「このホームページを立ち上げた理由」

本文は、このホームページを立ち上げた当初に前文として書いておりましたものです。「ホームページを立ち上げた理由」として書いておりました。今でもこの思いは何ら変わりありませんので、このまま載せておくことにしました。今では「このホームページを続けていく理由」としてお読みになられても構いません。


僕が競馬を始めたのは人よりだいぶ遅かった。
最初に意識して見たクラシックレースがビワハヤヒデの勝った菊花賞だった。だから僕はいまだに一番強い馬はビワハヤヒデだと思っている。その年の有馬記念でトウカイテイオーに負けた。その時僕はとても悔しかった。テイオー復活とか言われても、僕はそんな馬は全然知らなかったので何も感動しなかった。
年齢が高くなってから知った女遊びや博打は「危ない」と言われているが、僕が競馬を始めたのはその危ない時期だと思われる30歳だった。
でも僕はそれは嘘だと思っている。
若いうちにヤンチャしていたら年取ってからの遊び方を知っているが、それまでマジメ(このマジメという言い方も大嫌いだ)に生きてきた奴は年取ってから覚える遊びは危ない、という論理は何の根拠があって言うているのかサッパリわからない。ヤンキー風の人が20歳ぐらいで「もうやるだけの事はやったし、これからはこいつら(女房と子供)のためにバシっと生きるんや」とかよく言う。やるだけの事って何やろう。シンナー吸った事がやるだけの事か。人を殴った事がやるだけの事?女とやりまくる事がやるだけの事?全部、何の努力もせんとできる事ばかりやん。数学で100点を一回取ってから「あんな点数に縛られたくない」と言えば格好いいけど、100点取る努力を最初から放棄して「縛られたくない」というのは少し格好悪い。そして努力もしなくていいような事、例えばシンナーを吸うような事をして「やるだけの事」というのは少し変ではないか。そういう人達が好んで使うフレーズが「年取ってから覚える遊びは危ない」なのだ。自分達がいかに若い頃「悪かった」かを言いたいための前置詞みたいなフレーズなのだ。だから信用していない。「悪い奴らはだいたい友達」とラップ風に歌う人も居るけど、こういうノリなのだ。訳がわからず歌っていて、聞いている側も少し憧れを持って聞いてしまう。違うのだ。こう歌われた場合は、悪い奴らってどの程度悪い奴らなのだ、と聞き返す余裕が欲しい。サリン撒くような悪い奴も友達なのか。小学生を無差別に殺すような人も友達なのか。人殺し以外で悪い事をするやつは友達という意味なのか。そうするとキセル乗車的なしょうもない悪さをするサラリーマンも友達なのか。問い返そう。
話がずれてしまった。
少し戻します。
小さい頃は親父に連れられてよく淀競馬場へ行った。
親父は博打好きで競馬よりも本当は競輪、競艇の方が好きらしい。
まあそれがある意味反面教師となって、息子の僕は博打はあまりやらない男として成人してしまったのかもしれない。パチンコも就職して少しやったがすぐ飽きた。じっとあの盤面を見つめているのがしんどかった。お尻も痛いし。お金もどんどん無くなるし。
そんな僕が何故競馬だけは好きになったのか。
<ある日、職場の友人に連れられて競馬場へ行き、たまたま買った誕生日の数字を適当に組み合わせた馬券が万馬券となりビギナーズラックが忘れられずズルズルとバクチにのめり込んだ。>
というきっかけなら非常にわかりやすいのだが、違うのだ。
実は「ウィニングポスト」というパソコンゲームがきっかけなのだ。
ウイニングポストはおもしろかった。
自分が馬主になり、調教師へ馬へ預けて、そしていろいろなレースへ出していき、さらに上を目指して、というようなゲームで競馬を知らなくてもおもしろかった。そして競馬用語なども自然にそのゲームの中で覚えていった。
その結果、どうなったかというと、
「本物が見たい。生が見たい。」
と思ってしまったのだ。
ビニ本やアダルトビデオでいろいろと楽しんでいるうちに、最終的には、
「本物が見たい。生に接したい。」
となるのと同じだ。
違うか。
まあいい。とりあえず競馬そのものに興味を抱いてしまったのだ。
バクチ性よりも馬が実際に走るのを見たくなったのだ。
よく考えると京都競馬場は電車で1時間もかからないところにある。
その週にすぐ行った。
行ってみて気がついた。
馬券が買えるのだ。
当たったら増えるかもしれないのだ。
でも何を買ったら良いかわからない。
「ここはビギナーズラックだ!」
と閃いた。
初心者はあまりデータとかで予想するよりも、競馬にすれていないだけに何も知らないものの強みで素人独特の視点、感覚で馬券を買った方が当たるという。それがビギナーズラックらしい。プロがびっくりするような馬券ほど当たると言われている。そしてその時だけめちゃくちゃ儲かって競馬がやめられなくなる人もいるらしいのだ。
僕は適当に好きな馬、好きな数字を買ったりした。
でも、ひとっつも当たらなかった。
ビギナーズラックというのは嘘だ。
この世の中にそんな都合のいいものは無いのだ。
もしあるのなら、毎週競馬を知らない奴をとっかえひっかえ連れていきそいつの言う通り買えば儲かる事になる。
まあいい。ビギナーズ損をしたけれど、競馬はおもしろかった。
そのうちだんだん馬の名前を覚えていき、いつのまにか普通に競馬を楽しめるようになった。

僕は本好きだ。
だいたい週に1冊は必ず読む。
通勤電車で読む。
週に2冊読む時もある。
ジャンルは何でも読む。
通勤電車以外ではあまり読まない。
だからそんなに活字中毒でもない。
でも電車に乗っている間は活字を読んでいないとイライラする。
そういう意味では活字中毒だ。
電車内限定活字中毒の僕が競馬が好きになった。
ジャンルの幅が広がったのだ。
今までに有名作家の競馬本は一応は読んでいた。
宮本輝の「優駿」とか寺山修司の一連の競馬エッセイやディックフランシスの競馬ミステリーは大好きだった。ディックフランシスのは競馬ミステリーとか言うていながらあまり競馬そのものは関係なかった。どちらかというとハードボイルドっぽい感じで楽しめた。優駿はとても興奮するほどおもしろかった。映画はひどかったが。寺山修司のエッセイは何か悲しい話が多かったが専門的な知識がなくてもおもしろかった。
しかし、これらは一般的に知られている有名な本ばかりだ。
競馬を知らない人でも楽しめる本だ。
ところが僕は競馬を知っているのだ。
競馬の世界でおもしろいと言われている本を楽しむ事ができるのだ。
これは嬉しい。
競馬関係の本を漁り出した。
ワクワクしていろいろと読み始めたのだが少々がっかりした。
特にお笑いを指向しているエッセイなどで笑えた本はあまり無かった。
タレントやアナウンサーなどが書くエッセイなどの方が馬に対する思い入れがこちらに伝わってくる分読んでいてまだマシだった。
笑えたのは井崎修五郎氏の本ぐらいだった。

まあだいたい諦めていた頃にスポーツニッポンという新聞を買った。
競馬欄に連載されているコラムを何気なく読んだ。
笑ってしまった。
あれ?たかがスポーツ新聞のコラムで笑うなんで初めてだ。
これは何だー?
「乗峯栄一の賭け」
というコラムだった。
乗峯栄一という作家が書いた競馬コラムだった。
競馬ライターが書いた競馬コラムとは全然違ってた。
「競馬関係で生きてきた人が書いた文章」

「本職の作家が書いた文章」
の違いが圧倒的に際だっていた。光っていた。
僕はこういう人を探していたのだった。

昔、MTVが流行り始めた頃、マイケルジャクソンが「スリラー」を撮った。
そのビデオを撮った監督が映画畑から来たジョンランディスという人で、放送されたミュージックビデオは評判になった。まあお金もふんだんに使ったのだろうが、ジョンランディスは映画を撮る感覚で普通に撮影して普通に編集しただけなのに、今までのミュージックビデオとはクオリティが違っていたのだ。本職にはかなわないのだ、とその時はおもった。今は逆にMTVから映画へ進出したりしているのでそんなに差は無いと思うが。
何を言いたいかと言えば、乗峯栄一はジョンランディスなのだ。
競馬の世界で、本職の作家がコラムを書いてしまったのだ。
誰もかなわない。

それ以降このコラムを読みたいがためにスポーツニッポンを買うようになった。
120円でこのコラムが読めて馬柱もあるのなら安いもんだ。
そしてスポニチファンとなってしまった。
他の人のコラムも他のスポーツ新聞よりレベルが高い事に気づいた。
スポーツでも何でも一人の巨大な才能が出ると、どんどん他のレベルも上がってくるという。
たぶんそれと同じ現象が起こったのだろう。
競馬コラム以外にも本が読みたくなり、本屋を探した。
しかし本屋ではあまり売ってなかった。
取り寄せた。
探しているうちに小説やエッセイが出版されたりした。
競馬と関係ない小説も文句無しにおもしろかった。

しかし競馬関係以外の人にあまり知られていない。

競馬やっている人間なら読んだ事のある人は居るだろうと周りの競馬好きに聞いてみると、、
「ノリミネー?ああスポニチに書いてる奴やろ?
 知ってるで。でもあれは穴狙いで全然当たらんでー」
という事で終わった。
愕然とした。
本を読んだものはいなかったのだ。

競馬ファンに乗峯栄一の需要はあまり無いのじゃないかなー、とここで気がついた。

競馬好き本好きには僕のように熱狂的ファンが居るのだが。
(たぶん居ると思う。この前のサイン会の時も20人以上は居た。)

だから競馬好きよりも、本好き、活字中毒にターゲットをしぼった方が良いと思う。

乗峯栄一という人の本がおもしろい、とまだ気づいていない人が多い。
本好きの人で知らない人がまだまだ居るのでは無いか。
乗峯栄一の本を読んだ事が無い通勤活字中毒者は多いとみた。
これを本好きの人、活字ファンにも伝えたい。
文庫化を待っていてはいつになるかわからない。(す、すいません。)
この人を埋もれさせては日本文化の損失だ。
エルコンドルパサーが地方競馬でしか走っていないようなものだ。世界で戦える才能なのに勿体ないのだ。
それにイチ読者として、競馬関係以外の小説、エッセイも読みたい。もっともっと。
それにはもっともっと売れて沢山本を書かれるようになったらいいのになぁ。

長くなりましたが、そういう思いでこのページを立ち上げました。

(乗峯栄一氏のイチファンである鼻男)