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『わたしが女になった日』
When I became a woman
2000年/イラン/35mm/カラー/78分

監督:マルズィエ・メシュキニ 脚本:モフセン・マフマルバフ 
出演:ファテメ・チェラズ・アザル、シャブナム・トルーイ、アズィゼ・セッディギ

わたしが女になった日

 マフマルバフ一家の第3の刺客マルズィエ・メシュキニのデビュー作は、3つのエピソードで女の一生を描くなかなかの力作だ。

レビュー

『私が女になった日』は、『カンダハール』のモフセン・マフマルバフの妻マルズィエ・メシュキニのデビュー作である。脚本をマフマルバフが担当しており、かなりサポートもしていると思われるので、彼女自身の力量は正直言ってよくわからなかったが、作品自体はかなりの面白さだ。大阪での上映はもうほとんど終わってしまったが、やっている劇場があれば迷わず行った方がいい。特に女性の方に見てほしい作品だ。これは、以前に公開された『キシュ島の物語』と同じ島を舞台に、少女、熟年女、老婆のそれぞれを主人公に三つのエピソードで描くオムニバス映画で、しかも三つの挿話は、「朝は4本足、昼は2本足、夕方には3本足になる動物はなにか」とオイディプスに問いかけるスフィンクスの謎にあわせるかのように、朝、昼、夕という順番で同じ一日を描く構成になっている(したがって、この場合オイディプスの答えは「人間」ではなく「女」でなければならない)。

第1話「ハッワ」では、ひとりの少女が大人の女になる瞬間が描かれるのだが、9歳の誕生日を迎えると同時に女の子は髪をベシャールで隠して人目に触れないようにしなければならず、昨日まで毎日遊んでいた男の子との交際も禁じられるというイスラムの厳しい風習において、それは成熟と呼ぶにはあまりにも理不尽なものであり、その強いられた理不尽な成熟までの残された時間を、刻々と短くなって行く日時計の影の長さで表現するというアイデアが実にまた天才的なのだ。こういうテーマを描いた作品は数多いが、その最高の一本といってもいいだろう。海岸でドラム缶を浮かべる子供たちがなにげに描かれているのが、実は第3話の伏線となっているのもなかなか巧みである。

第2話「アフー」はうってかわって女たちだけの自転車競争を描く、イラン映画らしからぬアクション映画。海岸沿いの道を数十人の女たちがすごい勢いで自転車をこぎながら走っている。いちおう女だからみんな全身を黒い衣装で覆って髪を隠しているのだが、なかにはブルー・ジーンズをはいているものもいるし、ウォークマンを聴きながら自転車をこいでいるものもいる。これが本当にイランなのかと思う光景だ。もちろん、こういうのを見て眉をひそめる男たちは多いわけで、そんなモダンな女たちのひとりアフーの夫が馬に乗って彼女を追いかけてきて、今すぐ自転車を降りなければおまえを離縁すると迫るところから映画は一挙に緊迫する。最初は夫だけだったのが、やがて親戚一同、関係のない村長までが馬に乗って追っかけてきて、アフーに向かって「それは自転車じゃない、悪魔の乗り物だ」などといって彼女を止めさせようとするのが笑わせる(が、笑っていられないほど苦い結末が最後に待っているのだった)。

どうあっても自転車をかたくなに止めようとしないアフーを演ずる女優がどこかしら田中真紀子に似ていて、思わず「真紀子がんばれ」と叫びそうになる。馬に乗った男たち(=伝統に乗っかった男性)と自分の力で自転車をこぐ女たち(=自立する女性)というのはメタファーとしてちょっと分かり良すぎるか、と思ったりもするが、そんなことを考える暇もないほど画面は躍動感に満ち、まさに活劇を見たという気分になる一編だった。

最後の第3話「フーラ」は、偶然莫大な遺産が手に入ったからと都会のショッピング・センターでつぎつぎと買い物をする老婆と、それを手助けする子供たちとの交流を描く。彼女が買うダブルベッドや冷蔵庫や家具はどう見ても花嫁道具のそれであり、それが砂浜にずらりと並べられるというのも実にシュールだ。老婆は自分のかなわなかった恋のことを語り、この買い物は自分へのプレゼントなのだという。彼女は買い忘れのないようにと両手の指に紐を結び、品物をひとつ買うたびにその紐をはずしてゆくのだが、最後まで残った一本の紐がどの品物のしるしだったのかがついに思い出せない。それはひょっとして、彼女がほしがった子供(=再生)を表しているのだろうか。彼女は買った家具をぜんぶ筏に乗せてどこともしれず沖へとこぎ出してゆく。その姿はまさに「死の花嫁」といったところだ。そして、筏の上に乗って沖に漂う老婆の姿を海岸から見ている人々のなかには、第1話の少女ハッワも混じっているのだった。老婆が海岸で話をする女たちの口から、第2話のアフーが結局男たちを振り切って、完走したことも知れる。こうして三つのエピソードは第3話に至って緩やかに結びつき、古いものと新しいもの、自由と抑圧、生と死が混在するイランの今を象徴するようにして映画は終わる。

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