旅の記憶 その15

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雨の山陰路



0,出発前夜  

 中・高の同窓生Y氏と私の2人での旅行。本来はもう1人参加予定であったが,諸事情で今回は断念。
 日程調整が難しかった今回の旅行。私の仕事と,Y氏の野球の試合と,その間でキツキツ・カチカチの突貫日程を作成する。今回の目的は,
   1,三徳山三沸寺 投入堂
   2,和鋼博物館
   3,石見銀山
であり,これに鳥取砂丘,二十世紀梨記念館,出雲大社,特急「やくも」号の洗礼,をプラスすることにした。

 交通手段ではいつものように鉄道を選択。「周遊きっぷ〜山陰ゾーン」のお世話になる。これに駅レンタカー(レール&レンタカー)を組み込んだ。「山陰ゾーン」は今回の旅行の全範囲をカバーし,しかも一畑電気鉄道やバスも利用できるなど,なかなか利用価値が高い(←個人の感想です)。これをフル活用することともに,往路では寝台特急「日本海」のお世話になり,時間を目一杯使う日程とした。

 一番の心配は台風により交通機関がストップする事であったが, どうやらその心配はなさそう。天気予報も,出発当日の昼に確認した範囲では,3日とも「晴れ時々曇り」ぐらいで極めて安定。良い旅行になりそうだ。

※旅行の写真は,Y氏にも提供して頂きました。ありがとさんです。



1,米沢・鶴岡を出発〜鳥取砂丘まで 鶴岡駅/米沢駅→(日本海2/べにばな3・各駅停車)→新津駅→(日本海2)→京都駅→(スーパーはくと1)→鳥取駅→(バス:鳥取砂丘麒麟獅子)→鳥取砂丘


 出発は仕事終了後。ということで,Y氏は米沢,私は鶴岡が出発地となる。19:30頃仕事を切り上げ帰宅,鶴岡発21:45に向け準備をしながら,webで天気予報をチェックする。3日とも雨ではないかーーー!!いつの間にか天気予報が変わっていた,が〜ん。秋の長雨シーズンに入ったそうで・・・。
 とまあ,がっかりしていても仕方がないので,準備を終え,寮生のMセンセイに鶴岡駅まで送ってもらう。鶴岡駅のコンビニはもう既に閉店していた。とりあえず,寝台列車での一夜に備え,水分だけは多めに購入しておく。
 その頃,Y氏は米沢駅から快速「べにばな3号」に乗り込むも,非冷房車の暑さに耐えかね,坂町駅で各駅停車に乗り換えるなどして新潟へ向かう。途中下車した坂町駅前のロー○ンでカピカピに乾ききったフランクフルトを購入したらしく,たいへん憤っておられたようで。

  21:40定刻に寝台特急「日本海2」号は鶴岡駅に到着し,早速乗り込む。鶴岡駅で行き違いとなる下りの寝台特急「トワイライトエクスプレス※」の入線を待ち,21:45に鶴岡駅を発車。早速,B寝台下段に収まる。駅によって,スムーズに発車したり,揺れが大きかったり,客車列車の醍醐味か?
  途中の新津駅でY氏と落ち合い,ひたすら京都にひた走る。早朝,強い揺れで目を覚ます。敦賀駅での機関車交代であった。

 6:36,京都駅に到着。朝食を買い込み,特急「スーパーはくと1」号の入線を待つ。東京からの寝台急行「銀河」号などが入ってくる。向かい側のホームは通勤客でにぎわい始めているのに,このホームではどことなくのんびりした雰囲気が漂っていた。

 いよいよ「スーパーはくと」が入線。この列車は,京都〜大阪〜姫路〜鳥取〜倉吉を,東海道本線・山陽本線・智頭急行線・因美線・山陰本線経由で結ぶ特急。高性能ディーゼルカーで,振り子機能を有している(振り子機能は,上郡〜倉吉で動作)。5両編成で,鳥取寄りの2両が自由席,京都寄りの3両が指定席。先頭車は眺めの良い非貫通型(下の写真)が基本であるが,整備などの都合で貫通型の車両になることもある。
基本的に,眺めの良い両先頭車が喫煙車になっているのが,少々ツライ点か・・・。

 と言うことで,「眺め」と「喫煙車」を天秤にかけ,「眺め」を選択。先頭1号車の最前列に乗り込む。 7:36,京都駅を出発,鳥取に向かう。線路状況の良い東海道・山陽本線を快調に飛ばす。複々線区間のため,緩行線を走る列車を次々に追い越し,大変気分がよい!!明石海峡大橋を眺めながら,上郡駅より智頭急行線に入る。ここからは振り子全開,カーブにも120km/hで突っ込むなど,攻撃的(?)な運転となる。智頭駅からは因美線,最高速度は95〜110km/h程度となるが,それでもスムーズな走りで10:03,鳥取駅到着。雲は多いが雨は降っていないので,せめてこの天気のままで・・・と祈る。

 駅前よりバスに乗り,鳥取砂丘へ。この区間は周遊きっぷが使えるため,得した気分。10:30前に鳥取砂丘到着,早速砂丘を歩く。砂に描かれたダイナミックな落書きに関心。海側が絶壁だったのは予想していなかった。ラクダさん達は,結構暇そうでありました。


※トワイライトエクスプレスは鶴岡駅で列車交換,酒田駅で運転士交代のため,それぞれ停車する。が,扉は開かない。乗降扱いしてくれたら,便利なのになあ・・・。



特急「スーパーはくと」鳥取側先頭車
独特の流線型

最前列から見た風景
明石海峡大橋もちらりと映る
トンネルでも前を見渡せ,非常に快適

鳥取砂丘
海へ向かって歩いていく人々

鳥取砂丘
ラクダ屋さん



2,雨の三徳山三沸寺 投入堂 鳥取砂丘→(バス:麒麟獅子)→鳥取駅→(スーパーはくと3)→倉吉駅→(バス)→三朝温泉→(タクシー)→三徳山三沸寺

  キツキツの日程のため,砂丘滞在時間は約40分。次の目的地へ向け,バスで鳥取駅に戻り,列車を待つ間に立ち食い「砂丘そば」を食べる。特急「スーパーはくと3」号に乗り,倉吉へ。この時点で雨が降り始めていたため,駅前のコンビニでカッパをご購入。
  倉吉駅からはバスに乗り三徳山へ直行!!といきたかったが,三徳山行きのバスが少なく,とりあえず三朝温泉までバスで向かい,その後はタクシーのお世話になる。ちなみに,倉吉駅から三朝温泉までのバスも周遊きっぷで利用可能。山に近づくに連れ,雨足が強くなっていく。

 何はともあれ,待望の三徳山に到着。ここにある「投入堂(なげいれどう)」は,下の写真の通り岩場に立つお堂で,誰が,何の目的で,どうやって建てたものなのか,今もって分からないらしい。「投入堂」の名は,行者が麓で造ったお堂を,気の力で岩場に「投げ入れた」という伝説が由来であるとのこと。 そもそも,投入堂までの道のりは「観光地」といった雰囲気ではなく,むしろ「登山」である。小生達もスニーカーにコンビニカッパという少々ゆるい格好で登っていったが,ロープやチェーン,木の根っこを掴みながら登らなければならないこの道を見て,投入堂の建立が人間業じゃない・・・と実感した。
 途中休憩などを挟みながら,登ることおよそ40分。ついに投入堂へ到着。しばらくの間「すげぇ・・・」とお堂を見上げていた。

 投入堂もすごいが,途中にある文殊堂や鐘楼堂(しょうろうどう)もなかなかのものだった。数トンはありそうなあの鐘は,どうやって持ってきたのだろう?現場で鋳込んだのか??

 帰り際,つえをついたじいさん・ばあさん3人組に「何分ぐらいで登れるかねえ?」と聞かれたため,「無理はしない方が・・・」とアドバイス(?)しておく。



三徳山 投入堂
岩場にそびえ立つ

途中にある文殊堂から望む
足を踏み外せば,死ねるかも

馬の背
岩の上をバランスを取りながら歩く

ほとんど崖状態
岩をつかみながら,慎重に登る



3,雨に濡れ皆生温泉へ 三徳山三沸寺→(バス)→三朝温泉→(バス)→倉吉パークスクエア→(バス)→倉吉駅→(スーパーまつかぜ7)→米子駅→(バス)→皆生温泉

 投入堂を見て大変満足したが,雨のためだいぶ濡れてしまった。特に,靴が悲惨な状態になっていたが,とりあえず泥だけ拭き取って,倉吉駅行きのバスに乗り込む(帰りはちょうど良いバスがあった)。次なる目的地は「鳥取二十世紀梨記念館」。しかし,バスはこの記念館から離れたところを経由するため,三朝温泉で別のバスに乗り換える(丁寧に教えてくださった運転手さんに感謝)。倉吉パークスクエアにある記念館に到着。展示物もなかなか興味深かったが,やっぱり「試食コーナー」ははずせないところ。おいしい梨と,梨紅茶をご馳走になる。

 小腹がすいてきたので,やはりパークスクエア内にある「てけてけ」というカレー屋さんでビーフカレーを食べる。なんと500円。うまい。腹ごしらえをしたところで倉吉駅に戻り,特急「スーパーまつかぜ7」号で米子に向かい,バスに乗り換え皆生温泉へ(米子駅〜皆生温泉間も周遊きっぷでOK)。今日のお泊まりは「ホールサムインかいけ」。温泉街から少しはずれたところにあるため,バス停から10分ほど歩く。途中,廃墟と化した大きな旅館が・・・。夜は勘弁して欲しい光景であった。

 さて,「ホールサムインかいけ」は非常に感じの良い旅館であり,雨に濡れた服を乾かし,温泉に入り,ゆっくりくつろいだ。夕食では,ペース配分を無視したために,ご飯が来る頃にはおかずが無くなっていた我々を哀れに思い(?),漬け物を差し入れてくださった。明日の天気を祈り,床に就いた。


4,待望の和鋼博物館,雨の松江城・日御碕 皆生温泉→(バス)→米子駅→(アクアライナー)→安来駅→(徒歩)→和鋼博物館→(徒歩)→安来駅→(各駅停車)→松江駅→(バス)→松江城→(徒歩)→松江しんじ湖温泉駅→(一畑電車)→出雲大社→(バス)→日御碕→(バス)→出雲市駅


 朝,太陽の光で目を覚ます。もしかして,今日は良い天気なのか???一応青空も見え,良い気分だ。宿を出て,バス・JRを乗り継ぎ安来市へと向かう。駅前から歩くこと約15分,和鋼博物館に到着。

 今回の旅のテーマの一つである,和鋼博物館。「たたら製鉄」の博物館で,鞴(ふいご)や玉鋼(たまはがね)といった資料,日本の製鉄技術の歴史などが展示されていた。
 「たたら製鉄」は高炉による現代の製鉄技術と異なり,砂鉄を原料とし,これを高温で燃やした木炭の中に入れて還元し,ヒ(けら:鋼や銑の混ざったもの)を得る手法※。1回の操業につき約3日間(約70時間)を要するなど重労働である。 一応,仕事がらみということで,時間をとって見学した。

 博物館を出て安来駅に戻る。列車ダイヤの都合から一度米子駅に向かい,昨日に続き立ち食い「大山そば」を食べる。昼食を終えて松江に向かう。このあたりから雨が降り始め,松江に着く頃には本降りに。Y氏は松江城の隣にあった物産館でビニール傘(315円)をご購入。松江城の券売所で200円のビニール傘を発見したが,その事実をY氏には伝えないことにした。
 松江城の写真を撮り,中の見学はとりあえず無しということで,雨の中,一畑電気鉄道の松江しんじ湖温泉駅へ向かう。この駅は2002年に改築された,綺麗なガラス張りの駅である。また,周遊きっぷでも全線利用可能など,今回の旅行で乗らない手はない(←個人的な意見です)。ということで,ここから出雲大社まで乗車することにした。途中,一畑口駅での方向転換,川跡駅での乗換などの諸手続きを踏み,出雲大社に到着。雨はさらにひどくなっていた。

 出雲大社に参拝し,外にいて濡れるのも嫌だったため,バスで日御碕に向かう。あれ,バス乗り場はどこだ?出発時刻は迫っていたので,少々焦る。結局,「観光センターいずも」の裏手にあったが,雨のせいか良く看板が見えなかった。ふう,ひと安心。 ちなみに,この路線も周遊きっぷで利用可能(←そろそろしつこい)。 日御碕では灯台に上り,ガイドブックにあったグラスボートに乗ってみようということになる。
 日御碕到着,グラスボートは本日欠航。仕方ない。灯台に向かい,狭い階段をぐるぐる上っていく。雨のため必ずしも景色を楽しむ雰囲気ではなかっので,恐怖感を楽しむことにする(下の写真)。
 グラスボートが無くなったため,時間が余ってしまった。そこで,2002年版(←ここがポイント)のガイドブックにあった国民宿舎「眺瀾荘」に向かい,風呂でも入ろうかと考えたが,なんと閉鎖されていた(後日,2004年1月の出来事であったことを知る)。とことん,ついてない。いや,変な神様にでもとりつかれたか?このまま外でバスを待ち続けるのも大変なので,バス停近くのお土産屋さんに入り,缶コーヒーと焼きイカで時間をつぶす。

 日御碕から出雲市駅まで直通のバスに乗り,今日の宿である「出雲ステーションホテル」に到着。靴・服ともにかなりひどい状況であり,ホテルにあったコインランドリーで洗濯。洗濯物を乾燥機を投げ込み,その間に,ホテルのおねいさんに紹介してもらったお店で「出雲そば」を食べる。昨日から,そばばっかりたべてる気がするが,山形県民として良しとしよう。
 ちなみに,「出雲ステーションホテル」は「旅の窓口」で予約したところ,約1,000円引きの4,515円となった。親切で,なかなか良いホテルだったなぁ。

※「たたら製鉄」の詳細については,小生の知識では十分な説明ができません。興味のある方,検索してみてください(すみません・・・)。



和鋼博物館
たたら製鉄やヤスキハガネの歴史を紹介

一畑電気鉄道,松江しんじ湖温泉駅
非常にきれいな駅舎

出発を待つ3000系電車
(元南海21000系,ズームカー)

日御碕灯台にて
「早く撮ってくれ」と高所恐怖症のY氏



5,石見銀山,リターンマッチ 出雲市駅→(駅レンタカー)→石見銀山→(駅レンタカー)→出雲市駅


 最終日は半日を帰路(電車乗り)に費やすため,自由に動けるのは13:30まで。目的地は石見銀山であるが,周遊きっぷのエリア外&時間節約の理由により,駅レンタカーのお世話になる。朝8:00,出雲市駅前,むしろステーションホテル前の営業所へ。車はTOYOTAのVitzであった。最近は普通にナビ付きなのね〜〜,と普通に感動する。

 ところで,石見銀山は以前(2002年3月)訪れたが,楽しみにしていた龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)
がピンポイントで改修期間だったという,苦い思い出がある。今回はwebなどで一応大丈夫なことを確認。大田市の街を通過し,9:00過ぎに石見銀山,龍源寺間歩の駐車場へ到着。Vitzを停め,駐車料金を払おうと管理人小屋に向かう。 管理人のおじさんがやってきて曰く,「間歩に水がたまっていて,中に入れないかも・・・」。がーーーーーん,悪夢再び。前日からの雨に加え,排水ポンプの調子がイマイチらしい。また,断念か????

 それも,開店(?)直後の出来事であって,時間が経つに連れ坑内の水は引いていった。一応,濡れずに通り抜けられるぐらいまで待って入坑。メインとなる間歩自体は十分な広さがあったが,枝のように広がる採掘抗の狭いこと。ここを這って採掘していたと考えると,大変な重労働であったことが偲ばれる。帰り際,お土産屋のおじさんに,労働者の平均寿命が20歳そこそこであったこと,無くなる人に対し寺が不足していたことなど,いろいろ教えられる。ついでに,お土産を勧められ・・・購入。話術に負けた感じ。

 念願の龍源寺間歩を見た後は,石見銀山資料館を見て,出雲市駅へ戻り道。途中の道の駅「キララ多伎」で昼ご飯,「海鮮そば」を食す。最後ぐらい「ラーメン」と思ったが,最後まで「そば」で押し切ることにする。
 13:15頃,無事出雲市駅に到着。Vitzを返却する。



龍源寺間歩の入り口
人が立って歩けるぐらいの高さ

間歩の枝部分を見る
ここを這って銀を採掘していたのだろう



6,帰るぞぉぉぉ!! 出雲市駅→(やくも20)→岡山駅→(のぞみ24)→東京駅→(つばさ129)→米沢駅→(車)→長井

 山陰を離れ,いよいよ帰路に。手始めに特急「やくも20」号に乗り込む。この「やくも」号に使用される381系電車は,国鉄時代に開発された振り子式電車。カーブを高速で曲がれる性能を有する点は「スーパーはくと」と同様だが,カーブ前後での補助機能(→ココロの準備?)が無いために,良く揺れるとの評判。小生は初の体験ということで,期待半分不安半分。そもそも,出雲市から長井まで約10時間。揺れ対策&体力温存のため,グリーン車を奮発することにした。但し,ケチ根性には勝てず,グリーン車利用は松江駅〜岡山駅間のみ。

 13:53,出雲市駅を出発,とりあえず自由席に乗る。窓際のエアコンダクト,それに伴う独特の座席配置など,興味をそそられるところも多い。そして,期待通り揺れる。比較的カーブの少ない山陰線区間のはずなのに。そんなこんなで松江駅に到着。グリーン車に移動する。
 「やくも」のグリーン車は横3列シートで広々。リクライニングを倒し,しばしうとうと。そうこうしているうちに,伯備線に入り,揺れがさらにダイナミックになる。途中,トイレに行ったところ「それ用の袋」が備え付けてあった。乗客にとっても,なかなか過酷な道中なのだろう。16:56,岡山駅に到着。弁当を買い,新幹線ホームへ。それにしても,この駅の連絡通路は狭い・・・。

 17:05,「のぞみ24」号は岡山駅を出発。前後の博多発「のぞみ」は500系だが,今回は700系。これも最終「つばさ」に乗り継ぐためだ。仕方ない。久しぶりの山陽・東海道新幹線だが,改めてカーブやアップダウンの多さを感じる。東北・上越新幹線乗車時にはあまり感じることのない縦横のGに少々酔い気味。疲れてんのかな?そんなこんなで,うだうだ過ごしつつ,500系オレンジカードを購入してみたり。20:30,東京駅に到着。

 ラストランナーは山形方面最終の「つばさ129」号。20:36の発車まで,乗換時間は6分。遅れるとピンチ。少なくとも,「えきから時刻表」の乗換案内では推奨しないらしい(標準は8分?)。もっとも乗換には問題なく,乗り込むは400系の元試作車。客室入り口の形状などにお里が知れる?今回は指定席を利用したが,宇都宮・郡山までの「つばさ」指定席利用者の多いこと・・・。Maxはお嫌いなのでせうか?22:48,米沢駅に到着。あとは,Y氏の車に揺られ,実家(長井市)に向かうのみ。それにしても,雨は降り続いている。翌朝の天気はどうなんだ?実家に到着。 野球の試合でのY氏の活躍を期待しながら,睡眠。



揺れに揺れた381系,特急「やくも」号
国鉄時代に開発された振り子式電車

新潟色に塗られたキハ52(手前)
米坂線小国駅で発車を待つ



7,オチ 長井駅→(山形鉄道)→今泉駅→(各駅停車)→坂町駅→(各駅停車)→村上駅→(各駅停車)→鶴岡駅

 翌朝。雨音が聞こえる。Y氏からメールが入る,「野球の試合は中止」。結局,新幹線を使って大急ぎで帰ってくる必要は・・・無かったのだ。すんすんすん。

 さて, 三川町在住の小生は,自宅に戻らなくてはならない。しかも,車はない。ということで,久しぶりに米坂線のお世話になる。この日は羽越本線の村上駅→酒田駅間で「SL出羽街道号」が運転される日であった。これを見るには今泉駅10:54発の列車に乗ればよいのだが,これと噂のフラワー長井線の接続が最悪。仕方ない。SLは翌日にして,今泉駅12:47発の列車で勘弁しよう。飯山線からのお下がりであるキハ52系(上の写真)に揺られ,坂町駅へ。羽越本線に乗り換えて,村上駅到着。ここまではスムーズな行程。

 が,村上駅では1時間強の待ち時間が発生。小腹がすいたのでラーメンでも食べようと思ったが,時間が中途半端で近場に開いている店はなし。結局,ジャスコの軽食コーナーで味噌ラーメンを食べる。すんごく,さみしい。
 村上駅16:03発の普通列車で鶴岡駅へ。久しぶりにゆっくり日本海を眺められたので,良しとしよう。三瀬駅で後続の特急「いなほ7」号に追い抜かれ,17:52,鶴岡駅に到着。さて,いよいよ最後,バスに乗ろう。駅前18:19発があったよなぁ。がーーーん,土曜日は運休。19:09のバスに乗った。長井を出発してから7時間。昨日の移動距離を考えると・・・・,やっぱり新幹線はすごい。



傾向と対策

 今回は,旅の前後共に日程の制約があったため(結局,後ろの野球は中止になったのだが・・・),修学旅行並に日程を調整して臨んだ。その割りに,松江市内の移動以外はそれほど焦ることもなかったし,まあまあゆとりもあった。良しとしよう。
 それにしても,野球が無くなったのはいろいろなイミで残念。特に,Y氏は相当悔しかっただろう。もし,野球の試合がない場合,境港でうまい魚でも食って,米子駅20:01発の「サンライズ出雲」で東京へ向かい,少しぶらぶらしてゆっくり戻る予定であった。「サンライズ」は振り子式電車ではないから,少々遅くとも妙な揺れはない,快適なぐだぐだ道中。
 そうそう,本来は行きも「サンライズ出雲」の予定であった。この方が時間は有効に使えたのだが,これは小生の仕事の都合で断念。17:50に新庄駅まで行くのは無理だものなあ,特にあの日は。

 以上,モノローグ。




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