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Th.102.ソンディ等の組織する反タクシン運動

Th.107.タクシン一家のシン・コーポレーション株の売却

102-1.バンコクの反タクシン集会に1万人以上集まる(05年11月13日)

バンコクの中心部にあるルンピニ公園で11月11日(金)夜、タクシンン首相から名誉毀損罪で訴えられているソンディ(Sondhi=プーチャドカン紙社主)が主催する反タクシン集会に1万人以上がが集まって気勢をあげた。

これだけの規模の反タクシン集会は2001年にタクシン政権が発足してから初めてのことである。政府系テレビなどが事前にこの集会について一切報道しなかったにも関わらず、これだけ多くの市民が集まったというのは異例のこととみられている。

そのうち3,000人は黄色のTシャツを着ており、それには「われわれは国王のために戦う(We Shall Fight For King)」と書かれていたという。

ソンディはかつてはタクシンの盟友であったがタクシンの政治手法に反発し袂を分かち、テレビ番組やプーチャドカン(Manager)紙などでタクシン批判を展開し、そのため名誉毀損で訴えられ、5億バーツ(≒14億円) という法外な「損害賠償」を請求されている(上の#99参照)。

ソンディの当日の反タクシン演説には「王室に対するタクシンの不適切な振る舞いが指摘されたという点が特に注目され ている。

それは今年4月に王宮内にある王室の守護寺院である「エメラルド寺院」 (ワット・プラケオ)においてタクシンが主宰し、「南タイの騒乱が静まることを祈った」という出来事である。

このエメラルド寺院はエメラルドの仏像が祭られている観光名所でもあるが、タイでは最も神聖な場所であり、ここで年2回の 「誓忠儀式」(国王に忠誠を近い聖水を飲む儀式)やエメラルド仏の着衣を交代する儀式などを国王が主催する場所である。

国王以外の人間がここで儀式を主催したことは過去に1度だけある。1932年にプラディ(後に首相となり、タマサート大学を沿い率下)などとともに憲革命をおこない、その後首相の座に着いたピブン元帥が1939年に 、王室が混乱状態の時におこなっただけであり、戦後は初めてのことである。

ちなみにピブン元帥は戦後も首相に返り咲いたが、サリット将軍のクーデターで政権を追われ、日本に亡命し1964年に相模原市で亡くなった。

タクシン首相側は事前に王室の了解を取り付けたといっているが、「申請」を出したのが「儀式」の1日〜2日前で、「タクシンは参加者の1人として儀式に参列するという内容の申請」にそうものであっという。事実タクシンはカジュアルな服装で参加したらしい。

見方によってはタクシンの王室に対する態度はきわめて「不適切」なものであるということは、今回具体的な形で明らかになったが、前々からタクシンの独善的な振る舞いに対して国王から、遠まわしの表現ながら、「ご注意」を受けていた。

最近では国際空港新設にまつわる汚職事件を暴いた会計検査委員長ジャルバン女史をクビにしようとした手の込んだ「陰謀」に対して、国王は「拒否」の態度を明らかにしめした。(上の#97参照)

別に今始まったことではないが、5年間にわたるタクシン政権の問題点がこのところ集中的に現れてきている。その中でも最大の難問は「南タイの紛争」である。南タイのイスラム教徒の反タクシン感情は悪化の一途をたどっており、タクシン在任中は「騒乱」は解決しないとさえ言われている。

05年7月に発した「非常事態宣言」地域をヤラ、パタニ、ナラチワットの3県とソンクラ県のサバ・ヨイ(Saba Yoi)地区から、さらにソンクラ県のチャナ(Chana)とテパ(Tepha)の2地区にも拡大した (11月3日)ばかりである。

タクシンがエメラルド寺院で儀式を主催したなどということを南タイのイスラム教徒が知れば、彼らの反発を強め、ますます「宗教戦争」という側面が出てくることは間違いないであろう。既に、仏教寺院に対する破壊活動も起こっている。

    (http://www.nationmultimedia.com/ 05年11月12日、13日、参照)

 

102-2.11月18日には5万人集会、タクシンの妹が槍玉に(05年11月22日)

ソンディの反タクシン集会は11月18日(金)にもルンピニ公園でおこなわれ、雨の中を6〜7万人集まった(主催者側推定)といわれ、更なる盛り上がりをみせた。

その中で、ソンディはタクシン政権の「言論・表現の自由に対する抑圧」と「権力の乱用」と「EGATの民営化反対」に焦点をあわせて聴衆に訴えた。その中で新たな事実としてはタクシンの妹が軍用機を私的に使った点が暴露された。

というのは、タクシン批判の世論が高まる中で、無神経にもタクシンの妹モンタティップ(Monthathip Komutcharoenkul)が11月14日(月)に自分の誕生祝と自宅の新築祝いをかねたパーティに軍用機C-130を使って、招待客をバンコクからチェンマイまで運んだというのである。

これは、いかんとも弁明のしがたい「公私混同」であり、タクシン側もグーの音も出なかった。これは空軍参謀長のスカンポン(Sukampol Suwannathat)が承認書に署名している。

タクシンの妹モンタティップとスカンポンとはN Link Companyという通信会社の取締役を一緒にやっており、二人とも防衛大学の同級生であったということである。(男女共学らしい)。現役の軍人が民会会社の役員を兼任しているというのも変な話である。

それに先立ち、国軍総司令官のルンロイ(Ruengroj Mahasaranond)がソンダイに対して、「タクシン批判の中で王室に言及することは不敬罪に当たるので、以後慎むように」という通達を出した。同じ趣旨の申し入れが近衛部隊司令官からも出されていた。軍による[言論機関への「威嚇」である。

これは、軍の言論に対するあからさまな干渉であり、「時代錯誤」な言動として軍が世論の批判をあびる形となった。彼らは1973年に政権を追われた「タノム・プラパート」時代の軍部独裁的な政治感覚から抜け切っていないといわれても仕方がないであろう。

こういうコトがなぜ起こるかといえば、タクシンが自分の言うことを聞く「軍・警察」体制を作り上げたからである。軍・警察のトップ幹部にしてみれば、タクシンこそが自分を引き立ててくれた「恩人」であるという感覚なのであろう。仮に民主党政権であればこういうことはおよそ考えられない。

情勢が不利になったタクシンは韓国の釜山で開かれたAPECの首脳会議の帰りの飛行機の中で、「定例の(週一度)記者会見は来年まで中止する」と言明した。これは「占星術によると止めたほうが良い」という卦が出たためだという。

タクシンが占星術に凝っているという話しは前から出ていたが、まさか本気で「水星」の運行によって記者会見をやるとかやらないとか決めているわけではないであろう。それにしてもタクシン政権は乱気流に巻き込まれている。

 

102-3..タノンがバーツ切り下げ情報をタクシンの会社に流す?(05年12月17日)

ソンディのタクシン批判の「ルンピニ公園」集会は依然として続いているが、昨夜(12月16日金)はかねてから噂には上っていたが、タイの現代政治経済史上きわめて重要な話しが出た。

それは1997年のタイの通貨危機が始まる前夜のことである。当時タイ政府と中央銀行(バンク・オブ・タイランド)はヘッジ・ファンドなどによるバーツ売りの攻勢にたいして、あくまでバーツ価値を守るとして、タイの銀行や国民にバーツの思惑売りを禁止して防衛の協力を呼びかけていた。

ところが、バーツ防衛をあきらめることは公式発表(97年7月2日)の前の11日も前に決定し、当時の財務省であったタノン(現在財務相)がタクシンの会社のシン・コーポレーション(携帯電話などの通信会社)にタイ政府では5人しか知らなかったこの「重要国家機密」を教えていたというのである。

通貨危機直後のタイ語新聞には、当時首相であったチャワリットの夫人とタクシン副首相が「バーツ売り」を事前におこなって大もうけをしたという記事が出ていたようである。その噂が今、ソンディによって蒸し返されたのである。

タノンは政治の世界に入る前にシン・コーポレーションの財務担当役員をしており、タクシンの強い推薦でチャワリットはタノンを財務相に任命したといわれている。

そのタノンがバーツをフロート制に切り替える11日前に情報をシン・コーポレーションに流した張本人であるという「疑いが濃厚」であるとソンディが昨夜すっぱ抜いたのである。聴衆の多くは当時の噂話を思い出し、拍手喝采したとネーションは報じている。

そういわれてみると、当時多くのタイ企業が、通貨危機のあおりを受けて倒産や破産寸前に追い込まれたが、シン・コーポレーションは打撃を受けるどころか、かえってこの頃から勢いを増したようである。

そこまでいわれたら、現在タクシン政権のもとで財務相として権勢を誇っているタノンとしては黙っていられないところであろう。タクシンももちろんである。

その後、チャワリット政権は崩壊し、代わりに民主党のチュアン・リークパイ政権になったが、IMFの厳しい「融資条件」に悩まされて長いこと不況に苦しんだ。

ところが景気の立ち直りかけた2001年に資金量豊富なタクシンがTRT(タイ・ラク・タイ=タイ愛国党)を率いて政権を握り、「TRTの政策よろしきを得てタイ経済は立ち直った」というストーリーが出来上がってしまったのである。ひどい目に会ったのは民主党である。

ソンディはさらにタノン攻撃の手を緩めず、通貨危機直後に58社のノン・バンクを潰して、バーツの下落にいっそうの拍車をかけ、ドル買いをおこなった貪欲な投機者(ヘッジ・ファンドや一部のタイの政治家・企業家)にさらに大もうけをさせたというのである。

(海運会社TMN)

これ以外のソンディの話題としては副運輸相のプムタム(Phumtham)が国営海運会社(TMN=Thai Maritime Navigation)の民営化の際に70%の株式をプムタムの友人達に所有させ大もうけをさせたという。

また、プムタムはPTT(タイ石油公社)に働きかけ、TMNに石油の海運業務を割り当てるように働きかけ、赤字会社であった同社を黒字の優良会社に生き返らせたというのである。タイでも「民営化」はすばらしいものであるらしい。日本でも同じだが必ず大もうけする輩が出てくる。

また、ソンディは先に延期されたタイ発電公社(EGAT)の民営化反対も呼びかけた。

(チェンマイのタバコ工場)

また、タクシン政権の閣僚にきわめて近い女性(名前は明かされなかったが推して知るべしということか)が動いて、タイ政府はチェンマイ(タクシンの地元)に中国政府の協力を得てタバコ工場を建設している。

この工場はタイ政府は当初は90億バーツ(約260億円)で建設するということで予算計上していたが、その後180億バーツ(約520億円)という巨額予算を承認したという話しである。建設費の安いタイでは途方もない金額である。ただし、構造設計ではインチキはない模様である。

中国政府はタバコ工場新設のために「CYC」なる会社を新設して取り組んでいるというから大変な熱の入れようである。しかし、CYCはタバコ工場の建設の専門家はおらず、タバコ製造機械もイタリーの会社の図面を失敬して作っているという。

イタリーの会社は猛然と抗議をしており、この機械の出荷は現在差し止め(中国から)になっている。

当日の聴衆は2万人といわれ、前回の5万人よりも大分少なくなったと報じられている。次回は12月23日、来年は1月13日におこなわれる予定とのことである。

(http://www.nationmultimedia.com/ 05年12月17日付け参照)

 

⇒特捜部がタクシンの資金洗浄の証拠つかむ?(07年5月1日)

1997年の通貨危機に際し、当時副首相の地位にあったタクシンが首相であったチャワリットなどといち早くバーツ切り下げの情報をつかみ(あるいは自分達で決め)、ドル買いを行い多額の利益を得たという噂が立った。(上記の記事参照)

この話しは2006年はじめから反タクシン集会でソンディらからも蒸し返され、また今年の初めには民主党幹部がタクシンは個人的な利益隠し(為替取引や株取引による)にために個人信託ファンドを設立していたとの指摘がなされていた。

特捜部(DSI=Department of Special Investigation)はタクシンのこれらの汚れた資金の洗浄(マネー・ローンダリング)のメカニズムについて調査を進めていたが、ほぼ内容が明らかになったとしてスラユット首相に報告したと伝えられる。

詳細は極秘とされ、スラユト首相も報告書をまだ読んでいない語っているが、タクシン一家の所有していた不動産会社SC Assetがマネー・ロンダリングに関与していたことは明らかにされていう。

民主党のコーン(Korn Chatikavanij)副党首によれば信託会社Win Mark Co.AS Assetを含む5社のタクシン所有の不動産会社を買い取ったという。同社は1997年の時の利益隠しに使われたとコーンは見ている。

このWin Mark Co.は既にシン・コーポレーション株の取引で有名なAmple Rich Investmentと全く同じ住所で英領ヴァージン諸島に住所を置いているという。ただし、タクシンはAmple Rich Investmentとの関係は認めているがWin Mark Coについては関与していないと主張しているという。

しかし、この両社はタクシンによって同じような目的で設立され、同じような取引をおこなってきたというのがコーンの見方である。

2004年10月にはWin Mark Coが所有する4社の株式をタクシンの長女ピントンタ(Pinthongta)に売却したという。

タクシンは2000年にOAI Property, PT Corp, AS Assetの株式をWin Mark Coに合計9億600万バーツで売却してと言っている。しかしながら、民主党の調査によればSC Office ParkWorth Supplyの2社の株も所有しているという。これら5社の合計投資額は15億バーツだという。

民主党の調べではWin Mark CoOAI Propertyの株式を2003年にマレーシアのValue Asset Fund Ltd.(VAF)に売却し、VAFは3週間後にこれらの株式をOverseas Global Fund(OGF)Offshore Dynamic Fund(ODF)に売却している。これら3社の事務所は同じ住所である。

これは株コロガシをやることによって取引の痕跡や企業内容を分かりにくくする典型的な手口である。

さらに2003年にはValue Asset Fund Ltd.(VAF)OAI Propertyの株式の新株引き受け権7000万株分を1株当たり10バーツでタクシンの長女ピントンタ(Pinthongta)次女のペトンターン(Paethongtarn)に売却している。

OAI Propertyの株式はその後1株15バーツで公開されたため、彼女達は合計で3億5000万バーツ(約12億8千万円)の利益を得ている。

これらの一連の動きはタクシンの資金隠し・資金洗浄と何らかの関係があると見られる。タクシンにとって最も致命的な問題は1997年の通貨危機時におけるバーツ売りドル買いの反国家的インサイダー取引である。

これはチャワリットも関係しているといわれるだけにタイの政治史上最大の事件に発展する可能性を秘めている。

タクシンはこの問題が「シロ」であると主張するならば、上記のゴチャゴチャした取引の実態を含め身の潔白を証明する必要があることはいうまでもない。

(これらの記事はネーション、インターネット版07年5月1日付けによるものです。ご関心の向きは直接英文に当たってご覧になられることをお勧めいたします。

 

102-4.タクシンは政府プロジェクトをクローニーに受注させる(05年12月24日)

ソンディはルンピニ公園集会を12月23日(金)に開き、その中での主要テーマは政府プロジェクトがいかにタクシンの仲間が受注したかを暴露した。

この集会はソンディがチャンネル9のトーク・ショー番組を降ろされてから13回目のものであった。昨夜の集会では1万人しか集まらなかった(ネーション紙の数字、バンコク・ポスト紙は4万人と報道)。 ソンディはルンピニ公園への参加者は減っても衛星テレビで1000万人の国民が見ていると述べた。

ソンディはタクシンの出身地チェンマイにおける過去4年間の40件の政府プロジェクト(金額にして200億バーツ≒580億円)の大部分がタクシンのクローンー(crony=仲間)によって 受注されたことを暴露した。

チェンマイのナイト・サファリ・パークのレストランの営業権(30年)は副交通相兼TRT党の副書記長という党のカナメの人物であるプムタム(Phumtham Wechayachai)に与えられた。これは公開入札無しでおこなわれた。 プムタムもいっぱしの金権政治家となったようだ。

プムタムは、1973年の学士革命のときは活動家として軍事独裁政権(タノム・プラパート)打倒のために活躍し、1976年のタマサート事件の後は一時期はジャングルに逃げ込み反政府運動をやった経験がある。日本にも同様な例があるが変われば変わるものである。

チェンマイの政府プロジェクトで「獅子の分け前」を受け取ったのはチェンマイ建設(Chiang Mai Construction Co.) 会社のオーナーである地元の有力者カナエン(Khanaen Boonsupha)である。彼は首相府担当相のネウィン・チドチョブ(Newin Chidchob)の義父である。

ネウィンはクメール(カンボジア)族であることもソンディはバラし、それが聴衆の喝采を受けたという(ネーション)。私にはピンと来ないがクメール族というのはタイでは蔑視されているようである。

カナンの受注額は11.8億バーツでチェンマイ空港行きの道路などを受注している。その他の道路もいくつも受注しているが応札中間価格をゴクわずかに下回る価格で受注している。

ソンディはチェンマイのことだけを取り上げたが、これは地元で受注から外された業者がソンディに情報提供したものと推測される。他の地域でも同様なことが起こっているはずである。

また、最近、南タイでは洪水が大きな被害をもたらしているが、その対応が極めて冷淡であるとタクシンを批判した。この洪水は過去30年で最悪のものといわれ、既に南タイで死者が52名出ている。

タクシンは南タイの洪水被害は「津波ほどひどくはない」とうそぶいて現地査察すらおこなっていなかった。チェンマイではちょっとした洪水でも大急ぎで現地に赴いたタクシンを知っているタイ人にとってはどうにも解せない言動であったことは間違いない。

現地を訪問したのは被害が起こり始めてから大分経った昨日(12月23日)になってから(それも爆弾騒ぎの「歓迎」を受けた)である。

「 国王が3,000袋の生活必需品物資を贈ったのに対し、資金豊な与党のTRT党は何も贈っていない。これは南タイが反タクシン色が強く、与党TRT党は今年初めの国会議員選挙で1議席しか取れなかったからである 」といわれている。

また、「タクシンは南タイで行われている反乱被疑者に対する裁判抜きの軍・警による殺害(タクバイ事件はその典型)を容認する一方、南タイの騒乱を早期に収束すると約束しながら、一向に収まる気配がない。 」

などの批判をおこない、タクシン首相の辞任を求める署名運動への協力を呼びかけた。

また、ソンディは過去にタクシンの熱烈な支持者であった自分を「愚かであった」と自己批判したという。さらに、タクシンは国を略奪したので不正に得た財産を国に返還すべきであるとも述べた。

タクシンはソンディに対する名誉毀損と賠償請求の訴訟を取り下げたが、ソンディの攻撃を黙って見ているわけではなく、ソンディの友人と見られるタイ航空の取締役2名を再任しない(任期は1年)ことを決めたという。

 

102-5. 2月4日の反タクシン集会に10万人が参加、タクシン首相への失望感広まる(06年2月5日)

ソンディの呼びかけにより、反タクシン集会が国会議事堂近くのロイヤル・プラザ周辺に約10万人が集まり、タクシンの辞任を求めて気勢をあげた。参加者の多くは王室支持のシンボルである黄色のTシャツをきていた。

最近のシン・コーポレーションの株式をシンガポールの国営持ち株会社テマセク(TEMASEK)に売却し、その代金732億バーツについてさまざまなテクニックを遣い子供達に税金を払わないでほぼ全額懐に入れさせるというタクシン得意の「離れ業」をやってのけたことも反タクシン感情をいやがうえにも燃え上がらせた。

集会は2月5日(日)の午前8時まで続いたが、参加者は比較的冷静で、警官隊との衝突もなく平穏に終わった。

タクシン自身は故郷のチェンマイに避難し、支持者の集会で参加者は「ばか者の集まりだ」とののしり、任期の切れるまで(あと3年)はやりぬくと宣言したという。

しかし、タクシン首相の「賞味期限5年で切れる」と私は予想したが、残念ながそのとおりになってしまったようだ。一言でいえば彼の政治手法はタイの国民が多くの流血の後に築き上げた[民主主義」をあまりに遠慮会釈なく踏みにじるものであったといえよう。

タイの英字紙ネーションは既に「おわりが始まった」との見方をしている。タクシン政権は議会で3分の2以上の議席を確保しているが、国民の支持が急速に失われつつある今となっては、何をやるにしても世論の動向を見極めながらやるしかない。

従来のタクシン1人が何でも決める「CEOスタイル(アメリカ企業のトップが即断即決で経営を取り仕切っていくという手法)」の政治はおこなえなくなるであろう。

閣僚も既に2名が辞任している。1人はウライワン(Uraiwan Thienthong)文化相ともう1人はソラアート(Sora-art Kinpratoom)情報通信相である。2人ともTRT内では反主流派のスノー派(タイ・ナム・イェン)に属する。ウライワンはスノーの夫人である。

 

Th.107.タクシン一家のシン・コーポレーション株の売却

107-1.タクシン一家がタイでは最大の「株持ち」(05年12月14日)

タイの金融専門雑誌(Money and Banking) の調査によると、上場されている株式を時価評価で見た場合、タクシン首相一家が332億バーツ(約963億円)の株式を所有しているとのことである。(#52参照、総額が減っているが調査方法による差であろう)

そのなかでも、娘のピントンタ(Pinthongta Sinawatra)さん(23歳、大学生)が192億バーツ(約557億円)相当の株式を所有している。この額は2004年に比べ6%増加している。

ピントンタは通信会社シン・コーポレーション(Shinn Corporation)の株式14.7%と不動産会社SC Asset Corpの株式29%を保有している。ピントンは昨年チュラロンコーン大学の入試にかかわる不正疑惑で騒がれた。

また、タクシン夫人の実兄のダマポン(Bannapoj Damapong)氏が第2位で166億バーツの株式を保有している。シン・コーポレーションの株式13.5%がその主なるものである。 ダマポン氏は現在同社の会長である。

第3位は不動産会社(Land & Houses Plc )のオーナーで会長のアナン(Anant Asavabhokin)氏で株式時価150億バーツ。

第4位はタクシンの長男のパントンテ(Panthongtae Sinawatra)でシン・コーポレーションの株式9.8%などを所有し、時価総額120億バーツである。 彼はラムカムヘン大学の卒業試験で不正疑惑が持ち上がり、一時期大騒動になった。

第5位はタイ最大のゼネコンであるイタル・タイ(Italian-Thai Development Plc.)の社長のプレムチャイ(Premchai Karnasutr)氏で81億ばーつである。

これらはいずれも上場されている株式の持分に時価(いつの時点かは不明)を乗じた金額であり、そのほかの資産についての評価は含まれていない。

タイの大金持ちは他にも多数いる(チャロン・ポカパン・グループやバンコク銀行グループなど)が彼らは上場された株式以外にも多くの資産を所有しており、総額や実態は不明である。

また、タクシン首相の個人資産はかなりの部分が名義上子供達に譲渡されていることがわかる。(バンコク・ポスト、12月14日付け他)

 

⇒タクシン一族が50億バーツの税金逃れ?(05年12月17日)

チルムサク・ピントン(Chirmsak Pingthon)上院議員はタクシン一族のシン・コーポレーションの株式の身内間の譲渡に際し、50億バーツ以上の税金逃れをしてたとして、財務省と汚職防止委員会(NCCC)に対して12月16日に申し入れをおこなった。

チルムサク上院議員の報告書によると、タクシンが首相に就任する前の12ヶ月以内に2000年にタクシンとその夫人のポトヤマン(Potjaman)はシン・コーポレーションの株式を市場外取引で、タクシンの妹のインラク(Yinglak)とポトヤマン夫人の実兄のバナポット・ダマポン(Bannapoj Damapong)に譲渡した。

問題はその譲渡価格で、1株10バーツと言う額面価格での譲渡であった。しかし、当時のシン・コーポレーション株は市場価格が1株150バーツであったという。すなわち両者は1株140バーツの利益を得たことになる。

ポトヤマン夫人が弟のダマポンjに譲渡した株式は3,100万株以上といわれている。タクシンが妹に譲渡した株式は200万株だといわれている。計算のやりかたは外部のものには不明だが、結論的にはダマポンは47億バーツ、インラクは3億バーツの税金を逃れていたということになるようである。

1995年のタイの税法では市場外取引で得た利得の37%を所得税として国庫に納入しなければならない。しかし、税務当局は両者から税金を取っていなかった。

当局の説明では「取得した株式は転売されたわけではなく、そのまま所有されていたからである」ということであった。しかし、95年の税法ではそのような例外規定は設けられておらず、他の例ではちゃんと課税されていたのである。

タクシン一族に対してのみ「優遇措置」がとられていたことになる。

かつて会計検査院ではたらいており、現在ある民間会社の経理担当役員をしているルアンクライという人物は2002年にバンコク高速鉄道の株式を父親から5,000株譲渡されたが、利得が55,000バーツあったとして20,350バーツの税金を納めさせられたケースがある。

そのときルアンクライ氏はタクシン一家の例を引いて抵抗したらしいが、結局税務当局に押し切られた。その後、タクシン一族の税金問題を上院が調査しはじめたところ、税務当局は一転してルアンクライ氏に対して納めた税金を返還すると言い出したが、同氏は受け取りを断固拒否したという。

(The Nation, Bangkok Post, Internet、05年12月17日付参照)

 

107-2.タクシン一家がシン・コーポレーションの持ち株をテマセクに売却(06年1月13日)

タクシン一家はタイ最大の通信会社シン・コーポレーション(以下SCと略す)の株式の40%をシンガポール国有投資会社テマセク(TEMASEK=社長はリー・シェン・ロン首相夫人のホー女史)に800億バーツ(約2,300億円)で売却することとなった。この情報はSC関係者から昨日(1月12日)に明らかにされたと、英字紙ネーションは伝えている。

タクシンは一家を引き連れて正月休みにシンガポールに滞在していたが、そのときにこの取引が最終的に成立し、1月6日にタクシン家とダマポンがテマセク側とSC株の取引について署名したという。

SCは傘下に携帯電話会社AIS(Advanced Information Service)社とThaiAirAsia(格安航空会社), Capital OK(消費者金融), iTV(テレビ放送局)を保有している。

タクシンはこの売却によって、「ビジネス・マン兼政治家」という、タイ国民からの「批判」をかわすことができ、取りざたされてきた数々の「利害衝突」も自然消滅する形となったとみられる。

また、タクシンが一族に株式を譲渡した際の「税金問題」も浮上しており、この際持ち株を一気に手放し、国内の批判をかわす目的もあると考えられる。しかし、これについては 逆に問題をいっそう激化させる可能性もある。

タクシンは2005年のはじめからSCの売却先を探し、NTT Docomoも候補に挙がっていたという報道もあったが、結局、華人同士で気心の知れたシンガポール資本に売却することになった。

テマセクの支配下にあるシンガポール・テレコミュニケーション(Singapore Telecommunication)はAISの株式を21.4%所有している。そのため、当初、シンガポールの買い手は国営通信会社シンガポール・テレコミュニケーションではないかと取りざたされているた。

テマセクとSingapore Telecommunicationは通信会社AISの60%以上の株式を所有するが、他のビジネスには興味がないため、将来タクシン一家がThaiAirAsia(格安航空会社), Capital OK(消費者金融), iTV(テレビ放送局)の3社については「買戻し」できる約定がついているという。

今回のSC株式の売却の背景については、なお不透明な部分(本当にタクシンがキレイさっぱり手放したのかという疑問)があるといわれている。

すなまち、タクシンはシンガポールにこれら企業の所有権を移し、シンガポールからこれらの会社をコントロールをしようとしているのではないかという憶測も存在する。経営陣がどう替わるかなど今後の推移をもう少し見ないと判らない。

(http//www.nationmultimedia.com/ 1月13日、参照)

 

⇒タクシン一族のShin Corp. 株のテマセクへの売却を正式発表(06年1月23日)

タクシン一家とダムロン一家(タクシン夫人の実兄)はシン・コーポレーションの持ち株の全て49.59%を1株あたり49.25バーツで、シンガポールのテマセク社に売却することを1月23日(月)正式に発表した。

形式的にはこれらの株はセダー・ホールディング社(Ceder Holdings Ltd.)とアスペン・ホールディング社(Aspen Holdings Ltd.)に売り渡され、両社は全ての株をテンダー(競売)にかける。その間、シン・コーポレーションの株式の上場は維持する。

タクシン首相の説明では「子供たちが,私に安心して(利害衝突の非難無しに)政治に専念してもらいたい」という意志が強かったので、思い切って持ち株の全てを売り払うことにしたというもの。

また、シン・コーポレーションの株式とシンガポールのテレコム会社(SingTel)の株式の交換ではないとし、また税金も「免税」されるはずだと述べている。

また、シンガポールにおいてもテマセク社はシン・コーポレーション株式の買収を発表した。

この取引はタイの証券界では史上最大のものである。また、通信企業が海外資本家の手に渡ることの問題や税金問題など本当にクリアーされているのかどうかは必ずしも明確ではない。

 

107-3.タクシンの税金逃れの手法に疑惑と関心が集まる(06年2月1日)

上記のように、タクシンは732億バーツ(2,200億円)相当のシン・コーポレーション(Shin Corp)の株式を実質「無税」で売却し、子供達への遺産相続も果たしたとしているが、その過程でいくつかの疑惑が持ち上がっている。

その1つはタクシンが自分の財産を管理(隠す)する会社として、英領バージン諸島(タックス・ヘイブン地域=ほとんど税金がかからず、資産隠しができる地域)にその名もアンプル・リッチ・インヴェストメント(Ample Rich Investment=有り余る金持ちのための投資会社という意味)なるペーパー・カンパニーを持っていた。

同社は米国からの資金調達のために設立したのだとShin Corpのブーンクリー社長は語っている。しかし、その運営は謎に包まれている。

アンプル・リッチ社は1999年4月12日に設立された。その会社の設立者と所有者はタクシンであった。しかしタクシンは2000年11月30日までに同社の株を手放し、今は所有者ではないといっている。

SEC(証券取引監視委員会)も誰に売却したのかは明らかにしていない。この頃、タクシンの資産隠しがメディアでしきりに報道された。

1999年6月11日にタクシンは自分が所有していたShin Corpの株3の半分に相当する3億2920万株(11.875% ー当初は3,292万株であったが、後に10分割され、10倍の株数になった。ここでは分割後の株数で表示する)をこのアンプル・リッチ社に売却した。

アンプル・リッチ社の株式は当時は100%タクシンが所有していた。すなわちここでShin Corpの株式所有者の名義変更が一部おこなわれたのである。しかし、実際に所有していたのはタクシンであった。この売却でタクシンはアンプル・リッチ社から代金を受け取ったかどうかは不明である。

この段階で、タクシンは3億2920万株(11.875%)を依然タイで所有していた。しかし、それも誰かに売却した。

TRT(タイ・ラク・タイ)党の党首のタクシンは2001年1月6日におこなわれた選挙で大勝し、首相の座に着いた。タクシンはNCCC(汚職撲滅委員会)の2001年4月に彼の資産を報告した。そのときはアンプル・リッチ社の件については一言も触れていない。

Shin Corpのウエブ・サイトで2005年8月26日突如として、チナワットとダマポン(タクシン夫人の実兄)家が同社の株式の49.61%に当たる14億8774万120株を所有していると発表した。「家族」所有のなかにはアンプル・リッチ社の持ち株3億2920万株(10.98%)が含まれるという。

これは、タクシンがアンプル・リッチ社の株式を全部売却したという言い方とは明らかに矛盾があり、「資産隠し」の虚偽に報告をNCCCにしたという疑惑が出てくる。それ ら一連の疑惑についてはタクシン自身から近々釈明があるといわれている。

今年1月20日になって、アンプル・リッチ社の所有するShin Corpの株式3億2920万株が半分ずつ長女のピントンガ(Pinthonga)息子のパントンテ(Panthongtae)に1株1バーツで売却されたことになっている。

その3日後にこれらの株は全てシンガポール政府の持ち株会社テマセックに売却された。

この売却益は150億バーツ以上になるが、彼らは3億2920万株の株式を店頭取引(over-the counter)でアンプル・リッチ社から買って、証券取引所でテマセック社に売却したのだから税金はかからないという仕組みだそうである(タイでは市場での株式売買による利益には税金はかからない)。

最初はピントンガとパントンテは株式市場からShin Corpの株式を購入したとSECには説明していたが、それ は「間違い」であって、店頭取引(over-the counter)でアンプル・リッチ社から買ったのだと訂正している。

しかし、SECとしてはピントンガとパントンテに対し、何時実際株を買って何時から持っているのか?また、所有した段階でなぜSECに報告しなかったのかなどいくつかの質問を出しているという。

これらが明らかにならないと彼らは「公開法(disclosure law)」で定める5%以上の株式所有はSECに届け出るという法律に違反した疑いが生じる。また、インサイダー取引の疑いも当初から持たれている。

これらの疑惑は意外に大きな問題でタクシンの政治生命にもかかわりかねない事件に発展する可能性もありうる。要するに、タクシンは自分の財産を何とか税金を逃れて、子供に相続させようと考えたのである。

また、2001年4月の「資産公開時」にインチキをやっていた可能性がある。それは彼の蓄財方法が必ずしも「スッキリ」したものではないからであろう。

(http://www.nationmultimedia.com/ 06年2月1日参照)

⇒アンプル・リッチ社は子供の名義に変えられていた(06年2月1日追加)

タクシンの弁護士スバーン(Suvarn)が2月1日明らかにしたところによると、アンプル・リッチ社の株式100%が2000年に息子のパントンテに売却されたことになっている。 その後そのうちの20%が長女のピントンガに売却されたものだという。

また、SET(タイ証券取引所)にはそれらの話しは報告されているという。

しかし、タクシンの2人の子供がShin Corpの株式を25%を所有するに当たってテンダー(入札)しなかったのはなぜかという記者団の質問にはスバーン弁護士はSETに聞いてみないと判らないと答えたという。(ネーション、インターネット版より)

⇒アンプル・リッチ社はもう1つ存在した?(06年2月8日)

このアンプル・リッチ社は英領バージン諸島(タックス・ヘイブン地域)のタクシン首相の個人会社として設立されたが、実はイギリス国籍のアンプル・リッチ社なるものが存在していたことが民主党コルブサク(Korbsak)議員の調べで明らかになった というのである。

タクシンの顧問弁護士スバーンはこの事実を明らかにしていなかった。もし、事実とすれば、これは「説明責任」の回避とみなされよう。この第2のアンプル・リッチ社 はしきりにShin Corpの株式を出し入れしていた実績があるという。全体のストーリーからこの会社の取引が隠蔽されていたということになる。

その事実関係は本日、コルブサク議員が明らかにするという。

タクシン側はこの第2のアンプル・リッチ社なるもの存在を否定している。

 

107-4.憲法裁判所がタクシンのビジネスに関する調査を検討(06年2月15日)

タイの28人の上院議員がタクシン一家のシン・コーポレーション(SC)の持ち株49.6%(19億米ドル)をシンガポールの政府系持ち株会社テマセク(TEMASEK)に売却した問題で、「利害衝突の疑惑ががる」として憲法裁判所に調査開始を請願した。(#102、107シリーズ参照)

これを受けて、憲法裁判所としては「調査をすることを検討する」という意向を示したという。

憲法裁判所としてはタクシンが所有していたSCの株式は子供や義兄やバージン諸島のアンプル・リッチ・インベストメント(ARI)に名義が変更されていたとしても、「実質的オーナー」はタクシン首相自身であったかいなかという点が問題であると考えているようだ。

もしそうなれば、タクシン政府がSCに与えたさまざまな「特権や許認可」は「利害衝突(conflict of interest)」に当たる可能性がある(という疑惑はきわめて濃厚)ということになり、法令違反となりかねない。

憲法裁判所が上院議員団の請願を前向きに受け止める意向を示したことに対し、2月14日(火)のバンコクの株式市場はすばやく反応し、前日の738.07ポイントから727.91へと10.16ポイントも急落した。

憲法代09条には「大臣は会社やパートナーシップの5%以上の株式を保有してはならない」と規定している。タクシンの場合はまさにそれに抵触する容疑が濃厚である。

 

⇒8対6で調査をおこなわないことに決定(06年2月16日)

たい憲法裁判所はタクシン首相を「利害衝突」の容疑で調査を決定すべきか否かについて評決をおこなった結果8対6という僅差で調査をおこなわないことを決定した。理由は証拠がそろっていないからということである。

タイの憲法裁判所は2001年にもタクシンの資産隠匿についての評決でも僅差(8対7)で「シロ」判決を出した経緯がある。

また、会計検査委員長のジャルバン女史が憲法上正しい方法で任命されたものではないという「横槍」を入れて2年間も会計検査委員長の職務から外すという事態をまねいた。要するに憲法裁判所が「汚職退治」の邪魔立てをしたという疑惑である。

ジャルバン女史のケースもタクシンの意向を受けての「不自然な」判決だという見方がされ、憲法上の「形式論議」による、行政への不当介入(汚職追求への邪魔立て)ではないかという疑念がもたれていた。

そういう意味ではインドネシアほどひどくはないにせよ、タイの裁判所もまるで問題がないわけではないようだ。調査ぐらいはおこなうだろうという大方の国民の期待は裏切られた結果になった ことは間違いない。

憲法裁判所の判事はタクシンに抱きこまれているものが複数いるという噂が改めて立証された形となった。 反対の評決をおこなった8人の判事の氏名が公表されたが、専門の判事は2名だけで、元官僚が多かった。

タイには立派な裁判官が多く、しばしば良心的な判決が下されるが、今回は残念ながら不条理としか言いようのない変な評決となった。

しかし、タクシンの国民に対する信頼感や求心力は既に決定的に失われたことは確かである。自分の持ち株の全てを外国政府に売り渡し、しかも大胆な「税金逃れ」をやっていたような人物が政治リーダーとしてやっていけるわけはない。

この決定を受けてバンコクの2月16日の株式市場は735.16ポイントと前日より9.43ポイント反発したという。

 

107-5. チャムロン、打倒タクシン運動に参加宣言(06年2月20日)

民主運動家として知られるチャムロン元少将がついに、タクシン政権打倒運動に参加することを決め、2月26日(日)に予定されるバンコクでの反タクシン集会に参加することを 宣言した。

チャムロンは1992年5月の反スチンダ・デモの時にも民主派のリーダーとして大きな役割を果たし、その後「仏法の力党(Palang Dharma Party=PDP)」を組織し、政治活動に参加した。

その時、チャムロンはタクシンを同党に加入させ、タクシンをいきなりチャワリット内閣の副首相に就任させ、政界へのデビューを果たさせた。いわば、政治の世界でチャムロンはタクシンに大きなチャンスを与えた張本人である。

その後、チャムロンは仏教のサンティ・アソック(Santi Aoke)という集団のリーダーとして宗教活動に専念するため、「仏法の力党=PDP」を解散し、同党の党員はタクシンが組織したライ・ラク・タイ(タイ愛国党=TRT)に参加した。

タクシンはPDP以外にも広く党員を募り、TRTには地元華人資本家の有力者(チャロン・ポカパン・グループなど)が参加し、事実上タクシンと彼ら一部のクローニー的華人資本家が実権を握る政党に変身した。

しかし、PDPの元幹部もTRTの国会議員や閣僚としての地位を維持しているものもいる。彼らは当然ながら今やタクシン支持者である。タクシンが失脚すれば彼らも地位を失うからである。

チャムロンは最初はタクシンに折に触れてアドバイスし、今回のシン・コーポレーション株売却事件でも、税金に相当する額(30%)を慈善事業などに寄付するようにタクシンに勧めたが、タクシンは当然のことながらそれを無視している。

タクシンにとってはチャムロンは自分が政界入りするために必要な人物であって、はじめから彼を尊敬していたわけではない。タイではチャムロンが「タクシンの人物」を見抜けなかった点を批判している人も少なくない。

しかし、今となってはタクシン政権の存続そのものがタイの政治経済にとって障害となってきているという認識がタイ国民の間に広まりつつある。それは何かというと「汚職の蔓延」が先ずあげられる。

汚職批判をするマスコミには「名誉毀損」という訴訟に訴えて批判を封じようとした(スピンヤ事件、ソンディ事件)。

汚職を摘発した会計検査院長の追い落としすら企てた(結局ジャルヴァン女史は復職した)。この時は憲法裁判所や上院議員を動員したといわれている。

また、汚職批判も含め、政権批判をするマスコミへの弾圧などは当然ながら「言論の自由」への弾圧につながる。バンコク・ポスト買収事件などもその一例である。 また、放送委員会メンバーの組み換えもおこなったとされている。

TRT党国会議員が背後で画策したとされる「軍事基地襲撃事件」が南タイのイスラム教徒とのドロ沼紛争の出発点となったという見方もある。 警察によるソムチャイ弁護士の拉致・殺害事件もある。南タイのイスラム教徒の間ではタクシン首相に対する反感が極めて強いと言われている。

タクシンの意図しているところは結局のところ「タクシン独裁政権の永続化」であるといわれても仕方がない。 そのために軍や警察トップへの身内の任命をはじめとして、汚職追放委員会や放送委員会などへの自派メンバーによる多数派工作など数え上げればきりがない。

しかし、タイの国民とりわけ中産階級に浸透しつつある「民主主義の精神」はそれを許さない段階に来ている。

チャムロンの反タクシン運動への参加は意外なインパクトがある。というのは彼の宗教団体「サンティ・アソック」はメンバーが数十万人いるといわれ、一大勢力なのである。彼らが動き出せばタクシンにとっても相当大きなプレッシャーになることは間違いない。