「オスカー、あんた、守護聖を退いたらどうするの? まだ先のことだから、そんなこと考えてないかもしれないけど……」
オリヴィエの問いに、オスカーは小さくフッと笑った。
「おまえが何を気にしてるのか、よく分かるな」
「なら、答えてくれる? どうするのか、本音のところを」
重ねての問いに、オスカーはその顔から表情を消した。
「守護聖を退いたら、か……。どうするかは、もうとっくに決めてる。俺は……」
「俺は?」
「俺は故郷へ帰る」
── 国へ、帰る……?
オリヴィエは、オスカーの答えを頭の中で反芻した。
「国へ帰るって、だけどあんたの国は……」
目を見開き、震える声で漸く言葉を綴るオリヴィエに、オスカーは感情の見えぬ顔で、声で、静かに告げる。
「そう、俺の故国は、もう無い。もちろん、待ってる人間もいない。その上、未だ有毒ガスと半減期に程遠い高濃度の放射能に覆われた死の惑星だ。いつになるかは分からないが、たぶん、俺が守護聖を退く頃も大して違いはないだろう。だがそれでも、俺は帰る、そう決めている」
「何バカなこと言ってんのよ! そんな状態のところに帰るなんて、そんなことしたらあんたは……!」
「分かってるさ。けど、俺は帰らなきゃならない。あの方は、クールマン元帥はもうどこにもいないが、それでも、俺は最後まで命令に従ったと、無事に任務を果たし終えたと、そう報告するために、俺は帰る」
「……たった、たったそれだけのために? そのために死ぬかもしれない危険にその身を晒すっていうのっ!?」
オリヴィエが自分のことを思って言い募っているのはオスカーは分かっていたが、たとえそうと分かっても、いまさらその考えを、思いを変えるつもりはない。むしろそのために、その時のために、他の者にはどう見えようが、今もこうして生き恥を晒しつつも生きながらえているのだから。
決して悲壮な覚悟とかそんなものではなく、当たり前のことをするだけだというように、オスカーは穏やかとすらいえる微笑を浮かべながら、静かに告げる。
「おまえや他の人間にとってはたったそれだけの、愚かで馬鹿な行為であっても、俺にとっては必要なことなんだ」
「オスカー……」
オリヴィエは右手で額を抑えた。
分かってしまった。オスカーが何のために、何をするために故国に帰るのか。
ただ一人、後を追うことも叶わずに取り残されてしまったこの男が、一体何を希んでいるのか。
「……馬鹿よ、あんたは、とんでもない馬鹿だわ……」
力なく呟かれた言葉は、それでもしっかりオスカーの耳に届いた。
そうだな── と、自嘲の笑みを微かに浮かべながら、心の中でオリヴィエの言葉に同意した。
「……話は戻るが」ふいに何かをふっきるように、オスカーは話し出した。「以前、だいぶ昔に書かれたある論文を読んだことがある。その論文によれば、簡単に言えば、全ての物質は崩壊を続けるものである。しかし、宇宙の全域において物質は消滅すると同時に、一方で刻々に生成している。消滅はもっぱら物質の内部で起こっている。言うなれば永遠の舞台であって、役者は入れ替わり立ち替わり登場しては消えていくが、舞台は決してなくならない。故に、宇宙不滅であると。
だが、もし仮に俺の説が正しいとすれば、この宇宙は、本来使用されるべき以上のエネルギーを、サクリアを送るという形で、必要以上に使っていることになる。それはつまり、需要に供給がついていっていない、ということだ。つまり生み出される以上のエネルギーを、常に使用しているということ。それが続けばどうなるか。必然的に、この宇宙が存続するために本来必要なエネルギーが不足するという事態になる。
おまえも分かっているように、今、この宇宙は滅亡に向かっている。女王をはじめ、ジュリアスたちは、単にこの宇宙が老いたから滅びの時を迎えようとしていると考えていて、それを防ぐための今回の女王試験であり、それが済んだあかつきには、女王たちはこの宇宙を新しい宇宙に移転させようとしている。
しかし、俺の読んだ論文が正しく、かつ俺の説もまた正しいとすれば、この宇宙が滅びようとしているのは、宇宙が老いさらばえたからではなく、エネルギーの不足からくる宇宙のバランスの崩れが、この宇宙を滅亡させようとしているということになる。
それが何を意味するかといえば、もし仮に新しい宇宙に、この宇宙に存在するものを無事に移転させることができたとしても、根本的な問題は何も変わらない。新しい宇宙でも、現在この宇宙で起こっていることが再び繰り返されるだけだ。
まあ、その新しい宇宙がどうにかなる頃には、流石に俺はもうどこにもいないだろうから、何もしようがないがな。もっとも、たとえいたとしても、何をする気もないが」
オスカーの推論には、破綻がない。あくまで彼の推論に基づくものでしかなく、それを完全に証明するものは、確かなものは、少なくとも現時点では、彼の手元にあるもの以外には何もなく、第三者がそれを証明するのは、かなりの無理があろうことが予想される。
オリヴィエは、オスカーが見ているものを、その考えを聞かされて、躰が震えるのを覚えた。
オスカーは決して確信を持たないことを、簡単に口にするような男ではない。だが、だからこそ、思い、願うのだ。オスカーの推測が、彼の言う説が誤っていることを。
オスカーは本人も言っているように、この滅びゆこうとしている宇宙に対して、守護聖である間においてのみ、命令されたことはきちんと果たしても、それ以外は、それ以上のことは、自分からは決して何もしないだろう。
そしてまた、王立派遣軍という、ある意味、この宇宙で最強と言っても過言ではない組織を背景に持つオスカーと違って、オリヴィエには何かをするような具体的な力は何もなく、その一方で、彼はオスカーの考えを誰かに話そうとも思わない。仮に話したとした場合、己の手元に確たる証拠がなければ、正気を疑われるだけなのではないかと思う。だから、誰か他の存在に話せるようなことではないと思うのだ。
故に、もしオスカーの説がやはり正しとするならば、女王たちが自らそれに気づき、打開策をとってくれることを願うくらいしかできないと、オリヴィエは思う。
「……夜が、明けちまったな」
オスカーの声に顔を上げて窓の方を見れば、確かに窓の向こう、空が僅かに白みはじめている。
「後悔、してるだろう?」
「え?」
不意の問いにオスカーを振り返ったが、何を指しているのか一瞬分からなかった。
「だから最初に言ったんだ、やめとけ、後悔するぜ、って」
「……そうね。後悔してないって言ったら、嘘だわね」
「忘れちまえよな、今夜の話は」
グラスに最後の一杯を注ぎながらオスカーは言う。
「所詮は、酒の上のつまらない与太話だ」
酒の上の話だと、そう一言で簡単に片付けられるような内容ではなかった。だが、
「そうね……。あんたのためじゃなく、自分のために、忘れることにするわ」
そう返しながらも、そうそう忘れられるものではないだろうとオリヴィエは思った。オスカーの言葉とは裏腹に、自分はこの夜のことをいつまでも決して忘れることなく、覚えているだろうと。
「すっかり長居しちゃったわね。もう帰るわ」
言いながら立ち上がる。
この宇宙に対して、自分ができることなど何もないだろう。ただ、命じられるままにサクリアを操るだけだ。
「何かあれば……あんたの与太話くらい、またいくらでも付き合ったげるから」
そして、あまりにも孤独な魂を抱えたこの男に対して自分がしてやれることは、彼が誰にも言えないでいることの聞き役になってやるくらいのことしかないと思う。そう、他には何もないから、だからせめて── 。
「……オリヴィエ」
扉に向かうオリヴィエをオスカーは呼び止めた。
「何?」
それに足を止めながらも、オリヴィエは振り返ろうとはしなかった。
「……ここに、聖地に来て良かったと思うことがあるとすれば、おまえという友人を得たことだ。それだけは、本当にそう思ってる」
それに背を向けたまま軽く右手を上げて見せることで了承の意を伝えて、オリヴィエはそのまま扉に向かった。
扉を開け廊下に出て、そのまま後ろ手に扉を閉める。それから数歩進んだところで立ち止まり、オスカーの「俺は故郷へ帰る」という言葉に、彼のいる部屋とは反対側の壁に、思い切り拳を叩きつけた。
「……馬鹿な男……、馬鹿よ、あんたはとんでもない馬鹿だわ、オスカー……」
── その気になりさえすれば、この宇宙の全てをその手に入れることも可能な力を持っているっていうのに。この宇宙をどうとでも、自分の好きなようにできるだろうに。そしてそれを自分でも承知しているだろうに……。けれど、彼は何もしない。する気はないのだ。
馬鹿な男、とそう繰り返すオリヴィエの頬を、一筋、涙が伝った。
── das Ende
『im Wein ist Wahrheit』 : 《諺》 酔えば本音を吐く(ワインの中に真実がある)
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