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関連リンク;@タクシンの輝かしい事跡
Aタイの経済(2001〜2006年)
タクシンの政治
Th-1-1.タクシン政権の成立と民主党の惨敗(01年8月21日)
Th-1-2.シンガポールとの関係強化(2001年8月30日)
Th-1-3. タクシン政権の1年間(02年2月21日)
Th.1-4.タクシンの絶頂期の政治
Th.1-5.タクシン政治のカゲリ
Th.1-6.衰退に向かうタクシン
Th.102.ソンディ等の組織する反タクシン運動
Th.107.タクシン一家のシン・コーポレーション株の売却
Th.111.タクシンの政治危機と繰上げ選挙
116.タクシン後の暫定政権
(スラユット政権)(07年5月30日まで)
Th-1-1.タクシン政権の成立と民主党の惨敗(01年8月21日)
2001年1月に行われたタイの総選挙で通貨危機以降政権を担当してきたチュアン・リークパイ首相の率いる民主党はみるも無残な敗北を遂げた。
タクシン・チナワット(Thaksin Shinawatraをサンスクリット風発音に直すとチナワットになる)が98年7月に結成したばかりの新党タイ・ラク・タイ(タイを愛するタイ人= タイ愛国党以下TRTと略す)に、伝統ある政権政党がこれほどもろくも敗れ去るとは驚きであった。
最も驚いたのはIMF(国際通貨基金)であったかもしれない。しかし、民主党がある程度の敗北を喫するであろうことは現地の新聞などでは予想されていた。結果は500議席のうちTRT党は実に248議席を単独で獲得してしまった。
チュアン・リーク・パイの出身地である南部では民主党が圧勝したがバンコク選挙区では37議席中29議席がTRT党であり、民主党は僅かに8議席にとどまった。
TRT党はセーリータム(自由主義)党の14議席を吸収合併し、263議席となり単独過半数を獲得した。TRTはさらにチャワリット元首相(97年7月の通貨危機のとき首相であった)に率いる新希望党(New Aspiration Party=NSP)の34議席が合併により加わり293議席となった。
その後バンハーン元首相(金権政治家として有名)の率いるタイ国民党(CTP)の40議席などを加えた与党連合の合計議席は364にもおよび、下院での絶対多数を確保し、タクシン首相はオール・マイテイともいえる 独裁的権力を握ることとなった。
TRTは新政党といっても既成政党 から大量の人材の引き抜きをおこなった。TRT議員名簿をみるとかって悪名をとどろかしたような人物が結構名前をつらねている。従って、新政党にしてはあまり新鮮味が感じられない。
思想信条を一つにする同志的な集団とはお世辞にもいい難い。はっきりいうと個人的な利益集団であるといったほうが分かりやすいであろう。従って、個人的利益が損なわれた議員はかなりの不協和音を将来発することになろう。
ただし、70年代に活躍した学生運動の活動家が数名幹部におり、彼らがどの程度政策的影響力を持つかは注目に値する。ポピュリスト政策の多くは多分彼らの発想によるものであろう。
(民主党の敗因=IMFにあまりに忠実であったことにたいする不満)
民主党がなぜ負けたかといえば、タクシン財閥の資金力に負けたということがいえなくもない。97年憲法により小選挙区比例代表制が実施され、かなりの現ナマが飛び交ったことは間違いなく、やり直し選挙があちこちで行われたことをみても明らかである。小選挙区制のもとでは相対的に少ない買収資金でことたりる。
タクシンのポピュリズム(大衆迎合主義)的なスローガンは、農民への補助金のばら撒きや、国民が病気の際診療所に行くときは30バーツでよい(国民健康保険制度はない)とかの羅列であった。
これに対し、民主党は効果がはっきりせず、財政的裏付けのないようなポピュリズム的政策は打ち出せなかったのである。民主党はあまりに「生真面目」過ぎたのである。
民主党が政権を獲得したのは97年7月の通貨危機が始まって、新希望党のチャワリット政権が倒れた後の97年11月のことであった。IMFに資金救済を頼んだチュアン政権は大蔵大臣に 第1次内閣の時のタリン・ニマナヘミンダを再び起用、IMFからの融資とひきかえに、かなり過酷な融資条件(コンディショナリティ)を次々の飲まされていく。
極度の財政引締め政策や、付加価値税(消費税)の7%から10%への引き上げ、不良債権を抱えるファイナンス・カンパニー(56社)の閉鎖などである。
その結果タイは未曾有の経済不況(経済恐慌といって差し支えないと筆者は考える)に陥った。通貨危機と経済危機については 私は不動産部門への過剰投資=銀行危機による外国資金の逃亡が最重要要因だと考えている。それにIMFの融資条件が加わり。恐慌に発展したとみている。(拙著「東南アジアの経済」(御茶ノ水書房)の第3版第2刷、1999年9月発行、第11章を参照。)
タイの実質国内総生産(GDP)は96年+5.9%から97年−1.4%、98年−10.8%と戦後最悪の落ち込みをみせた。
巷には失業者の群れが・・・といいたいところだが、実際は必ずしもそうはならかった。なぜかといえば、タイは工業化がかなり進んだ 国ではあるが農業人口が50%近くあり、バンコク周辺で働く人たちも失業すれば農村に帰れた人が少なくなかったのである。いわば、ソシアル・セイフテイ・ネットが図らずも存在していたからである。
それはとにあれ、IMFが課した融資条件は極度の引き締め政策がその骨子となっており、タイの経済は奈落の底に沈んだのである。その「痛み」を背負わされたものは誰あろう貧しい一般国民であった。
その後タイ経済は徐々に回復軌道に乗ったかにみえた。1999年は実質GDP+4.2%、2000年+4.3%であった。しかし、この回復は輸出によって主導されたものであり、国内需要の回復は96年の水準に遠く及ばない。
特に、問題が大きいのは銀行部門である。タイの民間銀行は貸付の50%近くが「不良債権」となってしまった。現在は見掛の数字は20%を切るまでになっているが、実態はあまり改善されていない。不良債権を「子会社」に買い取らせたりして、かなり「見掛の数字」に化粧がほどこされている。
従って、タイの事業家は銀行から借金をして「新しい事業」を起こすことは容易でない。日本も同じような現象が起こっているがタイはそれが一層深刻である。要するに、新たな成長に向かってタイの国内資本家は動き出せないのである。ただし、日本などからの外国資本は安くなった労働力(バーツ切り下げのお陰)を求めて、多少なりとも進出してきている。
この間、民主党政府は一体何をやったのか?という問いが国民の間から出てきても不思議でない。特に、中間階級の多いバンコク市民はそういう不満を持った人々が多かった。チュアン首相は確かに「清廉」な政治家である。
しかし、清廉だけでは国民は食べていけない。チュアン首相は自らは弁護士であり、経済のことはタリン蔵相に任せきっていた。 タリンは 92年に第1次チュアン内閣の蔵相として政界入りする前はサイアム・コマーシャル・バンクの頭取であり、アメリカのハーバード大学に留学した超エリートである。
それだけではない。彼は米国流の新古典派経済学を学んだ「自由市場論者」でIMFとは極めて「平仄」が合う人物であった。IMFのスタッフのいうことが「抵抗なく理解できる」いわば「言葉が通じ合う」人物だったのである。
タリンは民主党の基本的な経済政策を立案し、実行した。多分その政策は「教科書的には正し」かったであろうが、結果において国民を満足させるものではなかった。おそらく彼はかなり細かい政策までIMFに「ご相談」しながらやっていった可能性が強い。彼はケインズ的な「内需刺激策」は限定的にしか採用しなかった。
彼は「財政赤字は経常収支赤字の原因であるからあまり増やせない」という経済理論に こだわっていたのかもしれない。
また、サイアム・コマーシャル・バンクは民間銀行であるがタイ王室の財産管理局が出資している由緒正しい銀行である。そこの頭取を務めていた彼の頭の中には国家財政は歴史的にはもともと王室財政そのものであったことからむやみに財政赤字は増やせないという精神的ブレーキが働いていたのかもしれない。
いずれにせよタイの大不況に対する景気刺激策はさほど積極的に採用されたとは到底思えない。
また、銀行救済策としては国民の預金金利を引き下げさせた(これも日本と同じ)。金利が低ければ「自然発生的に」投資が出てくるであろう」というのはおそらく経済学の教科書に載っている (私は不勉強でみたことがない)はずである。しかし、不況下においては金利がゼロに限りなく近くても投資をする事業家は少ないであろう(これも日本とて同様)。
低金利は株式市場を活性化させたか? 答えはノーである。業績の悪い会社の株価はそう簡単には上がらない。銀行の預金利率が低ければ、一般国民は収入が増えないから消費も拡大しない(これも日本とて同様)。
銀行の不良債権の処理に政府資金(公的資金)を導入して銀行の負担を軽くしてやるべしという声は政府部内からからも上がったが、タリンは「それはモラル・ハザードを招く」といって反対した。
このように民主党政府はことの良し悪しは別にして結果的に国内経済の 回復・活性化に失敗したのである。タリンのやり方には正しいものも間違っていたものもあったであろう。しかし、タイ国民には「もう我慢がならない」というところまできてしまっていたのである。
私はタイの経済は内需の回復は もともと非常に困難であるという見方をしてきた。良くなる要因は外資がやってくれる「輸出産業」しか基本的にないし、それも米国の経済が好調な時期だけだと見てきた。なぜなら、タイの金融機関の不良債権が大きすぎ、銀行が新たな融資を行う力が ほとんどなくなってしまったからである。
タイの民間銀行の不良債権の総額は表面的には 5兆円ほどであるといわれているが、実態は不明であるし、それとてタイの資本蓄積額から見たら天文学的とすらいえる数字であり、その処理は簡単にはできない。
要するに打つべき手は限られているのである。銀行の不良債権の早期解消などといっても、額が大きすぎてどうにもならない。また、銀行に借金を負ったまま海外に逃亡したり、あるいは依然としてタイ国内でベンツに乗り回して、豪華な暮らしをしている債務者(大部分は 華人資本家)のために国民の税金を使うなどということが許されるはずもなかった。
不良債権の処理が最優先課題であるなどと小泉政権も言っているが、いったい誰が帳尻を合わせるのか、すなわち誰の懐からお金を出して処理するのかというのがあいまいである。タクシンは国民から取り上げた税金でギャンブル(事業家の失敗)のツケを払おうとしていることは明白である。
(タクシンの経歴)
タクシンは現在、タイ最大の情報ビジネスであるシン・コーポレーション(Shin Corp.)のオーナーであり、タイ有数の大金持ち (個人資産は12億ドルといわれている)である。彼は一代で大金を手にしたシンデレラ・ボーイである。
彼はタイ北部のチェンマイの近くで1949年に生まれた。彼の父親は 中産階級の華僑商人であり、10人兄弟・姉妹の2番目の子供である。彼は少年時代から頭が良く、全国の秀才が集まる王立タイ警察士官学校を卒業し、後警察学校に進みキャリア警察官の道を進む。
彼の夫人はタイ警察幹部の娘さんである。結婚するとすぐにテキサスのサム・ヒューストン・州立大学に留学する。帰国後警察に勤務し、警察学校の教官になるが、給料は月に150ドルであったという。警察に勤務しながら副業を始めたが 、当初は何をやっても失敗してしまう。
1982年に警察に奥さんの父親のコネでコンピューターを納入・リースをする仕事がうまくいってから、1987年に警察を辞め独立、その後ITビジネス(携帯電話、通信衛星など)の世界でタイではナンバー・ワンの地位を占める。
タクシンは実業化として華々しい成功を収めたが、それは主に政府がらみの仕事と、政府から独占的なライセンス(通信分野など)をもらうことによっての「政商的」な成功であった。通信事業のライバルにはCP(チャロン・ポカパン)グループがいるが、タクシンはCPと異なりバブル崩壊後の経済危機に遭遇した様子はあまり見られない。
金持ちになったタクシンは次ぎに政治家を志す。最初は民主派のチャムロン (退役軍人、少将であり民主派政治家の代表的人物)の仏教原理主義的色彩の濃い政党「Palang Dharma=法の力」に入党した。その後、チャムロンは政治から手を引き、タクシンはこの政党の人材を核にしてタイ愛国党(TRT)を結成したといわれる。
タクシンは第1次チュアン内閣では外相を務め(足がかりになったのはチャムロンの政党=法力党である)、その後95年のバン・ハーン内閣と97年のチャワリット内閣では副首相を務めた。出発点は民主派政党であったが、95年くらいから後にはかなり怪しげな政治家(地位をビジネスに結びつけたとみられている)に変身し、2001年1月の総選挙ではついに民主党に圧勝し、首相の地位についた。
(タクシンの政策)
タクシンは政治家としてはポピュリストであるといわれている。ポピュリストというのはもともと米国に実在した政党で「国民党」などと訳されているが、国民の低知識層(素朴な庶民)の草の根的な愛国心に訴えて政治を行う(あるいは議員になる)という右翼的な傾向の政治思想であった。
今日使われているポピュリストというのはそれとは若干異なるが「素朴な、あるいは無知な大衆に迎合 (を騙して)」して選挙に勝つというやり方で、すでに先進国では一部を除き通用しない手法である。
しかし、われわれが注目すべきは彼の「ナショナリスト」としての思想と行動であろう。
タクシンは選挙公約で掲げた主な政策は;先ず、国民の半分は農民なので、農民が豊かになる方法を実施する。@農民の借金の返済を3年間猶予する、A一村一品運動を行う(これは日本の 某県知事の入れ知恵という説がある)、B全国7万7千ある村に100万バーツ(約280万円)を支給し、農村の事業資金とする(これもどこかで聞いたことがある)。
次ぎに、 本格的な景気対策として;@公共事業を積極的におこなう(ケインズ政策)、A銀行の不良債権を買い取る機関(TMAC=Thai Asset Management Corporation総裁にはチャワリット内閣の時の大蔵大臣タノンが就任)を設置するなどである。景気対策重点政策が国民特に農村とバンコク市民に 支持されたのである。
政権発足後のタクシン政府はさらに思いがけない政策を打ち出す。その@は破産法の改悪である。タイの破産法を債務者が有利なように替えつつある。そのAは金利引き上げ政策である。これは日本政府や日銀にはとうてい考え付かない(考えても実行する気にはなれない)政策である。
低金利政策に固執するチャトモンコン中央銀行総裁を辞めさせて、新たにプリディヤトーン総裁(前輸出入銀行総裁)を任命してまで「金利引上げ政策」に取り組んでいる。その狙いは預金金利が低すぎると(現在年1.25%前後が多い)国民の預金に金利がつかないため、消費意欲がでてこない(まさに日本的な現象ではないか)。第2の狙いは資本流出を止めるには金利を上げるしかないなどである。
政策のそのBは「ナショナリズム」の強化である。「タイ製品を買おう」といった国民運動的なキャンペーンを行おうとしている。これは実行の可能性はほとんどない(国民が従わない)が、70年代の「日貨排斥運動」を思い起こさせ、あまり愉快な政策 ではない。
(タクシンの本当の狙いは華人資本の救済にあり−2001年8月26日追加)
タクシンは意外なくらい自分の出自(華僑2世)を意識している。タイの政治や軍にリーダーは華僑系の子孫が多い。タイではそのこと自体問題ではないし、歴代首相の演説の中で触れられることもほとんどない。
しかし、タクシンは8月23日シンガポールの東南アジア研究所主催の講演会で次ぎのように述べている。(The Nation 8月24日号)
*過去の経済発展は外国資本の輸出産業に依存しすぎた。そのため国際的な経済環境の変化に振り回されるような弱い体質になってしまった。外資にのみ頼るというような政策は1997年の危機によって駄目なことが立証された(タクシンは外資 が経済危機の原因だという認識にたっているようである)。
*これからは外資に頼らない第2の路線を用意しなければならない。それは良く教育を受けた華僑2世を外資系企業のサラリーマンにするのではなく企業家として育て、 タイの経済のバック・ボーンにしなければならない。また政府は彼らが自立できるようなインフラ整備ををしなければならない。(農村の活性化にも言及)。
このようなタクシンの基本認識にあえてコメントをするならば、タイに企業家の数は少しも不足していない。1985年のプラザ合意以降急速な円高となり、日本企業はタイとマレーシアに進出したが、タイの80年代から96年までの10年間の高度成長を支えたのは2本の柱であった。
最初の1本目は言うまでも無く「外資」の投資と輸出の急増である。2本目の柱は現地の資本家(主に華人系)による不動産投資である。この不動産バブルが96年ころからハジケてしまい、それが金融危機(バンコク・バンク・オブ・コマースの破綻)に直結し、シンガポールなどからの短期資金が引き上げを開始し、97年の通貨危機につながっていったのである。
タクシンは現地資本家のバブル的投資には全く言及せず、銀行が築いた不良債権の山をTAMCという不良債権買い上げ機構を使って買い上げ、華人資本の金融機関を救済しようとしているのである。経済危機後のタイをある程度の回復路線に乗せたのも輸出産業(主に外資による)であるということは忘れられているようである。
Th-1-2.シンガポールとの関係強化(2001年8月30日)
タクシン首相はASEAN内部でシンガポールとの関係強化を打ち出している。ゴー・チョク・トン首相と会談して、 両国の政府や民間が出資して成長指向型企業に融資をしていくマッチング・ファンド(Matching Fund)なるものを提言している。これからはしばらくタイ(タクシン)−シンガポールの枢軸関係が強まるかも知れない。
シンガポール政府はタクシンの要請にすばやく対応し、’Government of Singapore Investment Corp (GIC) =シンガポール政府投資公社’がバンコクの株式市場からタイ・ファーマーズ・バンクなどの優良8銘柄を8月24日の1日だけで77億バーツ買ったと伝えられている(バンコク・ポスト02年8月28日付け)。
ただし、このような動きがいつまで続くかはわからない。おひざ元のシンガポール経済も米国へのIT関連製品輸出が落ち込み7月の工業生産指数は前年比13.2%も落ち込み、不況感が一層強まってきている。シンガポールはIT不況のみならず、かなり深刻な建設不況にも見舞われている。タイを助けている余裕があるようには思えない。
2002年2月18日にシンガポールのゴー・チョク・トン首相はタイを訪問した。そしてタイとシンガポールの2国間の経済協力を提言している。バンコク・ポスト紙によれば 目玉は「自動車産業」についての協力ということである。
しかし、シンガポールには自動車産業らしいものは事実上存在しない。それ以外に農業・食品、観光、輸送、物流、金融の4部門を加えた5部門についてSTEER(Singapore-Thailand Enhanced Economic Relations)を構築しようというものらしい。
よくよく考えてみるとASEANという全体的な枠組みの中でなぜこの2カ国が特別な協力関係を結ばなければならないのかまったく理解に苦しむところである。これは、華人枢軸であるという疑念を持たれても仕方が無いであろう。
タクシンは一方で中国へも積極的な働きかけを行っている。日本よりも中国という姿勢は明白である。もちろん、日本の立場としては放置しておけばよいことであるが、タクシンは華人という出自をあからさまにして行動していることは今後とも注意を要する。(2月19日加筆)
さらに、その後の情報ではゴー・チョク・トンは「One economy, two country=二カ国一経済」という言い方までしている。
これは香港の「一国二制度」のひそみにならったものらしいが、かなりシンガポールも力が入っている雰囲気を感じさせる。
AFTAがあるのに何故「二カ国協定」を進めるかということについては、インドネシアやマレーシアがAFTAの進行でモタモタしているからだということである。
しかし、それは口実に過ぎず、本当の狙いは「中国ータイーシンガポール」の華人枢軸ということで、少なくとも、この二カ国は一致しているのではないだろうか。タクシンの頭の中には「日本」は既に無い。
実務家のソムキット副首相兼財務相は逆に「日本からソッポを向かれたら大変だ」と考え、日本に気を遣った発言をしている。
タクシンは近々中国に2度目の訪問をする予定である。これは彼個人の「人口衛星」ビジネスも兼ねての訪中ではないかとも言われている。(02年2月21日加筆)
タクシンは97年の副首相時代、公開すべき資産を隠したかどで裁判にかけられ、それがようや8対7という僅差の表決でシロとなり、公民権資格を剥奪されずに済んだ。
しかし、国民の多くは裁判官への買収工作が行われたのではないかと疑惑の念を持っているといわれている。一時は70%の支持率があったが、最近は50%そこそこにまで落ちてきているといわれている。
与党連合も、いわば札束にものをいわせての「結束」であり、予算配分などをめぐって結束が乱れる可能性も有る。
その中で、タクシンの妹をリーダーとするグループが党内で台頭し、既存の政治家グループとギクシャクとした関係も生じつつある。
また、タクシン内閣の内務相のプラチャイは最近タイの浄化政策を打ち出し、ナイトクラブの深夜営業の禁止などの一連の政策を打ち出した。これに対し「夜の商売」の業者団体や保守派政治家から激しい批判が出てきた。目下のところタクシンはプラチャイ内相の方針を支持している。しかし、タクシンにとってはプラチャイのようなまとも過ぎる仲間はやや「煙たい存在」かもしれない。
というのは、プラチャイの「夜の浄化」政策はバンコクの一般市民の支持を集めているからである。また、プラチャイはタクシンと警察学校の同期生であり、一緒に民主政治家チャムロンの「パラン・ダルマ党=法の力党}に入った仲間であり、TRTの創立にもかかわっており、TRT内部の「良識派」の代表選手でもある。彼等と「金権体質」を持った既成政治家とは距離が有り過ぎるのである。
タクシンの政策は財政的に破綻をきたす可能性が強い。政策の実行に当たって、透明性など期待できない。
要するに、タクシンが出てこようが誰が出てこようが、タイの経済が奇跡的に良くなる条件は内外ともに存在しない。金利を上げるという政策はそのなかでもましな政策であろう。もっと大切な政策は外国資本にとって事業がやりやすいような「投資環境」の整備が先ず、必要である。
金融機関の不良債権処理などは短期決戦は無理である。 国内の華人系銀行がだめなら外国の金融機関を入れて国内で自由に営業させたほうが話が早い。しかし、タクシンはそんなことは夢にも考えないであろう。
タクシンの「内向き志向政策」はタイの将来にとって極めて危険である。タクシンはCEO(アメリカ流経営者で自分が何でも決める)型首相であると、自認している。しかし、外部の批判に対し極度に神経質であり、その点シンガポールのリー・クワン・ユーやマレーシアのマハティール首相と一脈通じるものがある。
02年2月23日のネイション紙(http://www.nationmultimedia.com)の伝えるところによれば、香港に本社を置くアジア専門週刊誌「ファー・イースタン・エコノミック・レヴュー(Far Eastern Economic Review)」の編集者ら4名を入国禁止処分にすることを検討している。
本件は欧米諸国からも批判をあび、大きな騒動となった。いずれにせよ、タクシンのような狭量な独裁者はタイには最早似つかわしくはない。
なお本件はFEERがタクシンに詫びを入れて円満解決した模様である。数週間後のFEERは「タクシン特集」をだし、やや「提灯記事」風の内容が掲載されていた。
(タクシン政権1年後の評価)
2002年2月4日付けのThe Nation の社説でタクシン首相に対する評価が書かれていた。要点を紹介すると、タクシンは正直なリーダーではないということと強いリーダー・シップを標榜して見かけの「強さ、ホピュリスト的である事、決断力」などを強調しているが、首相というポストには「道徳的権威」のほうが大切であるとしている。
彼のここの行動にはタイ人の見地からすれば異常なことが多く、自分のビジネスを念頭に置いた行動が多いということであろう。ビジネスをギブ・アップするか政治をギブ・アップするか決断を迫られている。
ただし、タクシンは息子には株を大量に譲渡して大金持ちにさせたが、今のところ発泡酒のテレビのコマーシャルなどには出演させていないようである。
ネーションのホーム・ページはhttp://www.nationmultimedia.com です。日本の新聞と読み比べることをお勧めします。
(タクシンの本音:02年8月16日追加)
8月16日付けのバンコク・ポストによればタクシン首相は次のように述べている「米国のスランプはタイにはほとんど影響ない。タイはいまやいくつかの経済分野で力を回復した。世界経済に依存することが少なくなったことによっていかなる激変(volatility)にも備えができている。
われわれは世界経済を信用しない。経済的にはわれわれ自身により多く頼るようになりつつある。世界経済の不振は影響があるかもしれないが、たいしたことはない。タイはうまくいっているので国民はあまり心配しなくても良い。
タイの経済的ファンダメンタルズは1997年のバブル崩壊のときよりも強化された。外債や不良債権も大幅に減少し外貨準備も安全なレベルにある。」
要するにタクシンは内向き志向の政治家であり、「外国人(中国人以外の)嫌い」なのである。国民に自信を持てというのは政治家としては当然であるが、世界経済への依存度が薄れているというのはアジ演説としてもいただけない。
また、タイは財政支出の拡大によって景気を浮上させることもできないはずである。
1-4-1.タクシンへの権力集中に国王がクギをさす(02年10月5日)
タクシン政権は内閣改造(35人のうち8名が新閣僚)をおこない、10月4日国王の前で「認証式」がおこなわれた。国王は「ワンマン・ショウにならないよう気をつけよ」と訓示されたそうである。これは独裁傾向を強めているタクシン首相への直接的な「ご注意」ではなく、閣僚一般への訓示という形をとっているが、何を意味しているか一目瞭然である。
「各人が自分ひとりで仕事をやれると考えるのは間違いである。各人がお互いに協力しあえるように自己改革うをとげる必要がある。1人の人間や1つの省だけで成し遂げられるような使命は存在しない。
官僚改革でだれもが責任範囲を明確にするといっているが、たった1つの機関が独立に仕事をできるわけではない。われわれが必要としているのは相互の協力であり、これがなければ諸君を含め国民全体がこまることになる。」
との訓示であった。このような訓示はあまり前例がなく、タクシンの独走や「官僚改革」の弊害除去に注意を喚起したものであろう。
この内閣改造は「新しいボトルに古いぶどう酒をいれたもの」という酷評がなされており、タクシンがやりやすいような「イエスマン内閣」を目指したものであることは間違いない。
この点、極東の某経済大国と似ている。ただし、こちらのほうは一見新しいボトルもはいっているが、ラベルは古臭く、一向に新しさを感じない。ワインのほうは腐っていてとうてい飲めた代物ではない。 ブドウの原産地も特定地域にかなり偏っている感じが否めあい。
タクシンのほうは国内での評判がすこぶるよくない。あからさまなネポティズム、灰色政治家の留任、我田引水人事などである。具体的には@軍と警察のトップ・クラスに親類縁者を昇格させたことである。
(より特徴的なことは華人財閥の政権内での影響力が非常に増したことである)
@タクシン首相:シン・コーポレーション、Aアディサイ商業相:テレコム会社Jasmine、Bスリン交通相:自動車部品会社タイサミット、Cプラチャ副内務相:BECワールド(TVチャンエル3)のほかCP(チャロン・ポカパン=食料品を中心とする最大財閥)のダニン会長の甥であるワタナ・マヌンサクが副商業相に就任した。
ワタナは公正取引委員会の委員長にも就任する。またチャロン・シリワンダナバクディ(ウイスキー・メーカー)は与党タイ・ラク・タイ党の大口資金提供者であり、タクシンのチナワット・グループともNCCマネージメントを共同保有している。(この項はThe Nation 10月7日号による)
ただし、この中には金融関係者は見当たらない。
また、大方の非難を浴びているのはウライワン文化相(非国会議員)である。彼女はTRT党の大ボスであるサノー・ティエントンの夫人である。サノーはともすればタクシンに叛旗を翻しかねない旧体質の政治家であるが、今回は夫人を閣僚にしたことでタクシンに頭をなでられた形となった。
1-4-2. 舞い上がるタクシン首相(03年1月15日)
タイの英字紙(ネーションとバンコク・ポスト)をインターネットで読んでいると、何らかの形でタクシンの驕りや暴走を批判する記事が出ていない日はめったにない。それだけタクシンのやり方はタイ人の知識人には危険視されているということであろう。
ところが、日本のメディアではタクシン批判めいた記事はほとんど書かれない。したがってタクシンは有能な政治家なのだろうというぐらいの認識しか普通の日本人持たない。それでもわれわれの日常生活には差し支えない。
ところが忘れてならないことは、日本はアジアとの経済関係が極めて密接であり、アジア諸国が変なことをやると(たとえばEUとの貿易摩擦を想定してみればよい)、現地の日系企業は大きな打撃を受けるし、日本にも当然影響が及んでくる。かといって現地政府のやることにいちいち口出しはできない。
しかし、われわれは現地の政権がどういう性格を持っていて、何をやろうとしているかということには常に関心を払わなければならない。ところが日本のメディアや政府機関や学者というものがいまいち頼りない。
「遠慮しているのだ」と本人達は言いたいのであろうが、その遠慮は日本人にとってしばしば有害なる遠慮である。スハルト時代のインドネシアがその好例である。それよりも当人が「不勉強」であった可能性すらある。また取材源がどうも狭いとしか考えられない。
タクシンは政府出入りの御用商人という地位から磐石の政治勢力を誇る、独裁的政治家にまでたった数年で登りつめてしまった。その原因は通貨危機後の経済危機の処置を誤った民主党にあることは既に述べた(第2回タクシンの政策)。
タクシンは絵に描いたような「ポピュリズム(大衆迎合的)」政治スローガンを掲げ政権に就いた。2002年は幸い輸出が回復基調にあって雇用が安定し、国民も生活の安定を背景に自動車を買ったり、住宅を建てたりといった耐久消費財ブームが起こっている。
銀行もクレジット・カードを乱発し(これは全アジア的傾向)、消費経済をあおる形になっている。
タイは2002年は5%台の程度の成長率を達成したことは確かである。2003年はNESDB(社会経済開発庁)は2003年の経済見通しをやや控えめに4.5%程度と発表した。これをみたタクシンは激怒し6%に数字を直せとせまったという。
NESDBが数字を低く見た根拠はアメリカ経済の先行き不振を予想したためであろう。それなりの合理性を感じさせる数字である。
また、タクシンは弁護士会とも要らぬ悶着を起こしている。タクシンはアメリカのトルーマン大統領の言葉として「犯罪を一緒にやるものは共犯者であるが、犯罪人を助けるものは弁護士とよばれる」ということを引用してタイの弁護士を皮肉った。
これを聞いて弁護士会は激怒したことはいうまでもない。ところが肝心のトルーマンはこんなつまらない警句めいたことは言っていないことが判明した。
それ以外にも国民医療費30バーツ制度を実施したまではよかったが、トラブルが続発している。まず公営の医療機関は軒並み大赤字である。チュラロンコーン大学の付属病院などは倒産の危機に瀕しているという。また医師の民間病院への移動が急増している。
政府が赤字の面倒を見ない限りこの制度は成立しない。しかし、政府の助成処置は予想をはるかに上回る赤字に追いつかない。したがって、その犠牲者となるのは医療機関に働く医師や看護婦ということになる。ただし、一般国民は喜んでいる。タクシンにすればそれでよいのだ。
また、日本の大分県の1村1品運動もおこなわれている。7,000以上の村に資金を与え、これを推進し100件程度の国産品が売れているらしい。7,000分の100だから効率は極めて悪い。しかし100件もでたということでタクシンは喜んでいる。勢いあまって海外に店を出して売ろうかなどといっているという。
タクシンはすっかりいい気になっているが、政策のほころびと与党政治化の「汚職」が次々表面化しつつある。与党は議会では3分の2の多数を占め軍も警察も自分の息のかかった人物で抑えており、得意の絶頂にいるが、意外に賞味期限は短いかも知れない。
やりかたが万事につけあまりに姑息である。その点極東の某経済大国の首相と似ているかも知れぬ。ただし、後者の賞味期限はもう過ぎている。
1-4-3.突然の内閣改造、プラチャイ司法相、ソムキット財務相を解任のうえ副首相に棚上げ(03年2月9日)
タクシンは突如内閣改造をおこない2月8日には国王の承認をえた。今回の人事は問題の爆発を未然に防いだ処置でもある。タクシン政権も複雑な問題を抱えながら何とかやっているが、とうてい安心感を持てるものではない。
最大の弱点は軍や官僚やタイ・ラク・タイ党の幹部に身内を任命しすぎたことであろう。
タクシンはこの人事異動をタイ・ラク・タイの一方の旗頭であるスノー顧問(旧タイプの政治家集団ワン・ナム・イエン派のリーダー)には事前に相談せず、妹のヤオワパ・ウォンサワット(同党の若手グループのボス)に相談して決めたという。当然スノーは不快感を抱いている。
もともとスノーは新財務相となったスチャートの能力を評価していなかったと伝えられる。
タクシンの政治はマネー・ポリティクス(金権政治)に加えファミリー・ポリティクス(家族・血縁政治)の様相を呈してきた。
@プラチャイ司法相の解任と副首相への棚上げ。プラチャイはタイ・ラク・タイ党の「正義派」として前の内務相時代にバーの営業時間短縮や未成年の出入り禁止など、一連の道徳的手法で勇名をはせたが、抵抗勢力に破れ、司法相に異動になった。
ところが司法省に思いがけない難敵が待ち構えていた。それはタクシンの義弟(妹の実力者ヤオワパの夫)にあたるソムチャイ・ウォンサワットなる人物が官房長として司法省内部で権勢を振るっていたのである。
正義派のプラチャイはこの手の人物の操縦はまったく不得手であり、早速衝突を繰り返した。タクシンは義弟の肩をもち、一方プラチャイを副首相に昇格させて面子だけは救ってやった。プラチャイを内閣から追放すればタイ・ラク・タイ党の「清潔感」が一気に失われてしまうことになる。
プラチャイの後任にはエネルギー相のポンテープが横滑りする。ポンテェープは2年前に裁判官を勤めていた。
エネルギー相にはプロミン副首相が兼任することになる。 プロミンは経済政策担当であったが地元資本家とはシックリいっていなかったらしい。多分まともな人物だったのであろう。
Aソムキット財務相は昨年10月に副首相に任命されて、両方を兼務していたが、今回財務相の地位を財務次官のスチャート・ジャボイシダに譲る。
スチャートは税務畑の出身で、ポジャマン・タクシン夫人が持ち株を弟のバンナポヨ・ダマポンに譲った際の脱税問題をうまく処理した功績を買われたと言われている。
ソムキットはタクシン内閣では最もまともなエコノミストとして信頼されていたが、タクシンが気に入らなかった点が2つあるといわれていた。
その1つは不良債権買取機関であるTAMCが意外にもたついている点である。1997年の通貨・経済危機の際の銀行の不良債権の処理はタクシンの最大の政治的使命であったが、必ずしもうまくいっていないようである。
その2は今回ソムキットが今年から打ち出した減税措置にあるといわれている。所得税の課税最低限度を5万バーツから8万バーツに引き上げたが、低所得者にはさほどメリットがなく、しかも減税額がソムキットの予想の50億バーツではなく100億バーツにも達することにタクシンは腹を立てているらしい。
野党の民主党はソムキットは財政規律に比較的忠実であり、政治家のいうことをあまり聞かなかったためにクビになったとコメントしている。
ソムキットは今後副首相として「経済政策」に専念するという。
1-4-4. タクシンの従兄弟が年末には陸軍司令官に−独裁体制強化?(03年3月20日)
タイ陸軍は18日人事異動をおこない、先に異例の人事で陸軍副司令官にまで昇進していたタクシンの従兄弟チャイシット・チナワット(Chaisith Shinawatra)将軍が、今年の待つには 陸軍司令官に昇格する道がついたとバンコク・ポスト(3月20日)は報じている。
3月には通常おこなわれない陸軍トップ・クラスの異動があり、第3軍(北部)司令官のウドムチャイ中将、第4軍(南部)司令官ウィチャイ中将が10月の退役をまえにそれぞれ大将に昇格し、ポストを外され 陸軍付きになった。
第3軍司令官にはピチャムメット(Picharmmeth Muangmani)少将が、第4軍司令官にはソンキティ(Songkitti Jakkabart)少将が就任した。
陸軍司令官ソムダート(Somdhat Attanand)将軍は第3軍司令官にはソンブンキアット中将を、第4軍司令官には副司令官ポンサク少将を推挙していたと伝えられる。
ソンブンキアット中将はソムダート中将と士官学校の同期生であり、ポンサク少将は軍内部では信望の厚い人物であった。二人とも軍人としての能力は高く、ソムダートの推挙は順当なものと見られていたらしい。
ところが、ソムダット司令官の人事構想は受け入れられず、よりタクシンに近い人物が浮上したといわれている。
第3軍のピチャムメットはチャイシット・チナワットと士官学校の同期で、しかもタクシンの弟のパヤップ・チナワット(Phayap Shinawatra)とも親密なあいだがらである。外されたソンブンキアトは大将に昇格したが国防部付きの顧問という閑職に追いやられた。
第4軍のソンキティ少将はポンサク少将の後輩であり、しかも南部で師団長の経験もなかったが、タクシン首相と士官学校の同期生(第10期)で友人であった。
ポンサクは若いときからずっと第4軍で育った将校であり、彼が司令官に就任するのは極めて順当だと考えられていた。彼はチュラチョムカオ・王立士官学校の校長に左遷された。
これら一連の人事にタクシン首相は干渉していないと言い張るが、誰の目にも明らかなエコひいきと見られている、この二人の昇格人事はチャイシット・チナワット陸軍副司令官の脇を固める人事と考えられている。
さらに、国軍総司令官スラユット・チュラノン(Surayud Chulanont)が今年末に退役したあと、にソムダート陸軍司令官が昇格(2004年10月定年)し、そのあとにチャイシット・チナワットが陸軍司令官に昇格するのではないかと観測されている。
そうなるとタクシン政権はますます安泰という筋書きなのであろう。しかし、タクシンには「諸行無常の理」や「盛者必衰の理」などまるで念頭にないのであろう。
⇒タクシンついに従兄弟を陸軍司令官に任命(03年8月29日)
タクシンは念願かなってついに自分の従兄弟のチャイシット・チナワットを陸軍司令官に任命した。現職のソムダート司令官は「総司令官」に任命された。
これに対し民主党のチュアン・リークパイ前首相は「2年前から仕組まれた人事である」としてタクシン首相の「身びいき」人事を批判している。これは誰の目にも明らかなことである。
チャイシットは総司令官付顧問という「窓際族」から昨年、陸軍副司令官に異常な昇進を遂げ、ついに念願かなって陸軍司令官に今年の10月1日就任の運びとなった。
このゆがんだ人事は一連のゆがんだ人事を生み、陸軍内部でのギクシャクのモトになることは間違いない。
他の主要な人事は;@シリチャイ・タニャシリ陸軍副参謀長が陸軍副司令官に、Aポンテープ・テプラテープが陸軍参謀長に、Bウッド・ブアンボンが国防省官房長にといったとことである。
⇒チャイシット・チナワット陸軍司令官解任ー総司令官に格上げ(04年8月25日)
チャイシット・チナワット陸軍司令官が解任され、総司令官に格上げ(棚上げ)され、後任にはプラウイット将軍が就任することとなった。チャイシットは南タイの騒乱事件の責任を取らされたものと思われる。
プラウィットはタイ・ラク・タイ党の実力者サノーと軍歴が同じルート(長年の部下)であり、サノーに近い人物であることはよく知られている。また、チェッタ国防相とも近い人物である。
⇒タクシンの義兄が国家警察副長官に就任(04年2月4日)
タイ警察委員会はタクシンの義兄(夫人の長兄)にあたるプリューパン・ダマポン(Priewphan Damapong) 中将を警察副長官(5名のうちの1名)に任命した。ダマポンは警察内部の序列を飛び越えての昇進のようで内部から批判の声があがっているという。
国民警察長官サニット自身が委員会決定に対して了承は与えたものの、委員会はダマパンの昇進について再考すべきだと述べているというのだから、穏やかではない。
内閣秘書官のセリシピット警察中将ははっきりと、序列無視の昇進に異論を唱えている。国王は3月1日現在この昇進人事に署名していないという。
ダマポンはタクシン政権が続けば近いうちに警察長官に昇進すると見られている。そうなると、軍と警察のトップを身内で占める形となり、怖いものなしの独裁権を振るえる。日本で言えば藤原道長、平清盛といったところか?
「諸行無常」などという仏教哲学とは無縁の人物なのであろうか?
これ以外にも、タクシンは上にみたように警察学校時代のクラス・メートを特別扱いして、周辺の批判を買っている。
1-4-5. タクシン企業の脱税告発の証人が殺害される(03年3月28日)
タイではわれわれには思いもよらない事件が起こるものである。麻薬撲滅キャンペーンが始まって2ヶ月足らずの間に2,000人近い麻薬密売人容疑者が殺された。タクシンに言わせれば彼らは「監獄か墓場に行くほかない」ということである。
監獄行きで済む人間を墓場には送らないというのは文明国の証である。タクシンという人物の底知れぬ恐ろしさを示す発言である。彼は生まれる時代を200年は間違えている。こんな人物をなぜ民主派のリーダーであるチャムロン氏が引き立てたのか全く理解できない。
ところで、今回はまたまた驚くべき事件が起こった。まるで世界恐慌時代のアメリカで起こったような事件である。この話しを聞いて、大昔見たエリア・カザン監督、マーロン・ブランド主演のアメリカ映画の名作「波止場」を思い出した。
話しの筋は至って簡単である。タクシンの所有する会社であるSHINSAT(Shin Satellite)が通信機器を輸入した際に輸入関税のごまかしをやったという容疑が持ち上がった。
これが国会の「地下ビジネスと脱税調査小委員会」で取り上げられ、2001年の11月25日に民主党のシリチョーク・ソパ議員が委員長として追求し、証人としてコーンテープ(別名ピチェット)・ウィリヤ氏に証言を求めた。
ピチェットはこの会社の乙仲業者であり、通関・運輸業務に精通していた。ピチェットは話すと命が危ないとして、証言を拒んでいたが、執拗なシリチョーク議員の要請をついに断りきれず、数ヶ月の後についに事実を語ってしまった。
その翌日、ピチェットは誘拐されたが、その時は1日後に解放された。ピチェットは名前を何度も変えて逃げ回っていたが、ついに03年3月26日にチェンライ県のメー・ファ・ルアンで 白昼ピストルで撃たれ41歳の命を絶たれた。
その間、何回か証言を撤回するように「政府関係者」から強要されたが、ピチェットは拒み続けていたという。 また、シンサット社はシリチョーク議員を名誉毀損で訴えている。ピチェットはシリチョーク議員側の証人でもあった。
しかし、民主党は「正義の協力者」を守れなかった。ピチットも経済的に困窮していたという。これが民主党の弱点であろう。 民主党はピチットの遺児のために募金をはじめた。しかし、ピチットは生き返らない。
事件後、タイ民主党党首のチュアン・リークパイはシリチョーク議員に対し、麻薬取引容疑で殺されないよう注意しろと警告したと言われている。警察が、捜査と称して乗り込んで、麻薬を部屋に置き、証拠があったといいかねないことまで心配しなくてはならないという。
タクシンはもちろん本件には無関係を主張している。 タクシンは「私の指導のもとでは、民衆は闇世界を恐れることはない。誰もが法の上に立つことはない。警察はこの事件を調査中であり、内務相は正義をおこなうであろう」と高らかに宣言した。
いやはや、タクシンの正義や法はいつもながらすばらしい。タイの民衆は安んじてタクシンの「指導」に黙々と従っていればよいのであろう。
( http://www.nationmultimedia.com 3月28日号参照。)
1-4-6. タクシン強気の経済目標(03年4月8日)
タイは思いがけない輸出の好調と、内需の伸びで2002年は5.2%の成長を遂げた(項目1参照)。政府見通しの4.9%を上回ったとして、タクシンの意気は大いに上がっている。
政府発表の要因としてはほとんどが個人消費、住宅建設、自動車販売増などの内需要因が強調されている。輸出は実質で11.3%も伸びたにもかかわらず、ほとんど評価されていない。なぜなら、輸出産業の主役は外国企業だからである。
通貨・経済危機以降の回復は輸出産業が主導し、雇用増から民間消費が増えるというパターンを続けてきたにもかかわらず、輸出産業の役割はタクシンによって不当に評価されている。
別に輸出産業が「お褒めに預かる」必要性は毛頭感じないが、輸出産業軽視の経済政策ではタイの将来にとってまずかろうと思うだけである。そんなことをいうとタクシンは「日本人のアホ学者ごときの知ったことか」と例によって額に青筋ものであろう。
それはさておき、2003年の見通しを国家経済社会開発庁(NESDB)が作成したところ、4%台の数字になってしまったようである。それを見たタクシンは烈火のごとく怒り、今年は6%、2004年は8%はいくといきまいたそうである。
たしかに、中国やベトナムなら首相の鶴の一声でいかようにも数字が決められるが、タイはそうは行くまい。
8%の成長は大幅な外資の進出がなければ達成不可能だが、今のタイにのこのこ進出していく外資などそう多くはない。
しかし、タクシンには奥の手があったのである。それは「闇経済」の存在である。なるほど麻薬や、ギャンブルや脱税の世界を「表に出せば」GDPの数字は何とかなるらしい。何をかいわんやである。
1-4-7. タクシン今度はマファイア退治に挑戦(03年5月28日)
麻薬(覚せい剤)撲滅運動が2月から4月まで3ヶ月間おこなわれ、2,800名(推定値、政府発表の2,270名というのは4月初旬までの数字)が殺害されるという惨劇のうちに「成功」裏に終わったとタクシンは自讃している。
しかし、もともと警察の利権が絡んでいるといわれる麻薬密売は、そう簡単には消滅しないであろう。警察官の一部も捕まっているが根絶にはほど遠いものがある。覚せい剤のメタムフェタミンは今日現在も、値段は高騰したが、売られているという。
タクシンは次の目標として、暴力団、マフィアの撲滅をおこなうという。これは見ものである。末端の小さな親分は何人が捕まえたり、殺すことは十分可能であろう。
しかし、タイの場合は政治にマフィアが食い込んでおり、マフィアそのものが「政治家」を兼業しているとすら言われている。しかも、その多くはタクシン側の与党に多いといわれている。
また、軍隊にもマフィアと強い関係を持っているものがいるという。タマラク国防相は軍人がマフィアとの関係を絶つように訓令を出している。
97年の憲法改正で、国会議員は大学卒以上の学歴を保有することが条件付けられたため、子供を大学にやり、あとを継がせるケースもでてきているが、実権を握っているのは親父の大親分である。
彼らの多くは地方のボスで、不動産業や建設業を営んである。それ以外に賭場を開き売春宿も経営するなどかなり多角化している。もちろん武器を持った子分を数多く抱えている。
タクシンはこういう「政治家マフィア」に手を付けられるだろうか?2−3名の気に入らない政治家は失脚するであろうが、抜本的浄化は不可能であろう。
また、小者マフィアの何人かは覚せい剤騒動のときと同様、「何者か」によって殺されるであろう。そういう非合法「処刑」を是認するムードがタイにはあるようだ。新聞社のトップ・クラスやインテリ層にもそれが存在することは大いに問題である。
(3年6月21日) 高僧ギャングが暗殺される
こういうキャンペーンが始まると、麻薬撲滅運動の時と同様に、何者かによって殺される「犠牲者」が出る。今回は悪僧の誉れが高い(?)プラ・クル・ナンタピウォットが6月18日に寺院内で寝ているところを射殺された。
ナンタピウォットは2億バーツ(5億6千万円)という僧侶にあるまじき巨額の遺産を残し、それは2歳の男の子、ピラポン・タイテに遺言により残された。
ナンタピウォットはパクレット地区の名刹ワット・コーの僧院長を務める高僧(Abbot)であったが、行いが芳しくないため信者から追放要求が出され、他の寺院に移された。
彼には2名の護衛が付いていたという。ワット・コーの僧院長を務めていた1994〜98年には彼は約10台の乗用車やトラックを所有し、5件の住宅を所有していたという。
彼にはいつも女性信者たちが付きまとい、20歳のジュティポン・サワンネットという女性を「養女」に迎え、乗用車BMWを買い与えていたという。他に親しい4人の女性信者がおり、彼女達も豪華な暮らしをしているという。
ナンタピウォットはその後の警察の発表によれば、500万ドル以上を12の銀行口座に分割所有し、違法なオートバイ・タクシー会社を所有し、寺院のお布施を着服するなどして、毎週25,000ドルを稼いでいたという。
彼を殺害した銃弾は通常市販されているものではなく、軍か警察が使用する特殊なタイプのものであったといわれる。これは、政府筋の殺し屋が使ったものであろう。
(3年6月28日)警察は殺人事件の首謀者として、クルア・リムナム・レストランのオーナーであり、プラ・クル・ナンタピワット師と裁判沙汰のあるプリーダ・シリサク・アンパイを逮捕した。
殺し屋のプラパンが使用したと見られる拳銃は外国製のものであり、プラパンの持ち物ではないと警察は説明している。
(03年7月10日) トルコ風呂のオーナー毎月警察に1,200万バーツを支払う
今年1月にバンコクのスクムヴィット通りの自分の所有地にあるバー・屋台街(スクムヴィット・スクエア)を、暴力団(実際はタニャテープ少佐が指揮)を使って取り壊し、それを警察が黙認のみならず、警備さえしていたことで有名になった事件があった。
その主役は街の顔役で6カ所の高級マッサージ・パーラーのオーナーであるチュウィット・カモルウイシットである。
彼は、記者会見をし、毎月1,200万バーツ(約3,300万円)を警察にワイロとして支払い、ロレックスの時計をプレゼントしたり、70カ所のポリス・ボックスを作ってやったなどと語った後、姿をくらました。
マッサージ・パーラーは一説によると売春もおこなわれる場所で、そこにはタクシン内閣の某閣僚も常連の客であったということである。
チュウイットの不満は、警察にこれほど尽くしてきたのに、最近になってタクシンが「マフィア追放キャンペーン」を始めて以来、警察が彼に手のひらを返したように、うるさくなってきたところにあるという。
このように、普段からタイの警察はマフィアや麻薬密売組織とも親密な関係にあり、前回の麻薬撲滅作戦で3,000人近い死者が出たのは、警察による「口封じ」によるものが多いと巷では噂になっている。
今回のマフィア退治は政治家の大物もからむケースがあり、小者マフィアにだけ取締りの手が及ぶ可能性が指摘されている。また、このキャンペーンのなかで野党議員を重点的に攻撃するのではないかとも取りざたされている。
(03年7月12日)チュウィットは警察に誘拐されていた?
チュウィットは記者会見で爆弾発言をした後、姿を消していたが、実際は警察の筋と思われる数人の男に拉致・誘拐され、麻薬を投与され、2日間監禁されたあと、郊外の自動車道路に放り出されたとのことである。
彼は通りかかったトラックに助けられ、よれよれの姿で、昨日(7月11日)現れた。殺されなかったのは奇跡としか言いようがないが、もし殺されれば、下手人は警察ということになり、具合が悪いので釈放されたのであろう。
警察は、チュウィットを名誉毀損で告訴するかまえである。この種の事件は物証が乏しいだけにチュウィットも不利である。
しかし、バンコク市民へのアンケート調査によれば71%が警察はワイロを貰っていると答えたそうである。
本件に関するタクシン首相のコメントが英字紙ネーションに載っていたので紹介すると、「彼は仕事がうまくいってないので、ストレスを感じていた。彼はワイロを支払っても、良い扱いを受けなかったので腹を立て、公表したのであろう。数字は水増しされている。ばらした報いを受けるであろう。」
(03年7月19日)チュウイットの「誘拐」は狂言であった
警察庁長官サントによれば、チュウイットは警察へのワイロ提供を正当化するために、誘拐事件をでっち上げたと語った。
チュウイットを誘拐したとされる4人の人物は、軍関係者であり、その1人にスクムビット・スクエアを破壊した指揮者のタニャテープ少佐が入っていたということである。
これはサント長官の言い分が正しいであろう。もし、警察が誘拐したならばチュウイットが生きて再びこの世に現れることはありえないであろう。
(03年8月1日)チュイットがワイロの渡し先リスト提出ー警察の一大スキャンダルに発展
チュウイットはその後、ワイロを渡した警察官のリストを作成し、タクシンに直接手渡そうとしたが、受け取らなかった。チュウイットはタクシンが直接受け取らないのであれば、そのリストは焼却するといっていた。
チュウイットによれば、そのリストには約1,000名の警察官の名前が記載されており、バンコク警察本部の3名の副署長の名前もあるとのことである。その名簿は結局、警察の監察官アマリンの手を経てサント警察長官の手に渡った。(7月25日)
ところが、サント長官はチュイットの商売敵ともいうべきプリーチャなる不動産業者兼マサージ・パーラー(トルコ風呂)経営者の30年来のビジネス・パートナーであったことがバレてしまった。
タイ警察というのは上から下まで、アヤシイ勢力と汚い金で繫がっていたのである。麻薬撲滅キャンペーンで3,000人近い人が殺されたのは、その多くが口封じのための警察の仕業(直接・間接の)ではないかと取りざたされている。
とりあえず、17名の上級警察官が職務停止処分を受けた(7月29日)。しかし、事件はこのような軽い処分ですむものではなくなってきている。
一番困惑しているのは、タクシン自身であろう。彼は、警察幹部からビジネス・マンに変身し。警察の出入り商人として大もうけをし、それを出発点に今日の事業を築いた人間である。
「麻薬撲滅運動の成功」に気をよくして、次は「マフィア撲滅運動」にとりかかったとたんに、あにはからんや肝心の「警察」が槍玉にあがってしまった。
「身から出た錆」とはいえ、タイの警察の伝統的なマフィア体質が、今回清算されれば、それこそタクシンの偉大なる業績として後世に讃えられるであろう。タクシンにとってはさぞ「頭の痛い」毎日であろう。
⇒タクシンのマフィア征伐は意外な展開になって頓挫した(04年7月22日)
タクシンのマフィア狩はチュウイットというトルコ風呂の経営者が飛び出してきたことによって、ホコ先が何と警察に向かってしまった。
多額の現金やロレックスの時計を配られ、町の顔役の犯罪行為には目をつぶるというタイ警察の姿勢が一般国民に改めて知れ渡ってしまった(こんなことはタイ国民はほとんど皆先刻ご承知であった。)
交番まで作ってもらっていたとは恐れ入ったしだいである。昔からタイでは殺人事件があると、まず警官が疑われたという輝かしい歴史があった(ある)のである。
マフィアは実は政治家にも極めて多いのである。最近でも政治家が殺人事件に関与していたり、そのセガレが殺人事件を犯し、オヤジである政治家がもみ消したなどという話は絶えない。
最近起こった事件では環境活動家が白昼、衆人環視の中で、ピストルで殺され、犯人は農民の土地をネコババしようとしていた地方政治家であったことが明るみに出た。
タイという国はわれわれ外国人にとっては親しみやすい国ではるが、一皮めくれば実は怖い国なのである。特に政治権力者、軍、警察は問題が多かった。少しずつよくなってはきているが、タクシンの強権政治は歴史の流れを逆流させた感がある。
タクシンの政治手法のもとでは、地方の悪徳ボスが政治家としてますます幅を利かせるようになった感はぬぐえない。かくして、タクシンのマフィア退治は失敗に終わった。泰山鳴動してネズミ1匹といったところである。
再度やり直すとすれば、それはタイの国民自身がタクシン政治を終わらせたあと自分自身でやるほかないであろう。それはタイにおける民主主義の成長とともにやってくるであろう。(などと日本人の私がいうのは気恥ずかしいが)。
1-4-8.. タイでイスラム過激派ジェマー・イスラミア・メンバー(?)3名逮捕(03年6月14日)
タクシン首相が米国を訪問しブッシュ大統領と6月10日に会見する直前に、ブッシュが目の敵にしている、アルカダの一派であるジェマー・イスラミア(JI)・グループに属するイスラム過激派が逮捕された。
タクシンもイスラム・テロリスト逮捕という結構な材料をブッシュに提供できて、めでたい限りである。おめでたいタイの新聞はここぞとばかり喜びいさんで報道した。
タクシンはタイにはテロリストはいないと公言していたが、いることがわかったら抜く手も見せず捕まえたというストーリーである。
バリ島爆弾事件に関与したJIグループがいて、シンガポールの情報によって捕まえることができて、メデタイというのが6月13日付のバンコク・ポストの社説である。どこの国のメディアもおそまつ論説委員を抱えているらしい。
この点、ライバル紙のネーションのほうがはるかにましな論説をしている。
チュラロンコーン大学世界イスラム研究所理事のアロン・スタササナ氏の「ジェマー・イスラミアというのは平和的であり、自分達をより大きなイスラム共同体の一部とみなしている。JIをテロ集団と単純に決め付けずに、証拠を十分に調べる必要がある」というコメントを紹介している。
ところが、肝心のインドネシアでの裁判で、バリ事件の「爆弾屋グループ」とJIを結び付けようとする検察側の意図が、次々と関係者の証言によって覆されているのである。(本ホーム・ページ:「バリ爆破事件」参照)
アルカイダとの関係などは立証どころの騒ぎではない。全く無関係ともいえるような証言内容である。
もともと、アルカイダとJIを結びつけたのは米国のCIAとシンガポール政府である。実際どれだけの根拠があるのか、確かな証拠は見当たらない。
イラクへのアメリカの侵略も、フセイン政権とアリカイダが密接な関係にあるということも、重要な理由であったはずである。ところが、そんな証拠はどこにも見当たらないという、アメリカにとって不幸な(?)結果に終わってしまったようである。
アメリカの世界的「反テロリズム」キャンペーンに乗り、ブッシュ政権にゴマをすろうという態度がどこの国も見え見えである。こういう物語の背景には各国とも、たいてい米国大使館が関与して、シナリオ作成に協力している。
先の湾岸戦争のときも、当時の駐タイ米国大使は「タイでは1,000名のテロリストが訓練を受けている」という報道を流し、日本政府はこれを頭から信じ込み、タイへの「渡航自粛」要請をだし、 いい笑いものになったことがある。当時の日系企業の駐在員の多くは外務省のお粗末さに唖然としていた。
アメリカの言うことなら無条件に信じるというのが日本の国是なのであろうか?その辺タクシンのほうがはるかに「悪知恵」が働いているようだ。
JIメンバーを引っ括ってみせて、イラク戦争に積極協力しなかったことや、麻薬撲滅事件の人権侵害など、あれやこれやをブッシュに「ゴメンナサイ」で済ませてしまい、米国の軍隊にテロ対策用の基地を「有料で」貸すから、どうぞお越しくださいというところまで持っていってしまった。
なお。今回捕まったのはMaisuri Haji Abudullah 50歳とその息子のMuyahi 21歳と医者のDr. Waedahadi Wae-dao 41歳の3名である。Maisuriはイスラム学校の経営者である。3人とも地元の名士であり、テロとは関係がなさそうだという隣人達の見方だという。
この逮捕劇はシンガポール政府筋の情報をもとに仕組まれたものであり、さしたる根拠があるものではないという見方がされており、タイ領にすむ約600万人といわれるマレー系イスラム教徒の反発が強まることが予想される。
タクシンは6月22日、本件は「国民の安全にかかわる微妙な問題であり、国会議員やメディアはコメントをしないで欲しい」と早くも言論規制に入っている。
インドネシアではバリ事件の裁判のなかでジェマー・イスラミアの実在自体怪しくなってきている。
1-4-9. タクシンの30バーツ診療制度にホコロビが出始める(03年9月21日)
タクシンはポピュリズム政策によって政権を獲得したが、その目玉の1つである、「30バーツで誰もが診療を受けられる」という貧乏人にはまことに有難い制度がある。
ところが、この制度は病院や医師に一方的に犠牲を強いる結果となり、医師の給与が月額8,000バーツ(22,400円)という、一般非熟練労働者並になるものも現れた。
そうなると付き合いきれないから、もっとましな給料を支払ってくれる私立の病院に移る医師が続出している。
公営の病院も赤字の拡大と、医師・看護婦の不足から十分な診療ができず、薬は「漢方薬=野草」でということになりつつある。
タクシンはあわてて50億バーツの追加予算を出すことに決めたといっているが、それで足りるのか、また、タイミングは合うのかどうか疑問視されている。
タクシンはCEO(会社の最高経営者)の手法とやらで、タイの行政をやろうとしているが、思いつき行政で、弱者にしわ寄せをするという結果に終わることはまことに残念である。
債権者の外資が被害者になったり、末端の麻薬の密売人が2,000人以上も射殺されたり、およそ常軌を逸している。計画性と、合理性のなさが根本原因である。
(03年11月10日)資金不足の病院が続出
11月11日付の英字紙ネーションの伝えるところによれば、地方医師協会の発表では3分の1の病院が資金不足により、財政危機に陥っているという。これは保健省の資金交付が不公正であるためであるという。
医師も低給与に耐えかねて、民間の病院に転職するものが後をたたない。
しかし、タクシンはこの30バーツ診療制度は国民の広範な支持を受けており、特に問題ないという主張を変えていない。
1-4-10.. タクシンの内閣改造ー中国シフト明確に(03年11月10日)
タクシン首相は11月7日に突如内閣改造をおこなった。注目すべきはチャート・パタナ(国家開発)党を与党連合から追い出したことである。
チャート・パタナ党はポンポン教育相、スワット労働相、コーン・ダヴァランシ副首相、プラチャ副保健相の閣僚を派遣していたが、4名とも解任された。タクシンのTRT(タイ・ラク・タイ党)は単独でもゆうに過半数を維持しており、チャット・パタナ の30議席は不要という判断であろう。
チャート・パタナ党はナコン・ラチャシマなどの特定地域では強い支持基盤を持っており、次の総選挙でもTRTに対抗する候補者を立てる見通しである。なお30人の国会議員中最大で12名は脱党し、TRTに移籍するという。
副首相にはボーキン・バラクラという最高裁事務局次長でチャワリット内閣の時の内閣府付国務相が任命された。当時タクシンは副首相であり、通貨危機のきっかけとなるバーツのフロート制に踏み切った時に活躍した旧友同志であったといわれる。
当時のチャワリット内閣はヘッジ・ファンドのバーツ売りに抵抗して、固定相場制度を維持しており、国内の金融機関などにも「ドル買い、バーツ売り」を厳禁していた。
ところが7月2日に固定相場制をやめたところ、政府関係者がインサイダー取引で大もうけしていたことが、地元新聞にスクープされた。このころから何故かタクシンとボーキンは仲が良かったということが取りざたされている。要は「唐突の人事」に対する憶測が飛び交っているのである。
また、商業相としてタイの華人系資本家のために辣腕を振るっていた、アディサイ商業相が教育相に横滑りした。その後任には副商業相であったワタナ・ムアンスクが昇格した。
この人事は、一見何の変哲もない人事であるが、ワタナこそはかの、食品コングロマリットとして東南アジア最大のチャロン・ポカパン(CP)グループの一族であり、ダニン会長の甥である。
CPグループは中国各地に食糧関係のみならず、オートバイなどを含め巨額の投資をしている。タイー中国のFTAを思いのままやろうということである。
現在、タイと中国は農産品についてのみFTAを結んでいるが、肝心の工業製品についてはタイ国内の製造業者の大多数が懸念を抱いているという。そういう状況のなかではアディサイでは中国との2国間協定を纏めきれないとタクシンは考えたのであろう。
ともかく、これは明らかに中国シフト人事として注目される。CPグループの利害は最大限重視されることは間違いない。こういう場合は中国に投資関係のない人物が起用されるのが普通だと考えられるが、タクシンにはそのような「よそ行きの常識」は通用しない。
工業相のソムサク・テプスティンは農業相に、ソムサクの後任には科学相のピニ(Pinij)が就任する。あまり文化的でない文化相などと陰口を叩かれていたウライワン夫人(TRT内の保守派の頭目スノー・ティエン・トンの夫人)は労働相にかわる。
文化相にはアヌラック前社会開発・国民安全相が、アヌラクの後任にはソラ・アト前農業相が就任する。
これとは別に、国民反汚職委員会(the National Counter Corruption Committee=NCCC)の委員にタクシンの盟友として有名な元警察中将のウィチエンチョート上院議員が選ばれた。これでタクシン政権はますます安泰である。
1-4-11. タイ・ラク・タイ党の書記長の一族、ネーション・グループの株式を20%取得(03年11月16日)
タクシンの政党TRTの書記長スリヤの親類が、タイの最有力英字新聞「ザ・ネーション」の株式を取得にかかり、既に20%の株を取得しているという、驚くべき事実が明らかにされた。
ネーションのテラチャイ編集者は13日に「編集の独立性は変わらない」という声明を発表した。確かに、タクシンという人物は「異常な」政治家である。メディアや学者からのちょっとした批判にもすぐに青筋をたててむきになって反撃する。
タクシンは今までもテレビ局やラジオ局に不当に干渉して「沈黙」させてきたが、今度はネーション・グループの制覇に乗り出してきた。もちろんネーション経営権がタクシン一派に完全に握られるには相当な時間がかかるであろうが、「いやらしい動き」であることには変わりがない。
タクシンの理想の政治スタイルはシンガポールのリー・クワン・ユー型強権政治だといわれており、それへの第何歩目かが今回の事件であろう。これは単なる「金儲けのための投資」ではありえない。
1-4-12. タクシン一族、航空業界に進出、許認可はお手盛りで(03年11月16日)
タクシンの会社「シン・コーポレーション」はマレーシアのエアー・エイシア社の株式を50%取得し、「格安航空」業をはじめるととなった。運行は12月開始とのこと。 これは絵に書いたような「お手盛り」認可である。
もちろん国営のタイ航空などとの競合関係は生じる。
1-4-13. 国王が誕生日の記念放送でタクシンに苦言(03年12月5日)
プミポン国王は76歳の誕生日記念のラジオ放送で先の「麻薬撲滅キャンペーン」を支持する一方で、2,500名もの死者を出したことに対する「1件ごとの原因究明」を求めた。
この2,500名という数字自体あやふやで、実態はもっと多いといわれている。この点を国王は「2,500名という数字は正確ではない。そのほとんどは仲間か政府の撲滅政策のなかで殺害されたものだ」と指摘した。
さらに、「真相を究明し、タイ国民と国際社会に対し説明すべきである。もし、真相が解明されなければ、多くの人々は首相を責めるであろう」とも述べた。
このように、かなりきつい言いかたのあと、「もし首相が、このキャンペーンをやらなかったら、麻薬中毒などで2,500人より以上の死者が出たであろう」といって、多少はタクシンにも花を持たせたが、真相の解明を迫ったことの意味合いは非常に大きい。
というのは、前にも述べたが、麻薬取締法で逮捕され裁判にかけられたら、2,500名も「死刑判決」を受けるはずはない。ということは、殺された人の多くは、不条理に国家権力(とそのキャンペーン)によって殺害されたということになるわけである。
この記事はタイの英字新聞ネーションによっているが、5日付の米国のWSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)は「国王が2,500名ぐらいの死者は問題ない」といったというような極めてミス・リーディングな書き方をしている。
見出しには”Thai King Endorses War On Drugs, Dismisses Death Toll” と書かれている。お粗末な記事としか言いようがない。 ちなみに、この記事は署名記事ではない。ということは、タクシンの官房が出したものをそのまま書いたのかもしれない。WSJの名誉(?)のために、せめてそう思いたい。
また、タクシンは「麻薬撲滅キャンペーン」を祝う、大祝賀会を1万人を動員して派手に行っている。このキャンペーンそのものは「国王の誕生日前に決着をつけて、国王に喜んでいただくため」と称してはじめられたものである。
しかし、実際にウカレてハシャギ回っていたのは国王でなくてタクシンその人だったのである。 晴れの舞台で「チャイヨー、チャイヨー=万歳、万歳」などと叫びながら狂喜・乱舞していたそうである。
その点を国王は同じラジオ放送で「良い行いをしたときは、他人に誇ることなく静かにしていれば良いのだというのは私の母の教えである」という趣旨の話しをした。
また、他人の批評にも謙虚に耳を貸すようにといってタクシンをたしなめた。しかし、タクシンはこういうこを前から国王にも言われているが、一向に気にしている様子はない。
タクシンにとっては「麻薬撲滅キャンペーン」は自分自身のパフォーマンスのひとつであり、国王はいわばダシに使われたのである。30バーツ医療制度のときもそうだった。こともあろうに国王に30バーツの診療券を渡したのだ。
実際のところ、麻薬キャンペーンにしたところで、本物のキーパーソンは1人として捕まってはいないのだ。
その点をWSJはジェマサク・ピントン上院議員の話として、「タクシンのキャンペーンは劇場のお芝居みたいなものだ。大げさな話にしているだけで、(軍・警察の)役人や政治家につながっている大物は誰も捕まえれれてはいない」とニベもなく語っている。
1-4-14. タクシンのチナワット・テレコム社がDBSと組んで消費者金融部門に進出(03年12月13日)
タクシン首相のチナワット・テレコム・グループはシンガポールのDBS(国営のシンガポール開発銀行)と組んで消費者金融会社を設立する。
会社名は「Capital OK」社と称し、資本金10億バーツでチナワットが6億バーツ、DBSが4億バーツ出資する。
顧客層はチナワット・グループの携帯電話加入者1,200万人をターゲットとする。
融資対象は住宅ローンや中小企業のリース買取などにも幅広く拡大し、通貨危機時に大幅に整理されかつての典型的なファイナンス・カンパニー機能を持つ。
これはタクシン・グループの明らかな「財閥化」の一環である。先の航空事業も同じである。
華人枢軸指向のビジネス・マン政治家タクシンがシンガポール政府との関係をこのようなビジネスを通じてますます強化しつつあることがが注目される。
ASEANの中で、タイとシンガポールの枢軸ができあがってしまったことにわれわれは注意を払っていく必要がある。ほかの国々はそのことを知って内心大いに白けているのである。
1-4-15.タクシン一族の株式時価総額1兆円を超える(04年1月22日)
ネーション紙(1月20日付け)の伝えるととろによれば、タクシン首相一族の所有する株式時価総額は4,252.5億バーツ(約1兆1,500億円)に達し、バンコク証券市場に上場されている全株式の時価総額の9%にも達している。
2002年には1,460億バーツであったとされる。1年間の間に2.9倍にも膨れ上がったことになる。タクシン首相はタイでは最大の大金持ちになったわけである。まさに、「政治ほど儲かる商売はない」といったところか。
もちろんこれは汚職によるものではなく、経済が好調で、株式市場も上昇を続けているためであり、タクシンには何らやましいところはないというのが側近の説明である。
1-5-1 タクシン主義の本質についてータイの研究者グループの討論(04年1月22日)
タイの学者などの研究者約30名がチェンマイに集まって、「チエンマイ・フォーラム」なる討論会を行い、それがタイ字紙「Matichon」に掲載され、さらにその内容が英字新聞「ネーション=The Nation」の1月20日号に掲載された。上の#52もその1部である。
現在、タクシンの政策についてはタイの学者の間にも賛否が分かれている。
私のタクシン観は今まで述べてきたとおりであり、このままタクシン政権が続けばタイ経済は中長期的にはかなりゆがんだ発展を遂げ、袋小路に入っていくようなことになりかねないというものである。かってのヒットラーのナチス経済がたどったと同じように。
この「チェンマイ・フォーラム」はタイ人の学者、研究者、ジャーナリストの見方だけに切迫感がある。日本では紹介されることはほとんどないと思われるので、概要を訳し皆様に紹介したい。
****タクシノミックスの興隆とタイへの影響について****
2001年の初めに政権に就いたタクシン首相は対の政治、社会に劇的な新しい変化を与えた。タクシン政権の基礎、「ポピュリズム政治」である。
中小企業の発展や貧困撲滅も含む、草の根レベル、地域社会に根ざした経済を強化することを目指し、さらには麻薬や汚職撲滅運動を行い、それらは大衆の支持を受けてきた。
ほかの政策としては、役所業務を民間経営のスタイル、すなわちCEO(米国型企業責任者)形式のマネージメントに変え、また、いわゆる「Dual-track Econnmy Policy」(複合経済政策)を採用するなどして、タイの政治、社会を把握し、変革させようとしている。
タクシンの基本政策は、強固な指導とタクシノミックス(タクシン流経済政策)によって、広範囲な受益者集団の支持を集めている。彼らは政府の政策によって現在、利益を得ており、さらに将来的にタナボタ式の経済的利益を売ることを期待している。
多くの人々にとって、タクシン政府はより良い未来と進歩のシンボルである。
一方において、タクシン主義(ドクトリン)は一部の学者やNGOソシアル・ワーカー、政治活動から強い批判を受けている。
それはタクシン主義は本質ににおいて自己矛盾に陥り、過去のタイの政治、社会の分析や意味づけに使われてきた理論モデルから逸脱し、不適合化しているからである。
チェンマイ・フォーラムに参加者たちはタクシン主義を以下の4つの枠組みで議論した。
@タクシン政権下におけるタイ国家の民主化と変貌、
Aタクシノミックスにおけるタイの資本主義と国民経済開発政策に及ぼす影響について。
B一般民衆分野における代替的政策とその制約について。
Cタクシン主義;その現状とタイの社会に将来及ぼす意味について。
1)ポピュリスト政策とタクシンへの個人崇拝(タクシンの個人的カルト)
1人の参加者はタクシン主義を洗脳と大衆の集合的心理の制御の試みとして特徴付けられるとした。その意味で、タクシンのポピュリズム(大衆迎合主義)は「単に大衆の人気取り」を目的にしたものではない。
民衆の側の無軌道な欲望と要求は、さらに多くの期待を膨らませるように操作されている。さらに、タクシン批判者に対して不信感を植え付けるように巧妙な手段がとられている。
タクシン自身を取り巻く個人崇拝集団を作り出すことはタクシンの指導に対する大衆のアピールと結びついている(注=タクシンでなければダメだという錯覚)。
また、タクシンは彼の政府の政策は一部の特定のグループ(注ー華人資本家集団といった)だけの利益を目指したものではなく、全ての国民的階層の経済的利益を目指したものであると一般民衆に信じ込ませることに成功したいる。
貧困層や不利益をこうむってきた階層は政府の貧困撲滅キャンペーンにおいて直接政府の援助を受けている。しかし、それはそもそもタイの積年の問題の元凶となっている社会、経済的な構造のアンバランスの解消を目指したものではない。
タクシン政府の干渉主義は多くの受益者を喜ばせてきた。それは即席の恩恵と具体的な利益を彼らに与えてきたからである。大きな企業は当然のことながら政府の政策によって大きな利益を得たことはいうまでもない。
通信分野、娯楽産業、その他タクシンが強くコントロールしている主な産業の統合によって「クローニー(取り巻き)」あるいは独裁者(注=タクシン個人のこと)といわれても仕方がないような者が登場してきた。
しかし、タクシンによって擁護されている「保護者・Patron-被保護者関係・client(注=タイの伝統的社会身分関係)」は一昔前の露骨かつ横暴な軍事独裁政権時代に比べより洗練され、複雑なものになっている。
さらに、タイの多くの一般民衆はやっとの思いで勝ち取られた民主主義が危殆に瀕していることには気が付いていない。
2)タイの乗っ取り
タクシン政府=タクシンの保護下での資本家政府と特徴付けることができる。それは自由な資本主義国家タイに替わるものである。タクシンは彼の進路をふさぐ伝統的な機関・制度を必死になってぶち壊している。
過去において最も強力だった機関は銀行であった。1997年の危機以降、さらにタクシンが政権をとってからというもの、政府は銀行をコントロール下におくことができた。そのことによって経済政策をやりやすくした。
究極的な「ディール・メーカー(注=タクシンのこと)」は既に「タイ株式会社」を乗っ取ってしまった。その「ディール・メーカー」は彼のファミリー・ビジネスと彼のクローニーに直接的な利益をもたらす「ディール」を作り続けている。
「ディール・メーカー」とその仲間の富と資産は彼が権力の座にいる限り幾何級数的に増え続けていくであろう。
大衆の支持を獲得するためのタクシンの手練手管は次のようなものである。
@マスメディアを脅迫を通じでコントロールしていく。同時に、ジャーナリストを故意に間違わせ、また公的な課題を設定することにイニシアチブをとることによって、ジャーナリストの信頼性を損ねていく。
A政府を「家父長的な」やり方で運営する。一般国民は「被保護者」となり、タクシンが差し出すものを「頂戴する」ために行列させられる。
ビレッジ・ファンド(村おこし基金)を受け取る村人の大多数は、それが財政資金からではなくタクシンのポケット・マネーから出ていると信じている。
Bポピュリスト政策の先例を設定し、国民大衆の身勝手な欲望と要求に対して即席的に恩恵を与える。これはゲームのルールの変更を意味するものである。なぜなら他の政党はタイ・ラク・タイ党(タクシンの政党)の「成功の方式」に従わざるをえなくなるからである。
C公務員に対し抵抗する暇を与えないように矢継ぎ早に、攻撃的で目新しい構想をぶっつけ、すばやい対応を要求し、公務員を脅して服従させる。
タクシンが首相を辞めてからもタイの政治を支配できるように、タクシンは軍と警察の幹部の人事を都合のいいように行っている。彼の従兄弟は陸軍司令官になっているし、彼の警察学校時代の同級生の多くは次の人事異動で枢要なポストを占めるであろう。
また、彼の親戚はタイ警察のトップ゚の地位を与えられようとしている。
3)タクシン主義の影響
ポピュリスト政策は一般家庭がより多く消費し,より少なく貯蓄し、多くの負債を抱え込むように仕向けた。タクシンの目指す目標とは次のようなものである。
@国内政治における人気は国会選挙においても、より多数の議席獲得を意味する。同時にタクシンは東南アジアにおいてもアジア・ボンドの発展といったような彼の構想を通じて、指導者の地位を獲得することを切望している。
Aかなりの経済成長。
B効率化を目的とした国営企業の民営化。しかし、タクシンの民営化政策には「隠された目的」もしくは「腐敗しやすい政策」意図がある。
利害衝突(注=当事者間の利益分配)という疑惑に対して、タクシンは経済成長は全ての人々に恩恵をもたらすものであると新年のメセージで述べている。
政府(国)がいかに高成長を遂げようともかまわない。(同じ理屈で)彼の一族と仲間を含む大企業(が大儲けをすれば、そこから)からの、「おこぼれ効果」(トリクル・ダウン効果)が路辺の民衆にもおよび、彼らを幸せにするのである。
1月8日にはタクシンの所有するシン・コープ株式資産総額は4,520億バーツに達した。それはタイの上場株式の時価総額4.8兆バーツの10%近くに相当する額である。
例えば、「利害衝突」のありふれた例としては、投資委員会が、怪しげな環境下において、8年間にわたって164億バーツの税免除を認可したことにも現れている。
納税者からのカネと政府金融機関の余剰資金を使った「予算外」のポピュリスト政策と経済刺激策はタクシンが政権についてから2兆バーツに達している。
村民が彼らの資産を「資本」に転換することによって安易な借り入れに依存できるように政府が仕向けたために、経営的な才覚のない農民が借金を増やし、土地を失うリスクを増加させたことにつながる。
タクシンの圧倒的な力は「参加型民主主義」を許容しない雰囲気を生み出している。なぜならタクシンは異論に対する寛容さを持ち合わせていないからであると討論参加者は語っている。
タクシンの麻薬撲滅キャンペーンで殺された2,500以上の人々の大部分は「無実」の人々であった。そのことは国民大衆が「人権基準」を守る準備と、タクシンに分別ある政治を行わせる必要があることを物語っている。
市民社会はタクシンが批判者を脅迫して屈服させることによって、バラバラにさせられている。
1-5-2.iTV疑惑
1-5-2-1. タクシンが乗っ取ったiTVテレビの免許料を大幅引き下げ案に世論の批判(04年2月7日)
タクシン財閥のShin-Corp.が2000年の後半に買収し、現在株式の77%を所有するiTV(independent TV=独立テレビ)に対する政府の免許料を3名からなる「 裁定委員会」が252億バーツから170億バーツ(約470億円)減免 し、82億バーツにするという気前の良すぎる案を出してきた。
この案が実現すると免許期限の切れる20年後の2025年までに補償費を含め174.3億バーツ(約480億円)の国庫負担増になるという。
その理由はiTVテレビ局が赤字だからということにある。それ以外にも首相府がiTVに対しケーブル・テレビがらみの紛争処理費(補償)として10億バーツ支払うというものである。
iTVは1992年のバンコク暴動(反スチンダ事件)以降、民主主義擁護のための独立のテレビ局を作ろうという世論を受けて誕生したテレビ局で番組構成はニュース70%、娯楽30%という制約を受けていた。
そのテレビ局をタクシンは買収して、自分の政治的プロパガンダのために利用しようとしたと言われている。当時のテレビ局員が番組の独立性を守ろうとして労働組合の結成を試みたが23名が解雇されるという事件が起こった。
タクシンのテレビはあまり人気が高くなかったようでコマーシャル収入も少なく赤字を続けていた。業を煮やしたタクシン一族は政府へ支払う免許料の引き下げを検討させ、それを受けて「 裁定委員」が大胆な引き下げ案を提示したというのが今回の事件である。
政府の立場としては免許料収入が減ることになるので、裁定案には表向き「難色」のひとつも示さないことには収まらない世論の風向きになってきた。
iTVが儲からなかったのはたタクシンの投資の失敗には違いないが、タクシンは政治宣伝の道具としてフルに活用してきたはずである。2001年の選挙ではタイ・ラク・タイ党の勝利に大いに貢献したといわれている。
タクシンは免許料引き下げ問題は知らなかったと白を切っているというが、そんなことを信じる人はいないであろう。それが儲からないからといって国民の税金で尻拭いさせようというのはいかにもタクシン流であるとして地元のメディアや世論が反発している。
鳥インフルエンザ事件でさんざミソをつけたタクシン政権としては何とか善後策を講じなければならなくなり、裁定案に対して形ばかり「行政訴訟」を行うという。
しかし、担当のビシュヌ副首相は「裁定委員会」の決定を覆すことは容易でないとミエミエの「腰の引けた」言い方をしている。何もかもが「デキ・レース」の範囲の事件の如しである。
Shin-Corp.がiTVを買収したとき、シンガポール資本がShin-Corp.の主要株主に入っており、憲法に違反した疑いがもたれているという。 また、閣僚、国会議員、政治家は政府との契約に参加してはならないという法律にも違反しているという。
また、iTVは今回の鳥インフルエンザで情報を隠蔽していたといわれ「独立」とはいえないという指摘もなされている。
1-5-2-2iTVの免許料大幅減免取り消し判決(06年5月11日)
タクシンの事実上の会社であったタイ最大の通信会社シン・コーポレーション(以下SCと略す)の傘下に強引におさめた後に、放送免許料の大幅減免という「荒業」をタクシンはやってのけたことは上(#56-1)で見たとおりである。
タクシンは自分の思い通りの報道をやってくれるテレビ局を安値で仕入れたことになるが、先にSCをシンガポール政府の所有する投資会社タマセクに売却してことでSCとともに、このiTV社もタマセクの物になってしまった。
しかし、このタクシンのやり方を中央行政裁判所は2004年に「裁定委員会」が認めた免許料の大幅減免を「不当」なものだとして、覆す判決を06年5月9日(火)に行った。
この判決では、@免許料を遡及して17億バーツ支払うこと、A政府との契約違反に対して700億バーツ(約2,300億円)の罰金を支払うこと、Bニュース番組と娯楽番組の比率を政府との協定どおり70対30に戻すこと(iTVは政府に無許可でニュースと娯楽番組を50:50に変更し、コマーシャル収入を稼ごうとした)ということななった。
SCは判決を不服として最高行政裁判所に控訴する方針だと伝えられるが、タクシンの「荒業」を認可した「裁定委員会」の決定がそのまま認められる公算は少ないものと考えられる。
タクシンはこの種の「xx委員会」を手中に収め(選挙管理委員会も含め)ることによって、自分の政治目標を貫こうとしてきたが、ここに来て、上級裁判所がチェックする動きが出てきたと見ることができよう。
いずれにせよ、この判決はタイの「言論の自由」の回復に向けた第1歩となる重要な判決である。
1-5-2-3.最高行政裁判所はiTVに対する巨額のペナルティーを支持、テマセク窮地に(06年12月13日)
最高行政裁判所は中央行政裁判所が06年5月9日に下した、iTVに対する判決を支持するという判決を本日(06年12月13日)に下した。これによってiTVとしては820億バーツ(約2,700億円)以上の罰金を支払う義務が生じ、ニュース番組の比率を70%にもどす(現在は既に67%にまで戻している)こととなった。
最高行政裁判所の判決は罰金の額(バンコク・ポストは総額で940億バーツ=約3100億円と報じている)については具体的に言及していないため、タイ政府は罰金取立てのための訴訟を別途起こす必要があるということである。
その過程で、何らかの話し合いの余地は残されていると考えられる。
それにしてもiTVの資産は37億バーツ(約122億円)しかないといわれており、この罰金の支払いは不可能である。親会社のテマセクはどうするかは分からないが、罰金の額やiTVの収益性から考えて「破産」させてしまうこともありうる。
そうなると、iTVは政府に放送免許を返還し、唯一の民営テレビ局としてのカンバンが消滅することになる。従業員は最悪の場合は全員解雇となるが、本日従業員代表は声明を発表し、最高行政裁判所の決定を受け入れると表明した。
テマセクはこのような問題が存在することを承知でタクシンからシン・コーポレーションの株式を買い取ったわけで、罰金問題などで、どの程度の責任をとるのかが注目される。
どちらにしても、この問題はタクシンの言論機関の私物化と営利第1主義の思想から出発した事件である。 これほどまでの、「利害相反」行為を首相という立場で白昼堂々とやってのけたのだからタクシンという人物のフテブテしさが窺われる。これが他にもいくつもあるのだから恐れ入る。
その点、日本では石原都知事の超豪華版海外出張や、倅への特別待遇、本間政府税調会長の豪華官舎への愛人囲い込み問題(週間ポストで読みました)、福井日銀総裁の村上ファンド(ノーパンしゃぶしゃぶ事件もですか?)癒着問題などどれをとってもコソコソとしたイジマシイ事件ばかりである。もちろんもっと盛大に悪いことをやったほうがいいという意味ではないが。
1-5-2-4. iTVのボーンクリー会長辞任、証券取引所はiTV株の取引停止(07年2月27日)
本日(2月27日)閣議でiTVの扱いをどうするか決定される予定であるが、iTVのボーンクリー(Boonklee Plangsiri)会長が2月26日(月)に辞表を取締役会に提出して辞任してしまった。
ボーンクリー氏はタクシンの右腕といわれた人物で、シン・コーポレーションの会長(CEO)として、タクシンのビジネスを切り盛りしてきた。それに先立ち、ソンプラソン(Somprasong Boonyachai)AIS社長もiTVの取締役を辞任している。
この2人がiTVの経営陣から去ったことはシン・コーポレーション・グループがiTVの経営から手を引いたことを意味する。
iTVは1,000億バーツに近い巨額の罰金問題以外に、3月6日期限で滞納している「免許料」20億バーツ(≒73億円)を政府に対して支払わなければならず、それも不可能なことは確実と見られ、近々倒産することは必至の情勢である。
タイ証券取引所(SET=Stock Exchange of Thailand)はそれまでに提出されていたiTVの決算報告について疑義が生じたとして、2月26日取引を停止した。
タクシンが強引に自分の傘下に引き入れたiTVの命運はまさに尽きようとしているが、プリディヤトン副首相は通常通りの放送を継続するようにiTVに要請している。
1-5-2-5.民営のiTVが 消滅し、国営のTITVとして復活(07年3月8日)
国営テレビ局を首相になる前の2000年にタクシンが買収し、iTVとして運営してきた。民営化の前提になる番組編成割合(ニュース番組70%など)を守らず、巨額の罰金を科せられていたが、それは支払われず、ついに3月6日で放送免許を取り消された。
その後の措置として、1000名の従業員の雇用維持の問題もあり、放送免許を国有に戻し、政府の広報局(PR局)の所管とし、名前もTITVと変えて、放送を3月7日に再開した。
一旦は全員解雇という最悪の事態を予想していた従業員は大喜びで、皆で喜び合う姿が報道された。全員が政府の広報局の職員として再雇用されるというのだからまずはメデタイ話しである。
放送局の番組編成方針としてはイギリスBBCを目指す(残念ながらわがNHKは参考にされなかった)という。とりあえずは最近のiTVの放送内容を変えるつもりはないとしている。また、番組編成についてはあくまで「独立」を認める方針であるという。
朝から晩まで政府の「ひね生姜」(Old Ginger Cabinet=スラユット内閣のあだ名)みたいな爺さんや年配のマダムのお説教を聴かされては視聴者はたまったものではない。政府の広報部とはいっても、あまり露骨な政府のPRはやらないということである。
iTVのオーナー(シン・コーポレーション)が支払うべき 免許料22億バーツについての支払いがおこなわれておらず、請求訴訟の手続きに入った。1000億バーツに近い罰金についての処置はどうなるのか明らかにされていない。
1-5-3. タクシンがビルマ軍事政権に対して軟弱なのはなぜかー米国上院議員(04年3月7日)
米国のミッチ・マコーネル(Mitch McCornnell)上院議員は最近のタクシン首相のビルマ軍事政権(SPDC)への態度が融和的に過ぎるとして、その理由を「タクシンのファミリー・ビジネスと関係があるのではないか」と語った。
従来はタイ政府は民主主義的原則を堅持し、隣国ビルマに対しても民主化を強く働きかけていたが、タクシン政権になってからは態度が大きく変わり、軍事政権との関係も極めて「友好的」になってきたことは確かである。
その理由をマコーネル上院議員は「タクシンの事業であるiPSTARという通信衛星ビジネスを軍事政権に売り込むためではないか」と指摘した。
このiPSTARは米国の輸銀から3億5千万ドルの融資を受けており、タクシン一族はその事業の株式の53%を所有している。
タクシン側はビジネスと政治とは関係がないとしているが、SPDCからは5,000ヵ所の衛星通信受信設備をビルマ領内に建設する許可をもらっており、既に1,000ヵ所の設置が終わっている。
最近タイ政府はビルマからの難民を大量にビルマ側に強制的に送り返すなどの人道上問題のあることを平然と行っている。こういうことは民主党政権時代はあまりなかった。
昨年12月15日にタクシンはバンコクでASEAN主要国や日本やドイツ、フランスなどの代表などを呼んでSPDCのウィン・アウン外相に今後のビルマの民主化の道筋(ロード・マップ)を説明させる会合を開いた。
「バンコク・プロセス」と呼ばれるものである。その会議にはビルマの民主同盟(NLD)はもとより米国もイギリスお呼ばれなかった。
結論はSPDCも段階を追って民主化を進めるので皆さん安心してくださいという趣旨のものであった。
その後、確かにアウンサン・スーチーさんの釈放が進められたり、「国民議会」が召集され憲法を作るのだなどというお話が発表されたりはしているが、具体性がいまいちで、歩みは亀の足取りのごときものである。
タイの国内でも何のためタクシンはこんなことをやるのだという声は確かにあった。米国大使館もバンコクにあるのに米国が不参加だったのも確かに解せない話である。
本件についてはいずれ強烈なタクシンからの反撃があるものと思われる。
⇒ビルマ政府に通信事業でソフト・ローン疑惑(04年8月24日)
タクシンの企業であるShinSat(衛星事業)はビルマの通信設備改善事業に深く関与していることが明らかになった。それだけでなく、タイの政府金融機関(輸出入銀行)がビルマ政府に対し9億6,200マンバーツのソフト・ローンを与えるという方針であるという。
タイ政府はまだ「正式に決定されたものではない」といって批判をかわそうとしている。
この情報は8月23日のタイ字新聞マティチョン(Matichon)にすっぱ抜かれたものである。
タイ外務省はかねてタイ政府がビルマ政府に対し40億バーツの民生改善事業に対する借款供与の約束を行っており、本件もその一部であるという説明をしている。
こういう話を聞くと「ビルマの民主化問題はASEANの内部で説得する」などという、タクシン政権のお話は実効が上がらないのも無理がないという感じである。
これに類することが余りに多く、国益よりも自分のビジネス最優先と見られても仕方がないであろう。ビジネス・マンが政治家になっては権力を握るとロクなことはない。もっとも、家業として政治家をやるのも問題が多いが。
タクシンは政府としてはまだ結論を出していないといっていたが、輸出入銀行は8月9日には融資の承認をしていると述べている。
ところが肝心の輸出入銀行の総裁サタポンは上院の委員会で証言させられ、「政府からの圧力がかかったのでシンサット・プロジェクトへの融資を認可いたしました」と素直に白状してしまった。
「お芝居ができないやつは手に負えない。アホめが」とタクシンの歯ギシリが聞こえてくるようである。
サティポンはさらに余計なことを言ってしまう。「輸出入銀行はビルマ政府の汚職問題を解決する義務は負っておりません。ビルマは今まで貸したお金はきちんと返してくれました」だと。(04年9月2日、ネーション紙の記事より)
1-5-4.. タクシンがイギリスのプロ・サッカー・チームを買収計画(04年5月14日)
南タイで108名にも上るイスラム教徒の「叛徒」を殺害したばかりの、タクシン首相が新聞紙上にまことににこやかな笑顔で登場した。話題はイギリスの名門プロ・サッカー・チームのリバープールの株式を30%買収するというものである。
タクシンのポケット・マネーで買うのかと思っていたら、何と国民の税金で買うというのだから驚きである。金額は1億ドルといわれている。
何のために買うかといったら、タイ国のサッカーのレベル・アップを目指し、タイを東南アジアにおけるサッカーの中心地にしたいということのようである。
ちなみに、この話の直前の4月28日のイスラム教徒虐殺の際にはある村のサッカー・クラブのメンバー19名が全員殺害されてしまった。彼らの持っていた武器はナイフであった。タクシンはサッカーを通じて、国民の「思想善導」をやろうというのだろうか?
いや、南タイ問題から一時的にせよ国民の関心をそらせたいというのが本音かもしれない。
この話は競争相手がいてタクシン政府が落札できるかどうかは目下のところ五分五分であるという。もしこれがダメなら他にも口があるとタクシンは語っている。やけにご執心である。
1億ドルもの金があったら、もっと別に使い道がありそうなものだが。
⇒強まる世論の反対(04年6月2日)
タクシンはリバープール・フットボール・クラブ(LFC)の株式30%を1億ドルも出して買うということになぜかこだわっているが、ポケット・マネーではなくて、宝くじを売り出し、その収益金で買うのだという途方もない下品なアイデアを思いついた。
しかも、その宝くじは、1枚が何と1,000バーツ(約2,800円)だというのである。これは最低賃金5日分以上の金額である。こんなものを一体誰が買うのであろうか?
これには、タクシンを政界に引き入れ、今日のタイの混乱をもたらす元凶ともなった民主派指導者チャムロン・シームアン氏(退役少将)も憤慨しているという。
熱心な仏教徒であるチャムロン氏の言い分は、「国民が宝くじのようなギャンブルにふけるようになると勤勉の精神を失い、やがては衰亡していく」ということである。 (国民の多くが株のインターネット取引に夢中になるのも同じこと)
したがって、富くじの類は、歴史的に禁止されていた経緯があり、それをヤミでやらせて大金を懐に入れてきたのがタイの軍部であった。最近は福祉資金獲得のために公認されているものもあるが、全般としてギャンブルは悪であるという国民的な常識は残っている。
国民に宝くじを買わせて資金をひねり出そうという発想自体、仏教国タイの威信を著しく傷つけるものであるという声が、タイの宗教界や学会から巻き起こっても不思議ではない。
また、1997年憲法ではタイ政府は民間会社の株式を取得して営利事業を行ってはならないと規定しているという。
この取引はリバープール側とタクシンとの間で合意に達しているらしく、タクシンものっぴきならない立場に追い込まれているようである。
⇒宝くじで金集めは断念(04年6月3日)
タクシンが宝くじを売り出してLFCの株を30%買うという案は、元親分のチャムロン氏の公開書状による反対論に加え、学生が街頭に繰り出し、反対の署名活動をやるという騒ぎにまで発展して、さすがのタクシンも「富くじ」案を撤回した。
「金集めの方法は他に100通り位考えられる」と、タクシンは負け惜しみを言っているが、自分の金で買うのが一番良いことは明らかではないか?何しろタクシン家の財産は1兆円あるといわれているのだから100億円位はどうということはなさそうに思えるのだが?
タクシンは国民の金と自分の金との見境がつかなくなってきているみたいだ。これは日本の政治家や役人によく見られる傾向だが、いい加減にしていただきたいものだ。
国民のほとんどがタクシンは「ポケット・マネー」でサッカー・チームを買うものとばかり思っていたしうである。
⇒今後こそタクシンはポケット・マネーで英国サッカー・クラブを買う?(07年4月23日)
目下ロンドンに亡命して、「有り余るカネの使い道に日夜腐心しておられる」タクシン元首相は中国やアラブの富豪と組んで英国の名門サッカー・クラブであるマンチェスター・シティ(Manchester City Football Club)を60億バーツ(約220億円)出して買うらしい。
これはタクシンに近いWebサイトで明らかにされたという。(http://www.hi-thaksin.net)
ロンドンのかの有名なハロッ(Harrods)・デパートや,Fulham Football Clubのオーナーでもあるエジプト人の大富豪モハメッド・アル・ファイド氏の口利きで話しが進んでいるという。
同クラブの名ミッド・フィルダーのJoey Bartonは最近の「カネカネカネの話にはうんざりだ。オレだったらカネを払ってサッカーの試合など見ない。」とコメントしているという。さもありなんである。タクシンが手を触れると何もかもキン(金?or菌?)に汚染されてしまう。
一方、無能呼ばわりされても何とかタイの平和を維持しようと懸命に努力しているスラユット首相は先週南タイにいたと思えば今週は東北タイに飛んで、農民がバンコクに出てきて「反政府集会(暴動を企画している輩がいるという)」に参加しないように説得に当たっている。
タクシンは国民の税金を使って30バーツ診療だの「一村一品運動」だので貧しい農民もしくはスラムの住人の歓心を買い(ポピュリスト政策)、そのツケを払わされて老骨に鞭打って東奔西走しているのがスラユット首相である。
その姿をアザ笑っているのがメディアや文化屋である。タイ・日を問わずメディアは本当に民主主義の守護人なのか?
(バンコク・ポスト、WSJインターネット版 7年4月23日参照)
⇒マンチェスター・シティ、タクシンのオファーを受け入れ(07年6月22日)
マンチェスター・シティ・フットボール・クラブはタクシンが提示した8,160万ポンド(≒185億円)で譲渡する方針を明らかにした。2,160万ポンドを現金で、6,000万ポンドを負債の肩代わりという取引である。
タクシンの弁護士ノッパドン(Noppadol)氏によればタクシンは凍結を免れているカネを十分持っており、サッカー・クラブ買収用に70億バーツ(≒265億円)を用意していたので資金的には問題ないとしている。
問題は国内で汚職の訴追を受けているタクシンが「資格審査(Fit and Proper Test)」に合格するか否かである。
マンチェスター・シティはプレミアム・リーグで昨シーズンは14位とはなはだ芳しくない成績の上、6000万ポンドの借金を抱えており、「適当な買い手」がつけば喜んで売り渡したいところである。タクシンの汚職裁判がどうであろうと「判決が出る前は無罪」というような理屈で譲渡は実現しそうである。
タクシンとしてはマンチェスター・シティのタイ人社長としてタイ国内のサッカーファンの支持をかき集めたいところであろうが、とき既に遅しという感じである。いまやタクシンはどうして24億ドル(フォーブス説)もの大金を懐にしたかというほうに関心は集まっている。
1-5-5 財界にタクシン政権への不信感強まる(04年6月16日)
チェンバー・オブ・コマース大学では年に何回かさまざまなアンケート調査を行っているが、最近行われた主要400企業への調査では、「政府の政策に大変満足している」と答えた企業は昨年の調査の10.8%に比べ僅かに0.5%にまで落ち込んでいることが判明した。
また、政府の「政策の実行は満足できる」と答えた企業は昨年は51%であったのに対し、今回は34%に急減している。
政府の緊急対策、すなわち不良債権の処置、中小企業への融資機関の設置、30バーツ医療制度などについては50%が評価していると答えた。農村への援助政策なども焼く半数の支持を得ている。
経済政策については「大いに満足している」という企業は13%にしか過ぎなかった。「行政と司法についての政策」には20%、国家の治安政策については26%、宗教、社会、教育、保健政策については26%、政治そのものについては33%が満足していると回答した。
貿易政策については52%、金融政策については51%、財政政策については51%、緊急機器対策については54%が満足していると答えた。
経済政策についてはほぼ半数が満足していると答えている。(04年6月4日、http://www.nationmultimedia.com/ 参照)
しかし、このアンケートは最近の南タイの混乱拡大がどの程度反映されているかは明らかではない。バンコクの経済人は南タイのイスラム教徒の災難などには案外無関心なのかもしれない。
個々の政策については比較的迅速かつ的確に行われているのかも知れないが、全体の整合性や総合性に欠けている感はまぬがれない。
最近では鳥インフルエンザ隠蔽事件、中国への極度の傾斜と農民の反発、地元企業優先政策(TPI事件など)、麻薬撲滅キャンペーンにおける大量殺人事件、南タイ事件などで不適切な対応が随所に見られるようになった。
1-5-6. 選挙を控え農村に200億バーツのばら撒き(04年7月19日)
タクシン首相は来年はじめに行われるといわれる国会議員選挙を前に、農村地帯に200億バーツ(約540億円)の資金をばら撒く計画を発表し、露骨な選挙対策であるとして物議をかもしている。
こういう手法はタクシン流のポピュリズム政策の一環だが、マルコス時代にフイリピンやスハルト時代のインドネシアやペルーではフジモリ元大統領もやってきた。権威主義的な国家ではいわば常套手段でもある。
タクシンのやり方は、身銭は切らずに国民の税金を使って貧しい農民を買収するという、典型的なポーク・バレル(たる詰め豚肉を送る)といわれる利益誘導型の選挙対策である。
30バーツ医療制度などもその典型的なものである。医師や医療機関がいかに災難を受けようとも、彼らの票数はたいした数ではない。30バーツ医療で恩恵を受ける大衆の票こそが民主主義では大事であるというのがポ ピュリズムの基本思想である。
今回の緊急農村対策はSML(Small, Midium and Large)農村基金計画(village fund scheme)と呼ばれている。
とりあえず、使い道をはっきりさせた農村(1地域、1村)が選ばれ、200家族の農村には20万バーツが、200〜400家族の農村には25万バーツが、400家族より大きい農村には30万バーツが が与えられるのである。
そしてこれを順次拡大し、4年間で200億バーツの「問題処理基金」が与えられるという構想のようである。カネをやるから欲しい村は名乗り出よというやり方には農村の一部からも反発が出ているという。
それ以外にも急遽灌漑用水や道路建設も適宜やっていくらしい。これが選挙違反であるかどうかはタイの選挙管理委員会や司法当局が決めることになろうが、そちらへの対策は万全であろう。
1-5-7.モンク(僧侶)はモンク(文句)をいうな、タクシン今度は坊さんに噛み付く(04年7月22日)
タクシン首相は実に多忙な政治家である。連日のように新聞の1面をにぎわせている感がある。それだけ、人間的に「正直」であり、直情径行型の人物なのかもしれない。
しかし、世の中の批判をしばしば浴びるのは、その言動の基本原理に政治リーダーとしてはやはり問題があるのであろう。
今回の事件はタイでは非常に尊敬されている高僧プラ・パオワナ・ヴィスティクン師がラジオでの説教の中で、政府のCEO(会社の独裁経営者)スタイルのやり方や違法なトバクについて触れた点にある。
パオワナ師は仏陀の教えを、現実の政治経済に即して語るということで、一般大衆には大変人気の高い僧侶である。また、同師は最近タクシン批判を強めているアナン元首相や経済学者アンマール博士とも近しい間柄であるという。
パオワナ師のラジオ説教がタクシン批判であるとして、タクシンは激怒し、僧侶は政治に口出しするなと、彼自身がおこなっている定例のラジオ放送でいきまいたというのである。
パオワナ師は名指しでタクシン批判を行ったわけではなく、一般論として良い政府のあり方について(独裁的手法はよくないと)話したということであり、タクシンの過剰反応振りが逆に話題になってしまった。
よせばいいのに、僧侶が政治批判をしたければ「僧籍を離れろ」ということまで言ってしまったから、どうにも引っ込みがつかなくなってきている。タイ人の間では「僧侶」は特別の地位にあることをタクシンはつい忘れてしまったらしい。
⇒タクシンは坊さんを時には政治目的に利用してきた(04年8月2日)
英字紙ネーション(http://www.nationmultimedia.com/) の8月2日付けにチャン・ノイ(Chan Noi=小象)というペンネームのコラムニストがタクシンと坊さんの関係について興味深い文章を書いているのでご関心の向きは一読をお勧めします。
要旨はタクシンは2000年の選挙キャンペーンのとき、高僧のルアンタ・マハブア師(Luangta Mahabua)におおいに応援してもらったという事実がある。坊主に政治に口出しさせている。
また、麻薬撲滅キャンペーンのときも高僧のルアン・ポー師(Luang Poe Khun Parisutto)に2,500人虐殺事件の弁護をやったもらった。ルアン・ポー師は「麻薬犯をやっつけるのは国民にとって大切なことであり、タクシン首相は良くやった。彼らを殺すのは蚊を殺すのと同じで、たいしたことではない」という趣旨のことをいったという。
さすがに、タイの坊さんにもいろいろな考え方の人がいるようだ。問題は、タクシン首相にとって都合の良い坊さんとそうでない坊さんがいるということである。都合の悪い坊さんは「政治に口出しするな」というのが今回のタクシンの言い分らしい。
話は、変わるが南タイではタクシンのやり過ぎがついに「宗教戦争」の様相を呈してきて収拾がつかなくなってきた。南タイの坊さんのなかには殺害されるものがでてきて逃げ出す坊さんが後を絶たない。
しかし、南タイには仏教徒もかなり居住していて、寺院もあるが坊さんが長期不在というケースが目立ってきている。坊さんに逃げられては仏教徒の住民としては心細い。そこで知恵者タクシンは一計を案じた。
それは兵士を坊さんに仕立てて南タイに派遣するという妙案である。タイ人は兵役につく前に寺院で仏教の修行をするものが多いから「坊さん予備軍」には事欠かないということであろう。ただし、坊さんに仕立てられた兵士は当然テロの格好の標的になる。
坊さんの、否兵士の多目的利用である。こういうアイデはたとえ首相の発案であっても、余り評判が良いという報道は見かけない。
日本では「衣の下から鎧が見える」と言うことわざが平安時代からあるが、タイでは「衣の下のM-16自動小銃」といたところか?
1-5-8. タクシン、民主党議員などの引き抜き開始(04年8月9日)
タクシン首相は次回選挙(来年早々と予想されている)で500議席中400議席を獲得し、絶対安定状態の政権を作ろうとしている。野党が100人未満であれば閣僚の不信任案も出せない。
タクシンの理想の政治形態が400議席で、その手段として、問題を起こしている南タイの民主党の地盤を掘り崩すことが最大の目標になっている。
その前に、与党連合に属する、チャート・タイの30人の議員中既に15名をTRT(タイ・ラク・タイ)に引き抜いた。ついで民主党に手をつけ、9名の議員を既に引き抜き、さらに南部出身の民主党議員3名を引き抜き、さらに引抜をかけているという。
チュアン・リークパイ元首相によれば「支度金」は3,200万バーツ(約8,500万円)ということである。確かに、民主党議員の中にも理想に燃えて民主党で活躍している議員ばかりではない。
TRTに移れば選挙資金の面倒も見てもらえるし、うまくいけば閣僚のポストも与えられる。一方、民主党は党首バニャット氏も余りスター性がなく、実力者のサナンも居なくなり、ジリ貧の様相を呈している。
札束で横っ面をひっぱたくというのはいかにもタクシンのやりそうなことである。しかし、民主主義を守るも守らないもタイの国民が決めることである。
タクシンのやり方への反発は非常に強まっており、かつタクシンの人気も凋落気味である。おそらく、次期選挙でTRTが400議席を獲得するなどということはないであろう。
経済学者アンマールはTRTがもし400議席を獲得るような事態になれば、不満の捌け口をなくした民衆は何かあれば暴動を起こすようなことになりかねないと事態を憂慮している。実際軍事独裁政権下では学生暴動が起こっている。
これを機会に反TRT、反タクシン運動が全国的に盛り上がる可能性もでてきた。
インドネシアについでタイも民主主義の存立が問われている。
1-5-9.民主派指導者チャムロンの後悔(04年8月23日)
民主派指導者の元陸軍少将チャムロン・シームアンはタクシンを政界に引き入れた責任は自分にありとして、タイの民主主義を守るためにタクシン政権を打倒しなければならないと語った。
1995年に当時チャムロンが党首として人気の高かった政党”Palang Dharma Party=仏法の力党”に実業家であったタクシンを入党させ、すぐさまチャワリットの率いる新希望党政権に副首相として推挙し、政界デビューさせた。
チャワリットとタクシンはたちまち意気投合して、政権を運営するが1997年に通貨危機に遭遇して、内閣を投げ出す。通貨危機に際しては政府が禁止していたバーツ売りを裏 でおこない巨額の利益を上げたと当時バンコクでは噂になった。
通貨危機に際してはチャワリット首相が中国に真っ先に資金援助を頼むなど、中国人としてのアイデンティティ(自己認識)が高いのではないかと、当時は言われていた。中国政府は何もできないかったが、日本よりもまず中国に頼みに行くという姿勢は人目を引いた。
その後、チャムロンはパラン・ダルマ党を解党し、政界から引退して仏道に専念することになったが、タクシンはパラン・ダルマ党の幹部とともに現在のタイ・ラク・タイ党を設立し、あっという間に政権についてしまった。
今度はチャワリットが自分の新希望党をタイ・ラク・タイ党に合併させ、自らは副首相に就任した。親中国派コンビが立場を逆転させて復活したのである。
チャムロンはタクシンの政治顧問を務めていたが、タクシンの数々の暴走についにあきれ果て、絶縁状を突きつけるに至った。その最大の表向きのきっかけは、英国のサッカー・チームのリバー・プール買収事件であった。
タクシンが富くじを発売して買収資金を集めるというやり方にチャムロンは大反対を唱えた。
ついで、現在行われているバンコク知事選挙(8月29日投票)でチャムロンはマナという候補者を推薦し、同時にタイ・ラク・タイ党に叛旗を翻し、公然とタクシン批判に踏み切った。
タクシンは政界入りの恩人チャムロンを単に「知り合い」の間柄であると語ったと伝えられたことが、いっそうチャムロンの怒りを買った。
チャムロンは国民的人気の高い元政治家であり、チャムロンが反タクシンに踏み切ったことで、今後のタイの政治の流れを変える動きがでてきたと見ることができよう。
タイ・ラク・タイ党は既にバンコクでは非常に不人気になっており、自党の知事候補者を今回出せなかった。しかし、何としてでも民主党候補の若手財界人アピラク・コサヤディン(Apirak Kosayodhin)を落選させるべくタクシンはあの手この手を使っている。
タクシンはバンコクではそれなりの人気のある女性候補のパヴェナ・ホンサクン候補をTRT党候補としてではなく応援するという方針を立てているが、パヴェナ候補が苦戦と見るや、元のバンコク知事ビチット(民主党員)を担ぎ出したといわれる。
ビチットは民主党から既にアピラクが出ているのであえて立候補する必要はないはずであり、そのために余計な疑惑がもたれている。彼は比較的良識派でバンコクの中流階級にも人気があり、アピラクの支持者の票が彼に流れるのは明らかである。
また、おなじみのトルコ風呂の大経営者であるチュウイットも立候補している。チュウィットは何とタマサート大学の出身者であり、米国にも留学したことのあるれっきとしたインテリなのである。
8月29日の投票ではアピラクが依然有利ということであるが、混戦模様であることは間違いない。
1-5-10. ビルマと組んで水力発電計画ー中国にもさそい(04年8月27日)
タイとビルマ(ミヤンマー)政府はサルウィン川上流などにダムを建設し、大型の水力発電所5基の建設を計画しており、内容的にはかなり煮詰まった段階に近い。例によって、タクシン首相は中国政府にも参加を呼びかけようとしている。
それらはサルウィン川上流で4,000MW.サルウィン川下流で900MW,タ・サンで7,000KW(Tha Sang Dam=タイ北部のメー・ホン・ソン県)、タク県のメー・ソッド地区で600MW(Hudji Dam)、600MW(Tanowsri Dam)の合計5基である。
タイもこれらの発電所から電気を買う計画であるが、かなり人里はなれた草深いところがほとんどであり、経済的にペイするのかどうか疑問である。
それよりも先に環境アセスメントがきちんとなされることが先決である。タイ(タクシン政権)、ビルマ(ミヤンマー軍事政権)に中国が加わればどういうことになるか末恐ろしい感じがする。何でもありのそれ行けドンドンでやられたら悔いを千載に残すことになろう。
こういう調子だから、メコン川上流に中国政府が大々的にダムを建設し、水力発電を雲南省の開発のためにやるのだなどといっても、タクシンには「抵抗感」がさほどない。下流域の農民・漁民の難儀などマイ・ペン・ライ(気にしない)だ。
日本政府も「メコン川開発計画構想」にはあくまで慎重であって欲しい。ゼネコンや商社や哲学貧困症候群にかかっている役人や学者たちの言い分を聞いているとロクなことにはならない。
1-5-11 アピラク民主党候補の大勝利ーバンコク知事選挙(04年8月30日)
8月29日(日)に行われたバンコク知事選挙はタクシンの支持するパヴェナ候補(無所属の女性候補、元チャート・パタナ党国会議員)と民主党公認のアピラク候補との激しい争いとなり、動向が注目されたが、アピラク候補の完勝に終わった。
開票率約805%の段階でアピラクの得票は742,000表、得票率40.68%、パヴェナ候補は487,000票、得票率26.6%であり、既に26万票余りの得票数の差があり、当選を確実なものにした。
3位はチュウィット候補(トルコ風呂チェーンのオーナー)が269,000表で14.7%、4位が元警察官の古参政治家チャレムが135,000票で6.0%であった。
元バンコク知事のビチットは82,000表の4.4%で5位であり、アピラク候補の足を引っ張るような結果は出せなかった。なお投票率は62%であった。これは予想外に低い数字であった。
アピラクの勝利はタクシン 首相への批判がバンコク市民の間に浸透しつつあることを意味している。選挙戦の終盤、パヴェナ候補が不利とみるや全警察官にゲキを飛ばし、パヴェナ候補へのテコ入れを行ったという。
来年早々にも予想される下院議員選挙で500議席中400議席をとると豪語しているタクシンのタイ・ラク・タイ党に対し、民主党は完敗を免れる可能性が出てきた。
(関連記事#69チャムロンの・・・)
アピラク・民主党候補の大勝利を好感して、8月31日のバンコク株式市場は624.59とプラス12.14ポイントの上昇となった。
1-5-12. タクシン今度は汚職退治を指示(04年10月1日)
タクシン首相は「麻薬撲滅」運動で2,500名以上を裁判抜きであの世に送るという輝かしい戦果を挙げたが、次の第2弾の「マフィア退治」は空振りに終わった。
それどころか、トルコ風呂の大経営者チュイットから警察の汚職を暴かれるというとんでもない結果に終わってしまった。そのチュイットはバンコク知事選挙に出馬し何と第3位の得票を得るという「人気者」になってしまった。
今回は「タクシン改革の本丸??」とも言うべき「汚職退治」という大向こうを唸らせるべき一大キャンペーンを繰り広げることになった。
外国人の駐在員にとってはタイの汚職の実態はなかなかつかみにくいが、タイの汚職もインドネシアほどではないがかなり激しいと言うことである。
一説によるとインドネシアの場合は汚職のブローカーが暗躍していて、彼らに頼むと割合ことがスムーズに運ぶらしい。しかし、ある目的でカネをばら撒こうとするとあちらこちらから手が伸びてきて誰にカネを渡すべきか迷うということである。
しかし、タイの場合は特定の人物にカネを渡せば、彼がきちんと仕事をやってくれるので話が早いということをいっていた人が居た。タイの方がインドネシアより安く付くということかもしれない。
それはとにかく、今回タクシンは国民反汚職委員会NCCC(National Counter Corruption Commissin=委員長ヴディチャイVudhichai Sritanavudhi)を中心にやっていこうということで9月30日に会合を開きキャンペーンを開始した。
その性質上、主に役所と政治家が対象になるがタクシンは具体的な方策を指示したといわれている。蛇(ジャ)の道はヘビといったところか?
まさか、タクシン一族がお縄を頂戴することにはならないであろうが、本気でやればこれまた与党のTRT党の国会議員もかなりご厄介になるはずである。
実際は、これによって大量の小者が捕まる可能性がある。また、政敵も重要なターゲットになりかねない。
NCCCは既に機能しており現在何と5,000件の案件を抱えているというからすさまじい。石を投げればxxxに当たる社会らしいから大いに威力を発揮するに違いない。
これとは別に、既にマネー・ロンダリング取り締まり委員会(ALMO)なる資金洗浄対策機関が発足していて、ジャーナリストの銀行口座を調べたりしていて、結構言論弾圧に役立っている。
タイのメディアの反応も極めて嘲笑的なものが多く、タクシン家のビジネスと首相職権の「利害衝突」はどうなるのかとか、汚職政治家を本気で捕まえたら、閣僚が何人残るのかなどとヤジられている。
1-5-13. タクシン10回目の内閣改造(04年10月9日)
タクシン首相は10月6日に2001年2月に就任以来10回目の内閣改造をおこなった。その眼目は@南タイの宗教紛争の泥沼状態からの脱却であり、Aは鳥インフルエンザ問題の責任を農業相に押しかぶせたということである。
@については7カ月前に就任したばかりのチェッタ国防相を更迭し、後任にサンパン・ボニャナン(Samphan Boonyanan)将軍をすえた。チェッタ国防相は南タイ騒乱については強硬路線一本槍のタクシン首相とは意見 が対立していたという。
チャワリット副首相が南タイ問題の解決の責任者となっているが、チャワリットの言うことを聞かない強硬派の将官が勝手な行動をしており、また行政官と軍と警察もバラバラでチャワリットが統制不能状態に陥っているといわれる。
今回の内閣改造に先立ちシリチャイ(Sirichai Thanyasiri)総司令次官を南国境地帯平和建設指揮官に任命し、首相と同等の権限を持たせると言うことである。このポストは04年3月に設置され、チャワリット副首相が就任していた。
チャワリットは副首相として南タイ問題に関与を続けるものと思われるが、内心穏やかならないものがあるに違いない。いずれにせよチャワリット副首相は単なるお飾りの地位に封じ込められた。
チャワリットを副首相から解任すればたちどころに旧新希望党系の国会議員の反乱も予想されるため、タクシンは大人しいサンパン将軍を国防相にすえて自分が直接、南タイ騒動鎮圧の実質的指揮権を握ろうとしていると見られている。
しかし、南タイ問題はタクシン流「強硬路線」が現地イスラム教徒の命がけの反撃を呼び、泥沼化に拍車をかけてしまったことをタクシンは認めようとしていないようである。いずれにせよ事態は悪化していくばかりである。
イスラム教徒の官僚でアレー(Aree Wong-areeya)を教育省次官に抜擢し、イスラム教導師との協力関係を強化させる狙いがあるとして、アレーの昇格がタイのメディアには高く評価されているようである。
Aの鳥インフルエンザ関連のソムサク農相の更迭については、タクシンが彼に責任を押し付けて自分への批判を回避したという見方が多い。ただしソムサクは副首相に「格上げ」された形になった。ソムサク農相は保健相とは仲が悪かったという。
ソムサクの後任にはイスラム教徒の副首相のワン・ムハマッド・ノール・マタが就任する。ワン副首相は今回の南タイ騒動のきっかけとなった04年1月のナラティワット県の軍事基地襲撃事件への関与が一時期取りざたされた人物である。
それ以外の人事ではピニット工業相が解任あれ副首相に「昇格」し、後任にはポンサク商業省次官が昇格する。工業省のトップのポストが商業省系になったことでワタナ商業相の発言権がいっそう強まることが予想される。
副首相であったタマラク将軍とスチャートは退任する。2人とも次の選挙対策でタイ・ラク・タイ(TRT)党の党務に専念するという。
ここ1年の動きを見てみるとタクシン政権は完全にオカシクなってしまった。南タイの軍事基地襲撃事件から南タイに宗教戦争を起こし、鳥インフルエンザでは問題を隠蔽しようとして収拾を誤った。
金融面ではクルンタイ銀行の不良債権事件が表面化した。麻薬撲滅運動では2,500人もの死者を出しながら一向に麻薬密売は収まらない。また、本ホーム・ページでは余り触れなかったが汚職事件も相当な広がりを見せている。
これらの大部分はタクシン政権あるいはタクシン首相の判断ミスから出た、いわば「身から出た錆」とも言うべきものである。
そのなかでも経済面ではまだ多少の救いがある。それは日本、韓国、台湾と同様中国向け輸出に救われたのである。
しかし、国内では不動産バブルの再発の兆しが見える。来年の中国経済はどうなるかわからない。経済がおかしくなったらタクシン政権はおしまいであろう。
次の選挙で500議席中400議席を確保し、長期政権を目指すなどとタクシンはいっていたが、最近の世論調査では250議席の確保も難しいのではないかといわれている。バンコクj知事選挙の惨敗がその傾向を示している。
タクシン首相の「賞味期限」は4年だったのであろうか?
1-5-14. 2月6日のタイの国会議員選挙、与党TRTが圧勝の形勢(05年1月31日)
4年に一度のタイの国会議員選挙は2月6日(日)に行われるが、タイの英字紙ネーションの最新の予想によると、選挙区割り当て400議席中、与党のTRT(タイ・ラク・タイ党)が3分の2の266議席を獲得する。
特にタクシンが力を入れているのは貧しい農民の多いイサーンと呼ばれる東北部で、TRTは全体で200億バーツ(534億円)の選挙資金中70億バーツ(189億円)をこの地区に投入しているといわれている。選挙資金の多くは買収に使われることはいうまでもない。
タクシンはイサーンの農民に対し、TRTが選挙に勝てば、全戸に水道を引き、各学校にはコンピューターを設置すると約束しているという。コンピューターはともかく水道は巨額プロジェクトである。
最終的には買収は1票500バーツになるであろうと地元の大学のソムキアート講師は読んでいる。やり方は、最初に200バーツ配り、選挙で勝てば300バーツ後から渡すというやり方が多いのだそうである。ともかくTRT は選挙資金面で野党をはじめから圧倒している。
バンコクにおいてもTRT は37議席中27議席を獲得する見通しである(前回の知事選挙からは信じられない数字だが)。
一方野党陣営はというと、民主党は83議席、チャート・タイが35議席、マハチョン党(民主党が分裂してできた新しい党)が16議席と合計134議席になる予想である。
そうなると比例代表部分をあわせても全500議席中野党は200議席を確保できない可能性がある。200議席以下では国会の場で閣僚への不信任決議を提出できなくなり、事実上TRTが何をやっても国会では追及できなくなるという民主主義の根幹にかかわる大問題になってくる。
既にタクシン首相はさまざまな失政をおこなっているが、それが具体的に大多数の国民生活を圧迫するには至っていないために今回も圧勝するという予想である。
しかし、タクシンの独裁政治が続けばタイは政治的にも経済的にも悪化の一途をたどっていくことになるであろう。既にその兆しは随所に見えている。南タイの騒乱などもタクシンでは収拾できないであろう。
中国との輸出が増えなければ、タイ経済は深刻な不況に陥るであろう。ポピュリスト政策は国家財政を圧迫するであろう。もちろん政治家による汚職はいっそう激しくなる。しかし、これらの問題点は今現在深刻なものとしてタイ国民には見えていない。
タクシン時代(2001年から)になってタイ経済は格段によくなったといわれるが、それ以前の通貨・経済危機の後遺症を克服する民主党時代の苦しい時期があったからこそ、その後のある程度の成長があったに過ぎず、タクシンの政策が良かったからではない。
しかし、民主党政権時代はIMFの言うことを素直に聞きすぎてタイ国民の反発を買っていたことを民主党は見過ごしていた。タイ経済は中国の高度成長のおかげで輸出も伸びるという幸運に恵まれた(他のアジア諸国も同じだが)。しかし、これからはそうは問屋が卸さない。
第2次タクシン政権は第1次政権時代のツケを自ら支払わなければならない。
⇒タクシンのTRT党500議席中377議席の圧勝(05年2月7日)
2月6日(日)に行われたタイの国会議員選挙でタクシン首相率いるTRT(タイ・ラク・タイ=タイ愛国党)は地方区選挙400議席中305議席を獲得し、比例区100議席中67議席を獲得する勢いであり、合計500議席中372議席を占め、圧倒的多数となった。 (最終的に377議席といわれている)
これでタクシンはやりたい放題の絶対的な権力を手中にしたことになり、タイの民主主義は大きく後退することは間違いない。 タクシンが公約した「汚職」も大いにハビコルことになろう。タイの選挙民は絵に描いた餅に飛びついてしまったのである。
タクシンの勝利は前例のない規模の金権選挙の勝利でもあるが、「貧困撲滅」などというできもしないスローガンにやすやすとだまされるタイの選挙民のお人よしを反映したものに過ぎない。いずれにせよタクシン政権の成果を良きにつけ悪しきに付け満喫するのはタイ人自身である。
特に、今回の「津波事件」を最も有効に利用したのがタクシンだといわれている。彼は事件の報せを聞くや、真っ先に現場に飛んでいって、救援活動のあれこれを大げさに指示し、それをいっせいにテレビ局に放映させた。見事なパフォーマンスだったという。
これを見てタイの一般国民はすっかりマイッてしまったらしい。皮肉にも一向に参らなかったのは現地の人たちで、現地ではタイ政府関係者よりも国際支援の人たち(日本人含め)が一生懸命やっている姿をみて、クールに反応した。そのためTRTは1議席しか取れなかったという。
また、タクシン政権が軍隊を使って暴虐の限りをつくしたイスラム教徒の多くすむ南部3県では、TRTは1議席しか取れず、民主党は10議席確保した。タクシンは南部に「開発予算」を多く割り当てて、票の獲得を狙ったが、住民の心を捉えることはできなかった。
初期の報道では南部でもTRTの圧勝が伝えられていた。タクシンは勝利宣言をしに南部に行く予定であったが、急遽「ビョウキ」のため訪問をキャンセルした。
今回の野党民主党の敗北にはバニャット党首の責任もある。バニャット党首は誠実ではあるが一向に見栄えのしない凡庸な人物 であった。国民一般に受けるようなアピールはできずじまいに終わった。(上記#17、03年4月21日の記事参照)。
民主党は次回の2009年の選挙に向けて体制を立て直すには党首のクビをまずスゲ替えるしかない。 (バニャットは敗戦の責任を取って辞任の意向を明らかにしている。)
これから4年間タイの政治はどうなるかというより,タクシンのポピュリズム政策がどういう結果をタイ経済にもたらすかが見ものである。タクシンの手品が何時までタイ人という観客をひきつけておくことができるであろうか?
それにしても、通貨・経済危機の後始末を任された民主党はまったくツイテいない。IMFの無謀な融資条件を新古典派的な手法で実行させられた民主党は、そのツケを2001年と今回の選挙で2度も支払わされた。IMFの失策がタイの民主主義を後退させたとも言える。
危機感を感じて民主党を飛び出してマハチョン党を結成した国会議員も今回1-2議席しか取れなかった 。マハチョン党の綱領や政策には見るべきものがある。今後の地道な組織活動に期待したい。
タイは日本企業にとっても次第に仕事がやりにくい国になることはまちがいないであろう。特に家電・民生電機メーカーは痛い目に会わされる可能性が高い。タクシンにとっては中国のメーカーの利益のほうが日本メーカーの利益よりも優先するであろう。
ASEAN-中国のFTAがどうなろうとも、タイー中国とのFTAは強行するであろう。テレビ、洗濯機はいうに及ばずモーター・バイクなども中国製品が街に氾濫することにもなりかねない。
自動車は部品メーカーがタイの地元資本家(華人系)が部品を可なり作っているので多少の政策的配慮はなされるであろう。しかし、自動車用薄板などは地元メーカーが熱延鋼板(自動車用薄板は生産できないが)を作っているというだけで、理不尽な関税を課せられる恐れもある。
これからのタイは外資系企業にとっては今までのタイとは違うことを覚悟してかかる必要があるであろう。事毎に中国優先政策、地元資本優先政策今まで以上に全面に出てくることは間違いない。
選挙に敗れた民主党は3月5日の代議員大会でバニャット党首の辞任を受けて、予定通りアビシット(Abhisit Vejjajiva)副党首41歳を党首に満場一致で選任し、書記長にはアビシットの仲間であるステップ(Sutep Thaugsuban)が就任することとなった。
はじめからこのコンビで選挙戦を戦えば、民主党ももうすこしましな結果を得られたかもしれない。サナンというウルトラ保守の策士に民主党はかき回されてしまった。
そのサナンはアネクの辞任の後を受けてマハチョン党の党首に就任すると見られているが、いずれTRTに合流するであろうと観測されている。
これからの民主党は先にバンコク知事に当選したアピラク氏(副党首)や若手財界人のコーン(Korn Chatikavanij=書記次長)らが加わり、新しい政策を打ち出していくものと期待されている。
新体制の民主党はやけにスッキリした陣容になった。次の選挙(2009年)では相当な巻き返しが期待できる。悩みは政治資金の問題であろう。
1-5-15. 新空港の施設を巡る大規模汚職発生(05年4月28日)
タイでドン・ムアン国際空港の代わりに建設されているスバンナプーム空港(Suvarnabhumi Airport)に設置される予定の爆発物検出装置(26CTX)が米国の製造業者のオファー価格よりも1,020万ドル(約11億円)も高く設定されていたという容疑が持ち上がっている。
Patriot Business Consulting 会社がそれを取り仕切っており、議会で問題視され取り上げられている。
ことの発端は米国のメーカーであるInVision社が3,580万ドルで見積もりを出し、同社のタイでの総代理店であるPatriot社がそれに1020万ドル上乗せし、4,600万ドルでオファーしたことが米国の司法省と証券取引委員会で発見されたことにある。
Invison社はGE Instractureに合併されることなり、一連の関係書類の審査中に、この価格の差が発見されたものだという。
この装置は米国の安全保障上の重要装置であり、米国政府の承認がなければ輸出できないことになっている。
もし、この装置が設置されなければ新国際空港の営業開始は大幅に遅れることになり、タイ政府にとっては大問題となる。
そればかりか、タイの与党のTRT(タイ愛国党)の幹部や運輸省幹部ががこの取引に関与し、多額のワイロを懐に収めているのではにかという疑惑も持ち上がっている。
新空港の建設については前々からスキャンダルが取りざたされており、本件はむしろ氷山の一角にしか過ぎないという話すらある。
このような汚職がタクシン政権の特徴のひとつに数えられる。上品を旨とする日本のメディアではマズ報道されることはないが。
(http://www.nationmultimedia.com/ 05年4月28日版、参照)
1-5-16. 投資委員会改組、民族資本色強まる(05年6月6日)
タクシン首相は最近(6月2日発表)投資委員会(BOI)を改組し、メンバーを大幅に入れ替えた。また新しいコンサルタント・チームを結成した。
委員長は経済担当副首相のソムキッド(Somkid)財務相が兼任する。副委員長はワタナ(Watana )工業相である。ワタナはチャロン・ポカパン・グループの関係者であり、タイの民族(華人)資本のチャンピオンでもある。
他のメンバーはスリヤ(Suriya)交通相、タノン(Thanong)商業相、プラパト(Praphat)産業連盟会長、プラモン(Pramon)商業会議所会頭、チャシリ(Chartsri Sophonpanich=バンコク銀行頭取)銀行協会会長などが名を連ねている。
また、5名のコンサルタント・チームも委員会に加わるが、その中にタクシンの右腕であるシン・コーポレーション(タクシンの通信会社)の社長を務めるボーンクリー(Boonklee)やチャロン・ポカパンの会長であるダニン(Dhanin Chearavanont)、サハパット・グループの会長のボーンシティ(Boonsithi)が入っている。
これらの顔ぶれをみるとタクシン政権の性格が浮き彫りにされてくる。タクシン政権はタクシン自身の利益と華人資本家の利益最優先の政権であるということである。すなわち、要所要所を身内とクローニーの華人資本家で固めたのである。
さらにいうならば、タイの国民経済にとって何が必要かよりも、自分たちのとって何が必要で不必要(邪魔)かを選別する機関にBOIを替える意図がみえみえである。
その影響を最も受けるのはいうまでもなく日本企業である。この布陣は明らかに、日本企業をタイの資本主義社会にどの程度受け入れるかを決定する審査機関であることを物語っている。日本企業にとっては多分今までよりははるかにやりにくくなることは間違いないであろう。
ただし、日本企業はインドネシアやフィリピンなど別の投資先がASEAN内にあっるので、「タイがダメなら・・・」というkとになろう。
1-5-17..サノーの乱、TRT分裂の危機(05年6月12日)
タクシンの与党TRT(タイ愛国党)の最高顧問であり、かつワン・ナム・イエン(Wang Nam Yen)という大派閥の領袖でもあるサノー(Sanoh Thienthong)がついにタクシン首相に対して公然と反旗を翻した。
サノーの反乱の理由はイロイロあるであろうが、最大の理由はサノー派がTRT内で「冷や飯」を食わされたということに尽きるであろう。TRT内ではタクシンの旗本ともいうべきグループがおり、彼らが党務を取り仕切っている。
タクシンの性格としてTRTを独裁的に支配しようとする意向が強く、何かとタクシンのいうことを聞かない古手の政治家であるサノーを排除・敬遠してきた。その動きが露骨に現れたのは今年の2月の国会議員選挙でサノー派の現職国会議員7名をTRT公認から外してしまった。
また、サノー派への切り崩し工作も行い、サノーの地位は日ごとに低下しつつあった。
サノーはワン・ナム・イエンを率いてチャワリットのNAP(新希望党)の勝利に貢献し、チャワリット内閣を成立させ、2001年の選挙ではNAPを飛び出てタクシンのTRTに参加し、TRTの勝利に貢献した。
しかし、サノーは基本的に古いタイプの政治的駆け引きに長けた政治家であり、政権をとったタクシンにとっては「目の上のタンコブ」的存在であった。
おそらく、今回の騒動でサノーはワン・ナム・イエンを率いてTRTを脱党するであろうが、果たして何人の国会議員が彼についていくであろうか?
最初は40名といっていたが、最近は30名に減ってきており、最後はもっと減る可能性がある。
サノーにとってはTRTを出た方が身のためであることは間違いない。タクシンの失政が明らかになるにつれてTRT内部の不協和音がいっそう高まるであろう。
別にタクシンが抜群の人望があって首相の座にいるわけではない。決め手は彼が公私共に支配しているカネの力である。
377議席を確保したからといってタクシン政権が安定している訳ではない。
1-5-18..タクシン またもや内閣改造ー新味の無い汚職隠し?(05年8月4日)
7月の初めに国会でおこなわれた、国際空港を巡る汚職追求(爆発物検出スキャナー)で矢面に立たされていたスリヤ交通相は、国会での罷免決議は多数で否決あれたものの、答弁そのものは「まるでオソマツ」であると与党議員の一部からも批判を受けていた。
国民の人気に敏感なタクシンとしてはすぐにもスリヤヲ交代させたかったところであろうが、世論の静まるのを待って、8月2日夕方、内閣改造人事を発表した。これがまた、「椅子トリ・ゲーム」と揶揄され、「閣僚のポスト」のたらい回しのと酷評を受けている。
汚職退治を一応は国民に約束しているタクシンとしては、まずスリヤ(Suriya Jungrungreangkit)交通相の更迭が第一の課題であった。ところがスリヤはタクシンにとっての懐刀というかタイ・ラク・タイ党(TRT=タイ愛国党)の共同設立者であり、華人資本の代表的クローニーである。
スリヤを閣僚ポストからはどうしても外せない。 外せばスリヤの汚職をアtクシンが認めたことになる。結局副首相兼工業相のポストに横滑りさせた。結果は下の表のような17ポストの異動がおこなわれた。これ以外のポストは現職のままである。(例、Kantathi Suphamongkhon外相)
今回のポスト | 前職 | 補足 | |
Somkid Jatusripitak | 副首相兼商業相 | 副首相兼財務相 | 得意の財務・金融畑から外れる |
Chidchai Vanasatidya | 副首相兼司法相 | 副首相兼内務相 | 南タイ問題強硬派、警察官僚 |
Suriya Jungrungreangkit | 副首相兼工業相 | 副首相兼運輸相 | タクシンの盟友、汚職問題張本人 |
Suwat Liptapanlop | 副首相 | 司法相 | 棚上げ、元chart Patana党 |
Thanong Bidaya | 財務相 | 商業相 | チャワリット政権時代の財務相、知日派 |
Chaturon Chaisang | 教育相 | 副首相 | ハト派・イスラム教徒の信望厚し。 |
Watana Muangsook | 社会開発・福祉相 | 工業相 | 日本とのFTA交渉担当、CPグループ |
Somsak Trepsuthin | 労働相 | 観光・スポーツ相 | |
Pracha Maleenont | 観光・スポーツ相 | 社会開発・福祉相 | |
Soraat Klingpratoom | 情報通信相 | 労働相 | |
Newin Chidchob | 官房長官 | 副農業相 | |
Adisorn Piengket | 農業相 | 副運輸相 | |
Preecha Laohapongchana | 副商業相 | 副外務相 | |
Pravich Ratanapian | 科学相 | 新人・元副商業相(1998-99) | 元Chart Patana党 |
Pongsak Rutkapongpisal | 運輸相 | 新人 | タクシンのゴルフ仲間 |
ACM Kongsak Wantana | 内務相 | 新人・軍人 | 空軍大将、南タイ問題未経験 |
Chaiyanan Charoensiri | 副運輸相 | 新人・軍人 | Chaisit国軍司令官と同期 |
⇒スリヤは副首相として運輸省をみる(05年8月5日)
新国際空港の汚職問題の張本人として、国会で不信任動議の対象となり、結局、今回の内閣改造劇のもととなった、スリヤ副首相は運輸相ポストを外されたが、副首相として「運輸省」をみるということをタクシンは言明した。
これはあくまでスリヤは「汚職問題では無罪」ということを国民にアピールしたいタクシンの下心がミエミエである。国民のタクシンへの信頼感はこういう点からも失われていきつつある。
また、教育相になったチャトロンは南部イスラム教徒からは「話し合いのできる数少ない閣僚」として信望を集めていた。タクシンにもイスラム教徒のリーダーから、チャトロンを外すなという声があがり、引き続きチャトロンは何らかの形で、南タイ問題を担当していくという。これは当然の措置といえるであろう。
1-5-19 タクシンの息子が地下鉄の広告で10年契約獲得(05年4月5日)
タクシンの長男であるパントンテ・チナワット(Pantongtae Shinawatra)が所有する広告会社「How Come Media Co. Ltd.,」は地下鉄の運営会社BMCL(Bangkok Metro PLc)と駅のホームに広告用テレビを10年間設置する契約を結んだと英字紙ネーション(インターネット版、4月5日号)は伝えている。
このような形でタクシン・ファミリーは政府がらみの利権をあちこちで獲得しているという。プケットの津波の災害復旧でもタクシン一族の所有するホテルの復旧工事が一番最初に始められたとして現地では批判されているという。
1-6-1.バンコク・ポストをタクシンの盟友が買収?(05年9月14日)
GMM Grammy Plc.のオーナーであるパイブーン(Paiboon Damrongchaitham)氏がタクシン政権に批判的記事をしばしば書くことで有名な現地新聞社(上場)のマティチョン(Matichon)社の株式32.23%を取得 し、それに要した金額は7億3329万バーツ(約19億8千万円)であったと発表した。
パイブーンはマティチョンの株式100%を取得することを目的として42.5%の株式に対し1株11.1バーツで公開買い付けをおこなうとしている。マティチョン社は傘下に日刊紙カオ・ソッド(Khao Sod)やプラチャチャート・トラキット(Prachachart Trakij)などを所有している。
また、パイブーンは同時にタイに英字紙としてしばしばこのホーム・ページにも登場を願っているバンコク・ポスト社の株式の23.6%を既に9億7220万バーツを出して既存の大手オーナーから取得済みだという。
マティチョンの創立者のカンチャイ(Khanchai)氏はこの道30年のベテランだが、最近引退の意向を示していた。しかし、この降って沸いたような「敵対的買収」宣言には猛然と反発しており、もし買収に成功しても、編集権の独立は維持すると語っている。
彼自身マティチョンの株式を30%保有しており、パイブーンに対抗して株式を買い集めるといっている。しかし、カネにかんしては彼には勝ち目はないであろう。パイブーンには最後はタクシン財閥が付いているとみなければならない。
これに対し、パイブーンは編集権の独立は尊重すると述べているらしい。それは当然で、「御用新聞」のレッテルが貼られれば、売り上げはガタおちになることは目にみえている。日本のテレビや新聞は可なり御用化しているが、大衆にはわからないように時間をかけて徐々にやってきた。
しかし、マティチョンのスタッフには可なりのショックなようで、社内は動揺を隠せないという。
パイブーンという人物はタクシン首相ときわめて親密な間柄であるといわれてきた。今回の買収劇はパイブーンの事業拡大が目的で、タクシンの差し金ではないと説明されている。
しかし、パイブーンは昨年タクシンがイギリスのサッカーチームの「リバプールFC」を買収しようとしたとき、交渉役を務めた人物としてタイ人の間ではつとに知られた人物で合う。
だから、一般のタイ人の間では 今回のパイブーンの動きはタクシンの差し金であると信じている人は少なくない。何しろ、事前に用意された買収資金も巨額であり、シノータイなどといったタクシンと近しい企業が、真っ先に株式譲渡に応じている。
タクシンの最近の失政は、経済不振や南タイの争乱の泥沼化など誰の目にも目立ってきた。農民からも、中国とのFTAの直接被害を何とかしてくれという声が強まってきた。加えて、新国際空港を巡る汚職事件など国民の目はいっそう厳しくなっている。
タクシンはテレビ業界は既に制圧済みである。タイのテレビのひどさはご本家日本の民放もかなわないくらいアホ番組のオン・パレードである。ニュース番組の時間は短く、たいした内容がない。タクシンにとっては次は新聞だということであろう。
タクシンは就任の当初からメディアの批判には過剰反応を示してきたが、昨今は隠しようがないくらいチョンボを連発している。しかし、メディア対策によって国民の目をくらませれば、選挙には勝てるというのが彼の信念であろう。
その点極東の某経済大国の首相と考え方はよく似ている。両方とも国民がだまされやすいことも共通している。
しかし、公平に見て日本のメディアの「大政翼賛化」のほうが可なり進んでいる。テレビはいうまでもなく、新聞の社説を読めば明らかである。ハッキリいって日本の新聞の社説は相当程度が悪いものが少なくない。こういうことでは70年前と同じことが起きかねない。
バンコク・ポストのほうは国際的にも名の知れた英字紙であり、そうは簡単にパイブーンの軍門に下ることはないであろう。ネーションというライバル紙も今のところ健在である。御用化が明らかになれば、欧米の読者からは相手にされなくなる。
タイのメディアは一斉にこの買収に反対をし始めており、パイブーンのグラミー社が提供する娯楽番組などへのボイコット運動にもつながりかねない。
こういう記事はWSJなど大々的に取り上げているが、今のところ日本のメディアはほとんどダンマリを決め込んでいる。私はそういう事態を異常だと考える。内外の政府のやることに関して、根本的に抵抗感覚が欠如しているのだ。
⇒パイブーン、マティチョン紙の買収を断念(05年9月17日)
GMM Grammyのオーナーであるパイブーンはタイ語新聞マティチョン(Matichon)の買収を断念すると発表した。これはマチチョンのオーナーのカンチャイ(Khanchai)氏が強い抵抗を示し、証券市場から時価で株式を買い集めるという方針を打ち出したことと、世論の強い反発にあったためである。
パイブーンは12.25%の株式を取得価格(?)の2億7750万バーツでカンチャイに譲渡し、自分は20%の株式保有をおこない、経営権の取得は目指さず、将来は友好的なパートナーを目指すということでカンチャイ氏との話しがつき、カンチャイ氏の勝利に終わった。
しかし、カンチャイは総額12億7千万バーツ(34億円強)の資金を用意し、敵対買収に立ち向かったという。これにはアユタヤ・バンクなどの支援があったものと見られている。
ただし、バンコク・ポストについてはこれからが勝負である。これについても世論の厳しい反発があり、グラミーの製品(音楽、テレビ番組など)のボイコット運動が予想され、パイブーンもうかつに強行策は打ち出せなくなったものと見られる。
タクシンのクローニーのパイブーン氏(グラミー社オーナー)がマチチョン社の経営権乗っ取りを目指し、2005年7月から9月にかけて、公開買い付けをおこなおうとしたが、結果は失敗に終わったことは上に見るとおりである。
これに対しタイの証券取引委員会はインサイダー取引の疑いがあったとして3,177万バーツ(≒1億2000万円)の罰金を申し渡した。
また、パイブーンの手先として自分の口座を使わせるなどした元秘書のパチャリー(Pachree)女史にたいしても333,333バーツ(≒126万円)の罰金を言い渡した。
マチチョン社の買収劇については上に述べた以上にさほど詳しい内容は明らかにされていないが、結論的にグラミー(GMM Media)はマチチョン社の株式保有を20%にまで下げ、買収をあきらめた。
しかし、その間にマチチョン社の株式は1株8.6バーツだったものをひそかに買い集め、かなり集まったところで75%の保有を目指すとして、1株11.1バーツでの公開買い付けをおこない、結局11.1バーツでオーナーのカンチャイ氏に引き取らせたようである。
今回の証券委員会の決定にはパイブーン氏は潔く従うといっている。タクシンがいなくなってしまえば彼もそうせざるを得ないといったところであろう。
もう1つのバンコク・ポスト株の話しはその後どうなったかは必ずしも明らかではない。これはタクシンが間に入って「手打ち」をおこなったものと思われる。バンコク・ポストは何らかの形でタクシンに「借りを作った」可能性もありうる。
それは、その後のバンコク・ポストの報道姿勢に一抹の疑念が感じられるからである。私の思い過ごしかもしれないのだが。
1-6-2..会計検査院長の交代を国王が拒否(05年9月23日)
タイの上院議長が、所定の手続きを踏んで、会計検査院長ジャルバン(Jaruvan Maintaka, 女性)からウィスト(Visut Montriwat, 元財務省官僚)への交代の承認を国王に申請した。Visutは与党TRT(タイ・ラク・タイ党)の国会議員ソーンチャイ(Sornchai)の実弟であり、昨年8月から財務省の官房次長うを務めていた(1946年生まれ)。
しかし、国王が署名しなかったため、やむなく上院議長は申請を取り下げるという、タイの最近の政治上まれに見る事件が起こった。
ジャルバン院長は政府の汚職を手厳しく追及するという、有能な会計検査官であるということで有名をはせていた。
最近の事例ではタイの新国際空港の危険物検査装置をめぐる汚職事件を摘発し、国会で関係閣僚の不信任動議が出され、少数野党の民主党がこれを鋭く追及し、タクシン政権の汚職体質が国民の前に暴露されるキッカケを作った。(本ページ、#82および91参照)
これに怒ったタクシン首相はスチョン(Suchon)上院議長に働きかけて、邪魔者ジャルバンの首を切ったと「バンコクすずめ」は噂していた。それは05年5月10日のことであった。
ところが、更迭の内示を受けたジャルマン女史は「私の任免権は法律上、国王が握っている」と頑張り、辞任を拒否していた。その間、彼女の事務室にはカギがかけられ、締め出しを食い、給与も支給されないという事態となっていたという。
国王は、上院議長から提出された人事交代申請書へのサインをついにしなかった。90日間署名がもらえなければ、それは「国王が拒否」したものと慣例上みなされることになっている。それは政府に対する間接的な「国王の批判」でもある。
特に、今回の場合は汚職摘発に対する「報復行為」であることがミエミエだけに、国王がどう処置するか国民は固唾を呑んで見守っていた。
スチョン上院議長の説明では、後任を予定されていたウィスト氏が就任を自分から辞退したということになっている。その手紙(9月19日付け)は王室に届けられ、国王はそれを受理した。
この後、ジャルバン女史が会計検査院長を継続することになるであろう。ただし、ジャルバン女史が会計検査院長に選出された方法が違法であるという「憲法裁判所」の判決が昨年7月に出されているという。
しかし、それは前の上院議長が国王からの承認をえて実施したものであり、今回の問題とは直接関係がなく、過去の手続き上のミスのようである。
一方、スチョン議長の辞任を求める署名運動が人権運動家グループによってすでに開始されている。スチョン議長はこれら活動家を名誉毀損の罪で警察に訴えているという。
問題は上院に差し戻されたことになる。今回の人事を直接決めたのは、「会計検査審議会」であり、それを上院が承認した。しかし、その決定はあまりにあわただしく、十分な審議がおこなわれなかった形跡がある。
すっかり面子を潰された格好になったスチョン議長と「会計検査審議会」は何としてでもジャルパン女史の「復職」を妨げる意向だというが、仮に次の「候補者」を決めても再度、国王からの承認は得られないかもしれない。かえって、国王に挑戦する形になってしまう。
いずれにせよこれは本質的には「政治の問題」であり、タクシン首相への世論の見方は厳しさを増してきたことは間違いない。
ジャルバン会計検査院長(女性)は政府の汚職を手厳しく追及するという、有能な会計検査官であるということで有名をはせていた。 しかし、スチョン上院議長と「会計検査審議会」はジャルバン女史の会計検査院長 は手続き上の不備があったという憲法裁判所の判断(04年7月)があったとして05年5月から職務停止を命じていた。
ジャルバン院長は事務所から締め出され、仕事ができない状態であったが、会計検査院長 の任命権は「国王の承認」事項であるとして、国王からの決済が下りるまでは解任されないと主張していた。
会計検査委員会はジャルバンの後任を決め、国王の決済を求めたが、国王は署名を拒否したため、実現しなかた 。国王がこういう形で民主化や社会の公正のために機能するというのは、タイ王室の新しいあり方として注目される(上記97-1参照)。
ジャルバンを追放しようとしていたとされるスチョン上院議長と「会計検査審議会」はなおジャルバン院長の解任の方策をめぐらしていたが、次々とタクシン政権をめぐる「汚職疑惑」が表面化する中で世論の反発が 日ましに強まってきた。
この事件の発端はタクシン首相の差し金であろうというのがタイ人の大方の見方であるようだ。その口火を切ったのはソンディ氏が毎週金曜日にルンピニ公園でおこなっている「タクシン首相を糾弾する集会」である。
会計検査院長不在のまま既に半年以経過するという異常な事態を会計検査審議会が「故意に放置している」のではないかという批判もたかまり、ついにジャルバンの復職を決断した(1月31日)ものと思われる。
ジャルバンは汚職追求に情熱を燃やし、「職務停止後」も市民グループと「汚職撲滅委員会」的なものを作り、ホーム・ページで汚職追放キャンペーンをおこなっていた。
彼女によれば、国家プロジェクトがらみの汚職によって毎年4,000億バーツ(1兆2,000億円)以上の損失を蒙っているという。この数字はやや過大ではないかとも思えるが、いずれにせよタクシン政権が汚職にどっぷり漬かっているという疑惑は否定できない。
ジャルバンの指摘する主な問題は@新国際空港の建設、A国営病院の薬品購入、B地方の電話回線敷設、C鳥インフルエンザ対策で農民に対する補償などをめぐる不正行為である。
タイ国民の多くは彼女の[職場復帰」に大いに期待していることであろう。
1-6-3. タクシン首相、元テレビ・コメンテーターを名誉毀損で訴える(05年10月4日)
タクシンは首相就任以来、内外のメッディアといざこざが絶えなかったが、タイでは人気のソンディ(Sondhi)という元テレビ・コメンテイターと彼のパーットナーで雑誌社プーチャドカン(Manager)を共同で経営しているサロチャ(Sarocha Porn-udomsak)を名誉毀損で5億バーツ(約14億円)の損害賠償を要求する訴えを起こした。
ソンディとサロチャ(番組ではソンディの共同ホストという役割)は国営テレビのチャンネル9での人気テレビ・トーク番組(ムアン・タイ・ライ・セパダ=Thailand Weekly)を放映していたが、しばしばタクシン首相批判をおこなっていた。
特に問題となったのは、9月9日に放映された番組で、ソンディが「タクシンは王室に対して忠実ではない(disloyal to monarchy)」という発言を再三おこなったことだという。
また、仏教徒の「最高位僧正(Supreme Patriarch)]」の代行者として、ある仏教集団の僧侶グループを任命したことや、北部タイの政府プロジェクトについて「不正(Irregularity)」があるというコメントもしたという。直接の訴因はこの仏教問題であるらしい。
この番組は先月で打ち切られ、両名は最近おろされてしまったが、ソンディはウェブ・サイトを使って携帯電話などに、同じ時間帯にタクシン批判の記事を流していたという。これが大変な人気を呼び、その時間帯はTVの視聴率がガタ落ちになったともいわれている。
タクシンはソンディの「尊大な態度」に怒り、ついに、現役の首相としてはタイ史上で最大の5億バーツという巨額の賠償請求をおこなった。ソンディはもともとタクシンの熱心な支持者であったが、最近はタクシンの政治手法・政策に疑問を持ち、タクシン批判を強めていた。
タクシンはこれは弁護士が訴訟を起こそうといってきたので「サイン」したまでだと、あくまで彼自身の発案ではないことを強調しているという。
これ以外にもタクシン所有の企業のシン・コーポレーション(Shin Corporation)が女性ジャー ナリストのスピンヤ(Supinya)さんを会社の名誉を傷つけられたとして4億バーツ(約11億円)の損害賠償を請求し、裁判がおこなわれている。
それはスピンヤ女史がシン・コーポレーションが不当な免税を受けたとという記事を書いたことでの訴訟である。これにはパスク・ポンパイチット、チュラロンコーン大学j教授などが被告側証人として証言するなど、話題になっている。
タクシン首相の狙いは批判的な言論界」に対する威嚇であり、5億バーツ位はタクシンにとっては「ハシタ金」であるが脅かしには十分すぎる額である。 しかし、かえってメディア(御用を務めない)や一般市民の反発を買うだけである。
それにしてもタイの言論人はなかなか健闘している。もちろん日本でも同じことであろうが(異議ありの声は無視します)。
(WSJおよびThe Nation=www.nationmultimedia.com の10月4日付け記事などを参照)
ジャーナリストで「市民のためのメディア改革運動」の事務局長をやっているスピンヤ(Supinya)女史はシン・コーポレーション社から名誉毀損で4億バーツ(約12億円)の損害賠償を請求され裁判で争っていたが、刑事裁判所は「スピンヤさん記事は名誉毀損にはあたらない」として同社の訴えを退けた。
タクシンは言論弾圧の一環として、自分に批判的な記事を書くジャーナリストを「名誉毀損」で訴えるという作戦を多用して脅しに使っていたが、スピンヤ女史はこの脅迫に屈せずに2年間も頑張り続けた。
シン・コーポレーションは最近(TEMASEKに売却が決まる直前に)スピンヤさんに対し「新聞で謝罪するなら訴訟を取り下げても良い」という和解を申し出ていたが、彼女は断固として謝罪を拒否していた。
スピンヤさんのシン・コーポレーション批判の骨子は「同社はタクシン首相の政治的影響力によって多大の利益をえていた」というものであり、彼女の指摘こそが今問題になってタクシンは政治的な批判にさらされているのである。
シンガポールの国営持ち株会社であるテマセク(TEMASEK)社がこの判決を不服として控訴することはありえず、スピンヤさんは晴れて巨額賠償請求から自由の身になった。タクシンの異常ともいえる弱いものいじめの実例として本件は長く人々の記憶にとどめられることであろう。
1-6-4. BOI「優遇措置小委員会」委員長にシン・コーポレーション会長が就任(05年10月18日)
タイのBOI(投資委員会)の優遇措置を決める「投資優遇措置小委員会」の委員長に、シン・コーポレーション(タクシンが所有する通信会社)のCEO(会長)のボーンクリー(Boomklee Plamgsiri)氏が任命された。
BOIの委員長はタクシン首相自身が勤め、最も重要な、投資に対する「優遇措置」を決める委員長のポストに自分の会社の大番頭を任命するというのだから、タイ人ならずともあいた口がふさがらない。
これは国家のきわめて重要な機関ともいうべき投資委員会の「私物化」とも受け止められかねない。これによって、タクシンのお眼鏡にかなわない日系企業などはタイで優遇措置をえられなくなる懸念すら出てきたといえよう。
逆にタクシンが気に入れば、優遇措置がおおらかに出してもらえるということになる。ボンクリー委員長にはもちろん「盆暮れ」の付け届けなどは必要ない。実際の決定権が彼自身にあるわけではないし、多分「公平」な判断を下してくれることと期待したい。
おのBOIの顧問グループにはチャロン・ポカパンのダニン会長やサハ・グループのボーンシティ会長も入っていて、地元企業に害を及ぼしかねないように厳しく審査されるという仕掛けができている。多分、中国企業は有利になりそうな予感がする。
日系企業にとっては「タイがダメなら中国でもインドネシアでもベトナムでもあるさ」といったところだ。
タクシンは何のために政府機関や軍・警察の重要ポストをタクシンの身内や手下で固めるのであろうか?中国の王朝の歴史を見るような思いだ。