im Wein ist Wahrheit - 16




「ところでオスカー、私、どうしても分からない、理解できないことがあるんだけど」
「なんだ?」
「あんたの、ジュリアスへの態度よ」
 オリヴィエの言葉にオスカーは一瞬目を見開いて、それから、ああそのことかと、鷹揚に頷いた。
「だってそうでしょ? 今夜あんたから聞いた話と、あんたの常日頃のあの人に対する態度と、どうしたって繋がらないわ。口の悪い連中があんたのことを“ジュリアスの犬”って言ってるのはあんたも知ってるでしょ?」
 オリヴィエが言うのに、オスカーは軽い笑い声を上げながら答えた。
「知ってるさ、もちろん。そしておまえもその一人だってこともな」
「……悪かったわね」
 墓穴を掘ったと思いつつ、オリヴィエはグラスに残るワインを呷った。
「オリヴィエ、分かってるだろう、俺は軍人だぜ?」
「……それで?」
 軍人だと、過去形でなく現在形で言い切るオスカーに、オリヴィエは、ああ、やはり、と思った。この男の意識は、守護聖である以前に、まず、軍人なのだと。
「軍に入って一番最初に叩き込まれたのは、命令には絶対服従、決して逆らうな、ってことだった」
 目を細めながら話すオスカーに、オリヴィエは、オスカーとは反対に目を見開いた。
「……もしかして、それだけの理由?」
 ああ、と頷くオスカーに、一体どんな答えが返るものかと身構えていたオリヴィエは、思わず躰の力が抜けてソファにその身を沈み込ませた。
「たった九人だけの同僚、とはいえ、首座であるということは、いわば一番身近な上司とでもいうようなものだからな。だから命令には従う。だがそれだけだ、それ以上のことは、しない。するつもりはない」
 だから自分が自分の意思で軍を使って調べ上げた事実を、命令されたのでもない限り、聞かれたのでもない限り、告げるつもりはないのだと。
「ただ、それはもしかしたら、あの方の命令に背いていることになるのかもしれないと思うこともあるが……」
 瞳を伏せ、少しばかりの苦渋を滲ませて呟くように告げられたその言葉に、オリヴィエは思わず顔を上げた。
 ── あの、方……?
 一体誰のことだ? ジュリアスではない。だが、ジュリアス以外の一体どこの誰が守護聖たるオスカーに命令を下すことができるというのだ。
 ジュリアス以外となれば、他に考えられるのは女王と女王補佐官ということになるが、オスカーの言葉から察するに、それもありえないだろう。
「あの方、って……誰のこと?」
 オリヴィエの顔を真っ直ぐに見返しながらも、その人物のことを思い返してでもいるのだろう、オスカーは口元に微かに笑みを浮かべながら答えた。
「俺の憧れで、もっとも尊敬する方だ。国では英雄と謳われていた。亡くなった父の親友で、俺のことを、父の息子なら自分にとっても息子のようなものだと言ってくださった。その方に言われた。今でもはっきり覚えてる。
『これより聖地に赴き、守護聖として女王陛下に仕えよ。その(サクリア)尽きるその時まで』
 ── と。それから、息災でと、俺が無事に務めをを果たすことができるよう祈っていると、そう言って抱き締めて下さった。ヘルベルト・クールマン元帥── 俺の母国、ザルービナ共和国の総司令官だ。その元帥の言葉と、ゲンシャー大将やフランツの存在が無かったら、現在(いま)の俺はない。ただ在るだけの存在に成り果てていただろう」
 言いながら、オスカーはじっと自分の両の手を見つめた。
「……俺の今の軍での地位は、実力で得たものじゃない。守護聖であるというそれだけで、与えられたものだ」
 そう言って、思い切りグッと拳を握り締める。
 それは与えられるのではなく、自分の力で、自分の位置を、地位を確立したかったのだと、そう叫んでいるようにオリヴィエには感じられた。
「あのお二人に比べたら、俺なんざ足元にもおよばない。それはよく分かってる。だが少しでもお二人に近づきたい、あんなふうになりたいと、そう思ってる。……叶うことのない(のぞ)みだと、そんな時は決して来はしないのだと分かってはいるが……」
 口元に寂しげな微笑を浮かべるオスカーに、オリヴィエは、そんなことはない、それは卑下しすぎだと、そう思った。
 王立派遣軍に属する軍人たちが、どんなに深い尊敬と憧れの感情を込めてオスカーを見つめ、“閣下”と呼んでいたことか。オリヴィエはそれを何度も目にし、そのたびに疎外感を味わってきたのだから。
「そんなことはないでしょう。皆のあんたを見る目を見れば分かるわ。皆、あんたを尊敬して……」
「俺にはそんな資格はない!」
 オリヴィエの言葉を遮るようにして、オスカーは叫んでいた。
「俺には、そんな資格はない……。俺は、あいつらを俺の()くしたものの代わりにして、そして利用しているだけだ。俺は、あいつらに尊敬してもらえるような、そんな男じゃない。愚かで、ズルい男だ……」
 苦しげに呟くオスカーを見つめながら、そんなことはないと、本当にそれだけだったら、決して現在のような尊敬を得ることは叶わないだろうとオリヴィエは思う。それほど、彼らは愚かではないはずだと。
 そしてまた同時に思う。
 現在のオスカーを支えているのは、まぎれもなく、彼が告げたクールマン元帥とゲンシャー大将の二人だろうと。自分はもちろんその二人を知らないが、彼らの存在がオスカーの心を支え、そしてまた現世に繋ぎとめているのだろうと。
 そこまで考えた時、ふと一つの疑問が浮かんだ。
 守護聖である間は、オスカーは守護聖としての勤めを確実に果たすだろう。クールマン元帥とやらの命令を守って。だがその後は? 守護聖の座を退()いた後、どうするつもりなのだろうと。
 現在の王立派遣軍は、オスカーが守護聖だから従っているわけではない。オスカーがその地位に就いた当初はいざ知らず、現在では、オスカーがオスカーであるが故に、彼らは従っているのだ。であれば、たとえ守護聖の座を退き、軍の最高司令官の任を解かれても、おそらくオスカーの軍の対する影響力に変化はないだろう。むしろオスカーの後任者を彼らが素直に受け入れるかどうか、その方が大いに疑問だ。つまり、たとえ退任後であっても、彼が望めばいくらでも軍に対する影響力を行使することが可能なのだ。
 誰よりも聖地を憎む男が、この世界で最も強大な軍事力を手に入れる。しかもその手元には、この世界を、聖地の存在そのものを根底から否定し覆すようなデータがあるのだ。もしそれが公表されたなら……。
 絶対にないと、否定しきれぬその事実に、オリヴィエは改めて愕然とした。





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