,四万十川下り,またも漫然と走行 大洲→(R56)→宇和島→(R320・R381)→西土佐→(R441)→中村

 いよいよ,楽しみにしていた四万十川下り。とりあえず宇和島から高知県西土佐村に向かい,江川崎から国道441号線を中村市に向かって走る。途中,沈下橋などを見る。ついでに,四万十川河口に向かってみたりもする。
 四万十川の感想,「おとなしい川」ってな感じ。本来,もう少しいろいろ考えを働かせたいところだが,もうそのころには集中力が弱っていた。



5,みたび漫然と高知・徳島へ 中村→(R56)→高知→(R32)→池田→(R192・R318・徳島道)→徳島

 中村市を出て高知市に。一応,高知城を見るなど,観光らしきことをして,国道32号線を北上。途中,特急「南風」などとすれ違う。ああ,列車に乗りたい。すでに,車で来たことに後悔している有様。
 高校野球で有名な池田町から吉野川沿いを徳島に向かう。何となくイメージでは狭い谷間を走るものだと思っていたが,実際は意外となだらかで穏やかなところであった(もっとも,夜だったので詳しいことは不明。真相はまたの機会のお楽しみ?)。徳島自動車道の上坂SAで2度目の車中泊。


6,酔い酔いフェリーと,その後のスキーと 徳島港→(オーシャン東九フェリー)→東京FT→(首都高・R122)→佐野→(東北道)→仙台

 帰りは徳島〜東京をフェリーで移動。徳島港(津田)発11:30。オーシャン東九フェリーの「おーしゃんのーす」か「おーしゃんさうす」のどっちだったか忘れたが,まあ,そのどちらかに乗る。いい加減でごめんなさい。
 このフェリー,「カジュアルフェリー」と銘打つだけあって,きわめてシンプル。船室はすべて2等寝台。レストランはないが,大量の自販機が設置され,「ラ王」や「スパ王」,「あ!あれたべよ」,「焼き鳥(高速のSA/PAなどにあるアレ)」などが勢揃い。乗船時にこれらを4品まで自由に購入できるカードをもらったため,早速「あ!あれたべよ ハヤシライス」をゲット。
 が,船に酔う。私の場合,寝ていればどうにかなる,というか横になるほかに乗り切る手段はない。後は東京までひたすら眠り続け・・・翌朝5:00,東京フェリーターミナル着。
 早朝の首都高(C1)をくるりと1周し,佐野市にて友人と合流,その足で仙台へ。その翌々日。スキーに向かう。岩手にドカ雪が降る。つい数日前までの陽気からすると,あまりにもギャップが・・・。



傾向と対策 というか 反省文

 反省の意を示すため,ですます調にしてみたりして。
 まず,最後まで読んでくださった方,どーもありがとうございます。というか,つまらなかったでしょう。書いている小生も,つまらなかったでした。そもそも,2週間も時間がある中で,四国滞在が実質2日というのは,あまりにも寂しすぎます。
 というのも,あまり計画を立てていなかった上に,工場見学を含めるとかなりの長旅だったため,途中から飽きてしまっていたのでした。特に,四国が一番楽しみだったのに,瀬戸大橋を渡ったぐらいがピークで,その後は必要に迫られて走っている感があったのです。
元々,その場の気分に合わせて柔軟に旅行しようと思っていたのですが,どうやら柔軟性と無計画をはき違えていたような気がします。少なくとも,私の性格では,集中力が切れると一気にいい加減状態に突入するようです。
 そんなわけで,これ以降の旅行は,とりあえずルートをある程度下調べして,日程にも目処をつけておくことにしました。日程を決めるといっても,「最低限この場所を目標にしよう」「最終的に,この列車に乗れば次にうまくつながる」的なものであって,あとは状況に合わせていろいろ変更しながら旅すると言った感じです。コアとなるルート・日程が決まっていれば,何となくの安心感もあり,初期の予定からはずれてもいろいろと楽しめるものです。
 長々とつまらない話をしてしまいましたが,何か参考になると幸いでございます。




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