乗峯ファンの感想文
ファンのみなさんからの感想が作品別にまとめてあります。
乗峯栄一の本を読んでみて感じた事等を鼻男までお寄せください。
作品に限らず乗峯作品全般に関する事、乗峯栄一本人に関する事、乗峯栄一へのリクエストなど何でも構いません。
皆様のご投稿お待ちしております。
・ストライクマン
・こうなりゃ競馬と心中だ!「乗峯栄一の賭け」絶叫編
・頬に風花、胸に修羅
・なにわ忠臣蔵伝説
・番外編
私的乗峯文学論
損師予想の傾向と対策
鼻男のHP立ち上げ理由
初めて舞台の芝居を見に行きました。きっかけは偶然です。
昔からROMしていた乗峯栄一氏のファンサイトの競馬予想大会で
たまたま上位にランキングしていたためHP主宰の鼻男さんから
チケットを譲っていただくことが出来た、それだけなんです。
知ってる人しか知らない乗峯栄一氏ですがとある文学賞で
選考委員の村○龍氏にケチを付けられた経歴を持つ不世出の作家です。その方が脚本と演出を手がけられた舞台が「ストライクマン」
当然、正義のヒーローものではありません。
野球モノ?単純な想像ならそれで当然なのですが明らかに違います。
(これは僕自身の勝手な解釈ですので・・)
天草四郎時貞が魔界転生のように甦ります。
E.Tまで故郷を恋しがります。
語り部は石川星稜時代の松井秀喜を、三沢高校の太田幸司を
怪童尾崎行雄を緻密な描写でなぞっていきます。
ロサンゼルスオリンピック出場の栄光を背負った競輪選手の切ない生き様。
そして世に数多存在する陽の当たらない高校球児の
モラトリアムとブレイクアウトを描ききった傑作です。僕がこの舞台で象徴的だと思ったのが「たまきちゃん」
決して美しいボディラインの所為でもちらりと見えたおヘソの所為でもなく
ふと現れる細身のこの天使こそがみんなの「忘れ物」
(これは僕自身の勝手な解釈ですので・・)
純粋さだったり、夢だったり、憧れだったり、恥ずかしさだったり。
僕らすべての人が持ち合わせていたものの象徴が「たまきちゃん」
ではなかったのかと思います。
いつしか時間と共に失っていた僕らの中の「たまきちゃん」を
如何に取り戻すのか、如何に消化するのか
これこそがメインテーマではないかと勝手に解釈した次第です。講談師の方3人と園田・姫路競馬実況アナウンサーとモデルさん。
それぞれの出演者を解説していきますと・・
主演でありこの劇団の座長・・旭堂南太平洋さん
不慣れなダンスのシーンも無難にこなしていました。
額に汗して、ほとばしるような台詞の数々、はじけていて気持ちよかったです。旭堂南陽さん・・競輪選手のシャツとスパッツ(って言わないの?)で
ギャンブルレーサーの関優勝を思い出してしまったのは僕だけですか?
エロチカ7、最高でした。旭堂小二三さん・・女性講談師の方です。キレた演技に惚れ惚れしました。
生の舞台で狂気を演じることが出来る強さ、体全体からにじむオーラ。
僕は「ファウルチップ!」の手の仕草が大好きです。斉藤みゆさん・・たまきちゃん。最初のダンス「翼の折れたエンジェル」でしたっけ?
で見せるターンがバレエをしていた人のそれ。「この人がこの舞台のエースだ!」
と注目していたのですがなかなか出てこない・・可愛かったです、萌え(w竹之上次男さん・・圧巻なのは冒頭からぶちかまされる長回し!
で、この人がストライクマン「ひょうどう」なる青春の語り部。
この人の台詞は聞いていて心地がいい。競馬実況アナウンサーですから
その節回しが僕の体内リズムにきっと合っているのだと思います。入場時に乗峯氏にチケットを直接もぎってもらいましたが
ちょっと目が泳ぎ気味のように思いました。初対面でなんですけど・・
その隣におられたのが乗峯氏の奥様と舞台終了後に鼻男さんから
メールで知らされて「あの方がアイアンワイフか・・」と感慨深かったです。舞台終了後に乗峯氏と握手できて感激!
とにかく祝福の人だかりでその場を離れてしまいましたが
終始笑顔ながらも恥ずかしそうにしている乗峯氏に親近感が湧きました。本当は愚妻と一緒に観劇する予定だったのですが子供が熱を出してしまい
急遽、僕一人での観劇になってしまいました。
チケットをペアでいただいていたにも関わらず無駄にしてしまいました。
申し訳ないです。
この劇団の公演が第2回、第3回と続いていくことを期待して止みません。
次はきちんとチケット買って行きますから・・
平成17年1月29日 posi_fool
乗峯栄一作品全般に流れている普遍的テーマである(というより氏が好んで発表したがる)動物のセックス、意味不明な職種といったあたりがふんだんに散りばめられていて競馬以外の新作を待ちわびていた(失礼)私にとって興味深く拝見させていただいた。
バッティングセンターならぬアンパイアセンター、隠れキリシタン予想屋、自転車修理出前男、二万円でいらわす女、220kgのライオンと80kgのヒョウとのあいのこ「レオポン」人生の「表」で生きている人間たちではなく「裏」で不器用に生きている人間たちを描いてきた氏の作品らしい内容だった、私が以前インドのデリーに行ったときに遭遇した「熊と相撲する男」「自転車のチューブだけ売ってる店」「100ルピーでええと言って呼び込むオバハン、実はそのオバハンがお相手する女郎屋」を思い出した、その時感じたのは戦後日本がこんなんじゃなかったのかな、と。
何しでかしてでも生きていくという商い魂、今の時代にレオポン、ライガーなんかあったら動物愛護団体が黙っていないだろうが、そんなものにかまってられる余裕なんぞ無い時代であり、関西人独特のおもろうて儲ける商いのスタンスが生んだアイディア商品だった。
高度経済成長期でありながら戦後の胡散臭さを併せ持っていた大阪。レオポンが去ったときと大阪の胡散臭さが消えたときとは、ほぼ同時期じゃないか。「ストライクマン」はそんな時代背景に少年期を過ごした私にはノスタルジーを感じさせる作品となった。
「ストライクマン」これを見るのにウェイティング・バーでワインは似合わない、べちょべちょの都こんぶがいい。
平成17年1月31日大河内
土、日で完読しました。感動でした。おかげで土日で計8レースほど馬券を買って全敗し、落ち込んでいたボクの心は癒されました。
文章にも感動しましたが、ボクが一番感動したのは本の帯に書いてある「栄光コレクション」の10万馬券コピーでした。
確かこの馬券ボクが昨年JC検討会後の飲み会にお邪魔させていただいたときに見せてもらった記憶があります。
みなさんが飲み会で盛り上がっている真っ最中に先生が突然なんの脈絡もなく
「大穴自慢大会をしよう!」
などと言いだし、いの一番にこのマルブツフォード馬券を提示してました。
その光景を先生の隣の席で見ていたボクは
(十年ぐらい前の馬券のコピーをいつも肌身離さず所持し、しかも人に自慢するとは、なんて無邪気で憎めない人なんだろう)
と感動しました。10年前の馬券を今でも自慢するという大人げのなさがボクのツボにきました。
あまりの感動に家に帰ってから別冊宝島シリーズの「万馬券が出た!」という本の216ページ目の文を食い入るように読みました。
そんなボクが感動した馬券がついに全国に公開されました。感無量です。
それともうスポニチに連載して10年が経つんですね。先生も最初の頃のように誰も知らない栗東の厩舎を訪れるというドキドキ感がもう無いのではないでしょうか?
「心中」の金鯱賞のコラムを見てふと思いました。
【このパターンがもう5年は続いている】という文があります。
いけません。ワンパターンになっては!
そこでボクは考えました。朝4時に起きて栗東に向かうのではなく、夕方4時に出発して美浦に向かってはいかがでしょう?
先生は調教を見ても解らんと書いてますが、それは栗東の調教だからかもしれません。きっと美浦の調教なら馬の状態を完全に見極めて馬券が毎週的中するのではないでしょうか。
期待しています。
2002年5月20日(月)にしむらまさひろ
そよ子と申します。よそのそよ子です。今日も、覗いてみましたらこのページがあったので、嬉しくなっちゃいました。そよ子が好んで読む本というと、眼を閉じて白いキャンパスに、その情景を、空の色、遊歩道に植えてある樹その葉の表、裏の色の違い、木漏れ日とか絵に画けるような叙情的なもの。
乗峯さんは、どんなものを書かれる方?小説を楽しみにしておりました。
「頬に風花、胸に修羅」
そよ子の手に、読んでみた。
妙に気持ちが昂揚して、うふっ・・涙がでちゃった。今、この時も同じで身体が熱くなります。
文章は、理屈ぽっいのできらいです。
そよ子には、男の人(子)ってこんなんなん?!と勉強してしまいました。
でも・・・この本が一番すきです。
そよ子は、耳・心 という字がきらいです。くっ付けると(はじ)という字。
はずかしいと読みますよね。
この言葉を発するとき、とても勇気がいります。
ある女性が、「なにわ忠臣蔵伝説」をよんで、
「あれいやらしいも〜ん」・「はずかしいわぁ」と、・・・ウン女性ならみんなそう思うのかなぁ。そう言わんといけないの?その方が女らしいのかしらと、考えてしまったのです。
そよ子は、ああいやらし!とは言えるけれど、はずかしいとやっぱり言えないのです。
この言葉、勇気がいるのです。
この小説には、人間(男のひと)のそのままが、耳・心のところがありますよねぇ。
冴えない男のひと、お金儲けもへた、うだつの上がらない?人は、耳・心をもっているのよね。そよ子もネ。そんなの書いてる小説家が、ここにいらっしゃる。乗峯さんが、本懐を遂げられたとき変わるのでしょうか。小説もお人柄も全く違うものになっちゃうのかなぁいえ、もう遂げられていらっしゃるのかも・・・次の小説を心待ちにしている そよ子です。2000年10月21日 そよ子
損師作品、読みました。
「なにわ忠臣蔵伝説」と「頬に風花 胸に修羅」の2冊。
かなり面白かったです。
特に「頬に風花 胸に修羅」は、高校時代に読んだ「九月の空」(高橋三千綱)のようにキレがよく、爽やかな気持ちがしました。
そういえば僕も昔(僕の場合は中学時代)、特定の友人とよく意味も理解していない情報を披瀝しあって悦に入っていたものでした。
弁当箱を取り違えた翌日の日曜日、正午に二人の家のほぼ中間地点に位置する丘の見晴らしで待ち合わせ、そのまま夕方まで天皇制やら憲法やら資源問題やら女の子のことやらを、互いに威嚇しあうがごとく続けた議論という「だべり」などを思い出しました。
我が家は関東圏なので、残念ながらスポニチ《関西版》をリアルタイムで読むことは出来ません。ですが、あのような少年時代を送った(可能性のある)ヒトのコラムなら、ちょっとムリしても読んでもいいかな。
かくなる上は、紹介してくれた鼻男氏に、僕からも何か奨めねばなるまい。となれば、やはり彼、保坂和志しかいないだろう。芥川賞作家のワリに、著作も知名度も少ないし。ということで、鼻男氏には是非とも保坂和志氏の著作を読んでもらいたい。できれば処女作の「プレーンソング」から。
2000年10月5日 愚。
僕は幼いときから、この世に生まれてしゃべり始めた時から、「話にはオチを」と義務付けられ (ニュースや天気予報にも笑いやオチが要求される)、小学校に入るとまず「ボケとツッコミ」を教えられ(これを会得しないと友達も出来ない)、通信簿などの人物評価も「勉強が出来る」とか「スポーツが得意」じゃなく「おもろいか、おもろないか」で決められ(「おまえ最近おもろないな」など決して軽々しく言ってはいけない。言われたほうはガンの宣告を受けたがごとく青ざめ自殺をも考える)、「へん」だとか「かわってる」と言われる事に誇りすら感じ(個性的かつ魅力的だと思いこむ)、 自分自身や身内の不幸や恥ずかしい事も笑いのネタが出来たとひそかに喜びに震え方々の高座で披露し、受けると自虐的な快感におぼれ(関西人はマゾが多い総理府調べ)、美男美女は「なんでもっと笑いの取れる顔に」と両親に殺意に似た感情すら抱く(僕はこれで暗い青春時代を送った。 これはウソ)、こんな関西人がどうしても好きになれませんでした。
そして「僕だけは違うんだ」とおもっておりました。
でもだからといって大塩平八郎のように世間の変革を求めて行動したり、横山ノックのように 関西の、いや大阪の地位向上のためにわが身を犠牲に出来ると言った人間ではありませんでした。(でも周りに言わせるとぼくも名刺交換するまでもなく紛れも無く典型的な関西人だそうです)
損師の小説にせよコラムにせよ著作を拝読するといつもなぜか気恥ずかしさを感じてしまう。
めちゃくちゃ陳腐で、使い古されている言い方でほとほと自分の表現能力の無さに嫌気がさすんですがじぶんにもあった「若さ」と言うか、「青さ」と言うか。
「またそんなことにムキになって1円の得にもならんのに」とか「なんでそんなにおこってるん。 なんか私悪いこと言った」とか言われた時のような。
「みたんか。おまえみたんか。何時何分何曜日!」とか「おまえ**が死ねゆうたら死ぬんか」と逆上した時のような。
「頬に風花、胸に修羅」も悲しいくらい自分の恥部をわし掴みされたような気がしました。(これから読まれる方の為に内容については避けておきますが)
個人的には「老朽アパートの話」の居たたまれない息苦しい人間関係が好きです。
2000年8月29日(火) 匠
週末に「なにわ忠臣蔵伝説」が入荷になり先ほど読了しました。
面白かったです。
にょろ(妻)が読む前に拉致しましたー。(^^ゞ
P88の「山小屋に生えてるシメジみたい…」と書かれているようにしみったれてた講釈師一門の個性が浮き彫りになり、人間臭く少し切ないけどニヤリと笑える作品でした。
口上、語り口が面白いですねー。
視点がすごいのかも。
「仮に円錐は、横から見たら三角やけど、上から見たら丸やでー。」的な。
馬券はずしても、「本懐の為、あえてはずしました…」って言うんかなー(^^ゞ
ところで炉端焼き屋「勘平」は実在するのでしょうか?地方在住なんで大阪よーわからんのですー。
2000年9月25日 コテ
僕は安い舌だ。俗に言う貧乏舌だ。
仕事で極々たまにいわゆる良い所に連れて行ってもらう事がある。(くだんの社長さんもグルメ?で色々とご馳走になった)
しかしそういう所で食べた物で心の底から「うまい」と思った事は一度もない。
よく「接待では食べた気がしない」と言われるが末席の僕はそんな気遣いもせいぜい宴会の始めのうちだけで、途中からは充分に食事を楽しめるぐらいの気楽な身分だ。(だからかあまりお呼びが掛からない)
しかし自分のお金ではとてもお目にかかれない品々よりも接待のあと深夜でも開いてる場末のこぎたないラーメン屋のラーメンほうが「うまい」と感じる。
そんな僕だがテレビの料理番組はよく見る。
研究とか後学のためではなくただ単にテレビに向かって「つっこむ」ためだけに見るのである。
「そんなええ材料やったらまずく作る方が難しいで」と毒づいたり、
「そんなことするより塩胡椒だけで焼いた方がうまいやろ」と批評したりと、
「味音痴」の自分の事は棚に上げ言いたい放題つっこむ。
横でいっしょに見ている嫁は僕をいやそうな顔で見ながら、
「一度でいいからこんなとこ行ってみたいわー」と暗に「連れて行け」と脅迫する。
ここでうっかり「あっここ行った事あるわ」とか「食った事あるわ」などと言おうものなら、
「いつ?」「どこで?」「だれと?」「どんなんやった?」
とまるで取り調べのように尋問され、
「ひとりだけずるい」
と非難されてしまうので妻の言う事は黙殺する事に決めている。
見ていてよく思うのだが「満漢全席」だの「宮廷料理」だの「老舗料亭の京懐石」だの見て一体何人の人間が共感しながら見ているのだろうかと。
創作料理対決なんか試食している奴らははたしてわかって食ってんるんだろうかと。
そこに梅干を見たときに無意識に唾液が出てくるようなもの感じているのだろうか。
その点「下町の味特集」だの「大阪・うまいもん特集」などは安心して見られる。
うまいって言ってもここだけの味って言っても出てくるのは肉じゃがとかお好み焼きやたこ焼きなのだから。
損師の著作はリアリティに溢れた、ニオイのするものである。
それはまるで梅雨時の満員電車の中で四方を脂ぎったオヤジに囲まれた時のような息苦しさ。
彼女との電話をおかんに聞かれていたときのようないたたまれなさ。
居酒屋で枝豆を口に入れたらひと食ったあとのカスだった時のようなせつなさ。
女の先生を「お母さん」と呼んでしまった時のような気恥ずかしさ。
一番早く出てくるだろうと頼んだ料理がみんなが食べ終わった頃運ばれてきた時のようなやるせなさ。
鼻をかんだあとのチリ紙を広げてみる時のようなときめき。
歯にはさまって爪楊枝を使っても取れなかったモヤシを舌でとった時のような達成感。
そしてそれをまた奥歯で咀嚼した時のような充実感。
散らかった机の上のものをとりあえず積み上げて平面部分が出来た事で「片付いた」と思ってしまった時のような爽快感。
だれもが経験した、またするであろうあの日(かの日)の風を感じる事が出来る作品集である。
2000年10月19日 匠