Movie Review 1999
◇Movie Index

25年目のキス('99アメリカ)-Jun 26.1999
[STORY]
25歳のジョシー(ドリュー・バリモア)は、頭はいいけど地味な新聞社のコピーエディター。ある時、高校の潜入取材に抜擢されて張り切るジョシーだったが、10代の悲惨な高校生活を思い出して落ち込む。そこで弟のロブ(デビッド・アークエット)も高校生になりすましてジョシーを助ける。そのおかげで徐々に人気者になっていった。
監督ラジャ・ゴズネル(『ホームアローン3』)
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全体的には楽しいラブコメなんだけど、ジョシーの可哀相な高校時代シーンは見てて辛かった。それがあるから後半が活きてくるわけなんだけど、早く終わってくれないかなぁと思った。それは下品で汚らしいからヤだと思う気持ちもあったし、自分の中学時代を思い出す所為もある。

私が中学1年だった時にも、やっぱりジョシーみたいな子がいて、自然と標的にされていた。少しでも庇おうものならこっちまで標的にされる始末。今思えば幼稚なイジメだし、そういうことをしてた子達も大したことない。映画の子たちと一緒で、いじめたり悪口を言ったりすることで自分が優位に立ちたいだけだったのだ。
(逆に高校は進学校で、私以外はみんな勉強もできて性格的にも聡明だったので、人に干渉する暇があったら自分を磨くね、という感じだったなぁ。私はぼーーっとしすぎてさらに頭悪くなりましたが(笑))

そんなちょっと嫌な中学時代の思い出があるせいか、ドリちゃんのトラウマとも呼べる経験を見て腹が立ってしょうがなかった。早くこんな子たちをギャフンと言わせてやれっ!って。が、それを克服して人気者となった時の明るさに救われ、さらに人気が出ても同じような目に遭っている子を忘れない優しさにちょっと涙した。先生に恋をしてシェイクスピアを読み上げるシーンなんてすごく可愛い。可愛くなったとはいっても、どこか垢抜けない田舎っぽいところ(失礼)がまたいいんだね。

いっやぁ〜でも『ウェディング・シンガー』などでもムチムチ度が高かったドリちゃんだったけど、今回さらにウェイトが・・・いや、役作りだろう。眉毛が薄すぎてちょっと怖いのも役作りでしょう(何かもう無理矢理)
また『デッドマンズ・カーブ』で大学院進学が決まったミシェル“今回は草刈正雄度低し”バルタンがみごと教師になって帰ってきたわけで、めでたしめでたし(さらに無理矢理纏めてみた)
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メイド・イン・ホンコン('97香港)-Jun 23.1999
[STORY]
アパートに母と2人暮らしのチャウ(サム・リー)は取りたて屋の手伝いをしながらぶらぶらしている。ある日、弟分のロンが飛び降り自殺した少女の遺書を持ってくる。その日からチャウは嫌な夢を見るようになる。また、取りたてに行った先の少女ペンに恋をするが、彼女は重い病気にかかっていた。
監督&脚本フルーツ・チャン(初監督作)
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こういうタイプの映画はそれほど好きじゃない。共感できないし得るものもないし(笑)と言いつつもけっこう見てるのでホントはかなり好きなのかも(どっちだよ)
この映画を見た劇場でもレイトで『トレインスポッティング』を同時上映してるし、『憎しみ』と比較されたりもしてるけど、両作品とも惑うにはトウの立ちすぎた兄ちゃんたちが出演してるので「イイ歳して何やってるんだ」と思うんだけど、この映画の場合はホントに若い子(しかも素人)ばかり。子供とも大人ともつかない微妙な年頃の子たちが自殺したり取りたて屋の手伝いをして、それぞれが死に急いでいる。

最初の話に戻るけど、何で私がこのタイプの映画が好きじゃないかというと、これを見て「カッコイイ!」と真似するような子たちがいるかもしれないと思うからだ。ファッションなら真似しても構わない、でも行動を真似して欲しくない。映画を見て銃を乱射する子もいれば、ドラマを見てナイフを持つ子もいる。そりゃあ影響されちゃう子のほうが悪いに決まってる。製作サイドだって「こんな生き方を見習え!」と勧めてるわけじゃない。でもカッコ良く作り過ぎるのは良くない。『トレスポ』なんかはカッコ良くもあったけどカッコ悪くもあり、無様な姿を晒したりしていた。この作品はちょっとカッコつけた上に「死」が絡んできてるので心配になってしまった<こういう風に思うってことは私がオバサンなんだろーか(悩)
テーマとしてはとにかく「死」がつきまとっているが、親と子の関係、中国返還の問題も見落とすわけにはいかない。

『メイド・イン・ホンコン』というタイトルのわりに香港らしくないところが随所に見られる。むしろ日本ぽいかな。チャウの住んでるのが老朽化した公団住宅に見えるし、学校も日本かと思った(しかも生徒がブルマー姿(笑))サム・リーなんて渋谷にいそうだもんね。また『レオン』や『ナチュラルボーンキラーズ』『アイダホ』のポスターが貼ってあったり。1番笑えるのが「ぶーりん」のぬいぐるみでしょう(笑)

ちなみにこの作品はアンディ・ラウがプロデューサーやってます。
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ギャルソンヌ('99フランス)-Jun 13.1999〔未公開〕
[STORY]
騎手で種馬飼育場を経営するフレデリック(ヴァレリー・ルメルシエ)は、亡くなった母からは何も伝えられていなかったが、親戚からの手紙で自分の父親の存在を知る。しかし探し当てた父ピエール(クロード・リッシュ)はホモセクシャルで、医者のフランシスと同棲していた。フレデリックは男装して「息子」としてピエールに会うことにするが・・・。
監督&脚本もヴァレリー・ルメルシエ(『カドリーユ』も監督と主演)
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ルメルシエは相良直美顔だ!つーかエドワード・ノートン顔でもある(笑)というのが1番の感想(それが1番かよっ)
なーんて、のっけからごめんね(笑)フランス映画祭最終日。レポートはこちら

子供まで作っておきながら実は同性愛に目覚めてしまったという話はその前に見た『ベル・ママン』も同じ。だけどピエールとフランシスがあんまり同性愛に見えなかった。2人のラブシーンはおろかキスもしないところだからかな(ま、やられても気持ち悪いけど)

また、同じ同性愛でも何となく自分達と他を分けてるような気がする。フレデリックがうっかり女性の姿に戻っているところをピエールに見られてしまうと「女装するようなヤツは許さん!」とピエールが激怒する。何で?(笑)ホモセクシャルはOKでもオカマちゃんはダメなの?だって家政婦(?)さんは女装のオカマちゃんなのに、自分の息子はそれが許せないの?そこらへんの理屈はよく分かんないんだけど、これはなかなかに面白いシーンだ。「ほほぉ」と妙に感心してしまった。何かこだわりでもあるのかな。

最初にも書いたけど、男装したルメルシエは相良直美というかエドワード・ノートンだったけど可愛いかった。女性な時よりも10歳くらい若返って見えたしね。ホント少年みたい。むりやり立ちションするシーンに大爆笑!これは仏版ポスターにも使われてるけど(コレ)名シーンと言っていいんじゃないかな。

でも「ホントは女なのにっ!」とか「バレそうっ!」っていうハラハラする面白さが、これだけというのがちょっと物足りなかった。使い古されてはいるけれど、例えば女フレデリックと男フレデリックが同時に出なきゃいけないようなシーンを作るとかね(パーティーシーンはそういうシチュエーションにすることも可能だったのでは?)元々この映画の主軸が「女の子が男装する」ということではないから仕方ないのかもしれないけどね。

偏見だったかもしれないけど、監督&脚本&主演を兼ねた女優の作品、という割には、自分を出し過ぎず客観性も併せ持った作品で良かった。
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ベル・ママン('99フランス)-Jun 12.1999〔未公開〕
[STORY]
結婚式の直後、新郎アントワーヌ(ヴァンサン・ランドン)は新婦セヴリーヌ(マティルド・セニエ)の母レア(カトリーヌ・ドヌーヴ)に一目惚れしてしまう。何とかレアに近づこうとするアントワーヌだったが・・・。
監督ガブリエル・アギヨン(『ベダル・ドゥース』)
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フランス映画祭横浜で上映された作品。レポートはこちら

やっぱドヌーヴです(溜息)

元々顔は私の好みじゃないし、皺は多いし、上半身はムチムチして貫禄あるけどやっぱり惹き付けられてしまう。顔や年齢だけじゃないのね。にじみ出る色気と気品と女優オーラ。まさに大輪の花!彼女の娘婿が一目惚れしちゃうのも分かる。娘役のセニエと並ぶとやっぱり華やかなドヌーヴに自然と目が行っちゃうもの(セニエはセニエで私は好きだけど)もっと可憐な女優さんが娘役だったらまたちょっと違ったかもしれないけど、そうなるとこのストーリーは破綻しちゃうから(笑)セニエには悪いけどこれは絶妙なキャスティングだと思う。

今回の仏映画祭で私が見た3本は奇しくもホモセクシャルやレズビアンが必ず登場している。この作品ではレアの母親がレズ、アントワーヌの友達はホモだとカミングアウトしてしまう。フランスでは今そういう映画が流行り?と思っていたら、この映画の中で、少女に淫行した男のことを指して「パリでは今じゃホモばっかりで、女好きの男はやりたい放題なのさ」というようなセリフがあってびっくり。映画だけじゃなくて実際そうなのか?!(笑)なんて思ったり。

でもまぁ好きになった人がたまたま男だったとか女だったとか義母だっただけであって、性別や続柄は関係ないと思う(近親はちょっと・・・だけど)特にこの映画のラストを見るとそう思う(このラストがめっちゃ笑えるんだ!)自由に、思うままに恋愛を人生を謳歌する。それでいいじゃ〜んって軽い気持ちになれる。また恋愛に限らず、枠や規定に囚われない生き方を推進しているようにも思えた。

欲を言えばアントワーヌがレアに惚れちゃった瞬間をもっと劇的にしたり、彼女に近づくためにあの手この手をし尽くす、そういうところをもっと滑稽に見えるくらいやってくれても面白かったのになぁと思った。
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葡萄酒色の人生 ロートレック('98フランス=スペイン)-Jun 10.1999
[STORY]
フランスの名門貴族に産まれたロートレック(レジス・ロワイエ)は、足が不自由で背が伸びない病気だったが、画家としての才能に目覚める。またパリのムーランルージュでは運命の女シュザンヌ(エリザ・ジルベルシュタイン)と出会い恋に落ちるが、次第にそれは破綻していった・・・。
監督ロジェ・プランション(『ルイ、少年王』)
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フランス映画祭初日の最終回。レポートはこちら

ロートレックの絵はそのデザインが好きだ。100年以上も前に描かれた絵なのに全く古くなく、むしろ斬新でお洒落。どちらかというと単純な線を使ってベタッと描いた地味さがあるのに、ものすごく臨場感が伝わってくる。実際にムーランルージュに通い詰め、生の歌声と踊りを見続けてきた人だからこそ描けたんでしょう。また映画にも登場するけど、日本の浮世絵『東海道五十三次』を描いた広重に影響を受けたらしい。

映画を見るまえにそんな予備知識を仕入れておいた。といっても真剣に勉強したんじゃなくて、教育テレビでやってた「新日曜美術館」を見たりしただけなんだけど(笑)でも見といて正解!この映画だけだったら何だか分からなかったと思う。

というのも、とにかくロートレックの生涯、産まれてから死ぬまでを何が何でも全て描こう!と欲張りすぎた結果なんだろう。かえってまとまりが悪くなってしまったらしい。ロートレックとシュザンヌの2人の恋の始まりと終わりだけにクローズアップして、その結果、彼らの描いた絵にどんな影響を及ぼしたか、そういうのが知りたかった。これならテレビ番組のほうがよっぽども面白かったぞー。とにかくロートレックやシュザンヌ、彼らと出会うゴッホなどの内面が伝わらない。何にイラついてるんだろ?何でケンカしてるんだろ?さっぱり分からないっていちいち思う。流れがなくて唐突だから(フランス映画としての唐突さではない)理解できない。ロートレックがボロボロになればなるほど遠い人に感じていってしまった。

しかし撮影はどうやってやったのかな。ロワイエは男性にしては華奢で大きくない人だったけど、ロートレックほど小さいわけじゃない。それをあそこまで小さくそれらしく見せてるのはなかなか凄い(ちょっと違和感はあるけど)撮影裏など聞きたかったけど、上映後のティーチインをパスしてしまったのが悔やまれる(遅かったんだもん)
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